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■開拓者活動絵巻
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■オープニング本文 ●裏の話 あすかととこはる あるいは兄と弟 「開拓者に知皆を調査させる、必要なことだ。だが、ついでだからと私事まで頼むのはいかがなものか」 「ごめんなさい」 兄、『飛鳥』を前に、弟こと『春華王』はすなおに頭を下げている。 「ただでさえ合戦で皆神経をすり減らしていたというのに。白鳳、お前という奴は……」 眉間を押さえ次の言葉を探していた飛鳥だったが、考えあぐねて深く息を吐いた。 「助かった。礼を言う。おかげで『高檜』も落ち着いてきた」 「なら、お小言なしだっていいじゃない」 「物事には順序という物がある」 むくれた春華王の額をこづき、飛鳥は頬杖をついた。 「そう考えてしまうからいけないのだろうな。私にここまで柔軟な対応はできない。おまえが帝位についてくれてよかったと思っているよ」 扇子を手に王は少し得意げに微笑み、気になっていた事を口に出す。 「高檜は元気になったのかな」 「おかげさまで食欲も出てきた。まだ知らない人は怖がるし外に出るのも嫌がるが、おいおい慣れて行くだろう」 「『棗』さんは?」 「散歩ができるようになった。床上がりも近いな」 扉が叩かれ、春華王の侍従長『考 亮順』が王を促した。 「急ぎの用みたいだ。じゃあアス兄、また近いうちに」 弟を見送り飛鳥も帰り支度を始める。侍従長から上着を受け取ると、飛鳥は口の端を上げた。 「『深茶屋』とは変わらず懇意にしているか」 「かの茶問屋の内情でしたら、御令息の人となりまでよく存じております。この方ならばと従業員一同、大船に乗った気であると聞き及んでおります。もっとも、宮殿におります私には何のお話やらわかりかねますが」 侍従長はしらばっくれている。春華王のお忍び姿、知る人ぞ知る老舗お茶問屋御曹司『常春』の、お膳立てをしたのが彼だった。 「これからも白鳳を見守ってやってくれ」 「畏れながら御下命拝しかねます。不肖この亮順、二君に事えぬが矜持に御座います」 飛鳥は声を立てて笑った。 ●裏の話 一方その頃 帝都朱春郊外 古いが、広い庭のある屋敷だった。 橋のかかった池にはのんびりと鯉が泳いでいる。 東屋には5歳くらいの男の子がいた。長袍の裾には色違いの布でツギが当てられている。 子守をしているのは地味な風采の小柄な女だ。長い髪を無造作にくくり、モノクルをつけている。 「ねえねえ呂姉さん」 「はいはい高檜さま」 難しい顔のまま南瓜月餅をもぐもぐしていた男の子が、意を決して両手をテーブルについた。 膝に乗せた小さな赤もふら、丸々も前足を置く。 「開拓者さんてー、高い?」 「場合によりけりです」 高檜は椅子を降り、おもちゃ箱から貯金箱を取り出した。中身を卓へあける。 「足りる?」 「少々厳しいかと。どのような依頼をなさるおつもりなのでしょうか」 高檜が丸々を抱っこしなおした。 「ボク、開拓者さんにありがとうしたいんだー。口で言っただけだから、もっとありがとうしたいの。父さんのともだちにもいっぱいありがとうしたい」 「お礼をなさりたいのですね」 呂がうれしげに微笑んだ。勇気付けられたのか、高檜は身を乗りだす。 「あとねー、呂姉さんのともだちにも会いたい」 「知らない人が来るかもしれませんよ」 高檜が身を硬くした。丸々が主人のあごをぺろりと舐める。 「がんばる」 肩に力を入れた高檜に笑みを返し、呂は席を立った。 「私の名義で依頼を出しましょうか。補助金をいただいておりますので安くすみます」 「足りない分はどうするのー?」 「私がお出しします。それでは参りましょう」 「どこにー?」 「もちろんギルドです」 固まった高檜が、ややあって自分から呂の手を握った。 「がんばる。ボク強くなる」 ●裏の話 夕刻 帝都朱春郊外 帰ってきた飛鳥は、机の上に妙なものを見つけた。 ギルド依頼書の控えだ。右肩上がりの字が入っている。 『宴会場警備。資材調達含む。会場内飲食無料。委細面談、呂戚史まで』 だが飛鳥の目を点にしたのは、枠からべろんとはみ出た署名。 『連名依頼人 たかひ』のき 「呂さん。ひれ伏してないで説明を」 飛鳥の前に五体投地した呂は、頭を床へすりつけた。 「おおお畏れながら申し上げます。まずはご令息を無断で外出させました過失をお詫びいたします。この贖いは腹を切って」 「切らなくていいので詳細を」 「父さん怒らないで。ボクが呂姉さんにお願いしたのー」 事情を聞いた飛鳥は、まず高檜にデコピンした。 「一、人のお金をあてにしてはいけません。二、お客を呼ぶときは、まず母さんに相談しなさい」 「はい……」 「三、たいへんよくできました」 高檜の背筋が伸び、瞳が輝いた。 「開拓者さん呼んでいい?」 「もちろんだ。父さんも母さんも計画を練っていた。……自分で外へ出たんだな、えらいぞ」 「やったー!」 飛びはねる息子を横目に、飛鳥はあごに手をあてた。 「しかし困ったな。料理をどうするべきか。もてなす側が何も用意しないというのも。あ、呂さんは座っててください。棗もまだ立ち仕事ができるほどではないし、私にも作れる簡単なもので……」 考えこむ飛鳥のすそを高檜がひっぱった。 「んと、おにくのおいしいの、いっぱい食べるしたらいいと思うんだー。前ね、白鳳おじさんが湖のおうちまで豚さん連れてきた時のやつー」 飛鳥が膝を打った。 「バーベキューか」 なお、豚は春華王こと常春が〆た。 |
■参加者一覧 / 六条 雪巳(ia0179) / 鈴木 透子(ia5664) / 叢雲・なりな(ia7729) / 十野間 月与(ib0343) / ティア・ユスティース(ib0353) / 十野間 修(ib3415) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 雨傘 伝質郎(ib7543) / 中書令(ib9408) / 呂 倭文(ic0228) / セリ(ic0844) / 嘉瑞(ic1167) / 浪 鶴杜(ic1184) |
