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■オープニング本文 ● この界隈でも有名な好事家は、老いた商人が広げた『仮面』の数々に感嘆の声を洩らした。 大きな杏型の目の周りにきらきらと光る宝石がちりばめられたものや、陰影により表情が違ってみえるようなものまで……その中でひときわ異彩を放つ面があった。 「……これは、鬼面か……?」 「左様で。ちょっと曰くのあるもので、あまりお勧めいたしませんが……旦那様は目が肥えてらっしゃるので、お楽しみいただければと」 老商人は苦笑しつつ、好事家に言う。 「曰く……? それはどんな?」 好事家は興味を刺激されて問いかける。商人は鬼面に纏わる不気味な事件を放し始めた。 昔、遺跡の盗掘に入った賊がいた。人並み外れた身体能力を持っていたため、出くわした獣アヤカシも難なく斃し、さらに奥に進むと宝珠を守る鬼と会った。 賊はその鬼を死闘のすえ斃した。そのとき、鬼の顔から面がはずれて身体は瘴気となって消えたのだという。 宝珠と鬼面を持ち出した賊が、ある日この鬼面をかぶってみたところ、暴れ狂い、手当たり次第に殺傷していった。複数の私兵や傭兵が集まってこの賊を倒したが、鬼の面が外れたとき、その身体は霧散してしまったのだと―― 「その後、どのような経緯で今わたくしの手元にきたのかは、正直わかりかねますが、数百年を経てこうして存在しているのを見ると、なかなかに不思議な思いがいたします」 老商人はそう言って鬼面を見つめた。 「なるほどなあ……で、お前さんはこの面をつけてみたのか?」 好事家は感心したように頷くと、面白そうに老商人に尋ねる。 「まさか! 老いたとはいえ、狂い死にするのはご免でございますよ」 老商人は慌てて手を振った。 好事家は呵呵大笑し、これも縁だと鬼面を買い取ると言い出した。危険が付きまとうと渋る商人と押し問答を繰り返し、結局、商人のほうが折れた。 「ありがとうございます、と申し上げるべきか……でも、旦那様。くれぐれも、お取り扱いにはご注意くださいませ」 ため息をつきながら言った商人に、好事家は何度も大丈夫だと繰り返した。 老商人は恭しく一礼し、好事家の屋敷を出ると陽天の雑踏の中に消えていった。 ● 牧場主から言い付かった買い物のため、瓜介と磊々さまの乗る馬車が陽天への街道に出たのは日も中天に差し掛かるころ。 体長五尺の淡藤色のもふらさまは馬車の荷台に座っていてもよく目立つ。 『今日もいい天気じゃのう、お世話係よ。陽天でなんぞ旨いものを食わしてくりゃれ』 磊々さまは大あくびとともにそんなことを言う。瓜介は困ったように笑った。 「余分なお金はありませんよ。今日は買い物をしたらすぐ帰ります」 『つまらんのう』 街道の辻に差しかかったとき、小さな屋台が見えた。 「あれ? あの屋台、こないだの……」 瓜介の呟きに磊々さまも身を乗り出す。 『おお、いつぞやのぬいぐるみの屋台ではないかえ』 ふたりは馬車を止めると、屋台を覗いた。 「おや。こないだのあんちゃんともふらさまかい」 「ああ、おじいさん。会えてよかった」 屋台の老人はにこりと笑う。瓜介は大きなもふらのぬいぐるみがダメになってしまったことを詫び、開拓者の一人がかわりのぬいぐるみをくれたことを告げた。 老人は苦笑して手を振った。 「ああ。気にしないでおくんな。そのぬいぐるみもあんちゃんが大事にしているといい」 そして、ふと屋台を凝視している磊々さまに目を留めた。 「こちらのもふらさまは、何だか好奇心旺盛だねえ」 『珍しい物を見るのは楽しいぞえ? しかし、ほんに珍しいの、仮面とは』 屋台の陳列台半分を珍しい仮面が占めていたのだ。 「へえ……これって、ジルベリアの……?」 目が大きく小さな玻璃珠を散りばめた美しい面を、瓜介は覗き込む。かたや、のっぺりした感じの面は、屋台の老人曰く、面の向きによってできる陰影で表情が変わるのだという。 「なるほど……すごいなあ」 瓜介は興味津々でその面を眺める。が、ちょっと首を竦めるようにした。 「……この面、子供の頃に見なくてよかったかも。