救われた子供達〜桃遊戯〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 31人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/03/16 10:14



■オープニング本文

【★重要★この依頼は、開拓者になった【アルド】【結葉】【灯心】、養子になった【恵音】【未来】【明希】【エミカ】【イリス】【旭】【星頼】【礼文】【スパシーバ】【のぞみ】【のの】、孤児院に残っている【華凛】【到真】【真白】【仁】【和】【桔梗】【春見】に関与するシナリオです。】


 宮仕えをしていると所属施設や高位官僚からの召還というものに遭遇することが屡々ある。緊急の仕事であったり、昇進の話であったり、内容は様々だが……足を運べと召還が掛かるのではなく、役人が家を尋ねて来るというのは、大抵よからぬ問題である可能性が高い。
 例に漏れず。
 その老人の家にも似たような現象が起こった。
「お前達、何をしている! 私有地だぞ! 勝手にはいるな!」
 きぃきぃとわめき散らす老人。
 しかし土足の役人は耳を貸さない。
「年貢の納め時という奴ですねぇ」
 玄関に立っていたのは悠然と頬笑む封陣院の分室長こと狩野柚子平だった。
「あなたの子飼いが吐きましたよ。手駒は選ぶべきでしたね」
 開拓者達の作戦と心理的誘導により、子供達を害して狩野柚子平を陥れようとした男は自白した。殆ど保身の為の協力である。証言を元に、指示した者の証拠を差し押さえることになった。正式な手順を踏むと、どうにも物事は遅くなりがちだ。これだから、お役所仕事というのは困る。
 しかし役所仕事だからこそ出来る報復というものもある。
「安心なさい。きっと楽に死ねますよ」
 柚子平は優美な微笑みを浮かべた。
「畳の上ではありませんけどね」
 老人はゾッとするような微笑みを見た。

 +++

 ところ変わって此方は神楽の都。

「例の黒幕、捕まったらしいよ」
「へぇ」

 孤児院の屋根に降り積もった雪を除雪しながら、開拓者達はそんな話をしていた。眼下には雪だるまを作って遊ぶ子供達がいて、裏山には紅梅の花が咲いていた。既に桃の花も蕾をひらきはじめ、じきに桜を拝める春が来るだろう。
 年が明けてから、開拓者達は比較的おだやかに過ごしていた。
 ある者は旅行に出かけ、ある者は自宅で過ごし、戦ばかりの以前に比べて夢か幻のような日常を享受していた。ああ、平凡な日々とはこういうものなのか、としみじみ考えてしまう事もある。

「はーい、手を休めない」
「へーい、やるかぁ。雛祭りの支度もしないとだしなぁ」

 生成姫一派に誘拐された子供達を魔の森から救出して、二年が過ぎた。
 どの開拓者も人助けは散々やってきたが、その後の手助けを行う事例は比較的少ない。
 問題解決がアヤカシと戦うばかりでない事を知った者もいるだろう。
 そして。
 この孤児院も、開拓者が引き継ぐ事になる。
 建物と土地を買収する資金に関しては、大凡の見積もりができていた。
 具体的に誰が管理者になるかはこれから話し合われるが、少なくとも子供が散り散りになったり、政府の介入がなされる危険は無くなるだろう。
 あの狩野柚子平も、1月に斎竹家の第一令嬢と無事に結婚したという。
 しかし相手が貴族であるせいか、はたまた仲人が両国の国王であったからか。開拓者達は狩野柚子平の姿をひとつきほど拝む事はなかった。
 まずは石鏡国で挙式、親戚で披露宴、貴族関係の挨拶回り、そして嫁入りに関する盛大な送り出しにお迎え、さらに似たような騒ぎが五行国に来てからもあったらしく、連絡を取ろうとしてもまるで捕まえることができなかった。

 +++

 開拓者達の方でも様々な雑務が行われたが……はれて賑やかな雛祭の日を迎えた。
 今日は桃の節句であるが、同時に院長先生とのお別れ会でもある。
 このまま院に残るという選択もあった。
 けれど。
 毅然とした態度で経営を行ってきた院長は「残りたくない」と言う。

「けじめですから」

 そう言って、長年暮らした建物を見上げた。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 酒々井 統真(ia0893) / 玲璃(ia1114) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 輝血(ia5431) / 郁磨(ia9365) / ニノン(ia9578) / 宿奈 芳純(ia9695) / 皇 那由多(ia9742) / 尾花 紫乃(ia9951) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ネネ(ib0892) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / 紅雅(ib4326) / ハティ(ib5270) / ウルシュテッド(ib5445) / 明星(ib5588) / ローゼリア(ib5674) / 宵星(ib6077) / ニッツァ(ib6625) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / 戸仁元 和名(ib9394) / 戸隠 菫(ib9794) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 白雪 沙羅(ic0498


■リプレイ本文


 まず人妖樹里は出資金や証文を机の上へ置くように指示する。
 そして開拓者を見回して告げた。
「ここの孤児院の経営者が必要なわけだけど、残れるっていう人は前に出て」
「私はある」
 ハティ(ib5270)は3万文の出資金を渡した後「私はここの専属経営者になりたいと思う」と告げた。いざという時の為に開拓者の身分証は保持したままだが、基本的に無期限休業として孤児院に住むという。
「あたしもだ」
 17万文の証文を置いた紫ノ眼 恋(ic0281)は「あたしも専属で残りたいと思っている」と言った。開拓者を引退し、孤児院へ常駐する事で真白たちに万全の対応をしていく心構えを証す。
 人妖樹里は「反対の人はいるかしら」と問いかけると、誰も異論は唱えなかった。
 孤児院の院長である老婦人は「後任がお二方なら安心です」と呟く。
「決まったわね。ハティさん、紫ノ眼さん」
 人妖樹里が二人へ「後でごっそり書類かいてもらうから覚悟して」と話す。
「ああ」
 ハティ達は院長の手を握った。
「院長、貴方の仕事と想い、私たち皆で引き継ぎ子供達に伝えて行きたいと思う」
 そして、と開拓者仲間を振り返った。
「何かと至らぬ身なので皆様方にはご助力頂けるとありがたい。今後ともよろしくお願いする」

