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■オープニング本文 数日前、武天のとある街にて火事が起こった。 近くに住む鞠香も近くの寺へと逃げ込もうとしていた。 逃げている最中に火が消えた事を知った。 火消し達とすれ違ったからだ。普段は墨染めに組の名が白抜かれた半纏だが、彼らは自身の使命を終えると、普段は背を守る裏の半纏が顔を見せる。 そう、華やかに刺繍された半纏だ。火消し達は仕事を終えると、半纏を裏返して袖を通し、自分の組まで全力疾走をするのだ。 それこそが火消しの誉れ。 鞠香は火消し達の大変さ、誇らしさをよく知る人物の一人だった。彼女の夫は火消しだったから。 夫もまた、裏に豪奢な刺繍を施していた。それは鞠香の手によるもの。 刺繍屋の仕事をしていた鞠香はその面ではよく知られた腕のいい刺繍屋だった。普段は街で出くわした組の違う火消し同士は悪い軽口を叩きながら挨拶をしているのだが、鞠香の所では皆、大人しくなる。 夫の半纏は鞠香にとって、最高の一品の一つで、目に止まった者達はその刺繍を、勇敢なる火消しだと誉めていたという。 そんな折に鞠香の目に入ったのが夫の刺繍だった。 全力疾走しているのだから、火消しに違いない。 だが、夫ではないのだ。 鞠香の夫は二年前に火消しの仕事で死んだのだ 最後の最後、焼け落ちた梁に腹を潰されたらしい。 仰向けに倒れていたのに半纏の判別が分らなかった。 今頃何故‥‥ 「夫が着ていた筈の半纏を持っていないか調べてほしいのです‥‥」 伏せられた目を遮る瞼を飾る睫毛は長く、艶やかな唇を着物の袖が隠してしまう。洗練された仕草と美しい姿をしている鞠香に受付嬢は同性であるが、暫し見惚れてしまう。 妙な間に鞠香が気付くと、受付嬢はなんでもないと手を振る。 「んと、半纏ですか。そういや、最近その辺では火事が多いようですね」 栗を擂り込んだ砂糖の菓子を受付嬢は口の中に頬張る。 「ええ‥‥付け火だとお上は仰っているようですが‥‥」 「これ以上被害が広がらないといいのですが‥‥」 「そうですね‥‥」 沈痛な雰囲気ではあるが、受付嬢はそっと、紙に筆を滑らせた。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
奈々月琉央(ia1012)
18歳・男・サ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
藤(ia5336)
15歳・女・弓
設楽 万理(ia5443)
22歳・女・弓
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
黒森 琉慎(ia5651)
18歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●外から見る火 設楽万理(ia5443)と菊池志郎(ia5584)が鞠香の家に訪れた。彼女の家には数人の娘さんがいて、それぞれ縫い物をしていた。 「あ、いらっしゃい」 鞠香が二人に気付いて微笑む。彼女は刺繍屋の傍ら、家に娘さんを呼んで刺繍を教えている。客に気付いた娘さん達は帰り支度をして家を後にした。 見送った後、鞠香が二人に茶を差し出した。 「すみません、刺繍の意匠を描いて頂けませんか?」 万里の申し出に鞠香は少し驚いたが、立ち上がって茶箪笥の隣の箪笥の引き出しを開けて、一枚の紙を手にして鞠香が再び元の場所に座る。 「私のやり方が正しいとは思ってはおりませんが‥‥」 紙を開けばそこには美しい絵図が広がっていた。 細やかに放たれている無数の花弁、祝福するような絹熨斗、美しい見返り美人が扇を差し出して踊っていると思われる。 仕事を終えた火消しへの祝福のようだと志郎は息を呑み、万里は感歎の溜息をついた。 「これが刺繍となるのですか‥‥」 細やかな描写を糸で再現するのは至難の業と思えた。 「ええ、私の刺繍は裏面となりまして、表は組の名が入った物と重ね合わせるのです」 鞠香の説明に万里と志郎が顔を見合わせる。 「‥‥私が手がけた全ての刺繍は大事な子供みたいなものですが、これだけは別なのです‥‥」 「旦那さんのですしね」 万里がそっと声を滑らせると鞠香は泣くように微笑んだ。 街ではやはり、付け火の事で持ちきりだ。 