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■オープニング本文 ●裏の話 浮島の儀、泰国。 春華王のお抱え密偵集団には、様々な派閥がある。 意地も矜持も利権の有りようも違うが、春王朝への忠誠だけは変わらない。 とりわけ『地虫』を自称する一派は、天帝を神聖視すること群を抜いていた。 報告のため宮中にあがることすら御前を穢すと厭うほどに。 さて、ここに一人の女がいる。 姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。 あてにならないと評判だが、人を見る目だけはある。 彼女こそ春華王に奏上する光栄――あるいは貧乏くじ――に浴した、商才がぶっちぎりマイナスな流れの旅泰である。 ●そんなことはどうでもよくて 「手作りチョコをお願いします」 「そっすか」 ギルド職員は書類から目を上げず筆を入れた。 この時期、チョコがらみの依頼は山のように来る。 例えば変わった味のを探してくれとか、腕のいい職人の技を盗みたいとか、世界に一つのケーキにしてちょーだいなとか、でっかいハートに彼へのイラスト付きメッセージを入れてほしいとか、ホワイトチョコとブラックチョコの合わせ技でよろしゅうとか、俺が彼女にあげたいんだ派とか。 即戦力の開拓者は引っ張りだこだ。 職員はメガネのずれをなおし、ようやく顔を上げて依頼人を見た。 地味な風采の小柄な女だ。格好から察するに流れの旅泰(泰国の交易商人)だろう。 長い髪を無造作にくくり、モノクルをしていた。依頼書によれば姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。 嫌な予感を胸にギルド職人は先を促した。 「手作りチョコをお願いします。材料から」 「また騙されたんですか?」 「やだなあ、様式美って言ってくださいよ」 呂は紐輪をした手をひらひら振った。 この旅泰、人はいいが商才がカゲロウより儚かった。 バレンタインが近いぞとうっかり儲け話に乗ったらば、カカオを山ほど買わされたらしい。 幸いな事に物自体は質がよく、手分けして工程を踏めばおいしいチョコに変わるだろう。 見かねた仲間が砂糖や牛乳を始めとする各種材料に機材もそろえてくれ、幼馴染も手伝ってくれるのだそうだ。 「ローンの残った飛空船が壊れてしまって、修理費欲しさに……」 「お仲間、よく見捨てませんね」 「いえいえ、逆境こそチャンスですよ! 開拓者謹製チョコですよ? ブランド化まちがいなし! 機械の正確さを誇るからくりさんや、細かい作業ができる相棒さんの出番かもしれませんね! かわいい人妖ちゃんの手作りですラベル貼れば飛ぶように売れますって! たぶん」 かくしてギルド掲示板に依頼書が張り出された。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 菊池 志郎(ia5584) / 十野間 月与(ib0343) / 明王院 浄炎(ib0347) / 明王院 未楡(ib0349) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 呂 倭文(ic0228) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 徒紫野 獅琅(ic0392) / 花漣(ic1216) |
