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■オープニング本文 ●畜生働き 暗闇に、白刃がきらめいた。 小さな呻き声を挙げて初老の旦那が事切れる。がくりと首を折った男を無造作に床へと突き転がした男の手には、じゃらじゃらと輪に通された鍵が握られていた。 「馬鹿め。最初から素直に出しゃあいいものを」 男は蔵の鍵を部下に投げ渡す。 うっそりと籠った熱を抱いたままの暗闇は、払暁にはほど遠く。日中は繁華な賑わいが軒を連ねる街も、今は濃厚な夜の静謐に包まれていた。――あるいは、凶行に関わるのを恐れ、雨戸の向こうでひたすら息を殺して災厄が去るのを祈っているかもしれない。 待つ程なく、蔵の中から千両箱を抱えた部下たちが次々と現れる。ずいぶんと物慣れた手際の良さが、彼らの非道を如実に物語っていた。 夜陰を埋める濃い血臭にさえ気に止める風もなく。むろん、辺りに転がる死体を跨ごうが平然としたものだ。後に残されるは血の海に沈んだ無残な遺体の山のみ。――「つとめ」とも呼べぬ畜生働きである。 ●道場主の杞憂 《蝮党》を名乗る兇賊の台頭。 致死毒を持つ獰猛な蛇の如き冷血と残忍さを兼ね備えた‥‥いわゆる、「畜生働き」を旨とする無法者たちの非道ぶりに、神楽の都は常ならざる戦慄の渦中に囚われていた。 夏だというのに街角からは賑わいが消え、繁華な目抜き通りでさえ陽が傾くと早々に戸締りを始める始末。――兇賊の毒牙から逃れる為には、ひたすら身を縮め、息を殺してやり過ごすしかないとでもいうかのように。 「‥‥いかんなぁ」 華やかな陽射しの下にあってさえ、ともすれば陰気の色を隠せない街の姿に、青年は眉を曇らせる。 梅雨の明けきらぬ夏空は、ところどころ雨雲を残し。成長著しい草いきれと立ち昇る湿度が、ただ立っているだけで幻惑を誘われるようだ。――こんな季節だからこそ、暑さを吹き飛ばすような人々の活気が必要なのに。 「いかん、いかんぞ! 病は気からと言うではないかっ」 このままでは、都全体が病気になりかねん。 大きな手でくしゃくしゃと頭髪をかき回し、青年‥‥真田悠は、沈みがちになる思考に気合を入れんとぱぁんと両の手で頬を叩く。思いがけず大きな音に、近くを歩いていた通行人が思わずびくりと身をすくめた。 これ以上、犠牲者を出す前に、なんとか未然に防ぐ術はないものか。 そんなことを考えながら。彼は目新しい情報を求め、久しぶりに《開拓者ぎるど》へと足を向けたのだった。 ●看板娘の危機管理 頓着なく開け放たれた障子を睨み、恵花は盛大な吐息をひとつ。 《蝮党》なる兇賊の影に神楽中が戦々恐々、息を潜めて暮らしているというのに。庵(はなれ)の客人にとって、それは気にも止まらぬ瑣末な事象であるようだ。――軒に吊られた風鈴が、微風に涼しげな音を響かせるのも小憎らしい。 そっと首を伸ばして縁の先から庵をうかがい、恵花はいっそう険しく顔を顰めた。 「もう、水橋さまったらっ!」 縁側に面した畳の上で刀を抱いたまま健やかな寝息を立てていた青年は、遠慮容赦なく踏み込んだ恵花の足音に微睡を破られ、気難しげに視線だけで恵花を睨む。 明らかに不機嫌そうなその表情にひやりとしたが、義憤がそれに打ち勝った。 「誰が見ているか判らないんですから! 少しは用心してくださいっ!!」 「‥‥用心‥‥」 意味の判らぬ異国の言葉を聞いたとでも言いたげな表情で、青年――水橋恭也は、つまらなそうに欠伸を噛み殺す。そして、ぽつりと言葉を紡いだ。 「必要ない」 「何言ってるんですか!! あるに決まってます! 