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■オープニング本文 ●円真の報告 雲輪円真が天輪王にご報告致します。 虚ろの森の遺跡探索は、謎の獣人少年の介入により中断。遺跡は現在、何らかの力により上昇しております。早急に原因を突き止め、手を打たねばならないと思われます。 また、大量のアヤカシが湧き、近隣への被害が懸念される為、こちらも対策が必要と―― (担当:桜紫苑) ●静波の話 延石寺尼僧の静波です。 虚ろの森の遺跡が不動寺の旧院かもしれないとの事から今回の調査は始まりました。 私も水稲院様のご指示のもと古い文献を編纂したり、不動寺へ宝珠を受け取りに行きましたが‥‥まさか遺跡が本当に旧院で、しかも3つの宝珠が全て揃った時に動き出すだなんて! これからどうなるんでしょう‥‥。 (担当:周利 芽乃香) ●奈落に潜む謎 朋友を伴い訪れた武僧達を待っていたのは、変わり果てた遺跡の姿であった。 遺跡が震源地かのような局地的な揺れ。頑丈かつ手強かった石像も小刻みな揺れにより只の石の塊になって転がり、柱には亀裂が入り始めている。 見上げれば飛空系のアヤカシ共が空を舞い、飛べない奴らも遺跡内外に集まっていた。まるで遺跡の脈動に感化されたかのようだ。 「宝珠の揃った時が、目覚めの時‥‥」 「これが‥‥これが目覚めだと言うのか?」 遺跡の目覚め、アヤカシの猛り。 引き起こしたのは宝珠――そして宝珠の許に居る獣人、貴彦。 このままではいけない。誰もがそう思った。 「急げ! 今ならまだ保つ、隠し部屋まで突っ走れ!」 「周辺のアヤカシは抑えておく、今の内に!」 ある者は侵入経路を開き、ある者は旧院本堂跡へ向かって駆け出す。遺跡外部と内部に分かれ、武僧達は行動を開始した。 時折足を取られ迂回を強いられ、アヤカシとの戦闘を回避しつつ武僧達は旧院本堂を目指した。 何とか辿り着いた本堂は、幸い撤退時の姿を保っているようだが―― 「足元に気をつけろ、内部のあちこちが脆くなっている」 「あらがせ!」 誰かの警告と同時に静波の悲鳴が上がった。彼女の駿龍、荒瀬が一歩踏み出した途端、周辺の床が一気に崩れ出したのだ。 荒瀬の周辺に居た者は一斉に飛びのいて無事だったが、荒瀬は深い穴の底へと落ちてしまった。 また崩れないとも限らない。静波は恐る恐る穴を覗き込んだが深く暗い闇があるだけだ。声を掛けると咆哮ひとつ。 龍が飛翔できる大きさの穴が開いていた。程なく戻って来た荒瀬と穴を見比べていた武僧の一人が、ぽつりと言った。 「‥‥まだ解明していない謎が」 紛失した宝具と精霊の存在――本当にあるかどうかも判らない謎だけれど、自分達で編纂し、集めた謎。 崩れゆく遺跡の中で調査続行など悠長に過ぎるだろう。だが伝承の真偽を確かめたい気持ちは痛いほど理解できた。 「私も行きます」 静波を乗せた荒瀬は、仲間達と共にゆっくりと穴の底へと降りていった。 (担当:周利 芽乃香) ●宴のはじまり 「わぁ」 外に出ると風が気持ち良かった。 一番高い所によじ登って、空に手を伸ばす。 ゆっくりと鈍色の体をくねらせて旋回する姿に、彼は頬を綻ばせた。 やっと、取り戻した。 忌々しい精霊の封印は思っていたよりも強力だったけれど、役目を果たせたのだから良しとしよう。 「ぼく、怒ってるの。いっぱいいーっぱいジャマされたし、ぼくもこんなに小さくなっちゃったし。だから」 傍らに降り立った気配に向けて、可愛くお願いをする。 「仕返し、してね? ぼく、ここで見てるから」 だって、と彼――貴彦と名付けられた少年はにっこりと微笑んだ。 「ぼくはきみ。きみはぼく。ぼくへのぶじょくは、きみへのぶじょくだもん」 ●空覆う 「事は一刻を争う」 告げる円真の声は硬く、緊張を孕んでいた。 それだけ、事態は切迫しているという事だ。 虚ろの森の遺跡が上昇を始め、空がアヤカシで覆われた事は、既に対策を講じている。 アヤカシを駆逐する組と、遺跡を制御する組に分かれて同時に突撃する。まずは、遺跡組が遺跡に取り付くまで、対アヤカシ組は援護し‥‥。 しかし、アヤカシが放つ瘴気はみるみると膨れ上がり、先刻、ついに地上に甚大な被害を及ぼした。詳しい報告はまだ上がって来てはいないが、近隣にある村が幾つか壊滅したという話もある。 作戦を細かく練り込む時間などない。 遺跡に向かう者とアヤカシに対峙する者、出撃までの僅かな時間にそれぞれが互いの動きを確認し合う程度になろう。 「遺跡が動き出した原因は、やはり宝珠にあると思われます」 青ざめた顔で、天祥が語る。 隠し部屋に辿り着いてより後の記憶がないという事だが、急展開を見せた状況に己も関わっているとなると、落ち着いてなどいられまい。 「そして、鍵となるのは隠し部屋でしょう。遺跡に向かわれる皆様は、貴彦‥‥から宝珠を取り戻し、隠し部屋を押さえて遺跡制御の方法を探して下さい」 頷く。 容易な事ではないが、やらなければならない。 「遺跡にしてもアヤカシどもにしても、空の高い場所にいる。落ちれば志体持ちと言えど無事では済まない。心してかかれ」 言葉の合間に何度も咳き込むのは、体調がおもわしくないからか。 気遣う視線に気付かぬ振りをして、円真は続けた。 「移動手段を持たぬ者は、同乗者を探せ。見つからぬ場合は、俺の龍に乗って貰おう」 「わ、わたくしの龍も、必要とあらば‥‥」 言葉が、そこで途切れた。 誰からともなく、空を見上げる。 巨大な蛇にも似たアヤカシが遺跡にまとわりつくように飛んでいた。周囲には、有象無象のアヤカシ達。 遺跡から現れた、あの巨大なアヤカシが群れの中心である事に違いはなさそうだ。周囲のアヤカシは力はともかく、数が多い。 「それでも、やらねばならない」 決意の籠もった円真の呟きに、彼らはもう一度、大きく頷いたのだった。 (担当:桜紫苑) |
■参加者一覧 / 藜(ib9749) / 弥十花緑(ib9750) / 菊池 貴(ib9751) / 経(ib9752) / 御火月(ib9753) / 黒曜 焔(ib9754) / 星芒(ib9755) / マユリ(ib9756) / 芽(ib9757) / 鶴喰 章(ib9758) / 憧瑚(ib9759) / 葛切 サクラ(ib9760) / 狭間 揺籠(ib9762) / 八甲田・獅緒(ib9764) / 紫乃宮・夕璃(ib9765) / 御神楽 霧月(ib9766) / 祖父江 葛籠(ib9769) / 紅 響(ib9770) / 雫紅(ib9775) / 姫百合(ib9776) / 葬衣(ib9777) / 八塚 小萩(ib9778) / 大江 伊吹(ib9779) / 黒鋼 真央(ib9780) / 磐崎祐介(ib9781) / 鴉乃宮 千理(ib9782) / 永久(ib9783) / ジョハル(ib9784) / 北森坊 十結(ib9787) / 椎名 真雪(ib9788) / 藤井 宗雲(ib9789) / フランツィスカ(ib9790) / 明日香 璃紅(ib9791) / 二香(ib9792) / 李 元西(ib9793) / 戸隠 菫(ib9794) / 風洞 月花(ib9796) / 黒澤 莉桜(ib9797) / 幻夢桜 獅門(ib9798) / 久那彦(ib9799) / 天青院 愛生(ib9800) / 二式丸(ib9801) / 白木 明紗(ib9802) / 雲雀丘 瑠璃(ib9809) / 至苑(ib9811) / 獅子ヶ谷 仁(ib9818) / 明神 花梨(ib9820) / ジェイク・L・ミラー(ib9822) / アリエル・プレスコット(ib9825) |
