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■オープニング本文 1人目の来訪者は、朝1番にやってきた。 隣町に店を構える漬物屋のお内儀で、お供の女中が何やら重そうな風呂敷包みを両の手で抱えている。風呂敷に店の名前は入っていないが、中身はきっと漬物だ。――お内儀が丹精込めた漬物と細々した日用雑貨が少し。ふたつきに1度、彼女は荷物と携え眞尋の許へやってくる。 「朝早くからごめんなさいね。店を開ける前に頼んでおきたかったものだから」 「いえ、構いません。いつものように、息子さんにお届けすれば良いのですよね?」 出征中の彼女の次男は、《魔の森》に近い小さな村で辺境警備の任に就いていた。幸い、比較的安定している場所のようで、常に危険に晒されているワケではないようだが、親としてはこの労役が終わるまで心配の種は尽きない。 本当は自ら乗り込んで行きたいところだろうが、落ち付いているとはいっても場所が場所‥‥周囲の反対と店の切り盛りを考えると、思い切ることはできなかったようだ。それでも、何かせずにはいられなかったのだろう。色々と風の噂に伝手を頼った結果、眞尋の稼業と縁が繋がった。 早くに両親を亡くし養い親の間を転々として育った眞尋にとって、我が子を想うお内儀の姿はちょっと胸を打たれるモノがあり、頼まれる度にふたつ返事で引き受けている。 辺境の村までは、片道2日。 本業の方は当面開店休業だと、苦笑交じりの吐息をひとつ。仕事場に広げたばかりの鉋や木槌、鑿などを片づけているところへ、2人目の客がやってきた。 「すまん、頼まれてやってくれ!」 この寒空にも関わらず、大汗をかきながら駆けこんできた青年。 長屋の斜向かいに住む細工師の清太郎だった。大柄な体に似合わず指先の器用な男で、そのセンスを生かし、彫金細工で生計を立てている。眞尋も同じ長屋住まいの誼で本業の指物に使用する金具を都合してもらうこともあり、懇意に付き合っている友と呼べるの仲のひとりだ。もちろん、眞尋の裏稼業も知っている。――知られているどころか、器用なくせにうっかり者の清太郎はけっこうなお得意様でもあった。 「そんなに慌てて、どうかしたのか?」 「それが‥‥」 久方ぶりに大口の注文を受けたのは良いが、必要な玉が足りないのだという。 不老不死、生命の再生をもたらす縁起物だと重宝される玉石は、天儀に於いてとりわけ珍重される宝石のひとつだ。権力者や女性への贈答品に迷ったら、とりあえず翡翠を贈っておけば間違いはない。そんな売り手市場の品だから、都市部ではどこも品薄で。大抵は法外な値が付いているから、清太郎が仕事の発注主より預かった金銭では到底足りない。 玉を産出する鉱山に直接買い付けに行くのが一般的なのだが、今から現地に向かったのでは納期に間に合わなくなる。――代わりに玉の買い付けに行って欲しい。それが、清太郎の持ち込んだ頼み事だった。 「ええぇっ、でも」 「頼む! 助けると思ってっ!!」 このとおりだ、と。拝み倒されれば断り切れず、気がつけばぎっしりとお金の詰まった重い財布を押しつけられていた。眞尋とて職人の端くれであるから――末席にいるから理解るというべきか――例え無茶でも、依頼人の言の重さは良く知っている。 それにしても、だ。 時機が悪いというべきだろうか。いくらやる気があっても、身ひとつではふたつの頼まれ事を同時に進めるのは不可能だ。 如何したものかと頭を抱えていると、通りの向こうから大声で名前を呼ばわれた。 ■□ 「なんと。お父上がお倒れに?」 「いえ、私の父ではないのですが――」 発生したアヤカシの毒にやられてしまったのだとか。 幸い大したアヤカシでもなく、駆け付けた兵士に退治されて事なきを得たが、何しろ田舎のことで碌な薬もなく苦しんでいるという。すぐにでも駆け付けてやりたいところだが、生憎と手の離せない仕事を抱えて出向く暇がない。