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■オープニング本文 もふら牧場にはいくつか小さな泉がある。 清らかな澄んだ水は地下から湧き出ており、もふらさまが喉を潤したり、掬って遊んだりしていた。 水が豊かであればこそ、岸にはさまざまな草が生える。牧草を優先せねばならないため、定期的に手入れが必要なのだ――よって、瓜介は今日も草抜きに精を出していた。 『……今日もよい天気じゃ』 くわわーと大あくびをした磊々さまは、泉のほとりに寝っ転がって前足で水を掬っては、きらきらしながら水面に落ちていくそれを眺めている。 加減を誤ったか…… 「つべたっ!」 瓜介の肩に水がかかってしまった。 『おや。かかってしもうたか? すまぬの。まあ、この陽気じゃ。じきに乾くぞえ』 磊々さまはそう言って、ほほほ、と笑った。 「もう……」 瓜介は仕方なさそうにため息をついて再び草取りに向かう。 しばらくしてむこうから『ライライサマー。ライライサマー』と言いながら小さいもふらさまが駆けて来る。小さいといっても、体長五尺の磊々さまに比べれば、の話なのだが。 『なんじゃ、ちびども?』 面倒くさそうに首をぐるんと回しながらそちらを向いた磊々さまの顔面に、小さなもふらさまがぽふん、と衝突した。 『もふ……』 『……。速さも出ておらぬに、何ゆえ止まれぬのじゃ……』 磊々さまはぶつぶつ言いながら、もふらさまを顔から剥がす。そしてもう一度尋ねた。 小さいもふらさまたちはかわるがわる言った。 『ライライサマに会いたいって、もふ』 『泉から、ざばあって出てきたよ、もふ』 『黒いひとよ、もふ』 「……黒い……?」 思わず瓜介と磊々さまが顔を見合わせる。 確かにそれは『黒』かった。 その動物は黒い体毛が水に濡れて艶やかに光り、細長い体や丸い目、小さな手足の先には鋭そうな爪――カワウソのような、と表現したほうがいいかもしれない。 だが、普通のカワウソならば喋ったりはするまい。 もふら牧場の真ん中にある泉の一つに、それはいきなり現れ、近くにいたもふらさまを掴まえて『磊々殿はどこか』と尋ねたらしいのだ。 カワウソは磊々さまを見るや、泉から飛び出すと、ぺたりと地面に手をつき、一気にまくしたてた。 『あなた様が磊々殿でございますか! わたくしは九霄瀑泉におります者でございます。噂で山神の山をお救いになったとお聞きし、そのお力をお貸し願いたく参上つかまつりました! このままでは杲栴祭を行えず、我らは主様の加護を失ってしまいます! なにとぞ、なにとぞ九霄瀑泉をお救いくださいませ!』 あっけにとられてカワウソを見ていた瓜介と磊々さまだったが、何とか気を取り直した瓜介は、そのカワウソに訊いてみる。 「あのう、コウセンサイっていうのはなんですか?」 『杲栴祭を知らぬと――っと、ぬ。そなた人間か? まさか、アヤカシではあるまいな?』 カワウソは信じられない、というように飛び起きたが、改めて、胡散臭そうに瓜介を見てくんくんと匂いを嗅いだ。 『失礼なカワウソじゃのう。これは人間にして、わらわのお世話係じゃ』 「カッ……カワウソではございませんっ! これは世を忍ぶ仮の姿でございまするっ! 人間のお世話係……なるほど……い、いや。今はこんなことを言っておる場合ではなかった……」 磊々さまの胡乱げな視線に、カワウソは別の意味で衝撃を受けたようだったが、時間がないことを思い出したらしい。 経緯を話し始めた。 九霄瀑泉――そこには古より竜が住まうという。 その大瀑布は渓谷をくだりやがては石鏡最大の湖・三位湖へと注がれる。湖を潤す川の源水の一つなのだ。 毎年、夏になると人の踏み込まぬ深山のさらに奥……仙境にある霊木――杲栴が一尺ばかりの黄金の実を一つつける。 それを精霊たちは杲柑珠と呼んでいた。 あの世とこの世の狭間に凛然とたつ杲栴は不思議な力を持っており、杲柑珠は神力の粋ともいうべきものである。 神力の強い竜が守護する地にアヤカシなど入れようはずもない。清冽な水が守られたればこそ、その恵みも末広がりに及んでいくのだ。 