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■オープニング本文 ● 「だ〜から、龍匠さんよ。どんなに金を積まれても、俺はあいつを売るつもりはねえんだよ。申し訳ねえが、他あたってくれや」 惟雪は辟易したように目の前の男に言った。 自分は龍匠だと名乗ったこの男は、惟雪の預かりとなった子龍・光麟を買い取りたいと言ってきた。 だが、惟雪の勘がこの男を警戒するよう告げ、光麟の方も激しい威嚇音をあげる始末。 これほどの炎龍ならきっちり調教すれば素晴らしい騎乗相棒となろうし、警邏隊に炎龍がいてもさほど活躍の場はない。それよりは開拓者ギルドや軍隊に売ったほうが、云々……そう言って再三押しかけてくるのだが、惟雪は頑として首を振らなかった。 (本物の龍匠かもしれないが、こいつはどうにも信用できねえ) 少なくとも、惟雪は龍が好きで龍匠という職を選んだ人間を知っていた。 光麟を預かった時も、惟雪は理由を説明して彼に来てもらい、基本的な調教のいろはを教えてもらおうと思ったのだが、威嚇音をあげる光麟を見てニコニコ笑いながら、 「いい龍だねえ。……ああ、惟さん。こんなちっこい時分からキツキツ調教なんかしなくたっていいよ。今はたくさん食べて、遊んでおくのがいいよ。それより、この子の『うんち』見せてくれるかい?」 「うんち?」 「そ。いちおう健康状態だけ診たいから」 そう言って、彼は光麟の糞を丹念に突いて調べると、よし、と頷いた。そして、龍の「体調管理」についてこまごま書き記したものを惟雪に渡して帰っていったのである。 (あいつがどうしても光麟を調教したいってんなら、考えもするがな……) しかし、目の前の小狡そうな男に渡せば最後、この子龍はどんな扱いを受けるやらわかったものではない。この男の目に映る光麟は『金の山』にしか見えてないのだろう。 惟雪はちょっと考え、一発ぶち上げてみることにした。 「龍匠さんよ。この龍は俺だけじゃねえ、開拓者数人が保護者になってる。今は俺がここで預かっちゃいるがな。こいつの成長はな、その開拓者たちも楽しみにしてんだよ。だから、売るつもりはねえ。……帰ぇってくんな」 男は何度か口を開けたり閉じたりしたが、『わかりました。今日のところは』と言って帰って行った。 (……今日のところは、ってこたぁ、また来んのかよ) 惟雪はげっそりしながら立ち去っていく男の背中を見送り、どうしたものかと思案した。 まさか警邏番預かりになっている龍を盗むことはないだろうが、あの手の人間はこちらが折れるまで執拗に来るだろう。 何か、諦めさせるいい方法はないものか……。 ● 『もふら形焼き』の屋台が鎌市の店の前で止まった。 「じいちゃん、大丈夫?」 十ばかりの少年、多歌良が心配そうに少しふらつく祖父を見上げる。その足元で、もふらのかがりが『だいじょーもふ?』と呟いた。 「ああ。大丈夫だ。大したことはないよ……ごめんください」 屋台の老人が孫と一緒に店の戸を開けると、うら若い娘が出て来て素っ頓狂な声をあげた。 「いらしゃ……まあ! 静朗おじさん! お父さん、お父さん!」 みはなは中へ向かって叫びながら、彼らを招き入れた。 鎌市は使い古された『もふら形焼き』の鋳型を眺め、笑う。 「よくもまあ、今までもってたなあ……三十年……四十年か?」 「もうそんなになるかねえ……まだ使えるんだが、もう一つお願いしたくて来たんだ」 静朗の言葉に、鎌市は呵呵と笑った。 「俺ぁ、もちっと早く来るかと思ってたんだがな」 そして古ぼけた箪笥の中から布包みを出してくる。