|
■オープニング本文 ●選ばれた娘● 五行の国。 首都・結陣より西へ向かった所に、大きな山脈がある。雄大な森を抱くその山々には、多くの農村がある。 そのひとつの村で、今、忌むべき慣習が再び行われようとしていた。 「‥‥お前は山神と一体となる」 大降りの雨の中、無駄に艶やかな着物がしとどに濡れている。屈強な村の男達に取り囲まれた若い娘は、静かに涙を流していた。 「村の為、その身を山神に捧げるのだ」 村長の言葉に、娘はこくりと頷いた。 その様子に、村長は娘を連れて行くよう命じた。村人は戸惑いながら、娘を連れて行く。 「梓!? 待って、止まりなさい!」 人だかりを掻き分け、若い娘が飛び込んできた。 名を鈴子(すずこ)といい、梓(あずさ)と呼ばれた娘の親友だった。 「鈴子‥‥!」 梓は手を伸ばすが、村長がそれを払いのけた。 「鈴子、下がっていなさい」 「父上‥‥どうか、梓を生贄になんかしないで!」 鈴子の願いも空しく、非情な瞳で父は言った。 「‥‥お前を生贄に差し出すわけにはいかん」 「!?」 村長である父は、鈴子の耳元でそう言った。 先だって起こった大規模な地震。その大災害を治める為に非力な者が選んだ道は、山の神へ生贄を捧げるという古い慣習の復活だった。 その村で昔行われていた生贄の儀式。生贄となる娘の生命を衰えた山の神に捧げることで、山の神は力を得て山を治めることが出来ると信じられていた。 生贄となる娘は、19歳の未婚の娘。村には、該当者は2名しかいなかった。 厳正な卜占で生贄に選ばれた娘は、鈴子だった。 しかし、村長の娘を生贄には出来ぬ‥‥という、村長と村役の話し合いで、同じ歳の梓が選ばれた。 というより、梓を身代わりにしたのだ。 それでも、承知の上でその命を村の為に捧げると承服した、優しい梓。 (「死なせない‥‥! 梓っ!」) 鈴子は梓を助けようと腕を伸ばすが、その視線の先で、梓は滝に向かって立たされた。山を巡る川。そこに身を沈めることで、山の神と一体になるという。 「‥‥梓‥‥梓ぁ!」 諦めと悲しみが梓の美しい顔を歪めていた。黒い髪を振り乱し、梓は目を閉じる。 「村の為に、この命を‥‥」 梓の伏せた目から、雨粒に紛れて涙が零れ落ちた。 「‥‥落とせ」 村長は娘・鈴子の目の前に立つと、その光景を見せぬよう抱きしめた。 「父上‥‥」 「許せ‥‥」 鈴子の頬を涙が流れ落ちた時、甲高い悲鳴は起こり、そして滝の下へと消えていったのだった。 ●着物を纏う女● ―3日後。 村の近くを流れる川の下流で釣りをしていた村人が、それを目撃した。 女が、川縁に立っていた。その女は、艶やかな着物を襦袢の上に引っ掛け、何をするでもなく佇んでいたという。 「ありゃあ‥‥梓の‥‥!」 村人は戦慄した。先だって行われた村の儀式で、犠牲となった娘が死装束として身に着けていた着物ではなかったか。 まだ気付かれた様子はない。村人は恐る恐る、道を大きく回りこんでみた。 蛇行している道の先、丁度川縁に立つ女の顔が見える位置まで来たとき、村人はその顔をはっきりと見た。 「う‥‥うわあああああ!」 その顔は、梓と似ても似つかない女の顔をしていた。 目は血に飢えた赤色。額には人外のものを物語る角。 青白い死人のような肌に張り付く長い髪は、毛先を瘴気に溶かしている。 美しい容姿にも関わらず、腹の底から震えのくるような恐ろしさを覚えるその姿は、おぞましいの一言に尽きた。 