小さくか弱い精霊たちは、その杲柑珠を九霄瀑泉の主たる竜にささげ、彼我の地の安寧と竜の加護を祈る。 それが精霊たちの祭り『杲栴祭』である。無論、人の知ろうはずもない。 「九霄瀑泉なんて滝、あったっけ? コウカンジュ……ふうん……。一尺ばかりの黄色い実っていうと、ザボンに似てるのかな?」 『ザボンなどではなーいっ! 杲柑珠は尊い果実ですぞっ!』 瓜介が何となく呟くと、すかさずカワウソが、がう、と牙を剥く。彼は素直に謝った。 「す、すみません……。で、さっき杲栴祭ができないって仰いましたよね?」 『左様! 盗まれたのですっ!』 その杲柑珠があろうことか、祭りの十日前にして何者かに盗まれた。 人ではない。ありえない。 杲栴があるのは仙境である。人が入り込むことなどできないのだ。普通ならば。 『何より、アヤカシであることはわかっておるのです。不気味な妖気を発する灰色の、ええ、大きな……二尺ばかりの猿が、霊木からもぎ取った杲柑珠を抱えて逃げるのを見た者がおるのです。その猿が奇妙な声を発すると、川の魚がなぜかそれにつられるように下流へ……』 カワウソは出てもいない汗をぬぐうような仕草をして、しおしおと髭と尻尾を垂らした。 『……こう言ってはなんだが、アヤカシは人間しか襲わぬと思うていた。それが、猿のアヤカシごときが仙境に入り込み、霊木に手をかけるということが、どうにも解せぬで……』 それは確かにそうだろう。だが、アヤカシについてはよく知らない瓜介は、どうしたものかと磊々さまに目を移した。 磊々さまはその淡藤色の体毛を陽光に煌かせながら、しばらく黙り込んでいた。 『……瓜介、開拓者ギルドへ応援を頼んでまいれ。……カワウソ殿よ、アヤカシが相手なれば、わらわや普通の人間では難しい。……九霄瀑泉の竜神のような高位の精霊ともなれば、おそらく下々の思いなど気にかけられることもなかろうが……この件、どうにも裏がありそうなのはこの際あと回しじゃ。まずは杲柑珠を取り返すことが先決と、腹をくくられよ』 『ははっ!』 カワウソは磊々さまの威厳に思わず平伏した。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
寿々丸(ib3788)
10歳・男・陰
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
一之瀬 白露丸(ib9477)
22歳・女・弓
弥十花緑(ib9750)
18歳・男・武
ジョハル(ib9784)
25歳・男・砂 |
■リプレイ本文 ● 九霄瀑泉からいくぶん下流に位置する場所で、磊々さまと瓜介、そしてカワウソが開拓者たちを待っていた。耳を澄ませば、轟、という大瀑布の落ちる音が遠く聞こえてくる。 磊々さまが何故ここにいるのか――やはり精霊の祭りが気になっているからのようだった。 「こんにちは、磊々さま!」 そう言って磊々さまに『もふぎゅアタック☆』なる新技を披露したのは巫女の柚乃(ia0638)である。 「よくご縁がありますね」 『ほんにのう。柚乃殿もお元気で何よりじゃ』 柚乃の言葉に磊々さまもほほほ、と笑い返す。彼女は、あ、と言って懐から包みを出した。 「これ、おみやげです。木の実詰め合わせとみたらし団子」 『おお! これは旨そうじゃ! いつもすまぬのう』 目を輝かせた磊々さまを見て、瓜介はこそっと言った。 「いけませんよ、あんまり甘やかしちゃ。そのうち柚乃さまに齧りつくかもしれません」 ころころ笑った柚乃の後ろから目をきらきらさせた陰陽師・寿々丸(ib3788)がぺこりと頭を下げた。そしてちらっと下から見上げる。 「お久しゅうございまする……それで、ですな……その……宜しいでするか?」 『おお、いつぞやの可愛らしい陰陽師どのかや。お元気そうじゃの』 磊々さまが鷹揚に頷いてみせると、小さな陰陽師は嬉しそうに抱きついた。彼曰く、このふんわり感が癖になるらしい。 そこへ琵琶を抱えた中書令(ib9408)が柔らかな物腰で一礼する。 「中書令と申します。