|
■オープニング本文 神楽の都は本日も晴れ模様。 五行国派遣の陰陽師職員の仮住まいである黄龍寮を尋ねたのは開拓者のアルドだった。かつては陰陽寮玄武で勉学に励み、知望院研究員補としての資格も得ながら、現在は身分を放棄して後見人とともに研究や流浪の旅を続けている変わり者だ。 「呼び出すなんて珍しいな」 「強者の結葉を捕まえられるのは兄さんしかいないし」 黄龍寮の応接室で花茶を差し出したのは弟の灯心に他ならない。ここ十年、五行国で陰陽師としての経歴のみを磨き上げ、休日は養父の店で働き、平日は封陣院研究員補として本国で職務に尽くしてきたはずだが……黄龍寮にいる以上は解任されたのだろう。 アルドは弟の冷静な態度に首を傾げつつ、妹の事について問い返す。 「結葉を捕まえて欲しいのか」 「まあね。姉さんのコレ、これから関係者に配らないといけないんだ」 着物の袖から取り出したのは二通の手紙だ。 一通はアルド宛、もう一通は結葉宛。 アルドが自分宛の手紙を開封すると結婚式の招待状があった。 「恵音、結婚するのか。相手は誰だ」 「田舎の若者だよ。ごく普通の農家のね」 「知ってるのか」 「都にいた時に、何度か出先の姉さんに文を届けたから。生真面目そうな青年だったよ。知り合ったのが……いつだって言ってたかな。僕たちが開拓者になった頃かな。交際自体は五年くらい前らしい」 アルドの手元を覗き込んだ羽妖精キフィは「あの子、花嫁さんになるのねぇ」と言いながらニコニコしていた。おめでたい話ではある。 アルドは深い溜息を零した。 「市井の恵音が結婚するのは、別に不思議じゃないから兎も角、結葉が荒れないといいな」 「姉さんは強くなりすぎなんだよ」 「俺に言うな。あそこの家は戦神がいらっしゃるからな……行き遅れもやむなし」 「同意」 アルドと灯心は視線で何かを語り合う。 彼らには年の近い姉妹がいる。上は恵音、下は結葉。 共に志体持ちで優れた才能があったが才能を生かしたのは妹の結葉のみだった。 『私より強いお婿さんを捜すの!』 昔からそんな事を宣っていた結葉は、開拓者業に骨を埋める勢いで働き、戦いの中で恋多き人生を過ごしてきた。ただし何れも実っていない。結葉の理想や恋愛基準は……余りにも高すぎたのだ。彼女自身が相当な使い手である上に、彼女の養父母や後見人も屈指の開拓者だった。 彼女を屈服させられる同世代の男は滅多にいない。 「えーと。開拓者になった頃って巫女だったよね。結葉」 灯心がうろ覚えの記憶を漁る。 「里にいた頃のは数えないのか?」 「里で仕込まれたのはシノビの技だったっけ。結葉が開拓者になって巫女を3年で習得して、シノビが1年、志士が2年、吟遊詩人が1年、サムライが2年、ジプシー1年……今、なんだろう」 恐るべき転職回数である。 転職や術の体得には多額の費用がかかるが、目立った技術は全て体得してから次の職へ移るという。どうも孤児院から相当な援助を受けているらしい。必要な時には費用を借り、依頼の報酬は殆ど返済に充てられていると聞く。 「結葉は全職極めるつもりなのかな」 アルドは唸った。 「あり得るな。何年か前に会った時『おにいさまに、後ろ盾がなくても集団の中で己を保つ強さが必要だっていわれたの!』とか嬉々として話してたから、オールマイティーな役柄を目指してるのかもしれない」 脳裏に輝く戦神の後光が眩しい。 「姉さん、嫁にいけないぞ」 「今の結葉は技術が恋人だな。けど今回の恵音の結婚で、色々変わるかもしれない」 「そうかな」 「しかし恵音の奴、店はどうする気なんだ」 「それは聞いてみないと……」 雑談に興じる二人の所へ、同僚の陰陽師が現れた。 「灯心さん。