お見舞いは日を改めるとしても、せめて薬だけでも届けてやってはくれないだろうか。 大福帳にしたためた書き込みを一部訂正し、受付係は口上を述べた後は悄然と肩を落として小さくなっている《頼まれ屋》を眺めた。 ちょっとした頼まれ事を引き受けて手間賃を得る安価な商売は、これが意外に盛況であるらしい。 当人曰く、最初は長屋のおかみさんたちの遣走り程度であったものが口コミで評判を呼び、気がつけば本業を凌ぐ収入源になってしまったとのことだが。――《ぎるど》にとっては思わぬ商売敵であるような気もしたが、頼まれ事の殆どが遣走りや屋根の修繕、子守では、なるほど開拓者には頼めない。 とはいえ、1度でも引き受けてしまうと頼む側の程度に際限がなくなってしまうのも難しいところだ。まあ、ひとつひとつはさほど難しい話でもないのだけれど。 「息子さんへの届け物と玉の買付、薬のお届け。とりあえず、優先順位の高そうなのはこのはみっつですね」 「だと思います。あとは、先日のバレンタインに《義理》で貰ったお菓子の手頃なお返しを見繕ってお届けするのと、山鈴屋へ福袋を買いに行くのと、人気の芝居小屋で前売券の列に並ぶ――」 「それは自分でやってください」 人が良いにも程がある。 指を折って数えはじめた眞尋を遮り吐息を落として張り紙の作成を始めた受付係に、眞尋は申し訳なさそうに首をすくめた。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
露草(ia1350)
17歳・女・陰
水月(ia2566)
10歳・女・吟
アイリス(ia9076)
12歳・女・弓
ロック・J・グリフィス(ib0293)
25歳・男・騎
言ノ葉 薺(ib3225)
10歳・男・志
湯田 鎖雷(ib6263)
32歳・男・泰 |
■リプレイ本文 頼まれると断れぬ。 お人好しと言えば聞こえも良いが、イマイチ要領の宜しくない‥‥あるいは、押しに弱い‥‥少しばかり間の悪い人というのはどこにでもいる。 柊沢 霞澄(ia0067)の見立てたとおり、眞尋という依頼人は真面目そうだが取っつき易い――人によってはやや優柔不断に思えるかもしれないが――人当たりの良さそうな青年だった。 「アイリスも、お願いされると断れないですよ〜」 「‥‥分かります」 開拓者を巻き込んでしまったことに消沈している眞尋を慰めようと、自らの性分なのだと軽やかに笑ったアイリス(ia9076)に、水月(ia2566)もこくこくと首肯して力いっぱい同意を示す。 表情には顕さないが、ロック・J・グリフィス(ib0293)にも娘ふたりの言い分はよく理解できる類のものだった。困っている人を放っておけないのは、グリフィスとて同じ。――頼まれるままつい引き受けてしまい、抱えきれなくなって途方に暮れる気持ちまで一緒だ。 「あまり安請け合いするのもどうかと思うが‥‥」 ちらりと苦言を呈した羅喉丸(ia0347)は、たとえ口約束でも安易に引き受ける事には抵抗がある。それは、引き受けた以上は必ず果たしたいという彼の信念の現れだ。それでも進んで人の役に立とうとする眞尋の姿勢は景仰に値する、と。快く依頼を引き受けた羅喉丸も、やはり突き詰めれば放っておけない人なのかも。 愛犬・銀蘭との散歩中にふと思いついて《ぎるど》を覗いた言ノ葉 薺(ib3225)は、ささやかな楽しみに水を差された溜息と共に胸中で今後の予定を変更した。 「それでは散歩がてらに用事を済ませると致しましょうか」 散歩と喩えるには、目的地が少しばかり遠方に過ぎる気もするが。彼にとっては、散歩なのかもしれない。――忠実な忍犬はやや不安気に、あっさりと日帰り不能の遠出を決めた主人を見上げる。 「よぉし、初仕事だ! 愛馬めひひひひん共々、宜しく頼む!!」 愛騎のやや赤味の勝る栗色の鬣を撫で初仕事に向への気合を高める湯田 鎖雷(ib6263)に、彼とは20年来の付き合いであるめひひひひんも嬉しげに眸を細めた。