■リプレイ本文 ●争奪戦 遺跡の上空を飛びつつ、ジェイク・L・ミラー(ib9822)は目を凝らした。 大蛇アヤカシを取り巻く小物が邪魔をしに来る事はあるが、仲間達が抑えているので数は少ない。遺跡は浮上の際に崩れた箇所もあるが、森の中にあった状態に近い。土や木々に埋もれて、さながら地面の一部を切り取ったかのようだ。 いや、実際に地面だったのだが。 「森の中は、地上を捜索する奴に任せりゃオッケーだろ。‥‥地上と呼んでいいのかどうかは別だけどな」 独り言ちて、ジェイクは再び遺跡に視線を落とした。 木々は風に枝を揺らし、遺跡に取り残された動物達が時々顔を見せる。 周囲に飛び交うアヤカシも緊迫した状況も関係ない、穏やかな光景である。 「まあ、現実は穏やかには程遠いが」 しかし、考えればおかしな話だ。 腕に覚えのある開拓者達が、こぞって年端もいかない子供を探している。ジェイクの抱いた印象は、無邪気な腕白少年だった。だが、彼は普通の子供ではないのも事実だ。 「何者かは知らないが、状況はクライマックスって感じだな。ま、楽しませて貰うさ」 同じ頃、忍犬千古の鼻を頼りに森の中を進んでいた永久(ib9783)は、同じく貴彦を探していた御火月(ib9753)と合流していた。 「千古が先ほどからこの辺りを回っている。動物以外の匂いがあるからだと思うのだが」 それが、以前、調査で訪れた者達の匂いなのか、それとも貴彦の匂いなのかは分からない。天祥の衣についた残り香は微かで、さすがの忍犬の鼻でも追い切れないと見える。 「そうですか」 頷いて、御火月は声を潜めた。 「行動を見る限りでは、それなりに幼い内面である様子。それが本質かは分かりませんが、現状がそうであるなら挑発で誘い出せる可能性がありますね」 互いに視線で確認し合い、永久は声を張り上げる。 「悪戯をした子供など、さっさと捕まえて、尻を叩いて仕置きでもしてやれ」 「そうですね。まったく、子供の癖に大人に敵うと思っているのでしょうか。立ち合えば簡単に決着が着くでしょう」 耳を澄ます。 さわさわと揺れる葉擦れの音、囀る小鳥の声が長閑だ。千古も周囲を嗅ぎ回っているだけで、警戒する様子もない。 「‥‥駄目か」 「駄目ですね」 違う方法を考えるかと、それぞれが目を逸らしたその時に、 「ひっどぉ〜い! ぼく、子供じゃないよ!! ぼくだって、ちゃんとお仕事できるんだからねっ」 木々が揺れたかと思うと、ぴょんぴょんと枝を伝ってやって来た貴彦が2人の前に降り立ち、抗議を始める。 「「‥‥‥‥‥‥」」 押し黙った2人の様子など意に介さず、貴彦はぷぅと頬を膨らませた。 本当に、コレに出し抜かれたのかと思うと、ちょっと悲しくなって来る。そんな虚しさに浸りながらも、2人はそれぞれの果たす役割も、またちゃんと理解していた。 円真から借りた呼子笛を永久が吹き鳴らすと同時に、御火月が長槍「蜻蛉切」の柄を滑らせ、短く持ち直して突き出した。届く寸前で、それは躱されたが、そのまま振り上げて逃げた貴彦を追う。 「もー。いきなりはずるいよー」 「お前が言う、なっ!」 薙刀「狂伐折羅」から放たれた烈風撃が貴彦を襲った。「きゃん」と甲高い悲鳴をあげ、葉っぱ塗れになりながらコロコロと転がって行く姿に再び脱力しそうになるが、何とか堪える。 「ひっどーい! そっちがその気なら、ぼくだってやっちゃうんだからねっ」 「何をやる気だい」 ごん、と貴彦の頭に拳骨を落として、菊池貴(ib9751)は肺の中の空気を全て吐き出す程に溜息をついた。 「いったぁ〜いっ!」 涙目で見上げて来る貴彦に、もう一髪、拳骨を落とす。 「ったく。子はいないが、子を持ったような妙な気分だよ」 同情の籠った眼差しを向けられて、貴はやさぐれた。葉巻を吸って心を鎮めたい気分だが、今はそれどころではない。 しかし、この緊張感の無さといったら! 力尽くでも対話を試みようと思った決意をどうしてくれる。 「貴彦」 「なぁに?」 ここは深呼吸だ。 落ち着けと自分に言い聞かせながら、貴は貴彦に問うた。 「何故、こんな事をしたんだ? お前さんの目的は何だい?」 「あのね、えっとね、ぼく、これが欲しかったの」 これ、と見せるのは宝珠である。 「欲しかったのか」 「うんっ!」 黙って、貴は貴彦の頭を拳骨で挟み、ぐりぐりと絞めつけた。 「いたいいたいいたぁ〜いっ!」 悲鳴をあげても、誰も、貴彦を助けようとはしない。 当然である。 「坊‥‥」 ずきずきと痛み出した頭を押さえつつ、弥十花緑(ib9750)は貴彦を呼んだ。こんなでも、一応は敵だ。しかも、この一切のからくりを知っている可能性が高い。出来る限りの情報を聞き出したい。 花緑は声に気迫を込めた。 「お座り」 いや、違うだろう。 それは何か違うだろう。 仲間からの突っ込みなど、今の花緑には届いていない。 そして、貴彦はと言うと、素直に従って花緑の前にちょこんと座っている。 「お前も違うだろうっ!」 総ツッコミだ。 本気で目眩がする、と経(ib9752)は額に手を当てた。 そんな周囲の呆れっぷりを無視して、花緑は貴彦の旋毛を見下ろした。大きな耳はしゅんと垂れて、まさに「叱られている子供」である。 「坊、その名、嬉しかったか」 「? うん」 「なら、名付けさんに恥じんようにしな」 貴と、あまりの展開に樹の陰から目を潤ませてこちらを見ている久那彦(ib9799)を順に眺め、万が一に備えてマユリ(ib9756)の駿龍に乗ったまま、上空で待機している天祥を見上げる。 「人に迷惑かける事はしたらあかん」 「? めいわく? どうして? ぼくはぼくの物を返してもらっただけだよ?」 無邪気な答えに、花緑は一瞬、言葉を失った。 「ずっとずっとむかしに、ここに閉じ込められたんだよ。だから、取り戻したんだ。それのどこが悪い?」 唇を吊り上げて、貴彦が笑う。見る間に邪気を帯びた笑顔に、開拓者達は得物を構えた。 「‥‥今や! 宮比羅!」 「はいはい、私が戦って隙を作るのですよ」 明神花梨(ib9820)の声に応えて、からくりの宮比羅が素早い動きで貴彦の脇を掠める。 「わっ、わわっ!?」 浮かんでいた邪気が消え、再び子供の顔に戻った貴彦は、突然の事に大きく体勢を崩した。それを逃さず、花梨が貴彦の手から宝珠を奪う。 「わっ!? やだ! かえしてかえして!!」 貴彦の手が届かぬよう、宝珠を頭上高く持ち上げてぽいと放り投げる。 放物線を描いた宝珠を受け取ったのは、シュバルに跨ったジェイクだ。 「だめだよー! かえして!」 「‥‥」 ぴょんぴょんと飛び跳ねる貴彦に、ジェイクは舌打ちした。 子供をいじめているようで、気分が悪い。 「もー! いいよ! かえしてくれないなら、ぼく、自分で取り返すんだから!」 貴彦が癇癪を起した途端に、ジェイクをアヤカシが襲う。 「あ? ごちゃごちゃと面倒くせぇな」 宝珠を投げ捨てると、ジェイクは向かって来るアヤカシを一撃のもとに斬り伏せた。投げられた宝珠は、御火月の手に無事に渡る。すぐさま現れたアヤカシに、御火月も大きく宝珠を投げ上げる。 「天祥さん!」 マユリの声に驚いたのは、呆然と宝珠の奪い合いを眺めていた天祥だ。駿龍を投げられた先に移動させたマユリのお陰で、天祥の腕の中に落ちる。 「ぼくに投げて!」 「天祥さん、聞いちゃ駄目です!」 貴彦に投げ返しかけた天祥から宝珠を取り上げて、マユリは地表すれすれまで降下し、経の手へと渡す。 「ぼくのだよ!」 「‥‥調査班の御味方に確実にお届けするまでが、私共の責務と存じます」 「むずかしいこと、わかんないよー!」 飛び付いて来た貴彦を避けて、経は後ろ手に宝珠を放る。視認していたわけでもないのに、それは永久の元にちゃんと届いた。 「ねえ、かえして?」 「‥‥」 可愛く小首を傾げてお願いする貴彦を見下ろし、永久は1つ溜息を漏らすと無言で投げる。 「はい、ありがとさん」 戻って来た宝珠を手の上で転がして、花梨はぐっと親指を立てた。 「楽しかったで‥‥って、ちょっ!!」 背後から現れたアヤカシに、宮比羅は花梨を抱えて飛んだ。しかし、宝珠はアヤカシに奪われてしまう。 「やったー! べーっだ!!」 思いっきり舌を出した貴彦に、空になった手を眺めていた花梨がにんまりと笑い返した。 「ざーんねん。あれ、ばらした数珠の一玉やねん。本物はこれや。‥‥ほい、弥十さん、頼んだで!」 「確かに! 天祥さん!」 