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■オープニング本文 コンラート・ヴァイツァウ。 前南方辺境伯にして、禁じられた神教会の信仰を捨てることを拒否して帝国に滅ぼされたヴァイツァウ家の遺児で、昨年末から四月まで帝国への反逆を意図して活動した青年の名前だ。 アヤカシの被害とその対策のための増税、ひいては帝国の支配に不満を抱いていた南方諸侯は、オリジナルアーマーを擁したコンラートの元に多くはせ参じたが、反乱そのものは開拓者を味方に引き入れた帝国軍が勝利した。 背景を上げれば、コンラートの理想主義から来る政治の失策や諸侯の統制のなさ、反乱軍に要となる将がおらず戦線が維持できなかったことなどもあるが、最たるものは参謀格のロンバルールがアヤカシであったとされることだ。 ロンバルールに率いられたと思しきアヤカシが帝国側諸侯の領地や人民を襲い、多くの犠牲を出したことで、かえって帝国軍の気概を高める結果にもなった。こうした事実が判明するにつれ、反乱軍から離反する者も出て、結果として反乱は失敗に終わった。 コンラートはその後もしばらく逃亡生活を送っていたが、四月中旬に開拓者により発見され、開拓者ギルドに身柄を送られた。 その後、帝国からの引き渡し要求とコンラート本人の要請とで、身柄はスィーラ城に送られ、事は政治の世界に移行した。 城内のことはなかなか知れることではないが、コンラートはロンバルール重用の責任は自身にのみあると主張、甘言に乗った諸侯、特に戦死者の領地への増税を減じるように願っているとも聞こえる。 当人の心持ちが変われど、その罪が免じられることはなく、コンラート・ヴァイツァウの処刑が決まったのは四月下旬に入った頃。 処刑の場所は、反乱の舞台となった南方と決まった。 後にヴァイツァウの乱と呼ばれるジルベリア帝国への反乱は、多くの人の心と身体に多くの傷跡を残しながらも、帝国軍と開拓者の勝利で幕を閉じた。 反乱軍の盟主であったコンラート・ヴァイツァウは捕らえられ、ジェレゾでの審問を受けている。 その後、処刑の審判が下るであろうことは、誰もが解っていたことであった。 彼の死によってやっと戦いが終る。 多くの者達が、それを信じ、今となっては望んでいた。 けれど、それを認められない者達も未だいる。 「なんとしても、コンラート様を救い出すのだ!! こちらには辺境伯の甥がいる。彼を人質にすれば勝機はある筈だ!!」 暗い雄叫びが洞窟に響き渡る。 反乱軍の残党が、ここに集まっていた。 巨神機を失い、軍が完全に崩壊してなお打倒帝国の夢を見るものもいる。 コンラートに心酔し、命をかけようとするものもいる。 その先頭に立ち、彼らを先導しながら、おそらく一人、『彼』は解っていた。 自分達に勝利はないと。例えコンラートを救い出したとしてもコンラートや、兵達が望む未来はもう彼らには叶えられないと。 「‥‥それでも、この命に代えても私は、コンラート様を助け出してみせる。先代様の名にかけて‥‥」 小さな呟きは誰にも聞かれる事はない。 ‥‥誰にも。 「反乱軍の残党が、いずこかに集まり再起を狙っている、という情報は入ってきていました。街道のキャラバンを狙い軍備などを整えていた彼らは、ついに動き出したようです」 開拓者ギルドに一人の部下を伴ってやってきたのは南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカス。 彼は淡々と事実を告げる。 「ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、先の乱を指揮したコンラート・ヴァイツァウ殿は一時期逃亡を図っておられましたが開拓者によって捕らえられ、ジェレゾへと送られました。そして‥‥先日皇帝陛下より、死罪の沙汰が下ったのです」 係員のみならず、その場にいた開拓者達にもざわめきが走る。 「コンラート殿がジェレゾより処刑地に輸送される。その情報を聞きつけたのでしょう。反乱軍の残党が奪還の為に動き出しました。 各所でのそれらしい動きはあったのですが、我が地方に潜む彼らはいち早くある要求してきたのです。‥‥即ち私の甥であるオーシニィと引き換えにコンラート殿を引き渡せ、と‥‥」 辺境伯の言葉の調子に変化は無い。だが、それがかえって開拓者には彼の動揺、そして心の痛みを感じさせていた。 「期日は10日後、コンラート殿を連れてメーメル城近くの廃棄された砦に来ること。さもなくばオーシニィの命は無いとのことでした。敵の数は50名弱。志体持ちの者、弓術士、砲術士も含まれています」 「ちょっと待って下さい?」 係員がコンラートの話を無礼を承知で折って、確認する。 「何故、そんなことが解っているのですか?」 その問いに辺境伯は今まで黙っていた部下を前へと促した。 後ろに控えていた青年は俯きながら前に進み出ると‥‥ 「申し訳ございません!!」 頭を下げたのだった。 「私が、オーシニィを彼らに引き渡しました。妻が‥‥やつらに人質に取られていたからです」 辺境伯の副官を務めていたという彼は涙ながらに謝罪する。 反乱軍の崩壊の後、妻を人質に取られて要求されるまま情報を流していた、とも。 「彼を責めるのは後の話です。まずは反乱軍の一党を捕らえなければなりません。彼らを調子付かせたり、他の残党と合流させる事は新たなる争いの火種となるからです。