辻向こうの油問屋さんまで襲われたんですからね! ‥‥皆さん、良い人たちだったのに‥‥小さな子供まで手に掛けるなんて‥‥なんて非道なヤツらなのかしらっ!!」 思わずムキになって言い募った恵花は、水橋の視線に話が脱線したことに気づいては、ほんの少し顔を赤らめる。こほん、と。空咳をひとつ、相変わらず無関心そうな青年の顔を睨めつけた。 「と、とにかく‥‥この辺だって油断はできないんです! さっきだって、目つきの悪い男がうちの前をうろうろしていたんですから‥‥裏通りの旅籠なんて‥‥とっくの昔に廃れたと思っていたのだけど‥‥ううん、間違いないわ。一昨々年、大旦那さんが亡くなったって廃業の挨拶にいらっしゃったんだもの――やだ、どうしようっ!?」 愕然と眸を見張り‥‥次いで、小さな悲鳴を上げて母屋へと駆け出した娘を半ば茫然と見送って、引き寄せた刀剣に手をかけたまま青年は僅かに小首を傾げる。 斯くして、生まれた小さな疑心は《開拓者ぎるど》へと持ち込まれ。兇賊の台頭する世情を憂う開拓者たちの預かり知る懸案となったのだった。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
仇湖・魚慈(ia4810)
28歳・男・騎
チョココ(ia7499)
20歳・女・巫
毛利坂 水心(ia8688)
16歳・女・陰
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
ルンルン・パムポップン(ib0234)
17歳・女・シ
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
高瀬 凛(ib4282)
19歳・女・志 |
■リプレイ本文 人相の善し悪しで、人は測れない。 廃業したはずのうらぶれた古い旅籠に出入りする風采の上がらぬ男たちが、《蝮党》の一味であるのか否か‥‥ 「自分から名乗っていたり、顔に蝮とでも書いてあれば話は早いのですが」 思案気に吐息したチョココ(ia7499)の隣で、淡々と――やや退屈そうに――説明を聞いていた水橋恭也は少しばかり怪訝そうに眉を顰めた。 「‥‥訊ねれば判る‥‥」 「「「う゛ぉぉぉいっ!?」」」 埒もない。さらりと言って立ち上がった水橋に、酒々井 統真(ia0893)と仇湖・魚慈(ia4810)。そして、真田 悠からもツッコミが飛ぶ。 「訊く気かよっ!!」 そんな、訊ねにくいことを。 単刀直入に切り込むには差障りがあり過ぎるから次善策を練っているのだ。――合理的と言えば聞こえも良いが、どちらかというと無策に近い。明瞭ではあるが現実離れしたその思考回路に、高瀬 凛(ib4282)は思わずぽかんと青年を眺めやる。 「やめてください!! 仮にもご近所さまなんですよっ!? もし、間違っていたら‥‥私、明日から外を歩けなくなってしまうじゃないですかぁっ!!」 その危機感は、水橋の提案に関わらず――彼の場合はあまりにも極端なのだけれども――この依頼には常に付き纏う類のものだ。 恵花の悲鳴に、毛利坂 水心(ia8688)も改めて気合を入れ直す。 「任せてください! ルンルン忍法を駆使して、きっと確かな証拠を突き止めてみせます!! 《蝮党》なんて一網打尽なのです!!」 今こそ正義のニンジャの出番。 力強く拳を握りしめたルンルン・パムポップン(ib0234)の明るく華やかな決意表明を頼もしげな視線を向け、真田は屈託なく破顔した。 「そいつは心強いな、よろしく頼む」 「はい! もう、どぉんと任せちゃってください! 弱きを泣かす不届き者は、オカミに替わって成敗なんだからっ! 半か丁なのです」 ‥‥いや、五分五分って‥‥何気に勝率悪いよ‥‥ ちらり、と頭の隅で計算し、アグネス・ユーリ(ib0058)と西光寺 百合(ib2997)は思わず顔を見合わせる。 