■リプレイ本文 扉の隙間から庭をのぞき、高檜は丸々をぎゅっと抱きしめた。 「たくさん来てる……」 「どうした高檜。おまえが呼んだのだろう」 父、飛鳥に言われ高檜は不安げにあたりを見回した。 「呂姉さんは?」 「先に出られましたわ。あなた、こちらでよろしかったかしら」 「すまないな棗、手伝わせてしまって」 籠を手に奥からやってきた母は高檜に頬を寄せるとすぐに立ち上がり、飛鳥と共に外へ出ていった。おいてけぼりにされた高檜は二の足を踏んでいる。 扉の向こうは小春日和。古い屋敷はほの暗く肌寒い。相棒が首を伸ばし、あごをぺろりとなめた。不意に足元が陰る。逆光の中、見上げるような大男が自分を見下ろしていた。小さな悲鳴が高檜の喉から漏れた。 「こんな不義理なことがございやすか。命をかけた恩人に向かってなんたる言い草」 正門で、三味線をかついだ禿頭の男が、呂を相手に悲鳴をあげた。 「すみません、今日の依頼はご縁のある方にだけお願いしてます。その、私あなたに見覚えがないのですけれど」 「あっしァ雨傘 伝質郎(ib7543)と申しやす。ケチな流しでございやすよ。罪無きおぼっちゃんが誘拐の危機と聞き、あ、ここ笑うとこでやす、身銭を切って泰国まで馳せ参じたというにあんまりなお言葉」 「え、えっと」 「泰は常春の国と申しやすが、なんのなんの人情は真冬でござんすなァ。いくら年の暮れだからって、恩人にまで冷たくせずともようござんしょう。よよよ、あっしは、あっしは胸が張り裂けそうでございやす」 「私これでも、一度見た人は忘れないもので。申し訳ないですがお引取りを」 伝質郎の顔がくしゃりと歪んだ。 「信じてくださいなせ〜。あっしも加わってだんでさァ」 涙をにじませながら、コメツキバッタと化す伝質郎。呂はあわてて男と庭の人々を見比べた。さりとて雨傘を名乗る人相の悪い男に見覚えはなし。 「本当です」 門の影からひょっこり顔を出したのは鈴木 透子(ia5664)。眠そうな瞳をこすり伝質郎をながめる。 「その人は私の友……まちがえました、知人の雨傘さんです」 「そりゃあねェですよ。あっしと透子お嬢様の仲じゃねェですか」 嘆息する伝質郎に、透子は視線をあさってに逸らした。 「同小隊です。丸々さんを捜すときに、お願いして手伝ってもらいました。ここまでは本当のことです。あとの判断はお任せします」 そっけなく告げると、きびすを返す。まだ迷う呂の頭を、後ろから誰かがこづいた。 「委細面談と言いつつ、名簿を忘れてるのはどこのどいつダ」 振り返った先であきれ顔をしているのは白 倭文(ic0228)。泰拳士らしい骨ばった手が丸めた名簿を差し出した。紙束をくった呂が息をのみ、伝質郎へ向きなおると居住まいを正した。 「大変失礼いたしました。どうぞお入りください」 満面の笑みを浮かべた伝質郎が、揉み手をして倭文に擦り寄る。 「いやいや地獄に仏とはこのことで。旦那様にゃァ善行の報いが必ずありまさァ」 「調子いいこっタ」 大男は身をかがめた。逆光に沈んでいた柔和な面立ちがあらわになる。 「驚かせてしまいましたか。これは失礼。お迎えにあがりましたよ、おぼっちゃん」 固まった高檜へのんびりした声が届く。控えていた黒いたてがみのもふらが丸々を見やる。突然扉が音高く開け放たれた。高檜が飛びあがり、尻餅をつく。 開けた本人はハの字になった眉を目に止め、顎をつきだした。 「なんだい、うらなりナスビみたいな顔をして。もう皆集まってるわけだけどねぇ。主催が挨拶にも来ないとは、どうなってるんだい?」 冬の光を背に、嘉瑞(ic1167)は腕を組み威圧的な笑顔を見せる。 「……言ったよね? 礼儀のないガキは嫌いだって」 「嘉瑞君……その言い方は無いでしょう? あだっ!」 しゃがんだままの広い背に嘉瑞が蹴りを入れた。ぐりぐりしながら高檜を見下ろす。大男あらため鶴杜はにこにこしたままだ。平気なのかなと高檜はちょっと心配になった。 「こいつは初めましてになるのかな。浪 鶴杜(ic1184)って奴で、俺の幼馴染だ。大丈夫だよ。ただ図体がでかいだけだから。紹介終わり。これで顔見知りだ、いいね?」 「は、はじめまして」 高檜が頭を下げる。 「来てくれてありがとございます……」 「そのセリフは外に出てから言うもんだ」 「嘉瑞君。言わんとする事には同意ですが、君はもっと言い方を考えるべきかと……って痛い痛い尻尾はダメ尻尾はダメ!!」 今度は鶴杜が飛びあがった。ぴんと尖った耳と嘉瑞に踏みつけられた尾を見るに、彼は狼の獣人らしい。尻をさすって気をとりなおす鶴杜。連れていたもふらが前に出る。 「高檜君、でしたっけ。君、もふらは好きですか?」 「うん、じゃない、はい」 「奇遇だな、俺も好きですよ。この子は墨嘉と言います。仲良くしてやってください」 小枝で土間にもふらの名を書く。高檜がそれに目を留めた。 「嘉……」 見上げた先で、嘉瑞が盛大に顔をしかめた。 「……何? 何か言いたいの? ……だから嫌だったんだ。なのに君と来たら、どうしてもって言って連れてきて」 「他意はないんですよ。たまたまかぶったんです。信じてください」 「うるさいよ、君」 「嘉瑞、鶴杜。高檜は居るの?」 こちらへやって来るのはすらりとした乙女だ。豪奢な銀髪が揺れている。彼女の後ろから小柄な少女が顔を出す。ぱっちりした瞳が高檜を映した。 「居た居た! 高檜くんも丸々くんも、元気になったみたいだね」 丸々がもふと鳴き前へ出た。高檜もつられて踏み出す。 「覚えてる? 一応、自己紹介しておこうかな。あたしはなりな(ia7729)だよ。よろしくね」 「セリ(ic0844)よ。また会えて嬉しいわ……皆にも」 嘉瑞と鶴杜にウインクを送り、セリは高檜へ手を伸べた。 