姉妹の方がいらっしゃってますが、どうされます」 「通してください」 アルドが首を傾げた。 果たして誰だろう……と考えるくらいには兄弟姉妹の数が多い。 待っていると賑やかな少女の声が聞こえた。 覚えがある。 「桔梗とののか」 「兄さん知らなかった? 今年、陰陽寮に入寮するんだよ。やっぱり育ての親の影響が強いのかな……色々聞いておきたいって言われてたんだ。兄さんもいるし、丁度いいね」 刹那。 「おっじゃましまーす! 久しぶりー!」 扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは結葉だった。 着物の袖を掴んでいるのは……妹の桔梗とののに他ならない。 「あ、アルドもいたんだー。また一層ガナガナに痩せたのね」 「姉さん……散々連絡つかなかったのに」 「灯心、落ち着け」 後見人譲りの穏和なしゃべり方と微笑み……の背中に修羅像が見える。灯心は笑顔の裏に怒りを滾らせていた。しかし怯える妹たちに対して、陽気な結葉は「ごめんねぇ」と軽い謝罪を一言のみ返す。 「久々にギルドに寄ったら桔梗達が黄龍寮への行き方きいてたから連れてきたの」 「……それはどうも」 「じゃ。私、これから未来の店に行かなきゃ。じゃあね!」 手を振って身を翻す。 「待った」 灯心が落ち着きのない結葉の袖を掴む。 「なにー?」 「何、じゃないよ。姉さん、そんなに忙しいの?」 「別に忙しい訳じゃないけど、お兄様が診療所を開業したって聞いたから、お祝いのお花を届けようと思って。未来に頼んでたから取りに行かなくちゃいけないの」 妹の未来は花屋を経営していた。 「なら俺達も一緒に行った方がいいな」 アルドが立ち上がった。 「なんで」 「皆に配らないといけないからだ。だろう、灯心」 灯心から預かったばかりの結婚式の招待状を結葉に渡す。結葉が手紙を読んではしゃいだ。 「へー、ついに結婚するんだぁ」 「知ってたのか」 「相談は受けてた。恋の話は楽しくってね」 満面の笑顔で語る結葉を見ながら、兄弟は『先は遠いな』と諦めに似た感情を抱いていた。 「結葉、今日の予定は」 「お花届けたら到真の所で食べさせてもらう予定ー」 「灯心は」 「手紙の送付。桔梗とののに説明。あと余裕があれば港にいこうと思う。からくりを起こしにいく」 灯心の首には小さな鍵がある。 十年以上前、後見人の一人から貰ったからくりの鍵だ。 「開拓者業をするには相棒が必須だから」 結葉は首を傾げた。 「出世街道から外れたの?」 遠慮の欠片もない姉の言葉に、灯心が苦笑いする。 「ののと桔梗が寮入りするから講師としての在籍はよした方がいい……って狩野さん達に言われたんでね。分室に引きこもるよりは国外で見識を深めてこいってさ。桔梗とののが卒業したら、相応の席に呼び戻すと言われたよ。三年か四年は都住まいになると思う」 アヤカシの手から救い出されて十二年。 何年経とうとも消えない過去の傷。 それでも彼らは胸を張って太陽のもとを歩いていた。 十二年前、大勢の開拓者が望んだように。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
弖志峰 直羽(ia1884)
23歳・男・巫
尾花 紫乃(ia9951)
17歳・女・巫
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
无(ib1198)
18歳・男・陰
尾花 朔(ib1268)
19歳・男・陰
紅雅(ib4326)
27歳・男・巫 |
