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■オープニング本文 ● 木々の間から時折見えるのは石鏡の中央にある三位湖。 旅の絵師は網代笠をちょいとあげて、鏡のような湖を眺めた。 強い風が山の上から駆け下りていく――彼の黒い裁着けに色づいてきた木の葉と、小さな花弁がついていた。 「……おや……」 絵師は呟き、その花弁をつまんでみる。 桜――? 秋……それも、冬がすぐそこまできている季節なのに……? 絵師はしばらく花弁を見つめ、風が吹いてきた方を見上げた。 木々の間を縫いながら山を登っていく。 ときおり吹く風が連れてくる花弁が、彼の目的地を知らす。 ざあっ 強い風が木々を揺らし、葉擦れの音が雨のように聞こえる。 巨大な岩に手をかけ、ひょいと身体を岩の上に持ち上げた。 「――っ!」 絵師は、あらわれた満開の桜に息を呑んだ。 四方に大きく伸びた枝は見事で、咲き誇る花はすずなり。これほどの枝ぶりならば、幹はおそらく一抱えでは足るまい。 山桜は千年を生きるというが、この桜もゆうに数百年を超えているだろう。 だが――。 (……生きたものの気配がしない……) 彼が志体であるからそう感じるのか、絵を描くものだから感じるのか、それは定かではない。 だが、はっきりと判る。 この桜から感じるのは生命力ではなく『妖気』だった。 絵師は桜から目を転じ、ぐるりを見渡してみる。すると、桜から北東の方向に里が見えた。 ● 里は閑散としており、こんな昼日中だというのに子供もいない。 絵師がある家の前を通りかかったとき、 「化け物! こんな昼間っからきやがったな!」 一人の男が戸を開けはなつやいなや、鍬を振りかぶって殴りかかってきた。 絵師はひょいと避ける。 「ちょっと、お待ちなさい」 「うるさい! 化け物のくせに、女を誑かしにきたな!」 男は鍬をぶんぶん振り回しながら絵師に怒鳴る。 (やれやれ……) 絵師は内心で溜息をつくと、鍬の柄を掴んで止めた。 「ぐっ! くそっ、離せ!」 男はびくともしない鍬をぐいぐい引っ張ろうとする。 絵師は静かな声で言った。 「私はアヤカシではありません。旅の絵描きです。あの桜のことを聞きたくて訪ねました」 「何だと化け物……え? 絵描き……?」 男はきょとんとして絵師を見上げた。 「いや、すまねえ。こんな辺鄙な所に来る人間なんていねえし、ましてやそれが色男とくりゃ、てっきり……」 男は言いながら頭を掻いた。絵師は苦笑しながら彼に着いていく。 里の者は小さな神社に身を寄せ合うように集まっていた。 一日に何度か交代で男だけが里の家に入り、見張っているのだと言った。 「長老、旅の絵描きさんがあの桜のことを聞きてえそうだよ」 男はそう言って絵師を長老に引き合わせてくれた。 「あの桜は村の守り神だったんですがの……ある日、武者があの木の根元で死んでおった。どこぞで合戦でもあったのか、わからんが……それからおかしゅうなった……」 長老は深い皺に埋もれるような小さな目を悲しげに閉じる。 桜の傍には山神を祀る小さな祠があり、里の者は桜とともに大切にしていた。 不憫に思った里の者たちは桜の下で死んでいる武者を葬ってやろうとした。だが、なぜか鎧しか残っておらずそれを着ていたはずの遺体はどこにもなかったのだという。 鎧だけでもと葬ったのだが、その夜、里の者がひとり行方不明になった。 最初、里の者たちは山へ入り込んで迷ったのだろうと思っていたらしいが、毎夜毎夜、ひとりずついなくなる。 そしてある日、咲くはずもない桜が満開になった。 