よろしくお願いします」 それまで柚乃と寿々丸の言動にぽかんとしていたカワウソだったが、ここにきてようやく息を吹き返す。 『此度は磊々殿のお計らいにより、我らが杲栴祭のためにご助力いただけること、心より御礼申し上げる』 「人類未踏の仙境を救う依頼とは、恐れ多いながらも誉れ高い話だ。この皇りょう、推して参る所存なれば」 精霊を信奉する皇りょう(ia1673)は、『失敗はできぬ』との並々ならぬ決意とともに宣言する。彼女の心意気にカワウソはいたく感動したようだ。 「その杲柑珠って……ザボンじゃ代わりにならないんだよねぇ? どんな味なのかな。カワウソくんは食べたことあるのかい?」 顔の右半分を防具で覆われたジョハル(ib9784)が訊く。 「杲柑珠はザボンではございませぬ! 味……は主様しか。それに……コホン。わたくしのこれは世を忍ぶ仮の姿でございますゆえ」 そう言ってふんぞりかえったカワウソを、小首を傾げて珍しそうに見つめていた柚乃。 「あ。そのセリフ聞いたことあります。確か『……は世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実態は!』」 じっと見つめる彼女の大きな目にあわせてカワウソの目も大きくなる。 「……ナマモノさん?」 『…………。巫女殿。わたくしはナマモノでもございません』 カワウソは、ふー、と大きく息を吐く。彼らの後方でくすくす笑う声がした。 「……主様……竜神様なぁ……。ま、考えるんは後で、まずは返してもらいましょ」 弥十花緑(ib9750)はそう言って、とん、と紅い錫杖を肩にのせた。 こうしている間にも杲柑珠はどんどん流されている。 「竜神殿は、磊々殿よりも大きゅうございまするかなぁ。大事な実が無くなり、さぞ悲しゅうございましょう」 ふと傍らの磊々さまを見上げ、呟いた寿々丸は耳と尾をしんなりと下げた。 『それは、もう……主様はとてつもなく大きゅうございますぞ。……まったくあの猿め! 滝壺の大魚までも操りおって……』 カワウソは寿々丸に頷くと、思い出したようにぷりぷり憤慨した。 「猿と魚か……」 物静かな声で言ったのは黒い弓を背にした天野白露丸(ib9477)。彼女は筏に網が用意されていることを確認すると早速乗り込んでいった。 「悪戯小ザルにはお尻ぺん、だな」 くすりと笑いながら下流に向かい始めるジョハルに続き、猿を追う者と杲柑珠の奪還に向かう者とに分かれていった。 ● 河原は途中から消え、山林へと移る。寿々丸の『人魂』が文鳥となって空へ飛び立った。ジョハルは『バダドサイト』を、柚乃は『瘴索結界』を展開する。索敵は彼らに任せた皇は、いつでも弓を放てるように進んでいった。 文鳥の目を通して俯瞰する、渓谷の間を流れる川のいくぶん先に進む筏を確認する。ならば、アヤカシの猿もその近辺のはずだ。 今回の事件の内容に不可解なものが多く、本当に猿なのかと疑念を抱いていたジョハルは、寿々丸が伝えてきた方向に『猿』の姿をしたものを発見した。 そして皇もまた同じ疑問を持っており、大きな陰謀が裏に存在するのではないかとも思っていた。 「……筏で向かった方々は大丈夫だろうか……」 彼女は先を見透かすように目を細め、足を速めた。 一方、舵を取った弥十はたくみに筏を操り、大小の岩を難なく避けてゆく。中書令の『超越聴覚』が流れとは違う漣の音を拾う。彼の言葉どおり、周囲を警戒しつつ前方を見ていた天野の目に黄色い実が映った。 岸のどちらかにアヤカシの猿がいるはずだ。 「お猿さん、悪戯が過ぎる。あっちでお灸据えられてき」 呟きと同時に弥十が『一喝』を放つ。それは殷々と渓谷に響き渡り、ほぼ同時に放たれたらしい猿の『啼声』に重なる形になった。 それでも、魚の一部には猿の声が届いてしまったらしい。杲柑珠の周りで立っていた漣の一部が割れ、猛然とこちらへ溯ってきた。 「……魚は、あまり傷つけたくはないな……」 万一のため弓の準備をした天野は苦く呟く。 流れに逆らっても水中の魚の動きは速く、次々と筏の底に体当たりをしてくる。川の流れも早いうえ、魚が大きいぶんかなりの衝撃があり、筏は上下左右に激しく揺れ動いた。 