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■オープニング本文 ● 安雲の都に入った絵師と修羅の子供・緋獅は小さな宿をとると、散歩に出掛けた。 安雲は石鏡の双王のお膝元である。都は様々な店、様々な人で溢れていた――いつかの開拓者が言ったように、緋獅の燃えるような赤い髪や角を見て『鬼だ』などと言う者は一人もいなかった。 二人は三位湖の岸辺に立つ。岸から安須神宮へ伸びる橋の欄干が碧い湖面に際立って見える。 「……緋獅。私はしばらくここで絵を描いている。お前はどうする? 宿の場所は覚えてるかい? 夕方には戻るが、疲れたら先に宿で休んでおいで。それから夕餉にしよう」 「うん、覚えてる。じゃあ、おれ街を歩いてくるね!」 緋獅はそう言って楽しそうに駆けて行った。 商店が立ち並ぶ界隈は、買い物客もさることながら、年の暮れも近いせいか気忙しい雰囲気だ。 緋獅は物珍しそうに店を覗いて歩く――そのとき、ふらりと歩いてきた着流しの男が上等な着物を着た壮年にどすん、とぶつかった。 「おっと、申し訳ねえ、余所見しちまって……」 着流しの男はへら、と笑いながら謝るとまた歩きだす。 緋獅は男が壮年の懐から財布を抜き取ったのを見ていた。 「おじちゃん! あいつ、掏摸だよ!」 緋獅は叫び、着流しの男を指差した。途端、男は脱兎のごとく駆け出す。緋獅は棍を後ろの帯に差しはさみ、男を追って走った。 「す、掏摸……? あっ! ほんとだ! だれか……っ! 掏摸だーっ!」 壮年の叫び声に警邏していた男が三人駆けてくる。 「今、赤い髪の坊やが追ってくれて……」 「待て!」 着流しの男の脚は速かった。だが、緋獅も驚くべき脚力をみせ、走りながら小石を掴み、男のふくらはぎを狙い打つ。ぎゃっと叫んですっ転んだ男へ、勢いを上乗せするように全体重をかけて飛び掛かった。 足を強打して怒った男が緋獅を払いのけようとしたとき、すら、と刀の刃が突き出された。 「ひっ」 「御用だぜ。大人しくしな」 きょとんと見上げた緋獅に、警邏番の男は刀を鞘に納めながらにやりと笑った。 「いい脚してるなあ、坊主」 掏摸の男は引っ立てられて行き、財布は無事持ち主の手元に戻った。 「……坊主。いい棍を持ってんのになんで使わなかった?」 警邏番は緋獅にそう尋ねた。すると、 「これ、開拓者のにーちゃんにもらったんだ! 絵描きのおじちゃんが、むやみに使っちゃだめだって……武器はひとを叩くためにあるんじゃなくて、おれの命と『ほこり』を守るときに使うものだって言ったから」 警邏番はちょっと感心したように『へえ』と呟き、緋獅の頭を軽く撫でて笑った。 「その意見は正しいと思うぜ、俺も。……なんにせよ、助かった。年末はああいうのが多くなるからな。ありがとよ」 礼を言われ、緋獅は嬉しそうに笑った。 警邏番はじゃあな、と言って踵を返す。部下らしき青年が駆けてきて何やら報告した。 「……くそ、やっぱり集団で動いてやがるな……。どっかに根城があるはずなんだが……。とりあえず、さっきの男から聞き出せ」 走っていく若い警邏番を追うように、彼もまた駆け出した。 ● 警邏番が言うように、掏摸集団が散開して盗みを働いているらしい。 緋獅はまたしても掏摸の現場を見てしまったのである。手口は先ほどの男と似ており、ふらりと前からぶつかって擦れ違いざまに財布を抜き取るというものだ。 「おじちゃん、あいつ掏摸だよ!」 「えっ……あっ!」 驚いて自分の懐を押え、仰天する男を置いたまま、緋獅は掏摸を追って駆け出した。 