|
■オープニング本文 メーメル城は帝国軍の手に陥ち、巨神機もまた開拓者によって打倒されて灰燼と帰した。 凍てつく冷気と吹雪を纏い《まつろわぬ》民の心を騒がせたヴァイツァウの乱の顛末は――異郷の開拓者の手を借りたとはいえ――辺境伯はその面目を保ち、帝国の盤石を固めたかに思われる。より深く広がったかに思われる傷跡も、最早、大帝の憂う処ではなく‥‥人々の歩み‥‥時の流れと共に風化していく記憶となった。 帰郷が叶うかもしれない。 コンラートの失政に振り回され――若しくは、アヤカシに追われて――反乱軍の支配地域より逃げ出し流民となった者たちの郷愁に差した光は雪を溶かす春の萌しの如く、胸中に希望を芽吹かせる。 「帰還の支援を?」 アルテーリャ・ヴォルガは、オレシア・ヴォルガより持ちかけた提案に小首を傾げた。 ヴォルガ氏族特有の意志の強そうな氷蒼の眸と陽光を思わせる金色の髪をしたこの2歳年長の従姉は、アルテーリャにとって頭の上がらぬ女性のひとりでもある。 「ええ。じきに雪融けも始まります。それからでは遅いと思って。‥‥雪が解けても、彼らには耕す土地を分けてあげることはできないでしょう?」 土地も、民も。すべからく皇帝の所有物とされるジルベリアでは、人々は移住すら自らの意思で行うことは許されない。カラフォンに居る限り、流民は根なし草でしかいられないのだ。 戦さが続いている間ならばともかく。惨めな現状に倦みはじめた者もいる。――カラフォンに暮らす氏族の者たちとの衝突も、少しずつ増え始めていた。 帰るのならば、早い方がいい。 夏の短いジルベリアでは、農作物の育つ時間はとても貴重で。殊に戦後処理に向けての増税が予想される反乱軍支配地域の農民たちにとって、生活の再建は早ければ早いほど救われる。 オレシアの眸に宿った真摯な慈悲に、アルテーリャは眉をしかめた。 「――簡単に言ってくれるが、口で言うほど容易くはないのだ」 いくらか減ったとはいえアヤカシは未だ人間の領域を侵し、放棄されたまま雪に呑み込まれた村もある。取るモノとりあえず戻ったところで、すぐに元の生活に戻れるワケではない。困窮は目に見えていた。それを承知で放り出したと謗られるのも氏族の誇りを傷つける。――他と比べて豊かな街だとはいってもカラフォンにも、そうそう余剰があるワケではない。氏族の力も禾倉の蓄えも、本来はカラフォンの民を守る為にあるべきものだ。 「せめて、アヤカシだけでも討ち払えれば‥‥」 言いさして、ふと。アルテーリャは視線を上げる。同じ記憶に思い当たっていたのだろう、聡明な従姉の眸にも希望の光が浮かんでいた。 危険を厭わず氏族に朗報を運んでくれた彼らなら、また、力を貸してくれるかもしれない。 |
■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167)
17歳・男・陰
トーマス・アルバート(ia8246)
19歳・男・弓
アイリス(ia9076)
12歳・女・弓
磨魅 キスリング(ia9596)
23歳・女・志
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
賀 雨鈴(ia9967)
18歳・女・弓
ザザ・デュブルデュー(ib0034)
26歳・女・騎
オラース・カノーヴァ(ib0141)
29歳・男・魔 |