弥十は筏の向きに注意しながらしっかりと舵を取る。天野と中書令の二人もバランスをとりつつ、放り出されないように筏に掴まった。 その揺れに耐えながら、中書令は琵琶をかき鳴らし『怠惰なる日常』を奏した。 向きを変え、再び体当たりを仕掛けようとしていた魚たちの動きが静まる。ほどなく、魚たちは呪縛が解けたようにさっと身を翻して見えなくなった。 弥十は筏を進め、杲柑珠へと近づいていく。中書令の琵琶が『夜の子守唄』を奏でると、大きな黄色い実の傍らにあった巨大な魚影が動きを止めた。それに付随するように泳いでいた魚たちが、ゆるゆると川底へ降りてゆく。 その間に、天野は手にしていた網を果実に向けて投げ、絡めとると素早く引いた。 筏を小さな洲へあげて、黄色い実を網から取り出す。 杲柑珠は――なるほど、ザボンとは似ても似つかぬものだった。つるんとしたなめらかな表面は淡く燐光を放ち、金色とも銀色ともつかぬさまざまな色合いをみせた。 「これは果実というより、巨大な宝玉のようですね」 中書令の感想に弥十と天野も興味深そうに頷く。 そして、弥十は杲柑珠を行李に隠し、しっかりと縄で括った。 渓谷を進んでいた一行の耳に猿の『啼声』と弥十の『一喝』が届く。 『瘴索結界』でアヤカシの存在を捉えた柚乃は、筏に向かって今にも飛び掛りそうな猿に、躊躇なく白霊弾を放った。 猿はギャッと声をあげて地上に落ちたが、杲柑珠が気になるのか再び川のほうへ走り出そうとする。その行く手に巨大な白壁が出現した。 「そちらには行かせませぬぞ! 大事な実を盗むなど言語道断でございまするっ!」 寿々丸は言いつつ、さらに符を出し『眼突鴉』を放った。猿は怒りに歯を剥きだし、手を振り回しながら攻撃を避け、するりと後方にまわると鴉に殴りかかった。 そして素早く身を翻して木上へ駆け上がろうとした足を、ジョハルの短銃が撃ち、再び地に落とす。 「精霊を苦しめるアヤカシとなれば、容赦はせぬぞ!」 皇の剣が唸りをあげ、アヤカシの腕を刎ね飛ばし、ジョハルの『ファクタ・カトラス』がその首を切り飛ばした。 猿のアヤカシは霧散し、消滅した。 彼らの後方に追いついた弥十、中書令、天野は更なるアヤカシを警戒していたが、それらしい気配は見つからなかった。 「何か、目的があって盗んだ……という事なのだろうが……見えないぶん不気味だな」 天野が『鏡弓』を止め、ため息とともに呟く。 「アヤカシがわざわざ盗みなんて……なあ。『一喝』が利けば、あのアヤカシの知能は獣以下。なのに腹の膨れんのをわざわざ……」 弥十も首を捻った。 「磊々殿も奇妙に思っていたようでするしな……。調べてみて、損はないと思いまする」 再び『人魂』を空に放った寿々丸も弥十に頷いた。 中書礼の耳にも、怪しい音は入ってこなかった。だが、黒幕はこの状況を何らかの形で観察しているはずだ。 結局、怪しいものは見つからず……多くの謎に開拓者たちの気持ちも何となくすっきりしない。 ● カワウソは杲柑珠を見るやむせび泣き、かたじけない、と叫びながら弥十の手を握ってぶんぶん振った。 杲柑珠はすぐさま精霊たちによって大事に抱えられ、ふっと彼らの目の前から姿を消した。 「しかし……猿やらアヤカシやら入れるなら、そこはもう神域じゃないんじゃないかな……それとも竜神様は心が広いのかな?」 ジョハルの言葉に、カワウソと磊々さまが目を交わす。 『開拓者殿。杲栴がございますのは『狭間』……いわゆる、あの世とこの世の境界なのです。主様のおわす高位の精霊界……すなわち神界とわれらの精霊界、獣界そして人間界、アヤカシの世界――わたくしがあなたがたとこうして言葉を交わせておるように、それらの界が少しずつ交わっております。『狭間』とはその交わった部分を申しますが、杲栴はそういった界の境目にある、とご理解いただくのがよろしいかと』 カワウソの説明に磊々さまが補足する。 『だからこそ杲栴に触れられたのはその『狭間』で存在できうるもの、ということじゃな――陰陽師殿の扱う『式』は、アヤカシのようでも本質はアヤカシではなかろう? かと言うて精霊でもない』 突然、磊々さまの視線を受けて驚いたものの、寿々丸はこくりと頷く。 