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■オープニング本文 ●世をしのぶ 天儀西に位置する国、泰。 その泰から、春華王が天儀へ巡幸に訪れているという。 「こちらでは、お初にお目にかかります。茶問屋の常春と申します」 少年がそういって微笑む。 しかし、服装や装飾品こそ商家の若旦那と言った風であるが、その正体は、誰であろう春華王そのひとである。 「相談とは他でもありません」 その泰では、近年「曾頭全」と呼ばれる組織が暗躍している。そこではもう一人の春華王が民の歓心を買い、今の春王朝に君臨する天帝春華王を正統なる王ではない、偽の王であると吹聴して廻っていた。 だが宮廷の重臣らは危機感が薄く、動きが鈍い。彼は開拓者らと共に、宮廷にさえ黙って密かにこれを追っていたが、いよいよ曾頭全の動きが本格化してきたのである。 開拓者ギルドの総長である大伴定家が小さく頷く。 「ふうむ。なるほど……」 「是非とも、開拓者ギルドの力をお貸しください」 ●裏の話 とこはる あるいは少年の胸中 浮島の儀、泰国の天帝『春華王』。 とは、仮の姿。 その正体は、知る人ぞ知る老舗お茶問屋『深茶屋』の御曹司。 『常春』である! そうだったらいいのにな。 うっかり王様に生まれると大変なんです。 無二にして無比無謬と人は私を讃えるけれど、つまり一時が万事、蚊帳の外なんです。 我が国は小さな儀です。 それでも天儀を圧倒する経済力を保ち続けているのは、官僚のおかげです。 優秀な官僚達は、今日もよきにはからってくれています。 代わりに私が受け取るのは、冷えて固くなった味気ない一皿。 暗躍する曾頭全の動きを抑えるには、身分を隠して開拓者を頼るしかありませんでした。 どっちが公務なんだか私にもさっぱりです。 もともと玉座に座る気なんてありませんでした。 次男の私が白鳳の名を捨て帝位を継いだのは、アスにぃが、あ、私の兄のことね、幼名が飛鳥(あすか)だからアス兄。 とにかく、私が十一の時、先代春華王のアス兄が女官と駆け落ちしたからなんです。 優しくて真面目な私のアス兄が、盛大にやらかしたのはきっと理由があるはず。 そう信じてお忍びを始めたら、国家転覆を企む謎の組織『曾頭全』と出くわした、そんな次第です。 早く曾頭全を倒して、アス兄と胸を張って歩ける日が来るといいな。 ●裏の話 なつめ あるいは妻の思い出 最初はね、履歴書の職歴に春華王って書くようなおばかさんでしたのよ。 何しろ宮廷育ちでしょう? 上げ膳据え膳があたりまえでね。 そんな人が鳥篭の外でうまくやっていけると思います? 趣味の薬学を除いたら、魚をきれいに食べるくらいしか取り得がないんですのよ。 そんなところが、かわいい人なんですの。あらやだ私ったら。 失敗してもめげずに挑戦なさいますしね、ついお手伝いしたくなるんですのよ。 考え込んでる時のお顔がまた、あらいやだわ私ったら。 だからね、教えてさしあげたの。 商売の仕方、挨拶まわりや酒の席での顔つなぎ、お金のやり取り。 ……嘘のつき方も。 私は得意ですの、嘘をつくのは慣れておりますから。私はあの人とは違う。 泥の中で育ちました。 曾頭全という、泥の中で。 みじめで、やりきれなかった。 どれほど手柄を立て賞賛されても、私は満たされなかった。 いつも願っていました。 ここでないどこかへ行きたい。誰か私を連れて行ってと。 ですから、初めておめもじかなった時、息が止まるかと思いましたの。 玉座に座るあの人も、私と同じ目をしていたから。 ●裏の話 たかひのき あるいは息子のナイショ話 父さんと母さんがカケオチして、うまれたのがボクなんだって。 よくわからないけど、そのせいでボクたち親子は隠れてなきゃいけないんだって、うん、よくわかんない。 だって父さんと母さんは、なかよしだもの。 