頷いて走り出した花緑に、マユリに連れられた天祥が続く。 遺跡の起動に利用された彼は、封印に何らかの関係があると踏んでの事だ。天祥に宝珠を預けて、花緑は烈風撃を纏わせた錫状を振るう。吹き飛ばされたアヤカシは経の一喝で大半は動きを止め、残りは不動明王剣の錆とされた。 「天祥さん!」 錘旋と共に降下して来た星芒(ib9755)が、天祥へと手を差し出す。 「え‥‥?」 「見つかったの! 遺跡の手掛かり! 一緒に錘旋に乗って行こ!」 ぐいと天祥を錘旋の上に引き上げると、星芒はすぐさま宙へと舞い上がった。 目の前で宝珠を持ち去られた貴彦は、顔を真っ赤にして地団駄を踏む。 「もうっ、ぼく怒っ‥‥」 そんな貴彦の袖をくいと引いた。 「‥‥貴彦」 己よりも小さな手を包み込んで、久那彦は真剣な面持ちで問う。 「キミは、誰‥‥? ボクらとキミは、理解し合う事が出来ない? ボクは、キミの事を知りたいし、理解したい。そんな気持ちが大きい‥‥」 問いかけつつ、体の位置を入れ換える。仲間達と貴彦との間に、割って入るように。 「ぼくのことなんて、かんけいないよ」 「関係なくない。だって、キミは高く飛べる‥‥よね? でも、今、使わなかった。キミも、ボク達と一緒にいるのが楽しい‥‥んだよね?」 「そんな‥‥こと」 逡巡の表情を見て取って、久那彦はさらなる言葉を紡いだ。 「ある、よね? 話して‥‥。キミの本当の気持ち」 ふ、と笑む気配がした。 怪訝そうにその顔を覗き込んだ直後、閃くは硬質の輝き。目を刺す光と共に振り上げられた鋭い爪に、息を呑んで飛び退る。 「どうして‥‥」 頬に一筋、薄く血が滲む。 「ないよ? ぼくは、ぼくが面白ければそれでいいんだもん」 ぺろりと爪を舐めて、貴彦はにっこり笑った。その周囲には、瘴気が徐々にあふれ出てくる。口の端に浮かぶは、アヤカシ特有の邪気。そして‥‥今しがた血に染めた鋭い爪。 「それが我の本心よ。満足したか?」 無邪気な子供の表情のまま、邪なる者へと変貌した貴彦を久那彦は信じられない思いで見つめた。 その爪が、再び久那彦を襲う。 鞘に入ったままの太刀「天輪」で受け、後方へと跳ぶ。間断なく襲い来る爪を避け続ける久那彦の援護に入ったのは、経だ。貴彦の攻撃を経が受け流している間に、久那彦は目についた樹に足を掛け、反動をつけて飛んだ。 引き抜かれた天輪の一太刀を防いだ貴彦が、癇癪玉を破裂させた。 「いっつもじゃまして! きらいっ! だいっきらいっ! おまえ達なんて、おとなしくぼくに遊ばれていればいいんだ!」 無闇矢鱈な攻撃は、周囲の木々を打ち倒し、開拓者達にも及ぶ。防戦一方になりかけたその時だった。 「あっ!」 貴彦が足を着いた地面が、突然に崩れる。 年月を経た漆喰の一部が度重なる衝撃に耐え切れなかったのだろう。根付いていた樹も、表面を覆っていた土も空中へと四散し、重力に引かれるままに落下していく。 その中に、貴彦の小さな体もあった。 「貴彦!」 呼び寄せた垂氷に飛び乗ると、花緑はその後を追った。 高速で移動しながら、宙を漂う瓦礫を避け、落ち続ける貴彦の手を掴む。けれど、加速で勢いがついた垂氷はそのまま落下し続ける。 「く‥‥っ!」 空気が刃のように肌に突き刺す中、花緑は腕に力を込めて貴彦の体を引き上げた。 次の瞬間、貴彦の爪が、腹から肩にかけて抉る。 痛みに緩んだ手から貴彦の腕が擦りぬけて行く。 「貴、彦っ!」 伸ばす手はもう届かない。 「だいっきらい‥‥っ!」 微かに届いた負け惜しみの声だけを残して、貴彦の体は花緑の視界から消えていったのだった。 (担当:桜紫苑) ●大穴の中へ 遺跡の目覚め、荒らぶるアヤカシ―― 「このアヤカシの群れ‥‥旧院はこれを封印していたのですね」 これまでの調査で遭遇したのとは桁外れに多いアヤカシ共を前に、狭間 揺籠(ib9762)は言葉を失った。 これまで何度かに渡り調査してきた遺跡である。アヤカシとの交戦も少なからず発生したが、此度の荒らぶりようはこれまでの比ではない。 先へ、宝珠を握りし獣人・貴彦の許へ。 急ぐ仲間を送り出し、本堂を中心にアヤカシ共の侵入を防ぎつつ武僧とその相棒達が陣を組んだ――その時、荒瀬が足を踏み外して本堂階下へと落下したのだった。 本堂の床に大きな穴がある。それも、龍が飛翔できるほどの空間を有した大穴が。 「早く、降りてください」 本堂の大穴を背に、言葉短く天青院 愛生(ib9800)が言った。 相棒達と共に穴の奥を覗いていた武僧達は、愛生の声音に彼女の覚悟を見た。 「ここは、私が」 一言一言を噛み締めるように話す。 常より控えめで思慮深い愛生の言葉。これまで遺跡の謎を追い続けてきた愛生とて、内部に何があるかが気にならぬはずはなかろう。 だが、彼女はこの場に留まる事を選んだ。 「今の内に」 荒瀬が開けた大穴を。大穴内部へと向かう武僧達を。庇い立つ愛生の手に握られた戟が青白い光を纏っている。 前方のアヤカシ共を凝視したまま注意を促す愛生に武僧達は目礼した。 「追いつかれる前に、底まで降りましょう」 「皆さんが停めていてくれる間に‥‥一刻も早く!」 そうとなれば武僧達の判断は早かった。揺籠と炎龍の遊が大穴目掛けて行く手を阻むアヤカシのみを叩き伏せ道を切り開くのを、駿龍・秋茜に飛び乗った紫乃宮・夕璃(ib9765)が追った。 早々に飛び込んだ秋茜を背に、愛生が無事を祈る。 「龍が飛べる程の大きさ‥‥何かが居るかもしれません。お気をつけて」 必ずや愛生の分まで謎を解き明かしてみせると心に誓い、武僧達は相棒に乗り内部へ次々と下って行った。 順々に奈落の底へ降りてゆく一団。 荒瀬に捕まって降りてゆく静波の姿を前方に捉えつつ、白木 明紗(ib9802)は考えていた。 (復活したのは空のアヤカシ‥‥符号するような空を示す紋様‥‥) まるで空へと飛翔しようかと脈動を続ける遺跡の周囲に群がる飛行系アヤカシ共。己を背に乗せ降下する甲龍の鋼をはじめ、今回同行させた相棒に飛行系が多いのも、滞空戦に備えての事だ。 まさか遺跡内部で大穴に侵入する為に騎乗する事になるとは思わなかったが。 外部の光が差し込まないとは言え、大穴の内部に明かりらしい明かりもなく周囲の様子は全くもって伺えなかった。 「真っ暗ですね‥‥」 何が出て来るか分からない。アヤカシが潜んでいるやもしれぬ。 雫紅(ib9775)は警戒を強めた。落ちぬよう炎龍の焔輝と繋がる手綱をしっかり巻きつけ、その両手に乾坤圏を握る。本堂にあれだけのアヤカシ共がいた以上、穴の内部に敵が居らぬとも限らないと考えて注意深く辺りの気配を辿る。 視界が利かない状況下で、終着点の見えぬ闇へと降りてゆく緊張感は常の比ではない。まして空中であれば尚更だ。 「焔輝」 袍越しに伝わる焔輝の気配が心強かった。 先行する炎龍・果に騎した芽(ib9757)の松明が遠くに光っている。必要以上に明かりを灯せば、それがアヤカシを呼ぶ目印になるとも限らないから、一行は先導の果を距離の目安に降下を続けていた。 いまだ松明が遠ざかるという事は、まだ底に辿り着いていないという事だろう。そして頭上では本堂の大穴がどんどん遠ざかってゆく。 「一重の守護、二重の封、三重の鍵もて封ずる‥‥」 甲龍・不動の背で見上げ、藤井 宗雲(ib9789)は貴彦に思いを馳せた。 貴彦は『精霊に近しい者』と言った。そしてこの遺跡は不動寺旧院であったという。 精霊と共に道を歩む天輪宗本山がかつてあった場所――なれば。貴彦が言った『精霊に近しい者』が、この地に眠っているのではなかろうか。 そうした思索を巡らせていた宗雲にとって、一部屋ほどもあるだろう空間の出現は、精霊の眠る場所の可能性にほかならなかった。 (貴彦に奪われた宝珠こそ鍵、だがまだ終わってはいない) 天から地へと視線を移し、奈落の底を睨めつける。 「この先に、全ての答えがあると信じて」 そして事態の好転を。決して希望を捨てる事なく、宗雲は不動と共に闇へ降りてゆく。相棒に命を預けた武僧達は互いの気配を頼りに内部へと降りていった。 ●戦場に残る謎 「大切な院を、これ以上荒らさせる訳にはいきませんよ‥‥!」 