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■オープニング本文 ● 月もなく真の闇があたりを包む――聞こえるのはぎいぎいという櫂の音と舟べりを打つ水の音だけ。 ばしゃん、という大きな水音が三度。 ぎいぎいという音をさせて舟が離れていく。 遠く、岸辺でぼんやりと小さな灯が揺れていた。 ● 「ワンコ、行くよ!」 伊堂の片隅にある薬屋の孫娘・斗季は草鞋をしっかりと結び、薬草を入れるための籠を背負った。小さな子犬が鉄砲玉のように走ってきて彼女の足元に纏わりつく。 「じゃ、お婆ちゃん、行ってきます!」 「主様によろしゅうの」 薬屋婆は薬研を動かしながら頷いた。 斗季は山へ入る前、小さな祠に手を合わせた。 「主様、薬屋の斗季です。今日は薬草をいただきに参りました」 この山を治めるのは巨大な白猪である。 つい先だって、開拓者数人と代替わりの儀に立ち会った。 若く、力強い『主』の力はしっかりと山を守る。 だが……。 「あれ?」 山が騒がしい――ざわざわと震えるような感覚が伝わってくる。ワンコも少し戸惑った様子を見せていた。 斗季、こちらへ参れ 低く地を揺るがすような声が頭に響く――これは、主の声だ。 人前に現れることもなければ、声をかけることなど滅多にない山の主が、斗季を呼んでいる。 何かあったのだろうか? また山にアヤカシが……? 斗季は急ぎ足で山へと入る。 ほどなく、白い巨体が目に入った。 「主様! こんな下にまで……あ。こんにちは」 こんな山の麓まで降りてきた『主』に仰天した斗季だったが、慌ててぺこりと頭を下げて挨拶をする。 『息災で何よりだ。ゆっくり話したいはやまやまだが、ちと急ぐ』 「お山に何かあったのですか?」 『否。湖に不浄が投げ込まれた。あれを疾く除かねば『主』の守りが消えるぞ』 白猪が三位湖の方へ頤を向ける。 湖に瘴気が増え広がれば、主である精霊がいなくなる……山の主はそう言った。 「さ、三位湖へ?! 不浄って……?!」 『さてな……恨み呑んだ者を投げ捨てたものと思われる――狂うた人間もいたものよ。よりによってこの地を守る精霊の元へアヤカシを放り込むとはの』 斗季は頭を整理する。 恨みを呑んだ者とはおそらく殺された人間であり、アヤカシ、と主が断定するならば、もうそれは人間ではなくなっているということだ。 石鏡の半分を占める三位湖。国の守りと言ってもいい精霊がいなくなればどんな事態になるか……! 「と、とにかく開拓者ギルドへ行ってこなくちゃ……!」 身を翻す斗季を呼び止め、山の主はこうも言った。 『できうるならば、討伐後、『場』を清める能力を持つ者を呼び、湖上から祓え』 「はい!」 ● 斗季が開拓者ギルドへ駈け込み、三位湖に現れたアヤカシの討伐を要請する。 受付嬢はしかし、にわかには信じられなかったらしい。何しろ、場所が『三位湖』だというのだから。 とはいえ、この少女からの依頼の記録には、山の精霊が関わるものもあったため、半信半疑ながら依頼書を書き起こしていた。 その時、一人の青年が血相を変えて飛び込んでくるや、 「三位湖の主に、人が食われた……!」 そう、叫んだのである。 「は?!」 「ちょ、ちょっと待ってよ!!」 受付嬢と斗季は同時に声をあげ、思わず顔を見合わせた。 斗季は騒ぎになっている三位湖の岸へ駆けつける。 そこには筵をかぶせられた水死体があった。筵からのぞく腕と足に掴まれたような跡がある――引きずりこまれたらしい。 彼女は意を決し、筵をとろうとしたが、周りの者に止められた。 「やめとけ。ひどいありさまだ……」 「……どんな状態? アヤカシの姿を見たひとはいる?」 斗季の言葉に人々は仰天する。 「アヤカシ!? この三位湖にか?!」 「これは三位湖の主にやられたんじゃないのか?!」 「三位湖の主は、巨大な鯉の姿だっていうわ。鯉が人の手足を掴んで引きずり込むはずないでしょう」 斗季がそう言って遺体の手足を指すと、人々の間から、ほんとだ、という呟きが洩れる。 