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■オープニング本文 ●表の話 傭兵、名乗り上げて 天儀北部、弓術士の国、理穴。 中央から遠く離れた僻地。 夜ふけに指定の場所につくと、先に来ていた二人が軽く頭を下げた。 白い息を吐きながら立っていたのは、泰剣を帯びた娘だ。 目元に紅を引き気取ってはいるけれど、まだまだ幼い。 依頼書の添え書きによれば姓は玲、名は結花(リン・ユウファ)。 泰からの援軍らしく、国旗を模した腕章をしている。 彼女に従うように、隣に居るのは地味な風采の小柄な女だ。 流れの旅泰(泰国の交易商人)らしい。長い髪を無造作にくくり、モノクルをつけている。 姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。 小屋の引き戸を閉める音が響き、馬車を引き連れ理穴軍小隊が現れた。 聞いたとおり、十人一組。 全員弓術士で、依頼に必要な資材は彼らが運ぶのだそうだ。 隊長の名は高橋 友信(たかはし・とものぶ)。 不惑でやっと隊長になれた男で、弓手にごついタコがある。 こちらに体を向け、隊員ともども深々と礼をした。 「儀弐王様が御自ら弓を取られました。 理穴各地に散らばるアヤカシどもを、この東部へ追い立てる為に。 王の作戦に平行して枯れた魔の森を焼き払い、奴らのねぐらを減らすのが私どもの役目でございます。 なにとぞ助勢願います。 乾いた季節ゆえ、火のまわりが早いかもしれませぬ。どうぞ煙に巻かれぬよう、お気をつけ下され」 今回の依頼は彼らの護衛、そして仕事の手伝い。 長らく国土を魔の森に汚染されていた理穴は、昨年初夏、ついに最後の大アヤカシを討った。 しかし、跡地にはまだアヤカシの残党が残っている。 彼らと互角に戦えるのは志体と呼ばれる特殊な才を持つ者だけだ。 そして志体持ちは、天儀全体の人口に比べれば、ほんの一握りだった。 ちらほら増えてきた入植者も、ほとんどが国を思う元開拓者なのが現状だ。 本格的な開墾を期待する声が民の間で高まるなか、女王たる儀弐 重音(ぎじ・しげね)から派兵の命が降りた。 大アヤカシ不在の魔の森跡地を完全に奪還するが目的と公には称されている。 小隊の兵は志体を持たない者ばかり。 万一負傷した場合は、速やかに前線を離れるよう厳しく命じられていた。 だが兵達の声は明るく、顔は隠しきれない喜びに満ちている。 彼らが真の意味で魔の森に打ち勝ち、先祖伝来の土地を取り戻すのはいつになるのだろうか。 空はまだ暗い。 ●裏の話 あるいは昨日の話 ギルドの掲示板をながめる地味な風采の小柄な人影あり。 泰儀天帝、春華王お抱え密偵の一人だ。 「ヌシのいない森で騒動を起こせば、嗅ぎつけたアヤカシが隣の冥越からも流れこんでくる。……雪の女王のお膝元は大変だね」 楽しげにつぶやく。 「さて、元の木阿弥か、それとも大逆転か。この目で確かめないと。万事よきにはからっちゃおーっと」 依頼群の共通点は、理穴での戦。目的は別の所にあると呂は知っている。 「理穴の人も穢れた土地など諦めて、春の御国へ来ればいい。そう思いませんか、『地虫派』の呂戚史」 押し殺した声が届き、呂は振り向いた。泰国においてフルネームでの呼び捨ては、相手を低く見る意味合いが混じる。後ろに居たのは泰剣を帯びた娘だった。娘は半眼で呂を見やる。 「此度の理穴陽動作戦調査、地虫派だけの手柄には……」 「もしかしてあなたも密偵? やったあ!」 「黙れください」 集まった視線を愛想笑いでごまかし、娘は呂を廊下まで引きずった。