その男は、緋獅の脚ではなかなか追いつけなかった。 一度、男が立ち止まって盗んだ財布の中から金銭を取り出したとき、緋獅は飛び出そうと思ったのだが…… (根城があるって言ってた……) お金はあとで返してもらおう――そう決めて、男の後をつけはじめたのである。 裏道を行くのを隠れながら着いていく――男が左へ曲がり、緋獅も後を追ったのだが、男の姿が忽然と消えていた。 「あれ……」 緋獅は呟き、きょろきょろとあたりを見回す。足元に、白く丸いものがあるのに気が付いた。 『もふ……』 いつからいたのか、小さなもふらさまが緋獅を見上げている。 「……かがり……? じゃないよね……? だれ? 着いてきたの?」 『もふら形焼き』の老人と孫と一緒に居るもふらのかがりかと思ったが違うようだ。このもふらさまは緋獅が掏摸の男を尾行中、どこからか着いてきたらしかった。 緋獅はもふらさまに聞いてみた。 「おれ掏摸の男を追いかけて来たんだ。おまえ、見なかった? ……ああ、でもどうしよう。早く帰らないと、おじちゃんに置いて行かれるかもしれない……」 質問半分、待ってくれているはずの絵師のことが気になりだす。 帰りが遅くなって怒った絵師が自分を置いて旅に出てしまったらどうしよう……そんな不安が頭をもたげてくる。 『見た、もふ』 「ほんと? どこ行った?!」 もふらさまの応えに、緋獅は目を輝かせた。が、 「ここさあ」 後ろから男の声が聞こえ、緋獅振り返ったとき首に衝撃があった。 大事な棍がするりと落ちていったのを感じながら、緋獅の目の前は真っ暗になった。 日が暮れかかっているというのに緋獅は宿には戻っておらず、絵師は近辺を探して歩いた。 不慣れな街だが、子供が興味を示しそうな界隈などたかが知れている――これはおかしいと、彼は警邏隊の詰め所に行ってみた。 「あんたがあの坊主が言ってた絵描きさんかい」 警邏番の男は昼間あったことを楽しげに話してくれたのたが、その子供が戻らないと聞いて眉を曇らせた。そこへ、別の警邏番が入ってきて掏摸を追いかけて行った赤い髪の子供がいたと言う。そのとき盗まれた財布は戻っていない―― 「……こりゃあ……。おい、ちっと手を貸してくれ!」 警邏番は呟き、仲間とともに近辺の捜索を開始した。 あばら家同然に荒れ果てている空き屋敷の納屋――緋獅は猿轡され、両手足を縛られて冷たい地べたに転がされていた。 そこへ先程のもふらさまが窓から覗いて言った。 『赤い小さいの……もふら、ギルドにお使いするもふ?』 凄まじく抽象的な言葉ながら、その意味するところをはっきり理解した緋獅は、こっくりと頷いた。 もふらさまは目をきらりとさせ、『勇者になるもふ』と謎めいたことを言って窓から消えた。 夜も更け、開拓者ギルドの職員がそろそろ戸を閉めようかと立ち上がった時、白く丸い毛玉が転がり込んできた。 『おつかいもふー』 「またですかっ!?」 つい先だってもふらさま誘拐事件があったばかりである。職員はぎょっとしたように叫び、もふらさまの前に屈みこんだ。 小さなもふらさまは、ちょっと胸を反らして言った。 『赤い小さいのが、おじちゃんおいて行かないでって もふ』 「…………はい?」 |
■参加者一覧
呂宇子(ib9059)
18歳・女・陰
佐長 火弦(ib9439)
17歳・女・サ
葵 左門(ib9682)
24歳・男・泰
桜森 煉次(ic0044)
23歳・男・志
麗空(ic0129)
12歳・男・志
スフィル(ic0198)
12歳・女・シ |