「お‥‥鬼だああ!」 村人は、一目散に村へと駆けた。 逃げ戻った村人から詳細を聞いた村長は、ぎりっと唇を噛んだ。 「なんということだ‥‥よりによって、山神に捧げた梓が‥‥」 そのアヤカシが佇んでいたのは、梓が落とされた滝の下流。恐らくそのアヤカシは梓を喰らい、着物を剥ぎ取ったに違いない。流れ着いた梓には息があったのだろう、それが災いした。 「村を守るために山神に命を捧げたはずが‥‥アヤカシに奪われるなど、そんな‥‥」 鈴子は畳に伏して、声を上げて泣いた。こんなことになるなら、あの時に何が何でも止めれば良かった、と。 村長は顔を見合し、村役の者達と頷き合った。 「そのアヤカシを村に近づけてはならん。梓の着物を取り返し、菩提を弔ってやらねば」 娘の背を撫でながら、父である村長は深く後悔していた。あのような、古き儀式など復活させねば良かったのだ。 ●川縁の鬼女● 翌日、村の男衆が数名、件の川縁へと向かった。屈強な男達が4人、粗末ではあるが胴鎧を身に着けていた。 中には梓を滝に落とした者もいた。大きな罪の意識と後悔から、せめて梓の仇をと奮起したのだ。 男達は川縁に着くと、ゆっくりと近づいた。どうにか、着物だけでも取り戻そうとしたのである。 ――なんじゃ、この着物が欲しいのか。 ――着物と引き換えに、なにをくれるのかえ? ――この着物の主の縁者か。 ――あんな小娘忘れてお仕舞い。妾と、ゆるりとすればよい‥‥ しばらく後。男達の悲鳴が山にこだました。 「なんだと!? 戻らない!?」 村では、夜になっても戻らない男達を案じた家族が、村長の屋敷へと駆け込んでいた。 昨日の今日である。よもやと思い、村長は数名の村人に川縁を見に行かせた。 その村人達が戻り、報告した状況に村長は驚愕した。 村を出た男達は、川縁に散乱していたのだと言う。まさしく「散乱」であったと、恐怖に慄く村人達は語った。 喰い散らかされたとしか、言えない様な惨劇。 その血の海の中に、瘴気を漂わせながら女がひとり、恍惚とした表情で佇んでいたのだ。 最初にそれを目撃した村人の話の通り、やはりその女は額に角のある青白い肌をしていて、梓の着物を身に纏っていたのだそうだ。 どこか艶のある女の姿をしており、何事かぶつぶつと呟きながら、血の海の中で舞い踊るようにふらふらとしていた。その姿を確認し、村人達は逃げ帰って来た。 「‥‥判った。村の女子供は家から出ぬよう伝え、男は村の周りに柵を張れ!」 村長は村人達に命じ、自らは羽織を引っ掴んで踵を返した。 「父上!? 父上はどこへ!?」 愛娘の声に、村長は振り返る事無く答えた。 「馬で‥‥結陣へ行って開拓者を連れてくる! わしの責任だ‥‥村を頼むぞ、鈴子!」 村長は、供を2人連れ、馬で深夜の村を飛び出して行った。 |
■参加者一覧
音有・兵真(ia0221)
21歳・男・泰
水火神・未央(ia0331)
21歳・女・志
貴水・七瀬(ia0710)
18歳・女・志
国広 光拿(ia0738)
18歳・男・志
篠樫 鈴(ia0764)
17歳・女・泰
青 燐子(ia1133)
25歳・女・陰
本堂 翠(ia1638)
17歳・女・巫