視界の端に内部調査班の全てが侵入したのを見届けて、二香(ib9792)はアヤカシ共を誘導するかのように本堂の外へと飛び出した。後を追う薄緑の体躯は駿龍の壱清、追いつかれざま飛び乗った二香は壱清を広い場所で旋回させた。 「ここから先は行かせない‥‥私と壱清が相手ですよ‥‥さあ、掛かって来るがいい!」 火の精霊の加護を受けたショーテルを構えて二香は一喝した。じり、とアヤカシ共が後ずさる。 修羅でありながら龍の獣人と偽って生きてきた冥越生まれ陰殻育ちの彼女の人生に、どのような修羅場があったかは定かではない。しかし、彼女が見せるここ一番の踏ん張りは、二香の半生が如何に過酷なものであったかと思わずにはいられない気魄に満ちている。 遺跡に伝承、獣人と宝珠と隠し部屋。謎は深まるばかりで遺跡は動き出すしアヤカシは大発生するし! (‥‥調査どうすれば良いか分からなくなっちゃったのですが) 内心浮かんだ本音を打ち消すかのように、李 元西(ib9793)が迷いを断ち切るが如く、幅広の白き刃を力強くぶんッと振って甲龍に言う。 「ええ、調査の邪魔はさせませんとも! 穴の中へはアヤカシ一匹入れません‥‥ね、蓮花さん」 状況が混乱する中で常に己の道を選び取り続けるのは難しい事だ。だからせめて今の自分にできる事をと元西が選んだのは、蓮花と共に仲間達を援護する事――それも選択の一なのだ。 アヤカシの侵入を許すまじと、大穴周辺を死守する元西の対岸で、愛生は時を待っていた。 (そろそろ皆は降りた頃でしょうか) 「無憂、開口部を護りなさい」 青白く光る戟を構え牽制していた愛生が、頃合を見て無憂へ滞空を指示すると、甲龍は大きく翼を広げた。 仲間が下降中であれば行動を疎外しかねないと控えていたが、もういいだろう。蒼の髪に銀の瞳の主の色合いを反転させたかの無憂が飛翔したのと同時に、愛生は戟に纏わせた精霊力を解放した。 白銀の体躯に装甲の色が交じり合い、大穴の上が愛生の戟と同じ色になる。それで良し、あとは大穴を死守するのみだ。 (武運を) 内部空間とて、何もいないとは限らない。進入した仲間達への武運を祈り、愛生は仲間の砦となった。 奈落の上に広がる舞台、本堂では不退転の決意と共に憧瑚(ib9759)が眼光鋭くアヤカシ共を睨み据える。 (此が「目覚め」であったとしても、其が正しき形とは限るまい) 構えた刀に刻まれた経文が微かな光に反射する。魔と断ち退けるとされる鍛え抜かれた名刀に気圧されたか、アヤカシ共がじりりと下がった。 刻まれし経文は降魔成道、修行僧ならば必ずや訪れる試練の時に擬えて、憧瑚はアヤカシ共に立ち塞がる。 今この戦いの時、己が任は駿龍の鈴と共に、内部侵入班の退路を護る事。 「鈴、床を崩すなよ」 戦友に軽口叩けば、鈴は心外なと言わんばかりに一声吼えた。 それに――いまだ残る謎。 本堂は戦場であると同時に、未解明の謎を抱懐したままの場所だ。 (本当は。戦うべき、なんだろうけど) アヤカシを退治しつつ二式丸(ib9801)が壁画へ近付いてゆく。彼を追って忍犬の七月丸が、その背を護らんとばかりにアヤカシ達を追い散らした。 「ナナツキ」 二式丸が名を呼ぶ。声に反応し振り返った七月丸には既にアヤカシへと向けた激しさはない。凛々しさを湛えた男勝りで姐御肌な忍犬は、言葉少なな二式丸の意図を正確に察したようだ。しゃがんだ二式丸の手元に鼻先を突っ込んだ。 「もう、匂いとか、消えてるかもしれない、けれど」 一縷の望みを七月丸に託し、手掛かりを探す。 壁画を慎重に指で辿っていた黒澤 莉桜(ib9797)が力強く言った。 「もう扉は開いているのですから、外堀は完全に埋まったと言っていいはずです」 はっとして莉桜を見た二式丸に、彼女は頼もしく頷いた。 前回の調査で本堂は粗方調べ尽くしている。だがこの遺跡、隠し部屋といい床下といい、寺院と言うには縦横に広大過ぎる構造をしていた。 誰がこの遺跡を、何の為に作ったのか。どのようにして使われ、放棄されるに至ったか――全ては、遺跡の中にある。 探しましょう、と莉桜は言った。 かつて生きていた先人の消息を。壁画から隠し部屋への道が繋がったように、使った人がいるなら使い道は必ず見つかるはず。 「あとは扉の中に何があるのかを知ることですね」 「うむ」 迅鷹の紫陽花に敵への牽制を任せて調査を続ける莉桜の言葉も頼もしく、二式丸は頷いた。 急に動き始めた遺跡も、元はと言えば貴彦が天祥を傷つけ宝珠を奪ったのが発端だ。何らかの原因があるならば、それを制御するものもまた此処にあるやもしれぬ。 「ナナツキ。頼りに、してる」 擦り付けんばかりに鼻先を地に押し当てる七月丸に嗅覚を任せ、二式丸は薄暗い本堂の中を松明の明かり越しに目を凝らした。 本堂を須弥壇の方向に壁画があり、隠し扉となっている。本堂中央、内陣寄りの外陣に大穴、その下には広い空間が広がっている。 (私がここで生きていた人ならば‥‥) 軽く目を閉じ、莉桜は考える。 この遺跡が寺院、あるいは自分が何らかの意図で利用していた場として――隠し部屋を何故作った? 本堂の下に何を置く? 「隠し部屋‥‥隠し、場所‥‥」 ――と、その時。 「ナナツキ?」 突如七月丸が吼えたのと同時に本堂内へ飛び込んで来たものがあった。 本堂に巻き起こった旋風。風の主は甲龍、錘旋の背から星芒が叫ぶ。 「退いて! 通して!!」 「て、天祥さん‥‥」 錘旋の背に天祥の姿を認めた元西が事態の進展を悟る。後続の花緑の様子が心配だが―― 錘旋に続く駿龍の上で蹲っている花緑の顔色は青い。 (垂氷、錘旋の後に付いて‥‥) 花緑の意思、指示は確実に垂氷に伝わっていた。主を落とす事なく滑らかに障害物を避けてゆく。負傷しそれでもなお調査班に引き渡さんと、花緑は宝珠を懐に抱え込み朋の背に身を預けている。 「紫陽花、牽制と先導を」 莉桜の指示に素早く反応した紫陽花が錘旋達の先触れを担う。 星芒の視界に滞空する淡青が映った。無憂が護る地下への道だ。 「無憂、通してあげて」 愛生の声に害意なき者の接近を悟った無憂が退く。殆ど落ちるかのように二体の龍達は穴の中へと飛び込んだ。 七月丸は吼え続けていた。探し物を漸く見つけたと言うかのように。 「ナナツキ。何を、見つけた」 まっすぐに天祥目掛けて吼えていた七月丸には気付いていたのだろう。きっとそれは血のにおい――血継の匂いともいうべきものだった。 ●目覚め 降下を続ける一同の目に、芽の掲げた松明の火が大きくなってゆく。 果と共に降った芽は既に到着しているようだ、終わりが近い事に安堵しつつも尚油断する事なく、武僧達は内部へと到着した。 穴の底で待っていた芽から火を分け合って、武僧達は辺りを見渡した。 本堂よりやや狭いくらいの、かなり広い空間が広がっている。全員が相棒達を着地させても充分な広さを持っていた。 「本堂の下に、こんなものが‥‥」 さながら地下の本堂といった所だろうか。揺籠はふと思った。これではまるで此処を塞ぐように本堂があったかのようではないか。 松明の光を手鏡であちこちに反射していた夕璃が、一方向を照らして言った。 「あちらに扉がありますね」 本堂の位置に対応させれば方角にして壁画の真下にあたる場所に、別の空間へ続く道がある。 照らされた場所に視線を向けて雫紅は考えた。どう見ても龍の大きさよりは小さいし、扉の向こうに何があるかは分からない。 近付き調べてみると特に施錠はされていなかった。数名が力を合わせて、せーので引き開ける。横滑りに開いた扉の向こうには、闇が広がっていた。 松明を掲げて覗き込んだ宗雲が壁伝いに光を当てる。 「龍を連れて行くには少々手狭か‥‥行くか、この先に全ての答えがあると信じて」 人が通れる程度の高さでは列になって移動しようにも不便があろう。通路の先は未だ闇、ひとまず人間達で扉の向こうへ行ってみる事にした。 「うーん、荒瀬は此処に置いていくしかないでしょうか‥‥」 静波が荒瀬の頚を撫でながら迷っているので、雫紅は此処もまた未調査の場所だからと焔輝と共に広場へ残る事にした。