【神代】与治ノ山城余話
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 19人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/04/06 08:05



■オープニング本文

●決戦間近
 五行北東におけるアヤカシとの大規模戦闘は今や最終局面を迎えようとしている。
 与治ノ山城において死闘の末、開拓者は大アヤカシのなりそこないと化した鬻姫の討伐と護大の入手に成功する。
 未だ敵の真意や全貌は明らかになっていないが、全てを操る大アヤカシ、生成姫との決戦もいよいよ間近という、これはある日の出来事である。

●与治ノ山城にて
「やれやれ、こうして明るいところで見ると酷いものですね」
 崩壊した城壁を見ながら与治ノ山城を預かる陰陽寮朱雀寮長、各務紫郎はため息のようなものをついていた。
 先の戦いにおいて鬻姫との全面対決という激戦の舞台となった与治ノ山城はその余波で崩壊を余儀なくされた。全壊を免れたのは開拓者の尽力があってのことだが、それでもあちらこちらに崩落した壁や崩れて要を足さなくなった城壁を完全修復するのは一朝一夕では不可能であることは容易に解った。
『どうしますか? 寮長?』
 控えるからくりの少女に問われた各務の返事は驚くほどに明確である。
「諦めましょう」
『え゛? いいんですか?』
 小首をかしげる少女に彼は頷く。
「この城には護大が残されています。それを狙い、いつまた敵が襲ってくるか解りません。応急処置はともかく、修復などに手を回す暇があったらその警護に回すのが得策です」
『護大の調査なども…』
「とりあえずは後です。興味深い素材ではありますが下手に手を出し暴走させては意味がありませんからね」
 そうして寮長は部下達に指示を与えた。
 まずは崩落した建物の全体調査と応急処置。
 怪我人の手当と死者の収容と対応。
 物資は先日支援物資が搬入されたこともありまだ不足は無い筈だが、それらの確認といざという時直ぐに輸送、移動ができるように準備と整備を行う事。
 疲労している開拓者や兵士への炊き出し。
 周囲のアヤカシへの警戒など…。確かにやることはいくらでもある。
『ですが…』
「凛。貴方もいろいろ心配でしょうが、今は陰陽寮のからくりとして皆の手伝いに専念して下さい」
『…解りました』
 少女からくりはそう言ってお辞儀をすると、静かにその場を離れた。
 そして、各務もまた仕事に戻っていくのだろう。

 働く与治ノ山の兵士達。
 彼らを見つめながら心身ともに疲労困憊である開拓者達は、それぞれに身体と心を休め、今後の自分達がこれから、何をどうするべきか考えるのであった。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / カンタータ(ia0489) / 青嵐(ia0508) / 胡蝶(ia1199) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 神凪瑞姫(ia5328) / 鈴木 透子(ia5664) / からす(ia6525) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / 国乃木 めい(ib0352) / 尾花 朔(ib1268) / 御鏡 雫(ib3793) / レムリア・ミリア(ib6884) / 月・芙舞(ib6885) / 白いカラス(ic0608