「そんな顔をしないで。箱からは出してあげたはずよ。ほら」 セリに手を引かれ、高檜は外へ出た。その後ろを丸々が追いかけ、さらに墨嘉がついていく。澄んだ空気に背筋の伸びる気がした。丸々よりひとまわり大きな影が駆け寄って高檜に飛びつく。目を白黒させる高檜に人妖火ノ佳が大輪の笑顔を見せた。 「元気にしておったのじゃな坊主! はようこなたへ来やれ、仕込みは終わっておるぞ。わらわはおなかぐーぐーじゃ!」 「これ火ノ佳」 さくさくと芝生を踏みしめて近づいてきた六条 雪巳(ia0179)が、膝を折り高檜と視線を合わせた。間に丸々が雪巳のひざに頭をすり寄せる。 「お出ましが遅いので心配しておりました。高檜さん、皆さんお待ちかねですよ」 雪巳が手を伸ばした。ほっそりした指先が小さな頬を包む。やつれていた頬は、こどもらしいまるみを取り戻していた。 「食事もろくにお召しにならないと聞いて、気が気ではありませんでしたが、もう大丈夫のようですね。……ご無事で本当に良かったです」 鼻の奥がつんとして、雪巳は丸々ごと高檜を抱きしめる。 「うん、おかゆおいしかったの。ありがとう」 すこし舌が回るようになってきた。その時、耳に心地よい調べが届いた。東屋からこぼれる琵琶の音色は中書令(ib9408)のものだ。ティア・ユスティース(ib0353)の、甘い竪琴の音が重なる。 「あの時のお子さんがあなたですか。なんと喜ばしいことでしょう」 ティアは青みがかった艶のある髪を耳にかけ、慈母のごときまなざしを向けた。 「今日のこの日に楽師として花を添えさせていただきます。さあ、進んでください」 辺りの木々では小鳥達が聞きほれている。おだやかな旋律を紡いでいた中書令が手を止め、高檜に会釈する。 「主催がいなくては始まりません。よろしくお願いします」 物静かな相貌に柔らかな微笑を浮かべ、再び琵琶を奏でる。爽やかな調べが響き、小鳥が枝から飛び立った。祝うように舞うその下、池で鯉が跳ねる。 「ご覧なさい。皆、あなたを待っています」 中書令の声に、小鳥へ見とれていた高檜が我に帰った。にぎやかな調べに心を引かれ、右手をセリと、左手を雪巳とつないで歩きだす。 「外の人と手つなぐの久し振りー」 高檜のつぶやきにセリが笑みを見せた。 「じゃ、今日は私といっしょにみんなと握手してまわろうよ。私もいっぱいお話したいの」 「もちろん食べながらだよね」 「当然」 セリとなりな、明るい二人の声に高檜も笑みをこぼした。庭の中央、中書令の居る東屋近くに会場ができていた。並べた卓の上に、からくりの鼎と睡蓮が下ごしらえを済ませた肉や野菜を乗せていく。火をおこしていた神座早紀(ib6735)がこちらを振り向き、ぱっと顔を輝かせた。 「高檜さん、こんにちは! お会いしたかったです」 手をぬぐうと彼女は傍らの二人を呼び、高檜を迎えにいく。 「紹介します。私の大切な姉さんと、大事な妹です」 エプロンドレスの背の高いほうが深く頭を下げ、唇に鮮やかな笑みを浮かべる。 「神座真紀(ib6579)言います。坊は、えろう大変やったみたいやね」 「神座亜紀(ib6736)だよ。いつも早紀ちゃんがお世話になってるんだってね」 背の低いほうが鷹揚にうなずき、長い杖で肩を叩いた。横からフードをかぶった目鼻のあるかぼちゃが現れ、高檜に鼻面をくっつける。 「ミルクの匂いがする。ヘイヘイ、お菓子持ってるのかーい? 隠すとためにならないぜ」 火ノ佳が間に入り頭をつかんだ。 「なんじゃこやつは」 「提灯南瓜だよ。珍しいでしょ。エル、ご挨拶して」 「離せよう、このチビぽよ」 「誰がチビぽよじゃ! 高貴にして華麗な火ノ佳さまと呼べい!」 「へーんだ、チビぽよー」 逃げるエルを追いかけていく火ノ佳。その先では早紀のおとめをはじめとする龍達が、のんびりくつろいでいた。亜紀が肩をすくめ、雪巳に軽く頭を下げる。 腰をかがめた真紀が、まだ少し物怖じしている高檜へ微笑みかけた。 「な、高檜君はどんな人が勇気ある人やと思う?」 小さな頭で懸命に考え、高檜が口を開いた。 「つよいアヤカシもやっつける人……?」 真紀が目尻を下げる。 「せやろか。あたしは怖くても前に進む人、やるべき事ができる人やと思う。高檜君は怖くてもギルド行って知らん人に依頼出したんやろ?」 そして膝を折り、高檜の手を取った。 「なら立派に勇気ある子や。流石男の子やね」 「ご主人の言うとおりなのですぅ」 緑の衣装に長い三つ編みの羽妖精が、二人の上を飛びまわる。羽からこぼれた光の粉が、寿ぐように桃色に輝いた。 「これからきっといい事あるですぅ」 ほにゃと笑った羽妖精が高檜の頬にキスをした。あくびをこぼして真紀のふところにもぐりこむ。すぐに寝息が聞こえてきた。 「寝るな! 春音は一年中暁を覚えずやなあ」 ふところを優しく叩き真紀が立ち上がる。彼女に太鼓判を押され、高檜は目を輝かせた。つないだ手をほどき、まっすぐ歩いていく。 東屋までたどりついた高檜を、嘉瑞と鶴杜が出迎えた。ひんやりした嘉瑞の視線に高檜は拳を握る。ぐっと大地を踏みしめ、胸をはった。嘉瑞が視線を逸らし咳払いする。 「可愛げのないガキも嫌いだし、弱いのも嫌いだよ……でも、まぁ、逃げないのだけはよくやったと思うよ。見直してあげても良い」 「ありがとう」 率直な言葉に嘉瑞は薄く笑い背を向けた。 「……強くなるんだろう? 楽しみにしているよ」 そのまま輪のはずれまで歩いていく。鶴杜が高檜へ小声で話しかけた。 「嘉瑞君は、根は良い人ですよ。すごくすごーく不器用だから、あんな言い方になっちゃいますけど、ね」 「うん!」 元気な返事に鶴杜は頬をゆるめ、嘉瑞の後を追った。 場の真ん中で、高檜は首をかしげた。こういう時父さんはどうしてたっけ。手近の椅子の上によじ登り、高檜は来賓を見渡す。 「ほんじつはー、ごそくろう? いただき、ありがとうございました。たかいところからではござますが、えーと、わたしからのアイサツとさせていただきます。