ちょっと怖い……なんだろ、得体が知れないっていうか……」 老人は笑いながら同意するように頷いた。 『お世話係よ、そろそろ行かねば買い物じゃろ』 「あっ、そうでした! じゃあ、これで」 「気をつけてな」 軽く手をあげた老人へ、瓜介はぺこりと一礼して馬車に駆け戻り、手を振りながら陽天へと向かって行った。 陽天は人・人・人で、普段のんびりした牧場で過ごしているせいか、瓜介は目が回りそうだった。 『しっかりせぬか。包みが落ちるぞえ』 磊々さまの叱咤が飛んでくる。今日ほどこの淡藤色の巨体が頼もしく思えたことはない、と瓜介は密かに感謝したものだが。 店の裏に停めた馬車へ戻ろうと角を曲がりかけたとき、女の悲鳴が響き渡った。 驚いて振り向いた先に、鬼の顔をした男が長い爪で女を切り裂いたのが目に入った。血しぶきをあげて倒れこむ女に鬼火が群がる。 街はあちこちで悲鳴があがり、逃げ惑う人で大混乱になった。瓜介は人波にはじき出され、できていた空間に転がり出てしまった。 「いたた……あ……」 鬼と目があったような気がした。そこで、違和感を覚える。 「……鬼の面……?」 呟いたと同時、誰かに跳ね飛ばされた。 『ばかもの! ぼさっとするでない!』 磊々さまは襲い掛かる鬼と瓜介の間に『もふアタック』で突っ込むと、青年を叱り飛ばした。 「すみません! あっ、磊々さま!」 不意をつかれ、磊々さまの巨体に突き飛ばされた鬼面の男は、淡藤色のもふらさまに逡巡をみせる。磊々さまは四肢を踏ん張り、 『チビもふらどもよ、そこな鬼アヤカシにアタックするのじゃ!』 かつてない迫力で檄を飛ばす。 道端で寝ていたもふらさまが、磊々さまの睨みに飛び上がり、えいとばかりに鬼面の男に体当たりをした。 『もふ!』 『もふ!』 勇気ある第一撃にならって、点在していたもふらさまたちが次々とアタックしていく。 それは何というか、涙ぐましい姿ともいえた。神のお使いが頑張っているのにと、逃げ出すのをやめた人々から開拓者を呼べ、という声があがる。 ぽこぽこと当たって行くもふらさまへ鬼の爪が襲い掛かるかに見えたとき、磊々さまが勢いをつけて鬼を突き飛ばした。 跳ね飛ばされた鬼はくるりと反転すると、ひょうっと屋根の上に飛び上がり猿のような身ごなしで逃げていった。 「磊々さま、大丈夫ですかっ?!」 いくぶん青ざめた瓜介が駆け寄ってくる。 『大事無い。……おう、チビども。ようやったぞ。うぬらはもふらの鏡じゃ。今日は旨いものをたんと食わしてもらうがよい』 磊々さまのお褒めの言葉に、小さなもふらさまたちは嬉しそうに『鏡もふ!』『お腹すいたもふ!』とか言いながら帰っていく。そして、磊々さまはくるりと向き直った。 『――して、お世話係よ。わらわは腹が減ったぞえ』 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
未姫(ib6460)
14歳・女・志
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
朱宇子(ib9060)
18歳・女・巫
葵 左門(ib9682)
24歳・男・泰
ジョハル(ib9784)
25歳・男・砂
鉄 千刀(ib9896)
20歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● 開拓者たちの一人、片頬を防具で覆ったジョハル(ib9784)は、鬼火が出ていることから消化用水の設置されてある場所を聞き、そして、それをすぐ使用できるように、と役人に伝えていた。 彼らが到着する前にも何度か陽天の裏通りにあたる場所で断末魔のような叫びがあがったのだという。ただ、賊なども徘徊する街のこと……ましてや裏通りともなれば、昼夜問わず危険な場所である。 「街中にアヤカシが出るなんて……怖い、ですね。なるべく早く、事態を収められるように、頑張りますっ」 詳細を聞いたあと、左右で大きさの違う角を持つ巫女・朱宇子(ib9060)は、聖宝珠を握り締めながら言った。 「うん。