なにこれ?〜蓮
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/05/07 21:29



■オープニング本文

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●どこかの話 長い長い戦い
「葬儀を済ませなかったのか」
 小柄な影はうつむいている。取り巻く人影がさわさわと揺れた。
「疑わしきは罰せよ。二度刺すだけだ。何を戸惑う必要があろうか、彼らは春のお庭へ行くのだ。天帝さまが優しく出迎えてくださる。そこでは皆、笑顔で幸福なのだ」
 低い声音に、厳しさはなかった。同情と憐憫がにじんでいる。
「幼馴染となると話は別か」
「……彼女は志体持ちで、熟練の砂迅騎に匹敵します。ご存知のように信仰が薄く、一般信徒として過ごしてきました。戦力に取り込むなら今です」
「地虫の本分を忘れたか戚史。口を閉ざし、笑え。判断するのは私だ」

●だれかさんの話 イッカクさんの場合
 神楽の都で、彼は相棒の収穫を手のひらに乗せ、とっくりとながめた。
 小粒で丸くて青い、何かの実だ。
 試しに瘴気計測計を近づけてみると、ごくごく微量の瘴気が検知された。アヤカシの一部か、単に汚染されているのか。頭をひねるも妙案は浮かばない。
「守秘義務ですか。確かに関係者以外には口外しないと申しました。協力者にだけとは申しておりません」
 呂は何かを隠蔽しようとしている。外の手を借りずに。
 けれど彼にはそれが、泥沼へ踏み込む姿にしか見えなかった。

===

●表の話 しらゆきひめはごまかされない
 参から瘴気を感じたと告げられ、呂は凍りついた。蒼白な顔色は、さながら死刑宣告受けたようだ。すぐに取り繕った笑みを浮かべ立ち去る。残された彼は扇で口元を隠した。
「戚史さん、あなた何かご存知ですね」
 聞きだせたのは、呂と参が幼馴染だということ。まだ父が健在で呂が大店のお姫様だった頃、住みこみで奉公をしていたのが参の家族だったこと。二人の故郷が、巌坂だということ。

●表の話 ジミーさんととんがりぼうしのメモる曰く
「あの志士さんは無実だよ。官憲さんったら人の話に耳を貸さずに、しょっぴいちゃうんだから」
 少女は手帳を手にぷりぷり怒っている。人畜無害な風の青年は、顎をつまんだまま考えを口にした。
「瘴気はなかった。発見時、操られている様子もなかった。監視の穴を突いて逃亡する判断力もあった。どうやって説明しましょう、アヤカシの仕業だと。俺たちだって確信が持てないのに」
 がりがりと頭をかく。
「朱春なら、行く所へ行けば資料が集まってるよね。泰儀の事は泰儀で調べるのが一番だと思うよ」
「そういえば結花さんは、官憲の腕章をしていましたね。顔が広いのでしょうか」
「……でもボクたち、嫌われてるっぽいんだよなあ。理穴で一緒した仲なのにさ」
 心当たりある? と、少女は視線を送った。青年は首をかしげ、おもむろに振った。

●表の話 やまいぬさんとかえるのおひめさまによると
 参は傷口を見つめた。虹蓮の瘴気弾がかすった痕は、傍目にも浅く、花の癒しを受け痛みは飛んでいた。じわじわと紅がにじんではいるものの、放っておけば自然に治る。はずだった。
(「血ぃ、止まんにぇー……」)
 異変に気づいたのは僚友と別れた後だ。朱春西の出来事を伝えるため、同じ派閥のたまり場へ出向いたら、仲間に指差されたのだ。ひじの辺りに赤いシミがついている、と。
 包帯だけ巻いて済ませた参は、猫の住処で通り魔が出たから報告しろと古参にどやしつけられ、料理屋の二階に戻ったら戻ったで、やれ自警団がどうのでまた劉と孫と曹が喧嘩しーの。帳場の切り盛りもしなきゃならんわ、自分の店だってのに板前の啓には厨房から追い出されるわ、散々だ。
 という話をすると、カエルを抱いた少女は相棒の隣でころころ笑った。
「参おねえさまったら、とっても眠たそうですの」
「まともに寝る暇もにぇーにょ」
「しかし戚史殿は遅いナ。今からアンタと巌坂へ行くんだロ?」
 頬杖をついたまま彼は入り口へ目をやった。
「巌坂ってどんなところですの?」
「そーにぇ、ひなびた保養地って感じ。薬草の産地で、病院がたくさんあって、あー、名物は蓮料理だにょ。レンコンにー蓮の実にー」
 しばらく考え込んでいた参が、ぽんと手を打った。

