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■オープニング本文 ●選択肢 >声をかけられて >友達と花見に >通りすがりとは俺のことだ >相棒最高ですー! さあ今日も土手を一緒にジョギングだ! ●ハッピーバースデイ、おめでとう自分 ほろりこぼれた花びらが、せせらぎに流れていく。 神座の都のはずれでは、細い川を挟んだ土手の上に桜並木が続いている。うららかな日差しに川辺の芝生が光る。桜吹雪が舞い、遠くは春霞にけぶり、桃源郷のようだ。花見客の賑わいが風に乗り届く。 鳳凰の刺繍が入った派手な着物の少女が、地味な着物の女の子の手を取り、真剣な顔で言った。 「八っちゃん、逃げよう」 「変な勧誘じゃないですよ! 違います、話を聞いてください」 二人の行く手に立ち塞がっていたのは、痩せた気の弱そうな青年だ。 何か思いつめているのか、おめめがぐるぐるしている。 女の子こと八重子は青年を見あげた。 「落ち着くんだよ、お兄さん。このままじゃ浪士組の人が飛んできて、泰国人が幼女に声をかける事案が発生しちまうよ」 ようやく我に返った青年は、姓は玲、名は結壮(リン・ユウチャン)と名乗り、改めて少女ことクマユリに頭を下げた。 「開拓者を、特に四月生まれの方を探しています。ご協力ください。 簡単なアンケートにお答えいただくだけです。 開拓者になった経緯をお聞かせください!」 クマユリは八重子と顔を見合わせた。 「あにさん、それはおいらに言ってるのかい?」 「はい!」 「おいら町人だよ。志体は持ってないし開拓者じゃないさ」 玲は真っ青になり、手に持った紙束を取り落としそうになった。 「失礼しました! 歌舞いた格好なので、てっきり!」 「なるほどぉ。ま、流行にゃ敏感な神楽っ子だからね」 クマユリは胸を張った。隣で八重子がうらやましそうにしている。 「開拓者を探すんなら、すなおにギルドへ依頼をだしたほうがいいと思うよ」 玲が石になった。 「そうか、その手があったか……。頭の切れるお子様だ」 「あにさんテンパりすぎさ。見たところ泰国から来たようだけれど、御用はなんだい?」 開拓者、特に四月生まれの傾向から偏差をとってうんにゃら、専門的なようで単純な話が続いた。 ようするに彼は泰大学の学生で、論文を仕上げて卒業したいのだそうだ。紙束を抱えたままギルドへ走って行く玲の後ろを、クマユリと八重子ものんびりついていく。 「四月生まれの人が集まるんなら、お祝いしたいね。いい日和だし、土手でお花見しながらとかさ」 「八重桜も見頃だもんねェ。開拓者さんが行くならアタイも行く」 二人は手を繋いで歩いていった。 ●彼にも経緯があるんだな 「玲君。卒論はどうなっているのかね」 教授の厳しい声に、青年は冷や汗をだらだら垂らしながら空ろな笑みを浮かべた。 「今やってます」 「ソバ屋じゃないんだよ、うちは。泰大学総合教養学科だ。 泰国の頂点に君臨する学び舎だ、自覚はあるのかね?」 書物に占領された研究室。 厳格そうな教授の前でうなだれているのは、痩せた気の弱そうな青年だ。 青春を謳歌し過ぎて、ずるずると留年。八年目に突入してしまった。泰大学は、基本的に九年目の籍を認めない。 つまり今年卒業できなければ……。 寮へ戻り、ベッドの上で唸っていた玲はがばと跳ね起きた。 「そうだ、研究対象を開拓者にしよう。今注目されてるし、教授も興味津々だ!」 悪くない思い付きだ。善は急げと筆記用具と紙束だけ持って、天儀行きの旅客飛空船に乗る。ゆったらゆったら揺られながら神楽の都までたどりついた彼は、桟橋に立つなり硬直した。 (「す、すげえ、人がいっぱい居て……みんな異人だ」) ここにおいて玲はようやく気づいた。天儀において、彼こそが『外国人』であると。 とたんに足がすくみ、のどがカラカラになってきた。港で相棒の多種多様さに恐れビビリ、ようやく都へ出たら雑踏の熱気に怖気づく。何もかも上品でしとやかな帝都とは違う。 違うけれど、玲は神楽の雰囲気を、なんかいいなあと思った。左右を見回し、開拓者を探す。そうは言っても首に札を下げて歩いているわけでなし。キョドりながら人波に流されているうちに、馴染みある柄を見かけた。 (「あ、泰国っぽい服だ! 開拓者かもしれない。なんか小さいけど、開拓者にはよくあることだな。とにかくアンケートを集めないと!」) 玲は人ごみをかきわけ追いかけた。少女の派手な着物は、その日、鳳凰の刺繍が入っていた。 |
■参加者一覧 / 六条 雪巳(ia0179) / 平野 拾(ia3527) / 平野 譲治(ia5226) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 十野間 修(ib3415) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 高崎・朱音(ib5430) / 丈 平次郎(ib5866) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 一之瀬 戦(ib8291) / ミーリエ・ピサレット(ib8851) / 呂宇子(ib9059) / 朱宇子(ib9060) / 中書令(ib9408) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 一之瀬 白露丸(ib9477) / 月夜見 空尊(ib9671) / 木葉 咲姫(ib9675) / 永久(ib9783) / 宮坂義乃(ib9942) / カルマ=A=ノア(ib9961) / ジャミール・ライル(ic0451) / セリ(ic0844) / 白鷺丸(ic0870) / 宮坂 咲渡(ic1373) |