これで暫くは退屈を訴え彼の頭髪を涎で濡らさなくても済むかも‥なんて、思っているのかもしれない。 「本当に助かりました。ありがとうございます。‥‥よろしくお願いします」 遠方で任に当たる息子への心配と労わり。 請負った仕事。 そして、被災地への支援。 持ち込んだ当事者たちの中では、どれも動かし難い重大な頼み事なのだろう。心底、安堵した様子で肩を落とした頼まれ屋に見送られ――彼はこの後、子守をしつつ芝居小屋の前売り券の列に並びに行くのだと言っていた――開拓者たちは、神楽より旅立った。 ●被災の地へ 既に鎮められていると聞かされていても、アヤカシによる災厄は報告を受ける度に心が痛む。 「あらあら、大変ですね。急いで仕事をしないと。――特に毒なんて時間がたてば酷い事になりかねませんし」 わざわざ薬だけでもと急くのには、それなりの理由があるはずだ。 露草(ia1350)の逸る心とは裏腹に。霞澄の炎龍・紅焔、アイリスの駿龍・柚木の2頭では、配達を頼まれた薬に加え、人妖の衣通姫を連れた露草まで乗せて空を駆けるのは‥‥残念ながら、過積載。 無理をさせて事故でも起こせば露草が細心の注意を払って梱包した薬がフイになってしまうかもしれないので、ここは手堅く皆して歩くことにする。――翼を持つ朋友たちは、ちょっぴり不満気だったけれども。 開拓者とはいえ、女の子だけの旅。 アヤカシは討伐されたとはいえ、悲しいかな混乱に乗じて火事場泥棒を目論む不心得者も少なくない。 急ぎの旅でもあるから、避けられる面倒事は避けた方が賢明だ。街道沿いの宿場を記した地図を手にしたアイリスに手綱を曳かれて大人しく隣を歩く柚木が気になる様子の紅焔の鱗に覆われた首を撫で、霞澄は穏やかな口調で話しかける。 「重いかもしれませんが、もう少し頑張ってね‥‥他の仔と喧嘩しちゃダメですよ‥‥」 「柚木ちゃんも大丈夫ですか?」 霞澄の言葉に応えるかのように喉の奥で低く唸った紅焔の声に、」振り返ったアイリスもにこりと辛抱強く荷を運ぶ相棒を労った。雪のように白い鱗を持つ駿龍は、嬉しげに主の弓を背負った小さな背中に湿った鼻先をすり寄せる。 「はわわ、くすぐったいのですよ〜」 荷を背負う二匹の龍から少し離れて露草は、いっかなじっとしていられない衣通姫に手を焼いていた。 出会うもののほぼ全てが初めての経験となる好奇心旺盛な人妖は、橄欖石の瞳をキラキラさせながらあちらこちらと忙しなく動き回り、露草を振り回す。急ぎの用を抱えた主人の都合など少しも省みず自由闊達に興味を惹かれた方へと突進するあたり、本当に見た目どおりの幼い子供だ。――衣通姫の一挙手一動にはらはら、どきどき。気分はすっかり「お母さん」の露草である。 ●出撃? 思いがけない手違いにグリフィスは青ざめた。 神楽の城門を背に威風堂々と立つ駆鎧――大篭手「獣王」に獣騎槍「トルネード」を備え、いくつもの増槽でいっそうの重厚さプラスしたグリフィス自慢のX(クロスボーン)――街道を通る人々の注目を一身に集めながら何やら憂いを漂わせるグリフィスに、甲龍・頑鉄に大八車を惹かせた羅喉丸と銀蘭を従えた言ノ葉は顔を見合わせる。 美しい物は心の潤いになる、と。先刻までは「高貴なる薔薇」を片手に、ずいぶん乗り気であったのだけれども。鉱山より掘り出した玉石混合の砂礫を積み込む大八車を借り出しに行っている間に、いったい何があったのか―― 「‥‥‥‥‥アーマーケースを忘れてきた‥‥」 描かれた髑髏の意匠も仰々しい自慢のアーマーケースが、荷物の何処を探しても見当たらない。洒落者の証し「高貴なる薔薇」と、どんな時にも遊び頃を忘れぬ為の「賽子」はちゃんと揃っているのに‥‥! ああ、そんなことかと安堵して。 踏み均された地面に黒々と落とされた巨大な影と、光を背に眩しく輝くX(クロスボーン)を交互に眺め‥‥言ノ葉は漠然とした不安を抱きながら言葉を紡ぐ。 