ですから、皆さんに一党の捕縛を依頼します。生死は問いません。完全に殲滅させて下さい」 辺境伯の言葉に係員は言外に潜んだ意味を知る。彼は、甥の救出、とは言わなかった。 「つまり、奴らの要求には応じられないと、いうことなのですね」 彼は静かに頷いた。 「コンラート殿との身柄交換は受け入れられません。要求に応じるフリをしてコンラート殿を呼び寄せることもできないのです。コンラート殿は秘密裏に輸送され、処刑地に向かう事になっています」 敵の要求には一切応じられない。それを前提に反乱軍と向かい合わなければならない以上、彼の甥、オーシニィの命は保障できない。いや、もし人質交換が成立しないと解れば、その場で殺されることもありうる。 「‥‥よろしいのですか?」 問う係員に辺境伯は静かに答える。 「だから、皆さんに依頼するのです。50人とは言え所詮残党。軍を動かせば殲滅は容易いでしょう。ですが、そうなればオーシの命は完全に無くなります。でも、皆さんならオーシの命を救いつつ彼らを倒すことができるのではないかと思うのです」 辺境伯自身も動けない。彼が動けば事は大きくなるし、彼が屈してしまうことは帝国に悪しき慣例を作ってしまう。 「難しい依頼であることは承知の上です。‥‥どうぞ、よろしくお願いします」 そう言って頭を下げた彼の目には銀の光が浮かんでいた‥‥。 辺境を守る者として、いやそれ以上に一人の人間として、家族の無事を願う依頼が静かに張り出されたのだった。 |
■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034)
21歳・女・泰
川那辺 由愛(ia0068)
24歳・女・陰
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
野乃原・那美(ia5377)
15歳・女・シ
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
メグレズ・ファウンテン(ia9696)
25歳・女・サ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
トカキ=ウィンメルト(ib0323)
20歳・男・シ
フィーネ・オレアリス(ib0409)
20歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ●醒めない夢 ここはリーガ城、辺境伯の執務室。 「一応念の為に尋ねたいんだけど‥‥現場となる砦、隠し通路か何かがあるという情報はあるかしら?」 「いえ、私の知る限りではないと思います。本当に小さな出先砦の筈ですから。エリク。地図を持ってきて下さい」 開拓者達は真剣な相談を続けていた。 川那辺 由愛(ia0068)の問いに依頼主である辺境伯グレイスは側に控えていた執事に命令を与え、部屋から出す。 「‥‥良いのですか? グレイス様‥‥」 心配そうに問うフェンリエッタ(ib0018)にいいのです。とグレイスは答える。 「しかしこいつは難儀な事アルぜ。残らず倒して人質も‥‥つーのは中々しんどいナ」 「これ以上の拡大を抑える為に押し留める一手ですね。となると失礼とは存じますが、あの方に邪魔をしていただくわけにはいないと思うのですね。ですから‥‥」 梢・飛鈴(ia0034)とヘラルディア(ia0397)の言葉にグレイスはもう一度静かに頷く。 「彼に邪魔はさせません。どうぞ‥‥皆さんのご存分に‥‥」 「グレイス様、彼と話をさせて頂く事はできませんでしょうか? できるなら、彼らを説得し投降を進めたいのですが‥‥」 「ストップ。それは止めて。せめて作戦を終えて、辺境伯の甥を助け出すまで‥‥」 そっと申し出る鈴木 透子(ia5664)を由愛は真剣に止めた。 「下手に彼を刺激して辺境伯の甥、オーシを助け出す前に彼らに作戦が知れたり、逆切れされたら元も子もないでしょ。作戦が崩壊するわ」 「‥‥解りました。でも‥‥いいえ、今は作戦に従います」 「そうして」 二人の会話が終るとほぼ同時、執事は羊皮紙の束を持って戻ってきた。 「お待たせしました。これが砦の見取り図です。これが周辺の地域地図。参考になさって下さい」 「ご苦労。使者の到着を待って交渉に入ります。くれぐれも手荒な真似は避けて下さい。コンラート様とオーシとの交換には応じるつもりですが、陛下との交渉が難航しているので、少し時間が必要なのです。皆様をお呼びしたのもその為。交渉の代理人としてなんとか人質交換を無事成功させて欲しいですから」 「この手紙を見れば、きっと解ってくれると思います。ご用意して下さりありがとうございました」 「今日届けられたコンラート伯の言葉です。信じてくれるでしょう。お役立て下さい。動くのは三日目ですよ」 集まった女性達は解りました。と頷き表向きの打ち合わせを始める。 目を伏せる辺境伯の執事。その暗い眼差しと思いを感じながら‥‥。 冬の長いジルベリア。 だがそんなこの地にも春はやってきて、あちらこちらに花々を見つけることが出来た。 「あ‥‥もふら」 道を歩いていた柚乃(ia0638)は行商人の一団だろうか。 すれ違ったもふらを見つけて微笑んだ。 ‥‥一瞬のことではあったが。 自分のもふらのぬいぐるみを強く抱きしめて彼女は思い返していたのだ。 