瓦版もその事で声を張り上げている。 「辛気臭せぇ話だな」 落ちた瓦版を拾い上げて言ったのは酒々井統真(ia0893)だ。 「騒ぎ立てる事によって、より町人の心を不安にさせるという事を何故理解できないのだろうか」 皇りょう(ia1673)が白眉を顰めて瓦版を読めば、火事についての文字と恐怖を煽らせる火事の挿絵がある。 「役人も苛立ちを隠せてないようだしな」 藤(ia5336)の耳に劈く瓦版売りの声は火付け犯人を捕まえる事が出来ない役人を薄布に隠すように揶揄しては笑いを誘っている。 「役人の所へ行こう」 溜息をつくようにりょうが言った。 役人が躍起になっているという事もあり、開拓者が火事現場をうろついては不審に思われるかもしれないという所から、依頼の事を一言添えようとしていた。 鋭い目つきに怒鳴り声は覚悟していた三人が向かえたのは穏やかな笑顔。 「開拓者? ああ、噂には聞いてるよ」 優しい声に三人は暫し目を瞬かせる。話をかいつまんで聞いた役人は少し考えて一つ提案をした。 役人は三人を甘味屋にて待たせた。その役人は鷹来沙桐といい、別件でこの街に来たと言う。現在は黒蜜がとろりとかかっている寒天を頬張っている。 「上の人には言っておくから。何かあっても気にしない方がいいよ」 「やっぱり、面子とか手柄とかあるしな」 熱いお茶を啜る統真に鷹来が困ったように笑う。 「役人だって疲れるんだよね」 捕まればそれでいいみたいだよと、爆弾発言を言い、鷹来が懐から取り出したのは二年前に鞠香の夫が死んだ時と最近の調書だ。 「いいのか?」 藤が視線だけ調書に向けた。 「ただの付け火となっているからあまり細かくはないかもね」 三人が調書に覗き込み、りょうが項を捲る。 死んだ火消しの遺体状況は鞠香が知っていた程度のものだった。 「最後の最後って殆ど火がないのに何で半纏の判別がわかんないんだろう」 「火事だから焼けちまっているんだろ?」 統真の言葉に不満なのか、手持ち無沙汰に鷹来が匙を上に持って手首を回している。 「裏の確認は?」 「だから‥‥あれ?」 なおも言おうとする統真が止まる。 「殆ど火が消えた状態で倒れて何故、裏の判別が分らないほど焼けているのか」 静かにりょうが紙を捲り呟いた。 「先に半纏だけが燃えていた?」 藤が紙面を追っていた視線を上げると、りょうと統真と目が合った。 「半纏かぁ。何度も火事があるから見せ放題だな」 鷹来がりょうに自分の分の塩大福を差し出せば、りょうは手を合わせてから塩大福に手を伸ばす。 「不謹慎だと思うが?」 「はは、失敬」 きとり、と藤が鷹来に言えば、即座に謝る。 「‥‥見てほしいという事か」 白い喉を上下させて、りょうが塩大福を飲み込んでから呟いた。 「いい物が手に入った時、見せびらかしたいという気持ちじゃないかな」 鷹来がお茶を啜り、遠くを眺める。場が静まった時、鷹来が思い出したようにあっと、声を上げる。 「そろそろ戻るよ。これも何かの縁だし、半纏の事で何か分ったら俺の方からも連絡入れるよ」 あんみつを食べ終わった鷹来は立ち上がり、言葉を締めようとする。どうやら、仕事があるようだ。 「いいのかよ、役人なのに」 統真が驚いたように言えば、鷹来はニコッと笑う。 「言っただろ、何かの縁だって。じゃあ」 のらりくらりと彼は全員の代金を支払って店を出てしまった。 「なんなのだ、あれは」 藤が呟くが、りょうも統真も同じ意見だった。 鞠香が住んでいる家の近くの火消し組に顔を出したのは琉央(ia1012)と琉慎(ia5651)。 強面の火消し達が見る開拓者の姿というものは好奇の的。 「鞠香センセの旦那かぁ」 「あいつァ、本当にいい火消しだった」 その場にいた組員達がうんうん頷きながら鞠香の夫の事を思い出していた。 この組は鞠香の夫がいた組とは違うが、彼の名声は他の組にも知られている事が分る。 「この間の火事で鞠香さんは旦那さんと同じ半纏を着ている組員を見たんだって」 「なんだと?」 琉慎の言葉に火消し達が目を細める、琉央が話を続ける。 「鞠香の旦那の半纏って、二年前になくなったんだよな。何か知らないか?」 火消し達が首を捻っていたが、あっと、思い出したのは隅の火消しだった。 「公太の奴が似たの着てたの見た。ここ最近変えたって言ってたぞ」 「それは本当か!」 全員が隅にいた火消しの方を向く。 「俺もチラッとしか見てねーんだよ。