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■オープニング本文 星降る夜に空を見上げた。 肌寒い季節になった、とぼんやり思う。 その日、開拓者ギルドに一枚の募集広告が張り出された。 神楽の都から、少々離れた山の麓。そこの秘境温泉に現れるアヤカシ退治だ。 小さいとはいえ山、そして昨今のアヤカシ被害に伴い、定期的に泉が安全かどうかを、百戦錬磨の開拓者たちに丸一日かけて調べてもらう仕事である。 もしアヤカシがいれば、勿論根絶やしにすること。 あとは自由にしていいそうだ。 「昨年も賑わってましたよね、此処」 「ええ、温泉が恋しい季節になったってことでしょうね」 そこは年中、天然の温泉が湧くとして名の知れた鉱泉の湖である。 益々寒くなると温泉の湖は白い湯気に包まれていく。別名を『霧の温泉』と言うのだが、夏から秋にかけて少し肌寒くなり温泉が恋しくなる秋の季節に噂の泉を尋ねると、湯気もさほどなく、水面に満天の星空がうつりこんで美しく輝くのだという。 星降る温泉、というわけだ。 湖の浅瀬に足をつけて足湯を楽しみ、奥へ進めば肩まですっぽり温まれる。 岸壁を辿れば短い洞窟があり、岩に腰掛けて湯気が充満した蒸し風呂も楽しめるという。 骨休めにいってらっしゃいな、とギルドの受付は微笑んだ。 |
■参加者一覧 / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 輝血(ia5431) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ヘスティア・V・D(ib0161) / シルフィリア・オーク(ib0350) / ニクス・ソル(ib0444) / 透歌(ib0847) / ネネ(ib0892) / 真名(ib1222) / テーゼ・アーデンハイト(ib2078) / レビィ・JS(ib2821) / 杉野 九寿重(ib3226) / 嶺子・H・バッハ(ib3322) / 寿々丸(ib3788) / 紅雅(ib4326) / ウルシュテッド(ib5445) / ローゼリア(ib5674) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / 刃兼(ib7876) / 朱宇子(ib9060) / 伊波 楓真(ic0010) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 白雪 沙羅(ic0498) / 庵治 秀影(ic0738) / 宮代・零牙(ic0980) / リト・フェイユ(ic1121) / ジェイク・クロフォード(ic1292) |
■リプレイ本文 ●小隊『紫紋』の宴 小隊『紫紋』を率いる胡蝶(ia1199)が温泉にいこうと、小隊員を誘ったのが数日前のことだ。 「そろそろ温泉を楽しむのに、良い季節だと思っていたところです。秋全開ですね」 杉野 九寿重(ib3226)は瞼を閉じた。 夏の盛りも、気がついていたら過ぎていた気がする。 「ところで、その大荷物は」 胡蝶が無表情で黙々と何かの準備をしていた。 「ああ、思いっきり酔いがまわりそうだから。ここで野営していくのなら、遠慮なしで構わないでしょう。悪いんだけど、そっちの荒縄とってもらえるかしら」 天幕を張って野営する気満々だった。 寝ても覚めても温泉三昧。宿泊分の食料や天儀酒も準備万端。アヤカシも出ないので、武装を続ける意味もない。一晩の居住場所を確保した胡蝶は、石で竈を作って、鍋を置いた。夜光虫を照明がわりに、まな板の上でネギを刻み出す。 「胡蝶さん……こっちのお芋、剥けました」 「ありがと、透歌。六等分してくれる? そういえば誰かテーゼを見た? 鍋を手伝うって話だったのに、いないのよ」 透歌(ib0847)が林を指差す。 「えっと……小隊歌を歌いながら……あっちの茂みへ」 刹那。 がさがさと茂みから何者かの気配がした。 「おっまたせー、結構美味しそうな茸とか沢山あったよ〜!」 背中に篭を積んだ駿龍のロシさんとテーゼ・アーデンハイト(ib2078)が、自慢げに現れた。 両腕に抱えた山菜や茸を真水で洗い、鍋に叩き込む。 「寒くなってきたし、これから鍋が美味くなる季節だよな!」 きらりと光るおたまは、鍋奉行の証だ。 益々ダシが美味しくなるのが香りでわかると、アーデンハイトも楽しくなってきたのか、鼻歌が零れ出した。 「ふんふふふーふん、ふふふふふんふん、食べられるぜー?」 アーデンハイトが鍋を透歌たちに渡し、胡蝶が天儀酒の徳利を傾け始める。 「胡蝶さん、秋月もいっしょで……いいですか?」 透歌が管狐の秋月を召喚した。 「ええ。もちろんよ。私たちだけじゃ、悪いわよね。ゴエモン」 胡蝶はジライヤを手のひらほどの大きさで召喚して「好きにしてなさい」と放った。 皆で足湯に浸かってから、胡蝶が盃を掲げる。 「今日は英気を養うのに良い一夜にしたいわね。それでは乾杯」 盃を傾けながら、杉野は瞼を閉じて足湯に意識を集中した。 「ふー、暖かみが足元からじわしわと感じられますね。体全体を沈めるのとは、また違った風情を感じます」 ところで。 上級人妖の朱雀は、杉野の尻尾を枕に「温泉あったかいねっ!」と足湯に使ってゴロゴロしている。