 そして出資金の計算が始まった。
 少額は兎も角、多額は後で受け取りに行く為、証文となっている。
「はい。樹里さん。宜しく」
 1万文の出資金を置いた宵星(ib6077)と同じく出資した明星(ib5588)は「支度があるから」と部屋を出た。宿奈 芳純(ia9695)は2万文を出資した。紅雅(ib4326)は出資の3万文を渡した。ニノン(ia9578)とウルシュテッド(ib5445)夫妻も各自4万文ずつ置いた。アルーシュ・リトナ(ib0119)は5万文を机に置く。ニッツァ(ib6625)は5万文を出資した。
『皆にとっては、きっかけなんかな、これは』
 5万文の出資金を置いた戸仁元 和名(ib9394)は人妖樹里に「後で相談したいことがあるんよ。養子の件で」と囁いた。こういう難しい話は深夜に限る。樹里は「いいよー」と気軽に応えた。ほっと胸を撫で下ろした戸仁元は「台所で飲み物の準備をしてきます」と言って羽妖精の和真とともに台所へ向かう。
 リオーレ・アズィーズ(ib7038)と白雪 沙羅(ic0498)は各自10万文づつの出資を決めていたらしく、合計20万文の証文を置いていく。ケイウス=アルカーム(ib7387)は10万文の証文を置いた。
 皇 那由多(ia9742)は10万文の証文を置く。そしてくるりと身を翻すと、一足早く「ローザ、未来ちゃん達の様子を見てきますね」と言って居間へ戻っていく。
 ローゼリア(ib5674)は「私も参ります」と15万文の証文を置いて部屋を出る。
 蓮 神音(ib2662)は10万文の出資を決めていた。証文を手渡して「先に戻るね!」と台所へ駆けていく。
 戸隠 菫(ib9794)も「お邪魔するね」といって十万文の証文を置いた。
「あはは。驚くかもしれないけど、実はずーっと気にはなっていたんだ」
 人妖樹里が「そうだったの?」と小首を傾げる。
「うん。色々と。あたしが行っても良いのかな、と気が引けるところもあったんだよね。でも力になれるなら、これを機に力になれればなって思って。勇気を出してみたんだ」
 戸隠は新しい院長であるハティ達を振り返る。
「常勤は難しいけど、非常勤でなら経営の手伝いも出来ると思う。子供が大きくなれば、家庭教師だって複数必要になるだろうから色々手伝いとかやらせてもらおうかな。いい?」
「助かるよ」
「よかった。あ、勿論のことたっぷり開拓業で稼いでくるから頼りにしてね」
 戸隠は、ぱちんと片目を瞑ってみせた。
 郁磨(ia9365)は15万文の証文を渡しつつ「経営の補佐はさせてもらうつもりです」と告げた。
 刃兼(ib7876)は15万文の証文を渡す。御樹青嵐(ia1669)は15万文の証文を置いた。酒々井 統真(ia0893)は15万文の寄付金の証文を置く。その際「経営云々は任せるぜ」と告げた。
 ネネ(ib0892)は「どうぞ受け取ってください!」と証文を差し出した。そこには20万文と書かれていた。
「この子の兄弟姉妹のためです、どーんと! さあ!」
 雄々しい。
 尾花 紫乃(ia9951)は20万文の寄付を決めていた。証文を手渡し「あの」と新しい院長である紫ノ眼達に「定期的に連絡を頂けますか」と話しかけた。
「夫と共に、院長先生と桔梗さんを預かる身ですから継続して援助できればと考えています。薬草なんかも家で育てようかと思っていますから、ご入り用の際はお声かけください」
「宜しくお願いする」
 礼野 真夢紀(ia1144)は30万文の証文を手渡す。弖志峰 直羽(ia1884)は30万文の証文を置いた。
 40万文の証文を渡した无(ib1198)も、補佐役として手伝っていく趣旨を告げた。
「ここへ来られぬ事もあるでしょうが、お任せします」
 信頼は厚い。
 玲璃(ia1114)は100万文の証文を渡した。
「あの……今後の経営、運営の詳細は私より孤児達と親しい皆様にお任せします。ただ、今後も必要な資金は出しますし、何か起こった時の責任は負いますので、何か困った事が起こった時はお呼び下さい」
 人妖樹里は「嬉しいけど、どうしてそこまで」と小首を傾げた。
 すると玲璃は微笑んだ。
「私はここにいらっしゃる皆様の日常を眺めるのが好きだからです」
 開拓者の努力で守られ、繋がれた命。普段の血生臭い戦いからは近くて遠いこの場所で続く幼子達の穏やかな日々を守ってやりたいという気持ちがあるのだろう。その為の尽力は惜しまないと約束した。
 フェンリエッタ(ib0018)は250万文を出資すると言い、手続き書を渡す。
 かくして孤児院は多額の資産を持つ事になった。

「それじゃ、雛祭りを始めましょう」
 すると玄関のノックが鳴った。
「私が出ます」
 御樹が玄関で出迎えたのは輝血(ia5431)だった。
「いらっしゃいませ。よく来てくださいました」
 来てくれないかと思って心配していました、と。そう囁く御樹の顔を輝血は凝視する。輝血は「ちょっといい?」と言って御樹の袖を引いた。御樹は灯心に後を任せて、一旦扉の外へ出る。粉雪がチラチラと降っていた。
「どうされました」
「あのさ、青嵐。……あ、あたしはあの子たちを見ていられなくなって、自然と距離を取った。名前だけを贈って、それだけ。そんなあたしに、ここにいる資格があるのかな?」
 御樹は「ありますとも」と躊躇い無く囁いた。
「貴女が桔梗さんの名付け親である事は未来永劫変わらぬ事実です。傍に立つ事に引け目を感じるのなら、部屋の隅でもかまいません。どうぞ中へ」
 輝血は暫く迷っていたが、こくりと頷いた。