見たのは組についてからだし、俺が言えばすぐに半纏をひっくり返しちまった」 「何か言ってなかった?」 「いい刺繍をしてくれる奴がいるって言ってた。そんだけだよ」 琉央が首を傾げると火消しは顔を顰めて首を振る。 「ああ、そういえば、最近あいついつもしんがりじゃないか?」 別の火消しが声高に言うと、確かにと言う。 大抵、消火活動が終わった火消しは半纏を裏向きにして早々に走り去るのが慣例だ。公太はいつも何かしら最後まで現場にいてしんがりになってから走り出すのだという。 「そいつ、今日は?」 「非番だな」 ぷかぁっと、煙草の煙をふかして親分が言う。 「どんな人なんだ?」 琉慎が訊ねると、背は高く、髪はどんなだとか、目がどうだと教えてくれるので、琉慎はその特徴を考慮して似顔絵を描いていく。 「おお、上手いな」 火消しの皆がはやし立てる。 「冷やかさないでよ」 琉慎が言えば、皆が笑った。 ●中を見て 万里と志郎が鞠香の夫がいた火消しの組に訪れると、気風のいいお姐さんが出迎えてくれた。 「鞠香ちゃんの依頼? わかったよ、茶でも飲んでいきな。あんたー! お客さんだよー!」 気さくなお姐さんは組の親分の奥さんのようだ。大きな声で親分の事を呼んでいる。 「なんでぇなんでぇ、おお? 客か」 ひょっこり出てきた親分は顎をしゃくりあげて入れと促す。上がらせてもらった二人は親分に鞠香の夫について訊ねる。 「アイツを悪く言う奴なんかいねえよ」 「誰もが鞠香ちゃんとの祝言を悔しんで最後は喜んだもんだよ」 うんうんと親分と女将さんが頷く。キリのいい所を見計らい、万里が本題を出した。 「旦那さんの半纏について何か聞いた事はありませんか?」 「あれだろ。鞠香ちゃんの最高傑作」 くるりと、器用に煙管を回して親分が言った。 「他には何かありませんか? 盗まれたり、貸していたりは?」 「火消しにとって、半纏は大事なもんだ。貸すなんて事はないな。あいつにとっちゃ、かけがえのねぇもんだからな‥‥とはいえ、あんな死に方じゃぁな‥‥」 何があってもおかしくはない。 しんとした部屋の中であったが、女将さんが思い出したように部屋を飛び出た。暫くしないうちに一人の火消しを連れて戻る。 「おう? 留吉じゃねえか」 留吉と呼ばれた火消しは万里と志郎に会釈をして入り口の近くに座る。 「死ぬ前に何度か半纏を譲ってくれと言ってきた奴がおりやした」 その一言に万里と志郎が顔を見合わせる。 「大金を払うと言ってたんですが、あいつは鞠香ちゃんの心だから渡す訳にはいかねえと断っておりやした」 「本当に大事にしていたのですね‥‥して、その方は?」 端的な言葉ではあったが、それだけで彼は鞠香の半纏を、鞠香を大事にしていた事が切なくなるくらいに伝わる。万里が質問すれば、留吉は首を傾げ記憶を掘り起こす。 「隣の組の公太って奴だ」 「どんな方ですか」 留吉が言う人物像に沿って志郎が紙に書いた。 役人と別れた後、りょう、統真、藤の三人は町の地図を片手に今まであった現場を見回っていた。 「右回りって言うんだから、この辺か‥‥」 最近の火事の調書を見ていると、火事が起きる間隔は中三日から七日の間。 「気紛れなのだろうか」 不審な人物はいないか、藤が目を光らせる。 「でも、金品が盗まれたって話じゃなさそうだぜ」 きょろきょろと付け火しやすそうな場所を探しているのは統真だ。 「付け火が目的だろな」 溜息混じりにりょうが言うと、統真も同意するように溜息をついた。 待ち合わせ場所は人の出入りがそこそこある定食屋だった。 七人がそれぞれ注文をしていると、座っているのに何故か志郎が他の客に追加注文をされては違うと言っている姿がある。 皆がそれ見て苦笑してから情報交換がはじまる。 統真達からは鞠香の夫が梁に潰される前に死んでいた可能性を。 万里達からは半纏をほしがっていた公太という男の話。 琉慎達からは火事の度にしんがりを走りたがる公太という男の話。 食事を交えながら話している。 「そいつ、怪しくないか?」 藤が言えば、万里が頷く。 「今日が非番でしたらもしや‥‥」 全員が立ち上がって食台の上に代金を置いてさっさと走り去った。 志郎と藤が首実験をしようと思い、鞠香を連れてくる為、彼女の家へと走り、残りは統真が予想した場所へと走る。 もう、夜となってしまった辺りはとても暗かった。 