もふもふは毎度のことなので、既に杉野の眼中になかった。 お腹も満たされて、気分も上々。 近場で買った饅頭を、隊員に分けた透歌が幸せそうに頬張った。 「あまいのとしょっぱいの、美味しいですね」 「ええ、お酒にもよくあうし」 星見酒に興じていた胡蝶が「……あら、徳利がひとつないわ」と周囲を見渡していて、相棒たちによる宴会を見つけたが、肩をすくめて別の酒をもってくる。 「ねぇ。嶺子はどこいったの」 嶺子・H・バッハ(ib3322)は……相変わらず高笑いと共に、新しい奥義がどうのこうのと叫んでいる。楽しそうなので、バッハ分の料理を確保し、そっとしておくことにした。 ●未来と足湯 孤児院の子供、未来。 彼女の外出願い書類に署名したローゼリア(ib5674)と礼野 真夢紀(ia1144)、そして礼野の友達であるシルフィリア・オーク(ib0350)の三人は、大荷物を担いで温泉に来た。道具の殆どは礼野の私物で『到着後のお楽しみです』と話していた。 疲れて、到着して、水着に着替えて。 着替えも備えも一切の憂いなし。 「未来ちゃん。シルフィリアさん、お洒落に詳しいんですよ」 大人の色香漂う水着姿のオークは「今度見立ててあげるわね」と片目を瞑ってみせた。 このままでは風邪をひくので、礼野たちは足早に温泉に向かう。 「深めの所は怖いから、まずは足湯からね。夜は冷えるから外套も」 「さ、未来。温泉を楽しみましょう。ね?」 手を引いたローゼリアが足湯の作法を教える。 オークの方は、迎えて間もない人妖小鈴の人見知りに参っていた。膝の上から一歩も動かず、腹にしがみついて他人を見ない。せめて景色を楽しむ心の余裕が持てるようになって欲しい、と仄かな期待を抱いておく。 一方の礼野は、瓦の石を摘んで竈を作ると、焚き火をして米を炊き始めた。上級からくりのしらさぎに、米炊き番と食材の準備を頼むと「支度してくるから」と立ち上がる。 「どこかいくの?」 未来が礼野の持つ籠を凝視する。 「ここは温泉卵が食べられるんですよ。まずは温泉で茹でて来ないと。行ってきます」 暫くして。 霧の向こうから戻って来た。 「ただいま。しらさぎー、ちゃんと切った? お米炊けた?」 からくりが「おわるよ」とまな板の食材を大鍋に叩き込む。 礼野が用意した夕飯は『すきやき』だ。 氷も仕込んでお肉も新鮮。秋野菜に白滝蒟蒻。八等分したお豆腐を添えて。 「締めのおうどんも用意してありますから安心して食べてくださいね」 数十人分の椀と箸を取り出した。 未来の目が点になる。 「お酒飲んでる人や他の孤児院関係者にも、おすそわけをしてきます。しらさぎは向こうに持ってって。シルフィリアさん、荷物番をお願いしますね。未来ちゃんは食べててね」 「そうね。今は動けないし。いってらっしゃい、まゆちゃん」 オークはひらりと手を振った。 膝から離れなかった人妖小鈴も、温泉卵をウマウマと頬張りながら、水面に映る星空の美しさに目を輝かせている。 未来はすき焼きと一緒にカボチャパイを頬待っていた。ハロウィンに合わせて悪戯な目や口が切り抜かれている。 美味しいご飯に甘味付きで、この上ないほどご機嫌だった。 「パイは少々甘めに作ってみましたわ。口に合えば良いのですけど」 「えへへ、かぼちゃさーん!」 無邪気に笑うようになった。 そう思う。 「未来。私は貴女に幸せになって欲しいのですわ」 「う? おいしいの幸せだよ?」 この子には幸せになる権利がある。 そして権利を守ってやれるのは開拓者しかいないのだと、ローゼリアは悟った。 願わくば。 この先もずっと愛情の中にありますように。 ●男の盃 「やあひとりかい」 宮代・零牙(ic0980)は、アーマーをしまっていた青年に声を駆けた。 「ふむ、アーマー動かすにはちょうど良いかと思ったんだが……当てが外れた」 「ああ、こちらもアヤカシと聞いて来れば……なんだかね。暇すぎて酒でも飲もうかと思っていたところなんだ。平和でなによりだが……大勢はまだ慣れなくてね。そちらも1人なら、ご一緒にどうだい?」 相手は「ふむ」と悩んで夜空を見上げた。 最近、日が落ちるのが早くなってきたと思う。 「月見酒ってのも良いかもしれないな、ジェイク・クロフォード(ic1292)だ」 「宮代・零牙だ。よろしく」 もわん、と湯気が二人を襲う。宮代の眼鏡が真っ白に曇った。 緊張感がどこかへ消える。 笑いながら足湯に浸かり、とっておきの酒瓶を取り出す。 「あはは、失敬。先刻からこの調子でね。しかし、まさに降るような星空だ。素敵だね」 「星は詳しくないが……ゆっくりしながら酒を飲んでるのもありかね」 そこへ現れた少女――礼野真夢紀が「よかったらおつまみにどうぞ」とすき焼きの入った椀をふたつとおにぎりを置いていった。配り歩いているらしい。 「頂くか」 「ああ。おいしいね。体が芯から温まるよ」 全く見知らぬ者同士でも、こうして思いもよらぬ小さな幸せを運んでくる。 ●鬼火玉のいる足湯 浴衣姿のレビィ・JS(ib2821)と甚平姿のウルグ・シュバルツ(ib5700)は足湯でのどかに過ごしていた。 「日が暮れたな」 「でも夜風は冷たいね。さ、寒い……沖にいってあったまらない?」 シュバルツは目のやり場に困ると思って渋った。 しかし諦めない。 「咲焔くんも行きたそうだよ! ね? あ、ヒダマリはまっててね!」 制止も気がずに行ってしまう。 シュバルツも相棒を放置できないので追跡する。 