■リプレイ本文 ● 朝まだき、安雲警邏隊の詰所に着いた桜森煉次(ic0044)は、絵師と警邏番たちに軽く挨拶をした。そして掏摸集団の正確な人数を尋ねたところ、先日捕縛した者を含めて十二人ということだった。 急を要せば数千人いるといわれる安雲の警邏隊だが、時期が時期だけに、安須神宮その他主要箇所への警邏を等閑にするわけにはいかず、またこのたびの件に関してはこの詰所の管轄ということもあり、開拓者たちの補佐に入れる警邏番は五人確保するのがやっとだった。 桜森は、ギルド職員が小さいもふらさまから聞いて作成した屋敷近辺の地図を見ながら小さく笑い、 「なーに、可愛い緋獅が世話になったんだ、少々手荒でも文句はないよな」 そう言って偵察のためにふらりと出て行った。 桜森と入れ替わるようにして続々と開拓者たちが到着する。 その中には桜森と同じく、以前、緋獅のために辺境の村に来てくれた葵左門(ib9682)の姿もあった。 「旅絵師もご苦労な事だなぁ? 修羅の子に付き纏われたかと思えば、面倒事まで起こされる……似た者同士かもしれんがね」 どこか斜に構えたところがある修羅の青年はくつりと笑う。 絵師は微苦笑を浮かべ、頷いた。 「確かに似てますね……面倒の中に首を突っ込んでしまうのは」 「然し、誇りを守るためねぇ……力をどう使おうが個人の自由。好きにすると良いさ。面白いとは思うがね」 くつくつ笑う葵に、絵師は『ああ……』と呟いた。 「緋獅は、私が言った『ほこり』の意味をまだ解ってはいません。何を『ほこり』とするかは、これから成長していく中で、あの子自身が決めることですからね……」 呂宇子(ib9059)が屋敷の近くで『人魂』を飛ばして内部を調べているころ、佐長火弦(ib9439)もまた通行人を装って周辺を歩いていた。 一方、先に出ていた桜森は件の屋敷の裏道、塀の隅に短い棍が落ちているのを見つけた。 それを拾い上げ、じっと見つめる。棍『彗星』――開拓者なら馴染みのある武器だが、一般人が持つようなものでもあるまい。 間違いなく、これは葵から緋獅に譲られた棍だ。何しろその現場には桜森も居合わせていたのだから。 (……緋獅、待ってろよ) 彼は心中で呟き、一旦その場を立ち去ったのだった。 ● 空屋敷は表門と裏門の二つがあり、表の方は日中は人通りもあるが、裏門のある方は高い屋敷塀に挟まれ、細く薄暗い道が縦横に走っている。 そして、内部の様子を聞いて、ナジュム(ic0198)が絵師に見取図を描いてほしいと言った。 「ぼ、僕は絵は得意じゃ、な、ないから……もし、よ、良かったら……た、助かるんだよ……」 「ああ、そうですね」 絵師は微笑み、さらさらと間取りを描いていく。屋敷は一階のみで襖に隔てられた座敷と板間がいくつか、あとは使用されてもいない風呂場や台所、庭にいくつか足場になりそうな松などが植えられていた。 裏に納屋が一つあり、緋獅が居るのはそこだろう。 「……弱い者いじめは……感心しない、な……」 捕われている子供を思ってか、ナジュムは小さく呟いた。 明け五つ、掏摸たちはまだ惰眠を貪っている頃合いだろう。 警邏番たちは三方に散らばり、開拓者たちは塀を超えて逃げてきた掏摸の足止めのため、各所に撒菱を仕掛ける。 「門に見張りはいないわ。納屋もね……まぁ、お説教も反省も、全部後回しね。救出劇と捕り物帳、気合入れていきましょうか」 いくつか『人魂』を飛ばしていた呂宇子が立ち上がる。 「緋獅君を保護したら呼子笛で合図をお願いします」 そう言った佐長へ、絵師が承知を伝えた。 「俺は外で見張ってるかね」 桜森は緋色の野太刀を肩に掛け、表門の方へ回って行った。 「悪いひと、いっぱいかな〜?」 