『後で迎えに来るよ〜〜』 そう言って後、来ることがなかった少年の事を。 「そっか‥‥だから来なかったんだ‥‥約束‥‥まだ有効‥‥」 ぎゅっともふらぬいぐるみを抱きしめる柚乃の視線の先では、広場で旅人を装って人々に噂を巻く八十神 蔵人(ia1422)がいる。 「いや、ひでーはなしや。反乱軍は、城主の甥や副官の奥方攫っていう事を聞かせようとしてるらしいって。ほんま、往生際の悪い悪党や。そうおもわへんか?」 殆どの人間は同意するように頷いているが、 「でも‥‥」 中には反乱軍を弁護しようとする者もまだリーガにはいた。 「反乱軍の人たちは、ただコンラート様を助けたかっただけではないでしょうか?」 「そうじゃのお‥‥ヴァイツァウ家の血が絶えてしまうのは、辛いのお‥‥」 クラフカウ城はわりかし簡単だったんやけど、と後に蔵人は苦笑していた。 「じゃあ、聞くけど戦時や戦後、少ない食料を分配したのは誰や? それを奪おうとしたのは? 伯爵の暗殺未遂の時、おまえさん達に罪をなすりつけようとしたのは?」 柚乃も、ととと近づいて、人々を真っ直ぐな目で見つめる 「ヴァイツァウ家‥‥コンラートという人は、子供を人質にとるような人なの? そんな人を‥‥好きなの?」 人々は言葉も無く黙り、俯いた。 「まあ、誰がどう思おうと基本は自由やけどな。ええかげん古い夢から醒めたほうがええ、思うで」 柚乃を促し去っていく蔵人。 それを人々はそれぞれの思いで見つめていた‥‥。 森の中は春の気配に包まれ、空気も暖かく気持ちが良い。 「砦の外はどうなってるかなー? 簡単に潜入できそうならいいんだけど♪」 だが、そんな穏やかな森に 「しっ! 隠れて。楓!!」 似つかわしくない剣呑な気配を感じ野乃原・那美(ia5377)は息を潜めた。 側の忍犬も、同様に木の陰で息を潜める。 その横を通り過ぎる二人組。 どちらも銃を構えて、彼らは周囲の様子を伺いながら歩いている。 「奴らの行動開始は三日後、なんだろう? まだ、そんなに警戒しなくても良いんじゃないか?」 「油断するな。城からの連絡にばかり頼ってはいられないんだからな。何かあったら、こっちだけで対応しなければいけなくなる」 「そうだな‥‥」 一時緩みかけた緊張を、男達は自分の身にもう一度、しっかりと結ぶ。 「しかし‥‥コンラート様を本当に救い出せるかな‥‥」 「救い出せるかではなく、なんとしても救い出す。だ。あの方も言っていただろう? もうあの方の下で以外俺達には生きる道は無いんだよ」 上司らしい者が部下らしい相手に言っている。 そのどこか寂しげな口調に込められた意味を那美はなんとなく感じていた。 やがて彼らは去り、二人は動き出す。 「今のうち殺してあげた方が良かったかな」 大きく伸びをした那美は 「まあ、‥‥結果は同じだもんね。今は偵察、偵察。時間はないっと。楓、行くよ!」 忍犬と共に再び歩き、走り出した。 その日の夜、集まった仲間達のそれぞれの話を聞きながらルシール・フルフラット(ib0072)は寂しげに微笑する。 「彼らは、囚われ続けているのですね」 彼らが何を意味するのか、仲間達も感じている。 リーガの民、反乱軍、そして‥‥ 「‥‥反乱より以前、ヴァイツァウ家断絶の日から、いつまでも‥‥ずっと。‥‥誰かが、終わらせなければ」 「俺はコンラートが必ずしも間違っていたとは、思いません。彼も、彼の周りの者達も‥‥後味の悪い仕事になりそうですね」 寂しげに言うトカキ=ウィンメルト(ib0323)の言葉に開拓者達の反応は様々だ。 瞬きする者、俯く者‥‥そして‥‥ 「大丈夫です。惨劇の芽は摘みます。全力で潰しますよ‥‥」 寂しげに微笑するトカキにフィーネ・オレアリス(ib0409)は優しく微笑み、そして前を向いた。 「子供を人質にまでとるようになるとは。人の心の荒廃を感じずにはいられません。 確かに、彼らに思うとこともあります。‥‥それでも、向いましょう。こんな戦いがなくても良い社会を築く為に」 「私達に大切な甥を預けて待っているあの人の為にも‥‥、笑顔で迎えさせてあげなくては‥‥」 開拓者達の心は、もはや揺れる事はない。 「では私は正面から突入し敵の注意を引き付け続け敵達を捕縛します。救出班の皆様はその間にオーシニィ様の救出をお願いします」 メグレズ・ファウンテン(ia9696)の提案に作戦を確認する中、柚乃は小さく呟く。 「オーシ、無事かな‥‥」 心配げな柚乃を抱きしめるように寄せるとヘラルディアは微笑みかけた。 「必ず、救い出しましょうね」 「‥‥うん」 そして真っ直ぐ、彼らは闇の中、視線の先にそびえる黒い塔を見つめたのだった。 深夜のリーガ城。 そっと動き出す影がいる。 扉を開け、外に出ようとするそれを 「うっ‥‥」 眩しい灯りと 「行かせませんよ。エリク」 声が遮った。 辺境伯の掲げるカンテラの先。そこには彼の信頼を受けていたエリク。 執事が立っていた。 ●誤算と清算 砦の中。 炸裂するような破裂音と共に那美は後退を余儀なくされた。 なんとか背中を壁に当てるが 「くっ!!」 肩から流れ落ちる血が手元の刀を濡らす。 「誤算、だったなあ。こんなに、直ぐ見つかっちゃうなんて‥‥」 「お前は何者だ? 仲間を殺してくれた礼はその身体にたっぷりしてもら‥‥うわああ!」 追い詰めるように那美に迫る男に、忍犬と猫又が同時に飛び掛った。 「楓!!」 手に持った短銃に弾が入っていれば確実に打ち抜かれていたであろう忍犬は、だがなんとか彼の手元から銃を奪い、床に押し伏せた。 