先へ行く者達の相棒は本堂真下の広場に待機させ、雫紅や夕璃が広場の調査に残る。 「これまでの事からも、高い場所に紋様が記されている可能性が高いと思います」 「そうね、手分けして探しましょう‥‥焔輝、お願い」 雫紅は焔輝に夕璃は秋茜に騎乗し、広場内を調べ始めた。 広さの割に圧倒的に明かりが足りず、大体の感じを掴んだに過ぎなかったが、広場は壁全体がひとつの壁画になっているようだった。 「本堂にあった壁画に似ていますね‥‥」 陽光に照らされる街と壊滅する街を描いた画が本堂にはある。全く同じではないにしろ、何かを示唆する寓話的なものを感じて二人は画の中心部を探して松明の光を動かした。 「ここを、見てください」 「人‥‥?」 光を拡散させていた夕璃が一点を照らした。 人が、三本脚の烏の下で手を差し伸べている図であった。人とおぼしきそれの種族はよくわからない。獣人と言えばそうも見えたし、人妖とも羽妖精とも受け取れる。 「からくり‥‥ではないですよね」 顔見合わせて、ふふっと笑ったその時、上空が突如騒がしくなった。何かが降って来る――アヤカシか!? 「退いてー!!」 「「ほ、星芒さんっ!?」」 星芒の声に慌てて、二人は広場の龍達を隅に散らした。間一髪、どすんと着地した錘旋を遠巻きに見つめる龍達の上空で、二人は天祥と、ぐったりした花緑を認めた。 そっと着地した垂氷の背で花緑が蹲っている。大丈夫かと声をかけようとした時、当の花緑が確りした声音で言った。 「宝珠を」 「そう! あたしたちは宝珠と天祥さんを連れて来たんだよ! みんなはどこ!?」 「皆さんは通路の奥です、あそこの‥‥」 「天祥さん?」 そう言って夕璃が開放した扉を照らす――と、そこに居たのは、最奥から引き返して来た芽が眩しさに手を翳している姿であった。 話は少し遡る。 扉を通り奥へと進んだ武僧達は慎重に足を運んていた。 通路は分かれ道なく真っ直ぐに続いている――壁を探り仕掛けの有無を確かめてゆく揺籠、歩幅で距離を測り白墨で印を付けてゆく芽、先導する宗雲の後ろに静波が、殿を明紗が担った。 (逃げるなんて考えられない生活を送ってきたもの、出て来たアヤカシは倒すだけ) 闇の中から何が飛び出して来るかわからない。危険があれば回避するだけの事。 どこか危なっかしい静波の傍に就き、明紗は警戒を強める。 「うぅ〜 何だか肝試しをしている気分です‥‥」 緊張の様子ながらも好奇心を押さえきれぬ静波が突然そんな事を呟いたもので、武僧達は苦笑した。口元が緩んだ事で過剰な緊張は些か緩和されたようだ。どこか和やかな雰囲気の中、一同は慎重に進んで行った。 距離にして然程はなかったろう、しかし一同には長い時間に感じられた。 やがて宗雲が立ち止まったのに気付いて、歩幅で距離を測っていた芽が壁に白墨の印を付けて前方を見た。 「終着点‥‥ですね」 行き止まりという意味ではない。彼らの前に広がっているのは、陵墓を連想させる暗く荘厳な空間であった。 祭壇、あるいは石室を思わせる場所だった。 そんな連想をしてしまうのは、空間内を占める一基の柩らしきものがあったからに違いない。 「ここは‥‥」 どこか侵しがたいものを感じつつ、柩らしきものにそっと近付く。揺籠が箱型の上面に触れると、そこには、旧院の各所で見て来たのと同様の紋様が刻まれていた。 「柩のように見えるな」 許せ、と念じながら宗雲は蓋に手を掛けたが動かない。宝珠が要るのかしらと明紗が思案する中、静波は力押しを提案した。 「龍達に引っ張ってもらいましょうか?」 「不動の力を借りるか」 「ここまでの道は直線でしたから、広場から曳くのは不可能ではありませんね」 距離にして是々、どなたか荒縄を持っていませんかと問うてみて、芽が本堂側にも尋ねてみましょうと広場へ戻って行く。 残された者達は石室内の調査を始めた。何処を如何見ても、柩を納めた石室か祭壇としか思えない空間だ。ひとつ違うとすれば、死の香りは感じないと言う点だろうか。 「どこか懐かしい気が、します」 室内全体を包む気に決して不快さは感じない。揺籠の呟きに皆一様に小さく頷く。 嫌な気配ではなかった。寧ろ、武僧達には懐かしささえ感じる気配―― 「‥‥精霊」 明紗が呟いた一言は、妙に一同の腑に落ちた。 柩の中に納められているのは精霊像、ないし精霊の気を持つものかもしれない。確かめるには柩の蓋を開けねばならないが、一同には既にそれが墓暴きだとは感じなくなっていた。 「精霊に近しき者‥‥」 貴彦が言っていた言葉を思い出す宗雲。天祥を指して言った言葉であったが、彼は今頃、貴彦との決着をつけるべく遺跡内で戦っているはずだ。 (天祥の血液が封印解除に必要だと言うならば彼を探しに出ねばなるまいが‥‥) まずは広場に戻った芽の戻りを待って龍達と力合わせて開蓋を試みようと思い直し、待ち侘びて石室の入口を見遣る。 芽が天祥達を連れて戻ったのは、そんな状況下であった。 不思議と懐かしい感じがした。 天祥は石室に進むと真っ直ぐに柩へと向かい、教えられた訳でもないのに紋様の位置に手を当てた。 「あの、天祥さん‥‥?」 静波が面食らったのは、彼の様子が妙だったからだ。穏やかで大人しく控えめな彼の姿は変わりないが、行動に何処か迷いなきように感じられる。静波にそっと手を添えて揺籠は事の成り行きを見守った。 (封印を解いたのが天祥さんなら、旧院を守護する精霊像に影響を与えられるのも彼だけのはず) 星芒の仮定は今や確信へと変わっていた。 天祥が手を添えた柩の紋章が光を帯びてゆく――やがて柩の蓋は静かに横へとずれた。開錠した蓋を全員で運び開けると、中には少女を象った人型が横たわっていた。 「からくり‥‥ではなさそうね」 柩を覗き込んだ明紗の目には眠っているようにすら見える。まるで生きているかのような佇まいだが、少女像が纏う気は人間とは異なるものだ。 感情の抑揚がみられない声音で天祥が言った。 「宝珠をください」 「‥‥あ、ああ確かに。渡すで」 死守してきた宝珠を懐から出し、花緑は天祥に手渡した。何やらいつもの天祥らしくはないが、貴彦の時のような危うさは感じない――彼は自身の勘を信じる事にした。 天祥は黙って宝珠を受け取ると、少女像の上に置いた。 額に、胸の中央に、腹に。 像に窪みらしい窪みはなかったが、天祥が宝珠を置いた途端、宝珠は少女像に吸い込まれてゆく。 ――どれくらいの時間が経ったろう。 「私を呼んでいたのは、人の子か」 天祥の言葉に驚いた一同の前にあったのは、目を見開き人と寸分違わぬ様子の少女型した精霊の姿であった。 ●再生、そして 精霊の少女は頷いた。 「久しい世界。制御室へ行かないと」 「制御室?」 突然出て来た単語に遺跡内の構図を脳内で辿る武僧達だったが、この真上だと精霊に言われて隠し部屋の事だと気付く。確かに此処は、ちょうど本堂の壁画から先へ進んだ隠し部屋の真下辺りにあった。 隠し部屋に辿り着けば後は自分が制御できると言う精霊を伴い、ひとまずは石室を出て広場へと向かった。急ぎ各々の龍に騎乗し本堂を目指して上昇する。 不動に二人乗りした宗雲が精霊に問うた。 「宝珠は遺跡の三つ目の鍵ではないのか?」 「宝珠は鍵。八咫烏の心臓。千年、万年。不変。三つ目、かしら」 精霊はそう言った。精霊の言葉はわかりにくいが、三重の鍵があるのならば、最後の一つは自分の存在に違いないと言いたいのだろう。 『山の頂に八咫烏降り立ちて曰く――石持て精霊の加護を受けよ』 精霊が口ずさんだ一節に宗雲は目を見開いた。これまで何度となく聞いてきた文言だ。 「八咫烏は私。私は八咫烏封印されたこの子と一緒に眠っていた存在。宝珠は鍵。私はこの子‥‥この子は私。されど、私は長き時に崩れる」 心なく動かされて、崩壊を始めているのかもしれない。急がなければ‥‥と、武僧達は感じ取るのだった。 死骸に群がる獣達が如く、本堂に群がるアヤカシ共は益々増え続けていた。 「全く、次から次へとキリがない‥‥」 緋色の軌跡を描いて二香が本堂を振り返る。元西の辛そうな姿が目に入った。 