黄ばんだ布は年数を思わせ、随分長い間そこへ眠っていたのだと知れる。 渡された布包みを開くと、もふらの形が三つ並んだ鋳型が二台入っていた。 「や! こりゃありがてえ! けど、鎌市さん今回は一つでいいよ……二つ分はまだ払えないからね」 静朗は喜んだものの、困ったように笑って一つを返す。 「ああ、代金は一つ分で構わねえよ。そのつもりで作ってたもんだしな……ま、年数が経っちまってるから、繋ぎんとこぁ、確認しねぇとな」 「ありがとう、鎌市さん」 多歌良が鋳型を覗き込み、嬉しそうに言う。 「良かったね、じいちゃん。これで開拓者のにーちゃんとねーちゃんがたくさんいてもすぐ焼けるね!」 「……? 開拓者に世話になるようなことがあったのかい?」 鎌市が面白そうに問う。 静朗は石鏡に来てから遭遇した事を話して聞かせた。 「旅の絵師……? うちにちょっと居たな……素性はわからねえが、元は『お仲間』みてぇな感じだったがな」 鎌市は、自分が打った大振りの苦無を譲った黒い裁着けの男を思い浮かべていた。 「ああ、そうそう。穏やかで静かなんだが、どこか隙がねえ感じで……なるほど。同じお人かもしれないねえ」 静朗が頷いて笑う。 その日は鎌市の勧めもあり、静朗と多歌良、かがりは鎌市の家に泊まることになった。 翌朝、静朗は高熱に倒れ、すぐさま医者が呼ばれた。 「少し疲労が溜まっていたようですな。汗をよく拭き取って、体を冷やさないように。しばらく休めば大丈夫ですよ」 医者はそう言って薬湯を置いて帰った。 「面目ねえ……医者まで呼んでもらって……」 「気にすんな。……静さんよぅ、お前ぇさんもそろそろ旅は止めて、どっかに腰据えたほうがいいんじゃねえか?」 寝床から申し訳なさそうに言う静朗に、鎌市が笑う。 「……そうだなあ……」 そんな話をしているところへ、惟雪が顔を出した。 「親父、あの懐かしい屋台……おッ! やっぱり静さんか! どうしたぃ、具合悪ぃのかい」 惟雪は部屋へあがりこみ、寝込んでいる老人の側へ膝をつく。 「おお、惟さんか……。お前さんもちょっと見ないうちにいい男になったじゃねえか」 静朗は熱で赤くなった顔をさらに赤くして、既知の顔を見て嬉しそうに笑う。 「よく言うぜ」 苦笑した惟雪だったが、鎌市からざっとこれまでのことを聞き、たぶん二、三日は商売ができないだろうと聞いた。 多歌良が祖父の代わりに『もふら形焼き』を焼いて売るというのだが、いかんせん生地を作るのもけっこうな重労働だ。 「ふうむ……」 警邏の当番がなければ惟雪が手伝ってもいいのだが、いつ召集がかかるともしれない状況でもあるし、彼にはもう一つ心配事がある―― 「あ。開拓者に頼んでみるか」 「開拓者に? ……来てくれるかねえ……?」 惟雪の言に静朗は疑わしげに呟く。 「声かけてみねえとわからねえが……実ぁ、俺のほうでもちっと力を借りてえことがあんのさ。とりあえず、もふら焼きの作り方とか書いてくれねえか? ……それとも孫が知ってるのかい?」 静朗の枕元で丸くなっていたかがりが、『もふら焼き』に反応してぱちりと目をあける。 彼はかがりの頭を撫でながら笑った。 「ああ、生地の作り方も焼き方も多歌良が知ってるよ」 |
■参加者一覧
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
巳(ib6432)
18歳・男・シ
サフィリーン(ib6756)
15歳・女・ジ
永久(ib9783)
32歳・男・武
桜森 煉次(ic0044)
23歳・男・志
硝(ic0305)
14歳・女・サ |