「……桜は日に日に禍々しい気を放つようになりましてな……村の者で切ろうと思ったんですがの、地中から大きな針のようなものが出て……」 「それがまるで百足の足のように動いて、おまけに桜のそばに気味の悪い兜が浮かんでるんです」 長老の言葉を引き次いで、別の男が言った。 ぷかりと浮かんだ『兜』は不気味な声を発し、里の者たちは一目散に逃げ帰ったのだという。 「浮かぶ兜と、地中から百足の足……? しかも一人ずついなくなる、と……?」 訝しげに呟く絵師に、長老が納得がいかぬというように首を振った。 「鎧兜はともかく……大百足は山の守り神。山神が人を喰らうなどありはせぬ」 「だけど長老。あれはどう見たって……」 「ちょっと待ってください。大百足が山の守り神……?」 長老と里人の会話に絵師が割って入る。 百足が山の守り神だとする話は初めて聞いた。『百足』を題材にした絵や紋などの多いことは知っているが……。 長老は『ああ』と頷いて笑う。 「百足神は『金気』をあらわす……木火土金水……五行相克というものを聞いたことはありませんかの?」 「それは存じております。……では、『竜』が水を司るとすれば、『百足』が金を司る、ということですか……?」 「そういうことになりますかの。じゃから、『竜』は『百足』を嫌いますのう」 「なるほど……ではこのあたりは、鉱物が多いのですか……?」 「ご明察じゃ、絵描きさん」 長老はにっこり笑って頷いた――だが、ほどなくその笑顔も消える。 「じゃが、もうあれは神とも言えん……鎧の幽霊のようなものが人を食い、桜が狂い、百足神までも……なんとかしてあれを切らねばならんのじゃが……」 桜の下で死んだ鎧武者がそもそもアヤカシだったのか、桜が狂って鎧兜のアヤカシを呼んだのか、それとも山神である百足神がアヤカシとなったのか…… いずれにせよ、このままでは里の者も、桜も、山神も禍々しい瘴気に呑まれていってしまうだろう。 「……あれほどの大桜、切ってしまうのはしのびないですが……」 「絵描きさんの言い分はもっとも。里の者も儂も、あの桜に見守られて生まれ育ったのじゃから……殺してしまうのは、しのびない……じゃが……」 長老は寂しそうに笑い、里の者たちをみて、ぽつりと言葉を落とした。 「じゃが……儂には、あの桜が泣いておるように見えるんじゃ……切ってくれ、と……」 |
■参加者一覧
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
アルセリオン(ib6163)
29歳・男・巫
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫
王 梨李(ib9904)
13歳・女・陰
宮坂義乃(ib9942)
23歳・女・志 |
■リプレイ本文 風信術師のもとから戻った絵師は、羽喰琥珀(ib3263)から受けた質問『土剋水』のはずなのに『金』の百足が『水』の竜を嫌うのはどういうことなのかを長老に訊いてみた。 「ああ……まさしく土剋水ですじゃ。百足は金気を司るものではありますが、土より生まれ土に属しますからの。里に伝わる話では、水が金を嫌うのは百足が蛇を喰らうからじゃと、言われとりますな。蛇も『水』をあらわしますからの」 「百足が、蛇を……?」 絵師は興味深そうに首を傾げる。 「大蛇の脳を喰らうとか。ふふ……そのあたりの真偽はわかりませんがの……金気がさらに水気を取り込む……すると、こういったものができるのではないでしょうかな? ……尤も、これがどうこうというよりも、水は流れるもの。それを止められるということを、『嫌う』といわれたのかもしれませんのう……」 長老は懐から出した美しい水晶をそっと撫でた。 ● 開拓者たちは絵師に案内され、季節はずれの満開の桜を遠巻きに見ていた。 