それではおてもとのー」 おてもとのーとくりかえしながら、高檜は左右を見回す。 「そうそう、乾杯。修さん、手伝ってちょうだいな」 「主催が未成年ですし、ここはジュースにしましょう月与さん」 小隊アルボル隊長こと小料理屋の女将とその夫、十野間 月与(ib0343)と十野間 修(ib3415)がボトルとコップを手に走りまわる。受け取った倭文が隣にまわしていき、透子は蜜の香りにすこしだけ口の端をあげた。 「かんぱーい」 「乾杯!」 幼な子のほがらかな声が響き、開拓者が力強く唱和した。 ● 「こっちの網、借りるで早紀」 鉄板を運んできた真紀が焼き網の上にそれを置く。 「高檜君、パンケーキ食べたことあるか?」 「ぱんけえき?」 「ふかふかのお菓子や、おいしいで。仰山食べて、おじさんより大きくなるんやで♪」 「うん!」 隣で飛鳥と棗が吹きだした。 炎と格闘しながら肉を裏返していく早紀。その肉をかたっぱしから皿に取っていく亜紀。 「亜紀、ちょっとは遠慮し!」 「ボクは食べるの専門だよ!」 「亜紀は食べ過ぎです! 高檜さんに笑われますよ」 「真紀ちゃんと早紀ちゃんの分までいっしょに遊ぶからいいの!」 亜紀が手を伸ばし、早紀の頬のすす汚れをふきとってやる。早紀は高檜と目を合わせ微笑みかけた。 「こっちがタレ、こっちは塩ですよ。たーんと召し上がれ!」 その声に四方から一斉に箸が伸びた。網の上で争奪戦がくりひろげられる。 土鍋に水をはった透子が、魚のアラと切り身、塩を放り込んでフタをし、網にでんと乗せた。 「終わる頃には煮えてると思います。〆にいいのじゃないでしょうか」 「ワイルドでステキね。いかにも野外料理って感じ。楽しみ!」 セリの期待に、透子は眠そうなまま返した。 「難しいのはお師匠さまも教えてくれませんでした。味は、悪くないと思います」 キャンディボックスと手作りクッキーを机の上に並べながら、透子は独り言のように言った。 「遮那王、高檜くんと遊んでくださいといいましたけど、お肉を取ってこいとは言ってません」 「へっへっ」 又鬼犬の遮那王は、さっきから高檜に皿の上のものをねだっている。 「タレついたのあげてだいじょうぶー?」 「その程度でおなかを壊す子ではないです」 「じゃあひとつあげる」 限界まで口を開けてぱくついた遮那王が、喉を鳴らして飲みこんだ。身をひるがえし、庭を駆けだす。敷き石を蹴り、木々の間を跳ねて高く飛びあがると、池に飛びこんだ。 「いぬさん!」 高檜が目を見開き池に向かう。遮那王は足をそろえて水の上に立っていた。 「水蜘蛛です。遮那王、よくできました」 狐につままれた高檜に透子が教えてやる。胸をはっていた遮那王が下から鯉につつかれた。くすぐったさに集中が途切れ、又鬼犬はバランスを崩し。 「きゃひん!」 水柱が上がった。 「いぬさん……」 「あとでお肉をやってください」 「うん、わかった」 「高檜、串焼いてみねェカ」 「やるー」 倭文のもとへ駆けていく高檜。池からあがった遮那王は盛大にしぶきを散らす。伝質郎があわてて離れる。 「おっと危ねェ。一張羅が台無しになるところだ」 皿は亜紀に負けずおとらず山盛りになっている。彼の三味線に目を留めた中書令が、桜の花湯を渡しながら口を開けた。 「あなたも楽師なのですね。どうですか、私達と共に宴を盛り上げては」 「まずは食える時に食うのが流れの心得ってもんでやす。腹がふくれたら披露させてもらいやすよ」 人相は悪いがこの男、にっと笑えば愛嬌がありどうにも憎めない。 「腕は三流、中書令様やティア様には遠く及びやしやせんが、盛り上げなら任しといてくだせェ。坊っちゃん向けの曲も演りやすぜい」 胸をはって宣言すると、伝質郎は飛鳥へ向きなおった。 「と、その前に、厠をお借りしてよろしいでやんすか」 許しを得た伝質郎は、屋敷に入ると廊下を反対方向へ曲がった。 「へへっ、お宅拝見と行きやしょうかね」 表では皆が持ちよった品を披露しあっていた。ティアがリンゴのタルトを切り分け、飛鳥へ差し出す。 「私の故郷の味です。どうぞ楽しんでくださいませ」 「いただきます」 その皿を飛鳥は隣に座る妻へ手渡した。あたたかなまなざしの女だった。妻、棗が一同へ深く頭を下げる。ティアは立ち上がろうとする彼女を制した。 「どうかお気になさらず休んでいてください。病みあがりなのですから養生なさって」 「そうですとも」 雪巳が塗りの重箱を開いた。椿の練り切りと柚子の錦玉が並び、花園を閉じこめたようだ。 「手作りでなくて恐縮ですが、差入です。誰も欠けることなくこの場を迎えられた事……本当に嬉しく思います」 少し赤くなった目元をこすり、雪巳も笑みを見せる。月与が瀟洒な天儀紙でくるんだ薔薇酒と包みを棗へ渡した。 「ちょっと早い快気祝いをどうぞ。いいことは前倒しにすると縁起もよいと言うしね」 そして顔を寄せ、棗へそっと耳打ちする。 「傷跡にオリーブオイルを塗っておくと、時間は掛かるけど徐々に傷跡が目立たなくなるって聞いたの」 棗が眉を開いた。 「まあ。なんとお礼を申せばよいのやら」 「気にせず使ってちょうだい」 月与はちらりと脇をうかがった。輪からはずれたところに、呂がひとりで立っている。 (「名誉の勲章とは言っても……でしょ」) 呂のモノクルをながめ月与は視線を落とす。 (「月与さん……」) そんな妻を見つめ、修も目をしばたかせた。かすかに寄せた眉音に心中の憂いがにじむ。気をとりなおし、修は飛鳥へ贈り物を渡した。 「妻お手製のクリスマスプティングと桜のもふら餅です。御賞味ください」 「ありがとうございます。先ほどのタルトといい、泰では珍しいものばかりです」 「それは何よりです。珍しついでに、高檜君にもこちらを」 修はふところからお年玉を取り出し、腰からさげた網を手に取った。ボールが入っている。 「ジルベリアではこの時期、良い子にしていた子供へ贈り物を。また、天儀では新年に子供へお年玉を挙げる風習があるのです。