■リプレイ本文 雲ひとつない空を龍がすべっていく。 漆黒の翼をはためかせる龍の名は斬閃。 その足がつかんでいる垂れ幕には、『燕結夢』ブランド・開拓者謹製チョコ近日発売、と記されていた。白布に入れた墨が淡い青空でひるがえっている。空き家の縁側から妙齢の美女がそれを見あげた。小料理屋緑生樹の女将、明王院 未楡(ib0349)だ。エプロンドレスに身を包んだ立ち姿は、野に咲く花が朝露に濡れるようにしっとりと艶めいている。 「斬閃たら、あんなに高くまで上がって……風が気持ちいいのね。見て、あなたの書、ここからでも読めるわ」 井戸端の男が、たわしを握った手を止めた。未楡の夫であり、家族の屋台骨、明王院 浄炎(ib0347)。鍛え上げた体躯を包む質素ながらも清潔な旗袍に、質実剛健な気骨が伺える。 「おまえの字の方が温かみが出てよいと思ったが」 「広告ですから強い字体が適していますわ。それに、大筆をふるうあなたも見れましたし。ジャックも喜んでいます」 言われて顔を上げれば屋根の上に浮かんだ提灯南瓜が、同じ文言の入った旗を振りまわし通行人へ見せびらかしていた。 「出かける前に疲れてしまわないようにな」 「わかったパパ。ジャックはいい子で待つ!」 提灯南瓜は屋根の端にちょいんと正座した。いたずらっぽく笑う妻の視線を受け、浄炎はくすぐったげに唇の端を上げ、再び木枠を洗い始めた。水に浸し、傷や欠けがないか日の光を当て調べる。 自宅から持ち込んだチョコレートの仕上げに使う木枠だ。箱状の物から意匠を彫った細工物もある。浄炎が洗ったそれを未楡が流し、縁側に並べて干す。向かいでタライに水をはる未楡を、浄炎は見るともなく見た。井戸水はまだ身を切るように冷たい。だが妻の髪を揺らす風に春の気配を感じる。 ずがっしゃん。 「ひょわっ!」 だしぬけに悲鳴があがった。二人がふりかえると、縁側ですっころぶ旅泰の姿。木枠に足を取られたらしい。未楡が立ち上がり、すぐに旅泰の手を取った。 「申し訳ありません。大丈夫ですか?」 「あ、ど、どうも。いえ、悪いのは私の方なので」 「父さん、母さん、すごい音したけれど、何があったの?」 廊下の奥から明王院家の長女、十野間 月与(ib0343)が小走りで現れた。木枠の山に突っ込んだ旅泰と彼女の手を取る母をながめ、静かにうなずく。 「うん、納得。呂さん、挨拶はこちらから伺うから座っていてって言ったじゃない」 「いやー、犬も歩けば棒に当たるって本当ですね」 「明ちゃん、何してるにょ」 月与に続いて顔を出したのはサビ猫風の猫族だった。縁側に腰かけ、呂はぺこりとおじぎをした。 「初めまして、呂戚史です。ごめんなさい、宣伝までしてもらっちゃって」 「いいえ、お気になさらず。斬閃も羽を伸ばせて喜んでいますよ」 未楡が目元をゆるめ、やわらかな微笑を浮かべた。 「それに、傷を負う事すら厭わずに、娘を庇ってくれた恩人が困っていると言うのでしたら、ささやかでもお力になりたいですものね」 「然り。我らの出来る事など、たかが知れているとは言え、娘の恩人を見捨てる事など出来ぬのでな。して、そちらが幼馴染殿か」 猫族は一同と目を合わせ、きっちり腰を折った。 「初めまして。参梨那と申します。帝都朱春の猫の住処でサンマ料理屋を開いています。これ、名刺です」 受け取った月与もゆったりと礼を返した。 「ご丁寧にありがとうございます。ご存知かも知れませんが、家族で小料理屋を営んでおります。近くまでお越しの際はぜひお立ち寄りくださいませ」 散らばった木枠を集めタライに入れていた浄炎は、形が歪んでいるのを手に取った。 「これは補修がいるな。しばし待たれよ」 「もしかして壊しちゃいました? すみません……」 「御心配めさるな。形ある物は壊れる。世の摂理だ」 恐縮する呂へ言葉少なに返し、浄炎は槌と釘を取り出した。枠の歪みをなおし、毛羽立った内側をやすりでなめらかにする。未楡がエプロンを締めなおした。 「不慣れな方が多いようですから、私、指導に回りますね。小料理屋緑生樹の名に恥じぬチョコレートにして御覧に入れます」 浄炎の元へ月与を残し、未楡は呂と参を連れ庭へ足を向けた。彼女を出迎えたのは、鉛のように重いため息だった。 「……今日はいい天気で、空気は澄んでいて。こんな日に、温かいお茶とできたてのチョコレートを姉さんと囲めたら、うふうふうふふふ」 一人ツンドラ地帯を発動し、神座早紀(ib6735)は、うつろなまなざしでカカオの山を見つめる。新雪を思わせる瀟洒な巫女装束に反して背景はドス黒かった。