宮坂玄人(ib9942)は、桜の花が好きなだけに複雑そうだ。 「綺麗な桜なのに、すごく嫌な感じだ。なんとかしてやれないかな……」 ケイウス=アルカーム(ib7387)もまた、ぽつりと呟いた。 今回が初依頼だという王梨李(ib9904)は、風に花弁を預ける桜を見つめ、緊張しつつも決意に陰陽刀を握り締める。 (桜――サは穀霊。クラは神座のこと……桜は山から田畑の神が降りる依り代とされる、そんな神聖な樹木になんてことを……許さない) 「里の守り神たる桜、山の守り神たる大百足が瘴気により狂ったか……一度、瘴気によって穢れ淀んでしまった風の巡りを正すのは難しい。それでも、あるべき姿に近く取り戻したいものだな……」 低く呟いたアルセリオン(ib6163)に、熾弦(ib7860)はこくりと頷く。 「いずれも里の人々の心に根付くものなら、どうにかしたいところだけれど……」 (アヤカシを倒す、それだけの開拓者ではないようにしたいと思うけど、それは自分の働き次第、か) 最後は彼女の心中で呟かれた。 「秋に桜か〜。アヤカシがいなきゃそのまま花見出来たのになー」 と、こちらはあっけらかんと、琥珀が言う。 それへ、絵師が静かに微笑った。 「……本当に。春の盛りであれば見事でしたでしょう……」 近づく開拓者たちの気配を感じとったのか、ケイウスの『超越聴覚』が地中で蠢く何者かの音を捉え、アルセリオンの『瘴索結界』が桜の根元にアヤカシの存在を捉えた。 「いた……」 呟いたのはケイウスか、アルセリオンか…… 「怖いくらい、綺麗。……私にできること、精一杯するよ」 桜を見上げ、表情を引き締めた梨李は、すらりと陰陽刀を抜き放つ。 ざわり、と桜が震えたように見えたそのとき、樹の根元の土がぼこりと盛り上がり、血濡れた手がぬっと突き出された。 開拓者たちに緊張が走る。 ずるりと出てきたのは首の無い鎧武者――少し離れて鎧兜が不気味に浮遊していた。 「桜の下に首なし鎧武者……無駄に雰囲気あるなあ……」 ケイウスが辟易したようにぼそりと言う。 熾弦が鎧武者を桜から引き離すため、『怪の遠吠え』を放った。それに反応した兜が迫りつつ、『呪声』を浴びせる。 耳障りな音に顔を顰めつつ、ケイウスが『重力の爆音』で兜の動きを一瞬封じたあと、『スプラッタノイズ』を叩きつけた。 唸り声をあげて後退する兜へ、玄人がすかさず『炎魂縛武』で矢を放つ。兜の吹返を射抜いたそれを煩げに一振るいし、カッと『瘴気斬』を飛ばす。 「……くっ!」 複数の刃が玄人とケイウスを斬り付ける。だが二人は兜から目を放すことはなかった。 「風よ、彼の者に生命の息吹を……」 アルセリオンが魔杖を向け、二人を癒していく。 ケイウスが『重力の爆音』で兜の動きを封じ、玄人は立て続けに『炎魂縛武』で矢を打ち込む――兜は中空で霧散した。 「目視……固定。古の呼号――聞け! かの者の芽――砕け!」 動かない首無の鎧武者に、梨李が言霊とともに『砕魂符』を放ち、さらにそれへ熾弦が『力の歪み』を発動させる。 衝撃を受けたように半身を折った鎧武者の胴が奇妙な形に捻じられた。 鎧武者は持っていた刀を振り上げ、こちらへ突進しようと足を踏み出したが唐突に動きを止める。そして見えない鎖を断ち切るかのように、刀を振り回した。 「? あいつ、なんで来ねーんだ?」 刀に手をかけたまま琥珀が首を傾げ、熾弦は怪訝そうに武者を見た。 「……片膝の下から消えているな」 アルセリオンが指摘した通り、鎧武者の片方の膝下がない。 「人魂を放ってみます」 梨李が『人魂』の土竜を地に放す――そして。 