■リプレイ本文 ● 鎌市の家の一室に寝ている静朗の傍に多歌良と、二人の少女が座っている。 「おじいちゃん大丈夫? まだまだ寒いもんね。温かくしてゆっくり休んでね。お店の方は大丈夫。多歌良くんと硝さんとで頑張る……お料理苦手だけど」 静朗たちとは顔見知りのサフィリーン(ib6756)が心配そうに覗き込んでくる。静朗は穏やかに笑って礼を言うと、孫の方へ顔を向ける。 「多歌良、このお嬢さんたちにしっかり教えておあげ」 「うん……」 少年は少し顔を赤くして頷いた。 サフィリーンはぐっと握り拳をつくる。 「とっても頑張る。売り子さんとかも頑張るからっ! 硝さん、多歌良くん、宜しく♪」 「屋台の仕事も大変なんですね……よろしくお願いします」 これは楽しめそうだと思いつつ、硝(ic0305)は生真面目に挨拶した。 屋台は鎌市の店の戸口横で開く。ここなら咎めだてする者はないし、惟雪の方からも番所へ通達している。 鋳型は二つ使用。まずは火を起こし、そのあいだに生地を作った。 「小麦粉はこのくらい。砂糖と牛乳、卵の黄身……」 多歌良は大きな桶に材料を順番に入れ、サフィリーンと硝は頷きながらその作業を覚えていく。 「じゃあ、えっと、サフィリーンのねーちゃんはこれを混ぜてくれる? 硝のねーちゃんは、白身と砂糖を混ぜて泡立てて」 サフィリーンは大きなしゃもじで半液体の生地をぐるぐると、硝は卵白を泡立て、多歌良は炭火の様子を見ながら、鋳型にしっかりと熱を通していく。 通りを行く人は物珍しい風景に足を止め、何ができるのかと問うた。 「もふら形焼きだよー。もうちょっと待っててください」 多歌良が愛想よく応える。 「多歌良さん、これくらいでいいですか?」 硝が泡立てた卵白を確認して頷いた多歌良は、それを完全に潰してしまわないように生地と混ぜ、鋳型の片面へ少しずつ流し込む。 「あ、あんこの量も大事ね!」 サフィリーンは足で調子を取りながら、餡を入れる頃合いを計る。 多歌良は鋳型の反対側にも生地を流し込み、二つを合わせると、ひっくり返した。 「これで、少したったらもう一回裏返すんだ」 生地が焼けてくると香ばしい香りが漂い、心なしかお腹がすいてくる。 『もふら形焼き』が出来上がった。 「……ちょっとじーちゃんに味見してもらってくる!」 多歌良は出来上がった『もふら形焼き』を持って家の中へすっ飛んで行く。 ――ほどなく、嬉しそうな顔して戻ってきた少年だった。 「方法は分かりました。……大丈夫、あとは任せて下さい」 無愛想で接客向きではないからと言った硝は、屋台の後ろで卵白の泡立てや、生地の補充に回る。 「焼く練習をさせてもらっていい? 材料費は出すから」 サフィリーンはそう言って、鋳型の一つを借り多歌良の隣で習いながら焼く――見る分には簡単そうではあるのだが、やってみるとなかなかに難しい。最初は生地だけで作ってみる。その次は餡子をいれて…… 多歌良と同じ様に鋳型を外そうとしたが、 「ねーちゃんのはもう少しだよ。さっき、生地が多めに入ってたから……もう一回裏返して」 言われて、鋳型をひっくり返す。 最初のお客は多歌良が焼いた三つをすべて買って行った。 「ありがとうございます」 サフィリーンは焼き上がった「もふら形焼き」を、多歌良に味見してもらった。 「……うん、大丈夫。売れるよ」 合格点をもらったサフィリーンは嬉しそうに笑い、屋台の下で丸くなっていたかがりに少し冷ましたのを差し出した。 『もふ……』 かがりは嬉しそうに『もふら形焼き』を食べる。 「ね、おじいちゃんの焼き具合と比べたら何点?」 サフィリーンの問いに、かがりはちょっと首を傾げて言った。 『十のうち、五てん、もふ。