たまにケンカもするけど。 怒った母さんが父さんのおやつまでボクに出すけど。 父さんがすごく悲しそうな顔でこっち見てくるから、そういう時は赤もふらの丸々に渡して、あとで父さんにあげてるけどさ。 でも夜はボクをはさんでかわのじで寝るの。 一度だけカケオチするまえの父さんの絵を、おじさんに見せてもらったことがあるんだよ。 はくほうおじさんと同じくらいの年の父さん。 わらっちゃったー。 ぜんぜん違うんだもーん。 ひょろっとしてて、ボクを肩車したらつぶれちゃいそう。 ボクは今の父さんがすき。 腕にぶら下がってもだいじょうぶな父さんがすき。 大きくてちょっとざらざらしてて、せきどめやねつさましを作ってくれる手がだいすき。 はくほうおじさんのこと? 父さんの弟だよ。 なまえがたくさんあるんだ。 ようみょうが白鳳でしょ、おしのびに常春でしょ。よくわかんないけど春華王ともいうみたい。 ●そして未明の夜話 妻と子が寝静まったのを見計らい、飛鳥は外へ出た。 狼煙銃で信号弾を打ち上げる。 合図は届いただろう。明日にも弟である今上春華王の配下がここへ来るはずだ。 弟には内密で。 玉座を蹴ったとはいえ、一度は春華を名乗った身。王宮の手の内は知り抜いている。 山の夜は冷える。カルデラ湖に目をやり、ぽかりと白い息を吐いた。 星のない空を、煙が流れていく。 ●さても不明な表の話 「黄熟香って知ってます?」 地味な風采の小柄な女は緊張した面持ちだ。 流れの旅泰、姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。 「人を洗脳する厄介なお香です。作れるのはこの世でただ一人。曾頭全という悪い奴らがそのお方を狙っています」 声をひそめ背後の小型飛空船に目をやる。 甲板が屋台になる改造型、水陸不問離着陸可。速度重視。 船体には『燕結夢』。 「普段は、新玉の春華王様の保護の下、山奥のカルデラ湖に御家族と身を隠しておいでです。けれど今は春の御方が泰儀を離れておられる。ですからその間妻子を守る為、あえて目立つことで注意をひきつけるつもりです。そこで」 呂は前髪の下で目をすがめる。 「畏れ多くも、わ、私の屋台にょ、みょ、の」 咳払い。 「私の屋台のお手伝いをなさることになりました。泰国帝都朱春の、秋の旅泰市です。 開拓者さんには屋台の手伝いを装って護衛をお願いします。 これは囮作戦です。屋台が繁盛すれば曾頭全一味の耳目も集まり、その方の御心に叶う結果となるでしょう。言っておきますけど、超、高貴なお方ですから、くれぐれも失礼のな」 「気にしないで下さい」 乗降口に男が立っていた。 「じょ、上皇さみゃっ」 呂が何か言いかけあわてて口を押さえた。 男は20代後半に見える。微笑んでいるような細い目が印象的だ。 くたびれた服や雑に切った髪を整えれば、浮世絵から抜け出たような美男子になりそうだ。 「私は薬師の心得があるだけの市井の者です。『ヒガラ』とでもお呼び下さい。奴らにはそれで通じます」 鼻筋の通った秀麗な顔立ちには、何故か見覚えがあった。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
十野間 月与(ib0343)
22歳・女・サ
神座早紀(ib6735)
15歳・女・巫
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰
セリ(ic0844)
21歳・女・ジ
嘉瑞(ic1167)
21歳・男・武 |