■リプレイ本文

●太陽の下で
 開拓者達はそれぞれの思いを胸に抱いて決戦に挑む。
 これは彼らの思いのほんの断片である。

 その日、与治ノ山城は快晴に恵まれていた。
 久しぶりの三月らしい春の日差しが、山城に差し込んでいる。
「ふ〜、なんだか太陽が眩しいね」
 俳沢折々(ia0401)は手で目元を隠しながら笑顔で空を見上げる。
「当たり前だけど…太陽って上るものなんだよね」
 あの極寒の夜。もしかしたら夜はもう明けないかもかしれないと思った者はきっと少なくないだろう。
 今だって、勿論、安心していられるわけでは無いのだけれど。
「随分とやられたもんだな…」
 劫光(ia9510)が声を上げるように、城壁は半壊、建物内もあちらこちらが崩れかけていているのだけれど。
 今も、まだ戦乱の最中。
 周囲にはアヤカシが溢れ、それを警戒してくれている人、見張りに立ってくれている人がいて、だからこそ、自分達はこうして空を見上げていられるのだけれど。
 視線を上げるとそこにはそのうちの一人の姿が見える。
「からす(ia6525)さ〜ん! 見張りご苦労様〜! 無理はしないで後で休んでね〜」
 先の戦闘でもこの城を守った名狙撃手が折々の呼び声に軽く手を上げる。
「後で、お茶でも運んでもらおう。あ、持ってきたほうが良いかな?」
「折々! ちょっと手伝ってくれ」
「はーい! 今行くよ」
 劫光や、仲間の声に明るく返事をして、折々は今は静かな与治ノ山城を走るのであった。
 
 城はあちらこちらで崩れてたりひびが入ったりしているが、無事な部分も多い。
 その破壊を免れた部屋で小隊『アルボル』のメンバー三人と月・芙舞(ib6885)は傷病者たちの治療にあたっていた。
「月・芙舞と申します。あなた方とご一緒しても良いかしら…」
 小隊アルボル、アルボルビダエと言えば救援、救護を得手とする小隊として知られている。
 戦場で傷付いた人々を捨て置く事が出来ず、薬師・巫女の立場で一人でも多く救おうと出向いてきた芙舞であったが。支援物資や支給品があるとはいえ、持合せの医薬品は心許ないし、何より一人で出来ることは限られている。
 だから、できるなら同じ活動をする開拓者と一緒に行動をさせて貰えたら、と思っていたのだ。
 躊躇いがちに告げる芙舞に国乃木 めい(ib0352)は母のように優しく笑い頷いた。
「ええ。同じ志を持つ仲間。歓迎いたしますよ。ねえ。皆さん」
「「もちろん」」
 異口同音に頷くのはレムリア・ミリア(ib6884)と御鏡 雫(ib3793)。
 彼女達もまた一人でも多くの患者の命を救いたい、傷を癒したいとの思いからやってきたのだ。
 救命の志を共にする仲間として、彼女を受け入れる。
 特に雫は芙舞が巫女であることを見てとると嬉しそうに破顔していた。
「今は一人でも多く巫女が必要ですから。私が重傷、軽傷と怪我人を振り分けますので、必要に応じて術と手当てを行って貰えますか?」
 自分を仲間として受け入れ役割を与えてくれる。それに安堵した彼女は
「ありがとう。感謝します」
 三人に向けて静かに頭を下げると微笑んだのであった。

「ふう、やっと着いたわね」
 険しい山道を抜けて積み荷を下ろすと胡蝶(ia1199)は見張りの兵士に開門を願った。
 勿論、直ぐに扉は開かれ、彼女は与治ノ山城に足を踏み入れる。
 …もっともその気になれば崩れた城壁から中に入れない事は無かったろうけれど。
『おや、胡蝶さん。いらっしゃい』
「青嵐(ia0508)。何をしているの?」
 その崩れた城壁の側で見知った顔を見つけ胡蝶は声をかけた。
 彼は陰陽寮朱雀寮の用具委員長。
 手に持った紙と筆を閃かせて答える。
『城の破損した箇所を見回っています。現状で直せる部分と完全に作り直した方が良い部分を纏めて提出するつもりです』
「大変ね。ざっと見た限りだけどそうとうなもの、でしょ?」
『まあ、一人でやっている訳ではありませんからね』
 苦笑に近い笑みを青嵐は浮かべる。
 筆の先で彼が指した先には人魂を飛ばす瀬崎 静乃(ia4468)がいて、力仕事に励む劫光も作業を手伝う芦屋 璃凛(ia0303)もいる。他にも周りを見れば
「あら、透子」
 何事か兵士達と話をしている同じ青龍寮の鈴木 透子(ia5664)。
「カンタータ(ia0489)や朱雀の折々もいるわね」
 胡蝶は見知った顔が多いことに少しホッとした顔を見せた。
『物資は折々さんの所に運んで貰えますか? 彼女が仕分けをしてくれていますから。それから手が空いているようなら足りない所の手伝いに回って下さい。
 私は…後でちょっと出かけます』
「解ったわ」
 別に誰に指示された訳でも無いが、陰陽寮生を始めとする開拓者達はテキパキと自分の出来る事、やるべき事を見つけ働きはじめる。