「こっちの方が有名か。一蓮教の総本山だにょ。町のトップが最高司祭の戚夫人」

 二人の反応にあてがはずれたらしく、参は肩をすくめた。
「知らんにょ?」
「ですの」
「……壷とか買わされそうだナ」
「しにぇーにょ! 精霊を祭るにょと同じように春華王さまを畏れ敬うだけだにょ!」
「はァ?」
 彼は目を丸くした。
「天帝さまは無二にして無比無謬な、尊いお方だゼ」
 今上春華王のアクティブさはさておき。
 泰儀において、春華王は十二分に神聖視されていた。普段は私利私欲を隠さない諸侯ですらも、朱春では衿を正す。泰国の者なら天帝に畏敬を抱くのは当然で、わざわざ錦の御旗に掲げるほどの事ではない。
「一蓮教は、梁山時代に電波降って来たババアが始めたんだにょ。巌坂で春のお庭が見えたとか何とか。んで、地上に極楽浄土を再現するために町を興したんだとさ」
「ババアて……。アンタ信者だよナ?」
 壁に飾られた銀の芽切鋏を、彼は横目でながめた。
「親がやってたから私も何となく続けてるだけだにょ。入るのは簡単だけど、退団手続きがすっげーメンドイし」
 その時、小柄な影が飛び込んできた。
「私よりよっぽど熱心な子が来たにょ」
 丸めた報告書を握っている。ギルドに顔を出してきたらしい。呂は顔をあげた。
「ごめん。急用が入ったから、先に出発して」
「はい?」
「教母さまから梨ちゃんに伝言。お告げがあったって」
「戚夫人が? 私に、なんて?」
「とにかく、教母さまには必ず挨拶してよ。あとオカンのことよろしく。お願いね!」
 言いたいことだけ言って呂は外へ飛び出した。参はぽかんとしている。

●裏の話 長い長い戦い
「まずいな。チーシーは休暇を取ったぞ。他の志体持ちはどうしている」
 呂の行方を問われ、張は歯軋りした。不倶戴天の怨敵が帝都に出現したらしい。
「別の任務へ赴いたばかりだ」
「なら朱春近郊の信徒を集めてくれ。場所が場所だ。クイを御前へ上げるわけにはいかん」
 いざとなれば俺もと口にしたところ、別の男が駆けこんで来た。
「噂の正体は、やはり虹蓮だった。そして……倒されていた」
 とてつもないしくじりをやらかしたように、その男は顔を覆った。
「事情を知らない者が先に感づいたらしい。何者かが屋敷へ侵入を果たした後だった」
 沈黙が落ちた。場に居た半分はうなだれ、残りは重く息を吐いた。
「嘆いても始まらん。これまでどおり虹蓮の感染を水際で止める。念のため翡翠丹を用意しろ」
「その必要はないよ」
 のれんをくぐったのは地味な風采の小柄な女だった。報告書を握っている。
「討伐したのは開拓者だよ。志体持ちだから感染率は低い。それより報告書によると、通いの下男が居たみたいなんだ。
 ……虹蓮を見た者は虹蓮になる。おじさん、私ひとりで朱春西へ行ってくる。応援は、断っておいて」


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736
12歳・女・魔
中書令(ib9408
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰


■リプレイ本文

●巌坂 朝
 飛空船の窓をのぞきケロリーナ(ib2037)は歓声をあげた。
「あの大きな浮島が巌坂ですの?」
 席でうとうとしていた参がうなずく。山の天辺に、鐘楼がある。中腹までが寺院、裾野は店や家。教団と門前町の間は、ぐるりと塀で仕切られていた。
 六条 雪巳(ia0179)は旅行者冊子を開いた。
「お参りは夕刻まで、ふむふむ」
 特に売りのない平凡な保養地だ。
(「先日戦ったのも蓮、巌坂の名物も蓮、宗教の名も蓮……。奇妙な符号ですね」)
 ケロリーナも同じ疑問を抱いていた。
(「コレは偶然なのかしら?」)
 雪巳は参へ体を向けた。
「一蓮教、最近耳にする機会が増えました。よかったらどんなものなのか、お聞かせ願えませんか? 私自身は天儀日照宗の信徒ですし、改宗は出来ませんけれども、信仰の有様には興味があります」
「んー、お祈りするときに朱春を向いて、天帝さま天帝さまって唱えるくらい?」
「朱春……。なるほど、春王朝が御神体なのですね」
「起きてすぐと寝る前に朱春を向いて感謝するってにょもあったわ。後は葬儀が変わってるくらい」
「梨那さんもなさっているのですか」
「ぜーんぜん。必死こいて善行積まなくても春のお庭には行けるし。何もかも恵みのおかげって考え方は好きじゃにぇーにょ。私の努力はどこ行ったんだって気分になるにょ」
 どうやら参は熱心の前に、不が付くようだ。船着場に到着した三人は、門前町から寺院を目指した。棍やサスマタを手にした門番達が、一行を呼び止めた。
「参梨那様で? 戚史さんはどうなさったのですか」
「急用だにょ」
 門番の顔色がさっと変わる。雪巳とケロリーナへ値踏みの眼を向けた。
「こちらの方々は?」
「開拓者だ」
 答えたのはコレットだった。剣に手をかけ主の前に出る。
「お嬢様も雪巳殿も何恥じることもない御方だ。無礼な真似は止めてもらおう」
「失礼しました」
 門番達はへらりと笑った。一人が本院へ走っていく。
「あいにく戚夫人も立てこんでおりまして。しばらく散策をお楽しみください」
 雪巳は袖の影で扇を振り瘴索結界を張った。
(「まさかとは思いますけれど……ね」)
 反応はない。
 片田舎といった風情の町に比べ、塀の向こうは花咲き乱れる楽園だった。寺院の施設が、そのまま病棟になっている。開放的なつくりで患者らしき人々が談笑していた。余生を過ごしているかのような気安さだ。
 雪巳は参へ倭文から預かった止血剤を差し出す。
「お聞きしましたよ。傷の治りが遅いそうですね。面会までの時間、どこかで治療していただいた方が良いかも知れません」
 受け取った参が肘に手を当てた。
「痛くはないけどにぇー」
「そういえば、先日救出にいった時のことを覚えておいでですか」
「にょ」
「他の方の事は残念でしたが……梨那さんがご無事で何よりでした。しかし、何故一人だけが助かったのでしょうね。お心当たり、ありますか?」
「私はあの船で唯一の志体持ちだったから、矢面に立って戦ったにょ。覚えてるにょはそこまで」
 それはつまり、真っ先に倒れる位置ではないのか。雪巳の胸に暗雲が広がった。ケロリーナが唇を尖らせる。
(「う〜、参おねえさま大丈夫かしら? もしかしたらもう時間がないのですの。それでも、何とかしてあげたいですの!」)
 彼女はつとめて明るい声をあげた。
「呂おねえさまのお母様に会いに行きたいですの。どんな方なのかしら?」
 痛い所を突かれたように参は顔をしかめた。やがて手招きし、看板に緩和棟とある寺院へ二人を連れて行く。のっぺりした壁に採光も怪しい小窓があった。中へ入ると、長い廊下に扉が並んでいる。そのうちのひとつの前で、足を止めた。
 四二号室、呂 明結。
 戸の下部には、猫扉のような小口が付いていた。鍵はないが、内側から開くもののようだ。参が扉を叩く。
「おばさん、久し振り。梨那です。明ちゃんは急用で、今日は来れないって」
 カタンと小口が鳴り、紙がすべり出た。ぎくしゃくした字で『わかりました』、と書かれている。
「初めまして、ケロリーナですの! ご挨拶に来たですの!」
「六条雪巳と申します。戚史さんには、日頃からお世話になっております」
 しばらくして小口が鳴った。
『信徒ですか』
「外の人だにょ。開拓者で、私の恩人だにょ」
 カタン。
『帰れ』
 雪巳とケロリーナは、黙って顔を見合わせた。
「……明ちゃんのお母さんは、いわゆるひきこもりなんだにょ」
「いつからでしょうか」
「十年前らしいにょ。私もまた聞きだから詳しくは知らないにょ」

