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■オープニング本文 ●死人憑き 吐息をひとつ。 ゆっくりと張り巡らされた神経の束に意識を送り込む。 途端、流れ込む獲物の恐怖と絶望に――飢餓を潤すその甘美な味――狂喜にも似た愉悦が湧いた。ひと息に貪り喰らいたい衝動を堪え、それはさらに慎重に獲物を探る。 人間の身体は意外に繊細な構造をしていて、急いて無理に動かすと容易く壊れてしまうのだ。腕や首がいくらか捻じれていたところで器にさほどの支障はないのだけれど、周囲の人間たちにとっては酷く奇異なモノにうつるらしい。己の存在が彼らに知れれば、面倒なことになる。 幾度か失敗し――痛い思いもして――それは慎重になることを学んだのだった。 ゆっくりと。 時間を掛けて、神経を繋ぐ。少しずつ器の中へと外の気配が流れ込み、全てが仕上がる頃には僅かに残った器の意識は完全にそれのモノに喰い尽くされて死の境界すら覚らぬまま儚く最後の吐息をこぼした。ひっそりと途切れた拍動を最後の一拍まで味わい尽くすとそれはようやくゆるゆると瞼を開き、獲得したばかりの新たな感覚と共に世界を眺める。 驚愕と疑惑、恐怖、動揺‥‥そして、漠とした喜色‥‥ 様々な表情をその面に張り付けた家族と知人――次なる獲物たちが――黄泉路より息を吹き返した「彼」を取り巻き、見下ろしていた。 ●影に潜む ‥‥ずく‥り‥‥ 皮膚の裂ける不気味な音を響かせて、切り離された腐肉は滴る体液と共に骨より剥がれて大地に落ちる。 崩れ落ちた肉塊には目もくれず、水橋恭也は死体より弾き出された――恵花の目にはむしろそちらが核であるように見えた――黒い影に刀を突き立て、地に縫いとめた。 穿たれた影が蛇のようにのたうち、瘴気を撒き散らしながら怜悧な光を宿した銀刃より身を引きちぎる。散逸する瘴気の一片が薄暗がりに零れ落ちる様に、水橋はほんの僅か眉をしかめて刀を引きぬいた。 「‥‥逃げられた‥」 「そ、そんなっ!」 ぺたりとその場に尻もちをついたまま、恵花は思わず淡々と事実だけを口端に乗せる剣士を見上げる。――本当は、命があっただけでも幸運だと言わねばいけないのだが。 礼を言うべきだと判っていても、アヤカシを取り逃がしたと聞けばなにやら口惜しい。 水橋を供に付けてくれたのはご隠居さまで。その、ご隠居さまより言い遣った用件がまだ果たせていないのだ。‥‥訪ねた長屋の有様を見れば、もはや果たすべくもない。 ご隠居さまのお遣い先ごと、アヤカシが喰い散らしてしまったのだから。 「‥‥ギルドに、ギルドにお話ししましょう!」 影の如く人に取り憑くアヤカシが、神楽の都に入り込んでいる。 刀を収めはしたものの流石に油断なく周囲に気を巡らせている水橋の袖を掴んで、立ち上がった恵花はようよう言葉を紡いだのだった。 |
■参加者一覧
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
利穏(ia9760)
14歳・男・陰
黒木 桜(ib6086)
15歳・女・巫
羽紫 稚空(ib6914)
18歳・男・志
煌星 珊瑚(ib7518)
20歳・女・陰
影雪 冬史朗(ib7739)
19歳・男・志 |
■リプレイ本文 遠巻きに長屋を取り囲む人垣より向けられる視線が背中に痛い。 裏長屋の入り口に立った羽紫 稚空(ib6914)は、恋人である黒木 桜(ib6086)の肩越しにちらりと集まった人の群れに視線を走らせ吐息した。 繁華な都心よりいくらか鄙びているとはいえ、大勢の人が暮らす神楽の町中でのアヤカシ騒ぎとあって、完全な人払いは難しいだろうと予想はできたが、野次馬多さにはいささか辟易させられる。 怖い物見たさの好奇心と開拓者への期待。 相手が微弱な下級アヤカシであるという情報が広まっているらしく――住民たちの間に無用の恐慌を巻き起こさない為には、必要な処置だったのかもしれないが――不安とごく少量の好奇心の入り混じった野次馬を背負って行動するのは、今までにない経験だ。 「‥‥隠密行動や潜伏に長けたアヤカシなんて、下手に強いだけの相手より厄介そうなのに‥」 「まったく。