 星頼と一緒に霊騎頼礼に積んでいた楽器などの少ない荷物を降ろしに向かう。ついでに愛馬を飾り付けながら、明星は建物を見上げた。
「ねー、星頼。ここって名前ないの?」
「コジイン?」
「孤児院ってその通りなんだけど、ちょっと寂しいというか言葉が好きじゃないというか……院長先生に聞いてみようか」
 もしも名前がないのなら、つけてもらうのも素敵なはずだと明星は考えた。

 隣の礼野は霊騎若葉から積み荷を降ろす。
 ちらし寿司と手鞠寿司、蛤のお吸い物と難しい料理はないけれど、どれも基礎が大事であるし、この大人数だ。お米を焚くのも一苦労である。
「気合い入れないと。あれ?」
 積み荷の中に料理本「開拓メシ」が混じっていた。礼野の自書である。間違えて持ってきた一冊をじっと眺め『そうだ、此処に置いておこう』とひらめいた。料理への興味は勿論、郷土料理を通じて他所への興味を刺激できるかもしれない。

 皆が料理をしている間に、と。宿奈は戦馬越影に積んでいた飾りの荷を取りに行った。あらかじめ市場で仕入れた桃や菜の花、開花前の橘等がごっそり積まれている。瑞々しい花々を小分けにして竹筒に活け、会場に飾り付けていく。
 一方、アルカーム達はエミカと一緒に飾り付けを手伝っていた。勿論折り鶴飾りだって欠かせない。
「知ってた? 雛人形って女の子の健康な成長と幸せを祈って飾るんだって!」
「ふぅん……じゃあケイ兄さんは、今日……女の子なのね」
 くすくす笑うエミカの視線を辿れば、アルカームの頭には折り紙の花が飾られていた。
『楽しそうに作ってくれたんだし、外せる訳ないよ』
 鈴の音のような笑い声を響かせる養女を穏やかな眼差しでみやる。
『エミカ、本当によく笑ってくれるようになったなぁ』
 初めてあった頃、警戒心むき出しだった姿が嘘のようだ。
「エミカ」
「ん、ケイ兄さん……怒った?」
「ううん。俺と家族になってくれてありがとう、エミカ。これからもずっと、君の幸せを祈ってるよ」
 少女は返事の代わりに、アルカームの腹周りへ抱きついた。


 台所では薬缶がしゅんしゅんと音をたてていた。
 火の番をしていた到真がくるりと戸仁元を振り返り「難しいお話おわったの?」と声をかけてきた。
「うん。まだもう少しかかるけど、また今度やね」
「そう。お茶って何にするべきなんだろう」
 すると戸仁元は「春らしいお茶なら一杯買うてきたんよ」と言って荷物を解き始めた。桜茶と緑茶「陽香」 
 試しに一袋開封し、と塩漬けの桜をひとつまみして湯飲みに落とし、お湯を注ぐ。萎んでいた桜の花は、ふんわりと解けて湯飲みの底に沈んでいった。
「直前に注いだ方が綺麗そうやね」
「じゃあ、桜茶はつまめる器がいるよね」
 到真は戸棚の中にある、お菓子入れの小瓶を探り始めた。普段は飴などが入っている小瓶に桜茶の元を入れる気らしい。幾つか候補を見繕って「どれがいいかな。女の子の日だから薄桃?」と聞いてきた。
「ええと思った方を使うてみたらどうやろうか」
 変わった、と思う。色んな事が。
 二年前は、誰かを思いやれるような子ではなかった。最近では生家の問題もあった。
『これまで色々あったけど……落ち着きそう、やね』

「真白、白銀丸、心を込めてつくろう」
『良いお別れの日にしたいしな』
 料理の下ごしらえを手伝う紫ノ眼は、上級からくり白銀丸と真白の姿を見て暫し考えたあと「最初の頃も料理をしたな」と呟いた。真白は「野菜ちぎった!」と声を返す。
「昔に比べると随分と器用になったね」
「ほんと? ぼく、今なら竹鞠を綺麗につくれると思う!」
 そんなこともあったな、と喋りだした話はぽんぽん弾んでいくので懐かしさを覚える。草履の修理、玉蜀黍を買った日、温泉で盗み食いを試みる好奇心の塊をやんわりと聡したり、二人めかしこんで舞踏会で踊ったのはいつの事だっただろう。
『変だな。どれもこれも昨日の事みたいだ』
 思い出せてしまう。
 二年間の様々な思い出が色鮮やかに。

 台所に戻った御樹は灯心の手元を見た。
 果たして何をつくるのだろう……と見ていると、白魚の天麩羅とホタルイカの刺身を作っていた。揚げ物は今まで何度も挑戦してきたからだろう。こんがりと揚げている間に、まるで河豚刺しのようにホタルイカを捌いていた。相変わらず細かい作業は好きらしい。御樹は味見しながら褒めた。
「素晴らしいですね、灯心さん」
「おいしくないかもしれないけど、ボクの精一杯です」

 花飾りを終えた宿奈も「お手伝いします」といって厨房に入った。
 まずは湯通しして柔らかくした白菜の葉の水気を切り、葱を牛蒡をみじん切りにして挽肉に混ぜ込み、食塩や山椒を練り混んで味を調え、白菜で肉を俵状に巻いていく。葉の端は爪楊枝で止め、これを豚肉・鶏肉と野菜を数刻煮て作ったスープに入れて煮こむ。手の込んだ一品だ。

 礼文と共に手鞠寿司を握るニノンが、手元をジッと眺めた。
「のう礼文。院長は飲み込む力が弱っているようじゃ。どうすれば食べやすくなると思う?」
「もっと小さくしてみる、とか。あとは到真に頼んでお茶、かな」
 むー、と首を傾げる。

 苦悩する者もいれば苦労を楽しむ者もあり。
「さぁ、楽しい思い出に、しましょう!」
「しょー!」
 ネネはののと一緒に雛アラレの大量作成を試みていた。ここで食べる分だけでなく近所に配ろうというのだから、そりゃあもう大変である。餅米に梅や海苔を練り混んで鮮やかな色を出していかねばならない。
「これ、あられになるのー?」
「勿論です。ふわふわした色も付けて、見ても楽しいお菓子を作れるようにしましょう! ののも、手伝ってくれますか?」
 こっくり、と小さな頭が首肯した。
 仙猫うるるは台所に近づかない。尻尾を焦がされたりするのがいやなのだろう。