「青嵐。話がある」
 そう彼に声を掛けたのは竜哉。しかし青嵐の反応は「仕事の邪魔だ。…どけ」と刺々しい。
 今回の行動はそれぞれの考えに任されていた。  
 それぞれの考えと、思いに…。

●温かいモノ
 城の一角から煙が上がっている。
 夜であったり戦闘中であるなら警戒するところであるが、勿論今は気にする者はいない。
 周囲にいい匂いが漂っているとあればなおの事。沸くのは期待と空腹だけである。
「良い匂いですね。本格的なボルシチですか」
 手際よく料理を進めていくカンタータ(ia0489)の手元を感心するように尾花朔(ib1268)は見つめた。
 そういう朔自身も素人ではない見事な手際であるが、カンタータのそれはさらに上を行くかもしれない。
「そうですよ〜。材料はどうしても必要なのだけは持ち込みましたけど、後は地物の野菜たっぷりですからね〜。美味しいですよ〜」
 彼女が背負って来た戦背嚢から、一体どうやって出てきたのかと思う程の大量の食材や調味料は既に鍋の中で煮込まれ暖かな湯気をあげていた。
「野戦地での調理はボクの真骨頂のひとつですから〜。護大に興味がないわけではありませんが、ま、こっちが優先ですね〜」
 大鍋の中をこれもまた大きめのおたまでかきまぜ、カンタータは一口味見をする。
「う〜ん。もう少し味が濃い方が良いですかね。朔さん達は味噌汁を作るのでしたっけ?」
「味噌汁、というか豚汁、ですね。こんな時ですから、暖かいものを食べることで心と体が安らぐように、というのはカンタータさんと同じですから。後はおにぎりも」
 小首を傾げて問うカンタータに朔は静かに笑う。カンタータもそれを受けて笑みを返した。
「なら、もう少し味は濃いめにしてみましょうか。その方がパンプーシュカやおにぎりがおいしく感じるでしょうからね〜」
「そうですね…。ありがとうございます」
 てきぱきと大量調理をこなす二人に
「朔さん、カンタータさん。こちらはもう運んでもいいでしょうか?」
 泉宮 紫乃(ia9951)がそう声をかけた。彼女が運ぼうとしているのはカンタータが用意しておいた山盛りのパンプーシュカ。
 ちなみにパンプーシュカとはいわゆる揚げパンである。
「用意が出来ていたみたいなので、暖かいうちに食べて頂きたいと思いまして…」
「紫乃さん! そんなに大丈夫ですか?」
 朔が慌てて駆け寄るが、大丈夫と紫乃は答える。
「これくらいは大丈夫です。おにぎりも、もうできています。用意ができ次第運べますよ」
 顔は笑みを浮かべているように見えるが…、紫乃が一生懸命笑顔を作っていることが二人には解った。
 だが、今は彼女の為にそれに気が付かないふりをする。
「解りました。じゃあ先に持って行って下さい。カンタータさんの料理はあとどのくらいでできます?」
「もう少し煮込めば完成です。出来上がったら暖かいうちに食べて貰いたいですね〜」
「では、紫乃さん。それを置いたら救護所や、手の空いている人に声をかけて頂けますか?」
「はい。解りました」
 細い手で大きなお盆を運んでいく紫乃を見送ったカンタータは小さくないため息をつくと朔を見た。
「大丈夫なんですか〜?」
「今は、仕事をしていた方が、気も紛れると思いますから。…大丈夫です。後で…行きます」
 その声音と、鍋に集中しているように見せる朔の表情を見たカンタータは静かに微笑んだ。
 そしてそれ以上は何も言わず仕事に励むのであった。