「……巨大な、百足がいます……全体はわかりませんが、何かを顎が捕えて……鎧の一部……足です……」 梨李の言葉に、琥珀、アルセリオン、熾弦が顔を見合わせた。 「……大百足が、あの鎧武者の足を捕えていると……?」 確認するように訊いたアルセリオンに梨李が頷く。 「……じゃあ……肢しか出なかったというのは、あの鎧武者の足を捕えていたから……? でも……」 熾弦が呆然としたように呟く。だが、なにか釈然としない。 風は凪いでいるのに桜がざわめき、花弁がはらはらと落ちていく――依然、首無の鎧武者は刀を振り回していた。 少し眉根を寄せたアルセリオンは再び『瘴索結界』を発動させる。そして、息を呑んだ。 「……根元にあったアヤカシの気配は、鎧武者だけと思っていたが……」 「じゃあ、百足は……もう、神様じゃなくなってるってことか……?」 琥珀の問いに小さく頷くアルセリオン。 アヤカシとなってなお、鎧武者を拘束するその意味は……。 ケイウスは痛ましげに桜を見、瞑目する――そして、きっぱりと言った。 「一度アヤカシになってしまったら、もう戻れない。せめて、長く苦しまずに済むように……」 「桜は? 桜はどうです?」 玄人が勢い込んで尋ねる。アルセリオンは首を振った。 「わからない。根元の瘴気が強すぎる」 そうですか、と呟いた玄人は弓を握り締め、鎧武者の方へ向き直った。 「桜は俺の好きな花だ……無事を信じて目の前の敵と戦うのみだ」 だからこそ、終わらせる――低い呟きは彼女の中でなされた。 桜が狂い咲いたのは、ただ瘴気を養分にしてしまっただけか、アヤカシと化してしまったのか……大百足を鎮め、瘴気を払えば元に戻るだろうか――? アルセリオンの呟きを耳にしたとき。 里のはずれにある神社へ駆け戻った絵師は、絵を描く準備を始めた。 「どうしたんじゃ、絵描きさん……?」 驚いたように訊く長老に、ここまでの経緯を簡単に説明する。そして絵師は、長老と不安そうにしている里人へ穏やかな微笑を向けた。 「……どうぞ、皆様の記憶にある美しい桜を私に教えてください。……その思いは、必ずあの桜に届くでしょう」 大百足が鎧武者の足を捕えているとすれば、その武者を倒せば次は百足が襲い掛かってくるだろう――あるいは、武者に近づけば――。 ならば、地中の大百足を出してしまった方がいい。 ケイウスは桜の根元へ向け、『重力の爆音』を叩きつける。 一瞬の静寂―― どん、という衝撃が足裏に響いたのを感じた瞬間、それは地を突き破り、跳ねあがるように一気に姿を現した。 赤黒い硬質の体躯、鮮やかな濃黄色の無数の肢を持つ――恐ろしく巨大な百足。 がっちりとした顎に挟んでいるのは梨李が見た通りの、鎧の『足』である。 「……っ! それを離せ、ムカデ! 俺が斬る!」 琥珀は刀に手をかけ、大百足に叫んだ。 果たして――彼の言葉を解したのか、そうでないのか……大百足は吐き出すように『足』を放り出した。 枷を外された鎧武者は、怒りのままにこちらへ突進してくる。 琥珀は『居合』で鎧武者の胴を薙ぎ払い、一瞬、赤い閃光が走ったと見えたときには既に刃は鞘に納められていた。 首無の武者はゆらゆら揺れたあと、折れるように崩れ、瘴気となって霧散した。 大百足の顎がカチカチと鳴り、鎌首をもたげて開拓者たちへ敵意を向ける。 ケイウスが竪琴の弦に指をのせ、『スプラッタノイズ』で大百足を混乱させ、次いで『重力の爆音』に切り替える。 熾弦が『力の歪み』で動きを封じ、琥珀が『居合』で百足の肢を数本まとめて切り飛ばす。 ガアッと唸りをあげて襲い掛かった大百足の攻撃を間一髪で避けたが、その鋭い毒のある牙は琥珀の肌をかすめ、切り裂いた。 「彼の者を捕えよ……縛!」 梨李が『呪縛符』で大百足を拘束する。かぶせるようにケイウスの『重力の爆音』が叩きつけられた。 