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●鬼女の棲まう川へ● 「ええ、村の代表の方は先に村へ戻ると仰られてお帰りに。随分村の状況が気になる様子でしたよ」 五行のギルドに到着した開拓者達は、職員より詳細の書かれた依頼書を配布されながら説明を受けていた。 今回の場所は五行西部にある、山間部の農村である。移動には馬で5時間程ということだ。 「馬を借りたいんだが」 音有・兵真(ia0221)は職員に申し出た。現地までを人の足で移動するには、少々時間がかかり過ぎる。 職員はにこやかに頷いた。棚から貸し出し希望の際に記入する用紙を取り出し、兵真に渡す。 「しかし、生贄の儀式ですか。思う事は無くも無いですが」 言うのはやめましょう、と言いながら水火神・未央(ia0331)は苦笑した。 「川辺に留まっている女‥‥か」 依頼書を見つめながら静かに国広 光拿(ia0738)は言う。切れ長の目が、依頼書のアヤカシ欄を見下ろしていた。 「どういう理由で留まっているのか判らんが‥‥これ以上被害を出すわけには行かないな」 鬼女。梓の死装束である着物を奪い、着ているという。 「つまりその着物にゃ、少なからず梓自身の血が染み込んでるんだな。‥‥まぁ、今はんなこと気に病んでる場合じゃねーな、男誑かすってのもいけ好かねーし、いっちょ眠ってもらうとするか」 男顔負けの威勢でそう言った貴水・七瀬(ia0710)。腰元の愛刀をぽんぽんと掌で叩きながら眉尻を吊り上げていた。 「生贄ね‥‥他所の村のやり方に口を挟みはしないけど‥‥。贄の娘をアヤカシが食って、更に死なせた村長が依頼を出す、と」 ふっと冷たい笑みを浮かべたのは本堂 翠(ia1638)だった。 「人を喰らう鬼女。自分の娘のため、他の娘を贄にした村長。さて、鬼はどちらでしょう? 刈り取るのは鬼女、私たちにとっての答えはそれで充分、ですけれど」 理知的な笑みが、今日ばかりは冷たくなってしまう斎 朧(ia3446)。言葉の中に棘が混じっている。 「難しい事はわからへんし村長さんがやった事が正しい事だったか責めるつもりもないけれど‥‥とにかく、鬼は許さんよ!」 どうにも重い空気が漂う中、篠樫 鈴(ia0764)は一際大きな声で言いながら拳を振り上げた。 そこへ、ひょこりと遅れて、女が精霊門を通過してやってきた。 「おそーい! どこ行ってましたん? 青さん」 鈴が振り返り頬を膨らませる。仲間達も「おや」という表情で彼女を振り返った。 神楽の都での集合時にはいた筈が、少し目を離した隙に消えた彼女、青 燐子(ia1133)。 燐子は小首を傾げて、手にぶら下げた物を持ち上げた。 「これがないと‥‥どうにも落ち着かないもので。お待たせしました」 ひょいと持ち上げた天儀酒。好物のこれが腰元にぶら下がってないと落ち着かない彼女は、大の酒好き。どこでも飲む性質ではなく、もちろん時と場所は弁えている。 仲間達の苦笑の中、燐子は、ふふっと優雅に微笑んだ。 ●罪悪感の村● 馬を走らせること5時間。現地の村には、明け方頃に到着した。 村に到着した一行を出迎えたのは、村の入り口に設置された急ごしらえの板壁だった。入り口には篝火が焚かれ、見張りに村の男が立っている。 見張りの男に案内され、一行は村長の屋敷へと向かった。 「遠路‥‥遥々お越し頂きありがとうございます」 上がり框で、正座に平伏する村長の顔には疲労の色が強く現れていた。一睡もしていないのか、目の下の隈がくっきりと憔悴の色を伝えている。 「早速だが、詳しい状況を伺おう」 兵真は村長に尋ねた。鬼女の容姿・形状や、現地の地形など、判る範囲の情報を村長から引き出した。 