 崩壊した建物の修理は諦めるにしてもまだそこが拠点となる以上なるべく危険が少なくなるように応急処置を行う必要はある。
 全体の調査を静乃に任せ、劫光は璃凛と朋友の双樹と共に危険個所の確認と応急処置にあたっていた。
「劫光殿。私は何を手伝えば良いか?」
 神凪瑞姫(ia5328)は劫光にそう問いかける。
 瑞姫は劫光が率いる小隊伏龍の一員でもあるが、璃凛の姉でもあるということは入隊の時に聞いていた。
『妹の璃凛が、世話になっている。あやつのこと、気にかけてくれてすまぬな』
 妹の事を、とても心配している事も…。
「姉さん…」
 普段とは違う反応を示す璃凛に小さく笑って劫光は
「じゃあ、二人で城壁の上の方を回ってくれ。崩れの酷い所にはロープを張っておいてくれるとありがたいな」
 そう指示をした。
「先輩!」
 劫光はそれだけ言うとさっさと行ってしまったので、二人がその場に残される。
 姉がここに来たのは自分を心配してくれたからで、劫光が二人一緒の仕事を指示してくれたのは、二人で話をするようにという意味だろう。
「では、璃凛。仕事に入るか?」
「あ、うん」
 璃凛は解っていた。
 先輩である劫光と姉である瑞姫。
 どちらも自分をとても心配してくれていることが…。
 彼らの思いが胸の中で温かい光となって溢れるようだ。
 城壁の上から下を見下ろすと色々な人が見える。
 外の森を歩く青嵐。向こうで荷物運びをしている竜哉(ia8037)はあまり見ない顔であるが、確か青嵐の知り合いであった筈だ。
「あ…」
 璃凜は眼下のある場所を見て声を上げた。
 中庭の一角。そこでは透子と幾人かの兵士、陰陽師達が先の戦いで命を落とした者達を埋葬していたのだ。
「…これは戦だからな。どのような形であろうと死者は出るものだ」
 作業の手を止め呟く瑞姫に璃凛は頷くことができなかった。
「雷太…」
 脳裏から今も消えることのない少年。目を閉じても頭を振っても振り払えないその影を璃凛は心の中で見据えると
「姉さん…」
 そう呟いた。
「なんだ?」
「…相談があるんだけど、聞いて貰えるかな?」
 瑞姫の答えは勿論決まっていた。
「言ってみるがいい。聞いてやろう」
 と。

 璃凜が見た通りの場所で透子は見た通りの事をしていた。
 城の中庭の一角に、兵士達と一緒に穴を掘り、布で包まれた遺体を埋葬する。
 戦いで死んだ者達の弔いを透子は進んで手伝っていたのだ。
 土をかけまにあわせの墓石を置く。
 本当なら花でも手向けたいところであるが、まだこの季節、野に咲く花は本当に少ない。
 だから透子は祈りを捧げた後、目を閉じるとそっと術を行使した。
 瘴気回収と、夜光虫。光の虫が周囲を飛び回る。
 昼間の光の中に溶けて、夜光虫は殆ど見えないが、どこか楽しげにも見えた。
「無念を残した皆さんが瘴気を呼びアヤカシと化して人に討たれるのは哀しいものです。だから、せめて光となって自由に舞って下さい」
 透子はそう虫たちに呼びかけて空に放った。
 瘴気回収と言う術は、研究の結果、周囲の瘴気を減らす効果は無いという結論が出ていると言う。
 架茂王も迷信、自己満足の域と断じていた。
「…でも」
 透子は虫たちを見送りながら自らに言い聞かせるように呟く。
「渡りの陰陽師の弟子ですから。
 それに弔いとはそういうものとお師匠様も言ってたので」
 死者の為以上に、生きる者達の心の為の作業が葬儀と言う行為なのだ。
 再び瘴気回収を行った透子は消えるまで虫達に力を送る。操作はしない。
 飛ぶに、消えるに任せる。
「まだ生成姫への無念が残っている方は…力をお貸し下さい。あたしがお運びします」
 自由に空を飛ぶ虫たちは、太陽の光に溶けるように消えていったのだった。