柚乃も転職後でまだ色々と不慣れな点もあるけれど、初心に還ったつもりで頑張る」 吟遊詩人として歩み始めた柚乃(ia0638)も可愛らしく気合を入れる。 大きな街ならばいずこも同じようなものだ――そんなことよりも『鬼面』のアヤカシに興味を抱いたらしい、葵左門(ib9682)は喉の奥で低く嗤った。 (呪いの類か負の感情を煽ったか……いずれにせよ、鬼に堕ちた人間とはまさしく興趣尽きせじとでも言うべきか。鬼面を作り出したものは随分と良い趣味をしているものだなぁ?) 己もまた鬼面をつけ、『修羅』として生まれたがために舐めてきた辛酸を揶揄してか……葵の言葉にはこ昏い闇が含まれる。 同じ修羅族だが対極の印象を放つのが、初依頼参加だという鉄千刀(ib9896)だろうか。今回は主に鬼火の対処に回る彼だが、 「俺ぁ斬れる時には斬りに行くぜ? 鬼火も悪くはねぇが……鬼面は面白そうな相手だ」 そう言ってにやりと笑う。その血気盛んな若者をからかうように、シノビの玖雀(ib6816)が言った。 「それはいいが、鬼面に気をとられて鬼火に火傷負わされるなよ?」 「そんなヘマはしねえ! 玖雀こそ投擲外して引っ掻かれんなよな!」 むっとしたような鉄が『うが』とやり返すのを、玖雀はさらりと受け流し、 「ありがとうよ。顔面虎にならねえよう気をつけるよ。――さぁて、お手並み拝見といこうか?」 既知らしい却光(ia9510)に視線を向ける。玖雀よりいくつか若い陰陽師で、長い付き合いの割に共闘したことはなかったらしい。 却光は軽く眉をあげ、笑った。 「こちらこそだ。料理の腕前とどっちが上か見せてもらうぜ」 「そりゃ料理に決まってんだろうが」 しれっと返ってきた玖雀の返答に、口を開きかけたものの、閉じる。 とはいえ、親しいが故に変なところは見せられない。 大の男がじゃれあうのをヴェールの下でくすくす笑いながら見ていた未姫(ib6460)だったが、笑みをおさめ『ふむ』と呟いた。 (鬼の面とな……何ゆえそのような面を手に入れたのじゃろうか……) アヤカシと変わり果てた好事家に聞いたところで、今となっては回答は得られぬだろう――それを『売った者』でなければ……。 ● アヤカシが出ようが賊が出ようが、陽天の『表』はいつもと変わらない賑わいを見せている。 「むう、ここは随分人が多いのじゃ。これ以上被害が出ぬうちに早々に退治したいのじゃが、あやつはどこにおるのかのう……?」 未姫が呟けば、ジョハルがくすりと笑う。 「季節外れな『鬼は外』だね」 最初のアヤカシ出現があった場所で、街のそこここに寝そべっているもふらさまが目に入る。それへ近づいた却光はしゃがんでよしよしと頭を撫でた。 「もふらたち、アヤカシにアタックしたんだってな。よく頑張ったな。後は任せろ」 そう言うともふらさまは、にんまりして『もふぅ』と鼻から息を吹き出した。無論、モフモフ好きな柚乃とジョハルもひとときの癒しを楽しむ。 雑踏を抜けて案内していた役人が、もうすぐです、と口を開いたとき未姫が眼を眇めた。 「む? なにやら妾の相棒と同じような火の玉がおるようじゃが」 その声に役人は一気に蒼白になる。開拓者たちは未姫の指すほうを見た。 宙にゆらゆらと不気味な火が浮いている。役人は震える声で、好事家の屋敷があるほうだと告げた。 「いくぞ!」 却光の一声に彼らは駆け出す。『お願いします』という役人の声が背中に届いた。 「偶然か必然か……屋敷にでも思い入れがあるものなのかね」 葵がくつくつと嗤う。 駆けつけた彼らの前に、好事家の屋敷の門は開かれていた――正確には、壊されていたのである。そして、整えられていたであろう庭は無残にも破壊され尽していた。建物の玻璃も破られており、そして、あちこちにおびただしい血痕が散っていた。 「……これは」 惨状に朱宇子は絶句する。 おおかた金目の物を盗みに入った賊が鬼面のアヤカシに襲われたものだろう。 揺れていた鬼火が三つ四つと増えていく。固まっているのを幸い、却光は『氷龍』を放った。宙で氷の塊と化した鬼火はパンと抜けるような音をたてて弾けとんだ。 「オラァ!! かかって来いやぁ!!」 