「‥‥鈴子さん、やね?」 仲間達が村長に聞き取りを行う中、鈴は父の後ろに正座で控えていた娘に声をかけた。 「は‥‥はい、そうでございます」 深々と平伏し頭を下げる鈴子の肩に、鈴は優しく手を置く。 「気休めしかならんかもしれへんけれどね。貴女とうち名前似てるやん? 貴女の想い、うちの拳にのせて鬼ぶん殴ってくるから‥‥着物も皆と協力して取り返してくる! だから‥‥」 だから、元気出してや! と笑顔を向ける鈴の姿に、不安と恐れの中で緊張し続けていた鈴子の目に涙が溢れた。 光拿は無言で鈴子の前に立つと、静かに口を開いた。 「予備の着物はあるか?」 「え‥‥っ」 涙を流す鈴子は、頬を拭いながら赤くなった目で光拿を見つめる。 「梓とやらの着物を取り返すのだろう? 鬼女次第だが、交渉出来るものなら試したい」 光拿の狙いは、梓の着物を出来るだけ傷つけずに取り戻す事にある。知性があり、会話が可能な相手ならば引き換えるという手段で着物が取り戻せるかもしれない。着物さえ無事取り戻せれば、あとは全力で討伐が可能である。 鈴子は少しの逡巡の後「お待ち下さいませ」と断り、廊下の奥へと消えた。しばし経ち戻ってきた鈴子の手の中には、豪奢な刺繍の施された打掛が抱えられていた。 光拿に、恭しくそれを差し出す。 「こんな物でしか、ご協力出来ません‥‥愚かな村を、お許し下さい‥‥」 気丈な娘は、そう言って再び頭を下げた。 「解った、取りあえず任せてもらおう。事が済んだら、死んだ者の冥福を祈ってやれ」 兵真が静かに言うと、村長は黙ってひとつ、頷いたのだった。 ●鬼女との対峙● 村であらかた情報を引き出した一行は、馬を置いて徒歩で川縁へと向かった。 生きて戻った村人の話では、鬼女がいた地点を遠目に見られる場所があったという事だった。まずはこちらの動きを悟られないようにと、その場所を探す。 早足で向かう一行は、2時間程で川縁へと到着した。山林沿いに進み、枝分かれした道を進んでいると、村人が目撃した地点と思われる場所へ着いた。 「ああ、いますね‥‥」 翠は岩間から顔を覗かせる。 何をしているのか判らないが、着物を肩から羽織る女の姿が見える。 額には角、そして禍々しい瘴気を放つそれは、いくら女の姿をしていてもアヤカシに違いなかった。 「男性は不用意に近寄ると危険かもしれませんね‥‥女性陣でまずは近付き、挑発して注意を引き付けている間に男性陣が奇襲組として行動するというのは如何でしょう」 燐子はひそひそと提案する。ギルドの情報では、この種の鬼女は男性を好んで襲い、女性には敵意を剥き出しにして本性を現す事が多いという。 作戦は決まった。 早速、岩間に男性陣を残し、未央と七瀬、翠、鈴、燐子が鬼女へと向かう。 奇襲組の男性達と共に残った朧は、彼女達の後姿を見つめながらそっと呟いた。 「‥‥なんとか、着物が取り返せさえすればこちらも討って出易いのですけれど、ね」 ●鬼女、激昂● ――ほ。妾になんぞ用か―― 現れた5人の女性達に気付いた鬼女は、そちらへ目もくれずに言った。ただ、放つ殺気と身を覆う瘴気は嘘を吐かない。明らかに現れた女性達に不快感を示していた。 ひょこっと一歩前に出た鈴は、張りのある声を鬼女に向けた。 「わ、鬼っていうわりには美人さんやね‥‥着物よう似合うてるわ。傷つけたりしなさんなや?」 身振りで存在を見せ付けるその傍らで、今度は七瀬がため息を吐く。 