敬愛する姉がここにいない。材料から吟味した手作りを、誰よりも先に味わってほしかったのに。 「食べたら失恋するチョコとかどうかしら……一部には大絶賛されると思うの。恋敵に夢中な相手へ贈るとか」 「陰陽師が武器にしそうなお菓子はイヤだよ。もー、早紀ちゃん、そんなにどんよりしなくても。本家の用事だからしょうがないじゃない」 「なのデス! あきらめて雪にぃと月ねぇと一緒にチョコ作りをするのデス!」 姉をたしなめ、神座亜紀(ib6736)が腰まである長い髪をリボンでたばねた。その隣で、覚醒からくりの花漣(ic1216)が両手を広げて跳ねている。今日の花冠は水仙の編み込みに椿を一輪。飛び跳ねた反動で椿がゆるみ、ほとりと落ちた。亜紀の相棒からくり雪那が花漣の椿を拾う。 「編み込みがゆるいな。お嬢様、花漣のために時間をさいてもよろしいでしょうか。終わりましたら、倍働きますので」 「いいよ。お花がこぼれないようにしてあげて」 花漣を椅子に座らせ、雪那はゆるんだ花冠をいじりだした。亜紀が早紀の背をさすり三角巾を差しだす。 「早紀ちゃん。今日は呂さんの為に来たんでしょ? しっかりしないと!」 「ええ、呂さんの為ですもんね……」 「できあがったのは持って帰ってもいいって呂さんが言ってたよ」 「そう……そうですか、そうですね! 姉さんと呂さんの為に頑張ります!」 一転、目を輝かせ早紀は拳を突きあげた。 (「そうだったのですか?」) 菊池 志郎(ia5584)がやりとりを聞いて呂に近寄り、耳打ちをする。後ろでくくった髪がぴょこりと揺れた。 「呂さん……また騙されたんですよね。大盤振る舞いする余裕はあるのですか」 「ちょっとくらいならいいかなーって」 「失礼ながら負債はいかほど」 「ほとんど実家の名義なんで総額知らないんですよー」 「崖っぷちじゃないですか!」 「あはは、大丈夫ですって」 何が、と志郎は聞きたかった。彼の背中に隠れていた相棒からくりの彩衣がひょっこり顔を出す。三角巾とお手製のエプロンには梅とウグイスの刺繍がある。こちらも趣味の細工らしい。おとなしやかなからくりは、珍しく興奮を隠さずに呂の手を取った。 「お久しぶりです。先日は楽しゅうございました! 今は布や糸の在庫を抱えてはいませんの?」 「時期が来たらまた。次はもっと安くていいのを手に入れてみせますよ」 「まあ、期待しておりますわ。本日は私も、主殿のために菓子を用立ててよろしいでしょうか」 「もちろんです。小料理屋の人達がいらしてるのでご一緒されてはいかがでしょう。ステキなの作ってあげてください」 「ありがとうございます。そうさせていただきますとも。呂様はどなたにチョコレートをお渡ししますの?」 「仲間と、お世話になってる方は全員ですね。あ、友達も!」 頭が痛くなってきた。隣で参も渋い顔をしている。 相棒からくりの雪蓮が、袋から黙々とカカオ豆を出す白 倭文(ic0228)に声をかけた。 「今日は主様が静かでいらっしゃいます」 「それはナ。突っ込む気もしねェからだゼ」 こめかみをもみ、志郎も一人うそぶいた。 「お仲間が材料を揃えてくれるのはすごくいいことだけれど、そのお礼や支払いをしたら、この人結局利益無いのでは……」 「責任重大だな」 明るく笑い飛ばした羅喉丸(ia0347)が籠を手に取った。泰拳士らしい鍛えた腕で山盛りの豆をふるいにかける。終わらせたものから、天妖の蓮華が小さな手でごみや虫食いを取り除いていく。 「天妖は珍しいらしいし、呂さんの『かわいい人妖ちゃんの手作りですラベル貼れば飛ぶように売れるという話』を信じるなら、蓮華大活躍だな」 「窮状を救うためなら、広告塔になるもやぶさかではない。飛空船の修理費とやらのために力を合わせようぞ羅喉丸」 「私も相棒とがんばります。ね、天……あれ」 柚乃(ia0638)が振り返った先に居たのは、からくりじゃなかった。お菓子大好き提灯南瓜のクトゥルー。尻を振りながら蛍光ペンでラクガキしている。 「く、くぅちゃん!? え、うそっ? 