新年にはまだ早いですが、頑張る高檜君に気持ちだけ……」 ポチ袋をさしだす修の脇から、丸々が鼻先でボールをつつく。 「おや、相棒さんも気に入ったようですね」 修はポチ袋を高檜に握らせ、友だちと書かれたボールを取り出す。 「ありがとうお兄さん」 「どんな時も、あなたが前を向いて歩いていけるよう願っています」 握手をかわす二人の足元で、丸々がよちよちとボールにじゃれついていた。 「私からも御一家にさしあげたい物があります」 中書令が包みを渡す。薄紙の向こうに紅が透けていた。包みをあけると赤い輝石を連ねた首飾りが姿を現した。 「難を転ずる南天の首飾りです。お守りにどうぞ。丸々へも、そろいのこれを」 中書令は高檜の前で、丸々にパートナースカーフを巻いてやる。紅地に南天の枝模様が入っていた。 「請多多保重」 「多謝中書令先生的盛意」 頭を下げる父にならい、高檜と丸々もぺこりとお辞儀をした。 「高檜くーん! 串こげてるよー!」 なりなの声に高檜はあわてて走っていく。 焼き網の前で倭文は苦笑いしていた。差し出された串は上は炭、下は生焼け。 「食えなくはねェさ。謝謝、高檜」 「もう一本焼く」 「いいっテいいっテ。そうダ、我も土産があるんダ」 言いながら倭文は雪だるま饅頭と花茶を取り出す。湯のみに熱湯をそそぐと、ふわりと茉莉花茶の香りがほころんだ。 「ええ香りやね。口直しにパンケーキはどない?」 真紀が五段重ねのそれを運んできた。亜紀が理穴王家御用達樹糖の蓋をあける。 「これをかけると、もっとおいしくなるよ。ほーら」 手首で調節しながら線を引いていくと、パンケーキの山は提灯南瓜になった。高檜が歓声をあげる。 「高檜君は龍の首ですべり台とか、したことある?」 「ないー。できるの? ごつごつなのに?」 「それができるんだなー。早紀ちゃんのおとめは首のとこがすべすべだから」 その後ろで、透子が飛鳥と棗に会釈していた。 「お招きありがとうございました」 「いらしてくださって感謝します」 地味な風采の女を視界の隅にとらえ、透子は飛鳥を見つめた。 「先代王さん御一家と呂さんは、どういう関係なんですか」 「小間使いをしてくれています」 透子はゆるくまばたきをし傍らへ顔を向けた。早紀が呂の手を引き木陰の椅子に座らせた。雪巳が頬を包むように軽く叩いている。 「真面目な人みたいですね」 「ええ、いい子ですよ。私達へは」 飛鳥が呂へそそぐまなざしは、何か痛々しいものをながめているようだった。頭を振り、飛鳥は透子へ笑みを向ける。 「そうだ。あなたにこれを」 脇の籠から紙袋を取り出す。 「解熱剤です。急な病や長旅でお役にたてるかと」 「いただきます」 紙袋は手製だった。中身もそうなのだろう。棗も立ち上がり、籠を手に二人で薬を配り歩く。 「なんだかごまかされた気がします……けど」 透子は薬を袖に入れ、顔をむにむにこねた。 「シリアスしたのでほっぺがこりました。今日は食べまくります」 「わう」 ● 木陰で雪巳は、呂へにっこりと笑いかけていた。 「座っていてくださいって言いましたよね?」 「だ、だって私食べてるばかりで」 雪巳が手を伸ばし、呂の頬を両手でぺちんと挟む。 「皆さんから聞きましたよ。全く、無茶をなさって」 「そんなことないですー」 「戚史さん。貴女も大切な仲間なのですから、ご自分の身も大事にしてくださいませ」 仲間、と呂が小さくくりかえした。雪巳が深くうなずく。 「……というわけで、今日は座っていらしてください。い、い、で、す、ね?」 「あ、はい」 傷は治ってるんだけどとぶつくさ言ってるのは無視して、たすきがけ。長い銀髪も結わえる。 「私が働きますから骨休めしてください」 「それがよろしいかと」 中書令が呂に近づき、鮮やかな組み紐を差し出した。 「お守りです。あなたのような方にこそ必要でしょう」 きれいですねと見とれる呂の左手首に巻きつける。組み紐は祈りをこめた輪になった。続けて早紀が肉と野菜を彩りよく並べた皿を渡す。 「亜紀に負けずに食べてくださいね」 空いた皿を下げ、花茶のコップを並べながら頬をふくらませた。 「まったく。呂さんは勇気を通り越して無謀です。何度も言いますけどもう無茶はしないでくださいね」 「無茶なんて……」 「聞こえません」 ぷいとそっぽを向いた早紀は、けれど肩を狭めてぼそりとつけたした。 「モノクル、つけてくれてるんですね」 「これですか。評判いいんですよー」 モノクルのずれを直し、呂は顔をほころばせた。 「高檜ぼっちゃまも似あうって言ってくれて。私うれしいです。ありがとう早紀さん」 「大事にしないと、承知しませんから」 眉を寄せて見せた早紀の耳に悲鳴が響いた。鋭く振り向いた先で、高檜と亜紀が空を飛んでいる。 「ぴゃー! あははは!」 「きゃー! あははは! 早紀ちゃーん、これおもしろい、いっしょにやろうよー!」 一回転して着地した亜紀が、高檜を抱えておとめの背によじのぼり首をすべり台にする。地面につく直前、おとめが太い首を跳ねあげた。小さな体が大空を舞う。落ちた先で待ち受けていたフクロウが、また二人の体を跳ねあげる。なんだなんだと集まって来た龍達が、亜紀と高檜をボール代わりに遊び始めた。 泡を食う呂の隣で串を手にしたセリが笑い声を立てる。 「亜紀がついてるから大丈夫。ヒガラも戚史も心配し過ぎよ♪」 「で、でも、もし亜紀さんが手を滑らせたりしたら」 「あれ見て」 セリが指差す。なりなが遊ぶ二人の傍らにいた。さりげなく歩きまわり着地点に先回りしている。こちらに気づき、にっと笑った。口元に手を添えると上を向いて声をかける。 「亜紀ちゃーん。次あたしの番ね!」 「わかったー」 宙返りを決めながら亜紀も答えた。食べ終えたセリが新たな串に手を伸ばす。ちょうどティアも、同じのを取ろうとしていた。 「あら、ごめんね」 「いいえ、こちらこそ」 ティアはおっとりと優雅に微笑み、手近の海鮮串をもりもり食べ始めた。 