眉を吊りあげる。 「隠・密・行・動! 自ら触れてまわるなど、言語道断」 「そ、そうですね。ごめんなさい。うれしくて」 年下に説教された呂は、ふとこれまでの言動を思い返す。 「そういえば今まで不審な目で見られた事、ほとんどないかも……」 「あなたくらいボケボケしていれば、気にするのも馬鹿らしくなるでしょうよ。よくそれで大手柄を連発できましたね」 紐輪をした手で頬をかく呂に、こめかみをもみながら娘は顔をあげた。 「初めまして。『走狗派』の玲です」 呂は記憶を探った。春華王の密偵集団には、様々な派閥がある。走狗派は歴史の浅い派閥だ。武芸に秀でた者が集まっている。 「私に、何か用ですか」 首をかしげる呂に芝居がかった仕草で指先を突きつけ、玲は告げた。 「宣戦布告に来ました。荒事は走狗派の十八番です。歴史が長いだけのはみ出し者の集団には負けませんから」 きびすを返す玲の背を呂が叩いた。 「待って。お互い名前も立場もわかったし、一緒に行動しよ? 私もあなたも新玉の春の御方の耳目じゃない。私は荒事が得意じゃないし、あなたも一人で動くよりいい成果が出せると思うよ」 半身のまま玲は呂を見やった。軽く唇をつきだす。 (「陰殻での上級討伐。祖国、泰の動乱では上皇飛鳥様の臨時侍従に抜擢。呂戚史、とてもそんなやり手には見えません。……扇動がうまいのかしら。だとしたらこの人が開拓者とどう動くのか、間近で見るよい機会やも」) けどけれどもしかして、ぜんぶまるっと羽扇『伏龍』の罠だったり? 頭がぐるぐるしてきた。知ってか知らずか、呂は気やすく世間話を始めだすし、なんなのこの人。適当に相槌を打つ。 「ねえ、玲さんは普段何してるの?」 「実家におります」 「家業をお手伝いしてるんだ」 「うちは代々、役人です」 「え、それで実家暮らしって、表の仕事がないってこと?」 色をなくした玲が、次の瞬間、顔を真っ赤にして叫んだ。 「花嫁修業です。無職ではございません!」 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
針野(ib3728)
21歳・女・弓
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●芽吹きの予感 空の色が目まぐるしく変わっていく。 雲が生まれては消え、梢が風見鳥のように揺れる。風のしらべを聞いた六条 雪巳(ia0179)は扇を閉じ、細く息を吐いた。緊張が解けたと見て、人妖の火ノ佳が主の背に飛びつく。神座亜紀(ib6736)も手帳を手に近寄る。 「風向きはどう変わるの?」 雪巳はペンを受け取り、亜紀の書いた地図に筆先を落とす。 「梢の揺れからして、南から北東に変わるようです。ですから、くの字を下からたどれば煙に巻かれることはないでしょう。空模様から察するに、風向きが変わるのは昼過ぎのようです」 亜紀は手でひさしを作り背伸びをした。 「ここからは見えないけど、まだ生きた魔の森があるんだよね。兵隊さんは入らないよう注意してね」 心得た様子の隊員達に安堵する。枯れ草を踏み、菊池 志郎(ia5584)は馬車の荷をのぞいた。 「馬車の資材は魚油でしょうか。そうなら、途中途中で撒きながら進むのが、帰りに手間取らなくていいのかな。どうなんでしょう、高橋さん」 「おっしゃるとおりで。荷が軽くなれば退却も迅速にできましょう」 高橋の命令で隊員が二人馬車に乗り、甕のふたをあける。生臭い匂いが広がり、志郎の肩に乗っていた宝狐禅の雪待は、勢いよく頭を振って主人のふところへ隠れた。