「いくらいい着物で、男を誑かす術持ってたって、キワモノな面構えじゃな‥‥」 あからさまな嫌悪感を滲ませた言葉が、鬼女に向けられる。 するすると衣擦れの音を立てながら、鬼女は振り返った。 ――女か‥‥女は好かぬ―― ぎらつく血色の瞳を細め、鬼女の形相が変わっていく。眉間に寄せた皺は深く、目尻がみるみる切れ上がっていく。口元にはおぞましい牙が覗き、瘴気が纏わり吐く黒い髪が宙を舞った。 長い鋭利な爪が、羽織る着物の襟を握り締めた。着物の襟に、傷がつく程の力を込めている。 燐子は爪がかかった着物が裂かれる前にと、腰元の天儀酒に手をかけた。 足を踏み出し、鬼女の頭上へ向けて放り投げる。酒瓶が狐を描いて鬼女の頭上へ舞ったところで、燐子は式を打ち斬撃符を放った。式に打たれた酒瓶は、大きな音を立てて割れる。 ――‥‥! ―― 真下にいた鬼女は、頭から酒を浴びた。 「あらあら、いい女に。フフフ‥‥死に逝く者への手向けよ」 燐子の嘲笑に、鬼女は遂に激昂した。 ――おのれ‥‥! ―― 「‥‥参りますよ」 岩間に待機していた奇襲組は、本性を剥き出しにした鬼女の様子を好機とばかりに、一斉に飛び出した。 対峙している女性陣は、その姿を視界に捉え、各々武器を構えて鬼女の意識を引き付けようと動く。 しかし、20M程接近したところで鬼女は奇襲組の気配に気付いた。 身を反転させ、羽織っていた着物を翻すと、奇襲組の初撃をかわす。 「術にかかった時は、遠慮なく俺を討て」 そう言い放ち、光拿は鬼女に近付いた。 「すっかり着物が汚れているな、その着物を貰えないか」 一歩一歩近付きながら、光拿は鈴子から預かった着物を広げる。 光拿の言葉に、一瞬己の姿を見て更に眉根を寄せた鬼女は、広げた豪奢な刺繍の着物にちらりと視線を這わせた。 「この着物と取り替えてはどうだ」 ――取り替えてやる代わりに、坊やは何をくれる? ―― 鬼女ははらりと羽織っていた着物を脱いだ。 (「‥‥伝え聞いた程、害のあるように見えないのは何故だ」) 内心、首を傾げる光拿。 (「異形とはいえ‥‥然程に禍々しいとも、思えないな」) 近付くにつれ、徐々にはっきりと見え始めた鬼女の姿は、光拿には普通の女と変わらぬ姿に見え始めていた。 ――その着物と‥‥引き換えて‥‥代わりに‥‥‥を、貰おうか―― はっきりと声が聞き取れない。頭が次第にぼんやりとし始めた。 「拙い‥‥!」 背後から成り行きを見守っていた兵真は、声を上げた。 どうやら光拿は、抵抗する気持ちをなくしている。非力な女の姿のアヤカシがよく使うという、魅了の術にでも罹ったのかもしれない。 対峙していた女性陣も、その様子には気付いていた。 「困りましたね‥‥」 術にかかった場合は遠慮なく‥‥と本人が言ったとはいえ、仲間を安易に攻撃出来ない。 翠と鈴には考えがあるらしく、じりじりと隊列を離れながら動いていた。鈴は川の中から周り込み、翠は鬼女の死角へと。 ――男は良い‥‥男は好きじゃ―― どう見ても禍々しさしか現れていないはずの鬼女の面。しかし光拿は、ふっと笑みを零して数歩の距離まで近付いていた。 「しばしの‥‥戯れを」 ――ほほ‥‥その着物を早う―― 鬼女は梓の着物を光拿の足元に投げ落とした。新たな着物を受け取ろうと、その腕を差し上げる。 その時だった。 「ゴメン、後で服洗う!」 全力で駆けてきた翠は、鬼女の死角から飛び出し、光拿を突き飛ばす。