遺体を見た男は、顔を顰めながら話してくれた。 まるで柘榴のようだ、と。 喰らわれた痕が無数にあるが、まるで身体の内側から破裂したような状態だったという。 「……内側から……?」 怪訝そうに呟く斗季。 そこへ伊堂の警邏隊が到着した。 このアヤカシ討伐の依頼は警邏隊からギルドに出されることになった。であれば、開拓者たちにも十分な報酬と、足場となる船、あるいは筏などが提供されるだろう。 なのだが……。 斗季は受付嬢にこっそりと言った。 「あのう……その依頼書の最後に付け加えてくれませんか? 主様が、討伐後に船の上から湖を祓えと……『場』を浄化できる能力がある者を、と言ってたので……」 「なるほど……そんなスキルを持っている開拓者を、ということですね。……必ず来るというお約束はできませんが、それでも?」 「はい! お願いします!」 斗季は深々と頭を下げた。 |
■参加者一覧
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ
水月(ia2566)
10歳・女・吟
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
フランベルジェ=カペラ(ib9601)
25歳・女・ジ
秋葉 輝郷(ib9674)
20歳・男・志
天野 灯瑠女(ib9678)
26歳・女・陰
久郎丸(ic0368)
23歳・男・武 |
■リプレイ本文 ● 「俺はサムライのルオウ! よろしくな!」 元気な声で言ったのはルオウ(ia2445)で、集まった開拓者たちと船の操舵を担当する警邏隊の面々は挨拶を交わす。 (ふ、不浄、か……せめて、苦しませずに、逝かせたい、が……) 久郎丸(ic0368)は、ふと人の視線を感じておどおどと言った。 「そ、そんな眼で、見るな。か、神威人、なんだ……」 異彩を放つ青白い顔を隠すように、頭巾を目深にかぶる仕草も何となく挙動不審とも取れるが、警邏隊の中に居た中年の男が軽く笑って謝罪する。 「すまねえな、兄さん。珍しくってな……悪気はねえんだ、勘弁してくれ」 「い、いや……」 男の人懐こい笑みに、久郎丸は思わず首を振った。 今回、開拓者たちは三艘の船に分かれてアヤカシ討伐に臨む。 狭い船内で多人数が固まれば味方に刃を向けかねず、身動きもとれない。また、二体のアヤカシに一艘ずつ対応するにしても、あと一艘が援護に回れる――そう判断し、警邏隊には彼らが立ち回れるくらいの大型船を用意してもらったのだ。 警邏隊が船の準備をしているところへ斗季が現れ、見知った顔があるのに気づき、ほっとしたように顔をほころばせた。 「あら。斗季、だったかしら? ふふ、お久しぶりね? 覚えてないかしら……こ・れ」 フランベルジェ=カペラ(ib9601)は艶やかに微笑みながら、握り拳を作ってみせる。 まさか忘れるわけもない。斗季は笑って首を振った。 「お久しぶりです。来て下さってありがとうございます」 「ん〜。素敵に笑えるようになったみたいね?」 斗季をじっと見たカペラは、紅唇をほころばせて小さくウィンクした。 そこへ秋葉輝郷(ib9674)が穏やかに声を掛けた。 「久しぶりだな、斗季。山の主は息災か?」 「お久しぶりです。……はい、主様はお元気ですよ。……たぶん、今もお山から見てらっしゃると思います」 斗季はそう言って山の方を仰ぎ見る。 「そうか……主は他に何か言ってなかったか?」 秋葉の質問に、白猪と話した内容を反芻してみたが、ギルドに伝えた他には何も思い当たることはなかった。そう伝えたところで、天野灯瑠女(ib9678)に気づき、斗季は顔をほころばせた。 だが、天野は無表情のまま、ついと向きを変えると船の方へ行ってしまう。 「? 天野さん、どうしたのかな……?」 斗季が不思議そうに首を傾げると、秋葉が小さく溜息をついた。そして、『婆様に宜しく』と言って駆けて行く。 