■リプレイ本文 「姉さん、土手で四月生まれの人達の集まりがあるんだって。桜も綺麗だし、行ってみない?」 「……ふむ。桜日和に朱宇子と出掛けるのも楽しそうね」 「折角の誕生日祝いだもの。おめかしして出掛けよう、姉さん!」 「普段着でいいじゃな……え、さらしから桜染めで? そ、そんなに気合入れなきゃダメ?」 ●春の祭典 「ええ、四月二十三日生まれで、本業は機織です。祖母にみっちり仕込まれました。これと言う強い動機はなく、歌を求めて遠出をしたくなった時に志体を活かそうと思いまして……」 アルーシュ・リトナ(ib0119)は空龍フィアールカの菫色尻尾を撫でつつアンケートに答えていた。 「活躍だなんてそんな、人にお話できるような大事はないと、自分では思っております。今日もフィアールカとのんびり一人と一頭きりも良いかと、最近のお出掛けは誰かと一緒でしたから」 「そんな事はありません! 人生はドラマの連続です。あなたからは何気なくとも、俺からは違って見えます!」 玲の熱意にほだされ、アルーシュは思いをめぐらせた。 「最近でしたら、女の子の名付け親になったり……不思議なご縁です。行く道が平行線をたどったとしても、私は彼女と命懸けで向きあうと決めました。未来を思えば暗澹たる気持ちになる事もありますが、穏やかでありたいと願っています」 話し終えたアルーシュへ礼を言い、玲は次の開拓者を目指し走っていった。 「嵐のような方ね」 川辺に目をやれば、にぎやかな人ごみだ。祝いの品を袖に隠したり、背に回していたり。フィアールカも小石や花に顔を近づけ、長い首をひねる。小さくピカピカした物を見つけ、そっと咥え主人に差し出した。 「まあ、プレゼント? ありがとうフィアールカ、いただくわ」 受け取ったそれは、金属のバッヂだった。泰国風の紋が模られている。 「校章かしら。きっとあの人の物ですね。届けに行きましょう」 竪琴を爪弾き春の喜びを歌いながら、アルーシュは歩き出した。 桜の木の下で、玲は両手を掲げてフリーズしていた。 喉元に宝珠砲を突きつけているのは、幼い少女だ。黒猫耳がぴこぴこしている。 「何じゃ唐突じゃの。我に聞くとは……ふん、まあよかろう。暇つぶしに答えてやるから感謝するがよい」 だから背後を取るでないと、高崎・朱音(ib5430)は念を押した。相棒からくりの翠も重装備を解除する。 「主、どうせ暇なのですし答えてあげてもよいのでは?」 「まあよかろう、生まれは四月四日。度し難い退屈からの解放を求めてじゃ」 「主は長生きしすぎて刹那主義なのです」 「遊女に扮するも強敵と渡りあうも、退屈しのぎよ。掃き清められた平坦な道を覇道とは呼ばぬ。困難など蜂の巣にしてくれるわ、我が後に道はできるのじゃ!」 「主の通った後はぺんぺん草も生えません」 「翠、不満があるなら言うがよい」 「事実を述べています」 からくりの清らかな瞳には、悪気のかけらもない。玲は自分より、かなり、ちんまい少女の言い分に目を丸くしていた。 「どうした。さては見た目に惑わされたか? 修行が足りんのぉ」 「ちなみに、おいくつですか?」 「黙れ小僧。躾も足りんわ、出なおすがよい」 「ある意味、怖いもの知らずです」 応答の報酬を問い、朱音は尻尾をぴんと立てた。 「ほぅ、ただ酒が飲めるとな。我も参加させてもらうかの。祝いとかはどうでもよいがのぉ? 小僧、次に会うときは若造くらいにはなっておけい」 主従は連れ立って、にぎやかな方へ歩いていく。 「……ふう、何か我を楽しくさせることはないかのぉ」 「桜は主の分まで私が見ておきますので、私の分までお酒を飲んでいただけるとよいかと」 二人の話し声を、相棒人妖の夕雁はアーマーケースに座り、足をぶらぶらさせながら聞いていた。ケースには剣をくわえた漆黒の竜の紋章、そして『人狼改 NeueSchwert』の銘が刻まれている。 夕雁の瞳と、同じ色の花びらが視界で踊っている。そのひとひらが、ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)の赤髪へ舞い降りた。丸い肩にも、曼珠沙華を染め抜いた着流しにも、その裾から剥きだしになった白いふとももへも、はらはらと重なっていく。膝枕を堪能しながら、竜哉(ia8037)はまぶたを閉じていた。 光を弾く長い黒髪を、ヘスティアは指先で梳いた。胸の内がほんのり温かいのは、春の陽気が写ったか。無防備に預けられた男の頭は、自分の両腕にすっぽりおさまる。前髪から花弁がほろりとこぼれ、竜哉の頬に触れた。 「八重桜が満開だな、たつにー」 穏やかな寝息が返ってきた。ヘスティアは首をめぐらせた。紙束を抱えた青年がいる。 「四月生まれを探してるんだってな。たつにーがそうだから、話聞いてやるよ」 眠る彼を起こすため、ヘスティアは竜哉の頬へ手の平を当てた。その上から、白い手袋が重なる。ぬばたまの瞳が彼女を見上げていた。 「竜哉、だ。約束したはずだが?」 頬を染め、ヘスティアは口約束をくりかえした。 「そばに居るのと、名前呼び……今日は一日、竜哉の言いなりだからな」 納得したように竜哉はうなずき、寝返りを打った。膝枕されたまま玲を見上げる。 「あ……? 質問? 手早く頼む」 話を聞いた竜哉は小さく息を吐いた。 「十七日だ。……何月だって? 四月に決まってるだろう、いちいち説明させるな。経緯もだ。んなこと聞くなんざ悪趣味だな……。別に構わんが、ただ話すと言うのも芸がない」 竜哉は体を起こし、アーマーケースを拳の裏でたたいた。 「例えば、一枚のコインがあるとする」 そのまま手を上にやり、夕雁の頭を撫でる。 「表と裏、同じ物だけど壁一枚隔てて全く違う。