「――何を忘れたと仰いました?」 龍や忍犬とは異なり、操縦者の練力に依ってのみ動く大きな駆鎧をコンパクトに持ち運ぶ為の便利な機材。そのアーマーケースがない‥と、いうことは‥‥。 「ま、まさか。乗って行かれるのですか?! 鉱山まで」 やだ、そんな格好いい‥ 起動中の駆鎧と歩く道中を想像し、思わず垂れた耳をぴんと立ててしまった言ノ葉である。――さすがに無謀だと思い直して、残念な気持ちと一緒にへしょげてしまったけれども。 用意周到な羅喉丸も、さすがにそこまでは想定していなかった。 確かに、大きな荷物を運ぶ予定で荷台を借り出してきたのだが。グリフィスの手で磨き上げられたX(クロスボーン)を無言で見上げ、ちらりと転じた視線の先で厳つく恐ろしげな外見に見合わぬ温厚な性格の甲龍は、主人の心情を慮って神妙に下を向いている。 ●母の愛は重く そして、ちょっぴり匂う。 持ち込んだ縄と毛布を上手に使って託された風呂敷包みを――母が愛情を込めて漬け込んだ漬物の甕と日用品雑貨が少し――愛騎に積み込んだ湯田をじっと見つめて、めひひひひんはたらりと一滴、涎を零した。 積荷よりほのかに漂う芳香は、独特の風味がついてはいるものの原材料はめひひひひんの大好きな野菜である。いつもの愛情表現ではなく、純粋に食欲のなせる技。水月のお株を奪うきらきらと期待に潤んだ眸に、手綱を曳く湯田は気拙くそっと視線を逸らせた。 愛するめひひひひんの期待に応えたいのは山々だけれども‥‥否、許されるものなら、湯田だって食べてみたい。 淑やかに見えて実はかなりの食いしん坊な水月だって気持ちは同じ。温かな家庭の温もりに密やかな憧れを抱く水月にとって、頼まれた配達物は憧れの象徴でもある。――他のふたつの頼まれ物とは異なり、品物そのものの価値よりも送り主と受取人の絆こそがプライスレス。 水月の腕に止まった迅鷹・彩颯だけが、ふたりと1匹の葛藤を鋭い眼差しの奥から静かに見つめていた。 「――よし、わかった。戻ったら、何か美味いモノを喰わせてやる」 折しも神楽の都では、《ほわいとでー》とかいう異国の祭事が繁華な界隈を賑わしている。 男に二言はない、と。男らしく言い切った湯田の言葉に、水月がまあと白い頬をほんのり桜色に染めた。 「‥‥そんな、どうしましょう‥‥嬉しいです‥」 「えっ!!? そっちもっ!?」 誤解だとは言い辛い、この状況。 湯田の提案に納得したのか――あるいは、この仕事が終わらなければ美味しいモノには有りつけないと悟ったのかもしれない。――めひひひひんもいそいそと歩き始める。 空よりの哨戒をお願いされた彩颯の翼が巻き起こした虹色の煌きが、一陣の風となって湯田の初仕事への緊張を吹き飛ばしその門出を幻想的に彩った。 ●鉱山にて 天儀中より人が集まって来るのだろう。 巌がちな山の麓に張り付くように拓かれた小さな村は、思いがけず賑やかだった。――鉱山で働く者の他、買い付けにやってきた商人や、護衛と思われる武装した男たちの姿も見える。 掘り出した玉を選別し加工する職人も集まっているのか、道端では既に加工された玉を広げる露店も多い。 「どうです? 判りますか?」 「ワン!」 言ノ葉の問いに、銀蘭は元気よく尻尾を振った。 頼まれた玉の買い付けと交渉はグリフィスと羅喉丸に任せ、研ぎ澄まされた銀蘭の嗅覚によって掘り出し物を探そうと考えた言ノ葉である。 「こちらはどうですか?」 「ワン!!」 またまた、とっても良い返事。さて、どちらにしようと小首をかしげる言ノ葉を見上げ、銀蘭はきらきらと眸を輝かせて労いの言葉を待っていた。 お財布事情と釣り合う自分好みの玉を探して言ノ葉が頭を悩ませている頃。羅喉丸とグリフィスはここでしか見られない光景に立ち止りたい衝動を堪え、清太郎に教えられた場所へと足を運ぶ。 そこは坑道より運び出される砂礫の集積場であるようだった。