肩まで温泉に沈めたレビィが、空中の鬼火玉咲焔を眺めて、きらきらと瞳を輝かせた。 「ウルグ……鬼火玉ってさ、水にぷかぷか浮いたりするのかな? 試していい?」 「試すというか、まぁケモノの一種」 話の途中で、鬼火玉咲焔が温泉に突進した。 ぱっしゃぱっしゃと手鞠のように跳ねていく。水面で泳ぐのは得意だったらしい。 しかも水中で発火を試みた。鬼火玉咲焔の周辺だけ、急激に温度が上昇する。ぼっこぼっこ熱湯に変わったが、レビィとシュバルツの方へは、少し熱めのお湯が漂ってくるだけだ。 「あったかーい! わー咲焔くん、ありがとう!」 「こ、これは……イイ、な」 鬼火玉咲焔は楽しそうだ。意外な結果にレビィとシュバルツが喜ぶ反面、陸で留守番の叉鬼犬ヒダマリは、静かにジェラシィを炸裂させていた。 ●沖のふたり 水着を忘れた。 ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)は呆然と荷物を覗き込んでいた。仕方なく宿に戻ろうとしたが「準備してあるから問題ない」と竜哉(ia8037)が水着を渡した。 「白い水着ってのは初めてだぜ……サンクスたつにー」 ありがたく受け取って其々更衣室で着替る。 ふいにヴォルフが我に返る。 『しかし白い水着って……濡れたら透けるんだが。ま、みられるのはたつにーだけだし、いいか』 前向きな結論で戻った。 「似合うか? んじゃ、ちょいと泳がねぇか」 即効で沖へ出ようとするヴォルフを竜哉が止める。 「まった。ほら、幾ら温泉でもちゃんと準備運動しないと」 保護者か、と目で訴える。几帳面に運動して足湯から温泉に入り、沖へ出て行った。 「たつにー、つかれた〜」 到着早々、竜哉の背にすがる。 「早すぎないか」 「だーってさー、掴まる場所ないし〜〜」 呆れる背中に体重をかけて……温泉に沈めた。 「うっし勝ったぁあ! ふ、たつにー、隙有りだぜ?」 「いい度胸だ」 「って、ぎゃー! 出来心だって〜! 悪かっ……がばばばば」 何も考えずに沖で泳ぎ続けて。 当然、疲れ果てた。 「浴衣に着替えて、少し体を冷まそうか」 「たつにー、浴衣も持ってきてたんだ。すげぇ。でも温泉から上がると寒くないか?」 「少し寒くなっても温めあえばいい話、ってね? さっきのお仕置きもしたいとこだし」 びしゃぁぁぁん、と温泉の波が竜哉を襲った。 湯を被せたヴォルフの顔が赤い。 「か、返り討ちにしてやんよ。温泉におとしてやっから!」 騒ぐヴォルフが「競争だ」と陸を目指す。賑やかな背中を追いかけながら、最近は斬ったはったばかりで、余り構うこともなかった事に気づいた。 「今日一日は、そばにいるとしようか。……おーい、人の荷物を漁るんじゃない。浴衣は隣の袋だ」 時には甘い夢の時間を過ごしてもいい。そう言われている気がする。 どうせ他に仕事は入っていないのだから。 ●時には夫婦の時間を この世の男性が、女性への贈り物に困る現象は多々ある事だ。 まず女性向けの店へ、女性と足を運ぶのも居たたまれない。異様な視線に耐えねばならず、つい流行や名前で判断し、見もしないで選んだりする現象が起きる。 『ねぇ、どっちの水着がいい? 私はクィーンビーとか、どうかなって思うのだけど』 思い出すのは悪戯な声。 『……名前で判断を誤ったか。彼女に問われたのに、確認を怠った俺が悪いな』 ニクス(ib0444)は、新妻ユリア・ヴァル(ia9996)の水着姿を見て心底、後悔した。 革紐で胸元と腰の結び目を強調し、色香と野生感を追求したビキニの水着だ。 これがふたりっきりなら兎も角。 道行く男たちを悩殺して回ること間違いなし。 「ニクスったら、何を考え込んでるのよ。どう? とっても魅力的な妻でしょう?」 職業柄、子供を持つことを控えている分、こういう時は思いっきり、女らしくありたいと思うのが自然だろう。美しい体型を維持する努力も欠かしていない。しかしヴァルの胸中を察する以前に、ニクスはどうすれば妻を不埒な視線から守れるか考えていた。 「きいてる?」 訝しんだヴァルが近づく。 眼鏡越しに他の女を見ていた場合の鉄拳制裁も考えた。 「蒸し風呂に行こう」 結論、人目の少なくて湯煙の強い場所に行く。 さっと露出の高い背中に、手ぬぐいをかける無駄な努力も欠かさない。 「いいけど。水に濡れると水着の紐が緩むから、結び直してくれる?」 足湯や沖を選ばずに大正解だ。手をつないで足早に洞窟へ向かう。 ふとヴァルがニクスを見つめた。 「洞窟って暗いでしょ。温泉に落とすと危ないから、サングラスは禁止よ。……ふふ」 蒸し風呂は湯けむりで充満している。お互いの手と順路の荒縄が頼りだ。誰もいない寝湯を見つけて二人で座る。整えていた髪も、水と汗を含んで重力に従う。 すっと髪を梳いた華奢な指。 今日は夫婦水入らずの時間が堪能できそうだ。 ●蒸し風呂の先客と温泉卵 水着姿の伊波 楓真(ic0010)は、片手に皮の水筒、枕代わりの手ぬぐいはペシリと肩に掛け、生卵の入った竹の籠を抱えて洞窟の奥へと進んでいく。 「初めて依頼を受けて、もう1年かー。またここに来れるとは思ってませんでしたよ」 伊波の顔にしまりがない。温泉卵の事を考えると頬が緩む。 「忘れ物なし。早く温泉卵が食べたいですね」 声が曇る。煙で奥が見えない。 蒸し風呂に張り巡らされたロープが頼みの綱だ。温泉と湯の花で滑りやすいが、今度は転ばないように注意して進む。