「守り神が何故、こうなったかは分からないが、退いてくれ」 玄人は力を振り絞るように『炎魂縛武』で矢を放ち、それは真っ直ぐ大百足の頭部へ突き立った。 怒り狂った大百足は地中より現した上体を激しく左右に捻り、火が付いたように暴れもがく。 ず、ず……という地響きが開拓者たちの足に響き、狂乱したような大百足を凝視する中、桜の巨木が大きく傾いだ。 「あっ……!」 ずうぅん、という重い音が響く。 あの巨木が根こそぎ引き抜かれたように倒れた――その、桜の根――それが、大百足の胴をがっちりと巻き込み、動きを封じていたのだ。 声もなく、彼らはそのありえない――ありえないと思っていた光景を見つめた。 暴れ、逃れようと身を捩る大百足だが、根はその体に食い込むようにきつく巻かれ、抜け出すことはできないようだった。 絵師は里人の声に耳を傾けながら、絵筆を走らせる。 「春はね、朝焼けにきらきらして、そりゃあ綺麗だったよ」 「花が散るのも綺麗だけど、おれは雪をかぶって立ってる姿もすきだなあ」 「硬い蕾を見ると、もうすぐ花が咲くなって楽しみだった」 生まれた時からあの大桜は彼らと共にあった――それは、彼らの人生の一部でもあるのだ。 絵師はその『桜』を描きとめてゆく。 「鎮めてやるしかないだろうな……」 大百足を見上げ、アルセリオンが低く呟く。 「俺が行く。援護を頼む」 琥珀はその目に強い光を浮かべ刀に手をかけた。 ケイウスは『重力の爆音』を、梨李は『呪縛符』を、そして、玄人はこれが最後と『炎魂縛武』を発動させる。 大桜の根に巻きつかれたまま、大百足は硬直したように一瞬、動きを止めた。 「礎は契約。敢行は我が名を以て。我が名は桃華の言霊師、梨李……術式完了」 梨李の厳かな声。 矢を受けた瞬間、大百足の首が落とされた。 巨大な百足の姿が揺らめいた瞬間、それは瘴気となって散り飛んだ。 ● 倒れた大桜の前で、長老や里人が見守る中、熾弦が『精霊の聖歌』を唄う――彼女の意識はすでになく、唄が終わるまで彼女は歌い続けるのだ。 アルセリオンは『神風恩寵』で穢れを祓おうと力を尽くす。 ふと、琥珀が大桜が立っていた傍にある小さな祠に目を留める。覗いてみると、一匹の百足が慌てたように陰に隠れた。 倒れた大桜は花弁を散らし、一気に枯れていく。 「あれ、これは……」 ケイウスが小さな芽をつけた大桜の一枝を慌てて折り取った。 「……これ挿し木にできないかな? 難しいかもしれないし元通りになる保障もないけど、命を繋げる可能性が少しでもあるなら……」 「じゃあ、それに岩清水をかけてみたらどうだ?」 そう言って琥珀が携帯していた岩清水を差し出す。 長老は『おお』と呟いて、かろうじて生き残った枝と、岩清水を受け取った。 「……ありがとうございます」 そう言って愛しむように枝を抱き、深々と一礼した。 瘴気を一身に受けた百足神も、その神を掴んで離さなかった古桜も……精霊の世界で何が取り交わされたのかは分からない。 「……ですが、思うのです……神々はそれほどにこの里とあなた方を慈しんでおられたのだろうと」 絵師は描き上げた大桜の絵を長老に手渡した――それは里の人々の心の中にある桜の姿だった。 受け取った長老はそれをしみじみと眺め、小さな鉢に挿し木にした桜の枝に目を落とす。 「咲き誇る姿、ちゃんとこの眼に焼きつけておくぜ」 描かれた桜の絵を見、玄人が笑む。 「いつかこの桜を見に来てーな」 琥珀が言った。 山を下り、都へ戻る仲間の後方を歩いていたアルセリオンは、ふと桜のあった場所を見上げた。 「……願わくば、新たな守り神がこの地に宿り、風の巡りを正さんことを……」 微かな声とともに風が吹き抜けていった。 |