その隙になんとか相手の首を裂くことに成功したものの、那美は悔しげに唇を噛む。 「砲術士か‥‥。ヤバイなあ。この音で人集まってきそう‥‥」 細い廊下、物があちらこちらに固まっているとはいえ、隠れる場所はあまりなさそうだ。 「なんだ。今の音は?」 「悲鳴も聞えたぞ! あっちだ‥‥」 死体を隠す暇も無い。那美は己の判断を微かに悔いながら、素早く猫又を呼ぶと首元に何か書き付けた。そして 「楓!」 忍犬に何かを命じると、覚悟したように目を閉じ、笛を口に当てた。 ピーーーーーー!! 予定とは違うその音は、仲間たちにこう告げていた。 『助けて』‥‥と。 その時からほんの少し前。 暗闇の中、開拓者達は砦が見えるぎりぎりのところに潜んでいた。 「砦には前方の大きな扉と、裏口の小さな扉があるだけ。窓は一階の部分は閉じられているね。見張りは表に六人、裏に四人。砦の上の部分に銃を持ったのが数人。砦の外を見張ったり、周囲を見回ってるのが十人前後。だから、情報が正しければ中にいるのはその半分ってことになるかな?」 那美の情報と見取り図を確認しながら、開拓者達は作戦を立てる。 「万が一の襲撃に備え、逃げやすい場所にいるのではないでしょうか? 最上階近辺とか‥‥」 「ただ、一階に一室だけね。見張りが無くて閉じられていない戸があったの。そんなに近づけなかったけど、多分、中に人がいる。扉も中からしか開けられないけど外からは出られない。多分、そこにいるんじゃないかなあ? 人質くんは」 自分が集めた情報を指示して後、那美はよいしょと立ち上がる。 「それじゃあ、ボクは行くよ。目立たない窓の一つ、壊しておいたから、そこからなんとか潜入してみる。人質を見つけたら合図するからね」 「了解。オーシニィの事は、宜しく頼んだわよ」 「那美様、私の猫又ポザネオをお付けします。何かあったら連絡にお使い下さいね」 「あと‥‥これ、呼子笛。何かあったら吹いて‥‥」 忍犬に手を下げて猫又を迎えた那美は、柚乃が差し出した呼子笛を首から下げる。 「ありがと。んじゃ行って来るねえ〜」 明るく手を振った那美は刀を握り走り出す。 たった一人と二匹の潜入を、開拓者達は何も心配せず見送ったのだった。 そして開拓者達は持ち場につきながら、合図を待つ。 ある者は裏で、ある者は表で、ある者は朋友と空に飛び立つ準備をして。 彼ら全員は那美が人質のところにたどり着くことを信じて疑っていなかった。 パアアン! 建物の中から銃声が聞えてくるまでは。 「えっ?」 その音が開拓者たちに一つの誤算を思い知らせる。 小さな砦。中に20人からの兵がいる。 そこで、例え腕の立つシノビであろうと一人で簡単に侵入潜伏ができるかと。 「しまった! 那美!!」 その音と、続いた呼子笛の音に開拓者達は状況を正確に把握して突入を決意させる。 「‥‥いい? ヒムカ? 一緒に飛べるの嬉しい」 「行きますよ。シャルルマーニュ!」 「ええか? とにかく派手にやって、こっちに気を向けさせるんや!! 逃げんなよ。子狐丸!」 「まずは、仲間を守るのが優先ですね‥‥壁を貼ります。初撃は防ぎますので、後はご存分に。蝉丸、この場はだらけず真剣に動いて下さい」 「綺麗なお題目掲げてその実、民衆を苦しめてるのは誰や! 投降するなら受け入れたるがここまでしてまだ抗うなら手前らを民を救う勇士なんて認めん! 外道畜生のクズとして斬る!」 「‥‥誰にだって、譲れない想いはある‥‥それがどんな結末を迎えようとも‥‥。だから、行こう? ヒムカ」 扉の前方、正面から四人の開拓者達が飛び込んでいく。 それとタイミングを合わせるように 「覚悟はある…人の命を奪う覚悟は。行くぞ。ヴァイス‥‥敵を討つ!」 「最初に狙うのは弓兵。接近は禁物ですよ。ヴァーユ」 森から龍が飛び上がり、塔の頭上に迫っていた。 二方からの攻撃に砦を囲んでいた兵士達が向かったのを確認し、中に入るのが本当だったろう。 だが、裏扉を襲撃した彼らはそれを待ってはいなかった。 「待っていて下さい! 那美さん! オーシ!!」 救出班。強襲にも似たスピードで、彼らは砦へと滑り込んで行ったのだった。 自分の周りには十人近い兵士達。 「‥‥ふふふ♪ 一杯人がいて斬りがいがあるな〜♪」 半分本心、半分は自らを奮い立たせるように那美はそう言って剣を握りなおした。 正直な話、一対一かせめて二であれば勝機は十分に彼女の方に傾く。 だが、この数だと自分の思い通りにはいかないことを彼女は思い知っていた。 一人を倒すことはできても、残りの相手に囲まれてしまうのだ。 さっきの砲術士に傷を負わされていることもある。 正直、彼女の身体はもはや悲鳴を上げていた。 「貴様、何者だ? 白状すれば命だけは助けてやる!」 兵を従える立場であろう男が、兵士達の背後からそう怒鳴り声を上げた。 彼は銃を那美に向けている。 今は動きを止めている兵士達もいつ動き出すか解らない。 その緊迫した状況下で、膝をつく那美だが笑顔を失ってはいなかった。 「う〜ん、命は捨てたくないかなあ。でも、‥‥負けるのもイヤなのだ。卑怯な連中にはなおさら♪」 「なにを!! この状況でお前に選択の余地があると思うのか!!」 「まあねえ〜。うん、賭けはボクの勝ちだ♪」 「なに?」 一際明るく那美の顔が輝く。それと同時。 「行くぞ。持国よ!」 「恨み辛みよ、怨念よっ! あたしの力となりて、顕現せよ! 