■リプレイ本文 天儀では既に桜の散り初めが心を誘うこの季節。 嵐の壁を挟んで臨むジルベリアでは、未だ冷たい根雪が大地を覆う。――とはいえ、既に春遠からじ。幾度か足を踏み入れた開拓者の目にも、寒気の弛みはとても顕著で。 蒼穹に淡く紗をかける薄霞、膨らみ始めた木の芽に、アイリス(ia9076)はうんと気持ちよく四肢を伸ばした。呑み込んだ大気は冷たいが、いつかの肺腑を突き刺すような鋭さはない。 ああ、春は近いのだ、と。 賀 雨鈴(ia9967)も、ふつふつと湧きあがる喜びを歌に映した先人の感性へと想いを巡らせる。きっと、歌い出さずにはいられなかったに違いない。 優しげな春の陽射しは、心の雪をも溶かすのだろうか。淡い陽光に満たされた空を見上げてオラース・カノーヴァ(ib0141)が口ずさむ恋を讃える春の歌に、磨魅 キスリング(ia9596)だけでなくトーマス・アルバート(ia8246)、ザザ・デュブルデュー(ib0034)もまた、確かに萌す故郷の春を感じて眸を細めた。 雪融けが近い。 大地を耕す人々にとって、それは束の間の休息の終わりでもあった。 踏みしめれば水に変わる霙状のさくい雪に、赤鈴 大左衛門(ia9854)はほんの少し眉を顰める。彼の故郷の村でも、田起こしは雪融けと共に始まるのが通例だ。 種まき月は、いつも時間との戦いで。村のみんなが翌日の天気と気温を気に掛けながら、祈るように月の満ち欠けを見上げて指を折る。――夏の短いジルベリアならば、尚のコト。 「‥‥急いだ方が良いだスね‥‥」 ただ村に戻るだけでは、ダメなのだ。 今すぐ元の生活に戻ることは叶わなくても、いつか――時間が掛るのは理解っている――元通りになるのだという見通しが立てられなければ、人はすぐに希望を見失ってしまうから。 アルテーリャ・ヴォルガが開拓者たちに託したものは、単なるアヤカシ退治ではなく‥‥苦難に打ち勝つ意思と勇気が確かに存在することを戦乱に傷ついた民に知らしめる‥‥あるいは、餞であるのかもしれない。 「こっただ信頼に応えられンたァ男が廃るつぅもンしだス。けっぱるだスよ!」 《ぎるど》より貸し出された遠眼鏡を手に、気合を入れる。 目指すは、フィグーラ。先日、アイリス等と一緒にこの地を訪れた際に田吾作の背より見下ろした、地図にも載らない小さな村だ。――人気もなく雪に埋もれていた寒村の窓辺に灯をともす。その光景は、彼の夢に繋がっていた。 ●故郷への道 急ぐ気持ちは良く判る。 荷車に満載された資材や道具を横目で眺め、ザザは小さな吐息を落とした。――いくつかは、ザザ自身が手配したものであったのだけれども。 復興への前途を思えば、物資は幾らあっても足りない気がする。無論、物理的にも経済的にも全てを用意するのは不可能だし、1度に運べる量も限られていた。それでも、気が付けば遅れがちになる荷車とは対照的に、同行を申し出た代表者たちの足は時に危ういと感じるほど軽い。 「疲れたらおっしゃって下さいね、無理はなさらぬように」 やんわりと気遣を込めた滋藤 御門(ia0167)の言葉も、半分はともすれば前のめりになる彼らを落ち付かせる為に発せられているようなもので。 何事もなく村へ誘うのも役目のひとつだとはいえ、村人たちの口から流浪の身となった大凡の事情を聴いたり、ザザが書き起こした村の地形や家の配置を再確認しながら進行速度を調節するのも一苦労だ。 「この辺りは、まだまだ雪が残っているですね。‥‥トーマスさん、どうかしましたか〜?」 迷子にならぬよう理穴弓を手に荷車の轍について歩いていたアイリスは、ふと隣を歩くトーマスの視線に気づいて小首をかしげる。アイリスより70cmほど高い位置にある緑の眸の先にあるのは、目的地フィグーラではなく、ヴォルガ氏族の街カラフォンだ。 「なんでもない。‥‥いや‥ああいう人もいるのだな‥‥」 アイリスの問いに少し言い淀んで首を振り、トーマスは胸の底に芽吹いた想いを掬いあげるように言葉を選ぶ。 未来をしっかりと見据えて切り開こうとする人の姿は、トーマスが思っていた以上に強く美しかった。――故郷を想う気持ちは、正直、まだ理解できていないのだけれど。――それでも、何かしら力になりたいと思える程には、確かに胸を衝くものがあったのもまた事実。 「俺も、あの人の姿勢を見習いたい‥‥自分自身の運命を、切り開くために‥‥」 「なるほどですよ。