「どうした?」 追いついて怪訝そうに聞いた秋葉に、天野は無表情のまま言った。 「わからずや。……あの彼女と仲良くね」 ますますわからない秋葉は、溜息をつく。それがまた天野の気に入らないらしい。 「溜息が出るほど私といるのがつまらないなら、最初からそう言えばいいじゃない」 聞く耳持たぬとでも言いたげに、彼女は行ってしまう。 「素直になるのが、一番大変……。まあ、これも……戯れかしら?」 苦笑とともに小さな溜息をついたカペラに、秋葉は怪訝そうな表情で振り返った。 (一体誰がこの湖に穢れを……。いえ……今はそれよりもアヤカシの方を何とかしなくちゃ。これ以上の犠牲は出しちゃいけない……) 船上から湖面を見つめていた水月(ia2566)は、きゅっと唇を引き結ぶ。 彼女と同じ思いで依頼に臨んだのは菊池志郎(ia5584)。 「アヤカシとなってしまった人は気の毒ですが……三位湖を汚させるわけにはいきませんね。倒すことが解放になるはずですから……急ぎましょう」 そして彼は、アヤカシが現れたら、操舵を担当する警邏隊員は船の中央へ行くようにと伝えた。 「寒い中引きずり込まれて、溺れない様に注意ですね」 そう淡々と言ったのは杉野九寿重(ib3226)である。彼女はアヤカシが増えていないか、また、出現場所など細かな情報を警邏隊に確認した。 ルオウは立ち位置を決めると、命綱を結びながら笑う。 「へっ。いざとなったらアヤカシと力比べだぜぃ。上げちまえばこっちのもんだしよ」 ――そう。まずは、このアヤカシ二体を船上へ引き上げねばならないのだ。 ● 菊池の『瘴索結界「念」』を頼りに、三艘は一定の間隔を保って停止した。 『人魂』のヤマメを放っていた天野は、異常な速さで泳ぐ不気味な魚人の姿をとらえ、変わらぬ表情の下で小さく呟く。 (面倒で厄介だわ。嫌い。……思い通りにならないのも、嫌い) そしてふと、水底にゆらゆらと揺れる布が目に留まった。 船の存在を感知したか、二体の魚人はますます激しく泳ぎまわり始める――湖面は穏やかで未だアヤカシの影は見えない。 やがて。 「浮上してきます」 菊池の声と同時、水面に二つの魚眼が現れた――操舵していた警邏隊員が船の中央へ駆け寄ろうとし、一人が叫び声をあげて倒れた。見えない刃によって彼の腕が大きく切り裂かれている。 菊池がすぐさま『閃癒』で治癒し、ルオウが『咆哮』を放った。 それに引きつけられたように魚人が猛烈な勢いで向かってくる――ルオウは船べりから身を引いた。 船上にと思いきや、魚人は不気味な顔を水面から出して『呪声』を放つ。だが、ルオウの脳に響かせることはできなかった。 そして、水中へ沈む寸前、側面から射られた矢が魚人の飛び出た片目を掠め飛んだ。 ギャアッ 耳障りな絶叫が響き、魚人は水しぶきをあげて水中へ没した。 「……片目だけか……」 ただの外傷だけならまだしも、内臓をやられては堪らない――ゆえに、アヤカシの目だけは潰しておきたかったのだが。 険しい表情で弓を構えたまま低く呟いた秋葉の背に、天野が声を掛ける。 「私は動けないから貴方が頼りよ、輝郷。気を抜いたら許さないから」 「……わかっている」 厳しい表情はそのままに、秋葉は短く応える。 一方、船首の方で湖面を見ていたカペラが唄うように呟いた。 「水の中から、出てきてもらわないと……一緒に踊れないじゃない……」 「来い」 船べりに立った久郎丸が水面を見て呟く。 杉野が左方向に気をつけろと注意を促した。 『伽藍門』を発動させ、水面から現れた魚眼を視界に捉えた時、見えない刃が久郎丸の頬を掠めた。それでも動かぬ彼の足を鰭のついた手が掴みかかる。 「氷龍さん!」 水月が出現させた『氷龍』が、水面と魚人を束の間凍らせ、久郎丸は後ろへ飛び退った。 その好機を見逃さず、杉野は『紅蓮紅葉』を発動させ、薄い氷に覆われたアヤカシを船の中へ叩き込むように野太刀を振った。 凄まじい絶叫を放った魚人の片腕が瘴気となって、紅い燐光とともに散る。 