もし、何かの拍子に表と裏がばらばらになってしまったら、コインはどうするのだろう? 欠けてしまったものを埋める為に、歩き始めるんじゃないかな。見たことすらない、自分の半分を探すためにね」 わかったような風で熱心にメモを取る玲へ、うっとおしげに手を振る。ヘスティアは笑ってその手を包み、杯へ酒を注いだ。立ち去る玲を見送る。 「救生の白き巨人は赤く染まり、手探りの戦いも終わりが見えてきた。コインが一つに戻る時、何が起きるのか」 ヘスティアの肩へ頭を預け、竜哉はうそぶいた。 「願わくば、花の下にて、春死なん、てな。……冗談だ」 竜哉の頭がずり落ち、再び膝を枕にした。 「なあ竜哉、分かれたコインは互いの道を行くかもしれない。竜哉はそれを孤独と呼ぶかもしれない。だけど、俺は俺の道をゆく。ただ、一緒に行ける人がいると幸せだよな」 飄々とした声音には、確かな信頼がにじんでいた。竜哉がくすぐったげに笑う。 まさか自分達を、キラキラした瞳が見つめているとは知らずに。 (「いいなあ、あれ!」) セリ(ic0844)は両の拳をぐっと握った。六条 雪巳(ia0179)をチラ見する。友人達に囲まれ、彼は心からの笑みを浮かべていた。 「たくさんのお祝い、ありがとうございます」 祝辞を受け取り、互いの冒険譚に花を咲かせる。輪の中心にいる雪巳とセリの間には距離があった。けれども心は寄り添っていると、セリは知っている。何故って雪巳の袖口から、腕輪が見え隠れしているからだ。見覚えのあるそれが陽光を受け煌めくたびに、セリの胸は淡く色づいた。人の輪が切れたのを見計らい、元気よく手をあげた。 「ゆーきーみっ! お誕生日おめでとうっ♪」 「贈り物たしかに受け取りましたよ、セリさん」 豪奢な銀灰色の髪に、今日の桜を写し取ったような花かんざしが揺れている。自分が思いをこめて選んだ一品と気づき、雪巳は笑みを深くした。 「誕生日をセリさんとご一緒できて、私もとても嬉しいです。お祝い、ありがとうございますね」 両袖の裾をそろえ、深く頭を下げる。 「そんなにかしこまらなくてもいいのに」 「親しき仲にも礼儀ありと申します。親交を深めたい方にこそ、折り目正しく接するよう心がけております」 「ほへ?」 人差し指を頬に当て、セリは彼女なりに三段論法を展開した。 なかよしさんにも礼儀正しくしよう。 なかよくなりたい人にも礼儀正しくしよう。 なかよくなりたい人には礼儀正しくしている、と雪巳が言った。 雪巳は照れくさそうに肩をすくめ、ついで満開の梢を見上げる。 「八重桜はセリさんのようですね。まとまった花弁が華やかで、けれどとても可愛らしい……」 どこかぎこちない雪巳の立ち姿を眺めていると、セリの方もなんだかふわふわしてきた。頬が火照る。 (「あれえ……。私、今日は一滴も飲んでないのに」) 人妖の火ノ佳がひょいと顔を出し、主人に聞こえないようセリへ耳打ちした。 (「わらわはセリの事も好きじゃからな。頑張るがよい!」) そしてセリの相棒、尻尾だけ灰色の黒い駿龍フクロウまですいすい飛んで行く。 セリが雪巳へ一歩近づいた。華奢な、けれど広い手と、誘うように揺れる巫女服の袖と、どちらにしようか迷ってセリは、腕に飛びついた。驚く雪巳の肩へ頬をすり寄せる。 「ありがとう! 気に入ってくれて嬉しいよ!」 腕輪なのか自分なのか、それとも両方か。考えるのはやめにして、雪巳はセリを見つめる。体全体で、すなおに好意を表すのは、彼女が踊り子だからだろうか。八重桜にも勝る満開だ。ほんわか気分をかみしめた雪巳は、さっきから木陰で様子を伺っていた玲を手招きした。 「はい、お察しの通り四月生まれです。二十一日に年を重ねました。経緯は……人に勧められてなので、語れる事も少なく。大切な仲間が増えた事は、開拓者になって良かったと思いますけれど」 言いながら腕輪をさする。さっそく鍛冶屋へ赴き、腕輪の内側へ記念日と送り主の名前を彫ってもらった事は、隣の可愛い人には、もう少し内緒にしておこう。 静かだった。喧騒がうそのようだ。聞こえるのはせせらぎだけ。相棒からくり因幡と桜桃と呼ばれる駿龍もまた、沈黙を続けている。こぼれる花びらが隣のかわいい木葉 咲姫(ib9675)の肩に止まる音さえ聞き取れそうだ。 頬を染めたまま言葉少なに酌を続ける咲姫の、白魚のような指、ほっそりした首。月長石の輝きの髪と、隙間からつつましくのぞく修羅の証。順に視線をめぐらせながら、杯を重ねるつど月夜見 空尊(ib9671)は面映ゆい心地になる。 「……ふむ…ぬしも、飲むか…?」 「……私も、ですか?」 咲姫がまばたきし薄い唇を半開きにした。自分が酒精に弱いと空尊はよく知っているはずだ。 「折角ですから……一杯だけ」 空尊の青白い手が片口を取る。朱金の杯を咲姫に持たせ酒をそそいだ。清く澄んだ水面に花弁がひとひら舞い降りる。咲姫は感慨深くそれを見つめ、空尊と同じ場所へ口づけた。 彼にしてみれば舐めるほどの量でも、咲姫には大杯に等しい。飲み干した彼女はほんのりと頬を赤らめ、空尊の肩へ頭を預けた。しばらく頭上の桜を見つめていた空尊が片口を置き、咲姫へ目を向ける。指先が彼女のすべらかな髪を一房、そっと掬い上げた。 「誕生の祝い……何か、贈り物をと…思ったが……」 「こうして、お言葉をいただけて嬉しゅうございます」 見上げて来る瞳のまぶしさに内心驚いた。年年歳歳と言うが、まったくこの花は、またたきのたび新たに咲くではないか。空尊は言葉を続けた。 「……花や…宝飾も、考えたのだが…。……我を…というのは、どうだろうか…?」 「…え?」 思いもしなかった彼からの告白に、咲姫は呼吸を止めた。 「……空尊さんを、ですか…?」 動きも、思考も、鼓動も、止まってしまった。時までも。