亜紀が補足を手帳に書き加えページを破り取る。 「はい、地図は呂さんに。今日はひさしぶりに一緒にお仕事だね」 呼子笛を添えて渡そうとしたら、横から手が伸びて遮った。 「中を改めます」 玲が亜紀の手から地図をむしりとろうとし、呂がその腕を押さえる。亜紀は一歩下がり泰剣を帯びた娘を見上げた。 「えと、玲さん? 呂さんの、友達?」 「友人ではありません、知人です。流れの旅泰風情と一緒になさらないで」 「結花殿、歯に衣着せねェのは良いことだガ、人心は大事にしたらもっと良イ。それと迷子になるなヨ?」 小隊名簿を手に口をはさんだ白 倭文(ic0228)を玲はきつい目でにらんだ。雪巳が二人の間へ割って入る。 「理穴隊の方々も、戚史さんも結花さんも貴重な戦力です。無茶と……仲間割れは禁物ですよ。退くも勇気、生きて戻る事も大切なお仕事ですから」 とくと言い聞かせる雪巳の後ろで玖雀(ib6816)は、隊長の荷ほどきを手伝っていた。 「今回も、儀弐王は自ら戦場へ出向かれたのだな……」 深い謝意をにじませ高橋は目を伏せた。 「王は、アヤカシの殲滅こそが国の未来に通じる道、蔓延るアヤカシを我々の力で倒さなくてはなりませんとおっしゃられました。未来を担う民を戦へ巻き込まぬよう、魔の森跡地にて決戦を挑むと」 とめた手を動かし、玖雀はゆるく吐息をこぼした。 「俺は、権力とは庇護下にある者を護るためにあると考える。あの方を王とする臣下や民は幸せ者だな」 彼は小隊の面々をながめ、視界の端に居る玲と呂をまぶしげに見やった。わずかに憂いのにじんだ瞳が二人を映し、伏せった。仕えるに足る主君がいること、少し、羨ましくもある。 (「俺にとってのその人は、もう居ない」) 胸をよぎる面影に苦みを感じながら綱をほどき終えた。腰の番天印に手を置く。その重みを頼もしく感じた。 「儀弐王には世話になったしな、俺も精一杯協力させてもらう。背中は任せた。特に蛇羽は厄介だ、頼めるか?」 深くうなずいた高橋へ信頼の笑みを返す。梓珀の鼻面を一撫ですると、するどく指笛を鳴らした。傷痕の残る翼が大きくはためき炎龍の巨体が宙へ浮かび上がる。主へ応えるように高く鳴くと、梓珀は森の上空に昇っていった。 隊員の点呼を改めて取り、倭文が森の入り口を見回す。 「燃やすのは森だけなんだロ? こっちまで延焼しそうだナ。先に草を踏み倒しておこうゼ」 上級人妖矢薙丸が小さな足で藪を蹴りあげた。 「針野ー。こりゃあいわゆる焼き討ちってヤツか?」 「そうとも言うさー」 隊員たちと火切り道を作り始めた針野(ib3728)が、はっと息を呑んだ。 「友信さん、待つんよ!」 飛び出し、しゃがんで彼の足元をかきわけた。親指ほどのずんぐりした草芽が姿を見せる。矢薙丸も主人と顔を合わせ目を輝かせた。呂が体を乗り出す。 「ふきのとうじゃないですか。よく見つけましたね」 「にひひ。もう少ししたら、ツクシも生えてくるんよ。わしだって理穴で生まれて理穴で育った弓術士。野山を駆けまわったさね!」 針野はふきのとうを宝物のように見つめた。 「魔の森を開墾できたら……米でも野菜でも、とにかく一面の畑を作れたらええなァ、と思うんよ。あ! いっぱい楓を植えて、樹糖を採るのも捨てがたいっさね!」 瘴気計測時計を取り出した志郎が値に眉を開く。 「閾値よりずっと下だ。この値なら、焼き払えばすぐにでも開墾できます」 日に焼けた弓術士の拳が目元をぬぐった。 「そうなんかァ。……秋になったら、ここで採れたモンを、じいちゃんばあちゃんの土産にしたいんよ。元気にしとるかなァ。