何となく、きな臭い話になりそうなところで弥十が口を開いた。 「んん……脅かすわけやないけど。精霊さんらのお祭、よう気を付けてくださいな。……ええと、カワウソさん?」 『……これは仮の姿でございます! ごほん。以後は杲栴に守りを置く所存でございますれば』 カワウソはふん、と鼻から勢いよく吹き出すと、しっかりと頷いた。 「あ……そのお祭り見てみたいなあ……」 ぼそ、とジョハルが呟いたのを聞き取った柚乃も大きく頷く。 「竜神様も空を飛べたりする……?」 彼女はいつか竜神に会ってみたいのだと、大切な守袋の中の鱗を見せてくれた。 この少女がどこで竜神との関わりを持ったのかわからなかったが、カワウソは少し態度を改めながら頷いた。 『主様は、飛んでこちらとあちらを行き来なさいますな。ですが、祭には残念ながらお招きできませぬ――立ち入れば最後、二度と人間の世界には戻れなくなりますぞ』 それは困る、と開拓者たちは苦笑した。 「精霊の祭に興味は尽きぬが、人間が関わってはいけない世界なのやもしれぬな。せめて竜神様の御健勝と、精霊達の安寧を祈らせて頂こう」 皇が上流へ向かって呟くと、カワウソがこう言った。 『杲栴祭にはおいでいただけませんが、せっかくでございますから九霄瀑泉で一休みしていかれては』 彼らはどこをどう通っていったものか、まったくわからないうちに大瀑布の落ちる湖の前に立っていた。 圧倒的なまでの『力』と、美しさに声もない。 滝の上空は白くけぶって見えず、日の光に反射して虹がかかっている。滝壺あたりはかなりの深さがあるのだろう。はるか上空からどうどうと落ちてくる流れをゆったりと受け止めて見える。無論、水面下は激流の渦だ。 滝壺から岸に近づくにつれて、湖面は青から緑、透明に変化する。 「水に入ってみてもいいですか?」 そう聞いた柚乃にカワウソは、どうぞと促す。 履物を脱ぎ、冷たい水に足を浸すと疲れがすっと抜けていくようだ。開拓者たちはてんでに散って手で掬ったり、大瀑布に近づいてみたりした。 祭に参加できないことを残念に思ったジョハルは、その代わりにと磊々さまをもふもふしていた。 『……そなた、先ほど竜神様は心が広いのか、と言うておったな』 磊々さまは苦笑しつつ青年の好きにさせていたが、ふいに思い出したように言った。 『ここにおわすような高位の精霊には、我らが持つ『こだわり』というものはない。だからこそ神というのであろう? たとえば、ここがアヤカシに侵されたとしても、神はここを離れてゆくだけのことゆえ』 ジョハルは『ふむ』と考え込む。 「……こんなふうに、精霊の世界での出来事が知らないうちに私たちの命を繋いでいるってことが、世の中にはたくさんあるんでしょうね……」 瓜介がため息とともに呟けば、『そういうことになるのう』と磊々さまは軽く応えた。 『……かというて、精霊の世界に人間が入り込むわけにはまいらぬであろ。そういう繋がりがあると忘れぬことが肝要じゃの』 なるほど、と呟いたのはどちらの青年だったのか……。 と。 あちらで何か歓声があがる。 行ってみると、大きな魚が二度ほど飛び跳ね、滝壺のほうへと泳いでいくのが見えた。 「どうやら連れ戻してもらえたようですね」 中書令が微かな微笑みを浮かべた。 もとはこの滝壺に棲んでいた大魚だ。猿に操られていたとはいえ、あのまま下流に置くのは不憫だと思ったのだろう。 彼らはしばらく、竜神の膝元で水と遊び戯れ、ゆったりと過ごしたのだった。 陽天へ向かう街道の辻は、屋台に足を止めるものもなく先を急ぐ人々が行きかう。 椅子代わりの木箱に座っていた老人の手元へ飛んできた羽虫が、不意に煙のように消えた。 「……ふむ。猿は失敗か。さすがに開拓者相手ではな……しかも、またあの『もふらさま』とは……」 老人は低く独りごちると、くつくつ笑う。 「うむ。確かにあちらに手を出してはいかんな……」 手早く屋台をたたんだ老人は、一人納得したように頷くと、進路を陽天へと向けた。 |