七輪を抱きかかえ、見取図を眺めながら首を傾げた麗空(ic0129)へ、絵師が屋敷内の人数を伝える――と、小さな笑みをこぼした。 「……麗空さん。七輪、持ちましょうか?」 「ん〜……うん」 麗空はこくりと頷き、七輪を絵師に渡す。 まずは緋獅の救出から――麗空の『心眼』を頼りに、ナジュム、絵師と続いた。 「も、戻るときには、き、気をつけてね」 ナジュムは裏門に撒いた撒菱を示して絵師に注意を促す。彼は静かに頷いた。 「ひとがいっぱいのとこは、ちゅうい〜」 麗空の呟きを耳に、彼らは納屋の戸を開ける。 「緋獅!」 食物も得られず、両手足を縛られ、身を覆うものもなく寒さに震えていた緋獅は、懐かしい声に目を開ける。何を思う間もなくすぐさま猿轡が外され、縄が解かれた。凍えた体は強張り、動くことさえままならない。 「おじちゃ……ごめ、なさ……」 緋獅は掠れた声でやっとそれだけを口にする。絵師はほっとしたように微笑を浮かべた。 「とにかく、無事で良かった」 ナジュムは戸口に立って襲撃を警戒し、麗空は七輪を抱えて緋獅をまじまじと見つめた。 「ちっさい〜。でも強かったね〜」 年齢の割に小柄な緋獅は、麗空より三寸ほど背が低い。緋獅は毛布に包まれながら笑おうとしたが、凍えた頬はうまく動かなかった。 「緋獅、だよ……にーちゃ……も、かいた……しゃ?」 「リクだよ〜。うん、かいたくしゃ! ……ん〜と、もやせるもの、あるかな〜?」 麗空は屈託なく笑い、納屋の中に散らばっていた薪の残骸を集めるとめいっぱい七輪の中へ突っ込んだ。そして小さな木片に火をつける。 「早く、外へ……」 ナジュムが促す。絵師は呼子笛を吹き鳴らし、子供を抱き上げた。 裏門を出たところで、緋獅がなくした棍を探しに戻りたいという。 「それは桜森さんが見つけてくれたよ」 絵師の言葉に、続けるようにナジュムが言った。 「よく、聞いて……。無謀と無茶は、違うもの、なんだよ。自分の……実力を、よく知って……どうするべきかを、見極める事は……とても、大切なんだ」 ナジュムは獣人であるためか、麗空とあまり変わらない年齢に見える。だが、彼女は立派な成人であり、暗殺の経験もあった。それに裏付けされた言葉は、幼い緋獅にも重く響いたことだろう。 小さく頷いた緋獅に、ナジュムは少し微笑んでみせ、屋敷の中へ駆け戻って行った。 「その子の凍傷が心配です。さ、早く」 「お願いします。あとから伺います」 警邏隊の心遣いで、待機していた医術師は緋獅を抱き取り、急いで立ち去った。 緋獅を保護した合図の笛が鳴った。 「けむり、もくもく〜」 屋敷の裏口から入り込んだ麗空は、煙をあげる七輪を台所の土間に置き、掏摸たちが表玄関に向かうよう仕向けた。 夢うつつで呼子笛を聞いた掏摸たちも、流れてくる煙に飛び起きる。 「火事かっ!?」 佐長は玄関口で忍刀を抜き放ち、地をどよもすような『咆哮』を放つ。 何が起きたのか判らぬまま、浮足立った男が襖を開け放って転がり出たところに、葵が八尺棍を構えて待っていた。 (ククッ……腕や足の一本は覚悟してもらうつもりだったが、今回は俺も修羅の子に倣おうじゃあないか) 「なんだ、てめ……」 男が怒声を上げる。応えの代わりに『空気撃』で転がし、鳩尾を突いて気絶させた。さらに、横合いから匕首を逆手に切りかかるのを『背拳』で躱すや、素早く棍を回転させて突きと払いでのした。 葵の目が庭へ出ようとする男を捉え、持っていた古銭を投げつける。 膝関節をやられてぎゃっと叫んだ男は、襖と一緒に倒れた。 「くそ……っ」 膝をかばいつつ毒づき、庭に走り出たところに『早駆』で迫ったナジュムが男の脚の腱を切り裂き、動きを封じた。 