「無事ですか蓮花さん!!」 相棒に声掛けて、素早く負傷状態を診る元西が掛けた浄境に蓮花が安堵と心配気な様子を見せる。 仲間達が大穴に進入して随分経っている、元西にもそろそろ限界が近付いているのだ。 「平気です。そんなに痛くないです。自分は後回しで‥‥」 「駄目ですよ、やせ我慢は。今倒れる訳にはいかないのですからね」 壱清を近付かせた二香が薬草を元西に投げた。 生物も、地形も。 (そろそろ限界か‥‥) 退き時を計って憧瑚は大穴を振り返った。荒らぶるアヤカシに本堂はそろそろ保ちそうにない。 即時撤退を勧告に内部へ向かうか、しかし今、鈴と共に下がっては本堂の抑えが減る事になる。 (天祥‥‥皆‥‥) 星芒達が進入してからもかなりの時間が経っている。大事に至る前に引き上げさせるしかない。振り下ろされたアヤカシの爪を間一髪、降魔成道の名の下に遮って憧瑚は覚悟を決めた。 「猶予はない、内部の連中に声を掛けて来る!」 アヤカシの攻撃を弾いて鈴に飛び乗ろうとした、その時。 彼は援軍の登場を悟った。護り続けていた背後からの援護、それは内部侵入班の帰還にほかならない。 「待たせやがって‥‥鈴、押し切るぞ!」 再び全員が揃った調査班が本堂内のアヤカシ共を駆逐するのに然して時間は掛からなかった。 武僧達が本堂を護っている間に、天祥と精霊は隠し部屋へ直行した。 「待っていて。もうすぐだから」 宝珠の台座へ歩み寄った精霊は天祥の血痕に少々眉を潜めたが、台座の前に跪いて目を閉じた。 祈る姿勢のまま天祥に話しかける。 「あなたは‥‥あの人の血を引くのね。だから利用されて‥‥」 その声音は落ち着きと懐かしさを含んでいた。 天祥とて聞きたい事は山ほどあった。自分の血が何故このような事を引き起こしたのか。それに『あの人』とは―― 「でももう大丈夫。落ち着いて、もう怖くないから‥‥」 怖くない、それは天祥へだったのか、精霊が『この子』と呼んだ遺跡へだったのか。 精霊の言葉を天祥が尋ね返す機会は失われていた。一瞬、精霊の身体が青白く光ったかと思うと背に鳥の翼が広がった。 ――あなたは、あなたの道を―― 台座ごと己が身を翼で包み込んだ精霊は、次の瞬間その姿を消していた。 同時期、遺跡内の武僧達は不規則な脈動の安定に気付いていた。 「アヤカシが、退いてゆく‥‥」 「私達は護りきれたのですね」 遺跡も、仲間も。 それ以上特攻しなくなったアヤカシ共にも、何らかの変化があったのだろう。愛生と莉桜は戦いの収束を感じて視線を交わした。 遺跡外部の戦闘も、じき落ち着く事だろう。戦士達は己が役務を立派に果たしたのだった。 (担当:周利芽乃香) ●逸る気持ちと絆と 「なんだなんだ、エラいでっかいアヤカシだな」 驚きの声をあげた獅子ヶ谷仁(ib9818)に、風洞月花(ib9796)も頷いた。 「けど、怯んじゃいられねぇ」 月花は相棒たる駿龍、飛燕に合図を送る。その僅かな動きで月花の心を察したのか、炎龍は一声吠えると大きく翼をはためかせた。途端、体を吹き飛ばさん程に強くなった風に目を細めて、身を伏せる。周囲に群れるアヤカシも、ここが遙か上空である事も彼女の頭からは消えていた。今はただ、仲間と相棒を信じるのみだ。 目指すは、ゆったりと巨大な蛇体をくねらせているアヤカシのみ。 「今一時、力を貸してくれ、精霊よ! 行くぜ、飛燕!」 「おっと、俺も負けてられねぇな! 頼んだぜ、相棒!」 遅れてなるものかと、仁も駿龍、ラーフでアヤカシの群れへと突っ込んで行く。 「待って下さい、2人とも! 無茶は‥‥」 2人を止めようとした至苑(ib9811)を制する声がした。 「心配ない」 「しかし」 飛び出した2人を目で追う至苑に、苦笑を漏らした円真が続ける。 「無謀な行動ではない。計算した上での事だ」 「計算、ですか? あ‥‥」 至苑は目を瞠った。いつの間にか、アヤカシの群れを囲い込む陣形が完成している。大蛇のアヤカシに当たる班と、周囲のアヤカシを狩る班。細かな打ち合わせの時間など無かったのに、それぞれが連携して動いていた。 くすりと至苑は笑った。 「本当に、もう、皆さん無茶ばかり」 ならば、自分は自分に出来る事をしよう。 信頼を込めた眼差しを戦う仲間達に向けると腕を伸ばし、相棒、颯の首すじを叩いた。 「お願いね、颯」 のそりと振り返った颯の目が至苑を捉える。穏やかな目に、戦闘への高揚は感じられない。ただただ、至苑への信頼があるばかりだ。 「私達も行きましょう、小萩ちゃん」 銀の髪をふわりとなびかせて、アリエル・プレスコット(ib9825)が前へと出る。彼女の滑空艇「ヤディス」に、八塚小萩(ib9778)も榛名を併走させる。 「アリエル、雑魚は我が引き受けるのじゃ」 小萩の笑みに、アリエルは伸ばしかけた手を不意に引っ込めた。 「アリエル?」 首を傾げた小萩に、アリエルはほんのり頬を染めて俯く。 「あの‥‥ね、手を繋ごうと思ったの。でも」 空の上だという事を忘れていた。恥ずかしそうに告げたアリエルに、小萩はそっと手を差し伸べる。 「うむ。この戦に勝ち、地上に戻ったら、存分に繋ごうぞ」 「‥‥うん!」 少女達の微笑ましい遣り取りに和んでいた御神楽霧月(ib9766)は、自分の頬をぺちりと叩いて大江伊吹(ib9779)を振り返った。気合いは十分だ。 「大江の姐さん! 俺達も行くぜ!」 「ん。今まで狭い穴倉で戦っていたから、鬱憤が溜まっているのよね。今回は、空の上で暴れさせて貰うわ。私達も、存分に‥‥ね、霧月くん」 方天戟の柄の感触を確かめ、片目を瞑って答えた伊吹に、霧月の脳裏に様々な光景が過る。 主に、空飛ぶ徳利とか、お銚子が。 「‥‥お手柔らかに頼んます‥‥」 「何を想像したのか、今は聞かないでいてあ・げ・る♪」 風に流れ、聞こえて来た会話に、幻夢桜獅門(ib9798)は霧月の運命を案じずにはいられなかった。しかし、それもこれも、全てが終わってからの事だ。 遺跡に向かった者達は、無事に取り着く事が出来たようだ。 仲間達の動向を確認して、獅門は甲龍「玄翁」を動かした。 「壁を作るぞ、玄翁!」 アヤカシの群れに切り込むと、近づいて来る雑魚を六尺棍「鬼砕」で打ち据えて睨みつける。 「悪いな。ここからは一匹たりとも通すわけにはいかない!」 「私もお手伝い致します!」 獅門に並んだのは、雲雀丘瑠璃(ib9809)だ。 「あさかぜ」 呼べば、流れ星の軌跡を翼に持つ龍が応えて吠えた。その叫びに雑魚のアヤカシ達がじりと後退する様を一瞥して、瑠璃はあさかぜに掛けられた手綱を放した。 「そうそう好きにはさせません」 決意を込めて呟くと、短銃を打ち放つ。声無き声を上げて、アヤカシが瘴気へと還った。 「次!」 手綱を持たない状態にもかかわらず、あさかぜは瑠璃の心が分かっているかのように飛ぶ。アヤカシ達の間をすり抜ける瞬間に、瑠璃は短銃を方天戟「無右」に持ち替えて一気に切り裂いた。 「これでっ、倒れなさいっ!」 だが、数で勝るアヤカシ達は、雲霞の如く押し寄せて、瑠璃とあさかぜの動きを封じようとする。 「喝っ!」 鋭い一喝に同時に、滑空して来た影が瑠璃の周囲に集まったアヤカシ達を蹴散らす。 散ったアヤカシが集うより先に、今度は急上昇して来た影が再び弾き飛ばした。 「久しぶりの戦はどうか。浄華よ」 上空に静止すると、鴉乃宮千理(ib9782)は、体を震わせた相棒にくすりと笑った。 「そうか。だが、張り切り過ぎると老体に響くぞ!」 老体と言われて怒ったのか、駿龍は乱暴な飛び方でアヤカシに向かう。それも、千理にはおかしいらしく、背の上で小さく肩を揺らし続けた。 「まぁ、災いはここで断ち切らねばな。‥‥多少の無理も致し方なし」 ころりと口の中で飴を転がして、千理は大薙刀「岩融」を構えたのだった。 ●変調 「獅炎と、は、初めての、一緒の戦いだけど、宜しくですぅ」 戦端が開かれた様子にごくりと唾を飲んで、八甲田獅緒(ib9764)は相棒である炎龍に声を掛けた。下を見れば、地上は遙か彼方にあり、落ちたら痛そう、などとぼんやりと考えてみる。 