すると奥から可憐な声が響いてきた。 「流れ星綺麗でしたね、いつきちゃん。それに、こうやってまったり蒸されると、汗が出てすっきりするでしょう? 羽を伸ばすのに最適なんです」 先客の気配だ。 ここが混浴と分かっていても、やはり心臓が跳ねてしまうのが健全な男であろう。 「いいですか、いつきちゃん。蒸し風呂は美容に最適です! さぁ、冬カタケの豪華衣装に負けないよう、お肌を磨きますよ!」 「えいえいおーなのー!」 「失礼します」 そこには浴衣姿の露草(ia1350)と上級人妖の衣通姫がいた。 純朴青年よろしく極力露草の方向を見ないように努めた伊波は「温泉卵を仕込ませてください」と横を通って奥へ消える。源泉に生卵入りの籠を吊るすと、定位置を探して彷徨った。 「そこの方、どーぞ。よかったらいつきちゃんの隣へ」 「え、いいんですか」 「誰かとお喋りしてたほうが、蒸し風呂は長めに楽しめるじゃないですか。ここ、入るまでにちょっとありますし……のぼせないようにだけ注意ですね。お水のみます?」 「そこは抜かりなく持参してきました」 キリッ、と皮の水筒を掲げる。 「では失礼して。ふー、普段の疲れが溶ける様な気がしますね」 伊波が洞窟で出会った美女と語らったり温泉卵を食べている間、存在を忘れ去られた炎龍カルバトスは……近くの野草をモサモサと食べながら、延々と伊波の帰りを待っていた。 ●足湯であなたと夕食を リト・フェイユ(ic1121)はからくりのローレルと足湯に浸っていた。 「じゃ、痛覚はなくても温感はわかるのね」 「リトは答え難い事ばかりを聞くな。でもな。人が防衛行動を示す温度というのは分からない。リトが熱湯と呼ぶ水に、私が手を突っ込んだところで……なんとも思わないしな」 人と暮らし、人と過ごし。 その程度による感じ方を学習しているにすぎなかった。 『味は、わかるのに』 見上げたローレルの横顔は、煙の中にある。 呼吸していないとひと目で分かった。 「そんな顔をするな。体験する様々な事を、不快だと思った事はない」 フェイユは押し黙って手元を見た。 「あ。あのねローレル。この間お味噌が気になるって言うから、お弁当にね。お味噌の焼きおにぎりに石鏡のお教室で教わった煮物とか、お味噌が入った卵焼きを入れてきたの。デザートは梨のタルト。星が綺麗だから……ここでご飯を食べたら美味しいかなって」 一生懸命に話すフェイユの楽しそうな顔を、ローレルがじっと見つめた。 「それより、あがったらしっかり保温を。ヒトは折角温まったのに風邪を引くらしいから」 続けようとした言葉を遮って、ローレルが外套を羽織らせた。 『あなたと一緒だともっと綺麗で美味しく感じるって、言いたかったんだけど……また今度ね』 伝えたい言葉は、時々うまく伝わらない。 ●水着の三人娘 女の楽しみの一つをあげるなら『着飾ること』ははずせない。 「明希、菊祭良く頑張りましたね。偉かったですよ」 「そうです。菊祭よく頑張ったね、と言う事で」 「今日は頑張ったご褒美です」 白地に緋色の花を散らしたロングパレオ付き水着姿のリオーレ・アズィーズ(ib7038)と、ひらりとフリルが印象的な水色ワンピース水着を着た白雪 沙羅(ic0498)が、お互いに選んで用意した水着を明希の前に並べた。 「じゃーん、明希ちゃんの水着ですよ! プレゼントです」 「明希の分の水着も用意しました! 好きな方を選んで下さいね。着ない方は持って帰って着ていいですよ」 迷う時間がとくに楽しい。 明希はもふらさまを模した水着を着て、帽子をかぶる。一度に両方は着られないので、次はお揃いのフリル水着を着るらしい。もふらな帽子を振り回しながら温泉に走る。 「さむいー!」 「明希ー! 待ってー!」 明希を追いかける白雪の獣耳が寒さに震える。 アズィーズは小柄な二人を見失わないよう、人魂で後を追った。 沖に出て行く。ふたりが溺れないように見張ったが、問題はなさそうだ。 ゆっくりと温泉が染み渡っていく気がした。 「今日はいっぱい楽しいことしましょうね! は! 流れ星にゃ〜!」 「光ったぁ!」 時々猫の習性が滲む白雪が「こほん、流れ星に三度願い事をすると叶うそうです」と言い出して……白雪と明希は星を探しながら念仏にしか聞こえない早口を始めた。 「夕飯は秋刀魚、夕飯は秋刀魚、夕飯は秋刀魚! ほら明希も!」 「え、あ、あったかい手袋ほしいのさんじょぉぉぉ!」 他愛のない望みにアズィーズが笑った。 ●猫又の受難 水着姿のネネ(ib0892)は幼子の手をしっかりと握って、沖に出ていた。 「さぁ、温泉ですよ。沖までくれば泳いでも怒られませんから、泳ぐの練習しましょう。ののは温泉、知っていますか?」 「おーせーっ!」 「お、ん、せ、ん、ですよ。のの」 「おーせん、おーせん」 連呼しながら、水面を叩いている。 「ふふ、のの。降るほどのお星さまも、しっかり見て行きましょうね」 世界はこんなにも美しい景色があるのだと、どうか心の片隅に覚えていてもらいたい。 「ねー、うるるちゃんがこないー」 子供の心はフリーダムだった。 猫又うるるは『濡れるのはゴメンよ』とでも言いたげに、温泉の縁で荷物番をしていた。時々霧が濃くなって、二人の姿が見えなくなると、うろうろして探している風な影が面白い。 「のぼせる前にあがりますから大丈夫……あ、忘れるところでした。のの。