鉄は刀を抜き『咆哮』を放つ。屋敷全体を揺るがす響きに引き寄せられ、いくつもの鬼火と、そしてソレが現れた。 一斉に鉄へと向かうアヤカシに柚乃が『重力の爆音』を放つ。そこへ葵の容赦ない攻撃が鬼火へ向かった。 「鬼は鬼でも俺には集まってくれんのか。まったく寂しいものだねぇ」 ちっとも寂しくはなさそうに鬼火を打ち落としていく。 一方、鉄も刀を鋭く走らせ鬼火の消滅に立ち回っていたが、『黒猫白猫』を奏して支援していた柚乃へ襲い掛かった鬼火が目に入り、ナイフを投げつけた。 目前で瘴気に変わる鬼火を見て、礼を言った柚乃に鉄がにやっと笑う。 「これくらいの曲芸はできるぜ?」 柚乃の『重力の爆音』で一瞬動きを止めた鬼面のアヤカシへ、すかさず『呪縛符』を放つ却光。 「鬼さん、こちら」 ジョハルが歌うように『ファクタ・カトラス』をアヤカシの脚へ仕掛ける。 鬼面の長い爪がジョハルに突き出されるが、『三角跳』で上方から放った玖雀の手裏剣がそれを阻んだ。 「祝詞もて 天地御霊に 舞い奉る 見えざる刃 つわもの達へ……!」 朱宇子が詠いながら『神楽舞』を舞い、仲間の攻撃力を高めた。そして却光の『呪縛符』が鬼面の動きを封じる。 動きを止めた一瞬を逃さず、未姫が『雪折』とともに『炎魂縛武』で一太刀浴びせた。 残る鬼火は鬼面の傍にいる三つ四つのみ―― 「俺ぁ手前を斬りたくて、ここに来たんだよ」 嬉々として一閃した鉄の攻撃を、鬼面は薄皮一枚の差で避ける。そして、跳ぶように後退した。 面の口が呪詛を形作る。ジョハルは素早く宝珠銃に持ち替え、その額を狙った。同時に地を蹴った鬼面と、一瞬の差で弾丸は鬼面片角を打ち抜いたが、カマイタチのような速さで迫った毒の爪がジョハルの腕を切り裂いていった。 「く……!」 「ジョハルさん!」 朱宇子が駆け寄り、『解毒』を施す。 そのまま屋敷の塀を越えようとした鬼面の脚を、葵が『金魚掬』で打ち払いながら嗤う。 「クククッ……そう睥睨しても瘴気に囚われた傀儡ではなぁ。人間の情の方がよっぽど恐ろしい……いずれ俺の鬼面にも瘴気が宿るのかね」 さらに却光が『呪縛符』で鬼面の両足を絡めとる。 玖雀の手裏剣が鬼面についていた鬼火を一体落とし、羊姫と鉄が殲滅させた。返す刀で鉄は鬼面に『強打』を打ち込み、片腕を切り落とす。唸り声をあげ、もう一方の毒爪が彼に襲い掛かった。 間一髪でそれを避けると、鉄は笑った。 「楽しいねぇ……強ぇヤツと戦うのは、本当に楽しいぜ……!!」 ――だが。 「残念だがこれ以上時間かけるつもりはねえ……『勝負だ!』」 鬼面を正面に、却光が漆黒の刀を抜き放って叫んだ。 その合図に――玖雀は『影』で鬼面の懐に入る。 「フン、そんなもんつけてるから視野が狭くなるんだよ」 苦無を素早く抜きざま後退した玖雀と入れ替わるように、却光が『霊青打』を発動させ青白い光を放つ霊剣を振りかぶった。 「ウン・バク・タラク・キリク・アク!」 裂ぱくの気合とともにまっすぐ打ち下ろし、鬼面の身体を一刀両断した。 断末魔の絶叫を放ちながらヒトガタの紫の瘴気が散るなか、 「阿修羅の前に平伏し、終華により散りたもれ」 詠うような未姫の声とともに放たれた一撃が『鬼面』を真っ二つにして、『阿修羅』の刀身は鞘に収まった。 割れた面はばらばらに、宙で霧散し、消えた。 「……道具に憑く、付喪神みたいなアヤカシだったのかな……」 朱宇子はふっと詰めていた息を吐くように呟いた。 ● 開拓者たちが屋敷から出ると、入れ替わりに役人達が入っていった。先に道案内していた役人が開拓者たちに一礼し、屋敷の捜査に加わっていった。 一旦、役所へ戻った彼らを待っていたのは磊々さまと瓜介だった。 「ご苦労様です」 巨大なもふらさまの後ろで青年がぺこりと頭を下げる。面識のあった玖雀とジョハルが軽く手を上げ、柚乃は微笑んだ。 (淡藤色のもふらさまと、お世話係の男の子……? あれ、この組み合わせどこかで……姉さんから、かな?) 朱宇子は首を傾げながら、記憶をたどってみる。確か山神様の依頼で会ったと言ってなかったか……? そして。 「磊々さま!」 