■リプレイ本文 ●油断 「木を切って番号を入れて、品ごとに色分けして引換券にするのさ。お客さんには半券を渡してーって、呂さん、雪巳の薬膳茶は白だよ、赤じゃない。赤は十野間さんの薬膳餡かけ五穀ごはん(カレーライス)。少しはヒガラ殿を見習ってほしいね」 飛空船『燕結夢』の中で、嘉瑞(ic1167)は呂へ引換券の作り方を根気強く説明する。絵の具で色を付け、数字を入れる。簡単な作業だ。 護衛対象の飛鳥は手際よく木片を切り分けていく。 「細かい作業に慣れていらっしゃるのですね」 向かいで筆を持っていた修羅が微笑む。 「中書令(ib9408)と申します。よろしくお願いします。恙無く事が終わるよう、尽力いたします」 「頼りにしております」 飛鳥が深々と頭を下げる。中書令は呂にも会釈をし、船内を見回した。 「貨物室は食材で一杯になりそうですね。敵の監禁までは無理そうです。捕縛後は官憲に引き渡すといたしましょう。幸い倭文さんが警邏をたずねてくれています」 相棒からくりの鼎はせっせと数字を入れている。重ねた木片が束になって来た頃、中書令は手帳と懐中時計を見比べた。 「そろそろ買出し班が帰ってくる頃ですね」 開拓者と相棒が荷を背負って夜道を歩く。 十野間 月与(ib0343)は時折立ち止まり、背後を振り返る。 「誰もつけてきてはいないね」 「はい女将。不審な人影はありません」 相棒からくり、睡蓮も気配をうかがう。買出しの音頭を取ったのは月与だった。依頼の期間、飛鳥も口にする食材に妙な物を入れられては困る。他人の手が入らぬよう皆で目利きをし、量を買って値引き、運搬も自分たちで。 「必要な物は全部そろってるね。各種お茶に薬膳料理の材料、お肉も変わったのが破格で手に入ったから味に変化が出せそう。仕込みが楽しみっ」 旅泰市を丸一日歩きまわったけれど月与の声には張りがあった。小料理屋の女将は趣味が本業だ。徹夜になるだろうが気にした風でもない。 相棒からくり月詠と並んで荷物を抱える神座早紀(ib6735)は浮かない顔だ。 「呂さんの足、もう治らないのですね」 「ヒガラの見立てじゃ駆けたり跳んだりは普通にできるって話だろ。志体持ちってすごいよな」 「……そうですね」 「本人も気にしてなかったじゃん。それよか焼きリンゴにマロングラッセ、楽しみにしてるぜ。酔蟹が間に合わないのが残念だな」 早紀は眉間のしわを深くする。 「あんな破廉恥な値引きはもうしないで。恥ずかしいったら」 「安くしてくれたら俺の胸を触らせてやってもいいぜって言った時のオヤジの顔と来たら」 「何言ってるの!」 ハリセンすぱーん。セリ(ic0844)が吹きだす。 「私がフクロウを呼んだ時もおもしろかったね。駿龍なのにフクロウって名前だから周りの人がギョッとしちゃって。後で戚史に友だちが魔の森にいった話と一緒に教えてあげようっと。きっと喜ぶわ」 黒い駿龍、フクロウはセリの頭にあごを乗せた。背には山と積まれた荷物。嘉瑞の駿龍、巫もお手伝い。 思い出したのか、まだくすくす笑っている。早紀が咳払いをした。 「月詠はね、きちんとしてれば美人なんですから。明日は女らしい言葉遣いで笑顔を忘れずに接客してください。夜の番もサボっちゃダメですよ。いいですね?」 「えー」 雲ってしまった主人の顔、その瞳の底に信頼があるのを見てとり月詠は軽く肩をすくめる。 「しゃあねーなー。一肌脱いでやるよ」 「脱ぐのはダメです」 「ばれたか」 彼女らに目をやり、六条 雪巳(ia0179)が続ける。 「栗きんとんの調理をよろしくお願いします。私は料理は不得手ですので。ご面倒をおかけして申し訳ありません」 雪巳の言葉に月与も早紀も笑顔を返す。 「いいんだよ、雪巳さんのおかげで黒砂糖のいいのが手に入ったしね」 「肉桂入り栗きんとん、おいしそうです」 「ありがとうございます。お茶くらいは自分で仕込みますから、ご安心を」 また月与が後ろを振り返った。雪巳の足元で人妖、火ノ佳が口に手を添えて笑う。 「わらわが居るのじゃ。どーんと構えておると良いぞ! 寝ずの番も任せるがよい!」 「これ火ノ佳。目立つのは明日にしてください。