とんだどんぶり勘定だが、とっておきの明るい笑顔で大丈夫だと請け合われると本当に大丈夫に思えてくるから不思議なものだ。――ルンルン忍法、恐るべし。 ●隣人の仮面 構成員は、身体の何処かに《蝮の刺青》を彫っている。 まことしやかに流れる噂。――賊か否かを画する明確な徴が欲しいという願望の現われであるような気もするが、流布する噂の第一位。――神楽の住民なら、1度ならず耳にしたことがある程度には周知されているようだ。 いきがる者、威を借りんとする者なら吹聴し、身を潜めることを知る者なら隠すだろう。恵花と同じ疑念を抱いた者が、他にも居てくれれば良いのだけれど。 「いやですよ、そんな‥‥縁起でもない‥‥」 不穏なる隣人について《刺青》の有無を尋ねたチョココに、酒屋の女将は嫌なことを聞いたと身を震わせた。 酒を買いに来た客であったとはいえ、言葉を交わした相手が兇賊‥‥《蝮党》の一味であったかもしれないなんて、話を聞かされるのは、確かに寝覚めが悪いかも。 「確かに見た目はちょっとアレですけど。金払いだって、ちゃんと毎回現金で払ってくださるんですよ?」 質の悪い冗談だと非難めいた女将の言葉に、チョココと水心は顔を見合わせる。 ルンルンやアグネスの調査では、旅籠に出入りする男たちの外出先は、主に賭場や遊里など。いわゆる、悪所と呼ばれる盛り場だった。――働いている様子はないのに、金の回りは悪くない? 「それは少し妙ですね」 「その人、志体持ちだったらしくて‥‥酒屋の女将さんは開拓者なのだと思っていたみたい」 首を傾げた仇湖に、水心は言葉を継いだ。 《蝮党》には開拓者崩れの志体持ちが多数参加しているという噂を聞いた気もする。――腕に覚えがあるからこそ、手口が荒っぽいのだと。――状況としては、怪しむに足る証言を得られたと喜びたいところなのだけれども。 なんとなく己の風体を見下した仇湖が、ふと視線を上げると、真田もまた自身の居出立ちが心配になったらしい。 神楽郊外に小さな道場を構える道場主との触れ込みだが‥‥素性の良からぬ浪人者だと言われても、強く否定はできない気がする。ふたりして、小さく吐息した。 ●飛んで火に入る 淡くけぶった黄昏が夕闇に溶け、人気のない裏通りにもぽつり、ぽつりと灯が灯る。 ようやく訪れた夕暮に、縁台に掛けて紫煙をくゆらせていた男は、おとないを告げたふたりの客に眉をしかめた。 旅の商人といった風情の男と女。身なりはさほど悪くない。――否、むしろ旅人には不相応に良いというべきだろうか。――値踏むような視線を平然と受け止めて、商いを始めたばかりの行商人を装った酒々井と百合は明りの灯った旅籠に一夜の宿を頼む。 「‥‥悪いがうちは‥」 「一見を断りてぇって、気持ちは判るんだけどよ。こっちも武天から出てきたばかりだってのに、アテにしていた宿は廃れてちまってて行くアテがねぇ。散々、ソデにされまくってやっとここを見つけたんだぜ?――金はあるんだ。一晩だけでも都合してくれりゃ恩に着る」 渋面を作った男を無理とに押しのけ、広い土間に踏み込んだ酒々井は金で膨らんだ財布をこれ見よがしに振って見せ‥‥多額の金子を所持していることを印象付ける。 百合もまた悶着を聞きつけて集まってきた男たちにちらりと流し眼を送り、彼らの不審を劣情の向こう側へと曖昧に塗り替えた。 「‥‥仕方がない‥」 やれやれと面倒臭げな吐息を落とし、男はゆらりとふたりを手招く。 遠巻きに視線を投げて寄こす男たちの下卑た笑いが少しばかり癇に障ったが、今更、引き返すわけにもいかない。 