一番ヤバイ子がついてきちゃった」 「てけりり、てけりり」 「呂さーん、個室貸してください! くぅちゃん、いい子だからおうちに入ろう、ね?」 「いあいあ」 「いい子だからっ!」 家の柱にまで病的に禍々しいよくわからん模様を書き出した提灯南瓜を、柚乃が追いかけまわす。当のクトゥルーは追いかけっこを喜んでいた。壁に線を引きながら調子よく飛んでいたところ、ふすまの隙間から生えた手にわしづかまれる。 「ふんぐるい!」 「つかまーえたー」 猫の子のように南瓜の襟首をつかみあげ、リィムナ・ピサレット(ib5201)は愛らしくも威圧的に笑った。部屋の中には宣伝用とおぼしきチラシと封筒が山積みされていた。ふすまの陰から『限定! 等身大チョコ像』『幼き裸身のヴィーナスによりそう人妖』『原型師は開拓ケットで名を馳せた』などの文言が見え隠れしている。 人妖らしき金髪の少年がチラシを隠し、あわててふすまを閉めた。 「お尻ペンペンしちゃうよ? いつもされる側だし、たまにはする側に回るのもいいかなあ」 「いあいあ」 必死で首を振るクトゥルーを柚乃が受け取る。 「隣の部屋、お借りしますね。くぅちゃん、おいしいの作ってあげるから柚乃と一緒に居ようね」 そそくさと部屋に入った柚乃がすぐに顔を出した。 「すいませーん、材料準備できたら教えてください!」 「少々お待ちを」 志郎が即席のかまどで火を焚きカカオを炒りだした。豆が深い海老茶になるにつれ独特の香気が立ち昇る。 「腕は疲れるけれど、香ばしいいい匂いがします。早紀さん、焙煎始めましたので、選別が済んだのはこちらに持って来てください」 「わかりました。月詠、作業は進んでる?」 「あ゛あん?」 羅喉丸の脇で茣蓙に座りこんでいた相棒からくりは、主人に負けないドス黒背景を背負っていた。虫食いや不純物を除く単純かつ根気の居る作業を命じられていた月詠は、籠に山盛りのカカオ豆をちゃぶ台返した。 「だー! こんなチマチマした事やってられっか!」 直後、雪那の握ったハリセンが宙を裂く。 「真面目にやりなさい!」 「はたくことねぇだろ!」 「雪那、それ私のじゃ!?」 「雪にぃが電光石火だったのデス」 手元から消えたマイハリセンに気づき、早紀が両手をわきわき動かした。ほどけかかった花冠を押さえ、花漣が目をしばたかせる。月詠は花冠と雪那を横目で比べ、意味ありげに鼻を鳴らした。 「この俺に下働きさせるとか、早紀も雪那もわかってねぇな。見てろって」 庭に生えていたなずなを千切り花漣の後ろに立つと、月詠はささっと手を動かした。見る間に花冠が編み上げられ、なずなが椿に添えられる。 「どうだ!」 「ワオ、エクセレント。さすが月ねぇ、優しいし器用なのデス!」 手鏡をにぎり、花漣は目を丸くした。 「しかし食べ物を粗末にしたことに変わりはありません」 しかめ面のまま、雪那はハリセンで素振りをしだした。月詠はしぶしぶ選別に戻る。 「さすがの月詠もお兄ちゃんには弱いんだね」 「雪にぃは真面目で責任感が強いのはいいデスが、きっとそのうちハゲると思うのデス。あ」 うがー! がしゃーん。スパーン。 しゃぎゅー! がしゃーん。スパーン。 「月ねぇは豆まきデス? 福は討ち鬼は外デス?」 「意味がちょっと違うし、状況もだいぶ違うよ花漣ちゃん。早紀ちゃん、本人が言うとおり選別は向いてないみたいだ」 どうしようねと亜紀が首をひねっていると、青墨色の駿龍が首を伸ばし転がっていた豆をくわえた。 「こら、夜鈴! 違う、食べちゃ駄目だって!」 月に雲の入った着流しをひるがえして駆け寄る主人、徒紫野 獅琅(ic0392)の声に夜鈴は長い首をかしげた。 「だいたい、ごはん食べて来たからお腹空いてないだろっ。後でいっぱい食べさせてやるから。違う、それじゃない。カカオ豆じゃない」 「チョコレートだな」 「チョコでもないよ、恋さん」 「違ったのか」 意外そうな紫ノ眼 恋(ic0281)が狼耳をピンと立てた。その肩に褐色肌の人妖、白銀丸が乗る。 