無抵抗で力の抜けていた光拿は、そのまま川の中へと吹っ飛ばされた。 ――何!? ―― 梓の着物を拾い上げ、それを後方の女性陣の方へ放り投げると、翠は苦々しい表情で言った。 「梓さんを食らっただけじゃ飽き足らず、更にその死までも冒涜か」 ――‥‥妾を謀ったな―― 「引き換え? くれてやるさ。アンタに、終わりをね」 翠の言葉を合図に、鬼女の前後を挟む形で陣取った一行は、身構えた。 一方。 「しっかりしぃ!」 鈴は川に突き飛ばされた光拿を起こした。まだ目がぼんやりとしている。 仕方がないとばかりに、鈴は渾身の力を込めて光拿の背後から抱きしめた。 「目には目を‥‥魅了には、魅了や!」 ぎゅううっと腕に力を込めると、光拿の喉からくぐもった音がした。 「ぐ‥‥。は、離せ、鈴‥‥」 ぷはっと息を吐き出した光拿は、両手を地についた。 「戻ったんやね!? 良かったわ、やっぱ魅了には魅了やってんな!」 鈴の満面の笑みに、光拿は苦笑した。 「魅了かどうかはともかく、助かった」 未央は長槍を巧みに操り、身軽な鬼女を追い込むように攻撃を加える。胴体や足元などを狙う一方で、フェイントを織り交ぜながらの多彩な攻撃を続けた。 「あんな上等な召物はてめーには似合わねえんだよッ!」 刀を振りかざして飛び込んだ七瀬は、叫びながら鬼女の足元を一閃する。ぎゃあと無様な声をあげ、足を切られた鬼女は大きく転倒する。 骨法起承拳を発動した兵真は、渾身の力を込めて胴を打つ。鬼女は襦袢ひとつで悶えながら、醜悪な顔を更に醜い形相に変えた。 ――喰い散らかしてやる! ―― 「鈴子さんの想いもノってるんやし‥‥思いっきり殴らせてもらうで!」 息巻いた鬼女の身体に、疾風脚で近付いた鈴が拳を振るう。 その反動でひっくり返り、空を仰いだ鬼女。それを見下ろすように、水の滴る光拿が立った。 「戯れは終わりだ」 侮蔑を含んだ冷たい視線が鬼女に突き刺さる。 一瞬、鬼女は驚愕の表情で目を見開いた。 それを最期に、未央の振るった長槍が鬼女の身を貫き、けたたましい断末魔が川縁に轟いた。 空気に溶けるように霧散していく鬼女を見つめる光拿の肩に、兵真は手を置き声を掛けた。 「無事で何よりだ」 ●大いなる過ちを繰り返さぬ為に● 一行は、梓の着物を無事取り返し、村へと帰還した。 途中、燐子の提案で川上を少し捜索して戻った一行だったが、やはり梓の肉体は鬼女に捕食されたのか‥‥見つけることは出来なかった。 村では、一行の帰還を一同整列で迎えた。 彼らが無事に帰還した暁には、梓の菩提を弔い、鎮魂を願って祭事を執り行うと決めていたらしい。 「これで良い、後は死んだ者の冥福を祈ってやれ」 村長に着物を手渡しながら、兵真は厳しい顔つきで言った。 「村社会に口を出す気はないが‥‥贄を捧げればまた瘴気が溜まるのではないか? 以後気をつけることだ」 兵真の隣で口を開いた光拿の言葉に、村長は大きく頷いた。 「この着物は村にとって、形見となるか、罪の証となるか‥‥。どちらにせよ、そちらが取り戻そうと望んだ事。しっかり向き合ってくださいませ、ね?」 悔いた表情で朧の言葉をじっくりと受け止めた村長は、一行に深く深く頭を下げた。 村では、冠婚葬祭以外の古い儀式は全て封印すると一行に約束した。 組んだ大木に火が点き、夕闇に包まれ始めた空に赤く立ち上る。 鎮魂の祭事。その光景を眺めながら、翠はひとり思っていた。 ――この村は、あの娘の命で、本当に幸せになれた? |