甲板に叩きつけられた魚人が怒りの形相で杉野を睨む。咄嗟に『苦心石灰』を発動させた彼女の前に、灰色の空間が出現し、放たれた『邪視』を間一髪で跳ね返した。 ペタペタという音をさせて走るアヤカシは勢いをつけて湖に飛び込む。 「させん!」 『天狗駆』で追った久郎丸が勢いのまま船首から身を躍らせ、魚人の足を掴んだ。 足を掴まれ宙を飛んで来る魚人の手に鞭が巻きついた。 「ふふ……姿を見せてもらわなきゃ……ね?」 カペラは『マノラティ』で魚人を船上へと引き寄せる。 久郎丸も甲板へと着地した。その距離約三丈。警邏隊から『おおっ』というどよめきが上がるが、途端に彼はおどおどと頭巾を深くかぶりなおしてしまった。 「さぁ、私と踊りましょう?」 唄うような声で、艶やかな肢体が戦布とともに舞う――カペラは誘うようにステップを踏み、倒錯的な動きで魚人の知覚攻撃を回避しながら攻撃を加えていく。 「邪魔な眼をさっさと啄んで」 天野の手から『眼突鴉』が放たれ、魚人に襲い掛かった。水中への退路を塞がれ、動きの鈍ったアヤカシの片目に鴉の鋭い嘴が突き刺さる。 鎧通しを手にした秋葉が飛び込み、苦悶するアヤカシの首を掻き切った。 菊池とルオウの乗る船に、先刻からゴツ、ゴツというくぐもった音が伝わってくる。 「下に……アヤカシが船底にぶつかっているようです……」 菊池の言葉に、ルオウはもう一度『咆哮』を使うか逡巡した。 「少し移動させますか」 操舵手が尋ね、同乗していた警邏隊員たちは気味悪そうに床へ目を落とす。 「そうですね」 菊池とルオウは頷きあって、操舵手へ了解を伝えた。 錨があげられていく。 「――っ! ルオウさん!」 「おう!」 はっとしたように菊池が叫び、警邏隊の方へ駆けだす。 その意味するところを悟ったルオウが応え、走りながら愛刀を引き抜いた。 「うわあ!」 錨とともに上がってきた不気味なモノに、警邏隊員から叫び声があがる。 秋葉の弓によって片目をつぶされた魚人は憎悪もあらわに『無刃』を放った。それは警邏隊員の肩をざっくりと切り裂く。 回り込んだルオウは魚人を船上に蹴りいれ、間髪入れず逆袈裟に斬り上げた。 魚人は腹部から肩に掛けて瘴気を散らしながら、一瞬、宙に静止したように見えた。 『白梅香』を発動させた菊池は、瘴気を祓えるように祈りをこめ、杖で一文字に切り払う。 アヤカシは紫の瘴気となって霧散した。 ● 開拓者たちは一つの船に集まっていた。 「できれば……湖に投げ捨てられた残りの遺体も見つけてきちんと弔ってあげたい、の」 水月の言葉に、警邏隊は遺体を捜索した。 天野が『人魂』で見た水底で揺れる布――それは、着物だった。 引き上げられた遺体は損壊が激しく、開拓者たちの前に晒すにも無残に過ぎた。この損壊は無論、アヤカシ二体に喰われたことによるものだろう。 しかし、一体誰が三人もの命を奪ったのか…… (狂って、捨てられた、か。捨てられ、狂った、か。……あ、哀れ、だ。南無阿弥陀仏、せ、せめて、安らかに……) 筵を掛けられた遺体とアヤカシと化した二体を思い、久郎丸は静かに手を合わせた。 水月は甲板の上で束の間目を閉じていた。 山の主が場を浄化できる者を、と注文をつけたが、此度、それが成せるのは水月ただ一人である。 『精霊の聖歌』は瘴気を祓う特殊な精霊の曲であり、演奏者は一刻半ものあいだ、無我の境地で奏で続けるのだ。 (ほんとはもっと綺麗な……清らかな湖のはずなのに……こんなのはすごくすごく……悲しくなるの……) だから歌う。 優しい風が、悪いもの全てを包み込み、綺麗にして天へ運んでくれますように―― 水月の唇から、不可思議な『音』が紡がれる。 『歌』は精霊に語りかけるように、流れるような舞に乗せられて湖面を渡っていく。 開拓者と警邏隊の面々は粛然とした面持ちでその『祓いの儀』を見守る。 水月の歌に精霊が応えているのか、時折、柔らかな風が吹き抜けていった。 菊池はその歌を耳にしながら、穏やかな水面を見つめていた。