「ティアだっけ、よく食べるね」 「あなたも細いのによく入りますね」 「おいしいもの大好きだもの♪」 「私だって目がありません」 細いながらも出るところの出たセリと、高い身長にあった立派な肢体のティアを横目でながめ、早紀はそっと自分の胸に手をあてた。 (「私も、もう少し食べるべきかしら……ううん、私は標準体型、あの二人が」) 早紀に気づかず、セリは優しい瞳でティアを見つめた。 「あなた達のように裏から支えてくれた人が居たから、高檜の笑顔があるわ。本当にありがとう」 くすぐったげに口の端を上げるティア。セリは傍らの嘉瑞と鶴杜に体を向けた。 「嘉瑞もありがとう。囮になってくれて」 箸で肉をつまんだまま、嘉瑞は決まり悪げに視線をそらす。 「誰が欠けても、高檜は助けられなかったさ」 「珍しく殊勝ですね」 「うるさいって、君」 月与が呂へ石鹸とオリーブオイルの包みを差し出した。 「呂さん、これ受け取って。あなたからの恩を考えればとても足りないのはわかってるけれど、あたいに出切る事はこんな事ぐらいだから……良かったら使って」 暖かな人の輪に囲まれながら呂は迷子のようにうつむいた。修が月与の肩を抱く。 「俺達夫婦はお互い開拓者同士、覚悟はできています。それでも、燕結夢が河に落ちたと聞いたときは背筋が凍りました。礼の言葉も見つかりません。せめて、受け取ってください」 呂は居心地悪そうに笑い、手を伸ばした。 「ありがとうございます。大事にしますね」 「大事にするんじゃなくて、使ってよ?」 「はい、もちろん」 呂はもらったものを大切にしまうと笑顔を見せた。中書令と共に薪割りや水組みを終わらせ、倭文が呂のところへやってきたのは宴も落ち着いてきた頃だった。皆、思い思いに集まって談笑している。 呂は木陰でひとり空を見上げていた。 「戚史殿、そっちは寒いだロ。こっちきて火にあたれヨ」 「いやーちょっと食べすぎちゃって動けないんですよー」 呂はへらへら笑っている。鼎の手から汁粉を受け取り、倭文は歩いていった。椀を渡し頭をかきながら隣へ座る。 「ま、色々と考えちまうが……しっかし、良かったナ。一家が生きてて、お互い、生きてるだロ」 「はい。上皇さまもご家族もご無事で、ほっとしてます」 皆さんのおかげですと、呂は深々と頭を下げた。倭文がおどけたしぐさで肩をすくめる。 「あーでも……あんたの友達の猫さんにゃ一度詫びねェと開拓者嫌いになられちまうかネ」 「ああ、梨ちゃんはよその子だし、気が強いから」 戚史はくすりと笑い、椀の蓋を取った。双子のように白玉が浮いている。 「でも梨ちゃんはなんでもできるからいいの。あの年で朱春に店を持てるなんてすごいんだよ。私は、まだ流れの旅泰だけど」 椀から上がる湯気でモノクルが曇る。 向かいでは修の贈ったボールで蹴鞠が始まっていた。あがる笑い声や歓声が奇妙に遠い。 みんなにはナイショだよと前置きして、戚史はひとりごちた。 「ねえ倭文さん。どうして皆、私の心配をするのかな。私は喜んで使い潰されるべき地虫なのに。梨ちゃんも、上皇さまも。開拓者さんもそう。無茶だって叱って、お守りまでくれて」 絶句した倭文に気づかず戚史は続けた。 「血や死は穢れ。そして上皇さまの御心に穢れを与えた私は不敬者。だから危険手当を辞退したのに、何故上皇さまはわざわざ実家に出向いてまで、相応の事をしてくださったのかしら。わけがわからないね」 「そりゃ、旦那の気持ちを考えりゃ当然だロ……」 「そうなの?」 ぽかんと口を開けた戚史に倭文のほうが困惑した。言葉を探しあぐねているうちに、合点がいったのか戚史は座りなおした。 「私が受け取るはずの現金を、梨ちゃんが上皇さまに献上したんだね。けど、上皇さまは高潔な御方だから受け取らなかったのね。わっ!」 襟首をつかまれた拍子に椀が地に落ち、汁粉がこぼれて広がっていく。目と鼻の先で倭文が戚史を睨みつけていた。 「……おまえ、それ本気で言ってるのカ」 「どうしたの倭文さん。なんで怒ってるの?」 「この際だ、聞かせロ。自分の傷の事をどう思ってル」 戚史は左足をながめ、義眼をまぶたの上から撫でると笑みを見せた。 「うれしい」 いつものへらへらした笑みではなく、戚史は心からの微笑が浮かべていた。 「倭文さん、世界の幸福は一定量なんだよ。私の悲しみや苦しみは、どこかの誰かの喜びで幸せ。それは巡りめぐって春のお庭に花を咲かせる。だから、いらっしゃいませ艱難辛苦」 倭文がまぶたを落とした。半眼のまま吐息がかかるほど戚史に近づき、吐き捨てる。 「よくわかっタ。おまえ、馬鹿ダ」 「倭文ったら何してるの?」 「呂さんに手出すなら終わってからにしなよー」 セリとなりながからかい半分の声をあげる。木陰で顔を寄せていたら、そう見えるのかもしれないと気づいた。どっと疲れが押し寄せ、倭文は枯れた芝生の上に大の字になった。 「それが戚史殿の信仰なのかヨ。我には一生理解できそうにねェ」 「梨ちゃんもそう言ってた」 おかしいねと戚史が笑った。おかしかねェヨと倭文が返した。 その頃、飛鳥から返礼を受け取った月与は高檜にちらと目をやり、声をひそめてたずねた。 「ヒガラさん。宮廷には戻らないの?」 「私達は庶民のままでいます」 「せめて、貴族か何かになることはできないかしら。暮らしも楽になるし、高檜だって天帝を継ぐ資格があるのよね」 飛鳥が首を振った。 「万一に備えて白鳳の侍従長らと連絡は取り合っています。ですが、それだけです」 「けど……」 「お家騒動を起こしたくないのでしょう」 急須を手にした雪巳が、月与の茶杯へ暖かな茶を注ぐ。 「こう言ってはなんですが、王と忠臣の方々はともかく、宮中の今上春華王派にとって嫡男のいる実兄は目の上の瘤でしょう」 嘉瑞も口を出した。 「しかも奥方は曾頭全出身ときた。ヒガラだって、大蛇がはみ出てる藪をつつきたくはないだろうさ」 「そうだね……。余計な口を出してしまったかしら」 「いいえ月与さん。