久々に手紙でも出してみるっさね?」 雪巳も膝を折り、湿った土をいとおしげになでた。 「大地が、力を取り戻している。魔の森の消滅……『人』の悲願ですね。志体を持たない方々が安心して暮らせる土地に出来るよう、頑張りましょう」 「気合いれてこーぜ針野。また森が調子こきだしたら、じいちゃんらへの土産がなくなっちまう」 矢薙丸の声に、針野は藪を踏み倒し弓弦を鳴らした。魔を祓う音が森の奥へ広がって行く。木々の合間から返ってきたあやしものどもの気配に、針野は唾を飲みくだした。武者震いが弓を揺らす。 「うっしゃ、焼き払い作戦のお手伝い、頑張りましょ!」 「合点だい、オイラも手伝うぜ!」 「行こう、はやて。ボクは空から羽蛇を狙うよ。上は任せて進んで」 跳ねる矢薙丸の後ろで、亜紀がはやての背に飛び乗った。朗々と吠えたはやての翼が風をはらんだ。 ●枯死と飢餓 木々の隙間を縫い、小隊の車輪が轍を作っていく。時折ひしゃくで道端へ放られるのは魚油だ。独特の匂いが立ち込めた。 油を詰めた瓶を下げ、志郎は馬車に先だって枯れ草を踏んだ。瘴気計測時計の値は低いままだ。立ち止まって白墨を取り出し、来た道と行く先を確認すると木の幹に大きく印を描いた。靴の下で小枝が折れる。 「針野さん、どうですか」 弓弦を鳴らした針野が森の奥を静かな目でながめた。 「うろついてた群れが集まりだしてるんよ。そろそろ鉢合わせしそうさー」 「俺は少し先を行きます」 「奥に行くほど多いから、あまり離れんでほしいさー」 大股で近寄った玖雀が隣へ並び立ち肩を叩いた。 「先鋒なら俺も行く。もう一人位居た方が死角を補えるだろ?」 「そうですね。目は多いほどいい。お願いします」 「私もー」 「待っタ」 二人についていこうとした呂のひっつめ髪を、倭文が引っ張った。後を追った玲がぎょっとして立ち止まる。 「戚史殿と結花殿には小隊の周囲を頼みたイ。揃って目端が利くから、気付きにくい所だとかに目を配って欲しイ。もしもに備えられて有難いんだヨ」 倭文は腰の鈴を飾り帯に隠し、相棒からくり雪蓮へ合図をした。弓を持ったからくりが蓮の簪を揺らし、呂と玲の間に立つ。 (「……威史様と結花様の護衛も含まれていますね」) からくりは両隣を見比べ胸の中でつぶやいた。雪巳も扇を梓弓へ持ち変え小隊のしんがりにつく。 「歩調を合わせて参りましょう。誰も孤立しないように」 まだ不満な様子の玲に、玖雀は言い含めた。 「戚史と結花には小隊を守っていてほしい。自身も彼らも、きっと王にとって誰一人欠かしたくない存在なのだから」 そして鬱蒼とした森に顔を向ける。立ち枯れた木々が絡みあう景色は寒々として、不吉な雰囲気を漂わせていた。 「魔の森は森に生けるものの生活と命を多く奪う。早く穏やかな地に戻してやりたい、そう思うよ」 独り言のようにつぶやく声音には、確かな想いが秘められていた。志郎も胸元で餅をつかむ宝狐禅に声をかける。 「雪待もよろしく頼みますね」 「突然呼ばれて働かされるのは嫌」 もふら餅を食べ尽くした宝狐禅は、主の懐を探り大福を引っ張り出した。ローブからひょっこり顔を出す、その口元についた餡をぬぐってやると、志郎はさらに奥へ足を向けた。 森の上空で亜紀は、龍の鞍にへばりついていた。こごえた手をさすり、息を吹きかける。はやては梓珀を連れて馬車を中心に円を描くように回っていた。 「さむーい。少しは運動したいよ。はやてもそう思うよね」 返事の代わりに、はやては翼を打ち鳴らした。駿龍と炎龍の雄雄しい影が茶色い梢を撫でる。通りすぎた後から、虫にしては大きく鳥にしては細すぎる影が鎌首をもたげ飛び立った。