 アズィーズは雛祭のお菓子作りにせっせと勤しむ。
「明希。こういうのは何気ないお菓子ではあるけれど、例えば雛あられの白色は雪、緑色は木々の芽、桃色は生命をあらわしているのですよ」
 お菓子も、料理も、雛飾りや人形も。
 いずれも子供達の健やかな成長を願う祈りが込められている事を語って聞かせる。
 一方、隣の白雪は……何故か調理道具を凝視したまま身動きすらしない。
「どうしたの。具合悪いの?」
 くいくい、と明希が袖をひく。
 白雪は「いいえ、そう言う訳じゃないんです」と苦笑い一つ。内心は葛藤していた。
『改めてこう……私、あんまり家事全般得意じゃないんですけど、これから3人で暮らしていくならそういうのをしっかり覚えないといけないですよね』
 どうにも苦手なんです、リオーレさん御願い……と逃げる選択は良い手本とは言えない。
『そうですよ。いつまでも逃げてられない。私も更なる成長をしないといけませんよね! 初心に返って頑張ってみますか! リオーレさんはお菓子を作ってくださるそうだし、私ができるとしたら』
 うろうろと彷徨うように作業を見て、既に料理上手によって作られた合わせ酢と延々と炊かれる米が目に入った。大勢の子供と大人の胃袋を満たす為には、相当量が必要になる。
『酢飯……これなら、きっと私でも大丈夫です……よね』
「明希。これから酢飯を作るのだけど、お手伝いしてくれないかしら」
 明希がアズィーズを見上げた。穏やかな眼差しと一緒に「沙羅ちゃんを手伝ってあげて」と囁く声が響く。養女が手伝いに行ったのを見て、アズィーズは白酒代わりの甘酒準備に取りかかった。

 戸隠は温かい料理を手伝っていた。体が冷える人には温めるような料理がいい。綺麗な手鞠のようなお麩を澄まし汁に浮かべるだけで、随分と雛祭りの風情が出る。そこへ上級からくり穂高桐がやってきて「竈の準備ができました」と皆に告げた。
「あ、桐。もう余熱できたんだ。今いくね」
 戸隠が竈を頼んだのは、ケーキを焼き上げるためだ。美味く切って菱餅形に仕上げ、華やかに仕上げて幼い子をあっと言わせたい。子供は甘い者にめがないものだ。
「ほうケーキですか」
 台所に現れた无は『桃の花弁を樹糖漬けたもの』をデザート担当達に渡す。見た目でも楽しめる工夫の一つだ。
「是非使ってください」
「ありがとう! 華やかになると思う」
 さらに无は、書庫で見つけた献立や茶碗蒸しのレシピを灯心達に渡した。

 所で蓮が作るのは、つるつるデザートだ。
『院長先生と子供達が笑顔でお別れ出来るようにしたいな』
 その為に、精一杯美味しい物をつくろう、と決意した。
 子供の春見にも手伝わせるという事を踏まえて寒天の菓子にした。抹茶を混ぜれば鮮やかな緑、牛乳を溶かせば雪のような白、苺ジャムを混ぜれば粒々の混じった赤い寒天が出来上がる。それらを順番に型へ流して冷やせば、三段の雛祭り仕様寒天になる。
「春見もやるー!」
「うん。じゃあ、これをお玉ですくってゆっくりね」
 混ぜ合わせた寒天を春見と一緒に型へと流し込んでいく。
「春見ちゃん、院長先生が喜んでくれるといいね」
「うん!」

 隣の弖志峰と結葉は苺大福を包んでいく。
「はい、結葉。一番に味見よろしくー!」
 あーん、と一つ差し出す。結葉は遠慮なくかじりついて「おいひい」と呟いた。

 台所から料理が香る頃、広間は華やかになっていた。
「飾り付けはこんなところかな」
 郁磨は双子を振り返った。
「和、仁。休憩しつつ、寄せ書きの漏れがないか確認しよ〜」
 仁が黙々と名前を書きだし、和が名前を読み上げる度に横線を入れていく。
 双子は曾祖母を見送ったばかりだ。おかあさまに頼んで生き返らせるという発想に流れがちだった二人だが、郁磨は曾祖母は生き返らないという風に教えた。勿論ごまかし混じりではあったけれど……生き返らない人間もいるという事を理解したのは間違いない。
「先生の病気って、おかあさまは治せる?」
 和の質問に郁磨は黙って首を横に振った。
『ごめんね、和。今は色んな事が漠然としていて分からないと思う。けど何時か必ず、分かる日が来るから』

「シーバ〜?」
 飾り付けが終わったニッツァはスパシーバに「忘れとるで」と籠を渡した。せっせと作った桃花の髪飾りだ。女の子に配るつもりで、ニッツァと共にスパシーバが夜なべした。
「皆でお揃いの想い出、お守りんなったえぇなぁ。さ、花飾り配ろか」
 スパシーバが花を配りだした頃、机に料理が並び出す。