後で、うるるを洗いましょうね。ふかふかでいい匂いになりますから」 「あらうー! てつだうー! ふかふかー!」 猫又うるる。 大嫌いなずぶ濡れ決定。 ●おとうさん ――――私や姉さんのこと、覚えてる? 軽食用の秋鮭おにぎりと栗ご飯のおにぎりを手に、朱宇子(ib9060)は尋ねた。 刃兼(ib7876)と手を繋いでいた旭は「牛乳のおねえちゃん!」と叫ぶ。 「うん。銭湯一緒に行ったよね。朱宇子だよ。泳いだらご飯にしようね」 「旭、あんまり深い場所にいかないこと。のぼせそうなら言うんだぞ。……あー、あと。この温泉だと特別に泳いでも大丈夫って話だが……町の銭湯じゃ湯船で泳ぐのはご法度だから、気を付けてな」 刃兼の言葉に「あい」と頷く。 滝壺での水遊びの時から上達しただろうか、と考えて。 時の流れを意識した。 約一年前、霧雨の密約で白螺鈿に運ばれていく子供……ヨキと紫陽花の妹を殺した。 黒髪の少女と赤毛の少女だった。忘れもしない。 他の子も殺せと警告された。 けれど背いた。可能性に賭けたのだ。 故に一年経って、同じ境遇の子と過ごす今は感慨深いものがある。 「早い、な」 一方、泳ぐ刃兼と旭を、朱宇子がぼんやりと眺める。 丁度一年前のここで、刃兼と泳ぎについて話をした事を思い出した。 『……刃兼も泳ぐの得意じゃないのに、教えるの、楽しそう……』 一旦、お湯から上がって握り飯にかぶりついた刃兼へ、朱宇子が意外な感想を告げた。 「何だか、お父さんみたいだね」 「…………そこまで所帯じみてないと思うぞ、俺」 背中が何か訴える。朱宇子は少し慌てた。 「あ、えっと、うちはお父さんいないから、ホントはよく分からないんだけど、もしいたらこんな感じかなあ、って思うの」 旭が朱宇子の手を掴んだ。 「おとうさんって、だれでもなれる?」 「うーん、結婚した男の人なら誰でもなれる、と思う。実子でも養子でも。あ、でも、ひとりで育てるお父さんもいるみたい」 聞きかじった基準を語らざるを得ない。 それまで『老けているのか?』と自問自答していた刃兼が……旭の顔を見て、嫌な予感がした。 「旭、おかあさまいるけど、おとうさんいない。前のおとうさんは、試験で倒しちゃったし。試験ないなら、おとうさん、ほしいな。……お兄ちゃん、男の人でしょ? 結婚して旭のおとうさんになればいいのよ!」 旭は提案に自慢げだが、刃兼は頭が真っ白になった。 「……あ、旭。結婚は、簡単にできないから、な? はは、は。朱宇子……おい、どうするんだこれ」 「え、あれ。ご、ごめん? ほら、これでものんで、ね」 朱宇子はおろおろしつつ、お茶を差し出した。 ●大人と酒と未成年 少しだけ沖に出て腰掛けられそうな縁を探す。 「星降る温泉か……こいつぁ良いねぇ。おっ、恋君じゃあねぇか」 庵治 秀影(ic0738)の視線の先には、幼い少年を連れた紫ノ眼 恋(ic0281)がいた。 「誰かと思えば秀影殿か」 「おう。で、恋君の隠し子か」 「そんなわけなかろう。あー……ごほん。真白、怖がらなくても良いぞ。あたしの友人だ。とって喰いやしないさ、恐らくね」 庵治は「恐らくかよ」と突っ込みながら、豪快に笑った。 紫ノ眼は真白に「ここは沢の水と違う。初めての温泉なのだし、のぼせそうになったらすぐに言うと良い」と注意して湯に放つ。 白銀丸には、深みにはまらぬよう子守を頼んだ。 庵治は、からくりの緋号巌鉄に向かって「おぉいっ、爺さんっ、酒と杯を頼ぁ」と声を張り上げていた。持って来たお盆に置かれた徳利とお猪口。添えられた紅葉一枚が秋を感じさせる。 「お主は酒よりも、この景色に酔いしれるような、深い感性を持たねばならぬぞ。酒に酔うなんぞもったいないことじゃ」 「くくくっ、口うるせぇ爺様だ。小難しい顔は止めて楽しめばいいのさ」 小言を言いながらお猪口へ酒を注ぐからくりに、紫ノ眼が「風流だな。ありがとう」と囁く。 星見酒とは贅沢だ。 「では一緒に乾杯を……君たちからくりは、酒には酔わぬのだったな。ふふ、便利なようでもあり、残念でもある」 「お気持ちだけ頂こうかの」 「爺様。星の海に浮かぶ心地で飲む、酒の味が分からんとはもったいないぜ、なぁ恋君」 紫ノ眼は「仕方があるまい」といって空を見上げた。 「しかし星も綺麗な良き日だな。いっそ本当に、空に呑まれてしまいそうでもあるな」 「温泉ってなぁ、気持ちいいもんだなぁ」 ところで。 大人の食べ物や飲み物は美味しそうに見えるものだ。 からくりの白銀丸が「くおら」と言いながら、忍び寄っていた真白を抱き上げた。 紫ノ眼がお猪口を岩清水と交換する。 「酒はまだだな。大人になった時の楽しみだよ」 一緒に酒をくみかわせる八年後まで、少しばかりお預けだ。 ●いつか伝えること アルーシュ・リトナ(ib0119)は孤児院の恵音をつれてきていた。妹のように大事な友達ですと、真名(ib1222)を紹介し、穏やかに過ごす。空龍フィアールカは、足湯で騒ぎすぎないように気を使っているようだ。 「星に包まれているような夜ですね」 「ほんと素敵な温泉。それに温かいわね、姉さん」 「ええ真名さん。恵音さんも……菊祭り、本当に良く頑張りましたね」 温泉に肩まで浸かった恵音の頭を撫でる。 まるで水を吸う綿のように、何でも覚えていく恵音の姿を見ていると『本当は頑張り過ぎで疲れているのではないか』という思いが、リトナの胸によぎった。 