■リプレイ本文 最初に遭遇したのは无(ib1198)だった。青龍寮時代の恩師に会っていたらしく、丁度戻ってきた所らしい。玉狐天ナイが桔梗やのの達を見つけて、細い首に絡みつく。アルドと待ち合わせていた无は、渡された招待状を見て素直な感想を漏らした。 「結婚か、それはめでたい」 「これから配り歩いてくるから夜は遅くなると思……」 「では手伝おうか」 この後の予定はない、と言う无はアルドの隣に立って同行する事にした。 「そういえばアルドにはそういう浮いた話はないのか」 アルドは一言「ない」と返事を返してきた。 一瞬の躊躇すらない清々しさに「やっぱりなぁ」とぼやく。 色めいた話より研究一辺倒な所は、无に影響された部分があるのかもしれない。 一行は結葉の予定に沿って花屋に向かっていた。 「何だ、随分賑やかだな」 声の主は結葉の後見人こと酒々井 統真(ia0893)だ。傍らには天妖雪白が浮いている。懐かしい面々を見て「全員元気そうでなによりだ」と笑う。 「酒々井さんも元気そうで」 「改まんなくったっていいぜ。ま、折角だ、色々大まかに聞いてる以外の近況とか聞かせろよ。こっちも色々駆けずり回ってて暇が無くていけねぇ。花屋まで距離もあるしな」 「花屋まで一緒、って大丈夫ですか。お仕事は」 灯心の質問に「ああ、今日は休みだ」と返す。 結葉と合同の花を出すのかと思いきや、別途購入しているらしい。 「ま、結葉が用意した花に相乗りなんて情けねぇしな」 始まったのは何気ない近況報告だった。 最近成功させた仕事に始まり、失敗してしまった仕事への助言、鍛錬の仕方。転職に伴う肉体改造問題や、新しい術への話題など、現役開拓者ともなると話題は限られる。こと酒々井の場合は結葉に対して「強くなる為の相談なら任せろ」と笑顔で言い放ってしまう人物であった為、どうにも話題がそちらに流れるという面もあった。 「いいか。上を目指すことを決めた以上、俺は俺の道に手は抜かねぇし、結葉にも妥協してほしくないしな」 「任せて! 極めて見せるから」 花の笑顔が雄々しい。 満足げな酒々井に対して、兄弟は微妙な視線を投げている。 「ただ、まあ、なんだ。結葉。もう一つ、言っておきたい事があってだな」 結葉が瞳を丸くして「何?」と首を傾げる。酒々井は頭を掻いて言いあぐねていたが、やがて『耳を貸せ』とばかりに結葉を手招いた。ぽそりと長年言えなかった言葉を紡ぐ。 「なんつーか『ありがとう』……お前ら子供達が、いや、結葉、お前がいたから俺も自分の行く道を考えて進む事が出来た。本当に、ありがとな」 「なぁにそれ」 結葉照れたように笑った。 それから花屋へ向かい、花籠などを準備している間。 あーでもないこーでもないと話し込む結葉の背中を眺める酒々井に、灯心達はひっそり歩み寄って話しかけた。 「先程の話ですけど、あまり鍛錬を進めるのはいかがかと……その、嫁入り関係で問題が」 「あー……俺もな、全く心配ないかっつーと嘘だが、今更『程々で良いから』とか訂正しにくくてなぁ」 明後日の方向を見上げる酒々井の隣で、兄弟は「しかし行き遅れるのでは」と口を挟む。 暫く沈黙した後、酒々井は陰鬱な空気を吹き飛ばすように笑った。 「まああれだ、俺だって女房との馴れ初めは結構いきなりだったし、その時が来れば見つかるんじゃねーの。上には上がいるもんだしな」 「そんな暢気な」 「ただ欲を言えば、俺に勝てとは言わねぇが……片膝ぐらいつかせる奴じゃなきゃ、結葉は任せられねぇな、うん」 灯心達は絶句した。酒々井が色々条件を連ねだした段階で、結葉の婚期は更に遠のくものと気づいた。 諦めた方がいいのかもしれない。 豪奢な花を持って向かう家は決まっている。 「結葉! 皆も久しぶりだなあ。元気そうで何よりだよ……何だか見る度に逞しくなって」 玄関から現れた弖志峰 直羽(ia1884)は目頭を押さえて感動に震えた。