ブウンと羽の鳴る音が後方から亜紀の耳へ届く。梓珀が体をひねる。 長いコートの衿をかきよせ、亜紀は杖を手に立ち上がった。はやてが急旋回し、迫り来る異形を主人の視界へ入れる。四匹の蛇羽が鋭い牙をチラつかせながら突進してきた。梓珀が大きく翼を広げ、群れに飛び込む。赤い鱗にたかる蛇の姿を見とめ、亜紀は栄光の手と呼ばれる杖をそちらへ突きつけた。 「敵影、射程内。精霊力充填開始、弾道トレス完了」 杖先の燭台に光点が生まれる。みるみるうちに膨れ上がる。亜紀の小さな唇が刃を紡いだ。 「ホーリーアロー起動」 銀光が迸った。貫かれた羽蛇が胴を両断され、悲鳴と共に消滅した。続けて穿たれた二匹目が崩れる。梓珀へからみついたままの二匹に、杖先を向ける。抑揚のない声が意識の奥で精霊と共鳴した。 「追尾再開。ホーリーアロー再起動」 杖先からあふれだした銀光が正面から羽蛇へ直撃する。残った最後の一匹も、光の矢が命中し上体を消し飛ばされる。黒い粉塵が舞いすぐに消えた。自由になった梓珀が風をとらえ体勢を持ちなおす。 「……おしまいっ! 梓珀もおつかれさま。運動にもならないよ。うちに帰ったら紅茶飲みたいな」 亜紀は片手で三角帽子のつばをつかみ目元まで引っ張った。 近づいてくる気配に玖雀は落ち着いて番天印を放った。藪を揺らす音を探れば出足などすぐにわかる。鈍器が脳天を砕き、汚液が散る。羽の生えたくちなわが藪から顔を出し威嚇した。 藪の揺れが左右に広がりだす。志郎が振るった手から宝珠をちりばめた手裏剣が飛び、木の幹に突き刺さって高い音を立てる。音に驚き、藪から斧を握った小鬼の群れが飛び出した。 「斉射用意!」 「あいさー!」 高橋の号令に合わせ、隊員と共に針野と雪巳も矢を放った。痩せこけた小鬼どもが斧をかまえる前に矢の雨が降りそそぐ。 まっすぐに飛んだ針野の矢が赤小鬼の足を地に縫いつけた。針野はそれにかまわず別の小鬼に狙いをつける。赤い矢に眉間を射抜かれ、小鬼が崩れ落ちた。 「機動力を削いでおきたい所なんよ」 「加勢すんよ!」 赤毛が乱れるのもかまわず矢薙丸が胸一杯に空気を吸い込み、無音の悲鳴をあげた。小鬼の一匹が耳から黒い汁をふきだし、地に倒れる。飢えに目をぎらつかせた小鬼が玖雀と志郎にむらがった。肌が裂け、かすり傷から血がにじむ。斧を避けた志郎のふところから雪待が弾み出た。 「まだお菓子全部もらってないからダメ」 鬼の肩へ食いついた雪待が首を振るう。瘴気を散らして絶叫する同胞の頭を踏み、小鬼と蛇が隊員へ襲いかかった。間に倭文が入り、飛びはねる鬼の勢いをを利用して正拳をみぞおちに叩きこんだ。濁った反吐を吐きながら小鬼が腕に牙を立てる。背後から飛んだ白樺の矢がこめかみを貫いた。 「主様の邪魔は許しません」 雪蓮の黄金の瞳に、泥濘と化した小鬼のはがれ落ちる様が映る。足に刺さった矢を引き抜こうと、四苦八苦していた赤小鬼の首が、周囲の景色もろとも歪む。頚椎は粉砕され、悲鳴をしぼりあげた赤小鬼がくたりと横になり音を立てて灰に変わる。 「わらわの出番じゃな! どーんと大船に乗ったつもりでおるがよい」 残った小鬼目がけさらに腕を伸べる火ノ佳に、主人の雪巳も矢をつがえ笑みを返した。 「ええ、火ノ佳。頼りにしていますよ」 ●急襲 日が傾き、風がさらに冷たくなって来た。亜紀はコートの裾を内へ織り込み、餅巾着みたいになっている。 「そろそろ頃合だよね。これ以上進むと生きた魔の森の領域になるし」 龍の背から馬車をのぞきこんだ。調子よく進んでいるようだ。はやてに命じ軌道を下げると、梢の上から馬車に声をかけた。 