激痛に絶叫する男へナジュムは淡々と告げる。 「……ごめんね。……今回は、『正義』で動く。そういう依頼だから……今の、僕にとって……『悪』は君達なんだよ……」 呂宇子は裏門へ向かおうとする者へ『毒蟲』を立て続けに放つ。蟲に刺された男二人が四肢を痺れさせ、無様な姿で廊下に転がった。 「はーい、暴れちゃやーよ」 軽い口調で言いながら、呂宇子は二人を手早く縄で縛り上げる。そこへ座敷から走ってきた男と鉢合わせた。 「それっ、頭からパクリと丸かじり!」 彼女の篭手が青白い光を発して『魂喰』を放つ。中空に出現したオニオコゼが口を大きく開け、男目がけて襲い掛かった――術者の言葉通り、式は悲鳴をあげて逃げる男の頭に食らいつき、撃沈させた。 煙と剣呑な襲撃者から逃れるように玄関口へ走り出た掏摸は、忍刀を提げて立っている佐長と相対した。 孫といっても差し支えないほど若い娘に、初老の掏摸は口を歪ませる――おそらくは、これが掏摸集団の頭と思われた。 「……嬢ちゃん、物騒なもん仕舞って、そこ通してくんな」 「いいえ」 「どけっつってんだろが!」 老人の怒声が響き渡る――手下なら一発で竦み上がるその声にも佐長は動じない。凛と立ったまま真っ直ぐ男を見据え、切っ先をす、と持ち上げた。 「どきません」 舌打ちと同時に男は匕首で切り掛かる。外れものとはいえ、彼もシノビである――匕首は娘の喉を掻き切ったと思われた。だが、『隼人』を発動させ、動きを見切った彼女のほうが速かった。 男が、しまったと思った時には、佐長に死角をとられ足の腱を切り裂かれていた。 「ぅが……っ!」 「おかしら!」 痛みにもんどりうった男の後ろから、手下らしき男が駆けてくる。佐長の注意がそちらに向いた隙に、初老の男は足を引きずって外へ飛び出した。 佐長は振り下ろされた刃を『隼人』ですり抜け、男の両膝関節を切り裂いた。絶叫して転げまわる男を置いて、外へ飛び出す。 そのとき、門脇にある勝手口へ向かう掏摸の頭に、飛ぶような速さで駆けてきた小さな影が躍り掛かったのが目に入った。 「悪いひとには、てんばつっ!」 子供特有の高い声が響き、『巌流』が発動された一片の容赦もない一撃が掏摸の頭に襲い掛かった。 すぱーん! 男の凄まじい怒声にも動じなかった佐長が、思わず首を竦めて目を瞑る。 思い切り吹っ飛ばされ、ばたりと倒れた男の足元で、麗空は連結した長大な棍をびしっと構えてみせた。 「て、ババが言ってた!」 (……おババさん……) 佐長は心中で呟き、祈るように両手を握りしめた。 庭木を足場に、二人ほどが我先と屋敷塀を乗り越えた。 「へ! 捕まってたまるか、よっと……うぎゃああ!」 飛び降りたところに撒かれた撒菱を全力で踏みつけ、絶叫する。 「はい。ご苦労様です」 桜森に見張りを手伝うよう言われていた絵師は、激痛に転げまわる男を押え、手早く荒縄で縛り上げる。 その先では、かろうじて撒菱を踏まずに済んだ男の目前に、燃え上がる緋色の野太刀を振りかぶった修羅が立っていた。 「ひっ……」 恐怖に動きを止めた男へ、桜森は炎を纏う野太刀で一刀両断するかに見せかけて体を反転させると、渾身の力で峰打ちを叩き込む。男はぐうの音もあげずに気絶した。 ● 掏摸集団を縛り上げて警邏隊に引き渡したあと、開拓者たちは緋獅を預かった医術師のもとへ集まった。 幸い、緋獅は凍傷にもならず、しばらく大事をとって静養すれば問題ないだろうということだった。 