オレシアさんは、美人でしたね〜」 トーマスの言葉に肯きながら貸し出された防寒用の毛皮の帽子を被りなおして空を見上げたアイリスは、碧落に見覚えのある飛影を見つけてぱっと明るい笑顔を浮かべた。 「先行していた人たちが戻ってきたですよ」 次第に大きくなる龍の姿に見知った顔を見つけてぴょんぴょん跳びはねながら嬉しげに手を振るアイリスの声に、御門は少し休息しましょうと足を止めた人々に言葉をかける。 先遣隊が戻ってきたということは、目的の村を占拠するアヤカシを見つけたということだ。――それは、復興に向けて取り組まなければいけないことの第一。そして、彼らが請負った仕事でもある。 ●冬祓い どこか調子外れにも聞こえるかすれた笛が冷やかな風を紡いだ。 雨鈴が旋律に織り込んだ呪縛の糸は、村の入り口付近で屯していた2匹のスノウゴブリンを絡め取る。 葛藤を表現するかの如く難解に捩じれる笛の音に酔いでもしたかのように、《鍋蓋》を装備した左腕がだらりとさがったその瞬間、 トーマスの理穴弓より放たれた矢は、大気を貫き狙いを違わずスノウゴブリンの肩を貫いた。 「ギャッ?!」 耳障りな悲鳴に、のんびりと弛んだ空気はたちまち戦場のそれへと変貌を遂げ、《炎魂縛武》の炎を付与した銘入りの槍を翳した赤鈴と呼吸を合わせ、磨魅も鞘を払ったフランベルジュの長い刃をスノウゴブリンへと突き付ける。 「我が名は磨魅キスリング!悪断つ義の刃なり!」 高らかな名乗りと共に繰り出された《巌流》の技は中空に弧を描き、フランベルジュの特徴でもある波打つ刃は反射的に身を守ろうと掲げられた手が握りしめていた剣を弾き飛ばした。 金属同士がぶつかり合う鈍い音が大きく響き、スノウゴブリンはその音に驚いた風に立ち竦む。――雨鈴の奏でる旋律の魔力に支配され、まるで攻守の整合がつかぬスノウゴブリンに、磨魅はフランベルジュを握る手に力を込めて大きく踏み込んだ。 アヤカシの実体を刈り取る鈍い感触が剣を通して腕に伝わる。その不快な感触を振り払うように、磨魅は強く気勢を張り上げた。 「ギャアア―――ッ!!!」 「ここは元より我ら人間の土地、返していただきますわ!」 断末魔の絶叫を残し、スノウゴブリンは黒い瘴気となって立ち消える。 圧倒的な力量の差を前にして、劣勢を悟ったもう1匹はその場より逃げ出そうと身を翻した。無駄のない滑らかな所作で番えられた矢は、吸い込まれるように、その歪な背中へと命中する。 狙い通りの《速射》の冴えに、アイリスは誇らしげに胸を張った。 「みんな気をつけて。戦いはまだ始まったばかりよ?」 そう皆を鼓舞する雨鈴の笛は、一転、華やかで勇壮な調べを歌い始める。 さほど大きくもない村のこと。騒ぎはすぐに聞きつけられて、アヤカシたちが集まってくるはずだ。勇気を呼び起こす《武勇の曲》に背中を押され、開拓者たちは磨魅、そして、赤鈴を先頭にして村の内へと足を踏み入れる。 ■□ 古い石積みの納屋の北側‥‥凍った雪が多く残る軒の下にどこか不自然な雪の塊を見つけて、オラースは注視しようとその双眸を細める。 半透明の溶けかけた氷にも似た塊は半ば埋まるように周辺の雪に紛れ込み、よくよく注意して見なければうっかり見落としてしまいそうだ。――赤鈴の《心眼》に依る場所の探知と、久しぶりの獲物の気配に逸って身動きするモノがいなければ、気が付かなかったかもしれない。 「本当に氷が動いているような生き物ですね」 なるほどこれが、と。オラースに指し招かれた御門も、どこか感嘆にも似た吐息を落とす。 ざわざわと伝染する不穏の気配に気を引き締めて、御門は小さな式を呼び出した。オラースも百合の装飾をあしらった杖を取り直し、詠唱の準備を整える。 「では、いきますよ」 ぽつり、と。落とされた御門の言葉を待っていたかのように、膨らみ切った殺気が弾けた。 ずずずと吹き溜りより身体を起こしたフローズンジェルたちは、一斉にふたりに襲いかかる。