長く延ばしていた後ろ髪を切り、顎髭を生やしていた。一瞬『誰?』という空気が広がる中で、弖志峰は顎髭をじょりじょりと手でなぞりながら「やっぱり剃ろうかなぁ」と小声でぼやく。 「おにいさま、あの、これお祝い」 結葉が花籠を差し出し、同行していた酒々井も同じ後見人として親戚付き合いに近い立場であるからか「おめでとう。これな」と花束を渡した。 「開業祝いなんてそんな、気を遣わせて悪いな……嬉しいよ、ありがとう」 「おう。それじゃ、俺は野暮用があるんで後でな。店で会おう」 酒々井が気を利かせて、一足早く到真の店へ向かう。 同じように他の者も「夕飯までに野暮用を済ませてくる」と言って去った。 「また後で」 「うんまたね。改めておめでとう、おにいさま」 「ありがとう。やっとここまで来れたが、これからが始まりだからな。結葉に負けないように、俺も頑張るよ。丁度休み時間なんだけど、お茶でもしていくかい?」 「あ、忘れてた。これ、恵音の結婚の招待状ね」 渡された手紙を見て、結婚祝いの品を探す流れになった。 急患はからくりの刺刀達に知らせてくれるよう頼み、久しぶりにゆっくりと商店街を歩いていく。 「何がいいかしら」 「赤ちゃん用の子供用品……はちょっと気が早いか。結婚祝いなら、夫婦茶碗とか湯のみとか、調理具とか、普段使いできるものがお約束かなあ……」 散々悩んだ結果は鈴蘭の花が上品なペアグラスだ。 弖志峰は不意に、ある事を思いついた。 「そういえば、結葉は……その、意中の人とかできたのかい?」 「ううん。さっぱりだめー」 「そ、そうか……まだか。結葉くらい美人で強くなったら、なかなかつりあう男はね。それこそ、何処かの王様とかお婿さんにできるくらいじゃないかなあ」 「玉の輿も悪くないけど、もやしはお断りよ。なさけない」 「あはは。そっか。案外兄弟達の中にいたりとかしな……」 ごつ、と容赦なく脇腹に拳を入れられた弖志峰は「あいた! いやごめん、言ってみただけだから! ごめんって!」と、診療所に戻るまで延々と謝っていた。 「じゃ、到真のお店に行くから」 走り出した結葉を、弖志峰が呼び止める。 「結葉の幸せをね、ずっと願ってるから」 忘れないで。 一方、ののは兄達の後ろをちょろちょろ歩いていた。まるで鳥の雛である。 「ののはこの後どうするんだ」 「待ち合わせしてるもん」 「誰と」 ふいに「のの!」と晴れやかな声が聞こえた。 「う? あー、いたー!」 養母のネネ(ib0892)だ。足下には仙猫うるるがいて、胸を張っている。ののは猫が大好きだ。だから相棒も猫又だ。誰より先に飛びつく仙猫に向けられる飼い主のジェラシィ。 「久しぶりねぇ、のの。元気にしてた」 「うんー!」 「ふふふ。うるるー、今日は猫会議が忙しいでしょう、帰ってもいいんですよ?」 にこにこと微笑むネネから放たれる重圧をもろともしない仙猫は叫ぶ。 「ののは私が育てたのよ。この晴れの日に私がいなくてどうするの!」 「うるるちゃん、ありがとー!」 と、ののが仙猫を抱きしめる。だが仙猫にやられっぱなしのネネではない。皆に挨拶をした後は、菫姫をたきつけて仙猫を引き剥がすと、速やかに話題を変えた。 「さぁ、のの。お姉さんへの贈り物は何にしましょうか」 「あ。そっか。贈り物」 「きっと何を贈っても喜んでくれるけれど、だからこそ気持ちを込めた贈り物にしないとですね。エプロンとか、普段使いできる物なんかどうでしょう?」 ネネとののは贈り物を見繕うらしい。 夜に到真の店で落ち合う約束をしてから皆のもとから離脱した。 「恵音さんが結婚ですか……なにか時間の流れを感じます」 しみじみと呟くのは、御樹青嵐(ia1669)だ。