倭文さん、大丈夫ですか」 「ああ悪ィ。考え事してタ」 遅れて歩いていた白 倭文(ic0228)は小さな木切れをくわえている。香り高く、少し甘い。悪魔の秘薬の材料となるジンコウジュのかけらだ。 「黄熟香、カ。ごく一部の特別なモンでなけりゃ調合もできないとはナ」 倭文がくわえているような市販品では効果がない、その分効果は絶大なのだと呂から聞いている。けれど肝心な用法については当の飛鳥が口を閉ざした。 (「黄熟香は弟のおかげで現存していません。私はこの技術を墓場まで持っていくつもりです」) 言い切った飛鳥の強いまなざしを思い出す。 (「その旦那が洗脳されたらどうすりゃいいんだろうナ。ふんじばって倉庫に転がしとくカ? 薬が抜けりゃ正気に戻るだろうカ」) 奪われた飛鳥が正気を失い口を割らされたらと思うとぞっとする。 「雪蓮、火ノ佳殿と不寝番頼む」 蓮の簪をした相棒からくりはこくりとうなずいた。 ●機を伺われる 日が昇り、喧騒が高まってきた。 中書令が愛用の琵琶にバチをそえる。 「それでは始めるといたしましょう。燕結夢、開店です」 風雅な楽の音に合わせ、月詠が鼓を打ち、早紀が舞う。天儀の調べと舞に泰の人々が集まって来た。早紀は調理場にひっこむ。 (「うう、男の人があんなに近寄ってくるとトリ肌が……調理場を離れないようにしようっと」) すべりだしは快調だった。 「やあ、可愛らしいお嬢さん。甘味を一つ如何かな? お気に召してもらえれば、嬉しいのだけどね。良かったら、もっと食べてみないかい?」 なんて言いながら嘉瑞が、集まった客相手に引換券を売り歩き混雑も少ない。男連中は月詠が引き受けた。流し目が色っぽいと評判だ。眠気でとろんとなってるだけだが。受取口では睡蓮が、泰風に着飾りつつも釣銭入れと手帳に筆記用具で会計を完璧にこなしている。 ヒガラの薬と異国の味、両者を併せた薬膳料理の数々。気軽に持ち歩ける薬膳茶や甘味、叉焼包。各種薬を練りこんだ、のど飴など日持ちのする菓子が人気だ。土産をまとめ買いをしていく客が多い。 呂が調理場を仕切る月与に声をかける。 「月与さん、寝てないけど大丈夫です?」 「平気へいき! どんどん売っちゃって、この売れ行きなら今夜はぐっすり眠れるしね! あ、呂さんは座ってていいから」 「はい……」 不寝番をしていた火ノ佳は食器を洗いながらあくびをする。さっそく散らかり始めた机の上も片付ける。机の脚には重石がしてあるから乱暴に拭いてもびくともしない。 調理場で叉焼包を蒸す雪蓮。黙りこくっているのは、徹夜で回路に負荷がかかっているからだろう。主人の倭文は売り子に回り、列を整理しながら酔客をいなしている。買い物を終えた客を顔つなぎした両隣の店へ誘導するのも忘れない。 月与の衣装に着替えたセリと飛鳥が薬を練る。 「難しい事はわからないけど、薬ができてくのを見てるのは楽しいわ」 「息子と同じことを言いますね」 すこし残念そうに笑われた。 その様子を道の向かいからながめていたのは、天儀風の衣装を着た少女だ。小さな机には申し訳程度の薬が置いてある。名は鈴木 透子(ia5664)。折りたたみ椅子に座る主の周りを、飛鳥の匂いを覚えた忍犬遮那王が歩きまわり通りすがる人を伺っている。 燕結夢の屋根で毛づくろいをする水色の雀は彼女の人魂だ。 周囲の警戒に徹する為、わざわざ市の元締めや役所に出向き別名義で出店許可まで取った。燕結夢の向かいに場所を取る事ができたのは、一重に運がよかったからだ。大事なことだからとすべて単独でやってのけた彼女の胸には、誰にも言えない複雑な思いがあった。 (「人と戦うのは専門外だし、嫌いです。でも始まってしまったら仲間の安全を優先するしかなくなる……」) 燕結夢を見守る瞳は物憂い。人波の向こうに地味な風采の女を見つけ、透子はかすかに眉を寄せる。 (「呂戚史さん、あなたの依頼でなければ請けませんでした。また王家の関係ですか。偶然が多すぎます……あの人を追えば真実に近づけるでしょうか」) 彼女の経験上、王族はこの世界の成り立ちに連なる歴史の闇と関わっている。そしてそれは十中八九アヤカシに繋がっているのだ。決意をにじませ膝の上で拳を握る。アヤカシなら自分の領分だ。 「だって陰陽師です」 昼が近づき列ができ始めた。雪巳と倭文が整理し邪魔にもならず調子よくはけていく。彼らの上を中書令の軽やかな謡が流れる。屋台の周りに、ぼんやりと時の蜃気楼がにじむ。物見高い人々がさらに集まってくる。 護衛を請け負った中書令は神経を張りつめ、卓越した聴覚で不審な音を探る。時折嘉瑞たちから報告を受けるたびに懐中時計を確認し、時刻と共に手帳に書きつけ、蜃気楼で不審者を視覚化。仲間に知らせる。曾頭全の手の者らしき一味は厳重な警戒に手をこまねいているようだった。 謡に惹かれてきた客に笑顔を返しながら中書令は季節はずれの汗をぬぐう。 「張りつめたままですと少々疲れますね。雪巳さん、お茶をいただけますか」 「かしこまりました。列がはけたら昼食にいたしましょう」 どくだみ、陳皮、棗、クコ。数ある中から熊笹茶を選び、飲みやすいようさらに水で割る。盆に載せて渡すと一息ついた彼が微笑む。 「ありがとうございます。お互い、もうひとがんばりですね」 空になった茶杯を下げた雪巳は護衛対象の飛鳥を振り向く。一緒に居たセリと目が合った。お茶持ってきてあげて、そんなボディサインを受け取る。うなずいて雪巳は棗茶をいれる。 (「奥さまと同じ名ですし」) 案の定、飛鳥は顔をほころばせた。薬膳茶の効能を思いかえし雪巳も微笑む。 「棗は美容に良いと書にありました。同じ名の奥さまも、かわいい方なんでしょうね」 「どちらかというと美人です」 (「わあ、さらっと言った」) ちょっと引いた二人を前に飛鳥は、ごく当然の事実をお話しましたが何か、とばかりに首をかしげている。 「私には勿体ないくらいですよ」 元天帝にそうまで言わせる妻。雪巳とセリは興味を惹かれた。 「お若いのによく出来た奥さまなのですね」 「家内の方が一つ上です」 「そうなんだ。年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せと言うよね」 「よく言ったものです。うちは向こうから来てくれましたけれど」 「はいノロケいただきました」 「ごちそうさまー」 通りの向かいからやりとりをながめていた透子は内心呟く。 (「その奥さんは大丈夫なのでしょうか」) ●裏で 血の海に倒れ伏していた女は気配が消えるなり起き上がった。袈裟懸けに切られた痕、かろうじて臓器には至っていない。 息子を奪われた瞬間、元間者の冷静さが思考を切り替えた。押し入ってきたかつての同属が志体ぞろいと見抜き、首を落とされる前にこときれたふりをする。泣き喚く息子の声が遠ざかるのを聞きながら、身を焼かれる思いで。 四つ這いのまま裁縫箱から布団針を取り出す。灯火であぶり歯を食いしばって傷口を縫合する。そして火を、押しつけた。 「――ッ!」 肉の焦げる臭いが踏み荒らされた部屋に広がる。荒療治で止血を終えると狼煙銃を引きずり、家を這い出るなり空に向かって打ち上げた。緊急と救難、二つの信号弾。 「あなた、今行きます……」 扉に頭を打ちつけ遠ざかる意識を引き戻す。最愛の人だけを頼みの綱に。 ●罠 混乱が起きた。 昼を回り混雑が頂点に達した頃、人ごみに隠れていた曾頭全の手の者が一斉に刃を抜いたのだ。 「大変だ、警邏を!」 リンゴ飴を手にした男が叫ぶ。四方八方へ逃げ惑う人々に雪巳と火ノ佳が割り込み体を張って二次被害をくいとめる。 「私達より後ろに居れば安全です!」 白霊弾で援護射撃をしながら動線を作る。事前の列整理が功を奏し屋台周りの混乱は少ない。 