刹那―― オラースが完成させた《ファイアーボール》の呪文によって生み出された火球が虚空を奔り、大きく飛び上がったフローズンジェルに直撃する。 フシュゥゥ――ッ 炎による攻撃に苦悶をあらわしのたうつフローズンジェルに追い打ちをかけるように御門が呼び出した式もまた、操る炎をアヤカシへと叩きつけた。 「蒸発してしまえっ!!」 炎がもたらす昂揚に気を良くし、オラースはさらに留めとばかりに動きの鈍った群れの真ん中に、火をつけた焙烙玉を投げ込こむ。 ドォ‥‥ンッ!! 爆風に飛び散った雪と氷がふたりの術者に降り注ぎ、思いがけず冷たい思いはしたけれど。故郷に帰りついた村人たちの未来に立ちこめた暗雲を文字通り吹き飛ばした気分はなかなかに爽快だった。 ■□ 雨鈴の笛はさらに曲調を変え、積み上げられる勝利に弛みがちになる気合を引き締める。 スノウゴブリンもフローズンジェルも、少数ならば志体を持たぬ者でも追い払える程度の下級アヤカシだ。――油断さえしなければ、ヴォルケイド・ドラゴンとも渡り合う冒険者たちの敵ではない。 油断さえしなければ。 雨鈴の奏でる楽の音の効果か。あるいは、故郷に戻ることを夢見る流民たちの祈りに応えようとする強い意思が成し得た偉業だろうか。 天頂を過ぎた太陽が西に傾くより早く、彼らは村を占拠するアヤカシを掃討することに成功したのだった。 ●春を迎える 人の去った家は荒れるというけれど。 スノウゴブリンの手で破られた鎧戸を手際よく修繕する赤鈴を手伝いながら、アイリスは石積みの家を見上げる。――ところどころ屋根のスレートが落ちてしまっているのは、雪のせいかもしれない。幸い、屋根ごと持っていかれた家はなかったが、冬の間中、降り積もった雪を支え続けた個所にはそれなりのダメージが蓄積されているようだ。 「あれも直しておかないと雨漏りがするですよ」 「ンだな。こっちが済んだら屋根さ登って見てみるだスよ」 まずは、お泊りする場所の確保から始めなければ。 がんばるです、と。気合を入れ直したアイリスの後では、ザザがイフィジェニィに手伝わせながら自作した雪かき道具の具合を試していた。 思考錯誤しながら完成度をあげて行く様子は、見ている分にはなかなかに面白そうで。オラースもトーマスと共に、ザザに誘われるまま雪かきに参加する。日頃はおっとりと物静かな御門までが、持ち慣れないスコップを手に奮闘していた。 春の陽気が数日続けばあっさりと消えてなくなる雪も、人の手で動かそうとすればこれが結構な重労働。家と家の間を繋ぐだけでもあっという間に汗が噴き出す。 家の中では雨鈴が荒らされた部屋を片付ける村人の隣で溜息を落とした。 「‥‥もったいない気もするけど‥」 村を占拠したスノウゴブリンたちは食料を漁るついでに衣服や毛布なども手当たり次第に引っ張り出していたらしい。贅沢は言えないけれど、アヤカシが使っていたものだと思うとちょっと手が止まってしまうかも。 それでも何とか日没までには、心地よく疲れた身体を休める場所を確保して。 雨鈴の奏でる胡弓の調べをBGMに、依頼人がこっそり荷物に入れてくれたヴォトカの杯を傾ける。――4月の雪もそれなりに風情のあるモノに見えてくるから不思議なもので。 あと少し‥‥ 吹き溜った雪の重みで倒れてしまった獣除けの柵を直せば、帰還への形は整う。 雪どけまでに―― フィグーラの村は、きっと新たな門出を迎えられるはずだ。 まだ長い長い道程の最初の1歩を踏み出したにすぎないけれど――乗り越えなければならない困難は、まだまだこの先にある――それでも、踏み出さなければ永遠に辿りつけないのだから。 故郷を離れて好きなことがしていられるのは、あるいは、帰るべき家があるからこそなのかもしれない。ぱちぱちと心地よく爆ぜる暖炉の火をぼんやりと見つめるオラースの横顔を見るともなしに眺め、雨鈴はふと故郷の家族を思った。 |