「恋、龍はチョコ食べないだろ」 「それは知っている。だが流れからいってチョコレートだと思ったのだ。獅琅殿の夜鈴ならあるいはとも」 「どうなのかなあ。出来上がったらおすそ分けしてみましょうか。デコレーションは楽しそうだけど、どういうのがいいかわかんないな。夜鈴、調理なんかは得意な人にお任せして、俺たちは原料にするのを頑張ろっか」 辺りを見回した獅琅は選別途中のカカオの山に目をつけた。ぴんと来て、夜鈴の首を叩く。 「今日の夜鈴の仕事は、送風機と粉砕機です! まずは翼で風を起こして、混ざったゴミや外皮を飛ばそう。頼むよ夜鈴」 「ではあたしが手伝おう。なに、力仕事なら任せるがいい」 「恋! 恋! ここは良いから下がってろ! 豆を泥まみれにする前に、おとなしくすりつぶしへ回れって!」 「そこまで不器用ではないぞ」 唇を尖らせながらも恋はおとなしくすりつぶしに入った。夜鈴が翼をはためかせる。強い風が豆に混じった不純物を吹き飛ばしていく。ばさりと夜鈴が羽を鳴らすたびに、蓮華の髪が突風にあおられて舞う。 「なんの涼風じゃ」 楽しげな笑い声が続く。みるみるうちに選別が終わっていき、亜紀は自分の相棒を振りあおいだ。 「雪那はすりつぶしをするの? 頑張ってね!」 「お任せくださいお嬢様。花漣はローストを頼む」 「この量は初めてなのデス。何事も経験デス」 腕まくりした花漣が志郎の隣で焙煎機に豆を放り込みはじめた。倭文と雪蓮は炒った豆を砕き、恋の元へ運んでいく。ふすまの陰から、こちらをじったりながめている提灯南瓜に気づいた。 「柚乃殿、クトゥルーがはみ出てるゾ」 「え? ああっ、くぅちゃんほらほら、氷砂糖だよー。おいしいねー」 青銀の髪を後ろで束ね、エプロンドレスをした柚乃がクトゥルーを腕の中に回収する。倭文は砕いた豆を一袋、彼女にも渡した。 「いいのかこれデ。すりつぶしまでやっておくゼ?」 「いいのです。良質のカカオ豆が入手とあらば、やっぱり製造から。過程を楽しみます! 大人向けのビターからくぅちゃん向けのスゥイートまで……ふふ、楽しくなって来ました」 「そうだナ。砂糖やらの量で苦いのから甘いのまで揃えておくカ。加工する奴らも楽しめるだロ」 「飾りつけ用の材料もお願いしますね。アラザンは持って来たからマジパンがほしいなって。倭文さんもやります?」 「飾りなァ」 倭文はあごに手を当てた。布の染めなら多少はわかるが、チョコのデコレーションとなると畑違いだ。 「不足すりゃ手伝うガ、いっそ『自分で飾り付けられる』のを売りにしてもいいカ。調理はダメでも飾り付けはって思うのもいるだろうシ手紙だのも入れ易い。こっちも手間が省け」 「やるの? ねえ、本当だったの!? 僕冗談だと思ってたよリィムナ!」 「有言実行! エイル、あたしがその気もないのに嘘ついたことある?」 「やめてぇ! そんなにしたら壊れちゃうよお!」 「……何やってるんでしょうね」 「……サア」 隣の部屋から響く悲鳴に二人の口数が少なくなった。ふすまを開けようとした雪蓮を倭文が無言で止める。 庭ではすりつぶした豆を袋に入れ、獅琅が夜鈴に踏ませていた。 「上手だよ夜鈴、その調子。ギューッて潰せばバターとココアになるんだって、やってみよう。恋さん、これ終わったら砂糖加えてください」 「アーモンドも入れるのか?」 「それはまだ早いって、恋」 「そうか。……それにしても、大量にあるな。これがすべてチョコに変わるのか。早く試食したいものだ」 白銀丸が枡で量った砂糖の量に、恋は幸せそうな笑みを浮かべた。製造が滞りなく進むのを見て、亜紀が手を止める。 「ボク、ラッピングに行くから月詠を連れていっていい?」 「そうね、私も行きます。月詠には私がテンパリングしたのを仕上げてもらいましょう」 おいでおいでをする早紀に、尻尾があったら振る勢いで月詠がついていく。調理場になった広間で、緑生樹の女将を筆頭に相棒達が第一陣のテンパリング真っ最中だった。木べら片手に真剣な表情で湯と氷水を行き来する彩衣の隣で、未楡は自宅から持ち込んだ大理石の台を使い涼しい顔。 