雪蓮が叫ぶ。 「避難経路はこちらです!」 不埒者へは月与が咆哮を叩き付ける。 「無粋な真似はよしとくれ!」 なかなかの手練だが本職の太刀筋にはかなわない。セリはバトルヒールで流れるように蹴りを叩きこんだ。魔術師らしき女のポイズンアローが肩をかすめたが、早紀がすぐに解毒を施す。 宙を裂き飛び道具が飛鳥を狙う。中書令が外套を投げ叩き落とした。 「そう来ると思っていました」 射線に戦布を手にした倭文が割りこむ。 「ヒガラの旦那を頼ム!」 「はい、失礼。どうせなら話に聞く奥さんを抱っこしてみたかったなあ」 嘉瑞が軽々と飛鳥を抱き上げ、飛空船へ飛び込んだ。透子がすかさず入り口を白壁で塞ぎ、中書令が陣取り琵琶で夜の子守唄をつまびく。 通りを割り、すぐに警邏が駆けつけてきた。相棒達も協力し、瞬く間に一味は叩きのめされる。捕縛した彼らを引き渡し人だかりに聞こえるよう中書令は警邏に説明する。 「どうやら酔客のようです。酔いが回って眠ってしまわれたみたいですね」 そして肩をそびやかした。 「思いきった行動に出たわりには、ずいぶんとあっけないことです」 「ですが、お客さまに怪我がなくて安心いたしました」 雪巳が微笑む。 透子は椅子に座った。離れた場から術を施しただけだ。曾頭全に顔は割れていないだろう。次の手に備えて持ちこんだクッキーをつまむ。 騒動で客も途切れたので、一同は食事をとることにした。椅子に座ってめいめい好きなものを食べる。皿を山盛りにしたセリがスプーンをくわえたまま、まばたきをする。早紀が声をかける。 「どうしましたセリさん。お口にあいませんか」 「ううん、おいしいよ。おいしいけど、なんだろう、こんな味だったっけ」 「食べ慣れないのかい。薬膳料理は癖があるからね」 意地悪く笑う嘉瑞にセリはぷっと頬をふくらませた。 「昨日、味見してたの見てたじゃない」 ●急変 「セリさん水っ腹になるよ」 「はーい」 月与に返事しながらセリはまた薬膳茶を注いだ。 (「うまく言えないけど、昨日と味が違う気がする」) 薬売りを手伝う傍ら違和感の正体を突き止めるため、かたっぱしからメニューをつまみ食いする。何度も食べ比べているうちに気になってきたのは薬膳茶のひとつ、そしてカレー。おかわりの名目で多めに食べるも違和感の粋をでない。 三杯目のカレーを平らげたとき、昼食から30分経ったころだろうか、セリは軽い吐き気を感じた。悪寒を自覚した頃にはのどが詰まったように苦しくなってきた。向かいの飛鳥を見る。顔色が悪い。のどを押さえ、深呼吸をくりかえしている。 「……やられました、毒です。おそらく魔術師の手によるものではなく自然毒。今の段階なら精霊に頼らずとも私の薬で対処できます」 あわてた中書令が蜃気楼を映す。 幻影の中、切った張ったの大騒動の裏で目立たない格好の男が調理場へ近寄る。懐から小さな壷を取り出し中身を薬膳茶とカレーへ。手にしたリンゴ飴でぐるりとかき回す。そして大仰な身振りで叫び、一目散に逃げ出す。大変だ、警邏を。振り返った一行は男の動きに気を取られ、薬膳茶の不自然な揺れに気づかない。 中書令が唇を噛む。 「薬膳料理は味も匂いも癖があります……少々の異物混入では気づけません。彼奴らは最初から見越していたのですね。なんてことでしょう、あれだけ毒には注意をしていたのに」 からんと乾いた音がした。雪巳の手から落ちた盆が地面の上でくるくる回る。悲鳴のように叫んだ。 「もう売ってしまいましたよ!」 皆の背に氷がすべり落ちる。月与が青ざめて問いただした。 「何人?」 「……わかりません」 泣きそうな顔で雪巳は首を振る。 「半券を見ろ! 品別に分けてあるんだ、逆算すれば被害者数がわかる!」 嘉瑞が叫び、弾かれたように受け取り口へ向かう。 (「まさかこれが保険になるなんてねえ」) 舌打ちしつつ数える。 