 ちらし寿司、蛤の潮汁、桜餅に苺大福。
 紫乃と桔梗が厨房から今に運び込む料理は、いずれも見目が美しく、食欲をそそった。机に設置された桃の花は、愛らしい花を咲かせている。
 料理が並びきった所で、ニノンは皆に内裏雛の冠を身につけさせた。
「うむ、集ったな。それでは始めよう。その前に……院長、子供達をこれまで守ってくれたことに感謝し、敬意を表する。壁に飾られた絵を見れば分かる。此処での日々が子供達を支え、心に生き続けるとな」
「私は大した事はしておりませんよ」
 老婦人は穏やかに微笑む。
 開拓者でもない彼女が、政府から危険視された子供を預かり続けるには相応の葛藤もあっただろう。
 誰もが胸中を推し量った。
「私は今日、ここの院長ではなくなります」
 院長はそう言ってから、ハティと紫ノ眼を紹介した。
「今度からは二人が院長先生です」
 ハティ達が後任の院長になると発表のあった後、フェンリエッタが立ち上がった。
「折角だから紹介するわね。実はハティは私の先生だった人なのよ。無愛想に見えるけど……」
 ちらりと一瞥するとハティも苦笑い一つ。
「どんな人か信頼できるか、これから家族の一員として皆で確かめてあげて。あとは思った事はどんどん言うのよ、甘えたっていい。この2年で立派に成長した今の皆なら一緒に楽しく暮らしていけるわ。以上よ」
 紫ノ眼も控えめに「同じく残ることになった」と告げた。
『成長を見守ってきたつもりだが……あたしもまた随分変わったものだ』
 戦う事への矜持より、我が子のように目をかけてきた子供達との日々を選んだ。
 そして会話は院長に戻る。
「皆さん、今までありがとうございました。今日は雛祭です。楽しく過ごしましょう」
 院長の挨拶を聞きながら。
 刃兼は複雑な眼差しを送った。
『やはり別れと聞くと、な。何とも言えない悲しさがこみ上げてくるのも事実なわけで……いや、今は一旦置いておこう。故郷の……陽州の流儀を持ち出すなら別れの宴も笑顔で、が定石だしな。折角の雛祭、楽しく過ごそうか』
 老婦人が立って挨拶を終えると、誰から戸もなく労いの拍手が贈られた。


「あー! ハガネー、横の貝と海老一杯のやつがいいー!」
 賑やかな旭はちらし寿司や蛤の吸い物に目を光らせ、あれこれと養父に要求を連ねていた。
 どこからみても食い意地が張っている。
「分かった、分かった」
『相変わらず海産物が好き、だな。今度、鰻重でも食べにいくか』
 勿論、こうした華やかなちらし寿司はいいなぁと思う、蛤を集め過ぎて蛤煮と化している汁物から楽しそうに貝を剥ぐ娘を眺めながら、刃兼は笑った。
 女子ばかりが楽しい宴ではないというのは、お菓子に群がるスパシーバ達を見てもよく分かる。女子の為の祭とはいいつつ、実際は子供達が騒ぐ祭に他ならない。
「シーバ、お菓子もええけど、メシも喰わな長旅で体がもたへんで」
 ニッツァは「ほれ」と肉巻きをスパシーバの口に押し込む。もごもご食べた。
「こっちも食べてくれると嬉しい」
 弟たちに灯心が一言ぽそり。
「あのね。こっちは明希も手伝ったの」
 明希をはじめとした料理担当は、自分の料理を食べて貰おうと勧めて回る。やはり感想が聞きたいのだろう。そんな背中を白雪やアズィーズ達は微笑ましげに見守っていた。
『明希、皆と話せるようになって良かった』
 ちらり、と隣を一瞥する。アズィーズも頷いた。
『ええ、一安心です』
 こんな風に子供達の成長を祈り、祝う機会を、これからも毎年続けていけますように。
 ささやかな願いを心に浮かべていた。


 賑やかな宴の中で、ウルシュテッドは星頼を手招きした。
「なに?」
「少し聞きたいことがあってな。院長先生の仕事をどう思う?」
「しごと?」
 星頼は小首を傾げた。ウルシュテッドは困り顔で頬を書いた。
『ああ、仕事という感覚は薄いかもしれないな』
「ここの維持運営……という所かな。限られたお金を使って薪をかったり、食材をかったり、院長先生は様々な仕事をしてきた。星頼たちが知らない所で、みんなが幸せであるように頑張ってきたんだ』
 星頼がやっと納得する素振りをみせた。
「分かってきたかな。院長先生は、自分より力の強い大勢の子を守り育ててきた……それは仕事の責任以上に、皆への深くてあたたかい想いがあったからだと父さんは思ってる。お前達はいい人に出会ったな」
 いつか心から感謝する時がくるだろう。
 どうか覚えていて欲しい。
 そんな想いをこめて、頭を撫でた。

 ところで。
 院長先生に詰め寄った明星は目を丸くしていた。
「じゃあ、名前ないんですか?」
「通り名で通っていたものだから」
 盲点だったわ、と老婦人は微笑む。明星は院長に名前を考えるようせがんだ。みんなの家としての愛着も持てるに違いないし、記念になると。
「おとーさーん! 表札! 後で表札つくって!」
「うん? なんの表札だい?」
 藪から棒に声を投げられたウルシュテッドが明星の所へ歩いていく。

 賑やかな宴と少女達を見守りながら、皇は双眸を細めた。
『このような穏やかな日が迎えられて本当に良かった』
 子供達も開拓者も院長達職員も、ただ漫然と日々を過ごしてきたわけでない事を肌で感じる。
 間接的にではあるが愛する者が沢山苦労した事は聞いていた。
 隣に座るローゼリアの所へ少女が小瓶を店に来る。
「見てみて、綺麗な飴ー」
「まぁ未来。よかったですわね。でも独り占めはいけませんわ。きちんと分けてあげてくださいな」
 未来は首を縦に振って走っていく。
 楽しそうな愛娘の姿を、とけるような慈愛の眼差しで見ていた。
「ローザ」
 皇はローゼリアの手を繋いだ。
 慈愛に満ちた微笑みは愛する人の労苦を労う。
「ここ最近は家族で過ごす事が多かった為、こう皆さんとお逢いする機会も減ってしまいましたが……やはり一同に介す機会とそうできる場があるのは良いものですわね。子供らしい顔が見られますもの」
「よかったですね」
「ええ……那由多。ここから私達と未来達とのふれあいが始まり、今へと続いてきました……形は変わっても、変わらぬ存続を願いたいですわ」
 愛情を注いできた未来だけでなく。
 此処で過ごした仲間たちの輝かしい未来を願いたい。ローゼリアは肩を寄せた。
『私にとっても何かが変わる年になるでしょうか。願わくば未来と、そして那由多の隣で、ずっと……』
 皇も願う。
『これからもずっと、こんな小春日和の日々が続きますように』