「あなたがどう感じていても、私は恵音さんとお話したり、教えたい事が沢山あります。またお出かけしましょうね」 「ご褒美のお出かけ……楽しみ」 「お夕飯にしましょうか」 「私、姉さんのお弁当が凄く楽しみだったの」 「ありがとうございます、真名さん。恵音さん、あけてみて」 重箱に詰めたお弁当をあける時は、宝箱のようで胸が躍る。 まずは鶏肉と茸のチーズ焼き。栗と醤油ごはんのおにぎりはころんと丸く、食後のお楽しみはウサギに見立てたリンゴに葡萄のコンポート。 口にほおばると秋の実りを感じる。 「おいしい」 「あのね、恵音。私、朱雀寮にいるんだけど貴女と同じ……」 「真名さん」 顔を上げると、リトナが口元に人差し指を当てていた。 内緒の意味だ。 妙な沈黙に、恵音が首を傾げる。真名が慌てた。 「えーと、私、朱雀寮にいるんだけど、普段は離れてても、あなたと同じで姉さんが好き。貴女とも友達になりたい。どう?」 「うん。友達に……なるわ」 笑顔で手をつないだ。 恵音が温泉卵を取ってくる、と言って立ち上がった。人妖菖蒲がついていく。 洞窟の奥へ消えた。 「真名さん。ありがとうございますね、恵音さんのこと」 「……私ただ、同じ境遇の桃音が、一緒に朱雀寮で生きることを選んだって知って欲しくて」 穏やかな瞳をしたリトナは「分かってます」と真名の手に手を添えた。 「あの子たちはまだ『おかあさま』が恋しいんです。ナマナリの話も、戦で兄姉の歩んだ道も知らない。まだ早い……そう話し合ったばかりなので」 リトナは真名の手を撫でた。 「……恵音は、桃音と面識があるのかな」 「分かりません。でもきっと。いつか成長したら教えてあげてください。さ、今日は……真名さんに休んでもらって力を蓄えないと。試験も大詰めですが、真名さんなら大丈夫ですよ」 微笑んだリトナは真名の肩を揉んだ。 ●星とともに溢れるもの ジルベール(ia9952)とウルシュテッド(ib5445)は、孤児院の星頼を連れて、温泉に来ていた。広大な湖から立ち上る湯気と独特の香りは、そこが温泉である事を主張する。 星の映る、見事な景色だ。 大人二人が年甲斐もなく燥ぎながら沖へ出ていく。 ウルシュテッドやジルベールは背が高い方だが……一番深い場所では、直立不動でも肩が沈んだ。当然、星頼は首にしがみつく。 「はぁ、いい湯加減だ。ジルも一献のみたくならないか。星頼、気持ちいいだろ」 「お風呂は好きだけど……あつい」 大人は好む温度だが、体温の高い子供には少々熱かった。 長湯が難しそうなので、ぐるりと歩いて浅瀬に向かう。 「ジルー、俺もうここに住んじゃおうかと思うよ。天幕張ってさ。なあそうしようぜ」 「おお、住も住も。ここ居ったら疲れも心配事も、ぜーんぶ湯に溶けてくわ」 気を抜くとブクブク沈みたくなる。 そして星頼と水面の星を掬って遊んだ。 「星が手の中に掬えるで。ほら、テッドの星と交換や」 「っと、つかまえた。この星も温泉に浸かりに降って来たかな」 「ゆーらゆらー」 様子を見ていたウルシュテッドが「星頼には会いたい人はいるかい」と尋ねると、頭が前後に動いた。名前は聞かなくても、わかる気がした。 「そうか。俺は月を見上げると会いたい人を思い出すが、沢山の星が見守ってくれる夜は、寂しく、ない」 鼻が詰まった。呼吸がうまくできない。 頬を伝うものが『涙』だと気づくのに時間がかかった。 「すま、ない。なんでも、ない」 あほやな、とジルベールは思った。 大勢に心を砕く一方で、自分は折れかけるまで気づかない。 張り詰めた弦のようだ。だから、いつか胃に穴があく。泣ける時に泣けばいいのに、弱みを見せる事すら躊躇いが強い。 ジルベールは温泉を掬って勢いよく親友に浴びせた。 「星頼、手をだしてみ」 ジルベールが星頼の手を掴んで、呆然としているウルシュテッドの頭をなでた。 「古いおまじないや。痛いの痛いのとんでいけー、ってやるんやで」 せめて心の痛みが。 「いたいのいたいのとんでけー?」 軽くなるように。 気遣いに気づいたウルシュテッドは「大好きだよ、二人とも」と囁いた。 ●無言の流離い姫 源泉で仕込んだ温泉卵を回収したフェンリエッタ(ib0018)は、心此処にあらず、といった様子で足湯に向かっていた。目を凝らすと、迅鷹ブランスィーカが荷物番をしながら翼を洗っている。 歩きながら空を見た。 瞬く星は、冬が近いと静かに囁く。 手を伸ばしても決して届かない……儚い光だ。 溜息がこぼれる。 ふと足下に叔父の荷物を見つけた。 「叔父様は、星頼たちと一緒なのね。私は余裕がなかったものね」 フェンリエッタは暫くその場に立ち止まり、自分の荷物を取りに戻ると、あれこれ持って戻ってきた。 荷物の陰に食べ物を置く。宿で作ってきたカボチャの茶巾絞り、栗のクッキー、冷やした甘酒、出来たての温泉卵を三つ添えて。 「……苦しめてごめんなさい」 憂鬱な表情をして、書き置きもなく去る。 迅鷹ブランスィーカが羽根を一枚添えて、フェンリエッタの背中を追いかけた。 ●新しい友達と過去の日記 紅雅(ib4326)と寿々丸(ib3788)と共に、孤児院の灯心も温泉に来ていた。 「改めて。この子は私の弟です。仲良くしてあげてくださいね?」 「寿々丸と申しまする。宜しくお願いします。あ、これは寿々の友人の炎蕾丸ですぞ」 鬼火玉をずいと差し出して、深々とお辞儀をする。 