出でよ! ジライヤ神薙!」 ドオン! それは、甲龍の突撃の音。 そして、続いて兵士達の頭上から落ちて来たものが、兵士達を踏み潰して地響きを上げる。 「由愛様、蝦蟇遣いが荒いっす! 狭いっし痛いっす!」 「喧しい! 今、それどころじゃないのよ。黙って仕事しなさい! 那美!!」 兵士達を蹴り飛ばしながら由愛は那美に駆け寄った。 蒼白になった顔と身体を抱きとめる。 「しっかりして! 大丈夫?」 由愛の顔にホッとしたのだろうか。那美の身体からがくんと力が抜けた。 「‥‥あ、由愛‥‥失敗してゴメン」 「何言ってるの! 何も失敗なんかじゃない! 誰か! 那美の手当てを」 「私に、お任せくださいませね」 「狐鈴、手伝って!」 由愛の必死にも近い思いは仲間達に引き継がれ、幾条もの癒しの光が那美の身体を取り巻いた。 やがて、那美の顔に赤みが戻り強く由愛の手を握り締める。 「那美‥‥」 「も‥‥う大丈夫だよ。早く、行かないと逃げられちゃう。楓が‥‥先に言ってるから」 「解っています。ここは任せるアル」 「無理はしないで下さいね」 「私達もここが片付き次第、後を追いましょう。お気をつけて」 那美を庇うように飛鈴にフェンリエッタ、メグレズがジライヤに踏まれ損ねた残党兵の掃討にあたっていた。 残りの敵の数は、それでもまだ開拓者より多いが甲龍を始めとする朋友のガードもある。 「盾になりなさい。持国。絶対に逃がしては駄目よ」 メグレズの命に答えるかのように甲龍は硬質化、霊鎧を発動させた。 敵の剣はキン! と軽い音と共に弾かれる。 「なに!!」 慌てた隙にメグレズは敵を押し返すように払い抜ける。 「疾刃、白狼!」 彼女の体躯と技に圧倒された敵は慄くように後ずさっている。 「ほらほら、遮る奴はブッ飛ばすでアルよ!」 焙烙玉の導火線をちらつかせていた飛鈴は躊躇い無く、それを投げつけ 「うわああっ!」 「ホラ! よそ見している暇は無いアルよ!」 慄く兵士に暗勁掌を打ち込んでいる。室内にもう砲術士の姿は見えない。 これなら大丈夫。 「行きましょう。神薙、任せたわよ。今度、良い女紹介するわ!」 「本当っすよね。由愛様! うぉぉぉぉ!!」 大暴れするジライヤを引きつれ仲間に背を向けて、彼女達は走り抜ける。 「楓!!」 やがてある扉の前、兵士達の攻撃を交わす忍犬と、猫又を見つけた開拓者達は、朋友を狙う兵士達を奇襲で屠ると扉を蹴り開けた。 だが開拓者の動きはそこで止まる。 「動くな!!」 いや、動くことができなかったのだ。 「少しでも動いてみろ。こいつの命、掻き切ってやる!!」 そこには救出作戦における、最悪の想像。 人質を盾にする、兵士の姿があったから‥‥。 ●最期の夢 正面入り口での陽動作戦は開拓者のほぼ勝利と言える形で終った。 「ったく。後の続かない砲術士よか、連発してくる弓術士の方がやっかいやな。くそっ。雪華連れてくるつもりやったのに間違えたわ」 そんな愚痴を言いながらも心配そうに自分を見る炎龍をぽんぽんと叩いて、蔵人は微笑した。 入り口に固まり、遠距離射撃をしてくる相手にはかなり苦戦させられた。 柚乃の精霊砲や透子の魂魄を援護に助けられたとはいえ、敵の懐に飛び込むようにして戦った蔵人やルシールのダメージは決して高くない。 「無理をさせましたね。シャルルマーニュ‥‥」 朋友を労うようにルシールも己が甲龍を撫でる。 「上には、龍がいたっぽいけど大丈夫か?」 今まで他所を省みる余裕は無かったが、蔵人は薄紫に染まる空の上、砦で戦っているであろう仲間の事をふと、思った。 「上も心配ですが、中がもっと心配です。オーシさんが救出されたら火が放たれる筈なのに、一向にその気配がありません。まさか‥‥」 心配そうに砦を見つめたルシールは次の瞬間、聞えた音にハッと身構える。 「蝉丸?」 反応する透子の駿龍。他の龍達もただならぬ気配を感じたようだ。 ほんの僅かな差で他の仲間たちも同様に動く。 「動くな! 少しでも動いたらこいつの命は無いぞ!」 「オーシ!!」 叫びにも似た柚乃の声が開拓者の間に響いた。 砦の閉ざされた扉から数人の兵士が出てくるのが見える。 その後、同じ扉から中に突入した仲間達、那美、由愛、ヘラルディアが出てきた。 彼女らが、兵士達を止めない理由は解っていた。 兵士の一人、指揮官らしい男がピストルを少年の頭に突きつけているのだ。 「よくも、よくもやってくれたな‥‥。人質交換に応じると見せかけて強襲とは、よっぽどこいつの命がいらないと見える!」 男は片手でオーシの髪を引っ張るようにして、引き吊り上げる。 足に力の入らない様子だった少年は、苦しげな悲鳴を上げた。 「うわっ!!」 「オーシ君!」「止めなさい!!」 表扉から出て、合流したフェンリエッタやメグレズも声をかける。 だが男の目は据わったまま、じっと開拓者を睨んでいた。 「‥‥父さんは、どこだ?」 「父さん?」 「とぼけるな! 昨日から連絡が無い。‥‥殺したのか? 辺境伯の側にいた俺の父さんだ!!」 「‥‥ああ」 フェンリエッタはそうか、と納得する。 『彼』は反乱軍兵士の父でもあったのか、と。 「父さんは、ヴァイツァウ家に恩があったのに、コンラート様の蜂起を止めようとした上、自分は領主に仕えるものだからと、辺境伯に仕えた。それを裏切りだと思ったこともあったけど‥‥父さんはきっと俺達の為に‥‥情報を流す為に奴の元にいてくれたんだ。