多歌良が、八てん、だからもふ』 「あらまあ、可愛い売り子さんたち。一ついただいていこうかしら」 通りを歩いていた婦人がそう言って足を止める。 「さっくりふわふわ もふら形焼き。今日は未来の二代目が焼いてまぁす♪ 私が焼いたのはちょっと香ばしいのをおまけに付けちゃいますっ」 サフィリーンの唄うような声が明るく響く。硝は生地を作りつつ、炭を足したりなど……『もふら形焼き』の屋台は繁盛していた。 外の様子を見た鎌市が笑った。 「いい跡継ぎができてよかったな、静さん」 「はは……」 照れくさそうに笑った静朗は、たまに寝込むのもいいかもしれないと、こっそり思ったのだった。 ● 一足先に放牧場に来ていた惟雪のもとへ、開拓者たちが龍とともに舞い降りてくる。 「よーう、ちぃとばかし久しぶりだな。ガキンチョの様子はどうだよ? 手を焼いてるかぁ?」 炎龍の暁丸の上から巳(ib6432)がくつくつ笑う。 「久しぶりだな、巳ぃさん。……チビすけはご覧の通りだ」 惟雪は軽く手を上げ、虫を追いかけて跳ね回る子龍を指した。光麟は惟雪が呼ぶ声にぴょこんと顔をあげ、舞い降りた龍と開拓者たちを幾分警戒したように見ていたが、顔見知りだと理解したらしい。すごい勢いで駆けてきた。 光麟は惟雪に体当たりする直前で減速し、どすん、と頭を彼の胸にぶつける。 「……こちらは、龍の親か。皆、大変そうだな」 永久(ib9783)が苦笑するのへ、惟雪が声を掛けた。 「お。久しぶりだな、永久さん。元気そうでなによりだ」 「お互いに。……しかし、久遠もこんな小さい子の相手をするなんて珍しいと思うし……楽しみだな」 永久は惟雪に微笑むと、傍らの炎龍・久遠の首を軽く叩く。 彼らとは初対面の光麟は、惟雪の後ろから観察しているようだ。 「怖がられないと、良いのだが……。まあ、顔は少し怖いかな」 永久は相棒の強面を見て苦笑する。だが、久遠は炎龍にしては穏やかな気質なのか、光麟はほどなく警戒を解いたようだった。 「よう、久しぶりだなチビ……じゃなかった光麟か。おっさんとは仲良くやってるかい? 今日は温羅も連れて来たんだ。仲良くしてやってくれ」 桜森煉次(ic0044)は光麟へ軽く声を掛ける。駿龍の温羅とは馴染んでいたのだろう、子龍が小さく鳴いて首を伸ばすと、温羅は軽く鼻面を寄せた。 「おっさんも元気そうだな、苦労人顔は相変わらずだが……ま、今日は厄介事は俺達に任せてのんびりしててくれよ」 からから笑う煉次に、惟雪は『顔はほっとけ』と、苦笑した。 「まこと人の欲は尽きぬものですな。光麟のことは拙者も気になっておりましたし、お手伝いさせて頂きまするよ。……崑崙なら港で若い龍の相手は慣れておりまする故、飛行訓練は任せられるかと」 霧咲水奏(ia9145)は惟雪から甲龍・崑崙へ目を移す。彼女の祖父のような存在である龍は、低く響く声を発した。 「前にも会ってるから慣れたもんだろ。適当に遊んでやれ」 巳はけらけら笑いながら暁丸を促し、煉次も相棒をぽんと叩く。 「温羅も今日は自由に遊んでて良いぜ。お仲間とこうやってのんびり出来る機会もあんまり無いしな」 「……躾よりは人に慣れるとか友好関係を築くほうが良いかな?」 呟いた永久は、久遠の後から光麟に近づいていく。温羅、崑崙、暁丸という既知の存在に囲まれているためか、子龍は比較的落ち着いた様子で久遠とも誼を通じたようだ。 頃合いを見計らってそっと差し出された永久の手に、光麟は恐る恐る鼻を近づけた。 「そういえば……龍匠は何か光麟の様子で気にしていたことはありましたかな。糞以外のことで気付いた点があれば、教えていただければ」 水奏が惟雪に問う。