「でも、獅炎がいるから、大丈夫‥‥ですよ?」 甘えるように頭を擦り寄せる仕草を見せた獅炎の首を軽く叩いてやって、獅緒は表情を改め、きっと前を見据えた。戦いは、先手を打って切り込んだ仲間達の優勢で進んでいるようだ。 「緊張、しておられますか?」 駿龍、疾風を獅炎に並べて黒曜焔(ib9754)が話しかけて来る。 「お気持ちは分かります。何しろ、私も疾風との初陣ですからね」 微笑みながらの言葉の端々に、気遣う気持ちが溢れていて、獅緒の顔にも自然と笑顔が浮かんでいた。 「大丈夫です。獅炎も、皆さんも一緒ですから」 「はい」 焔が穏やかに頷いたその時、先陣が崩れた。 大蛇アヤカシに迫っていた仲間達が距離を取るのが、焔と獅緒のいる場所からも分かった。 「何が起きたのでしょうか」 焔の声が緊迫を孕む。 「アヤカシが、勢いを取り戻しています!」 冷静に戦況を分析していた姫百合(ib9776)が声を張り上げる。いつも、物静かな彼女には珍しい、強い口調だった。 「巨大アヤカシの上に、人影が! 円真様っ!」 姫百合が円真に何を促したのか、時期を待って待機していた者達には、はっきりと分かった。先陣が道を切り開くのを待つ余裕などない。今、動かねば、悪戯に戦力を失うばかりだと、彼女はそう判断したのだろう。 「‥‥参ります」 大蛇アヤカシまでの道が開けたなら、楔型の陣形をさらに拡げ、遺跡の制空権を掌握するはずだった。だが、予測外の事態が起きつつあるようだ。 藜(ib9749)は甲龍、台に硬化を命じた。 押し返されつつある空域を目指し、気を高めて一喝する。 動かなくなった雑魚は捨て置き、戸隠菫(ib9794)の背後を守る位置へと回り込んだ。 「ありがと!」 「いえ。‥‥何がどうしたのか、教えて頂けますか?」 襲って来るアヤカシを不動明王剣で切り捨てつつ、藜は問う。 「大蛇に後少しって所まで行ったんだけど!」 ウィングド・スピアで小物を数匹貫いて、菫も答える。 「突然、現れたのよ! あれが!」 菫が視線で示したものに、藜は眉を顰めた。姫百合も言っていたが、確かに大蛇の上に人影がある。 白‥‥いや、銀だろうか。長い髪に黒い鎧。人に見えるが、あのように巨大なアヤカシを従えている時点で人であろうはずがない。 「まさか」 頭を過るのは、以前の報告にあった異形だ。狐の石像から宝珠を抉り出した後、目撃報告もなかったアレが、再び現れたのだろうか。 ゆっくりと、それは手を挙げた。指先が指し示したのは、開拓者達ではなく、その先。 「っ! まずい!」 即座に反応した菫が、慌てて鞍馬の向きを変える。 意図を悟った藜もその後を追った。 その頃には、バラバラだったアヤカシ達は大蛇を中心として集まり、1つの塊のようにうねり始めていた。裾に行く程に数が多くなる‥‥まるで開拓者達が敷いた陣を真似るように固まった彼らは、その牙を地表に向ける。 「行かせるわけないだろっ!」 八尺棍「雷同烈虎」を手に、明日香璃紅(ib9791)はアヤカシの塊を分断にかかった。 纏わせた霊戟破で手近にいたアヤカシをまとめて吹き飛ばす。けれど、倒したアヤカシの陰に潜んでいた数匹が、一撃を放った璃紅へと襲い掛る。 「ナメてんじゃないっ、よっ!」 返した棍の先が、アヤカシの体にめり込む嫌な感触が手に伝わって来る。 つ、と璃紅の額から汗が流れ落ちた。 「なんなんだいっ! 急に元気になったじゃないかっ」 分断されたアヤカシは、小さな塊となって開拓者を囲み始めていた。 それまでになかった動きだ。 「それもこれも、あの男のせい‥‥か?」 大蛇の上に佇む男を見遣ると、璃紅は舌打ちした。 「イイ男だけど、私の好みじゃないねっ!」 アヤカシ達を打ち払いながら、戦況を見守る円真達の元へと近付く。彼らの周囲も、アヤカシが囲み始めていた。棍の一閃で道を作る。 「で、どうすんだい!?」 「数が多いのは痛い。けれど、アヤカシ単体の攻撃力はさほどでもありません」 このような状況にも関わらず、落ち着いた様子で語るのは磐崎祐介(ib9781)だ。 見ると、襲って来るアヤカシを倒してはいるが、彼らは平然と作戦の練り直しをしている。一気に力が抜けた璃紅に、ジョハル(ib9784)が肩を竦めて同情を示す。 「やはり、このまま雑魚を散らして巨大蛇への道を作るべきかと」 相棒の上で顎に手を当て、祐介は考えを述べた。 「このアヤカシの連携攻撃も、巨大蛇の上に乗っかっている奴が原因だろう。頭を叩くのが、一番手っ取り早いのではないだろうか」 「確かに。それにしても大きいね。これだけ大きいと、ネズミを何匹丸呑みにしたら腹いっぱいになるのかなぁ」 囲まれた状況下とは思えない事を言いだしたジョハルを、葛切サクラ(ib9760)が青ざめた顔で非難する。 「や、やめて下さい!」 サクラは嫌々と体を震わせた。 「想像しちゃったじゃないですか〜!!」 「‥‥皆さん、余裕がありますね」 ふふ、と遠い目をしたのは円真の傍らの至苑だ。 「ない方が困る。では、作戦は続行、でいいな?」 念を押し、大薙刀を手に今にも戦闘に加わろうとする円真を、ジョハルが引き留める。 「円真殿も、現状維持という事ですが?」 何か言いたそうに円真が口を開く前に、ジョハルは彼の龍の前にリリを進めた。溜息をついた円真に、ジョハルは何食わぬ顔で続ける。 「また、過保護だと仰りたそうですね。ですが、貴方は武僧さん達の兄貴分とも師とも言える存在でしょう? 余所者の俺でも、希望や目標を無くす哀しみを味わわせたくはないと、そう思うんですよ。もう、誰にもね」 冗談めかした物言いだが、その眼差しは真剣だ。 やれやれと息を吐くと、円真は大薙刀を下ろした。 「現状維持、か。まあ、あまり我儘を通すと後で説教されそうだしな」 「その時は私だけではないと思いますから、十分な時間を取って下さいませね」 向けられた視線に、至苑はにこやかに微笑む。 「‥‥という事らしい」 こほ、と咳を1つ落とす円真に、諌めたはずのジョハルまでもが何やら切ない気分になって来た。 「まあ、無理をしない範囲でなら、いいのではない‥‥かと‥‥」 ちょっとだけ円真の肩を持ってみた。 周囲の視線が痛いのは何故だろう。 「じゃあ、そういう事で、行っちゃいます〜?」 ぶん、と八尺棍を一振りしたサクラは、既に戦闘態勢だ。 彼女の龍、ヨシノも先ほどから雄叫びをあげて気合い十分といった様子である。 「荒事ですね〜〜〜っ! ドキドキしますね〜〜〜っ! 燃えてきますね〜〜〜っ!!」 「燃えるのか?」 尋ねた祐介に、サクラはきょとんと首を傾げた。 「燃えないんですか?」 問い返されて、祐介が言葉に詰まる。 「燃えないんですか〜〜〜?」 「気持ちは分かるような気がする、かも、しれんが」 「皆さん、‥‥余裕ですね」 至苑の呟きは、龍達の翼が巻き起こす風に紛れ、何処かへと運ばれて行ったのだった。 そんな作戦会議が後方で行われている間も、前線はアヤカシとの戦いが続いていた。 「ち、そう簡単に近付かせてはくれないか」 「焦っちゃ駄目だ」 何十匹目か分からないアヤカシを倒して、獅門は傍らに戻って来た仁に笑みを向ける。 巨大な魔槍砲「雷洞」を抱えた仁は、先ほどから何度も大蛇を射程内に収めるべくラーフと突撃を繰り返していた。その障害となる雑魚を引き受けていた獅門は、仁の苛立ちが手に取るように分かる。 「地道に数を減らして行くしかないか。まあ、俺達が必ず道を開くから、その時は絶対に仕留めてくれよ」 「任せとけ!」 短い会話を交わして、獅門は群れて襲い来るアヤカシ達を六尺棍で叩き落とし、仁はラーフと共に再び上空へと舞い上がった。 大蛇アヤカシへと狙いを定めているのは、仁だけではない。 しかし、誰もが攻めあぐねていた。 有象無象のアヤカシの集まりであるなら、数を減らして行けばやがて辿り着けるかもしれない。しかし、何者かに−−恐らくは、大蛇の上のあの男に−−よって統率されたアヤカシ達は連携して、確実に開拓者達の体力を削っている。 崩しても崩しても、アヤカシの壁は再生されて大蛇に届かないのだ。 