あの、愚かな皇帝と簒奪の辺境伯から優しかった先代様の思いと忘れ形見を守る為に!」 「どあほ!!」 その時、周囲を揺らすような大声が響いた。 「蔵人さん?」 「黙って聞いてりゃ、勝手なこといいくさって。己の民や家族を見捨てて自分勝手に死んだのはヴァイツァウの先代やろうが? 今まで‥‥今までこの土地の争いをよう見てきたが、あの辺境伯は無能と思う時もあったけどそれでも、まあ、がんばっとったわ。民の為に、ちゅうてな」 蔵人の言葉は怒りが燃え上がるようで話を黙って聞こうと思っていた透子でさえ、止められないものであった。 「飢えで苦しむ人の食料を奪い、己の罪を人々に擦り付け、戦後は盗賊行為に、ガキや嫁さんを人質やと‥‥どれがお優しい先代とやらがやってきたことなんかい!!」 「違う! コンラート様にこの地を返す為のやむない手段だ! コンラート様が帝国に敗れさえしなければ、この地にお戻りにさえなれば、またかつてのような‥‥」 「あたしはコンラート伯は帝国に敗れたのだとは思っていません」 透子はここで、やっと言葉を入れる。 蔵人の怒りはまだ燃えているが、一時、言葉を閉じたのはあることに気付いたからだ。 自分と透子、そしてフェンリエッタ以外の仲間の動きに‥‥。 「敗れたのはアヤカシにです。 あたし、上手く遣られてしまったって思っているんです。先の戦争で反乱軍も、帝国も、開拓者も、領民も傷つきました。けど、アヤカシは喜んでいるんです。今だって、あたし達が争ってるのを見て。 争いが起きるは仕方が無いのかもしれません。でもそれを利用され、喜ばれてるのはすごく不愉快です。 コンラート伯は、それに気付かれたんだと思います。帝国よりも早く。だから後悔もされているんだと思います。 ‥‥もう止めにしませんか?」 「彼は‥‥後悔なさっています。そして己の過ちに気付き、自らの運命を受け入れようとしています。この手紙には‥‥それが書かれているんですよ」 「手‥‥紙? コンラート様の言葉か? 寄こせ!!」 透子の言葉に目を伏せていた男は、フェンリエッタの言葉と差し出した紙切れに心を一瞬向けた。 その瞬間! 「いまや!!」 開拓者達は同時に動き、いくつもの事が同時に起きた。 正面から飛び込んだメグレズが剣気を放ち、敵をひるませる。 それにタイミングを合わせたルシールが男の眼前を守る一人を切りふせ、もう一人を柚乃の精霊砲が打ち抜いた。 慌てる男の眼前に蝙蝠が飛ぶ。 さらに0距離にジライヤが出現して‥‥ 「くっ! なんだ?」 両手が塞がっている彼は思わずピストルを少年から外して、手でそれを払おうとした。 だが、それは結果として 「うわあっ!」 左右に迫る開拓者達の攻撃に向かい合うこととなった。 「今更何をしようがこぼれた酒は盆には戻らないアル!」 放たれた空気撃。必死にかわした背後から 「そっちばっかりに気をとられてていいのかなー? 急所、取ったよ♪ さっきのお礼、させてもらうからね!」 冷たい鋼が首に当たる。 「フェラン! 援護を!!」 忍犬が主の命に男の足を噛みしめた時 「オーシ様!!」 ヘラルディアが少年を強く引き寄せ、抱きしめた。 彼がヘラルディアの胸に守られていた時にはほぼ終っていた。 ザシュッ! 周囲には鈍い音と共に、血が噴き出し溢れ飛んでいる。 「うわああっ!!」 首に限りなく近い肩口を裂かれ男は悲鳴を上げた。 遠のく意識。 だがまだピストルを放ち、男は後退した。 「うっ!!」 「那美!!」 手を打ちぬかれ、那美の手から刀が落ちる。 後ずさる男、壁を背に全てに追い詰められた彼は最後の希望の名を呼んだ。 「来い!! ファランドール!!」 だがそれに答えるように響いたのは 「ぐおおおおっ!!」 断末魔の悲鳴と、地面に落ちる紅い身体の龍の地響き。 「ファランドール!!」 行く筋もの剣痕。焼け焦げた身体。 主の呼び声に龍はそれを持ち上げ、僅かに頭を上げ、‥‥そのまま落とした。 「がはっ‥‥」 そして彼は己が龍と同じ道を辿る。腹に深々と刺さった刃が抜かれて地面に崩れ落ちたのだ。 刃を抜く蔵人の頭上から二匹の龍が舞い降りた。 甲龍に跨ったトカキと、駿龍を駆るフィーネ。 「合流が遅れてすみません。屋上に龍がいて‥‥てこずりました‥‥」 トカキは黒い服裾を靡かせて、仲間の前に飛び降りる。 彼らと龍の傷が乱戦を物語っていた。 龍と、屋上の弓術士との戦い。 塔の天辺を制圧しようとした開拓者達の前に一匹の龍と、弓術士達が立ちふさがったのだ。 「もうお止めなさい。こんなことをしても、何も変わらないのですよ!」 フィーネは降伏を幾度と無く進めた。 「できるなら、戦いたくは無い。投降してくれないか?」 だが彼らの答えは、放たれる矢。主を待つ炎龍もその翼を畳もうとはしない。 「‥‥そうか、それでも君達は夢から醒められないのか‥‥ならば‥‥貫け! サンダー!!」 殺したくは無いと矢を避けながらトカキは思った。それはフィーネも同じだろう。 だが、躊躇う事はできない、引くことも出来ない。 自分達の後退は、仲間の危機と同意なのだから。 「爆ぜろ! ファイアーボール」 トカキは鬼気迫る様子で襲い掛かってくる炎龍に魔法の連続攻撃を仕掛け 「炎で威嚇なさい。弓兵をまず狙うのです」 フィーネは龍と共に盾で身を固めながら敵の中に飛び込んでいく。 「うわっ! 龍の炎が!」 弓兵の動きが鈍ったところを流れるように彼女は敵を倒していった。 けれど二対数倍。 