清らかな水は、ささくれだった気持ちを静めていくようで…… (守れてよかった……) そう心中で呟いたとき、湖面が揺れた。 「……え……?」 菊池が小さく声をあげる。 小波はだんだんとうねるような波に変わり、三艘の大型船を大きく揺らした。 「な、なんだ……?!」 「またアヤカシか……?!」 船上の人々に緊張が走る。 水月はまるで気が付いていないように舞い、歌っている。 「……あそこに、何か見えるわ……」 天野が湖の真ん中を指差す――その光景に、全員が驚愕した。 三位湖のはるか先、中央あたりが大きく盛り上がっていたのだ。 無論、島などはない。 まるで下から押し上げられるように水の丘が出現したかと思うと、陽光に反射した何かが煌めきながら沈んでいった。 湖面を伝わってくる波は大きくなり、船も木の葉のように揺れた。 カペラは踊り子ならではの均衡で素早く移動すると、無我のまま舞っている水月が転倒せぬよう補助にまわる。 「……なんだったんだ……?」 「三位湖の主かねえ……?」 警邏隊員が密やかな声で交わす。 湖はほどなく、いつものように静穏な姿に戻ったのだった。 「本当にありがとうございました! 主様も喜んでると思います」 斗季は開拓者たちに深々と頭を下げた。水月には改めて礼を言うと、 「よかった、の」 彼女は疲れた顔にも満足そうな笑みを浮かべた。 斗季よりも随分年下の、小さな身体であるにも関わらず、一時半もの間、歌い、舞い続けたのだという……その底知れない能力と精神力には、ただただ感嘆するばかりだ。 斗季は、ふと静かな波打ち際を見て首を傾げる。 「……ちょっと前、すごい波がたったんですけど、何かあったんですか?」 意識のなかった水月はともかく、他の者は湖のはるか沖に現れた水の丘を目撃している。 それを聞いて、斗季は見れなかったことをひどく残念がった。そして帰ってゆく彼らにもう一度礼を言い、手を振って見送った。 「……よかった……。明日、主様のとこへ報告に行こうね、ワンコ」 足元の小さな子犬が元気よく応える。 西空は夕焼けが広がり、斗季とワンコは急ぎ足で家に戻ったのだった。 ● 伊堂の警邏隊――操舵のために船に乗った者――の何人かは遺体検分に駆り出されていた。 警邏番・惟雪もその一人である。 湖から引きあげられたのは二着の着物と遺体だった。 遺体の方はアヤカシに喰いちぎられたのか、見るも無残な姿だった。着物は残骸のように骨に纏わりついているのみ。また、遺体に重石が括り付けられていたことから、事故などではないとわかる。 損壊の激しい肋骨の一か所が妙な形に折られており、惟雪は刺殺、あるいは斬殺とも視た。 (……三人、殺されて湖に捨てられたってことか……しかも、『貴族』だ……) 遺体が纏っていた布は着古された感があるものの、庶民が着るようなものではない。水中に残されていた二着も同様だった。 惟雪は軽く溜息をついて立ち上がり、検分を書くため筆を取る――ふと、何を思い出したか小さな笑みを洩らした。 「ん? なんだい、惟さん?」 「いや……えれぇもん見ちまったと思ってな」 「ああ! まったくなぁ」 仲間の一人が尋ねるのへ応えると、同意が戻ってきた。 船上で祓いの儀が行われたことは不思議に思ったが、ギルドで依頼書を確認したときに合点がいった。 『歌』に呼応したように湖の沖で出現した巨大な水の丘にはさすがに度肝を抜かれたが、古くから『主』が棲むと言われている三位湖だ。薬屋の娘が山の主に湖を祓えと指示されていたとしても、なんら不思議はあるまい。 精霊の世界のことは、惟雪にはわからない。 (……ま、俺の領分は専ら人間の世界だからな……) 湖は開拓者たちによって平穏に戻った。 あとは、三人の人間を殺した下手人を捕える事が惟雪たちの仕事になる。 「こいつをさっさと書き上げちまって、弔ってやらにゃな」 惟雪は呟き、筆を走らせたのだった。 ――後日、彼は再び開拓者ギルドへ応援要請を出すことになる。 |