「着いてきな」 ろくに掃除もされていなさそうな汚れた廊下を奥へ―― 振り返りもせず先を歩く男に客を気遣う素振りはないが、ぎしぎしと軋む床板に酒々井らの後ろを着いて来る者たちの気配が伝わる。 逗留客が珍しいのか、あるいは‥‥ 無遠慮に向けられる下卑た視線に、百合は心底辟易した風に鼻を鳴らした。自ら撒いた種とはいえ、ウザすぎる。 「さあ、ここだ――」 青海を模した襖の向こうは、10畳ほどの板敷きの客間。 ゆっくりと振り返った男が握る抜き身の刃に貫かれた《人魂》は、淡い吐息の如き瘴気へ還り‥‥ぼんやりと灯された紙燭の炎に幽かな翳を踊らせた。 *** 来客の声に、警戒と戸惑いが空気に満ちた。 普通の旅籠なら――たとえ、それが予定外の客であっても――喜色や活気といった明るさをもたら事象であるはずなのに。ぴりぴりと肌を指す緊張感と慌ただしさは、まるで戦さに臨む陣屋のようだ。 忍び込んだ旅籠の屋根裏。天井板の隙間から入る小さな光だけが頼りの暗がりの中で、ルンルンは紡がれる悪事の気配に頬を膨らませる。 耳打ち程度の囁きも《超越聴覚》の前では、怒鳴り合うも同然。 「どんな悪巧みも、ルンルン忍法の前では筒抜けなんだからっ!」 「なるほど。‥‥だが、あんたらも‥まぁ、杜撰だと思うがなァ」 ――――‥ッ!!! 反射的に距離を置こうと飛び退いた、その足元へ。容赦なく突き立った無数の鉄針が、暗がりに黒い鮮血を飛沫かせた。 天井裏の闇の中――気配を覚らせなかったのはシノビの術によるものか――含むように嗤った声の主を闇の向こうに睨みつけ、ルンルンは痛みを堪えて気配を探る。 只の旅籠なら必要のない猜疑。 捕まれば死罪は免れぬ重罪であることは、彼ら自身が誰よりも良く理解していた。 「蝮の巣だと疑って乗り込んできた割にゃァ‥‥ずいぶん不用意じゃねェかい?」 《ナハト・ミラージュ》の魔力も、仕掛けられた地縛霊を欺くことは叶わない。――呪符を手にした兇賊は、冷ややかにアグネスを眺めやる。 逃亡を防ごうと罠を仕掛けるつもりが、逆に罠が仕掛けられていようとは‥‥この用心深さが動かぬ証拠ではあるが‥‥蝮と喩えられる兇賊の狡猾さを少し甘く見ていたようだ。 ●盗賊旅籠 「‥‥血の匂いがする」 夜風にくんと鼻を鳴らした水橋の言葉に、高瀬は腰に佩いた業物の柄を握り締めて背筋を伸ばす。 街を騒がす噂のせいか。寂れた裏通りには夏だというのに涼を求める人の気配さえない。‥‥あるかなしかの夜風が庭先の木立に戯れる葉擦の音さえ大きく聞こえるような気さえする。 「遅いな」 「‥‥アグネスさんも戻りませんね」 無聊を持って待つ身は辛い。 仇湖の呟きに、チョココも少し思案気に小首を傾げた。――逃亡防止に仕掛けた細工の位置を仲間に教える約束になっていたのだけれど。 飛ばした《人魂》の消失と不穏な予感に、水心はふるりと身を震わせる。 「――踏み込んでみるか?」 「そうだな‥‥いや‥‥」 問いを含んだ真田の視線に、仇湖は頷きつつも言葉を濁した。 状況が判らぬ今のままでは、潜入した者の安否が気遣われる。――とはいえ、現状を長引かせてはいっそう手詰まりになることは経験が告げていた。 「あ、あのっ。 私に考えがありますっ!」 手を挙げたのは、水心。 火消しの矜持が行為への嫌悪を誘うが、緊急時なのだからと心を決める。 *** 「「「火事だ―――っ!!!」」」 夜陰を裂いて響いた火急の報せに、夏の夜はたちまちその温度を上げた。 盗賊ならば耳を塞いでやり過ごせても、火事の報せを無視することは生命あるモノの本能が許さない。――《蝮党》にとってもそれは例外ではなく。 ほんの一瞬、俄かに慌ただしくなった外へと逸れた意識に隙が生まれた。 「‥‥哈‥ッ!!」 