厄介だな」 憂いを込めて眉を顰めた利穏(ia9760)の嘆息に、皇 りょう(ia1673)も煩わしげに肩を竦める。 この類のアヤカシは瘴気の濃い場所で発生するのが常であったはずだが、こんな町中で発生するとは忌々しき事態だ。いったい、どこから持ち込まれたのか。 気難しげに眉根を寄せたりょうの許へ、長屋の所有者である地主を迎えに行っていた菊池 志郎(ia5584)が差配人を連れて戻ってくる。 「取り憑かれていたのは、最近、こちらの長屋に流れ着いた折伏師だそうです。かなり評判だったようですね。‥‥なんでも、死者が蘇ったとか」 「‥‥へぇ‥」 蘇生したのではなく、アヤカシが取り憑いて動かしていたというのが真相だろうか。――喜ばせておいて、弛んだ警戒心に付けこむとは質の悪いアヤカシだ。 胡乱な話に、煌星 珊瑚(ib7518)は不敵に眸を輝かせる。 「‥‥水橋様が対峙された時には身体は既に腐りはじめていたと言いますし‥‥こちらに移ってきた時には既にアヤカシに操られていたのでしょうか」 少し離れた所から重い沈黙を湛える長屋へ眼差しを向ける水橋恭也へ視線を向けて、桜は悲しげに表情を曇らせた。その言葉に肯首したフェルル=グライフ(ia4572)も、いっそ悪意さえ感じる所業に嫌悪と憤りに眸を歪ませる。 「何度も人に憑依するアヤカシと戦ってきましたけど、そのやり口はいつ聞いても慣れませんね‥‥」 命をあるままに吸い取り、外容はそのままに。 善意をもって接する親しき者の生命を次なる糧にせんと触手に絡める―― 「人の生を弄ぶその行為、絶対に見過ごすわけにはいきませんっ!」 「死者を辱めるその所業、許すまじ」 高らかに打倒を誓うフェルルとりょうの宣言に、利穏は大きく、影雪 冬史朗(ib7739)もつられて静かに肯首した。――力強い宣言に、人垣から喝采が湧く。 「‥‥先にアレをなんとかしないといけませんね‥‥」 弱った者が標的にされ易いのは確かだが、必ずしもそれが絶対とは限らない。 もう少し危機感を持って自重してもらわなければいろいろ差障りがありそうだ。――開拓者の存在にすっかり慣れた感のある神楽っ子に、菊池は少し呆れた風に肩をすくめた。 ● 一見、生きて活動しているように見えても、その身体が腐りはじめれば、異変は瞭然。 水橋の追撃に身を引き千切って逃げ出したアヤカシは、その際、蓄えた瘴気の大半を失っていた。――うっかりすると《瘴気結界》の網にも掛らぬくらい微弱化してしまったのは、誤算と言えば誤算だったが。 「傷を負っているのなら、まだそれほど遠くには逃げていないと思うのですが‥‥」 利隠が拡げた地図を眺めて、菊池はゆっくりと自身の考えを整理しながら言葉を紡ぐ。 この界隈は長屋の多い下町で、煩雑な上に人目も多い。理性ではなく、本能が生む用心深さであるのなら――所詮、相手は下級アヤカシだ――迂闊に動き回ることを避けるはず。 「‥‥ひょっとしたら、どっかで俺らの動きを観察しているかもしれねぇな」 ちょっと顔をしかめて雑然とした周囲を覗う幼馴染の恋人の屈託のない言葉にふるりと身を震わせて、桜はそっと羽紫に身を寄せる。その可憐な仕草に、羽紫はたちまち双眸を和ませた。 「大丈夫だ。お前はこの俺が守ってみせるぜ!」 大好きだ――っ!! うっかりすると大声で叫び出しかねないデレっぷりに、珊瑚は思わず拳を握りしめ、 「‥‥ぃ、で‥っ! 何すんだよ!?」 「あら、当っちゃったわ。稚空、注意力散漫なんじゃない?」 つんと澄まして横を向く。ついでに、言葉少なに突っ立ったままふたりのやり取りを眺めていた影雪に、気さくな口調で言葉をかけた。 「冬史郎とは、依頼でつるむのは初めてだよね? 宜しく」 そして、影雪が「ああ」とも「うん」とも応えぬうちに珊瑚は地図を広げた利隠の手元を覗き込み、あれこれと振り分けに注文を付け始めた。気風が良くあねご肌だが、実はけっこうマイペースかも。 その珊瑚の助言(?)にいちいち律儀に頷きつつふと視線を上げた利穏の視界で、水橋は僅かに顎を引く。表情が読みにくいのは相変わらずだが、アヤカシを取り逃がした責任のようなものは感じているのだろうか。活気を失いひっそりと沈黙する長屋を見つめる姿は何処か落ち込んでいるようにも見えた。 