もし、魔術師であるトカキがいなければ炎龍は倒れず、空中戦を制したのは逆だったのかもしれないというそれは厳しい戦いであったのだ。 だが、勝敗は決した。 そして、龍と兵士達の血を浴びた勝者達は、敗者を静かに見下ろす。 「‥‥ファラン‥‥、俺達は‥‥負け‥‥たのか‥‥」 「逃亡経路も全て断ってあります。貴方のお父上も今頃、辺境伯が身柄を確保しておいででしょう。貴方方の負けです」 ルシールの言葉が聞えたのか、聞えていないのか‥‥。 口から血を吐き出した男は、手を空に上げた。 何かを求めるように伸ばされた手は、何も掴む事無く空を切る。 「‥‥先代さ‥‥ま、コンラート‥‥様、‥‥父‥‥上‥‥」 夜明け。 朝の光を浴びながら開拓者は思う。 太陽を見る事無く、死んだ男は最後まで過去だけを見続けていた。 「その恨み、余さず残さず貰ってあげる。迷わず逝きなさい」 彼らの見た過去の夢は、美しかったのだろうか。と。 ●神乱の終わり 「うわっ‥‥。もふらがいっぱい♪」 「ジルベリアでは、なんでかこいつらは生まれないんだ。ここにいるのはみんな、天儀で生まれたやつらなんだぜ?」 リーガ城下の一角、もふら小屋で、もふらに囲まれて嬉しそうな柚乃を見て、少年もまた嬉しそうな笑顔を見せる。 「遅くなって‥‥ごめんな」 「ううん‥‥守ってくれてありがとう」 二人は数日前の夜からは想像もつかない、穏やかで平和な時間を過ごしていた。 「本当に、俺、情けないよなあ〜」 少年のどこか、寂しげで悔しげな表情を柚乃は何も言わず、見つめていた。 あの日、反乱軍の指揮官である男が死んだ後、砦は炎に包まれた。 反乱軍残党約50名。 そのうち半数以上は開拓者によって討たれ、残りは開拓者の元に投降した。 『もはや決した事に、尊き命を使わないで下さい!』 そう言って呼びかけた開拓者に応じた形である。 彼らはおそらく投降しても、その死が今か、少しだけ遅いかの差しかないことを開拓者達は知っている。 けれど、その僅かな時間に意味があることを、彼らは信じようと思ったのだ。 「人の心を、取り戻して欲しいのです‥‥」 元はかく乱の為に放たれた炎は、死者を天へと導くかのように燃え上がっていく。 死者の冥福を祈る柚乃の側で、救い出されたオーシは暫くの間、まだ恐怖に囚われていたのか震えを止められずにいた。 彼の手の震えを止めてくれたのは、 「もう‥‥大丈夫ですよ」 優しく抱きしめてくれたフィーネやフェンリエッタ、ヘラルディア。 その時、胸に抱かれた時、彼はちゃんと知っていた。気付いていた。 自分の為に、これほどの開拓者が来てくれたこと。 「お帰りなさい‥‥オーシ」 叔父が、辺境伯という立場を危ぶめても自分を救い出さんとしてくたこと。 「ホント、まだまだだ‥‥」 その喜びも自分の無力も彼はちゃんと知り、噛み締めていた。 「もっともっと、修行しないとなあ。グレフスカウの家を叔父さんのようにちゃんと継げるように‥‥」 「そういえば‥‥辺境伯は?」 問いかけて、あ、と柚乃は気付いたように口を押さえる。 うんと、少年も頷き首をある場所に向けた。城壁の外。 「君も行く?」 ここからは当然、見えはしない。 だが、きっと今、開拓者の多くもそこにいるだろう。 神乱の終わりを見届ける為に‥‥。 処刑場は、街の城壁の外、秋に家畜の市が開かれる小さな空き地に作られていた。 「随分、人が多いですね‥‥」 「見届けたいのでしょう。気持ちは解ります。俺もどうしても立会いたかったから‥‥」 急ごしらえの台の上には、処刑人が使用する斧が準備されており、街の住民達もその殆どがいるのではと思う程の人ごみの中、彼らは全て、たった一人の事を噂していた。 これからコンラート・ヴァイツァウが処刑される。 一人一人の心の内はさておいても、南方を半年に渡って混乱に陥れた反乱は終結するのだ。 いかにヴァイツァウ家を慕うものがいても、帝国の支配を嫌っていようとも、万を越える軍勢が激突し、何百という人々が死んだ戦いの継続を望む者はもうここにはいなかった。 誰一人‥‥。 開拓者達も人ごみの中に混じり、周囲を見た。 見知った顔も少なくは無い。 やがて、小さな檻がそのまま馬車になったような護送馬車が到着し、その後に皇帝の親衛隊の制服を身に付けた軍人とグレフスカス辺境伯の馬車もやってきた。 「グレイス様‥‥」 馬車から降りた彼は、何も言わず静かに進み出て処刑を見届ける為に設えられた席に着いた。 馬車に見張りと人が残っていることに気付く者は少なく、また気にする者はもっと少なかった。 集まった人々からすれば、辺境伯とて滅多に見られる相手ではなく、見慣れぬ制服には声を潜めて素性を尋ねあう姿も見られる。 だが、それもコンラートが台上に連れ出されてくる瞬間に止まった。 清潔そうだが、富裕な庶民にも劣る貴族らしからぬ衣類に身を包んで、顔には幾つか痣をこしらえたコンラート。 人々の注目が集まって‥‥一瞬後に彼らは、口々に何か言い出した。 「人殺し!」「お父上の思いを無駄にして!」「死んだ私の夫を返せ!」 恨みつらみ、罵倒。 「お労しい‥‥」「帝国の無慈悲なことよ。とうとうヴァイツァウ家も絶えるのか‥‥」 中にはその身の不遇を嘆く声、帝国への不満など、熱に浮かされたように叫ぶ人が多い中では兵士達の制止もたいした効果はない。 兵士の数名が見届け人の貴族二人を仰いだ。 立ち上がるグレイス。彼はマントを返すと台上に礼を取った。 