彼女の言う『龍匠』が友人のことだと理解した惟雪は、首を振りつつ、友人が書いた紙を広げる。 「いや。今んとこぁ健康優良児だそうだ。あとはそうだな……今は特に日光浴と、体温が下がり過ぎないようにってとこかな」 「惟雪。よければ見せてもらえないか? 俺も久遠の体調管理は気になるし」 「ああ、いいぜ。ただ、子龍に関してだから、細けえけどな」 直接的な体調を見るにはやはり糞を調べるのが一番のようだ。腹に虫が発生したときの異常行動、下剤として食べさせる植物の名、体温調節時の行動、高温時、低温時の対処、また怪我をしたときの治療法や飲み薬の薬草調合などといったことが書かれてあった。 空には雲一つなく、風もないため暖かい。向こうでは崑崙の羽ばたきを真似てか、光麟がぱたぱたと翼を動かしている。 「そういや、嫁さんとかいねえの?」 ふと、煉次が思いついたように惟雪に訊く。 「ん? 女房は死んだよ。……もう、二十年も前だけどな」 さらりと返ってきた言葉に、煉次のほうがバツの悪そうな顔になった。 「……そうか……。変な事聞いちまって悪かったな」 惟雪は手を振って軽く笑う。 「いや。昔のことだ……そういや、桜森さんはいくつだい? ……ふーん。息子が生きてりゃあ、同じくれえか」 「へえ……あ」 そう呟いた煉次の眼が、惟雪の背後に鋭く向けられた。 光麟も気づいたのだろう。小さな人影に向かって威嚇音をあげると、惟雪の方へ走ってくる。 崑崙、久遠、温羅、暁丸もゆったりと歩いて来た。 「久遠。あいつを子龍に近づかせるな……もし近づいてきたら、『強力』だ」 永久の言葉に、久遠は低く喉を鳴らして応えた。 『龍匠』だと名乗った男は、立ち並ぶ開拓者を見て少し腰が引けたようだった。若い修羅の青年などは敵意を剥き出して、恐ろしい形相で睨みつけてくるではないか。 かつまた、成龍たちに囲まれてなお、子龍はこちらへ威嚇音をあげている。 「お前さんが噂の龍匠さんか? ま、一つよろしく頼むぜ?」 ふらりと近寄った巳が、軽く笑いながら手を差し出し、男と握手する――その時、『夜春』が発動された。 そこへ水奏が近づき、穏やかに声を掛けると、男は龍の方へちらりと目をやりつつ問いかける。 「あんたがたは……」 「あの子とは縁もあり、時間を見つけてはこうして様子を見に来ているのですよ」 水奏が崑崙たちに囲まれている子龍を見遣る。そして、こう訊いた。 「光麟を見初めた理由をお聞きしたいのですが……拙者の崑崙も老齢ですからな。若い龍を飼おうかと悩んでおりまして」 「なるほど……いや、いい龍はぱっと見てわかるものでございますよ。色や骨格とか……」 男は大きく頷き、ぺらぺらと知識を披露してみせる。 (もっともらしい理由を挙げるってぇのは、あんまり信用できねぇなあ……中身が何も見えやしねぇ) 「面白ぇじゃねぇか……」 くつりと洩らされた巳の声は低く、『龍匠』の男には届かなかった。 水奏は相談を持ちかけるような態で問いかける。 「龍を育てることを考えているのですが、貴殿の連絡先をお聞きしても? ……ああ、なるほど。浮草での龍匠は大変でしょうなあ。都度、訓練地や後援者の方を探すのですかな」 「はい、ええ……そんなところで……」 男の眼はきょろきょろと落ち着きなく――おそらく脳内では凄まじい速さでそろばんが弾かれているものとみられる。 巳がついと男に近寄ると、くつくつと笑った。 「しつこい男は嫌われんぜぇ? 旦那ぁ?」 そして、意味ありげに龍たちの方へ視線を送るとぐっと声を低めた。 「まあ、それほどまで上質な原石だってんなら、わからなくもねぇがな。