「彩衣さん。少し湯へひたしすぎですよ。混ぜるときは水はもちろん、空気が入らないよう気をつけて」 「ご指導ありがとうございます。いかがでしょう未楡殿。ゆるみ過ぎてはおりませんか」 「冷ましたのを追加なさいませ」 優しく的確に未楡が指導していると、裏庭から木枠を抱えた月与と相棒からくりの睡蓮があがってきた。 「いつもお願い聞いてくれてありがとう父さん。大事に使わせてもらうからね」 浄炎に声をかけ、月与は台の上へ型を並べていった。のぞきこんだ亜紀が口笛を吹く。 「鳥? きれいだね。燕って彫ってあるから、ツバメなのかな、これ」 「呂さんの飛空船、『燕結夢』の燕と結だよ。特選・開拓者謹製チョコの中核商品にするの。幸福招来の燕を比翼連理の比翼の鳥に託して、恋人達が結ばれるように」 月与の語るロマンチックな由来に早紀が頬を両手で包んだ。 「ステキです。この筋彫りも細かくてキレイだし、ここの飾りは花漣の花冠みたい。月与さんの趣味が出てますね」 「父さんよ」 「そ、そうですか」 早紀は思わず井戸端の浄炎に目をやった。にわかには信じがたかったが、何であれ職人には男性が多いものだと考えて納得する。亜紀が好奇心をあらわに浄炎の手元をのぞいた。 「おじさんが全部作ったの?」 「そうだ」 浄炎は立ち上がり、縁側から追加の木枠を亜紀に渡した。 「これらも使うかもしれぬと思ってな」 薔薇の花や雪兎、もふらの木型もある。 「すごいなー。でもうちの父さんだってすごいよ。ボクより物知りなんだ」 胸を張る亜紀に優しい視線を返し、浄炎は庭の方を手伝いに行った。 できたてほやほやのチョコを型からはずし、月与は満足げにうなずいた。見た目は一口大のハート。それを個別に包み、のぼりを背負ったジャックに持たせる。 「父さんに言われたこと覚えてる?」 「ジャックはチョコ配る」 「そうだよ、お願いね。渡すときには、食べる際に割れない、失恋しない縁起物って言ってね」 「わかった。ジャックは行って来る」 「迷子になったら空の斬閃に手を振るのよ」 元気よく返事をして提灯南瓜はふわりと垣根を飛び越えた。見送った月与はかき氷削り器を台に据え、デコレーションの用意を始める。ブロックチョコの削りかすが甘い匂いと共に降り積もっていく。 大鍋一杯のチョコを手に入ってきた恋が月与に気づいた。押し殺した声で話しかける。 「そこなは、もしやトリュフチョコの準備だろうか」 「ご名答。手の混んだものも作りたくてね」 「私にも使わせてくれないか。ほんの少しでいいから!」 ちらと庭を見た恋の視線をたどれば、そこには獅琅の姿があった。月与が口元を隠して笑う。 「なるほど。そういうことなら」 「感謝する」 隣で白銀丸が、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で木べらを使ってテンパリングを始めた。目当ての物を手に入れた恋が手元をじっと見つめる。 「なんだよ」 「そっちの作業もやってみたいのだが」 「バカやめろ、温度高すぎるって!!」 「……折角じょしりょくを見せてやろうと思ったのに」 製造の方も落ち着いてきて、庭から人が消えていく。蓮華も屋敷に入り型への流し込みを手伝いだした。 型に空気が入っては台無しになる。愚直なほどゆっくりと静かにやるのがコツだ。 蓮華は空中へ浮かび上がり器を傾けたまま静止した。その姿を見つめた羅喉丸が、軍手を二枚重ねにしチョコレートのインゴットを取った。手慰みに蓮華の姿でも彫ろうと思ったのだ。ひまつぶしで始めたのだし簡単に済ませようと考えていたのだが、気がつくと手のひら大蓮華像作成に走っていた。仏像でも彫るような真剣さでチョコの塊から蓮華の姿を削りだす。 すそを掘りこんでいた短刀が止まる。刃の入れ方に迷い、チョコの塊と蓮華の横顔を見比べて眉間を押さえる。 「……ヒラヒラ感はゆずれない!」 それこそ仏像のようにぺったりした感じに仕上げても良かったのだが。