「アヤカシを風下になるように追い立ててよ。退却できたらメテオストライクを撃つから」 「あいさー。こっちも帰る準備するっさね」 針野が手を振り返し、弓弦を強く弾いた。 「血の匂いに引かれてアヤカシが集まってるんよ。サメみたいっさね」 軽口とは裏腹にまなじりを険しくする。志郎が分厚い魔導書を取り出し、まぶたを閉じた。本の表紙が淡く輝き、濃紺の陽炎が立ち昇る。短く息を吐くと同時に陽炎は波紋のように広がっていった。温かな波が傷を消していく。 まぶたを開け、志郎は空を見あげた。 「油もかなり撒きましたし、撤退しましょうか」 小隊の矢筒をじっと見ていた倭文が口を開いた。 「火矢なら更に奥の方に撃てそうダ。このまま火をかけるのは、ちと不安だゼ。風上への道をあけてから火矢を放ってもらえるカ」 返事をして雪巳も続けた。 「重音さまたちの行動が上手く行けば、こちらには理穴中のアヤカシが集まる事になる……。退路の確保はきちんとしておく事にしましょう」 皆で手分けして残った油を茂みに撒いた。匂いがつんとくる。火ノ佳は手伝わず、高く浮いたまま服をたくしあげていた。 「これ、ついたら落ちぬのじゃろう? 肩に座ってもいいかや雪巳、べべが汚れてしまうぞよ」 「裾までめくるのではありません火ノ佳。はしたない」 「うー。頭くらくらしてきた。針野ー、早く火ぃかけちまおうぜ」 「今つけたら矢薙丸が焼き鳥になるさー」 針野が風上を指差す。馬車も鼻面を向けた。森の外へ向けて進み、濡れ手ぬぐいを口元に巻いた隊員達が油に浸した矢をつがえる。彼らより手前に居た玖雀が印を結んだ。 「……不知火」 玖雀を中心に火柱が起こった。枯れ草の上を燃え広がり、乾いた木の幹に食いつく。耳元を矢がかすめ、炎をくぐった矢が流星のように森の奥へ吸い込まれ、一拍おいて火の手が上がった。志郎も腕の中の宝狐禅と目を合わせた。 「雪待、お願いします」 「お願いされてあげる」 首輪についた小さな壷から炎があふれる。雪待はそれを練り上げるように三本の尻尾を揺らめかせた。屏風のように広げた尾から火の粉が周囲に放たれる。注いだ火気を飲み、藪の下にしみた油へ火がついた。その様は空の亜紀にもよく見えていた。アヤカシの群れが煙に巻かれ、風上へ向かっていく様子も。 「混戦になりそう」 馬車が走り出した。 火だるまの小鬼が藪から飛び出す。冥土の土産とでも考えているのか、それとも飢餓に焼かれる胃袋がそうさせるのか、炎を背負いながらも奇声を上げ斧を振りかざす。 地をつたい高橋の足に噛みついた蛇羽を、針野が蹴り上げ至近距離から射抜いた。 「おとなしく森と一緒に消えるさー!」 「肥やしになりやがれってんだよ!」 毒づいた矢薙丸が、宙返りして涼やかな風を吹かせる。高橋の足から牙の痕が消える。 「毒は放置しただけ回復が遅くなります。見つけ次第どんどん解毒するように!」 「ほほほ、わらわの妙技に惚れてもよいぞ」 弓を扇を持ち変える雪巳の肩で、火ノ佳は手にした白木の角を振った。紫に腫れていた足が燐光に包まれる。現れた小鬼へ針を投げつけ、玖雀が舌打ちした。 (「数が多い……」) 小鬼の波を防ぎきれず、群れが自分の脇を通りすぎる。志郎は腕に噛み付く小鬼を木の幹に叩きつけ、しわがれた大地を蹴った。群れの前に割りこみ、雪待の名を呼ぶ。伸ばした腕に白い尾が絡みついた。 「疾く薙げ風神!」 雪待の尾から放たれたほむらが、志郎の起こした風に乗る。強風を受けた蛇羽が叩きつけられ、枝が根元から折れる。風と炎の二重奏に巻き込まれた小鬼の群れが四散した。さらに現れた群れを目がけ、倭文は助走をつけて跳んだ。