ぼんやりとにじんで見えるのは、ただ彼が顔を寄せたからだけだろうか。吐息がかかるほど間近で、空尊は緩く首を傾げた。 「……どうだ?」 「…それは、永久を、願ってもよろしいのでしょうか…?」 頬を熱い物がつたう。咲姫の涙を空尊の指先が拭った。 「…ぬしが願うなら…永久に…。…永久に…ぬしの為に、我の全てを……」 「……私は、本当に幸せ者にございます」 こみあげる感情が胸を揺らす。喜びの叫びを押しこめ笑みを形作る。続けて落ちた涙ごと、空尊は咲姫を抱き寄せた。涙の跡へ口付ける。咲姫が上向き、頬に軽くキスをした。恥ずかしげにうつむき、乱れた衿を整える。 「……むしろ…我の方が…貰っている、な…」 笑みを誘われ、空尊は彼女のおとがいを取る。八重桜の下、影が重なった。 踏み出すたび、地に落ちた花弁が踊り藍色の甲龍、闘幻の影に重なる。一之瀬 戦(ib8291)は炎龍炎來の背にいる妻の手を取り、降りるのを手伝う。 「転ぶなよ、鶺鴒」 ぶっきらぼうな、どこか温かい口ぶりに、天野 白露丸(ib9477)はおとなしくついていく。一歩一歩確かめるように、慎重に、ゆっくりと歩んで行く。けれど、つまづくことがあっても、戦が抱きとめてくれるだろう。胎の中のちいさな命ごと。踊る花びらが、前途を祝うように小さな渦を巻いた。白露丸が目を細める。 「すっかり暖かくなって、春になったな……風も気持ち良いくらいだ」 土手の下に探した相手を見て取り、二人は階段を降りた。夫婦を出迎えたのは、忍犬の千古と、駿龍雨水、そして妻と瓜二つの白鷺丸(ic0870)。 弟の隣に立つその人に視線が縫いとめられる。紹介するよりも先に、白露丸の唇から驚きがこぼれた。 「……鷹兄さん…?」 覚えの無い名で呼ばれた永久(ib9783)は目を伏せる。鈍い頭痛に耐え、彼女の声が胸に落ちるのを感じていた。すとんといけば、声は綺麗な思い出に変わり、棺の中で眠る永久の記憶をノックしたのだろう。だが、まろやかな声は闇に吸い込まれた。 静かにかぶりを振り、傍らの同居人、白鷺丸に肩をすくめて見せる。上げた口の端は、苦笑に似ていた。改めて同居人の姉へ向きなおる。 「初めまして。……では、ないのだろうね。こんにちは」 「鷹兄さん、まさか記憶が……?」 白鷺丸がうなずきを返す。沈黙は雄弁に永久の欠落を語っていた。姉は痛ましげに眉を寄せる。 「……二人きりで、暫し、話をしないか。何か、思い出せたなら……」 弟も真摯な面持ちで切り出す。 「心配はないと俺が保証するが……大丈夫だろうか?」 今日の花見の目当ては、姉と鷹兄を会わせる事。自分にだけ事前に伝えられてはいたが、いざとなると。 (「正直野郎と二人きりにさせんのは嫌だけど、話してぇ事は山程あるだろうからな。監視する気はねぇが鶺鴒は身重だ」) 胸をかすめた不安を消し、戦は鷹揚にうなずいた。 「……今回だけだぞ」 妻の頭をぽんぽん叩くと、弟を連れて土手に上がる。 散り落ちる花をながめ、永久はぼそりとつぶやいた。 「……鷹という名前だった頃…俺も、こうやって桜を見たのだろうか…」 故郷が燃え落ちたとき、消えてしまった幼馴染。傷もあり、大人っぽくもなっているが、面影は忘れようもない。疑いようもなくこの人だと、白露丸は確信する。 冥越で起きた悲劇が彼らを別った。神楽の都で、運命の糸は縒りを戻しつつある。しかし、子供の頃、そのままではなかった。永久が白露丸に顔を向ける。彼女の襟元には、戦が手ずから選んだ首飾りが光り、左の薬指では思いのこもった指輪が控えめな輝きを宿している。 「悪いが……今の『永久』という人生を自分は気に入っている」 「……そうか…」 白鷺丸がうなだれ、すぐにおとがいを上げた。穏やかな微笑を浮かべて。 「それでも、また会えて嬉しい」 心から再会を喜ぶ彼女に、永久のこわばりも解きほぐれていく。 二人の様子を、戦は土手の上から見つめていた。白鷺丸が義兄へ丁寧に頭を下げる。 「……わざわざ来てもらって、すまない」 「いや、構わねぇよ。俺もお前ぇに言わなきゃいけねぇ事あっしな」 姿勢を正した義弟に、戦は続けた。 「鶺鴒と婚姻した。……子供も、十月頃に産まれる」 ぽかんと口を開けた白鷺丸に、戦は頭をかいた。白鷺丸の視線が宙をさまよう。けぶる春霞がやわらかそうだった。彼は先ほどよりさらに深く腰を折った。 「……色々と迷惑をかけるかもしれないが、姉を宜しくお願いします」 何も言わず静かに笑みを返し、戦は懐手を組んだ。妻の方でも話が終わったようだ。土手を降りる。愛しい人に寄りそう。すると、彼女は戦の袖を軽く引いた。 「二人で、話してきたのか?」 「あぁ、婚姻の事も子供の事も話したよ」 「ふふ、嬉しいよ。……ありがとう、旦那様」 白い手が伸び、戦の頬を撫でる。夫は童のような笑みを浮かべた。こころなしか頬が赤い。 「……如何致しまして」 おかえしとばかりに妻の手を取り、銀糸に彩られた額へ口付けを落とす。微笑ましい新婚の姿を前に、白鷺丸は我知らず口をへの字にしていた。 「……いや、幸せそうで何よりだ…」 「どうした相棒」 切れ長の瞳を細め、永久が白鷺丸の肩を叩く。弟分はため息をついた。 「何よりだ……。……だが、色々とすっ飛ばされた感が否めない…」 「……幸せならば、それで良い。…他の誰でもない、自分で掴んだ幸せだ…それに勝る宝はないと思うよ」 白露丸へ告げた言葉を、白鷺丸へも伝える。彼女へ告げたときにはまだ硬かった言葉が、彼へ伝える時は心からするりと出てきた。 姉の白鷺丸は、河面をゆく風を受けた。つかんだままの夫の袖を引き、甘い声で耳打ちする。 「……ずっと、一緒に…来年は、皆で梅を見たいな」 帯の上からそっと腹を撫でる女の横顔には、母になる喜びがあふれていた。 拾(ia3527)は生気にあふれる眼差しを玲に向けた。 