●朱春
「スリや物盗りなんてよくある話でしょう。たいした手柄にはなりませんのに、私を引っ張り出すなんて」
「うんうん、そうだね。お兄ちゃんもそう言うよ」
 玲が黙りこんだ。彼女をいなしながら、神座亜紀(ib6736)と中書令(ib9408)は官憲の資料室で猫の住処の報告をあたった。最近になって、犯罪件数が跳ね上がっている。
(「これ、参さんが泰国に戻って来てからだ」)
 共通項のない犯人達は、そろって魔が差したと供述しているらしい。
「志士さんは、今どうなってるの」
「牢屋です。初犯ですから禁固一年かと。丸腰の老婆に襲いかかったのですから、もっと重くてもいいと思いますけれどね」
 中書令が顔をしかめた。
 ぶらついていた志士の表情が突如能面のようになり、同時に刀が閃く。蜃気楼で再現した当時の状況は、確かに玲へそう言わせるだけの説得力があった。
 時計を確かめると、約束の刻限には、まだ余裕があった。二人は泰大学の図書館へ足を運ぶことにした。連れていけとごねる玲を、中書令はていねいに断った。首をかしげる亜紀に耳打ちする。
「深く関わらせると、春華王へ話が行く可能性があります。報告の一環として聞くことを祈りたいですが……」
 馬鹿の付く真面目と称された飛鳥でさえ、駆け落ちする行動力があるのだ。いわんや弟をや。
「やばいね。うん、確実にやばい」
 玲と別れ図書館の隅に陣取ると、中書令は人目を忍んで懐から何かの実を取り出した。持ってきた野草図艦と見比べた亜紀は声に出さず図艦を指差す。
(「蓮の実ですか」)
 答えを知った中書令はすぐさま実を懐へ隠す。
 雪那と鈴が書架から本を運び出してきた。フィフロスを頼りに亜紀は知識の大海へ漕ぎ出す。唯一の兄王と無二の弟王が争った梁山時代は、正史ですら真相は藪の中だ。
(「戚夫人と呼ばれる女神官がいた。これだけは確かだね」)
 亜紀はひとまず、神学の書を手に取った。中書令と確認しあう。
「一蓮教。天帝礼賛を特徴とする。あまねく信徒は死後、天帝に赦され春のお庭へ行くとされる。教義は、天帝さまが喜ぶ良い世の中にしましょうってことみたいだね。土着の精霊信仰と習合したのかな。まがりなりにも梁山時代から続いてきただけあって、表面的には穏やかみたいだ」
「規模は中の小、信徒は旅泰が多い。葬儀の際、心臓を二度刺す。特色としてはこのあたりでしょうか。葬儀方法を巡って、外部と信徒の間に摩擦が起きやすいようです」
 続けて亜紀は、ご隠居の日記、それから下男の業務日誌も開く。朱春東へ足を伸ばした収穫だ。蜃気楼での調査は実を結ばなかったが、中書令は庭の様子が気にかかった。
(「池が掘り返されていました。どうしたのでしょうか」)
 亜紀の眉間へシワが寄っていく。日記には恨み言が綴られている。大枚をはたいた翡翠丹は、ただの蓮の実だったと。怒りのあまり庭へぶちまけたらしい。鬱屈が、ある日を境に変わった。
(「池に虹色の蓮が咲いた。これぞ妙薬に違いない。煎じて飲む」)
 日付が飛んでいる。
(「やっと熱が引いた。それにしても、すばらしい夢をみたものだ花ささみたれるらく之ん うま しかな」)
 しだいに字が乱れ途切れた。かろうじて判別できた最後の日付は、ケロリーナと雪巳が訪問する数日前。下男の日誌は、端金で使われる日々が赤裸々に記されている。
(「薬にならなくったって食えば腹が膨れるものを……か」)
 池で虹色の蓮を見つけ、煎じて飲ませた事も書かれている。ページをめくり、亜紀は目をむいた。
(「俺も飲んでみたがひどい味だ。舌がぴりぴりしやがる」)
 重体のご隠居をしぶしぶ看病した事。そして、快癒したと思ったら。
(「爺は日に日におかしくなりやがる。今日は寝台の下に潜りこんで出てきやしねえ。やってられるか。もう知らん」)
 日誌はそこで終わっていた。亜紀の隣で別の資料を繰っていた雪那が、かるく吹き出した。
「失礼しました。古い瓦版に、おかしな事件が載っておりまして」
 雪那が記事を読みあげた。
「アヤカシが飴を買うの事。飴売り、子連れのアヤカシに遭う。荷を置いて逃げる。翌日、行けば銭があったとの由」
「ふーん、変わった事件もあるものだね。いつの話?」
「十年前です」