「灯心です」 紅雅が、寿々丸は開拓者として立派に働いている、という話をすると、寿々丸は認められて嬉しそうに尻尾を振ったが、灯心はピンときていない様子だった。 「開拓者は職業だって聞きました。どんな仕事をするんですか?」 紅雅、思考停止。 人類の敵であるアヤカシを倒す職業ですよ、とぶっちゃける時期ではない。 灯心たちにとってアヤカシは家族でお守役、身近な存在だった。 寿々丸が「大兄様?」と首を傾げる。 暫くして紅雅は「そうですねぇ」と困ったように微笑む。 「色々な仕事をしています。まず開拓者は、志体を持った人にしかなれません。私たちは修行で特別な術を覚えて、困った人を手伝ったり助けたりするのがお仕事です。菊祭では警備をしていたでしょう」 ごまかしきった。 持って来た鍋を沸かしながら、足湯に浸かる。 「まだ寒い季節ですから……足を温めると体がポカポカしませんか? 二人とも」 「はい、大兄様。ほかほかですなぁ。炎蕾丸もご機嫌でするな。灯心殿は、足湯は初めてでするか?」 「はい。初めてです。お風呂には入ったけど、足だけはないです」 足湯に浸かって星を眺める。 灯心が宿で作った煮物は、しだいに匂いを放ち始めた。 「美味しそうでございまするなぁ。灯心殿は、とても器用ですな! 凄いでする。寿々は料理は出来ませぬが、術は勉強中でする。陰陽寮にも通っておりますぞ」 猫の人形を持ち上げる寿々丸と灯心の話題は尽きない。 気が合うのだろう。 術に興味を示した時、鍋が吹きこぼれた。紅雅がひょいと火から下ろす。 「食べるという事は生きるという事……料理というのは、ひとを生かせる事、ですよ。さてご飯にしましょう。そうです灯心、菊祭の日記、読ませてくださいな」 荷物から手帳を取り出して渡した灯心が、ふいに「煮物、むこうにもあげていいですか?」と二人組を指差す。 「ええ。きっと喜んでもらえます。荷物番はしてますから、いってらっしゃい」 紅雅の微笑みを見上げて、灯心は寿々丸と共に走っていく。 ところで残った紅雅は渡された手帳を開いた。 孤児院に来てから習った料理と、失敗した料理についても書かれている。几帳面だ。一番新しい項には、菊祭で手伝った菊花膳のレシピと日記があった。 『○月×日。きょうから、またにっきをかきます』 読み始めた紅雅が「また?」と眉を顰めた。 『まえは、さとおささまが、にっきをまいにちかくにんしていたけれど、ここではまいつきお兄さんが、みてくれます。すきな絵をかいても、手をたたかれません。むずかしい字をたくさん忘れてしまったので、またがんばります。今日はきっ花ぜんをおぼえたので、らいねん、みんなにつくってあげます。よろんでもらえるように、おいしく作ります』 紅雅は仲間の話を思い出した。 21名の子供たちの半数以上が、簡単な読み書き可能なのは、忌まわしい里で日記が義務化されていたからだ、と古い調査で判明している。 戦術の書物を読む為だ。 昨年五月。潜入した里で破れた日記を直接拾った弖志峰、そして現場にいたという刃兼たちは……8歳前後の少女が書いた日記の写しを所有していた。 日記の断片を思い出す。 『○月×日。おなか、すいた。きのうは、かりで、へとへと。またにっきをかかなかったので、きょうはごはんがありません。こがたなで、ずっとおはしをつくるしごとです。きょねん、にっきをさぼって、おこられてから、ずっとつづけてきたのに。くやしい』 唇が。 『○月×日。きょうは、しけんのひです。ずっとみずくみをてつだってくれたおおかみを、ころしました。ほめられたけど、ぜんぜんうれしくありません。かなしくなくなるまでたおしなさい、といわれました。ゆうがたになると、べつのおおかみがきて、みずくみをてつだってくれました。でもころさないといけないので、なかよくなるのはやめました』 震えた。 紅雅は手帳を閉じた。 祭の夜。灯心は手帳を見せることを躊躇った。日記を提案した時は黙って頷いた。忌まわしい里と同じ日課を与えた事に、罪悪感を覚えた。辛い日々を思い出させてしまった……と後悔もよぎったが、別のことを考えついた。 もう一度、手帳を開く。 『よろんでもらえるように、おいしく作ります』 灯心の字を指でなぞる。過酷な日々を強要した上級アヤカシと同じことはしたくない。 紅雅は片隅に文字を書いた。 『来年もおいしく作って、みんなによろこんでもらいましょう。一緒に。紅雅より』 先日、服に縫いつけた『にこにこワッペン』の絵を書き添える。 悲しい過去を、楽しい記憶で塗り替えていきたかった。 ●枷と軛 ときは少しばかり巻き戻り。 御樹青嵐(ia1669)と輝血(ia5431)は湯の中に足をつけながら、酒を片手に御樹の弁当をつまんでいた。茸の炊き込みご飯に秋刀魚の煮付け、炒り銀杏には岩塩をちらした。 人妖の緋嵐と文目は、湯の中に潜ったり泳いだりして、自由気ままに過ごしている。 「美味しいよ、青嵐。……今日は、あの子達もいるんだね」 「お褒めに預かり光栄です。ああ……そうですよ。全員ではありませんが、見張りの開拓者がいれば連れ出していいという話でしたので」 輝血は箸を置いた。 ぐるりと周囲を見回し、耳を澄ませてから呟く。 「……ねぇ、青嵐。あたしが、名前をあげた……あの子は元気、かな」 気になっていた幼子の姿がない事に気づいた輝血は、御樹の顔色を伺った。 「もちろん。あの子も輝血さんに会える日を……」 御樹は自信を持って伝えようとしたが「だめだよ」という反射的な返事が返された。 