柚乃は嬉しそうに磊々さまに飛びつく。 『おお、巫女殿。ご苦労じゃったのう……ん? 転職? ほうそれはそれは』 「辞めたわけじゃないの。もっと精霊に近づきたい……もっと役立てるよう、可能性を広げたい……っていうのかな。んー、上手く言えないけど……新しい自分を見つけたいの。……あっ、そうだ、これ。もふらさま型でマドレーヌ焼いたの。手作りです!」 はにかんだような複雑そうな表情で告げた柚乃は、思い出して手作りのお菓子を磊々さまに差し出した。 『おお、手作りとな! いつもすまぬのう……旨そうな匂いがするのう! これ、お世話係よ。わらわのおやつゆえ、名前を書いておくのじゃ』 「はいはい」 瓜介は苦笑しつつ柚乃からマドレーヌを受け取る。 『いろいろしてみるのもよろしかろう。柚乃殿の見識がそれだけ広がるということゆえ』 磊々さまは少女の転職をそう言って祝福した。 横から『俺もー』といって磊々さまに抱きついてきたのはジョハル。 「磊々さま。この間『あの世とこの世の狭間』を見たけれど、あの時はカワウソくんにあの世に連れて行って欲しいと思ったんだよ……でも、安易にあっちに行ったら追いかけてきて殴りかかってきそうなヤツに再会しちゃったからね……容易ではなさそうだよ」 ぽつりと呟き、何か思い出したのか苦笑しながら肩を竦める。 それへ、柚乃も少し驚いたように同意の頷きを返した――例え、天儀に帰ってこれないとしても、と思うほどに―― 「……それでも、柚乃はいつか行ってみたい」 そういって、精霊界へ思いを馳せるように遠いまなざしをした。 年若い開拓者たちの思いに何を思ったのか――磊々さまはしばらく二人を黙って見つめていたのだったが、ふいにくすりと笑った。 『おやおや。少しお疲れじゃったかや? 心配なさらずとも、精霊界は消えて無くなりはしませぬぞえ。お二人があと百年ばかしこちらで生きていたとて、なんら変わりはせぬ。あそこは時間などあってなきがごとしじゃ――ならば、この有限の世を味わいつくして参られよ。さすれば精霊界とて、お二人には面白いものとして眼に映ろう』 「……精霊界とな? なんのお話じゃ?」 そこへ、興味津々といったふうに未姫が覗き込んだ。 磊々さまが以前、精霊たちからの依頼で九霄瀑泉という滝に行ったのだと簡単に説明する。未姫は『ほう』と言って面白そうな顔をした。 「あ、そうだ。以前の報告書も目を通したけれど、ぬいぐるみといい、今回の面といい……瓜介? 気を付けた方がいいかもしれないね」 思い出したように呟いたジョハルが、瓜介に顔を向ける。 「えっ?」 「……ほら。磊々さまは可愛いから」 急に話をふられて焦りまくる瓜介へ、ジョハルは真顔で言った。 『鬼面』という言葉に反応したらしい葵がくつり、と喉を鳴らす。 「仮面の主は何者なのかねぇ? 呪いや謂れ……人間はそうしたものに魅入られるようだからなぁ。ククッ。好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ」 一風変わった開拓者だと思ったのか、磊々さまは珍しそうに彼を注視したが、やがて、さもありなん、と頷く。 『……さよう……いくつか符合するものがの……』 言いかけ、瓜介の存在に気付いてふと口を閉ざした。 「さて、じゃあ帰るか!」 頃合を見計らったように玖雀が声をかけた。 朱宇子や却光も別れの挨拶とともに磊々さまを撫でていく。 「皆さん、ありがとうございました」 『また牧場へも遊びにきてたもれ』 瓜介はぺこりと一礼し、磊々さまと一緒に彼らを見送った。磊々さまが瓜介に顔を向ける。 『さ。お世話係よ。わらわたちも帰るぞえ』 「はい。日が暮れないうちに急ぎましょう!」 そろそろ宵の時間を迎えるが、街にはあちこちに灯がともされ、昼と変わらぬような賑わいを見せる。 その光の届かぬ路地で、一人の老人がくすりと笑みを洩らした。 「おやおや……もうあの辻では商売できないな。そういえば……呪いや謂れに人間は魅入られると――まさしくまさしく。そのとおり!」 屋台の老人は楽しげに、可笑しそうに嗤いながら闇の中へ消えていった。 |