 手伝いが落ち着いたのを見計らって、宵星は礼文の隣に座った。菱餅の色や雛あられの意味、何気ない話も此処の子供達にとっては大事な文化とのふれあいにほかならない。
「ねー、礼文、礼文は今までどんなものを受け取ったかな」
 問われた礼文は「こういうの?」と養父母から貰った飾りをみせた。
「違う違う。一応あってるけど、そういうのじゃなくて、教わった事とか、学んだ事とか」
「それはいっぱいありすぎるかな。洗濯とか、猫の飼い方とか、最近は漬け物」
 指折り数える礼文を見て、宵星は微笑む。
「あのね。私は、なんだけど……誰かと出会う事と別れる事は、何かを渡し合う事だと思う。どんなものを渡せたか、これから渡していきたいと思うか、そういうこと。例えば私はね、皆から元気を貰ったお陰でお姉さんになれた気がする。だからその分ここでお手伝いをしようと思ってる」
 輝かしい笑顔に、礼文は「すごいなぁ」と呟いた。
「僕は……誰かに何か、教えられるようになりたい、かな」

「……無理に連れ出して申し訳なかったとは思います」
 宴会の片隅でぼんやりとしている輝血の隣に座った御樹はそう告げた。
「けれど。それでも。どうしても今日、貴女をお招きしたかった。私の我が儘です。子供達の旅立ちを見て欲しかった……といいますか。彼らはこの先も大きなものを背負っていくでしょう。それでも一緒に背負っていける仲間がいれば何とかなるものだと思わせてくれる今を、知っていて欲しかったんです」
 黙っていた輝血は「文目」とお手伝いに飛び回っている人妖を呼んだ。
「なに?」
「悪いんだけど、桔梗に伝言してきてくれない? 思う存分、精一杯前を歩いていけ、と。まだ小さくて言葉の意味がわからないかもしれないけれど、あの子たちの先には広い世界と末来が待ってるから」
 二年前。桔梗は四歳程度の幼子だった。
 子供の成長は早いもので、尾花紫乃の養女となった桔梗は物静かな少女に育っていた。外見はすっかり変わったけれど、目や鼻、そういった所に懐かしい子供の顔が重なる。御樹が手を握った。
「直接会って話されてもいいんですよ。孤児院を出た彼女には、名付け親の事は知らされています。名前の意味も」
 かつて輝血は願った。
 この『桔梗』の名を持つ子供が『いつか「優しい愛情」を持てるように』と。
「いいんだよ、青嵐。そんなに気を使わなくたって。たしが傍にいけないのはあたし個人の問題だし。まぁでも、きてよかったかな。心残りは一つ減ったし。あの子も元気でやってるから」
 文目が戻ってきた。輝血に何か差し出す。
「桔梗が、あげる、って」
 紫色の折り紙で折った花だった。御樹が「では台所を手伝ってきます」と立ち上がる。人妖たちもついていった。残された輝血は、折り紙に何か書かれている事に気づいた。
『なんだろ』
 破かないように折り込みを解いていく。中には墨の文字があった。
『ありがとう。もうひとりのままへ。ききょう』

「いたいた。華凛、渡したいものがあるの」
 フェンリエッタは数珠を贈り「お守りに」と告げた。
「ねぇ。この家の役割は何だと思う?」
「役割って、里の外のおうちではないの?」
 ある意味で歪みのない応えに苦笑いしつつ、フェンリエッタは「見て」と年長者達を指さした。陰陽師としての勉学に励むアルドや灯心は一端の開拓者だ。結葉は得意げに氷を作って飲み物を冷やしてみせる。恵音は自慢の縫い物をみせていた。
「ここはね。合格も不合格もない、いつでも皆を守り安らげる故郷よ。やりたい事を見つけたら準備もしてくれるの。華凛もお姉さんになっていく。だからこそ先ずは自分の為に何がしたいか考えてみるといいわ」
 忘れないでね、とフェンリエッタは囁いた。
 入れ替わるように華凛の隣に立った无は、今日着ている洋装のドレス「ブラウライネ」にあわせて、とソフィー、六月の夢、月光のペンダントを贈った。


「ちゃんと食べて飲んでいますか」
 台所でせっせと料理を続ける灯心の背中に、紅雅は声をかけた。灯心がからくり甘藍に皿を託すと、静かに運んでいく。紅雅が「休憩も必要ですよ」と囁いてとっておいた皿を渡すと、灯心は「ありがとう」と言葉を返して台所の椅子に座った。
「灯心。昔話を、しましょうか。灯心は此処で色々な事を知りましたね……それに、此処が貴方と私が会った場所でもあります。灯心は……今の灯心は、此処をどう思いますか?」
『自由に外の世界を見たいと願っていた灯心には、やはり此処は檻だったのでしょうか』
 不安が脳裏を掠める。
 灯心は首を傾けた。
「……難しい、かな。幸せな事も辛い事もあったし。昔のボクが、空木が死んだ場所でもあるし」
「死んだ?」と眉を顰める紅雅に、灯心は「うん」と頷く。
「ボクもみんなも……おかあさまの為に頑張った。ずっとそうだった。でも全部なかった事になるのは……今までのボク達を死なせる事だとも思うです。此処は昔のボクたちの、お墓です」
 呟く灯心は苦笑いしながら続けた。
「でも生まれ変わった場所でもあるから、好きです」
「というと」
「里にいた昔より今が幸せです。色んな勉強ができてご飯もおいしい。でも時々『なんで』『本当に良いのか』って考えてしまうから……ボクは昔のボクを捨てました。ここにさよならした。外の世界で沢山勉強して此処へ来て、そして昔のボクに教えるんです。灯心になったから、分かる事もあったんだぞって」
 ボクの話変ですね、と笑う灯心の頭を抱く。
 紅雅は「……ありがとう、と言わなければいけませんね」と囁く。
 不安があった。知らぬ間に様々なことを覚えていく子供の成長は、恐ろしくもあった。けれど道を外れることなく育ってくれた。
『灯心。今、こうしてあなたの傍で成長が見れる事を嬉しく思います』