だが……『本音』を言ってくれねぇことには、俺も聞く気にゃなれねぇなあ……どうだい? ちと俺にだけは教えてくれねぇか。あの龍にこだわってる理由ってやつをよ」 『夜春』とはげに恐ろしいスキルである――男は、熱に浮かされたように喋りはじめたのだ。 この男が龍匠であることは間違いない。だが、水奏が聞き出したように浮草であるがゆえ、雇い主を探していた。 そこへあの子龍の話を耳に挟んだのだ。男が着目したのは幼い炎龍であること、そして、調教しようとした龍匠が匙を投げたということ。龍匠が匙を投げた子龍を自分が所持し、調教すれば名が売れ、金も入る。 警邏番が所有する炎龍なら、金さえ積めばなんとかなると思ったらしい。 巳は一瞬、冷笑を浮かべたが、トドメのように言った。 「残念だなぁ……そういうことなら、ちっと無理だぜ。見てみな」 促されて男が目をやると、子龍をがっちりと守る龍たちはどう見ても警戒体勢をとっている。 煉次が龍へちらりと目を動かし、剣呑な笑みを浮かべた。 「俺はチビの友人だし、こいつは親代わりだ。俺達に頭から食われる覚悟があるってんなら、相手になるぜ」 「ほら……そいつも、嫌だってさ」 永久が小さく笑いながら、『龍匠』の男に威嚇する光麟を指す。 開拓者を敵に回しては命がいくつあっても足りやしない。 「……ざ、残念ですが、この話はなかったことに……」 男はそう言い残し、ほうほうのていで逃げ出した。 ● やれやれと一息ついた頃、空に一騎の龍―― 水奏がふふ、と笑う。 「サフィリーン殿たちが差し入れに来てくれるとか。……美味しく売り子も愛らしければ話題になりそうですな」 駿龍のミラに乗って来たサフィリーンは焼きたての『もふら形焼き』を抱えて龍の背から身軽に飛び降りた。 「差し入れだよっ! 硝さんが焼いたのと、私が焼いたの! ……光麟ちゃんは? あんこが無い方がいいかなぁ?」 サフィリーンは子龍を見て目を輝かせる。光麟のほうは、見慣れない小さいのが来たとでも思ったか、ちょっと首を傾げてみせた。 「失敗作はまかせろ」 煉次は言い、袋の中からそれらしいのを三つほど掴む。 巳は縦に半分に割ると、暁丸に差し出した。 「お、うめぇか? なら俺も食うかね」 意地悪く、にっと笑って食べる主人に、暁丸も慣れているのか鼻息を一つ吹き出しただけだった。 「おじさんも食べる?」 「お。ありがとよ」 サフィリーンが差し出す袋から、惟雪は一つもらった。 懐かしい味にふと昔を思い出す。そして……あれ以来妻のことを誰かに話したことはなかったというのに…… 「……ま、たまにはいいか……」 光麟が口を動かしながら、惟雪の肩に顎をのせてくる。首にかかっている母龍の牙と鱗の首飾りが小さな音をたてた。 「ありがとうよ。助かったぜ。嬢ちゃんたちもありがとよ。また食いに来てやってくれ」 惟雪は礼を言い、もふら形焼きを手伝ってくれた少女二人にも礼を言った。 煉次がにやりと笑う。 「元気でな。また何かあればいつでも言ってくれ。大した事はできねえが、力になるぜ。どうもおっさんは厄介事に好かれてるみたいだしな」 「言うな。気が滅入る」 げっそりしたように言った惟雪へからからと笑いながら、『光麟によろしく』と、彼らは帰って行った。 開拓者たちの助太刀が功を奏したらしい。 それ以後あの龍匠は現れなかった。 また、同じようなことを考えていた貪欲な者たちもいたようだが、強力な守護者の存在が知れ渡ったらしい。 捕縛された悪徳商人からでも聞いたのか、 「そんな恐ろしい龍に手は出せんとさ」 そう言って、高官役人の嶌田泰蔵は大笑いしたという。 |