「《瘴索結界》を使えるフェルルさんと桜さんは別れた方がよさそうですね」 それについての異論はない。 今回、影に身を顰めたアヤカシの瘴気を感知できる可能性のあるほぼ唯一の技である。――捜索範囲を広げる意味でも重複は避けた方が良いというのが共通の見解だった。 当然のように桜に付いていく羽紫と、顔なじみであるこのふたりとの同行を希望したのが珊瑚、影雪。 必然的に、りょう、菊池、利穏がフェルルと同行することになる。――戦力の格差が激しい気もするが、まぁそこは「友情」でカバーしてもらうことにして。 「水橋さんは、こちらに。上手く連携して、今度こそ追い詰めましょう。‥‥よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げた利穏の真摯な言葉に、水橋もほんの僅か首を傾けた。 菊池の提案どおり発端となった裏長屋を中心に、近隣住人たちへの効き込みと《瘴索結界》を使い少しづつ捜索の範囲を広げていく。有事の際の伝令には互いの朋友を走らせるということで話がまとまり、集まった野次馬の期待と憧れを背中に受けつつ捜索は開始されたのだった。 ● 秋の色を色濃く宿した蒼穹は、どこまでも高く透明で。 一頃の茹だるような暑気が嘘のようだ、と。通りを抜ける風に気がつけば紋付に懐手して歩いている己に気づいて、りょうは空を見上げた。 「季節の変わり目には調子を崩す者も多いと聞くが――」 力を削がれたアヤカシが狙うのは、己よりも弱いモノであることは想像に難くない。――清廉潔白を旨とし、道理を重んじるりょうには許し難い指向だが。――これも理(ことわり)のひとつなのだと怒りを呑みこむ。 被害を減らす為には、まず、敵を知ることも大切なのだ。 「近くに寝たきりの病人を抱えた家がないか訊ねてみましょう」 経済的に余裕のない長屋暮らしは診療所や治癒術師には縁のない者が多いのか、界隈に医者の看板を掲げる場所はないようで‥‥祈祷や折伏など、胡乱な商売が成り立つワケだと菊池は秘かに嘆息する。 疾病者の記録をアテにしていた利穏も、やや肩透かしをくらった格好になってしまったが、すぐに気を取り直し、近くの薬種問屋を当たることを思いついた。あるいは、こちらの方が客の幅が広く、見立てに責任を持たなくて良い分、店番の口も軽い。 訪れる客も「薬」を必要とする身とあってか、その手の噂話には敏感だった。 「そういえば、新本筋の植木屋のお舅さん。夏先にはそろそろお迎えが来そうな塩梅だって言っていたのに、涼しくなって持ち直したらしいですよ?」 夏の間、足しげく通っていた若いお嫁さんを、この数日、見かけていない気がする。 容態の好転について話を振ったフェルルに、薬種問屋の丁稚は記憶を手繰るように首を傾げた。――うちの救命丸は良く効くんです、と。ついでに商品を宣伝することも忘れない。 「植木屋さん?」 「はい。植木屋さんです」 植木屋なら狭い庭先でも商売物の庭木や苗が所狭しと並んでいるから、目隠しにはなる。 土や砂で三和土が汚れていたり、着ているものが泥だらけでも、それほど奇異には見えないかもしれない。――菊池と利穏は顔を見合わせ、行ってみましょうかと言い出したのは誰であったか。 主人の手で首輪に手紙を括り付けられた初霜が、喜び勇んで別れた仲間を呼びに賑わう雑踏に消えたのは、それから程なくのことだった。 ● 通り過ぎる風は既に秋の色濃く冷ややかだったが、降り注ぐ陽射しはぽかぽかと暖かい。 深まる秋に彩られた街を歩くそぞろ歩くには、格好のデート日和だ。――残念ながら、純粋にデートだと形容するにはいろいろと重いものがついて回るのだけれども――それでも、恋するふたりには、十分、貴重な時間といえる。 「つーか、憑依したアヤカシは痛みも何も感じねぇなんて、不気味だがちと羨ましい気もするよな‥‥痛みがなきゃ、怪我してようが平気で気にせず桜を守れんだからよ!」 「莫迦なこと言ってんじゃないよ。何も感じないってことは、愛だの恋だの騒ぐ心も感じないってコトでしょーが」 いつもにも増して上機嫌で恋人への熱い想いを口にする羽紫に、珊瑚はワザとらしく肩を竦めて盛大に吐息を落として見せた。