●誓いと祈り
「皆さん〜。お食事が出来ましたよ〜」
 紫乃の呼び声と煮えた野菜の甘い匂いに誘われるように兵士達が広間に集まってくる。 
 そこで彼らは歓声を上げた。
 まだ湯気の上がるパンプーシュカとおにぎりの山。
 そして湯気を立てる大鍋から漂う匂いは彼らの食欲を直撃したのだ。
「みなさまごきげんようー。お疲れ様でした、暖かい食べ物を準備しましたので移動前に召し上がってくださいなー」
 木の椀に紅汁をよそいパンプーシュカを添えて差し出すカンタータの周りにはたちまち人だかりができた。
「おいしい!」「初めて食べるがなかなかいけるな」
 そんな声が周囲に花のように咲いた。
 また朔の周りにも人が集まる。暖かい豚汁におにぎりは炊き出しの定番である。
 嫌う者はあまりいない。
「良ければおかわりしてくださいね。幸い備蓄には余裕があります。
 暖かいものを食べてお腹が一杯になれば気持ちにも余裕ができますから」
「食べ、温まる、それだけで少し安らぎ落ち着けますから…ね」
 朔と紫乃の言う通り、食事に集まる者達の顔からはほんの一時であるかもしれないが最前線に立つ者の不安や恐怖が 消えうせていた。
「あ〜、暖まる。美味しい!」
 嬉しそうに汁をすする折々。その側に
「流石陰陽寮の誇る料理名人ですね」
 いつ、来たのだろうか?
「…寮長…」
 朱雀寮長、各務紫郎が立っていた。
「寮長…」
 朔も、紫乃も寮長を前にした時、思う事はたくさんあった。言いたいことも同じように、だ。
 何でも知っていて、常に二歩三歩前から自分達を導いていた寮長は透が裏切ることを知っていたのでは、透の正体ももしかしたら。
 そんなことを考えずにはいられなかったのだ。
 朔の気持ちを知ってか知らずか、寮長は独り言のように呟いた。
「七松 透。
 彼の真実は、私も知りませんでした。ただ…彼が陰陽寮に来た時、嬉しかったことは覚えています。遠い昔、彼によく似た子供を見たことがあったのです」
「え?」
「性質の良くない旅芸人一座でこき使われていた子供。他人の空似であったかもしれないけれど、彼が成長し、戻って来てくれたような気がして…。
 実際、彼は良い生徒でしたよ…。懸け橋になりたい、とよく言っていました。陰陽寮で学んだことを、西家で育ていつか多くの人々の為に使ってくれることを願っていました」
 一度、目を閉じて後、再び目を開けた彼は五行に属する陰陽師の顔をしていた。
「とはいえ、私はこの国の陰陽師。五行国と陰陽寮の為に戦うことしかできません。
 彼が、敵として現れるなら寮長として、向かい合うのみです。それが、彼の望みや願い。命を断つことになったとしても…」
「すみません。私…救護所に行ってきます。お食事と…、頼まれていた薬草と消毒した道具をもっていかないと…」
 一礼し、逃げるように去っていく紫乃を朔は追おうとする。
 だが、その前に振り返り、
「寮長…」
 寮長の前に立つと朔は足を止める。
 そして、悩み、考え、その果てに心から湧き出た言葉を告げた。
「過ごした時はまやかしでなく、絆を信じる事を、信じ続けられる思いを作る世界を、与えてくれてありがとうございます」
 深くお辞儀をして後、彼は紫乃の後を追いかけて行った。
「…寮長、話がある」
 佇む紫郎に劫光がそう呼びかけたのは、その後の事である。