すうっと声が引く。台上でコンラートが頭を下げたからだ。 貴族の礼法。 グレイスへの返礼ではない、身分がない人々に向けてのそれは、興奮を醒ます作用があったらしい。 針が落ちても聞えそうな静寂の中、自ら進んでとしか思えぬ足取りで、コンラートは処刑人の傍らに向かい刑台の最上段に立った。 斧が振り下ろされる位置に引き据えられる。 その直前にコンラートは、立会人に身体を向けた。 グレイスに、いや二人に顔を向けて何かを言ったように見える。 微かにグレイスが目を伏せたのは一瞬。 だが次の時、その手を彼は高く、高く上げた。 コンラートへの返事ではない。処刑人への合図! 膝をついたコンラートの頭上に、真っ直ぐに斧が振り下ろされた。 !!! 鈍い音が一人の命を刈り取る。 瞬間、言葉にはならない、ざわめきが場を支配した。 悲鳴や喝采、怨嗟の声に、血を見て倒れた女性達を運び出せと命じる兵士の長の叫びが混じる中、掲げられた首級を確かめた見届け人は互いに言葉を交わすでもなく、微かに目を伏せたまま混乱が静まるのをじっと待っていた。 処刑の熱狂の中、それを見守る開拓者達の心は、不思議なほどに静かだった。 想像していたよりもずっと穏やかで、潔い態度。 「少し、見直したわね‥‥」 「彼は、ご自身で決着を付けられていたのですね」 開拓者達は少し前の戦いを思い出す。 最後の最期まで遠い夢に囚われていた兵士達より、彼はよほど覚悟ができていたのではないかと、思えたのだ。 「彼は、コンラートは手段を違えたんだ。彼には違う方法でこの国を救って欲しかった‥‥。もしかしたら死ぬべき人間では無いのかもしれないのに‥‥」 喪服のように黒いローブを纏ったトカキはそれだけ言って顔を下げる。 スカルフェイスに隠された顔は見えないが、笑顔ではないだろう。 「でも、あいつのせいで起きなくていい戦いが起きたんは事実や。死んで終わりってのもずるい気はするけどな」 「コンラート伯は後悔し、自らの罪を受け入れた。それ以上の事をもう、望む必要は無いと考えます」 「巨神機、妖、私達‥‥力には力の報いがある。その繰り返しでは誰も救われないことに、もっと早く気付いてくれると良かったのですが‥‥」 それぞれの思いで処刑を見つめていた開拓者達。 やがて彼らはそれぞれに祈り始めた。 膝をつき礼を取る者。手を合わせる者、目を閉じるだけ者、見せる姿、なす行動はそれぞれであったけれど、思いは一つであったろう。 コンラート・ヴァイツァウ。 彼に、祈りがあらんことを。死者の国があるなら、どうか安らかに‥‥と。 「コンラート殿。貴方の道を引き継ぐ事をここに誓います。民の安寧願う純粋な志は‥‥同じだから」 フェンリエッタは手紙を破り捨てた。 彼の偽りの言葉はもういらない。 その生き様こそが、彼の遺したもの。 良きにつけ、悪しきにつけ彼の言葉なのだから‥‥。 破り捨てられた紙は風に吹き飛ばされ、散らされ消えていった。 一人の青年の死、最後の末裔の処刑によってヴァイツァウ家は完全にその血を断絶させる。 後にヴァイツァウの乱と呼ばれる戦はここに、一つの終わりを告げたのであった。 全てが終ったリーガ城の一室で、彼は辺境伯と向かい合っていた。 「何故、私を捕らえないのですか? お分かりなのでしょう? 私は今回の主犯とも言える存在です。貴方の暗殺計画を企て、情報を反乱軍に流しました。貴方の甥を反乱軍へ渡したのも間接的には私です。罪を逃れようとは思いません」 胸に手を当て告げる彼にグレイスは、静かに答えた。 「貴方を捕らえるつもりはありません。去りたければ好きにしなさい」 「何故!!」 「それが、貴方への一番の罰だからです。息子を失い、慕い、仕えたヴァイツァウ家は最期の一人を今日失い、血を永遠に途絶えさせた。その世界で行き続ける事は、彼らに殉じて死ぬより貴方には、ずっと辛いことでしょう‥‥」 「そうです! だから、どうか殺して下さい。先代様とお約束したのに、私はコンラート様を止められず、側にあることすらしなかった。できなかった‥‥。息子を失い、ヴァイツァウ家の消えたこの世界で、私に何をせよと言うのですか! ‥‥私は‥‥もう、死んで先代様にお詫びすることさえ許されない‥‥」 膝を折る彼に、グレイスはそっと、手を差し伸べた。 「開拓者達は、貴方の事を何一つ言ってはいかなかった。それは、貴方のその思いを知り、すべき事を知っていたからかもしれません」 「私の‥‥すべき‥‥こと?」 「ヴァイツァウ家を知る一人として、ヴァイツァウ家のいないこの国を見続けることです。彼らが正しかったか、間違っていたか、それを見届け、伝える為に‥‥」 「伯‥‥」 やがてグレイスはそっと部屋から去り、彼は一人残された。 「‥‥コンラート様、先代様‥‥アイン‥‥」 ヴァイツァウの乱が終ってもグレイス辺境伯の仕事に終わりは無い。 フェンリエッタあたりが見れば、過労を心配視しそうな仕事の中、彼は開拓者の提案を受け入れるとして、手配を始めていた。 即ち反乱軍の兵士の家族に恩赦を与え、流通と税収を確保する。こと。 他にも城の修繕、怪我人の保証に死者の埋葬。 アヤカシの警戒に、軍備の再編。やるべきことは山ほどある。 新たな仕事に追われる彼の側に、前と変わらずに一人の執事がいて仕えていることを不思議に思う人物は少なかった。 「終ったのですね‥‥」 見上げる開拓者達の頭上にはジルベリアの美しい青空が広がっていた。 |