「はーい、皆。集合写真をとります。こっちを見て」
 フェンリエッタはウルシュテッドから借りた写真機で賑やかな光景を撮影し、途中で全員の集合写真も撮影した。二枚撮影したうちの一枚は院長へ、もう一枚は院に飾られることとなった。
 写真を撮影するフェンリエッタを眺めながら、ウルシュテッドは息子を見た。
「星頼、自分で写真撮ってみるかい? 今のお前が気に入っている物や景色を院長に教えてあげるといい」
 きっと喜ぶよ、と言うと、星頼が頷いて走っていく。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


 流し雛の頃合いを見て「院長」と紫乃が声をかけた。
「参りましょう。お体を冷やしません様に」
 しゅるりと外套を羽織らせる。
 お別れの時間だ。
 身支度を整え、桔梗を抱えた尾花紫乃が院長を自宅へ連れて行く。遙か遠い場所へ移住するのだ。院長が煩っている病からして、二度と此処へくることはないだろう。院長は長年過ごした建物を見上げ、そして後任の手を握った。
「宜しくお願いいたします」
「ああ。勿論だ」
 子供達がわらわらと寄っていく。
 刃兼も旭の背を押した。
「行ってくるといい」
「ハガネー、なんて言えばいいの?」
「旭の気持ち、だな。森から出て孤児院で過ごして、それから俺と親子になって……そうして今の旭がいるわけだし、孤児院にいた頃、たくさん世話になったろ? だから院長にありがとうの気持ちを伝えよう、それが一番いい、な」

 積極的な子供もいるが、立ちつくしている子は多い。
「院長先生、本当にもうこないの?」
 スパシーバの疑問に「多分、そうやな」と呟くニッツァは小柄な頭を撫でた。
「シーバが先生を忘れへんかったらええんやて」
『いつか迎えが来て。見えはせんでも、側でずっと想っとってくれるで』

 无はアルドをちらりと一瞥した。
「大丈夫かい」
 黒髪の向こうに見える紫の瞳は物憂げな色を讃えていたが、しゅるりと首に巻き付いた玉狐天ナイを見て柔らかく微笑んだ。
「俺は平気だ。ただ……懐かしい痛みが、して」
「懐かしい?」
「俺はここにいる弟妹達の中で最も斬ってきた。誰よりも自分を優先した。二年前は、人の死をなんとも思わなくなってた。けど……今は、変だな。ココが縄で縛られてるみたいな感じがする」
 トントン、とアルドは己の心臓を指さした。

 子供達に囲まれる院長を眺めて、結葉は何とも言えぬ表情を向けていた。
 院長は子供達にとって、模倣すべき身近な大人であり、いわば母にも等しい人物だった。僅か二年と言えども、やはり毎日のように暮らした相手だ。色々思うことも有るだろう。伝えたい言葉も。見かねた酒々井が傍らに立って「いかねぇのか」と結葉に話しかけた。
「なんて言っていいのか、わからなくて」
「そうか。結葉、院長をよく見ろ」
「うん?」
「大変な病を患っているのに院長はそんな気配は微塵も感じさせてねぇ。自分の足で立って歩ける元気なうちに、前を向いて、自分の人生を決めて、此処を離れるってけじめを示したのも院長だ。気張ってる院長に向かって、あんまりしんみりしないようにいく方がいいんじゃないか?」
 今日は雛祭りでお別れ会。
 けれど新たなる旅立ちの日でもある。
 結葉は「うん、わかった」と言って、ぽてぽてと院長の方へ歩いていった。
 千羽鶴を渡す結葉達の様子を眺めながら、弖志峰は双眸を細めた。
『漸く此処まで辿り着いたんだなぁ』
 きっと二度と会うことはない子もいるだろう。けれど離れていても心は繋がっている。
『どうか此処が……これからも子供達の夢や希望の育つ場所でありますように』

 リトナが包みを抱えている養女に近づく。
「決心できた?」
 恵音は浅く頷く。
 孤児院へ来る前……早朝の話である。
 リトナは養女の恵音と外出の準備をしながら院長の件について話していた。
『病気……治らない病気なのね』
『今はまだ、ね』
 娘の髪を梳きながらリトナは物憂げに囁く。
『院長先生は、私たちが来られない時もずっとあなた達の面倒を見て、見守ってくれた人ですもの。感謝の気持ちと言葉を伝えてお別れしましょうね。これからも先色んな人と出会ってお別れするの。本当に大事な事はちゃんと伝えられるように……後悔の無いように』
 人の命が有限であるように、別れのない出会いはないのだから。
 そう揶揄する養母の言葉を、恵音は胸に刻んだ。
 一番、気持ちをこめられる伝え方をしなさい、と常々リトナは教えてきた。笛やお手紙や手作りの花飾り、なにをするにしても手伝うから頑張りましょう、と。そうした結果、恵音は作り溜めてきた小物のなかから、院長に似合う布のブローチを縫った。羽妖精の思音が「頑張って」と励ます。
 リトナは柔らかい眼差しをしているが、心配そうに見守る。
『ある意味初めてのお別れ なんですよね……この子は、どう感じるでしょう』
「院長先生、これ受け取って」
 恵音は贈り物を渡した。
「私がね。恵音になってから得意な事でがんばったの。ありがとうございました」
 ぎゅ、と首に抱きついた。
 微笑むリトナはゆっくりと近づき、院長の手を握りしめた。
「今まで本当にお世話になりました。恵音は一人前に育てます。どうぞお身体をお大事に……」
「ああ。宜しくお願いします。お元気で」
 灯心とともに歩み寄った紅雅も「院長先生、あなたに感謝を」と囁く。
 无は勾玉を院長に贈った。
「あなたの過ごす日々が穏やかなものでありますよう」
 永久に眠る夜まで幸せな日々であり、穏やかな迎えがあるように祈った。
「院長先生」
 蓮の声だった。腕に抱えた布包みの中身は龍肝酒である。
「今まで本当にありがとうございました」
 万感の感謝をこめて微笑みかける。隣には春見が立っていた。なにか堪えるような、けれど笑おうとしているような、なんとも酷い顔だった。
『あのね、春見ちゃん。寂しい顔してると院長先生も寂しくなっちゃうから、笑顔でお別れしようね』
 抱きしめながらそう諭した。だからだろう。
「先生、ありがとう」
「私こそありがとう」
 アルカームも院長の前に立つ。
『この孤児院があったから、今のこの子達があるんだよな……院長先生にお礼を伝えないと』
「院長先生。今まで皆の家を守ってくれて、ありがとうございました」
 筋力の弱った手を、しっかりと握る。
『ああ、どうか。……この強くて優しい人が、この先も心穏やかに過ごせますように』
 別れを惜しむ子供達と院長、開拓者達を、宿奈は穏やかな眼差しで見守った。