封陣院の職員としては『複目符の上位術』完成を目指して黙々と研究を重ねているが今だ開拓者としての仕事も兼業している。黄龍寮にいない時は、開拓者ギルドを尋ねるのが手っ取り早い。 御樹は灯心を見た。 『ついこの前まで、子供達の処遇どうすべきかで悩んでいた気はしますが、これがきっと時間流れというものなんでしょう。……子供達だと思っていたらもう結婚という言葉が聞こえてくる年齢になったのですね。私も歳を取るものです』 眼差しに漂う哀愁じみた何か。 物思いに浸る御樹をじっと待つ灯心は、何を切り出すべきか悩みつつ、次の言葉を待っているようだ。御樹はといえば『灯心さん自身は……身を固める予定はあるのでしょうか』という言葉が喉まで出かかって、でてこない。 『流石に余計なお世話でしょうかね……決まれば、色々と安心できる気はしますが、さて』 恵音の招待状を見下ろして、身近に感じる時間はあるだろう、という辺りをつけた。 「灯心さん、この後のご予定は」 「色々。皆に配り歩かないといけないので」 「では途中までご一緒しましょう。兄弟の様子でも聞かせてもらいましょうか」 微笑みながら歩く御樹は、後日に弖志峰の家を尋ねようと心に決めた。 『直羽には結葉さんを落ち着かせるいい機会だとか言っておかねばなりませんね。私から言うよりは、いいでしょうし』 婚約や結婚の話が出ると、どうしても他の人間にも話が流れるものだ。 その頃、桔梗はアルド達と別れて人と待ち合わせをしていた。 小柄な桔梗を見つけて手を振ったのは尾花 紫乃(ia9951)と尾花 朔(ib1268)の二人だ。実子と養子含めて結構な人数に囲まれて暮らす二人だが、今日は子供達はお留守番らしい。朔が懐から一通の手紙を取り出した。 「皆桔梗に会いたがっていましたよ? 手紙を預かってますから、後で読んであげてくださいね? はい、これです。じゃあ行きましょうか」 本当は入寮支度の買い物のみであったはずだが、灯心達から託された結婚式の招待状を見て、買い物は自然と結婚祝いの品選びになっていく。 「お祝い……どうしましょうか」 朔の言葉に、紫乃は「そうですね」と首を捻る。 「農家に嫁ぐなら、お薬のセットなんて良いかもしれませんね。村に療養所があるかも判りませんし、もしもの為の薬はあっても困らないと思いますよ。こちらからはハンドクリームを作って贈らせてもらうことにしましょう」 紫乃達は作り方を書いた紙も添えると言う。が、桔梗はまるで思いつかないらしい。 なにしろ兄弟姉妹は数多い。安易な品は重複するだろうという懸念があった。 「桔梗、料理でも作りますか?」 うんうん唸る桔梗の顔を覗き込んだ朔が苦笑い一つ。 「私と紫乃さん、二人から薫陶受けたあなたなら、大切な人が望むものを作れると思いますよ? 食べることは生きること、美味しいものは幸せを呼びますから。お嫁に行っても作れるものなんか、いいと思います。そういえば……寮の事について、聞きたいことは聞けましたか?」 「説明だけ、少し」 朔も紫乃も陰陽寮には特別な思い入れがある。紫乃は自然と饒舌になった。 「私達もね、朱雀寮で学んだ三年間は楽しかったですよ。貴重な知識や経験を身につけられましたし、何より親友と出会えたのも朔さんへの想いに気づいたのも……」 ちら、と視線をあげた紫乃に気づいた朔がウインク一つ。 「と、ともかく! い、色々な事を学んで、沢山の人と出会って、ゆっくり考えれば良いんですよ。桔梗が選んだなら、どんな道でも応援しますから、ね」 朔は「違いないですね」と頷く。 「どんな道を歩むにせよ、後ろから押すのは私達ですが、本人がしっかりしないと」 「しっかりって?」 「目標などを明確にしておく事です。