師匠を自称する天妖の伸びやかな動きを間近で見てきた羅喉丸には、七福神みたいなもったりラインは許せなかった。 横から小麦色の華奢な手が伸び、すその内側を指差す。 「ここ、もうちょっとエッジ効かせたら立体感出るよ」 リィムナだった。 「そういうものか」 「あたし、くわしいもん。今日だって羅喉丸と同じこと考えて、着々と準備を進めてたんだから」 「同じこと?」 「チョコレート像。あたしのは受注生産だから日が暮れるころにはなくなっちゃうし、特別に見せてあげてもいいよ」 「興味深いのじゃ」 いつのまにか蓮華が羅喉丸の後ろに浮いていた。そのまま彼の肩を蹴る。 「戚史には内緒にしたいから、こっそりね」 もったいぶるリィムナにうながされ、隙間から隣の部屋をのぞいた蓮華が蒼白になった。ふすまをぴしゃんと閉め、鬼気迫る形相で羅喉丸を振り返る。 「見てはならぬ!」 「なんでよ、世紀の超絶天才美少女開拓者アーンド至高のショタ人妖の等身大ヌード像だよ! 目の保養でしょ?」 すぱんとふすまを開けるリィムナ。間髪居れず閉める蓮華。開けるリィムナ、閉める蓮華。 「あ、あの、ふすま壊れちゃう……から」 人妖のエイルアードが半泣きで口をはさむ。その手にはごにょごにょして集めた匿名紳士の後ろ暗いリストがあった。リィムナが腰に手をあてる。 「付加価値を制する者、売上を制す! 需要と供給! 三大欲求! 世間的にはバレンタイン、世情的には販売促進、世にあふれるムッツリスケベは謹製プレミア商品ゲット。ほらみんな幸せ、誰も損しなーい!」 「でも、だからってこんな、チョコレートだからって普通に食べてくれるとは限らないし、むしろ普通に食べる人の方が少ないだろうし……どんなことされるか想像したら、僕、僕ぅ」 「あたしは最大多数の最大幸福を追求してるだけ!」 べそべそしてるエイルはかわいいなあと思いながらリィムナは拳を握った。そして同じ事を考えている輩はまだ居た。 「……すごいデス月ねぇ。背景に薔薇まで散らして。しかも点描」 「だろ? ま、俺様が本気出せばこのくらい余裕なわけよ」 「ミ、ミーは、これ食べられないデース」 手で顔を隠し指の隙間からのぞいている花漣の姿に不穏な気配を感じ取った早紀はテンパリングを一旦やめ自分もそちらへ移った。テンションが氷点下に下がる。 「……月詠、なんですかこれ」 「春画チョコ!」 あっけらかんと返事したからくりが両手を広げる。特大ハート形チョコレートをのぞきこんだ亜紀を、花漣があわてて目隠しした。 「モロはなし、されどきわどくってのが腕の見せどころだよな。最近は規制も厳し」 「雪那、もう一発です!」 「承知!」 「はたくことねぇだろ!」 インパクトの直前、月詠は紙一重でかわした。ハリセンが春画チョコを亜紀まで吹き飛ばす。 「花漣ちゃん、パス!」 「え? え、え、トス!」 空中高く跳ね上がったチョコは、なんの因果か羅喉丸の元へ落ちてきた。呆れた彼が手を伸ばし受け止めようとしたその時。 「アタアァァァック!」 飛び出した天妖の一撃をくらい、春画チョコは庭石に叩きつけられ砕け散った。膝から崩れ落ちる月詠。 「俺の、俺の傑作が……」 「弟子を守るのは師匠の務めじゃ!」 高らかに宣言し胸を張る蓮華の背をながめ、羅喉丸は遠い目をした。自分は十四で成人して、ゆうに八年はたっているわけだが。 (「何故俺が青二才扱いを。……いや、無心、無心」) 複雑な思いをとりあえず目の前の蓮華像にぶつけてみた結果、やたら作業が捗った。 その頃倭文は、一人縁側を歩いていた。 「あー……流石に匂いに酔うナ、これ」 深呼吸しながら屋敷の端まで行くと、煙草の煙が漂ってきた。角を曲がった先で、サビ猫風の猫族が短い煙管をくわえていた。会釈すると、参も軽く頭を下げる。壁に背を預け、倭文は軽い調子で口を開いた。 「梨那殿、悪ィな。怪我ばっかさせて」 参は答えず煙管をふかした。紫煙がゆられて昇っていく。倭文が続けた。 「……で、アレは昔からなのカ?」 参が目をすがめ、煙管を縁側に叩きつけた。