「お元気で! みんな元気でいてちょうだい!」


 遠ざかる院長の背中を誰もが見送り続けていた。
 道の果てに遠ざかり、人混みに消えてから、わらわらと子供達は中に戻っていく。
 ふいに弖志峰は桜の木を見上げた。あと一ヶ月もしない内に街から孤児院へと続くこの道は桜色に染まるだろう。
「どうしたのお兄さま」
「もう春、だねえ……って思って」
 弖志峰は結葉を見た。
「ねえ結葉、俺は君の事が大好きで……でも君が俺に感じてくれた好きとは、似てるけど違うくて……俺、きっと君を沢山傷つけた。それでも、これからも君を見守っていたいんだ。その夢を母の償いをすると言った君を、支える一人であり続けたい……いいかな?」
 結葉は目を点にした。そしてくすりと笑う。
「……いいの? お兄さま、そんな事を言って」
「何故」
「だって春になったら旅に出るんでしょう。お姉さまと。じゃあ傍で支えてって言ったら、どうするの」
 からかうような……そんな大人びた乙女の顔をしていた。
「え、あ」
「うーそ。いわないわよ、そんなの。かっこわるい」
 お気に入りの簪を直しながら、結葉は弖志峰の手を引いた。きゅ、と手を握って華やかに笑う。
「いつか困ったら助けてね!」
 曇りのない無垢な笑顔だった。弖志峰は頷きながら『参ったなぁ』とはにかんだ。

 礼野は院長となったハティ達を振り返った。
「これからも時々来ますね。ひと月に一度か二度になりますけど」
 世のアヤカシは減少傾向にあるけれど、被害ゼロとは言い難い。子供達の為に働くのも一驚だけれど、世間には困っている人が沢山いるのだ。開拓者の必要性は消えていない。けれど、どんなに忙しくとも此処へ戻ってくることを約束した。

「さて、私も参りますか」
 玲璃は立ち上がった。沢山の子供達の未来がかかっているのだ。
 未だ見ぬ依頼人、アヤカシに怯える人々、それらを助け、命を救い、ここのように未来への道を繋いでやらねばならないのだから。
「私も行かなくっちゃ」
 フェンリエッタは星頼と礼文を抱擁した後、再び旅立っていった。

 院長や仲間の遠ざかる姿をハティは静かに見送っていた。
「家族を送り出すのは寂しいな。だが皆のお陰で賑やかな会になった」
 ハティは「さて」と皆を振り返った。子供達は胸を張っている。
「明日から荷物が届くはずだが、今日から一緒に住まわせて貰おう。仲良くしてくれると嬉しい」
 まずは掃除だね、と笑いながら孤児院の中へと走っていく。
「華凛」
 ハティは少女を呼び止めた。
「君達と出会い、私には夢ができた。皆の家を守りながら学び舎として君達の未来を育てていく事だ。良ければ手伝って欲しい」
「じゃあまずは掃除ね」
「そうだな。違いない」

「恋おねーさん」
 すすす、と紫ノ眼に近づいてきた真白が「恋おねえさんは?」と伺うように訪ねてきた。
「ん、どうした真白」
「恋おねえさんも院長先生なんだよね? いつからすむの? 今日は?」
 急かすような期待の声をきいた紫ノ眼は「そうだなぁ」と呟いて借りている家のことを思い出す。
「あたしも手続きをして、家の荷物を纏めたり、色々あるからな。大体は白銀丸に任せるつもりだけど」
 隣の上級からくりが「おい」と文句を一言。
「心配しなくても、あたしもやるよ。けじめだからね。本格的に此処へ住むのは数日後になるだろうけれど……明日の予定もないし、今夜は泊まろうかな」
「じゃあぼくお布団出す!」
「頼もうか」
 紫ノ眼は柔らかく笑って真綿のような髪を梳いた。
『真白。君の世界が今、鮮やかに色付いていることを……願うよ』

 宴の片づけが終われば、養子に出た子供達もそれぞれの家に帰る。
 ニノンは「のう、礼文」と声をかけた。
「なに?」
「明日からな、交換日記をしよう」
「いいけど、なんで?」
「そなたは遠慮深いし、口で言いにくいこともあろう。たった一行でも構わぬ。ただし嘘や取り繕った事は書かぬこと、互いに思う事を書き合おう」
 いつか振り返った時に大事な思い出になるに違いないから。
 交換日記の話を又聞きした宵星は『いいなぁ』と思いつつ、二人に飛びついた。
「わ!」
「おお!?」
「ねえ、今度この辺に掲示板を作ってみない? 訪問者や帰ってきた子と孤児院の皆で、それぞれ伝えたい事を書いていくの」
 ニノンは「良い案じゃな」と微笑む。
「ところでテッドはどうした」
「看板の下書き彫ってる」
 後日、孤児院の正門には【輝石の家】という看板が飾られる事になる。


 帰ろう。
 帰ろう。
 思い出の場所へ。
 辛い過去を洗い流し、幸せな思い出が詰まった大切な家の在処へ。
 新たな旅立ちを経ても、私達はいつか必ず帰るだろう。
 石畳の道を歩いて。
 白や薄紅に燃える桜並木を眺めながら。
 懐かしい家族に出会うはずだ。
 そして誰もが囁くだろう。


 おかえりなさい、そして、ただいま、と。