この辺は住宅街でもあり、建物が密集している為、壁が月明かりを遮り道が暗いのだ。 「手分けして探そう!」 りょうの言葉で右に三人、左に二人で走って行った。 右に行った琉央と万里が家の勝手口の前に背を屈めている人物を見た。提灯の竹と障子紙を折っている所からして、怪しいと睨んだ万里が叫ぶ。 「待ちなさい!」 その者は小脇に何かを抱えており、二人に見つかるなり、提灯を投げ捨てて走った。 即座に琉央が呼子笛を吹いて皆に伝え、万里はまだ紙に燃え移っていなかった火を息で消した。 左の方を走っていった統真とりょうと琉慎は確かに呼子笛の音を聞いた。 「あっちだ!」 「先に行く!」 早駆を使って琉慎が先を走る。りょうと統真も追い走る。 付け火をしようとしていた者を追っていた琉央と万里だが、相手は中々に足が速く、体力があった。小脇に抱えている布のようなもの。本能的にその者が火消しで抱えているのが半纏という事を二人は感じ取っていた。 埒があかなさそうだと思った万里は威嚇が脳裏を掠めた。 「止まらないと‥‥!」 弓で撃つと言いかけた時にその者の足が足踏みをするように驚いている。 「いいところで!」 琉央が言えば、琉慎が前に出てきたのだ。続いて統真とりょうの姿も見える。 「そこまでだぜ!」 少し息を切らせながら統真がにやりと笑う。 「すまないが、その脇に抱えているそれを見せてはくれないか」 りょうが手を差し伸べれば、その男は警戒心を剥き出しにして包みを隠そうとしている。 「鞠香さんの半纏なのかい?」 琉慎が言っても男は黙っている。 無言の時が流れたが、琉央が役人を呼んでくると言った。男が半纏を持っていようとも、火付けをしようとした事実だけは変わらないからだ。 琉央が行った方向とは別の方から走る音がする。統真が振り向けば、志郎と藤、鞠香の姿があった。 「鞠香さん、知っている顔かしら?」 万里が体をずらせば、鞠香の角度からでも男の姿が確認できる。 「公太さん!?」 鞠香も知っている人物らしい。 「知り合いなの?」 琉慎が言えば、鞠香が頷く。 「私に刺繍を頼まれた方です」 ふむ、と志郎が考え込むように手を口にやっていたが、思いついたように言葉を声にした。 「それが鞠香さんの半纏だとすれば偽者ではないですか?」 男は口を貝のように閉ざしていたがその言葉に男は目を見開き、烈火の如くに怒りを顔に現せた。 「本物だ! 鞠香さんが作った唯一つの心だ! あいつなんかよりずっと俺が手にするのが相応しいんだ!」 叫んだ男の台詞に万里が眉を顰めた。確か、鞠香の夫も鞠香の心だと言ったからだ。 「ふざけんな! そんなんで火付け何かすんな! 火消しは誉れと誇りあるもんだろ!」 火消しが己の誉れを見せびらかす為に火付けをしていたという事実に統真が憤りを感じる。彼もまた、拳士としての誉れと誇りを感じているからだ。 「よした方がいい」 静かにりょうが統真の隣に立つ。 「それは私があの人の為に作った私の心です! 返してください!」 悲痛な鞠香の哀願に男が応じる事はなかった。藤がそっと悲しみに震える鞠香の肩に手を添えた。 遠くから役人達が近づいてくる音がするが、冷たい光を放つ三日月が吸い取るようだった。 ●火は消える事はない 翌日、半纏は鞠香の手に戻ってきた。彼女はようやっと戻ってきた夫の形見をそっと抱きしめた。 「よかったですね」 志郎が言えば、鞠香が泣き笑いで頷く。 「そういやさ、私の心って言ってたよな、どういう意味だ?」 誰もが引っかかっていた言葉を統真が代表して言った。鞠香は思い出すと、頬を染めて恥ずかしそうに俯いた。 「これは‥‥私があの人に想いを伝える為につくったのです‥‥」 ぽそぽそ言うと、藤が首を傾げる。 「告白したのか?」 身も蓋もない言葉に鞠香が顔を更に赤くし、耳まで赤い。 「何か他のと違いがあるの?」 刺繍を見ていた琉慎が訊ねると、鞠香はまだ顔を赤くして刺繍の女が手にしている扇を指差した。扇の上には小さな花がぱらぱら乗せられて、誰かに差し出しているようなもの。 「これは茉莉花です‥‥私の名にちなんだ花だそうで‥‥この花を使った刺繍はこれだけでして‥‥」 「つまり、鞠香さんの心というのは、あなただけのものという意味なのでしょうか?」 万里の言葉に鞠香は恥ずかしそうに俯いてしまう。そんな様子を見てりょうが微笑む。 愛する夫はもういないが、人生を謳歌してほしいと願った。 |