「四月の二日生まれです。いつもは、この日が来るたびに落ち込んだりもしました。この五年間、お父さんのいない誕生日は誰に祝って貰っても嬉しくありませんでしたから……」 失踪した父を探すため、拾は開拓者になったのだという。 「でも、今年は違います! 大好きな人達と一緒に桜を見て、美味しいものを食べて……。誕生日の季節が来るのが、こんなに嬉しい事だって思い出せました! お二人のおかげです!」 拾の後ろには、てんで正反対な男二人。糸目が何処となく思慮深さを感じさせる陰陽師姿の少年と、修羅場を渡り歩いてきた感のある貫禄有るサムライ風。平野 譲治(ia5226)と丈 平次郎(ib5866)だ。 拾の旅の成果が、二人の人物との出会いだった。支えあい励ましあってきた少年、そして記憶を取り戻した父。 「足を伸ばした甲斐がありました。花びらが小川にたくさん流れていて、とてもきれい。ね、じょーじ!」 ぴょんと譲治へ飛びつき腕を取る。気のおけない間柄のようだ。玲もついでに質問した。 「今日はどういった御用件で」 「んー……たぶん友達と花見にだと思うなりが、おいらとしては家族ときた、なりよ?」 頭をわしわしかきながら答える譲治。それを聞いてごきげんな拾。甲龍の蓬はうれしげにしっぽを振り、その先っぽで羽妖精にしてはガタイのいい小村 雄飛が揺られている。そして一人、鬼瓦の渋面でピリッピリしている平次郎。 (「……娘の誕生日を祝うのはいい。何年振りか。だが恋人と対面させることがプレゼント代わりとはな。時の流れの無常さよ……」) 血走った目が茣蓙を広げる二人を見据えた。甲龍の甲が傍目にもわかるほど、あたふたしている。放浪の果てに巡りあった亡き妻の一粒種は、面影はそのままながらもやっぱりけっこう育っていて、まあ当然年頃にもなっていたりするわけで、おい何勝手に赤飯広げてんだよ、俺だって団子を持ってきたんだ、長幼の序を無視するんじゃねえ、おまえだよおまえ、そこのデコ。 「おめでとうなりよ拾っ! いつかに言っていた、しょーっぱいお赤飯っ! 作ってきたなりよっ! さっ! 全力全開でお祝いなのだっ!」 お重を並べた譲治がヴォトカの封を開けた。平次郎はしかたなく茣蓙の隅に座る。 「拾の父上も皆も楽しむのが一番なりよっ! まずは一献なのだっ!」 自ら酌をしにきた譲治を見つめる。注がれたのは舐めるほどの量だ。どろんとした眼が譲治を映す。彼はあわてて手を振った。 「きつい酒だから量を加減したなりよっ!」 「俺がジルベリア酒ごときでぶったおれるとでも?」 しぶる譲治にコップを突き出し、なみなみと注がせる。拾は二人の顔を見比べる。 (「喧嘩しちゃうかもと思いましたけど、大丈夫そうですねっ。お二人とも早速仲が良さそうなのです♪ あっ、『平次郎』さんの時に、お父さんとじょーじは会ってるんでしたね! でしたら仲良くなるのには問題ないですよねっ」) 一気飲みした平次郎が、ぱったり倒れた。微笑んでいた拾が真っ青になる。 「お父さん!」 「パンチのある酒だったぜ。拾、おまえは飲むんじゃ、ねぇ、ぞ……」 「お父さあああん!」 「なぁに、川でも見てりゃすぐ治らぁ」 言うなり平次郎は二人に背を向け、芝生に寝そべった。後ろ手で包みを差し出す。 「……ほら、食え。今日は祝いの席だ。無粋な事は言わねぇ。俺の事は構わず、拾のために楽しめ」 譲二が包みを解くと三色団子が現れた。それを受け取り、拾は無邪気な笑みを浮かべる。 「ひろい、お父さんとじょーじが仲良くなってくれたら、とっても嬉しいのですっ」 「が、がんばるなりっ! 期待してもいいなりよっ!?」 それから、こそっと彼女の耳元へ呟く。 「拾の笑顔が見られるだけでおいらは幸せなのだよっ♪」 ぱあああ。 拾の背景にも花が咲いた。 初々しい二人に声をかけるのも気がひけ、玲は礼も言わずに場を離れた。思い思いにくつろぐ相棒達の尻尾をまたぎ、人ごみの中に見つけたのは背の高い麗人だ。泰国の、泰国風でなくまんま泰国な、服を着ている。声をかけられ、冥越之 咲楽(ic1373)は玲を振り返った。枝垂桜の簪がしゃなりと鳴る。 「何かご用かしら?」 (「あれっ! 声低い!」) 返事の声色はもろに男だった。凛々しいと言ってもいい。棒立ちになった玲を相手に、小首などかしげて見せる。目元に引かれた紅が艶やかだった。そこへ包みをぶらさげた宮坂 玄人(ib9942)がやってきた。咲楽と玲を交互に見た玄人は、またか、と半眼になり唸るように言った。 「……兄だ」 「はい、兄です。ハハッ」 爽やかに笑った咲楽は腰をおろし、玄人の買ってきた桜餅を玲にも勧めた。 「私は四月朔日よ。誕生日は過ぎちゃったけど、楽しみましょう。この格好? 師匠の影響よ。お金に困った師匠が自分のお古を着せてたからね。倹約家だったけど針は苦手な女性だったから」 「現在は自分の意思で着ていますが」 「余計な事言わない」 相棒からくりのティルの額をこつんとやる。ティルは無表情のままだ。玄人が後ろ頭の一本角をさすった。 「女装趣味に目覚めてさえいなければ、素直に祝えるんだがな……」 (「あれっ! 声高い!」) 黄色いわけではないけれど、玄人の声色は女性のものだった。再び固まった玲を尻目に、羽妖精の十束が色の違う瞳をしばたかせた。 「? 玄人殿は男装してるのではないのか?」 「俺のは男装じゃなくて素だから……って悲しい事言わせんな!」 「フンドシを愛好しているのは、戦の体捌きを考慮してではなかったのか」 意外そうな相棒の言に、玄人はくやしげに拳を握った。十束は気にせず咲楽へ顔を向ける。 「そういえば、咲楽殿とは一度も手合わせをしたことが……」 「そういうのは後にしような。誕生日、おめでとう咲渡」 十束を押さえ、玄人は兄の湯飲みへ徳利を傾けた。