「ですが、輝血さんはあの子の名づけ……」 「何でだろ、今はまだあの子に会っちゃいけない気がする。……自分でそんな資格がない、とかどこかで思ってるのかな。あの子達は、あたしとは違う。遅くない。だから普通に戻、……なんてね」 我に返った輝血は「まぁ今は、そんなことどうでもいいけどね」と顔を背けて口をつぐんだ。 御樹も追求しなかった。 「灯心が元気なら、あの子も元気だろうし、心配ないか。こっちにくるよ?」 輝血の指差す方向に、椀をふたつ持った灯心たちが来た。 「煮物、食べてください」 料理をおすそ分けに来た灯心を手招きした御樹は、輝血にも椀を渡した。 「紹介します、輝血さん。私の料理の愛弟子です」 「へぇ、料理。灯心が愛弟子ね……でも青嵐って、ヘタレなところもあるから、そういうところは受け継いじゃだめだよ」 ここで御樹が意外な行動に出た。 椀を二つ置いて咳払いし「灯心さん」と声を掛け、振り向いた少年の前で輝血の手を握る。 「この女性は、実は私の大事な人なんです」 ヘタレの称号が返上できる日は、近いのかもしれない。 ●少女の羽化 美しい景観は心を和ませる。 そう考えた弖志峰 直羽(ia1884)は、孤児院の結葉を連れて温泉に来ていた。同行する婚約者の水鏡 雪彼(ia1207)にも、結葉の生い立ちや性格は事前に話した。 一緒に連れて行くことを申し訳なさそうに頼んだ際、水鏡は笑顔で承諾した。 『気にしないよ。まずは仲良くなることからだし。三人で足湯、楽しみだね』 かくして結葉を挟んで親子宜しく、一緒に足湯を楽しんでいた。 「菊祭のお仕事、お疲れさまだったね、ユイ。難しいお客さんの応対も上手くなったし、お店の人もお手伝い感謝してたよ」 「大変だったし、いっぱい困ったけど、楽しかったから、またお仕事できるといいなって、思うの」 「じゃあ、院長さんや樹里ちゃんにきいておくね。ユイが頑張ってる所、見ていられるのが俺の幸せ。困った時は、俺が傍にいるから、ね」 くしゃりと髪を撫でると、普段は元気で溌剌とした結葉が、急におとなしくなる。微妙な空気の意味を、今だ弖志峰は掴みかねていた。 横から様子をみていた水鏡が、微笑みかける。 「結葉ちゃん、温泉、気持ちいい?」 水鏡は浮かぶ汗を手拭いでさっと拭き取り、結葉の緑の瞳を覗き込んでは絶えず話かけた。そしてツインテールの髪をほどいて、複雑な結い方を教えている。 「直羽ちゃんみたいな、つやつやサラサラの黒い髪ね。長いけど伸ばしてるの?」 「そうよ。足元まで伸ばすって決めたんだから。前に教わったのはフィッシュボーンと」 結葉が教わった髪型を諳んじる。 その声を聞きながら、水鏡は『自分も一歩間違えれば同じ境遇だった』事に複雑な思いを抱いていた。水鏡は両親の死を経たけれど、養父という人の道を歩ませてくれた存在がいた。けれど結葉にそんな幸運はなかったと聞く。 「長い髪って素敵だし、短いのもきっと似合うと思うの。次は編み込むね」 一方の弖志峰は、婚約者と結葉の様子を眺めていて『もしも将来、娘ができたらこんな感じかなぁ。娘は父親に似るって言うけど、そうなると黒髪かな。男の子だったら雪彼ちゃんと同じ金髪になるのかなぁ』などと妄想の翼を羽ばたかせた。 刹那。 「ね、直羽ちゃん。雪彼、直羽ちゃんそっくりの子供、ほしいな」 弖志峰の顔が一瞬でゆだった。 「どうしたの直羽ちゃん、湯に当たったの」 「や、ち、ちょ、ちょっと熱くなってきたかな……って!」 健全な男としては色々考えてしまう。悟られないように焦りながら、どうにか落ち着こうと考えて、ひたすら考えて……いずれ立ちはだかる壁こと水鏡の養父を思い出した。 刺される。間違いなく刀の錆になる。 「雪彼ちゃん、ユイ。さっきの、他の人には、まだ秘密で」 ふいに結葉が水鏡の袖を引いた。 「ふたりはしんゆう?」 水鏡は少し悩んで「雪彼は、直羽ちゃんのおよめさんよ。いつか結婚するの。婚約者っていうのよ」と丁寧に教えた。 途端、結葉が押し黙った。 膝を抱えて、二人から顔を逸らす。 「……ユイ? なんか怒ってる?」 「……。直羽ちゃん、鈍感」 「え?」 「結葉ちゃん、あのね。直羽ちゃんは雪彼のお婿さんだから、譲ってはあげられない。けど直羽ちゃんは……結葉ちゃんが大事だと思うよ。そうでしょ、直羽ちゃん」 弖志峰は、ようやく距離が近すぎたことに気づいた。 信じてる、大好きだよ、俺が傍にいる……安心させるつもりが、それ以上の意味を持たせてしまっていた。結葉が七夕の短冊に書いた願いは、確か――いつか凄い人と結婚できますように。 「えっと……うん。ユイが大事だよ。ごめんね、気づかなくて」 そして、これだけはきちんと言わなければならない。 「ユイの――結葉の恋人には、なれないんだ」 「……知ってる」 歳が離れすぎていて。 きっと好きになってはいけない人。 時々会えて、自分だけ見て、守ってくれる。 父親に抱く憧れのような、そんな幼く淡い恋だった。 「ただ、知らないふり、したかったの。困らせたいんじゃないのよ。ごめんなさい。二人とも、わ、私のこと、きらいに、なる?」 初恋は実らないと人は言う。 けれど甘酸っぱい思い出とともに、少女は人としての感情を学び、またひとつ成長していくのだろう。 いつか唯一無二の相手を見つけるために。 しのぶれど、色にでにけり我が恋は、物や思ふと人のとふまで。 |