高くあげた脚を振りおろす。鉄槌と化したそれが大地を打ち、衝撃波が小鬼を吹き飛ばす。 「抜かせねェ!」 おろした脚を軸に踏み出し、体重を乗せて正拳をくりだす。拳が腹を貫き、小鬼が弾けとんだ。玖雀は自分に牙を立てる蛇羽を無視し、小隊のしんがりを走った。じわりとにじんだ痛みは放置する。小鬼へ泰剣を突き立てる娘は背を狙う赤い小鬼に気づいていない。玖雀が駆けぬけた。鎧袖一触、逃げる間もなく針が首へ突き立てられた。黒い汁が噴水のように吹きだし、影が徐々にしぼんでいく。 「火ノ佳、解毒を」 短く言いつけ、雪巳が扇を広げた。 「蘇りし理穴の大地よ精霊よ。禍事罪穢れをこの地より洗い流せとかしこみかしこみ申す」 淡雪のような燐光が彼を包み、扇をひるがえすと同時に大地を白が走り傷を癒す。黒煙をあげる森が一瞬、清浄な光で輝いた。駿龍の上からそれを見おろし、亜紀は力場を構築しながら手綱をゆるめた。 「はやて、行って!」 駿龍は一直線に空を駆け、群れの中へ音速の刃を放った。余波で木が切り刻まれ、蛇から羽がもげる。 馬車が森を抜けた。亜紀は精霊に呼びかけ杖に生んだ力場を拡大した。夕映えの紅が炎に包まれた森へ照射される。 「メインチャンバー設定。メテオストライク起動。魔の森は冥府まで焼け落ちていけ」 宙空に生じたまぶしい光点は煮えたぎる熱球へ変わり、轟音を上げ森に吸いこまれた。衝撃が走り、きのこ雲が生まれる。風に吹かれて、長く長く冥越の方角へ伸びていった。 ●いつか春に 煙が空まで続いている。火の手は広まる一方だ。火ノ佳を抱き雪巳が一人ごちた。 「長い冬を過ごさねばならなかったこの地の民と精霊の怒りに見えます」 玲はつまらなそうに炎を眺め、呂は雪蓮に包帯を巻いてもらっていた。その隣で志郎も感慨深げに言葉をもらす。 「俺は理穴の出身ではないけれど、こうして魔の森を焼き払えたこと、嬉しく思います。……本当の目的がどうであれ、土地を取り戻すことに変わりはありません。 春になったらきっと、焼け跡から木が育ち花が咲き……清々しい風が吹くでしょうね 」 針野がふっと顔をゆるめる。 「魔の森は消えて楓の森に変わるっさね。理穴は、あるべき姿に戻るんよ」 「あるべき姿か……」 羽を休めるはやての尻尾に座り、亜紀は足を揺らした。振り向いた呂へ祈るようなまなざしを向ける。 「ボク、姉妹の中で一人だけ母さんの顔を知らないんだ。魔の森が浄化されて平和になったら兵隊さんも危険じゃなくなるし、そしたら」 語尾が揺れ、亜紀は三角帽子をぐっと引きおろす。 「ボクみたいに親と死に別れる子もいなくなるよね。そうなったら……いいな」 呂が薄い背を優しく撫でた。処置を終えた雪蓮から包帯を受け取り、倭文はそれを自分の腕に巻いた。呂の傍らに立つ。 「ああ、威史殿。アンタの艱難辛苦、我も引き受ける。だからアンタの無事や幸福で、幸福になる奴がいるのを、まず覚えてくれ」 熱風にあおられ戚史の長い前髪が揺れた。合間からのぞく紫の瞳は奇妙に無機質で、どちらが義眼なのかわからなかった。 「……良いな? 」 「あなたも春のお庭を目指すの?」 ひそめた声にはどこか期待が滲んでいた。 「その信仰に添ってるかは分からねェが、まぁ、そう決めタ」 「……違うんだ、ふぅん」 戚史はへらりと笑った。 「春のお方に仕える人が増えたから、うれしい」 そういえばシノビの術を心得ていたなと倭文はぼんやり思った。 馬車を先導するため玖雀が梓珀を飛び立たせる。そして彼は目にした。飛来する異形の影達を。 「来たな」 玖雀は指笛を吹き、梓珀を切り返した。 |