甘酒がとろりと流れ、兄とそろいの簪がしゃらんと鳴った。冥越の隠れ里を襲撃された兄妹の数奇な運命は、開拓者ギルドで紡がれていた。下の兄は師に命を救われ、妹は不退転の覚悟を抱いて。 「ありがとう、義野」 咲楽が目元をゆるめる。玲へも酌をした彼は経緯を聞かれ、軽い調子で答えた。 「単純に広い世界を見てみたかっただけよ。天儀には、故郷にはなかったものだらけで知れば知るほど面白かったしね。まさか、妹と再会するとは思ってなかったけどね」 おそるおそる玲がたずねる。 「あえて聞きますが、下には何を……」 「あ〜ら、泰国のスタンダードはご存知でしょう?」 ほろ酔いのジャミール・ライル(ic0451)は、人いきれの中、背筋を伸ばした。日は中天を過ぎ、あたりは宴もたけなわといったところだ。笑い声のしたそちらに頭をめぐらせると、咲楽と玄人の姿。隣で正座したティルが言う。 「楽しむのはいいですが、四月生まれとして協力するのを忘れずに」 とがめるでもなく淡々と告げられた言葉に、しかしジャミールは唇を突き出した。浮かれ騒ぐ人の群れで、ティルの声はよく通った。けれどもそれ以上に、ジャミールの方が耳を傾けてしまったのかもしれない。 「全部、代筆させたやつに適当に決めさせただけだしなぁ……」 語尾にため息が貼りつく。 四月十八日が、彼の誕生日だ、書類上は。アル=カマルの貧民街に生まれた彼は、長じた今も読み書きができないでいる。不便に思ったことはない。それこそ、開拓者ギルド登録願書を書いたときくらいだ。それも結局、代筆ができる相手に押しつけた。 持つ者は持たざる者へ惜しみなく手を貸すべきだと、ジャミールは思っている。対価はくれてやっているとも。だが樹を見上げ生まれを数える人々の、虚飾のない笑顔よ。風を冷たく感じるのは、胸に開いた穴のせいか。 相棒、ということで成り立っている間柄の、迅鷹ナジュムは、主の悩みなど何処ふく風で毛づくろいを終え翼を広げた。風に乗り、ゆっくりと川に沿って飛んで行く。ナジュムを追ったジャミールの目が、一人の男にとまる。にぎわいから離れ、手酌をしている男が何故か気になった。 「おじさんおじさん、お酒足りてる?」 酔客からくすねた徳利を掲げると、カルマ=A=ノア(ib9961)はうさんくさげにジャミールを一瞥した。 「おまえも誕生日ってやつか?」 「あー……どうだろ、ね。俺が育った場所では、季節や月日なんて数える奴はいなかったから」 胡乱な顔つきのままのカルマに、ジャミールは愛想笑いを浮かべた。 「いいじゃん。きれいな花は大事にしようよ。してくれてもいいよ?」 ちゃっかり隣へ座ったジャミールの言い様に、カルマは喉を鳴らした。アリスと名づけた炎龍の頭を撫でる。 「ま、綺麗なもんを見ながら飲むのも、良いもんだ」 杯へ注がれる濁り酒に口の端をあげる。 「ワインやブランデーが良いが……まあ、酒なら何でもいいさ。酒が美味くて、天気も良くて、花も綺麗だ。いつ生まれて死ぬかもわからなくとも、気分よく生きてれば十分だろうよ」 乱暴に頭を撫でられ、ジャミールは満腹した猫のように目を細めた。 ●桜の木の下には 相棒いろは丸の頭を撫で、音羽屋 烏水(ib9423)が桜並木を行く。 「難しい話はよぉ分からんが誕生祝に賑やかしでもするかのぅ。来月でありゃ友の誕生日だったんじゃが、めでたいのはいいことじゃしなっ」 三味を弾き、気の向くままに歌う。雑踏の中でも彼の声は朗々と響いた。 「逢うて別れてぇ、別れーて、逢うて〜」 ぺけぺんっ。 「末はーぁぁ、野のはーなーぁぁあ」 「あにさん、いい声だね。こっち来て唄っておくれよ」 泰国人らしい青年の近くで、小さな女の子が手を振っている。手を振り返した烏水はいろは丸を連れ川原へ降りた。 「もふらさまだ!」 クマユリにもふもふされたいろは丸が、のんびり口を開く。 「某はもふらではなく、すごいもふらもふ」 「どんなところがだい?」 「天は割れ地は轟くもふが、本気を出すのは風情がないもふ。良い景色もふ。暇つぶしに某と川柳一句、詠んでみるもふか?」 「んー、んー?」 「お手本もふ。川波に 重ねて馳せし 心太」 目も口も丸くしたクマユリが相方の肩を揺さぶった。 「八っちゃん、すごいもふらさまがすごい!」 「すごいんだからすごいに決まってるよゥ」 何故か自分の手柄のように胸を張る八重子に、烏水は目尻を下げた。 「しかし見事な桜じゃなぁ。それに劣らず、クマユリの着物も見事なものじゃのぅ。八重子は落ち着きくれる色合いと、二人揃えば八重の桜が一本の木の如く、じゃな」 「まあね、そんなこともあらあな!」 「……ありがとゥ」 鼻高々のクマユリが胸をそらし、八重子は恥ずかしそうに後ろへ隠れた。 「そちらのお嬢さん方は、おきゃんな椿におしとやかな蘭の振り袖がすばらしいのぅ。冬の花に連れられ春の花が桜の下に集ったのじゃなぁ」 「そこまで気合入れては……いるけど」 姉の呂宇子(ib9059)の隣で妹の朱宇子(ib9060)はうれしげに微笑んだ。左右で大きさの違う角が目を引く。 「ね、おめかしするの楽しいでしょう、姉さん!」 「……っていうか、振り袖着るなんていつぶりかしら。衣装に負けてる気がするわねえ、私」 「いや絶景かな絶景かな。揃いの紐飾りが茜の髪に映えて、値万両じゃのぅ」 「音羽屋さんたら、お上手ね」 とんでもないと首を振る烏水に朱宇子の笑みが深まる。にやけ気味の妹につられ、呂宇子も照れた様子で頬を押さえた。鋼龍のナミは、落ち着かない様子の鋼龍ナギに頭をすりよせじゃれついている。 「お二人は双子でいらっしゃるのかな」 「そうよ双子だから、生まれた日は一緒」 玲が聞き耳を立てている。烏水はぴんときて水を向けた。 「二十二日よ。朱宇子もお誕生日、おめでと。