一歩、間合いを詰めた酒々井の拳が突き付けられた腕を撥ね除ける。 距離を置く暇を与えず立て続けに繰り出す《泰練気法・弐》を用いた連続攻撃に骨が砕け、飛び散った血が汚れた畳み新たなシミを作った。 「‥の、野郎っ!!」 「そりゃあ、こっちのセリフだっ!!」 殺気を孕んだ怒声に負けじと怒鳴り返し、酒々井は解き放った練気を呼吸と共に身体中へと張り巡らせる。 臨界まで膨れ上がった闘気が紅に染まり、弾け飛んだ頂きでひとひらの花びらに変じて暗がりに燐光を漂わせた。散りしきる花を想わせる細い光の紗を纏い、百合も素早く呪文を紡ぐ。――ぐらり、と。突然の睡魔に抗いきれず傾いた身体を容赦ない蹴りが襲った。 「大丈夫かっ!?」 「はい、なんとか。でも――」 このままでは。 小さく言い淀んだ百合の耳にも、廊下で起こった喧騒が届く。 「命までは取らん。だが、度々重なる御近所迷惑許すまじ! この私が相手だっ!!」 「貴方は助けてくれと言った人を助けた事がありますか?」 信念を貫き自らの拳に《手加減》を科してはいるが、怒りを隠そうともしない仇湖に、チョココの言葉も凍てつくように冷ややかだ。 「怪我は?」 「平気よ、これくらい。‥‥さ、行きましょ」 水心の機転に、《ラスト・リゾート》で反撃し危機を凌いだアグネスも、駆けつけた真田を促す。 野放しにするには危険極まりない兇賊であることは、身に染みた。これ以上の好き勝手は許さない。――賊の噂に怯える逼塞感に縛られるのはもう堪らない。 *** 「火事っ!? 大変!!」 急を告げる水心の声に律儀に反応した高瀬の隣で、水橋が動く。 バタバタと慌ただしく廊下を掛ける足音に、人の気配が迫り‥‥建てつけの悪い引き戸が軋みながら開いたその、刹那、 飛び出して来た人影を誰何する気配さえなく、暗闇に真円なる弧が閃いた。 怜悧なまでに澄んだ色のない殺意を乗せて振り抜かれた銀刃は、浪人者らしい男の洗いざらした着流しを切り裂き、赤銅色の胸にてとぐろを巻いた蝮の首をも刎ねる。 「‥‥あ‥‥蝮の‥‥」 絶命した宿主の胸の上で、斬られてなお毒の牙剥く兇賊の証―― 見つけた、と。 禍々しい刻印を茫然と見つめ、そして誰に告げるべきかを迷い周囲を見回した高瀬の耳に、本格的に始まった剣戟の気配が暗がりを奮わせて流れ込む。 「‥‥次が、くる‥」 今度は、高瀬にもそれが判った。 未だ鞘に収めたままの業物を握りしめ、静かに呼吸を整える。 「高瀬 凛、参る!」 深く、踏み込むと同時に、刃を抜き放つ。 身体に覚えさせた居合の技を――夜陰より這い出さんとする蝮たちへ――こちらより先へは行かせぬとの強い気概を込めて、高く名乗りを上げた。 ●顛末 疑心暗鬼に駆られた町娘の早とちりだと思っていたのに。 真田の報告を受け取った《ぎるど》の記録係は、少しばかり顔色を悪くした。 「本当に《蝮党》だったとは」 「まあ、確かに。若い娘の眼力も存外侮れんものだと思ったよ」 それにしても、と。 渡された報告書を斜め読みして、記録係は吐息を落とした。 「塒をひとつ壊滅させたのはお見事ですが。‥‥この討ち漏らしがあったというのは、確かなのです?」 やや険しいその視線に、真田はちらりと顔を顰める。 言い難そうに、だが開き直らず悄然と肩を落とすあたりが、彼らしいというべきか。 「‥‥捕えた人数と残った荷物の数が合わなかったのは事実だ‥‥数ある拠点のひとつなら、常にそこに詰めているものでもないだろうし」 翳さした脅威はひとまず拭った。 だが、《蝮党》が根絶やしにされたワケではない。――散った遺恨が如何なる形で芽吹くのか――当分は気を引き締めて掛らねばならぬようだ。 次なる風は、既に《武州》の地にて吹き始めている。 |