案じてくださって感謝します」 飛鳥の返事に雪巳が袖で口もとを隠し目を細めた。 「正直なところ、あなたが春華王のままだったらどうなっていたのでしょう」 「負けていましたね」 あっさり答え、飛鳥はあごに手をあてた。 「王であった頃の私ならば、実績がないという理由で開拓者ギルドの力を頼らなかったことでしょう。曾頭全の主力を梁山湖に集めることができたのは、白鳳が先んじて諸国を巡り、布石を打ってきたからです。それでも合戦が起きてしまった。腰の重い私なら、今頃どうなっていたことやら。 安定させるだけでしたら、私は白鳳より上手くやってみせる自信があります。ですが、その果てにあるのは停滞と衰退です。乱における泰国軍の有り様を御覧いただいたなら、おわかりでしょう」 中書令が柔らかなまなざしを飛鳥に向ける。 「また東と西に分かれて争ったりしないでくださいね」 「得る物はありませんよ。今の泰国には、弟の方が具合が良いようです」 飛鳥が壁の向こうを見つめた。つられて真紀も帝都朱春をながめる。 「朱春の街並みも随分変わったらしいなあ。あれは博物館やろ。あっちは大学。天儀にもないで、そんなん」 「ええ。白鳳の下、朱春は知と芸術の都として名を馳せつつある。前例主義だった私の統治ではありえない光景です」 飛鳥は軽く肩をすくめた。 「博物館建てたりなんかしたの、弟くらいなものですよ」 「愚兄賢弟とはよく言ったものだねぇ」 「耳の痛いことです」 苦笑する飛鳥に嘉瑞はすました顔で続けた。 「ただひとつ付け加えるなら、自分の分をわきまえる程度には兄も賢いって事だ」 潮汁をすすりつつ透子も手をあげた。 「偽春華王が天帝の血脈と聞きましたが、本当なのですか」 推測ですがと前置きして飛鳥は続けた。 「梁山時代に討たれた西春王朝の兄王。その直系の子孫が偽王なのでしょう。今となっては真相は藪の中です」 「ちょっと待って」 なりなが前のめりになる。 「直系のってことは、傍系があるよね? 偽春華王の血は、まだ泰国に残ってるってこと?」 「そうですね。四百年も前の話です。西の血を引く人は多いでしょう」 「そんな……」 なりなが不安げに自分を抱きしめた。 「また、悲劇がくりかえされるのかな」 「はたしてそうでしょうか」 鶴杜が腰をあげた。 「元凶は断たれました。もはや姿無き鬼に憑かれる人はいない。偽王とてフェンケゥアンさえいなければ、蛍徳としての人生を送っていたはずです」 手にしたコップを空にし、鶴杜は穏やかな声で続ける。 「こうは考えられませんか。泰国の人は皆、春華の血統だと。俺は天儀生まれの泰国育ちで、身も心も泰国人のつもりです。ですが、やはり天儀での名を捨てきれません。 同じように、泰国の人たちにも断ちきれない源があるでしょう。そこに春華の血があるのなら、常春の国の人にとって喜ばしいことであるように思うのです」 修が飛鳥へ体を向けた。 「ヒガラ、あなたはただの人として生きていくとおっしゃいましたね」 「はい」 「ならば、あなたの血も泰国へ広がっていくのですね」 そうですと、飛鳥が微笑んだ。セリがまぶたを閉じる。 「西と東に分かれた春華の血がひとつに戻る日も近いのかな。ヒガラも私達も、どんな文献にも記されずに消えていくのだろうけど、でも私達は確かに泰国の歴史を変えたのだわ。一人ぼっちで天儀に出てきた私がこの国を……」 真紀もうなずいた。 「いつの日か、泰国中の人が天帝になるんやろな」 早紀が明るい声をあげる。 「ヒガラさん、その時はどうするのですか?」 「何も変わりませんよ。私は一介の薬師で、弟はお茶問屋の御曹司です」 亜紀が吹き出した。 「やっぱり駆け落ちしてるの?」 「帝位を捨ててお釣りが来る伴侶ですよ。茶問屋など比ぶべくもありませんね」 「言いますね。うちも負けてませんから」 「もう、修さん」 笑い声が響いた。 その頃、伝質郎は屋敷の中で唇を尖らせていた。 「広いばかりで金目のものはなァんもなし。しけた話だね、ったく。期待して損しちまった」 ぶらぶらしているうちに、坪庭にいきあたった。ここで終点のようだ。 「手ぶらで戻るのも癪でござんす。花泥棒といきやしょうか」 庭には、山茶花が見事に咲き誇っていた。 ●子どもが寝た後で 「でね、サンタバニーの格好で、抱っこして欲しいんだぴょんとか言うんですよ。この月与が! 俺の前でだけ!」 「わかります。仕事で遅くなって後から布団に入ると、寝てる棗が転がってきて腕の中にスポッと入ってくる時なんて、結婚して良かったとしみじみ思いますよ!」 ジョッキ片手に熱く語り合う修と飛鳥、その隣で月与と棗が。 「でね、稼げるときに稼いでおかないとって思うわけ。身重になったら体を大事にしたいし、生まれてからも色々と物入りじゃない?」 「そのとおりですわ。私も高檜を寺子屋に通わせたいのです。勉強はあの人が見てくださいますから安心ですけれど、お友だちがね。でも、お月謝もねえ、安くないですし」 テーブルの右と左には既婚者だけがスルーできる温度差があった。 夜の帳が落ちていた。ついでに理性も闇へと消えた。 なんだかんだと理由をつけて開拓者を引き止めたのは飛鳥夫婦。化石掘り放題レベルに積もる話をしているうちに太陽は地平線へ転がりこみ外は冷えるからと中に上がり酒がふるまわれた結果の、酔っ払い集団。なんということでしょう、寒々しくがらんとしていた十二畳が開拓者の熱気で宴会場に。高檜も大喜びです。 「おとまる? おとまるの? ねえ、おとまりしていくの?」 「するしかないのではないでしょうか」 「やったー! おとまりー!」 「お泊りじゃぞ、光栄に思えいー!」 「おもうー!」 (「喜んでるみたいですし、もういいや……」) 火ノ佳と手を取り合っている高檜の姿に、投げやり半分で雪巳は水差しに手を伸ばした。ノックに気づいて扉を開けると倭文が立っていた。 「雪巳殿、布団敷くの手伝ってくレ。客間足りねェから寝具ありったけ持ってきタ。我らはザコ寝でいいだロ」 「そうですね。