未だ明確でなくとも、少しは道を定めないと迷いますから……もし寮生活の中で気になることができましたら、開拓者になるのも一つですよ。世界は広いです、たくさんの世界を見てくださいね?」 開拓者になる為の素養は持っている。いつでも好きな道を歩き出せる。 それと同時に、悩みがあれば帰ってきて良いのだと、帰り際に紫乃達は念を押した。 「夕方の便で帰るの?」 「ええ。みんな待ってますからね。ただ桔梗も……私達がいる事を忘れないでくださいね。困った事があったならいつでも相談に乗ります。辛い事があったなら帰ってきて良いんですよ。家族なんですから」 養母の言葉に「分かった」と頷く。 「来月に一回帰るから。またね」 「はい。いってらっしゃい、桔梗。身体に気をつけてね」 遠ざかる背中を寂しげに見送る紫乃を抱き寄せた朔は、軽く首を捻った。 「そういえば、桔梗はどこの寮に入るんでしょうね……どこでも良い経験と思い出が出来るでしょうが。幸せな記憶ですよね、あの三年間は……どうか、しました?」 「あ、いえ。その……あの子が家族だけの世界から一歩踏み出してくれて、嬉しいんです。でも……ちょっとだけ寂しい、ですね」 「おや、紫乃さんは私がいてもさみしいですか?」 「そ、そういう訳ではなくて」 「ふふ、子供達の世界が広がっても、私たちの思いはきっと心に宿ってますよ」 大丈夫、そう朔は囁いた。子供の巣立ちを見守るのも、親の役目だ。 灯心が最期に手紙を届けにきた相手は、後見人の紅雅(ib4326)だった。 「おや、灯心。お帰りなさい。また見ない間に、背が伸びましたか?」 くすくす笑って近所の子供にする様に頭を撫でる。変わらぬ子供扱いに苦笑いした灯心は「少しだけ」と返事をした。結婚の招待状に「おめでたいですねぇ」と呟く。 「最近は、皆はどんな感じですか? 孤児院の皆は元気でしょうか?」 「元気でしたよ。とても」 平凡な近況報告を続けた後、灯心は意を決した様に開拓業を行う事とからくりを起こしに行く事を告げた。紅雅の双眸が見開かれる。 「……とうとう、お迎えに行きますか……私も、一緒して良いですか?」 「はい」 「良かった。少しだけ散歩しましょうかね。甘藍、出かけますよ」 台所できびきびと動き回っていたからくりを呼ぶ。紅雅が開拓業を引退したのは数年前で、相棒達の犇めく港にはとんと寄りついていなかった。茜色に染まる空を見上げて歩く紅雅の胸に宿るのは、遠い日の思い出だ。 「もう10年ですか……子供の成長は、あっという間ですね」 「もう子供という歳でもないんですが」 「ふふ、貴方はいつまでも私にとっては可愛い子供ですよ。瞼をとじると昨日の事のように思い出します。お祭りへ出かけたり、花見を楽しんだり、初めて修練場へ行った事とか」 迎えに行くからくりの鍵も、大昔に渡したものだ。 起動直後のからくりは何も知らない。隣の甘藍とて、一から十まで教えて今に到った。 正に赤子。第三者に価値観を教えなければならない事を、子供の頃の灯心は恐れていた。 「灯心」 「はい?」 「迎えに行ってくれて、ありがとうございます」 「時間がかかってしまいましたけど……」 「いいと思いますよ。灯心が、どんな子を起こすのか……とても、楽しみですね」 穏やかな微笑みと共に港へきた。 並ぶからくりの中で、灯心の鍵に当てはまったからくりは、少女の姿をしていた。真っ赤な髪に琥珀の瞳。目覚めてあどけなく微笑む人型に、灯心が手を差し伸べる。 「はじめまして。待たせて御免ね」 「ごしゅじんさま?」 「様はいらない。僕は灯心と言うからそう呼んで。君の名前は『茜花』にしようか」 茜に染まる空の下で、芽吹いた花に名を付けた。右も左も分からないからくりの手をつないで、四人は石畳の大通りを歩いていく。