――鉱石の中に隠れる玉の善し悪しは、残念ながら磨いてみなければ判らない。品質や色、大きさについては、それなりの経験を積んだ目利きでも最終的には運に左右される部分が大きいのだという。 懐に余裕のある者、確実を求める者は既に選別されて研磨の終わった玉を買って行くのだが、鉱石の含まれた選別前の原石をひと山いくらで買って行く者も多いようだ。大勢の人が積み上げられた小さな石の山の間をあれこれ思案しながら歩き回っている。 「こう見えて宝石の類には造詣が深いんだが‥‥原石となると難しいものだね」 「只の石ころにしか見えないな」 高貴なる薔薇を手に憂いの吐息を落としたグリフィスに、羅喉丸も苦笑した。 隣の商談に耳を傾け、相場を調べ、訳知り顔の老人の長い蘊蓄話をありがたく拝聴したりしながら頭を悩ませ‥‥これならば、と。どうにかふたりして納得できる買い物を終えたのはそろそろ周囲が薄暗くなろうかという黄昏時。 「ここからが正念場だな」 「空賊が賊に荷を奪われたとあっては、名折れという物だ‥‥だが、心配には及ばない」 蓮冥鎧に片鎌槍「北狄」という物々しい居出立ちで油断なく周囲に目を配る羅喉丸の緊張を纏う呟きに、グリフィスは唇の端に小さな頬笑みを刷く。 「その北狄と我がX(クロスボーン)に恐れぬ者がいるとしたら、だがな」 確かに。 騎士が搭乗した臨戦状態の駆鎧を相手に強盗を働こうという愚かな賊は、そういない。気がかりなのはむしろグリフィスの持久力の方だ。――今夜くらいはゆっくり頑鉄を休ませてやろうと心に決めた羅喉丸である。 ●アヤカシの爪痕 降りかかった災禍を乗り越え前に進もうとする村は、粛々とした活気が満ちていた。 アヤカシに破壊された瓦礫の撤去と、建物の再建が並行して行われているせいだろうか。どこか落ち着かぬ喧騒の中に、時折、人々の怒鳴り声が混じる。 生きようとする人々の健気な姿に、霞澄はどこか落ち付かぬ様子の紅焔を撫でながら小さく吐息した。 茫然と立ちすくんでばかりはいられない現実と、決意が強ければ強いだけ、その揺り返しもまた大きいのかもしれない。 じわりじわりと身体を侵す遅行の毒に気がつかぬまま――甚大な被害を前に言い出せなかった者、あるいは、大した傷ではないと己に無理を敷いた者もいるはずだ――手当てが遅れてしまったのだろう。 「怪我をした者は直ぐに治していただいたのですが‥‥」 霞澄と露草、そして、アイリスを出迎えた依頼人の母親は、やや疲れた様子で肩を落とした。 アヤカシ退治に駆け付けた開拓者の中にも《巫女》の術を扱う者がいたのだが‥‥村を去る際にも、きちんとした瘍医に診てもらうよう助言を受けていたのだけれど。 故郷の凶報を受けた息子が気付かなければ、どうなっていたことか‥‥ 「たかが、かすり傷だと聞いてくれなくて‥‥本当に助かりました」 「お礼なんていいのですよ〜」 「それよりも、他にお手伝いできることはないですか?」 ぱたぱたと手を振ったアイリスの言葉を引き取って、露草もまた少しでも復興の力になれればと申し出る。衣通姫もやる気にはなっているようだ。 「まかせてなのー!」 元気よく、露草に向かって胸を張る。 そんな朋友に優しく頬笑みを返しつつ、彼女の今後の教育方針についても思案を巡らせる露草だった。 「では、アイリスは村の周辺を見回ってくるですよ〜」 大丈夫だとは思うが念の為。 《鏡弦》を使えば潜んでいるアヤカシも探知できる。美しい光沢を帯びた漆黒の弓を手に軽やかに踵を返したアイリスに、柚木もとたとたと大きな身体を巡らせ主人に続いた。――空からの偵察を頼まれて嬉しげな柚木を見送る紅焔の羨ましげな熱い視線に、霞澄もふうわりと笑顔で首肯する。 火事場泥棒を目論む不心得者がいるという噂もあることだ。開拓者の存在だけでも幾許かの抑止力になるかもしれない。 ●辺境警備 非常事態などない方が良いに決まっているのだけれど。 