痛いところを突かれて思わず口を噤んだ羽紫を押しのけ、珊瑚は桜に笑顔を向ける。 「でも、桜とまさか一緒に依頼に出られるなんて、非常時なのは解ってるけど、嬉しいな」 異性には容赦のない珊瑚の威勢に、桜もつられて笑顔を返す。――仲の良い友人と力を合わせる機会は、そう多くない。いつもとは少し異なる心強さがほんのりと胸の裡を暖めた。 屈託なく明るい珊瑚の存在は、ともすれば沈みがちになる心に適度な精彩を与えてくれる。羽紫とは別の意味で、大事にしたい繋がりでもあった。 「開拓者ギルドの者なんだが、少し話が聞きたい‥‥」 賑やかな友人たちを横目に、影雪は適当な人物を見かけては声を掛ける。 姿を晦まし、影に潜んだ姿なきアヤカシ。意識して見なければ見過ごしがちなその影を、あるいは、見るともなしに視界に入れた者がいるかもしれない。 用意した符を立て、珊瑚は呼び出した《人魂》を燕に変えて空に放った。 「どうだ、桜。何か感じるか?」 《瘴索結界》を使いアヤカシの痕跡を探す桜に、羽紫は期待を込めた視線を向ける。 羽紫の青い眸に揺れる疑いのない真摯な色に、桜は少し困った風に眉を下げた。――揺らめき消えいる直前の炎にも似た希薄な瘴気は確かに感じる。 ただ、それは―― ちらりと見上げた蒼穹を、滑るように小さな飛影が翳めた。 季節外れの、秋燕。符を媒介に瘴気を集めて作り出された珊瑚の、《人魂》‥‥あれはたぶん、アヤカシで‥は、ない。 ● 下町には不似合いな、静かすぎる寂寥が気に障る。 件の裏長屋より通りひとつを隔てた隣町――その、北の外れに位置する植木屋の寮。 枳殻の垣根の向こうには根鉢を菰で撒かれた若木が無造作に置かれ目隠しになっているせいで、ひっそりと沈黙を守る家屋の様子は覗い難い。 近くに住む差配人の話では、親方夫婦と、嫁をもらったばかりの長男夫婦に、次男と三男。見習いの弟子が3人。そして、薬種問屋の話題に上った舅が暮らしているはずだ。 静寂とは縁遠いはずの家を前にして、りょうはちくちくと肌を注す不吉の予感に無意識に首の後ろに掌を当てる。 ふらふらとどこか焦点の定まらぬ気配を纏い利穏を心配させていた水橋も、今は若木の林に眼を向けたまま‥‥指先は既に腰に佩いた刀の上に掛けられていた。 「‥‥‥間違いなさそうです‥‥」 《瘴索結界・念》の淡い光を纏ったまま、フェルルは沈痛な表情を浮かべて唇を噛む。 瘴気の気配は、確かに家の中にあり――強大とは言えない小さな存在ではあったが――物影に隠れて息を顰める弱々しさは消えていた。 《心眼》に映る「命あるモノ」の数をかぞえて、りょうもまたフェルルと同じく事態を覚る。 「踏み込むぞ」 「そうですね。――ただ、ここはそれなりに広さもありますから、黒木さんたちの到着を待った方が良いでしょう」 既に伝令は走らせてあり、返答も同様に。すぐに駆けつけてくるはずだ。 ぐるりと周辺の様子を確かめていた利隠の指差す方に視線を向けたまま、りょうの決意に応えた菊池は音もなく忍者刀「風魔」の鞘を払う。 「‥‥力負けはしないでしょうから、注意するのはアヤカシが逃亡しようとした時ですね」 「皆で囲んで道を塞ぐしかあるまい」 策を弄するのは性に合わない。そう言いたげな、いかにも武(もののふ)らしいまっすぐなりょうの思考に、利穏はほんの少し口許を綻ばせた。 フェルルと桜の《瘴索結界》があり、場合によっては《咆哮》で惹きつけることもできる。――いずれにしても、悪意の如く人の命を弄ぶアヤカシに活路を譲ってやろうという優柔は、彼らの見据える未来にはない。 ● アヤカシは人を喰らうもの。 人の暮らす場所に這い寄ろうとするのは、不思議ではない。‥‥不思議ではないのだけれど。それを差し引いても、昨今の神楽に於けるアヤカシの跳梁は少しばかり不自然だ。 「良からぬモノの介入している気配を感じるな」 細く立ち昇り蒼穹に吸い込まれる荼毘の煙と、弔いに集まった人々の間で献身的に動き回るフェルルと桜を眺めやり、りょうは秋空ほどには晴れぬ己の心と向き合う。 今のままでは、いずれ《ギルド》の手に余る日が来るかもしれない。――容易く消しさることのできぬ重い不安と焦燥は、心の底でいつまでも燻ぶり続けた。 |