紅雅は上機嫌だった。 「今年も、灯心の誕生日が近くなりましたね……茜花も迎えて、お祝いですね。美味しいものを食べて、皆で過ごしましょう。あぁ、でも、灯心もそろそろ他に祝ってくれる人がいるでしょうか?」 「いません」 「おやおや。灯心がどんな人を連れてくるかも気になっているんですけどね。姫の花嫁姿も見たいですし、……まだまだ、見たいものはたくさんありますね」 巡る未来が待ち遠しい。 夕日が沈む。 茜色だった空に、闇のとばりが落ちていく。 到真の店には既に大勢の懐かしい顔がつめかけていた。 そんな中で店内に入ってすぐ、華凛の姿を見つけた无は「少しいいかな」と話しかけた。 「何?」 「修理を御願いしたいものだけれど。これを」 それは陰陽寮に馴染み深い龍花だった。恩師と会った時に壊れてしまった。随分とガタがきていたから致し方ないのかもしれない。華凛が何度か龍花を見た後、修理依頼を快諾した。納期と費用を即座に弾き出す。後日引き渡しを決めてから、无は席に着いた。 「おいしいお茶と、合わせて甘味もくださいな」 「はーい」 到真が茶器と茶缶をひっぱりだす。子供達の健やかな成長に双眸を細めながら、穏やかな日々に感謝をした。一緒に見守ってきた開拓者の仲間、身罷られた前院長、様々な人々の思い出が脳裏に浮かんでは消えていく。 店の片隅で恋の話を小耳に挟みつつ、アルドを見た。 「どうにかならないかねぇ」 こればかりはどうにもならないだろう。 「いつかアルドのも見ることがあるのかねぇ」 はぁ、と溜息を零す。玉狐天ナイが「年寄り臭いぞ」と一言投げた。 店に集った懐かしい面々の前でできる事は遠慮のない惚気……つまり我が子自慢だ。ネネは懐かしい友人たちと一緒に我が子の成長をかみしめていた。 「ふふふ……今この時を、幸せ、と言うのでしょうね。ああ、頑張って育てた甲斐が……」 うちの子はあんなに可愛い、を連ね出す前に、仙猫が現れてドヤ顔を見せた。 「ののがしっかりしたのはね。私がののと菫姫を教育したからよ! いわば乳母ね!」 「うるるー、ちょっと黙りましょうか。嘘はいけないと思うんです」 うーふーふー、とネネが仙猫に詰め寄る。 しかし仙猫は負けなかった。 「嘘じゃないわ! 菫姫には色んな事を教えたのよ! ののが辛い時には、いつ如何なる時でもお腹をモフらせること、傍にいる事なんかを色々とね! その為には『お腹はいつもは出し惜しみなさい。けれど愛情はいつも空から降るほどに与えなさい』っていうのが鉄則なのよ! 猫にしかできない奥義よ、わかる!?」 猫の哲学は奥深い。 賑やかな空気の中、ののはひっそりと手紙を持ち出した。 後であけてね、と買い物中に渡されたネネからの手紙には、次のように記されていた。 『本当に立派になりましたね。 もう開拓者としても籍があるから、貴女のこれからを私は心配ではなく祝福だけで彩って、送り出そうと思っています。 体に気を付けて、勉学に励んでください。 陰陽寮は、知識を求める者には必ずそのヒントを与えてくれる場所。 迷ってもいいから、たゆまず貴女が歩み続けられますように。 いつでも私は、ののが大好きですよ』 ののの丸い瞳に、ぶわ、と涙がこみ上げた。料理を運んできた到真が「どうかした?」と声をかけると、ののは「間違って山葵食べただけ」と意味不明な理由を述べていた。手紙を宝物のように胸に抱く。 「私も、だいすきだもん」 ののは顔を上げた。 普段は遠い場所で暮らす懐かしい顔が並ぶ。 けれどこうして集うと、時の経過などすぐに忘れて笑い話に興じてしまう。 懐かしい日々を思い出して、新しい日々を報告し合う。 いつまでも変わらぬ関係であってほしい。 そんな願いが脳裏に浮かんで、微笑みに溶けた。 |