 天帝宮離宮。
 侍従に囲まれ椅子に座っていたのは、五才位の男の子だった。分厚い辞典と小さな赤いもふらを脇に抱えている。
「高檜くん?」
「だよー。父さん遅れるから代わりに来たの」
 肩をすくめた亜紀に高檜はにこにこした。
「いまボク薬師のお勉強してるのー」
「え、なんで?」
「ボクが白鳳おじさんのお医者さんになるからだよー」
 高檜が辞典を膝に乗せた。表紙には泰国薬大全とある。
「じゃあ、人払いをお願いできるかな」
「大事なお話?」
「うん。みんなにはナイショだよ」
 警戒する侍従達に、高檜が手を振った。しぶしぶ部屋を出ていく彼らを見送り、亜紀はムスタシュイルを張りめぐらせた。鈴が暗い所までくまなく見回る。聞き耳を立てながら、中書令は懐から実を取り出す。
「あ、蓮の実!」
 高檜が伸ばした手を遮り、身を引く。
「お手を触れないでください。微量ながらも瘴気が検出されました。志体を持たない方が直接触れれば、瘴気感染の恐れがあります」
 驚いた高檜へ問いを投げかける。高檜は辞典をめくった。
「蓮実。生薬だって。性は平、味は甘。滋養強壮、止血に効有り」
「翡翠丹をご存知ですか」
「載ってないの。翡翠なら知ってるよー。不老不死の、えーと、象徴? なんだってね」
「一蓮教はいかがでしょう」
「載ってないし知らないの」
 首を振る高檜に亜紀は前のめりになる。
「何か、何か浮かばない? なんでもいいんだ。友達を助けたいんだよ」
 高檜が眉を寄せた。
「……何があったの?」
 言い淀んだ亜紀の琴線が弾かれる。
(「誰か来た!」)
 応接間の扉を開け放つと、飛鳥が居た。
「遅れてすみません。会談が長引きまして」
 中書令が神経を尖らせ、辺りの気配を伺う。侍従から話を聞いた飛鳥は一人でやってきたようだ。中へ招き入れ、扉を閉める。
「待ってたよ飛鳥さん。今は天帝医の名誉職なんだってね」
「権威はあっても権力はないのですよ。兄が弟の下へつくを、良しとしない人々もいるもので」
 政争が起きずに済んでいるのは、今上春華王によるところが大きいのだそうだ。
「と言っても、本人にはまったく自覚がありませんけれどね」
 復位しないと強弁を続けた兄は、涼しい顔をしている。
「相談に乗ってくれるかな」
「差障りの無い範囲でしたら」
「翡翠丹を知ってる?」
 わずかな沈黙の後、飛鳥が口を開いた。
「あの子に何か起きたのですね」
「飛鳥さん、知ってるの?」
「答えは、一切存じません、です」
 飛鳥は高檜を抱きあげた。丸々がその背後に隠れる。
「申し訳ありません、失礼させていただきます。……いい子でした。私達から関わるわけにはいかないのです、是が非でも」
 腰を浮かせた亜紀を制し、飛鳥は足早に出口へ向かった。中書令が進路へ割り込む。
「見損ないましたよ」
「ええ、それでけっこうです。名前も覚えていませんし、顔も忘れました。そうお伝えください」
 誰に? 中書令の問いへ飛鳥は背を向けた。亜紀が叫ぶ。
「待って、蓮の実について教えて!」
 辞典と同じ句を口にした飛鳥が、付け加えた。
「可食部分を、蓮肉と呼びます」