「頑健な体を授かったことを感謝するべきですな」 医術師はそう言って絵師に笑った――こんな季節に幼児が縛られたまま暖もなく、飲まず食わずで放っておかれたなら凍傷どころか、命さえなかったかもしれないだろう、と。 「緋獅、だっけ? スリを捕まえようとするなんて、勇気あるじゃない。普通、おいそれとできることじゃないわよう? たーだーし、深追いして自分がさらわれちゃったなんて、シャレになってないわね。絵師さんも、ヒヤヒヤものでしょうに」 緋獅は自分と似たような髪色の呂宇子を、驚きと親近感とともに見つめていたが、ぴしりと叱られて『ごめんなさい』と呟く。 しゅんとうなだれた子供の頭に、桜森が笑って手を置いた。 「でもま、よく頑張ったな。お前さんのお蔭で奴らの根城も分かったんだ。お手柄だぜ」 あたたかな声音に、子供はほんの少し笑みを覗かせる。 彼らの後ろで黙然と眺めていた葵がくつりと喉で笑った。 「修羅の子の『誇り』とやらを見せて貰おうと思っていたんだがなあ……」 緋獅は葵を見、彼から譲られた棍を見、それから絵師をちらっと見て手元に視線を落とした。 「……おじちゃんは、『ほこり』っていうのは、おれの『たましい』だって言った。『何かを貫きたい心』だって……でも、おれ、よくわかんないんだ…………りっくんは、わかる?」 緋獅は歳の近い麗空に目をやる。 いきなり問われて麗空は目をぱちくりさせ、ちょっと考えるように上を向いたが―― 「……んむ〜? ……リクも、よくわかんない〜」 深刻な顔をして『む〜』と考え始めた子供二人を見ていた年長者たちだったが――呂宇子が堪え切れず、ぷっと吹き出した。 「小さいのが揃って深刻そうな顔しちゃって、可愛いわねえ」 絵師もまた、困ったような顔をして笑った。 「まだわからなくていい。大きくなっていくうちに、決まってくるものだから」 「そうなの?」 「……力の使い方を選ぶのは良いが、地力も付ける事だなぁ。実戦だけと、必要に迫られてからでは遅い事の方が多いのだからな……棍の使い方なら、教えてやるが」 葵の言葉に絵師が深く頷いた――彼らがいざという時、その力を発揮できるのは日頃の鍛錬あってこそだ。そして、この子供が開拓者になったとき、基礎ができているかいないかで大きく変わってくるだろう。 「それはありがたい。私は棍の扱いには暗いですし……緋獅、少し体力が戻ったら、葵さんに棍の術を教わりなさい」 緋獅は思いがけない言葉に驚いて絵師を見たが、やがて大きく『うん!』と頷き、葵に目を移すと嬉しそうに笑った。 「よかったね〜」 麗空が笑いながら、よしよし、と緋獅の頭を撫でた。 数日間ではあったが、緋獅はみっちりと葵から棍の術を叩き込んでもらったようだった。無論、彼らが棍を振っている間、絵師は三位湖へ絵を描きに行き、たまに彼らの姿を書き写していたりもした。 やがて、神楽の都へ戻っていく葵に、 「にーちゃん、ありがとう!」 そう叫んで大きく手を振った子供へ、絵師はちょっと首を傾げる。 「緋獅。彼はお前の師匠のようなものだろうに、先生とは呼ばないのかい?」 「……なんか、先生って言ったら、ヘンな顔された……」 緋獅はちょっと困ったような顔をして、ぽつりと言う。 彼らの間でどんな会話があったのかわからないが、絵師はそうか、とだけ言った。 「さて。明日、安雲を出発するよ。ああ、そうだ。医術師にもお礼を言っておかないとね」 「……! うん!」 押し付けられた『誇り』を投げ捨てる事さえできず、心を大きく歪めてしまった人々を、彼は知っていた。 子供の小さな手を握りながら、彼は思う。 緋獅が、己自身で定めていくであろう『ほこり』が、彼自身の輝きとなるように ――そう、祈る。 |