 小隊アルボルの女性達が開いた救護所には長く人が切れる事は無かった。
 長い戦と籠城で直接の重傷者、軽傷者以外にも体調を崩していた者などが城には多くいて、彼らが美女の揃った救護所に、これを機会にとやってきたから、である。
「大丈夫、ただの風邪だよ。そんなんでオロオロしてたら、そこらで休んでる重傷者達に笑われるよ」
 レムリアはだるさと頭痛を訴える兵士の一人に笑いかけると、ピンと軽く額を指で弾く。
 まるで子供に母親がする様な優しい仕草に、兵士は苦笑しながらも礼を言って退室していった。
 小隊の医師である雫がまず怪我人の様子や状態を識別診断して、巫女の力が必要な患者と、一般治療で対処できる人を選別する。
 それに合わせて巫女であるめいとレムリア。そして芙舞が適切な手当てをしていくのだった。
 幸い、治療に必要な薬剤は支援物資として届けられていたので、当座持ち込んだ分は使わずに済みそうだった。
「これくらい…大丈夫です」
 と怪我を隠していた青年の腕は毒を受けており壊死寸前であった。
「大丈夫ではありません!」
 白き翼の巫女が術を行使する。
 解毒と白霊癒による治癒で黒ずんでいた手に血流が戻って行くと唇を噛みしめていた青年の表情もフッと緩んだ。
「まだ先は長いんだから、あまり無理し過ぎちゃ駄目よ」
「はい…すみません」
 彼はそう言って芙舞に頭を下げたと言う。
 一方では生死を彷徨う重傷者も多く存在した。
 彼らに術を行使し続けるめいは術の発動ごとにこう告げていた。
「決して見捨てる事はありませんから…安心して休んで下さい」
 齢80。母どころか祖母にも近いめいの慈母の微笑みと言葉、そして治療を受けて、彼等は心から安堵して休息の眠りにつくのであった。
「傷の所為で熱が出ただけだよ。毒は受けてないから、手当の後はしばらく安静にね」
「ありがとうございます」
 雫に心からの感謝と共にお辞儀をして一区切りの患者が退室したのはお昼もかなり回った頃の事。
「雫さん、めいさん、芙舞さん、こちらの割り当てはそろそろ目途が立ちそうだけど、そちらは?」
「こちらも、落ち着きました。少し、休憩しましょうか?」
 めいの言葉に彼女らはホッとしたように笑みを浮かべ頷く。
 丁度、その時であった。
「お疲れさまです。消毒した道具の追加とお食事、持ってきました」
 紫乃が扉をノックしたのは。
「あら、良いタイミング。ありがとう」
 扉を開け、レムリアが紫乃を迎え入れた。
 差し出された盆を受けとった雫が、じっとそのまままっすぐに紫乃を見つめている。
「あの…なんでしょう?」
「貴方、悩み事があるんじゃないですか?」
 ぴくん。紫乃の肩が揺れた。
 流石、治療と看護を得意とする小隊アルボル。
 人の観察と判断の眼力は鋭いのかもしれないと紫乃は息を呑み込んだ。
「あらあら。驚かせてしまったかしら。そんなに警戒しないで。大丈夫。ごめんなさいね」
 めいが、宥めるようにそっと言うと、微かに震える紫乃の手を取った。
「人は一人として軽んじて善き命など無く…須らく天命を全うすべく、命を大切にしなければならないのですよ…。貴方が、何に悩んでいるか、私達には解らないけれど、貴方を支えてくれる人が必ずいますから、その人と共に前を向いて頑張って下さいね」
 重なる手から伝わるぬくもりと優しさ。紫乃は微かに目元に何かを滲ませて
「ありがとうございます」
 と彼女達に頭を下げたのだった。
  