これからもよろしくね」 「誕生日おめでとう、姉さん。こうやって、故郷から離れた土地でも変わらずお祝いできて、嬉しいよ」 言いながら妹は姉のほつれ髪を直す。経緯を聞かれた二人は過去を思い返した。 「そーねえ……陽州の封印が解かれて、開拓者の存在を初めて知って、このまま陽州で骨を埋めるよりか、天儀をこの目で見てみたかったの。私らにしてみたら、おとぎ話の場所みたいな感じだったしね」 「私は姉さんに説得されて、ですね」 烏水と話しこむ呂宇子と朱宇子。話し上手聞き上手な烏水を相手にしていると、雑談が積もる話に変わった。 「最初は身体の弱い母を置いていけないって喧嘩もしたんですけど、今はこうしてたくさんのものを見聞きできて、良かったなと思ってます」 「真夜中の精霊門をくぐるたびにわくわくするの。何が私達を待ってるんだろうって。あら、あなたも陽州の出かしら」 呂宇子に招かれ、中書令(ib9408)が会釈をした。額に一本角がある。裾をそろえて座った彼は、烏水と玲の質問に、支障の無い範囲でと前置きし語り出した。 「四月の二十日に、生を受けました。貴方がたが陽州と呼ぶ区域は、長らく交流を閉ざされた場所であるのはご存知かと思います。他の場所へ行き来できるようになって、世界の見聞を広める為、嗜みとして磨いていた歌謡の種類を増やす為、吟遊詩人として開拓者の道を選んだ次第です」 「やあ中書令さん、奇遇だね」 振り向くと魔術師らしい少女がいた。 「お花見パーティーしようよ。早紀ちゃんがボクと真紀ちゃんのためにご馳走作ってくれるから、一緒に食べよう」 神座亜紀(ib6736)の誘いに乗り歩いていくと、椅子とテーブルが並んでいた。ランチョンマットの上には目にも鮮やかな異国料理の数々。 「希儀風のケーキを作ってくれるんだよ。美味しそうだね♪ エルもそわそわしてるよ」 「チーズケーキですって。希儀風はまだ食べた事がないの」 背の高い提灯南瓜が大きな頭を揺らした。クマユリは背比べをはじめ、八重子は異国と聞いて興味が湧いたらしい。気づいた亜紀が八重子の手を取り、調理器具セットと格闘する下の姉、神座早紀(ib6735)に近づいた。何か待っているのか、土手の方をなんども振り返りながら作業をしている。 「ゆでたじゃがいもを潰して、タラコとよく混ぜたら塩コショウで味を調えて……」 八重子が小さな瓶を差し出した。 「お姉さん、これもどうぞ」 「あら、キャビア。どうしたの八重子ちゃん、こんな珍しい物を」 「そこの旅泰さんがくれたんだよゥ」 顔を上げた早紀が手を叩く。 「呂さん! 呂さんじゃないですか!」 ずしゃあああ。 「何故私の顔を見るなり机の下に隠れるんです!?」 「最近穴があったら入りたい事が多くて……皆さんの応援だけして帰ろうかと」 「そう言わんと出てきて一緒しいな。ほんまは早紀の料理楽しみにしとるんやろ。せや、うちの春音も誕生日の歌、歌ってくれるんやて♪」 にじにじ後ずさる呂の隣に神座真紀(ib6579)がしゃがみ、頭を撫でた。小隊『姉妹の絆』隊長、そして早紀と亜紀の姉にして神座家の屋台骨だ。早紀も明るい声をあげる。 「他の皆さんの分も作るのでぜひ食べてくださいね♪ 今日は姉さんと亜紀の誕生祝なので……」 「あのー」 背後から声をかけられる。おぞましい感触が背筋を走り、早紀は反射的にストレートを打った。金属を叩く音が立つ。痩せた青年の前に、紅を引いた娘が立ちはだかっていた。差し伸べた泰剣の柄が、早紀の渾身の右を逸らしている。 相棒からくりの月詠が割ってはいった。 「俺の早紀の肩を叩いていいのは、女性オンリーだぜ?」 娘は後ろで震え上がっている青年の手をつかみ、退散しようとした。亜紀が目を丸くする。 「あれ、結花さんだ。もしかして兄妹?」 すました顔で首肯する結花に、結壮は紙束を押し付ける。 「ゆ、結花、兄の代わりにアンケートを集めてくれ」 「お兄ちゃんたら。自分の課題じゃない!」 あまり似てないなあと亜紀は思った。 土手の上から誰かが近づいてきた。一人は猫族の女、もう一人はがっちりした体つきの、優しげな目をした男。十野間 修(ib3415)だ。後ろから駿龍ルナがついてくる。参が手をあげた。 「ちはーっす。夏野菜お届けにあがりましたにょ」 待ってましたと飛んでいく早紀。 「やーん泰国直送! 注文どおり皮がぱつっとしてて実がはちきれそう、きっと姉さんも満足してくれるわ!」 さっそく食材をためつすがめつする早紀に、重箱を持っている修がたずねる。 「戚史さんを探しているのですが、ご存知ですか」 「呂さんなら、そちらに」 ずしゃあああ。 「呂さん隠れんで出ておいで、修さん待ってはんで」 「後ろめたいことでもあるのでしょうか」 気を取りなおした修は、ほらほらと蒔絵のお重を見せた。開くと色目もよい料理の数々。呂が喉を鳴らす。下には氷が敷き詰められていた。 「妻の手料理をお裾分けにきました。俺の祝い用ですが、美味しく出来たので、戚史さんにも是非食べて欲しいそうですよ。お勧めはこのケーキです。義妹が氷を作ってくれたおかげで出来たてのままです」 「ひょっとして四月生まれですか?」 結壮の問いに修は快活な笑みを返した。 「ええ、二十三日です」 経緯を聞かれ、しばし頭をひねる。 「しいて言うなら環境ですね。妻の実家とは元々が遠縁だった事もあり、幼い頃から親密なお付き合いをしてましてね。 義父母の、志体を持って生まれた以上、その力は力無き人達の為にこそ……。幼くして親を亡くした子供達の為に……。そう言った考えや教えに感化され、妻共々何時の間にか開拓者の道を歩んでいたように思います」 居住まいを正し、真紀が答えた。 「あたしは四月二日なよ。もう誕生パーティいう年でもないけどやっぱり嬉しいもんやね」 亜紀も返事をする。 