●朱春西
 肩すかしもいいところだった。下男は何事もないように見えた。口実を付けて言葉を交わしたが、格段変わった所もない。拍子抜けした白 倭文(ic0228)は、呂を振り返った。へらへら笑っている。
「あはは、無駄足でしたねー。じゃあ私はこの辺で」
 小柄な影はすぐに人ごみへ溶けた。さっきまで眉を釣り上げ、ついてくるなと怒鳴り散らしていたのに。
(「どこ行く気ダ。仮止めでも命綱付けとけ、勝手についてくが」)
 呂の目元のくまを思い出し、口元を引き結ぶ。帰ると見せかけて脇道に逸れ、路地を巡り元の場所に出た。
「人を探してる。地味な風采で背の低い女ダ」
 道行く人に聞き込みを始める。常ならば目立たない呂だが、自分と言い争っている姿を覚えられていた。足取りを追うと、変事が起きていないか、しつこく探っているようだ。下男の遠い友人を称し、平和そのものな街角で立ち話を続けていると、ふっと眠気が襲った。
 りぃりぃ。
 耳鳴りがする。頭蓋へ直に響くような、甘い。倭文は背筋を凍らせ鋭く振り向いた。雑踏を目に見えない誰かが通りすぎたと、運良くそう気づいた彼は、不安に駆られ下男の家へ急いだ。傍らの雪蓮へ命じる。
「我が味方に害なす素振りすれば、射ろ」
 相棒からくりは返事をしなかった。弓を握る手が震えている。
「我の為ダ、頼んだ」
 奥歯を噛みしめ、雪蓮がうなずく。
 玄関扉が半端に開いていた。中から悲鳴が聞こえる。
「ヒイ! なんだ、いつのまに!」
 重い殴打音が続いた。激情をこらえ、倭文はそっと内へ入り扉を閉めた。
「……かわいそうに。この個体も随分弱っている。ひどい事をするもんですねえ」
 血だまりに下男が倒れていた。胸から上を粉砕されている。死体をためすがめつしているのは、猿に似た小男だ。左腕だけが巨漢のように太い。
「思ったより深刻だなあ。活性化にこれだけ時間がかかるって、うーん、親株も相当キテますねえ」
 小男は懐から細い管を取り出した。蓋を開け、こちらを振り向く。
「養分になってくださいよ、そこのアナタ」
 飛び出た粘液が倭文の頬をかすめる。それが宙空で伸び上がり、虹色の蓮に変じる。
 りぃりぃ。
 不意を突かれた倭文は耳鳴りを気合でねじ伏せ、双剣を抜いた。小男が手を打つ。
「おや、志体をお持ちで」
「ッるせェ! 誰だアンタ、シオマネキみてェな図体しやがって!」
「言いますねえ、ましらの子の分際で」
 小男は余裕を崩さず椅子に腰かけた。
 虹蓮が突進する。倭文は一瞬に賭けた。重心を落とし、剣を腰だめにかまえる。時の流れがゆるやかになったようだった。迫り来る虹蓮の斜線を見切り、花弁の中心を狙う。吸い込まれるように剣へ突き刺さった。勢いまでは殺しきれず、倭文が弾き飛ばされる。双剣の片割れが床の上をすべり、壁に当たった。意地で受け身を取って跳ね起き、その剣をつかみ取る。もがく蓮から伸びる蔦へ刃を振り下ろした。
 激痛が走る。自分の腹から突き出た矢尻に愕然とした。相棒の瞳が焦点を失っていた。
「雪蓮!」
 からくりは答えず、見当違いの方向へ矢を放った。ふらりと歩き出し、壁に当たる。蓮の蔦が背を襲い貫いたが、気に留める様子もなく壁に頭をぶつけ続けた。
「雪蓮……」
 倭文を支えていた気力も、限界に近づきつつあった。眠気が押し寄せ、痛みが消えていく。
「あっけなかったですね、へへ。まあ精霊におんぶに抱っこな劣等種ですしねえ、へへへへ」
 りぃりぃりぃりぃ。
(「混乱さえ、なけりゃ、……クソが」)
 扉を蹴破る音が、倭文の意識を引き上げた。呂だった。耳鳴りが激しくなる。だが呂に動じた様子などない。小男が尖った声をあげた。
「おやおや、志体と……。はあん、さてはアナタがたですね。この子達を虐待してるのは」
「あんた誰よ!」
 呂の投じた苦無を小男は難なくかわした。管を振る。とたんに虹蓮が吸い込まれ、耳鳴りが消える。
「アヤカシをいじめるなんて、血も涙もないですね、へへへ」
 小男の姿が消えていく。完全に気配が消えると、呂は倭文を抱き起こした。前髪の隙間からのぞく瞳が潤んでいる。
「……なあ、オマエの話聞いてもいいか」
 倭文は深呼吸をくりかえした。全身から痛みが引いていく。
「以前、アンタの艱難辛苦を引き受けるって言ったロ。信仰心も察しの通り。我は単純にアンタの味方で、首突っ込んで手ェ出してェんだヨ」
 だからこんなのは屁でもねェンだと喉を鳴らして笑った。
「心配だ。……オマエは何のために走り回ってんだ。何を思ってる? ……威史殿」
 戚史は困ったように微笑んだ。はずみでこぼれた涙が、倭文の頬を濡らした。
「ヒイ! なんだ、いつのまに!」
 間近で上がった悲鳴に、倭文は息を飲んだ。
 血だまりが消えていた。下男は五体満足で、腰を抜かしている。