落ちた火を踏みにじると、肺にたまった煙を吐き出す。 「あんた、協力者だっけ。他の奴らにも言っておいて。あにょ子バカから、かまうだけ損だって」 倭文が目をしばたかせた。 「どういう意味ダ」 「そにょまんま。地虫派は頭がおかしい奴らにょ集まりだにょ。中でもいっとうバカな子が戚史を名乗るにょ」 煙管をくわえようとして、自分で火を捨てた事に気づき参は口元を笑みの形にゆがめた。 「自分の国が嫌いになりたくなけりゃ関わるのはやめときにゃ。あんま肩入れすると足元すくわれるにょ」 「アンタみたいにカ?」 顔をしかめた参に倭文は牙を見せて笑った。 「深い意味はねェよ。言ってみただけダ。思い当たる節でモ?」 「煮るぞ山犬」 「図星カ。……しかし、アンタがいて良かったヨ。少なくとも我はそう思」 「うおおおおおおお本物のリィムナちゃんだああああああああああ!!」 「……」 「……」 裏庭の辺りがにわかに騒がしくなり、参が肩をすくめ煙管を懐にしまった。 「アホくさ」 参がその場を去ったので、倭文も来た道を引き返した。裏口に人だかりが出来ている。そろってリィムナ印の招待状を握りしめている。頭巾をかぶり顔を隠してはいるものの目はギラギラ輝いていた。 「高レベル開拓者だ! 高レベル開拓者が集まっているぞ!」 「麗しの柚乃ちゃんのエプロン姿! 眼福じゃあ眼福じゃあ!」 「おい早紀様と亜紀様のチョコ像はないのか! まさか売り切れか!」 「昼下がりに女将と若女将……旦那まで居るだと。次の新刊が捗る」 「キャアア! シローサーン!(黄色い)」 「キャアア! ラゴウマルサーン! (野太い)」 声援を無視して志郎が皆を振り返った。 「レベル30以上の開拓者は今すぐ隠れてください! いいから!」 異様な集団を前に浄炎が呆れた声を出す。 「何事だ」 「……もしかして、開拓ケットとやらの人なのかしら。うちの娘、どういう集まりに行ってるのかしら」 「母さん、妹はやましいことしてないから。本当よ。ああいう人はごく一部だから」 月与が必死にフォローを入れるも、未楡の眉間のしわは深くなるばかり。じんよーもえじんよーもえと念仏じみた呟きを続ける男を目の当たりにし、羅喉丸は可及的速やかに蓮華を奥の部屋に移した。 「やれやれ、しばらく作業は中断じゃのう。というわけで」 蓮華が主人へ手作りチョコを差し出した。 「羅喉丸よ、お主もバレンタインがどんな行事か知らぬわけではあるまい」 「ありがたく貰っておく」 「小耳に挟んだのじゃが、ジルベリアではチョコをつまみにワインを嗜むらしいのじゃ。返礼はそれで勘弁してやるぞ」 「三倍で収まるのか、それは。だが、いっそジルベリアまで足を伸ばしてみるのも悪くないかもしれないな」 「まあ、どこでも。おぬしと共ならば」 蓮華はひょうたんの栓を抜き、照れと一緒に酒を飲みくだした。 裏庭の縁側で、さすがのリィムナも柳眉を逆立てた。開拓者萌え燃えな彼彼女らを、秘密裏に呼んだ結果がこうなるとは計算違いだ。 「ちょっとお客さん達。騒ぐなら予約は取り消すよ?」 「リィムナちゃん! もっと罵って! さげすんだ目で見て! お願い、唾を吐いて!」 予想だにしなかった高レベル開拓者の集いに理性の吹っ飛んだ紳士淑女は、リィムナを中心に土下座し崇め奉り出した。 「なんの宗教ですかこれ?」 あぜんとしていた獅琅の袖を恋が引っ張り、物陰へ連れていき、手のひらほどの箱を取り出した。 「いつも世話になっているからな」 「恋さん、ありがとうございます」 獅琅が目を見開き箱を受け取る。中から大きめのトリュフが出てきた。夜鈴が横から首を突っ込む。 「極辛純米酒入りだ」 「楽しみだなあ。って、ダメだよ夜鈴。これだけはダメ。あとでおいしい魚をあげるから」 白銀丸にも箱をさしだす。開けた彼が目を丸くした。 「やるじゃん、恋」 「じょしりょくを見せてやると言っただろう」 すこし得意げに恋は微笑んだ。 垣根の向こうでは、帰ってきたジャックが入りかねてふわふわ漂っている。 |