ティアさんがおつかれのようですし」 祈りと祝福をこめ聖歌を奏でたティアは、熱演を終え畳の上でぐっすり眠っていた。 「……もーろびとー……こぞーりーてぇ〜……」 寝言で歌っている。腕を枕に竪琴を抱え楽しそうな寝顔、邪魔をするのも気が引けた。男二人で床を敷き伸べ、ティアを寝かせる。布団をかぶせると幸せそうな顔でくるまった。 「……ひさしーく〜、まー、ちにーしっ、むにゃ」 音程が怪しくなっていく。 「お布団だー! 待ってましたー!」 置いた寝具の山に、なりなが早駆からダイブ。顔が赤いのはあれだ、場酔いってやつだ。 「すっごーいふかふかじゃん! いいの使ってるね、さっすがぁ!」 「ふふ、なんだかみんなで旅行に来たみたいね、なりな」 「セリ、旅行の思い出と言えばあれだよ」 「何?」 「枕投げ! 高檜もやろう!」 「やりたいけど父さんと母さんに叱られないかなー」 三人そろって部屋の反対側を振り向いた。 「それで月与が(既婚者にしかできないノロケ)とにかくかわいいやつなんですよ! 俺はね、もうね!」 「棗が(既婚者しか)で(聞いてはいけない)から(ノロケ)悔いはありません!」 「それでね、やっぱり(既婚者でなくてはできない苦労話という名のノロケ)なの、ほんと修さんがいてくれてよかったなーって」 「(既婚者しか)私も(理解できない)家事と間者くらいしかできないもので(愚痴という名のノロケ)あの人のおかげなんですのよ」 セリが高檜に輝く笑顔を見せた。 「あのまま酔い潰れるんじゃないかなって!」 「ボクもそう思うー!」 「ピッチャー第一球いきまーす!」 きゃっきゃ。どたんばたん。ほがらかに枕投げに興じるセリと高檜となりな、枕といっしょに飛び交う丸々。踏み荒らされる寝具。 遠い目のまま倭文は窓の外に目をやる。 「庭の片付けハ……」 窓の外で龍たちが、広い庭を我が物顔で歩きまわっていた。 ルナは池で水浴びしている。鯉がふしぎそうに鱗をつつくのが楽しいのか、フクロウは時折鼻面を水に漬けていた。質流れが尻尾をふりまわそうと、おとめがのしのし歩こうと、なお余りある庭は窮屈な宿とは比べものにならない。はやては芝符の上で羽を伸ばし、フォルトは置き石を枕に丸まっている。巫が月を見上げ朗々と遠吠えした。 「あーもうヤメヤメ! 明日ダ明日! 戚史殿、とりあえずビール!」 「カンパーイ!」 「ああっ、最後の良心が」 匙を投げた倭文と雪巳の隣で、目の座った嘉瑞が毛布をつかんでいた。 「いいか。これは寝るんじゃない。横になるだけだ。昼から続けてどんちゃん騒ぎだなんて、繊細な俺には耐えかねるね。少し休ませてもらうよ。くりかえしになるけれど、横になるだけだ。それだけだからな。けして睡魔に負けたわけでは……すやり」 寝た。 「すみません、嘉瑞は静かでないとすぐ目が覚めてしまうので。客間をお借りします」 鶴杜は嘉瑞を抱き上げ廊下へ出た。 (「耳を見られないようにしませんとね。あとで殴られるのは俺ですし。まあ嘉瑞は不機嫌なときが一番からかいがいがあるのですが」) 首をこきこき鳴らしながら歩くうちに坪庭を見かけた。ほの白く光る山茶花に鶴杜は足を止める。 「いい月ですね、嘉瑞」 幼馴染は腕の中、安心しきって眠っている。 その頃。 さすがに疲れたのか、透子も寝落ちしていた。同じく眠ってしまった亜紀が、寝返りの果てに透子へ抱きつく。 「むにゃむにゃ、まだ食べたりないよ……じゃんじゃん持ってきてー……んぐんぐ」 腕をはむはむしている。 「まきちゃー、さきちゃー……おっきなケーキだよー……おいでよー……すぴー」 「……うう……なんて凶悪な式……うーん、負けません、青龍寮の名にかけて……お師匠さま、力を……うーん」 部屋の隅で戦い続ける二人の隣を、ゆでだこのようになった伝質郎が千鳥足で通り抜けていく。 「すぃ〜んだはァんずだ〜ゆぉ乙美さん〜〜〜」 限界までこぶしをきかせ、気持ちよく歌っている。 懐や袖からはそこら中からすり取った皿や食器がのぞき、背中は掛け軸といっしょに詰めこまれた墨嘉でふくれあがっている。 「えへへー。姉さんー」 「なんやなんや甘えっ子やなあ」 「だって今日男の人いっぱいいるんですもーん。私こわくってー」 早紀と真紀は末っ子の様子に気づかず晩酌を続けていた。 「しゃあないなあ。よしよし。姉ちゃんがそばにいるさかい、そない怖がらんでええねんで」 「姉さんーえへへー。私、がんばったのですよ。くじけそうだったけどがんばりました」 「早紀はがんばり屋さんやからな。あたしも鼻が高いで」 「ほんとですかっ」 目をキラキラさせて見上げる腕の中の妹に、真紀も酒精で朱に染まった頬をゆるめる。 「せやで。自慢の妹やで」 「……姉さんっ!」 「どした早紀。あーこらこら、泣かんでもええやろ」 「姉さーん!」 早紀は真紀の胸に顔をうずめた。さりげなくおっぱいの感触を味わってるようにも見えるが、よくある姉妹の絆だ。気のせいだ。 天井近くで提灯南瓜のエルと羽妖精の春音を追いかけっこしている。 「どろぼー! おかし返せ!」 「ダメですぅ、これは春音が食べるのですぅ」 透子のキャンディボックスを抱えた春音は逃げの一手。 「とにかく春音のですぅ、あげませーん!」 「なら名前書いとけよ!」 猛追するエルの下、忍犬二匹は又鬼犬を前に何やら神妙な様子。後輩たちに気をよくしたのか、先ほどから遮那王は独演していた。忍犬の心得でも説教しているのかもしれない。長くなりそうだ。豆芝の遮那王の前に、狼の血を引く紅葉とすらっと猟犬風の成は並んで尻尾を伏せている。 相棒からくりの睡蓮と鼎が物憂げに長卓の上を見やった。 「作っても作ってもツマミが消えうせます」 「由々しき事態です」 睡蓮が腰のブレードをすらりと引き抜く。 「女将直伝、残りもの殺法を披露する時が来たようです」 「ぜひ拝見を」 前のめりになる鼎の後ろで、中書令が激しく琵琶をかき鳴らした。 「いいからもう寝なさーい!」 16ビートの子守唄が夜に響きわたるのであった。 |