●巌坂 夜
「参さんが帰って来ません」
 冷めた茶を前に、雪巳が唸る。ケロリーナのふくれっつらがはちきれそうだ。宗教上の理由から面会を遠慮してくれと、体よく追い払われた二人は、門前町で時間を潰すことにした。それっきり音沙汰がない。
 鐘楼が夕刻を告げた。
 門が閉じていく。机に銭を叩きつけた二人は、閉じた門を前に呆然とした。塀は高く、志体を持ってしても越えるのは難しそうだ。
「どうしましょう……」
「もちろん助けるですの」
 ケロリーナが拳を握った。
「梁山時代は東西に分裂して兄王さんは子孫まで『狂気』に侵されてたですの。一蓮教の開祖さんが同じように『狂気』に侵されていて、アヤカシが背後にいるとするなら……タイヘンですの!!」

 人々が寝静まる頃。駿龍は翼をはためかせ、塀を越えた。まずはケロリーナとコレット、ついで主人の雪巳。各施設の入り口に松明を持った警備が立っている。灯りはかえって闇の深さを際立たせていた。
(「参おねえさまはどこかしら。戚夫人のところかしら?」)
 ケロリーナは山頂の鐘楼を見つめた。本院からは明かりが漏れている。二人は暗闇へ踏み出した。夜の庭園を歩き、建物の裏を抜けようとした。
 りぃりぃ。
 二人は弾かれたように辺りを見回した。雪巳は影から顔を出し、警備の様子を伺う。退屈そうな横顔が見える。急いで扇を振り結界を張る。背筋を氷がすべり落ちた。
 瘴気まみれだ。どの建物からも邪な波動が放射されている。
 りぃりぃ。りぃりぃ。
 視界が揺れる、足元がおぼつかない。駿龍がでたらめに尾を振り回す。警備が気づいた。
「香露、しっかりなさい!」
 扇で横っつらをはたき、混乱を解く。
 耳鳴りを振り払い、向かってきた警備へケロリーナは杖を振るった。
「しんきーかっぱ!」
 先端に生まれた蛙印を警備の胸に叩きつける。簡単に吹き飛んだ。手ごたえのなさにケロリーナはぽかんと口を開ける。
 志体持ちだ。朝の。戚夫人を呼べ。
 警備達が叫んでいる。膜が張ったように声が遠い。ケロリーナは頭を抱えうずくまった。
「行きなさい、早く!」
 ケロリーナをコレットへ押し付け、雪巳は香露を指差した。
「……すまない!」
「雪おにいさま! 雪おにいさま!」
 暴れるケロリーナを抱えコレットが香露の背に飛び乗った。自分で自分に解術を施し、雪巳は警備に背を向けた。
(「巫女の私でも、本気で、討ちあえば……」)
 己が身が凶器に変わる。正気を失うわけにはいかなかった。重い足を引きずり、脂汗のにじむ手で簪を取り出す。
 強い衝撃を受け、雪巳はバランスを崩した。矢が足を貫き、雪巳を地へ縫いとめている。意識が朦朧とする。
 りぃりぃりぃりぃりぃりぃ。
「飲め、おまえのためだ!」
 襟首をつかまれ、口に何かを押しこまれる。抵抗もできず飲みこんだ。
 りぃりぃり……。
 耳鳴りが止んだ。意識が明瞭になり、視界が像を結ぶ。同時に激痛が戻ってきた。矢を受けた苦痛をこらえ、雪巳は顔をあげた。初老の女神官だ。厳しい視線が突き刺さる。みぞおちに拳がめり込み、雪巳は気を失った。