「お疲れ…さま。…差し入れ」
 城の屋根の上、警戒を続けていたからすは、ふとかけられた声に振り返った。
「おお、ありがとう。丁度腹も減っていたところだよ」
 安定の悪い屋根の上を懸命に上ってくる静乃に礼を言って、からすは静乃から貰ったスープとパンとおにぎりを頬張りながら、周囲を見つめた。
「あと少し、お願い…します。でも、無理は、しないで…」
「ああ、心配ありがとう。何、職業柄待つ事には慣れてる」
 周囲への警戒は怠らず。しかし彼女は
「君達も、いろいろ大変なようだね」
「?」
 少女へそう言って笑みを落した。
 目を瞬かせ、首を傾げた静乃の前でからすは無言のまま指で城内の一角を指し示したのだった。
 そこに砂埃が立っている。
「な、何?…?」
 青嵐と竜哉。
 二人が手合わせというにはあまりにも真剣な攻防を繰り広げていたからである。
 人形遣いである青嵐は人形を使ってはいない。
 さっきまで鋼糸を使って戦っていたが、今はそれすらも捨て、取っ組み合いの殴り合いである。
「…あの二人、何をして…るの?」
「さてな、まあ、ケンカするほど仲が良いという奴であろう」
 くくと笑うからすの言葉を聞けば本人達はおそらく否定したであろう。
「心配だから…行って来る」
 そう言って屋根から降りた静乃を見送りながら、からすは楽しげに眼下のケンカを見つめるのだった。
 
 事の発端は周囲の調査から戻ってきた青嵐がしていた行為に発する。
 先の鬻姫との戦闘で壊れた陰陽人形 紫陽花。
「ずいぶん可愛らしいことをしているな」
 そのおそらく人形の欠片であろう木片を拾い集め供養する青嵐に竜哉がからかうように声と鋼糸の攻撃をかけたのがケンカの発端である。
「ま、人形だけの話ではないか。お前らは『子供達』に過保護で感傷的だ。まるで溺愛していた子供に裏切られた母親のようだ。あんなに愛していたのに、信じていたのに、何故、とな」
『子供』
 その呼び名は朱雀寮の者達の心を抉る言葉である。まして一時、同じ委員会の先達として慕った青嵐には尚更の事。
 そして勿論、竜哉はそれを解った上で使っているのだろう。
 自分の中で何かがプチンと切れた音がしたのを青嵐は感じていた。
「お前に何が解る! 部外者が余計な口を挟むな」
 竜哉の初撃はおそらく手加減をしていたのだろう。なんなく躱した青嵐は避けると同時に鋼糸での反撃を返す。
 怒りの籠った反撃をこちらもなんなく躱して切り返す。
「どんな理想であれ、それに殉じた奴は幸福だったろ。それを他人が不幸と決めつけるのは傲慢ってもんだ」
 人間、図星と痛い所を突かれると攻撃的になる。
「黙れ!」
 後はもう相手を殺す勢いのケンカの始まりである。
 竜哉の首元を狙って青嵐の手刀が閃く。
「くっ…」
 とっさに避けて体勢を崩した竜哉の足元に鋼糸が絡むが、竜哉自身も鋼糸使い。さっと足を引いて躱すと青嵐の手元に蹴りを叩き込む。
 勢いがついた攻撃に痺れる手から鋼糸が落ちる。
「救う、何て傲慢な事は出来やしない。紫陽花に「砂漠で咲け」と言った所でそう簡単な事ではあるまいよ。
 生き方の根っこを変えるとは、そういう事さ」
「煩い! お前に言われる筋合いはない!」
 青嵐も竜哉の手元を集中攻撃で狙う。息もつかせぬ怒涛の攻撃に竜哉もやがて武器を捨ていつ果てるともない己が身一つの攻防が続く。
 だが、それは唐突に終わりを告げた。
 青嵐の放った拳が竜哉の鳩尾にめり込むと同時、竜哉の渾身の蹴りが青嵐のこめかみを捕えたのだ。
 二人はそのまま地面に崩れ落ち、地面に大の字に転がった。
 気が付けばもう周囲は薄紫に染まって夕暮れの気配を漂わせている。
「…何を考えているかは知らんが、他人様の生き様否定できるほど俺らも真っ当な生き方はしてないだろう?
 息を切らせながら先に身を起こしたのは竜哉であった。
「どう在ろうが末期に笑えたなら幸福さ。なあ……」
 手当に戻ってきた静乃の気配を感じたのだろう、小さな呟きを残し去っていく竜哉が残した声を勿論、青嵐は残らず捕えていた。
「この場で、兄と呼ぶ…か」
 苦笑しながら身を起こす。
 全身痛くないところなど無いが、それでも気持ちは何故かスッキリしていた。
「思いのままに駆け抜けられることが羨ましい、とは俺らしくもないな」
 あの男は今、何を思っているのだろうか? 何を望んでいるのだろうか?
 最期の瞬間に笑えるのだろうか?
「最期に笑わせてやるのが、俺達の役目…か?」
 もう一度青嵐は地面に大の字になった。
「…大丈夫? 救護所に…」
 静乃の声が遠く聞こえる。
 漆黒に染まりかけた夜空に流れる星にも似た虫がゆるり、ゆらりと舞っていた。