「このままじゃ、埒があかないよ!」 悲鳴にも似た菫の声に、藜も唇を噛んだ。一喝である程度の動きを止める事は可能だ。台を硬化させれば攻撃もしばらくは防げる。だが、それだけ。ただ、消耗していくだけである。 「また村が壊滅しちゃう。先達の悲願だけじゃない。これ以上、犠牲が出ないように抑えてしまわないと! 行こう、鞍馬!」 「待て」 甲龍と共に突撃し掛けた菫を止めたのは、千理だった。 「バラバラに攻撃しても、同じ事の繰り返しさね。そうだろう、姫百合」 千理の視線を受けて、姫百合が「はい」と頷く。 「菫様が仰ったように、このままでは駄目です。アヤカシの動きを封じるはずのわたくし達が、アヤカシ達に封じられています」 虱潰しに倒しても、アヤカシはどこからか湧いて来る。アヤカシの動きを観察して、姫百合は1つの結論に達したのだ。 「故に、わたくし達ももう一度まとまる必要があるのです!」 「まとまる‥‥必要?」 怪訝な顔で繰り返した藜に、姫百合はもどかしそうに言い募る。 「はい! 今のままでは防戦一方。いつまで経っても大蛇には到達出来ません」 「つまり、我らの力を集めて、攻撃に転ずる、と。そら」 千理に促されて視線を向ければ、後方に陣していた仲間達がこちらへと動き出していた。 「我らの作戦に変更なし。力を結集して、大蛇への道を開く‥‥という事ですね」 藜の顔に笑顔が戻る。 焦りが消えれば、心も凪ぐ。それまで、見失っていたものも見えて来る。 「分かりました。では、参ります!」 不動明王剣を握り直して、藜は台の向きを変えた。 ●大蛇 「ったく、ようやくご対面か。随分と勿体ぶってくれるじゃないか」 ぶんと魔槍「ゲイ・ジャルグ」を振って、月花は大蛇との距離を一気に詰めた。 「墜ちろ、デカヘビィィィィっ!」 荒童子を纏わせた一撃を大蛇の頭に向かって叩き込む。 しかし、それは長い尾で阻まれた。 「ちっ!」 すぐさま飛燕を反転させ、大蛇の攻撃範囲から離脱する。 その飛翼の陰から飛び出したジョハルが、威嚇するように開いた口の中目掛けて短銃「黒牙」を撃ち放つ。 幻の黒い羽根が舞い散る一瞬、ジョハルは目を凝らした。 弾丸は、確かに命中した。しかし、大蛇はうるさそうに身をくねらせただけだ。 「んじゃ、これはどうだーっ!?」 間髪いれずに、仁がジョハルが弾を撃ち込んだ同じ場所を魔槍砲で狙う。その間に、ジョハルはリロードを完了し、再度、黒牙を撃つ。 連続攻撃に、大蛇の頭が揺らぐ。 僅かな隙を、祐介は見逃す事はなかった。周囲の雑魚アヤカシの動きを制していた彼は、そのまま大蛇に向かって大薙刀「蝉丸」を振り下ろす。別方向からの突然の攻撃に、大蛇は怯んだようだった。 「蝉丸の唸りはうっとうしいか? そうか」 手首を返して、さらに斬りかかる。 「おっと、アンタらの相手は私だ! この八尺棍を越えれるか、やってみるか!?」 祐介が抜けた穴を狙ったアヤカシを、璃紅の八尺棍が阻んだ。 「すまない」 「お互い様だろ、っと!」 風を巻き込んで八尺棍が唸る。吹き飛ばされたアヤカシは、そのまま墜落していった。その様子では、地上に落ちる前に瘴気と化すだろう。 「アリエル、気を付けるのじゃ!」 不意に飛んだ小萩の鋭い声に、アリエルは身を伏せた。背後から忍び寄るアヤカシが、小萩の鞭「フレイムビート」に弾かれる。トドメを刺すべく榛名を駆った。すれ違う瞬間、2人の視線が交差する。微かに頷いて、アリエルは大蛇を射程内に捉えると、ホーリーアローを放った。 聖なる矢を受けて、大蛇はぐらぐらと体を揺らした。 「効いているようですね」 太刀「天輪」を構え直し、焔は周囲を見渡した。まだまだアヤカシの数は多い。けれど、抑えに回る仲間達の働きで、大蛇の隔離は成功したようである。 「後は‥‥ん?」 焔は、咄嗟に疾風を走らせた。 大蛇の下方へと潜り込んだその瞬間、機を合わせたかのように、大蛇の翼の付け根へと方天戟を突き立てた伊吹が降って来る。手を伸ばし、その腕を掴んで、彼女の相棒へと渡す。息の合った軽業師の技のようなそれに、見ていたサクラと獅緒が思わず手を叩く。 「無茶をしますね」 苦笑を浮かべた焔に、伊吹は軽く片目を瞑ってみせた。 「あら、無茶なんかじゃないわ。だって、あたしは鬼剣舞も、仲間も信じているもの」 「そうです〜! 私もヨシノと頑張るのです! ね、獅緒ちゃん!」 「は、はいっ!」 伊吹の捨て身とも思える働きに触発されたのか、2人は防ぐばかりであったアヤカシの壁を押し返し始めた。 「わ、凄い。負けてられないわねっ」 「いや、ですから無茶は‥‥」 焔の声は、鬼剣舞と共に空高く舞い上がって行く伊吹へと届く事はなかった。 「あーあ、姐さんはまた‥‥」 離れた所から見ると、その無茶っ振りがよく分かる。 がくりと頭を垂れた霧月に、笑い声が降る。 「俺の事は気にするな。行ってこい」 「ですが、円真様」 仲間達は一斉攻撃の真っ只中、円真の周囲は手薄だ。戸惑う様子を見せた霧月に、円真は首肯してみせた。 「大丈夫だ。無茶はすまい」 力強い言葉に背を押され、霧月は一礼して八輝を転回させる。 「気になるのは、あの男か」 その背を見送りながら、円真は呟いた。 劣勢に転じたというのに、大蛇の上の男は動揺した素振りを見せない。空中の散歩を楽しんでいるかのように薄い笑みを浮かべて開拓者達の攻撃をただ眺めているだけである。 「‥‥気を付けるのだぞ」 頭をかすめる嫌な予感を打ち払うように、円真は己に向かって来るアヤカシに大薙刀を振るった。 ●空を制す ひゅっと、瑠璃は息を呑んだ。 遺跡から落ちて行く小さな影がある。 考えるよりも先に、体が動く。だが、次の瞬間、彼女は凍りつく事になった。 目の前に音もなく現れたのは、つい先ほどまで大蛇の上にいた男だ。 「‥‥制御が為されたか。小賢しい」 低い声。 冷たい瞳に見据えられ、瑠璃の体は意思とは関係なく震え出した。手は無意識のうちに方天戟を握り締めるも、冬の風よりも冷たく感じるその気に中てられたのか、男に隙を見い出せなかったのか、それ以上は動けなかった。 「今一度、お前達に譲ろう。だが、次は」 遠く、近くに声が聞こえる。 はっと我に返った時には、男の姿はどこにもなかった。 「あいつが消えたッ!?」 「だが、今が好機!」 仲間達の様子からして、瞬きの間の出来事だったと知る。 「瑠璃ちゃん! どうしたの!?」 動かない瑠璃を心配したのか、菫が鞍馬を寄せて来る。 「い、今の‥‥」 「今? 何かあったの?」 菫は首を傾げた。 他の仲間達も、大蛇の上から男が消えた事に対して警戒はしているが、瑠璃に起きた異変は誰1人として気付いていないようだ。 幻を見たのかとも思ったが、手に震えが残っている。あさかぜも落ち着きがない。 あれは、決して幻ではない。 「私‥‥」 言いかけた途端に、霧月の龍が瑠璃達の頭上に飛来した。 続けて、どんという衝撃音が聞こえる。 「アタタ‥‥。姐さん、だから」 「細かい事は気にしちゃ駄目よ〜!」 あっけらかんとした声と、そして、風を切る翼の音。 「アイツが消えた今が絶好の機会なんだから、さっ、行っくわよ〜!」 「ちょ、姐さんっ、どこ蹴っ‥‥ぐっ‥‥」 八輝の体の向こうで、何かが‥‥何かが起きている。 思わず黙り込み、菫と瑠璃は顔を見合わせた。 「‥‥ぷ」 噴き出したのは、どちらが先だったのか。 響く明るい笑い声が、長かった戦いの終わりを告げているかのようだった。 (担当:桜紫苑) 東房、開拓者ギルド、武僧達を巻き込んで行われた不動寺旧院探索の一件から暫くした頃。 円真は天祥と静波を伴い、旧院跡を訪れていた。 「結局、何だったのでしょう‥‥」 空を見上げてぽつり呟く静波の視界には、秋空に浮かぶ旧院――だったものが、ふよふよと浮かんでいた。 あの時、旧院最深部より目覚めた精霊は、隠し部屋で遺跡と一体になった。 その瞬間、遺跡は滑らかに空へと舞い上がり、以来空の上にある。 アヤカシを退ける事も人の操縦を許す事もない。ただ空に浮かび、雲と並んで浮いているのだった。 (担当:周利芽乃香) (編集:姫野里美) |