「ボクは四月二十九日。開拓者になったのは、神座家がアヤカシ退治を生業にしてるってのもあるけど、色んな場所の言葉を研究したいのが一番大きいかな? 開拓者になれば色々な所へいけるしね。泰の言葉も、もちろん興味あるよ」 玲を見上げる亜紀は、知的な面差しに年相応の好奇心がきらめいている。真紀も艶やかな黒髪をかきあげ続けた。 「家業もあるけどあたしは皆が明日を諦めんと希望を持って暮らしてもらいたいから、皆の明日を守る為に、かな」 礼を言う玲に真紀は小声で話した。 「さっきの続き。母さんが信じてくれた事を証明する為にも、やねん。母さんはあたしを護る為に死んだ。あたしが母さんより強くなるって信じて。せやから……」 言葉を切り、ためらいがちに零す。 「ただ、それは妹達には言うてないんよね」 家長ははしゃぐ妹達を眺めた。眼差しに慈愛と寂寥がにじむ。まぶたを閉じた姿は、黙祷を捧げたように見えた。目を開いた真紀がテーブルの品々に、にっと笑った。 「さて、早紀の料理ができたみたいやからいただこか」 ケーキのろうそくを吹き消すと、わっと歓声が上がった。砕いたナッツを練りこんだケーキを味わう。はちみつの風味が味に彩を添えていた。 「うん、美味しいわ腕上げたな。流石あたしの妹やね♪」 「……まだ、姉さんには敵わないです。料理も、開拓者の腕も」 顔を真っ赤にした早紀が感極まって叫んだ。 「だって姉さんは世界一ですもの!」 机の下から出てこない呂の隣へ、中書令が座った。人妖の鈴も正座する。 「呂戚史さん。あなたに聞いていただきたい事があるのです」 手を口元に添え、呂にだけ聞こえるよう声をひそめる。 「実は私の家は……」 風がざわめいた。 にわかに空が掻き曇り、冷たい風が吹きつける。何事かと立ち上がった人々は、東の空に光点を見た。みるみるうちに光が広がり翼を広げた天使になった。張りのある声が響く。 「真、打、登、場!」 光の翼をはためかせ、高らかに宣言したのは勝気な、目が覚めるほど美しい少女だった。 「はぁーい、私が来なくちゃ始まらなーい! いつでもどこでもなんでも無敵、リィムナ・ピサレット(ib5201)でーす! 皆さん誕生日おめでとー! お祝いに来ました!」 暗雲が散り失せ、青空が広がる。まるで彼女が呼び戻したように。相棒で友人になる迅鷹サジタリオの翼を収束させ、彼女は高度を下げていく。どこからともなく厳かな曲が流れ、並木が乱れ咲く。中書令は気にせず話を続けた。 たーんたーんたーん、ちゃちゃー(↓)。ずんでんずんでんずんでん。 「此方で言う……を代々担って」 たーんたーんたーん、ちゃちゃー(↑)。どんでんどんでんどんでん。 「……最も私の場合」 ぱぱぱー、ぱーぱーぷぁー! どんでんずんでんだんでん。リィムナが大地へ舞い降り、割れんばかりの拍手がおこる。 「……扱いでしたけど。お分かりいただけましたか」 「はい」 すべてを聞いた呂は真面目な顔で中書令を見上げた。 「知られたくないお話だったのでは?」 「私なりの『けじめ』です。……久し振りに戚史さんの素顔を見た気がします。あなたが泥沼へはまっていなければよいのですが」 うつむく呂の手首の紐輪に目を留め、中書令もまた面を伏せた。 彼らの奥、人垣の中央で、やんやの大喝采を受けているリィムナ。拍手はまだ鳴り終わらない。 「リィム姉すっごーい! 今のはどうやったのだ!?」 「風向きが良かっただけ! あたしくらいになると、千載一遇は見逃さないわけよ!」 「わーすごーい! あのねあのね、そんなリィム姉に、リィム姉だからこそできるプレゼントが、ミーリエちゃん欲しいのだ!」 末の妹、ミーリエ・ピサレット(ib8851)は、後ろに組んだ手をもじもじと動かした。何か隠している。 「これに署名して♪ 今年のプレゼントはこれがいいのだ♪」 差し出した紙束には、たどたどしい字が並んでいた。 『おしおきみがわりけん こうのぎょうむいたくにかんしてつぎのとおりけいやくをていけつする。こうがうえのおねえちゃんにおしりぺんぺんされるときはおつがこのぎょうむをすいこうする。ほんけいやくにさだめのないじこうまたはほんけいやくのないようにぎぎはみとめない。 こう みーりえ・ぴされっと おつ 』 「で、ミーリエがこれ出した時はリィム姉が身代わりになるの♪」 姉の顔が引きつった。 「そんなの嫌に決まってるでしょ……」 声に力がないのはお仕置きの恐ろしさを身にしみて知っているからだ。眉をハの字にしたミーリエが唇を尖らせる。 「……嫌? そっか〜」 やおら群衆を振り返り、両手をメガホン代わりに叫ぶ。 「皆さーん! リィム姉は今朝もおねしょ……」 「分かったあああ! 名前書くからっ!」 妹の口を塞ぎ、リィムナは筆を奪い取った。 「……聞き分けが良くて助かるのだ♪」 ごきげんで券を懐に収めたミーリエは、寄ってきた玲の質問に答え出した。 「ミーリエは十四日生まれなのだ! 三人のお姉ちゃんがみんな開拓者になったから、自分もやりたいなって思って開拓者になったんだよ! ね、クリムゾン!」 あどけない笑みを浮かべ、彼女は自分の背丈ほどもある忍犬に抱きついた。漆黒の毛並みのハウンドだ。瞳は鮮血に似て紅く、剣呑な輝きがある。 「ううっ、このあたしが」 拳で目元をぬぐったリィムナが、直後、にやりと笑った。 「なんてね」 時が止まる。モノクロに反転した世界の中、リィムナはジプシーの秘技でもってミーリエの懐から券を抜き取った。一瞬の夜が終わる。 (「甘いな、まだまだ♪」) 書き換えられた名前に気づかず、ミーリエはごきげんのまま言った。 「早くリィム姉みたいに、バランス破壊級の強さになりたいのだ!」 ほくえ笑むリィムナにも、ミーリエは気づいていない。 |