中書令が再び時の蜃気楼を奏で始めた。受け取り口に列なす人々の幻影が浮かび上がる。 「今から再生してどこまで間に合うかはわかりませんが、人相確認の手伝いになれば」 そこから先はもう商売どころではなかった。 なりふり構っていられない、人命がかかっている。 解毒の法を持たない者は飛鳥の薬を持って走りまわった。気分の悪い者はいないか、突然倒れた者はいないか。そこここで聞きまわり、駆けつける。 その甲斐あって、被害者全員に解毒処置が間に合い、後遺症も残らずに済んだ。しかしこの事態は周りの店には無論、元締めや現地の役所の耳にも入ることになり、そして。 「営業停止ですか……」 「毒入りの食べ物を売ってしまっては、仕方ないよねえ」 中書令と嘉瑞は椅子に腰かけ、がらんとした敷地から人の流れをながめていた。 「品目が多かったのは幸いだったねえ。相対的に毒入りが出た数が少なくて、結果的に被害者を減らせはしたんだけど」 視線が机上に落ちる。置いてあるのは役所からの通知。無味乾燥な定型文での、廃棄処分命令。飛空船の中では在庫を前に月与が号泣していた。 「あたいは知ってるんだ、おいしい食べ物がどれだけ人を幸せにするか。笑顔にするか。なのにそれを、土足で踏みにじるような真似をして……曾頭全め!」 悔し涙が頬を濡らす。 飛鳥の眉間には深い縦じわが刻まれていた。 「誠に申し訳ありません。私の見込みが甘すぎたようです。まさか無辜の方々まで巻き込むとは……」 「ヒガラは悪くないよ、悪いのは曾頭全よ! こんなの無差別テロじゃない!」 セリが床を蹴った。 そのことですがと前置きし、合流していた透子が口を開く。 「なぜ睡眠薬等でなく毒を盛ったのでしょう。あたしは、ヒガラさんが黄熟香の作れる高貴な方と聞いて、曾頭全が何かの形で利用する為に浚ったりしようとすると思っていました。いきなり暗殺に来るなんて不自然です。おや」 乗降口に壮年の男が二人立っている。 倭文に客を融通してもらった両隣の店主だった。恩返しに処分の名目で在庫を引き取ると言う。全員がほっと胸をなでおろした。倭文が二人と握手を交わす。 「地獄に仏とはこの事ダ旦那方。いくらで引き取ってくれるんダ」 「特別に1割で」 「1て、大赤字なんだガ」 「そこは旅泰だ。稼ぎは汚く、心根清く。本来ならあんたらが処分料を払う場面だ」 平然と言い切る。助け舟を出して恩は返した。商談は舟の上で、といったところか。このくらいでないと生き馬の目を抜く旅泰の世界ではやっていけないのだろう。 「さすがに厳しいって旦那方。せめてショバ代出してェんダこっちハ」 早紀に月与、雪巳も言い募る。 「他は無事だって中書令さんが時の蜃気楼で証明してくれてるんです」 「まだ手付かずの食材も残ってる、特級品よ。質には自信があるの」 「こちらの方は小料理屋の女将です。目利きは確かでいらっしゃいます」 買出し班が交渉を重ね3割で引き取られることになった。商談がまとまり、倭文は呂を振り返る。 「経緯を考えりゃ万々歳だナ。戚史殿、聞きたくねェけどこの赤字っテ」 「……春の朝清らなる為なべて食らうのが地虫のお役目です」 「ヒガラの旦那が無事なのがせめてもの救いカ……」 呂が顔をあげる。窓の外には一隻の飛空船。そこになびく旗を見てさっと顔色を変えた。 協力者を集め、固い声で告げる。 「緊急事態です。上皇さまを町外れにお連れしてください。仲間の船が降りてきます」 町外れ。着陸と同時に船から跳び降りた男が飛鳥を前に口ごもる。 「火急に付き無礼をお詫び致します上皇様。実は……」 「いけません皇太后様、安静になさってください!」 飛空船の内から声が飛ぶ。つられて目をやった飛鳥は乗降口からのぞく包帯まみれの人影に蒼白になった。 「棗!」 ふらつく体をおして妻は声を絞り出した。 「あなた、息子が、高檜が曾頭全にさらわれました……」 |