とはいえ、余りにも平和にすぎると、守りに付く衛士としては緊張感を保つのに苦労する。 ある意味幸せな二律背反に苦しむ(?)辺境の砦は、神楽より刺激を運んで来たふたりの旅人‥‥水月と湯田を快く迎えてくれた。 「いやぁ、そろそろ来る頃じゃないかと噂していたんだよ」 「彼のお袋さんの漬物は美味いからなぁ」 「‥‥‥(やっぱり!)‥」 定期的に届けられる届け物を待っていたのは受取人よりも周囲の者たちだったらしい――当人は皆に冷やかされて少し恥ずかしそうだった――陽気な若い衛士たちから口々に労われ、何やら気恥ずかしくこそばゆくなってくる。 めひひひひんにも良い霊騎だと褒め称える言葉はしっかり通じているのか、ちらりと湯田へと向ける視線も得意げで。案内された厩の十分な広さと与えられた飼葉に、労働を報われご満悦の様子だ。 称賛は彩颯にも向けられたが、こちらは大勢の人間を前にするのには慣れぬ様子で早々に空へと舞い上がり、降りて来る気配はない。 受取人が母親への返信を書いている間に、砦の中へと招かれて勧められるままお茶と食事をご馳走になる。 「カステラか鳥飯だと嬉しかったのだが‥‥」 「かすてらに鳥飯? 聞かない名前だけど、美味いのか?」 「そりゃあ、もう」 「‥‥です」 拳を握りしめて力説する湯田の隣で、水月もこくこくと肯いた。 残念ながら辺境の砦では、どちらも食べ慣れない物であるらしい。代わりに近くの森で獲れたという鹿肉を甘辛いタレに漬け込み炭火で炙った串焼きと麦飯を供されて、これはこれで旨かったので満足する。――運送中に汁が零れたり、温度変化で味が落ちないようにと細心の注意を払って運んだ漬物は‥‥確かに、噛みしめれば母の愛の味がした。 「それでは宜しくお願いします」 差し出された手紙は、水月が強く頷いて受け取る。 行きは湯田‥‥めひひひひんが運んだので、帰りは水月が軽くて重い絆をしっかりと預かった。陽気な同僚たちと元気でやっているらしいこちらの様子を伝えたら、漬物屋のお内儀も少しは安心してくれるだろうか。 「確かに預かった。お袋さんには必ず届けるから安心してくれ。――たまには顔を見せてやってくれよな」 「ありがとうございます」 道中、お気をつけて、と。 朗らかな声に背中を押され、彩颯が虹色の風を巻き上げて旅を言祝ぐ。しっかりと休息をとっためひひひひんも軽やかな脚運びで神楽へ戻る街道を歩き始めた。美味しいものをご馳走すると約束した湯田の言葉を覚えているのか、いつもより気持ち早足であるような‥‥。 朗報を得た気持ちの軽さも手伝って、道中の疲れも思った程のものではない。この調子で歩けば、予定より早く神楽に着けるだろう。――初仕事にしては、上々。幸先の良い門出となりそうだ。 ●再会 人待ち顔で《ぎるど》の前に立っていた眞尋は、無事に戻った開拓者たちに表情を綻ばせた。 眞尋の隣でこちらも落ち着かなげに――途切れることなく《ぎるど》を訪れる開拓者の姿が珍しいらしい――清太郎もつられてぺこりと頭をさげる。 「お遣い、無事に完了なのですよ〜」 「ご無事で良かった。本当に助かりました」 ありがとうございます、と。何度も律儀に頭を下げられれば、達成感もひとしおで。 「――人の役に立ちたいと思う気持ちは尊いが、時には断る勇気も必要だと思う」 「本当にそうですね‥‥肝に銘じておきます」 結果として第3者の手を煩わせてしまったことに反省もあったのか、羅喉丸の忠告に眞尋も神妙な顔で頷いた。そして、少し心配そうにグリフィスへと視線を転じた。 「あの、大丈夫ですか?」 「‥‥‥‥心配‥‥な‥い‥‥」 練力、気力を使い果たして足許もおぼつかいなのだけれども。だが、こんなところでへこたれていてはそれこそ空賊の名折れである。 他の何を忘れても、アーマーケースだけは忘れてはいけない。教訓を深く心に刻みつけ、山より高い空賊の自尊心を総動員して余裕の笑顔を浮かべたグリフィスだった。 |