「まったく、男って本当に子どもなんだから」
 二人の争いを城壁の上から見ていた胡蝶は呆れたように息をついて後、夕闇に染まる大地を見つめた。
 来るべき決戦の日に、どの戦域に向かうかを思案する。
 与治ノ山城の城壁から見るのは、白立鳥の森と渡鳥山脈。
 これまでの戦いの継続か、生成姫を追って山脈に移動するか。
 その両方を見据えて後、
「…白立鳥の森ね」
 胡蝶は結論を出した。
 心情的には、生成姫の所業に思うところは多い。今も許せないと、叶うならこの手でと思う。
 だが…理性的に考えれば、生成姫への敵意に乗せられて精鋭が渡鳥山脈に集中し、他戦域の戦力に低下が出る危険を感じるのだ。
「敵を正面から迎撃する。狙うは龍笛…」
 小規模とはいえ小隊長、仲間の命を背負い、作戦を決めることへの難しさがある。
 でも、一人ではないからこそ選べる道もある。
「透。貴方はどんな道を選ぶのかしら」
 応えの返らない問いを空に放って後、胡蝶は城壁の上から静かに消える。
 彼女の退場を待っていたかのように周囲は漆黒のカーテンに包まれていくのであった。

 薄暗闇の中、歩く劫光を
「先輩」
 呼ぶ声があった。
「璃凛…」
 手に持った灯りを掲げ劫光は後輩の名を呼んだ。
 見ると背後には瑞姫。そして、今までになくすっきりとした笑顔を浮かべている。
 劫光はフッと微笑んだ。
「そうか。やっと吹っ切れたか?」
「吹っ切れた、というわけじゃないけど…道が見えた様に思います。聞いて、貰えますか?」
「聞こう」
 頷く劫光に璃凛は一度だけ後ろを振り返り、深呼吸。
 そして、宣言するように告げた。
「うちは西家の陰陽師になってみせます。その為にも最後の戦いでは小隊の方針に従って透を見つけだし、捕えます」
「捕える? 倒す、でなくていいのか?」
「多分、雷太はそれを望んではいないし、彼のヤリ方は解らないけど、敵だとは限らない。捕えた後は…先輩達に委ねます」
「解った」
 璃凛の出した結論を小隊長として、先輩として真っ直ぐ受け止めるとその大きな手で璃凛の頭を撫でた。
「随分落ち着いて結論を出せたな。偉いぞ」
 褒められて照れるように身を竦めた璃凜は後ろを振り向く。
「…それは、姉さんや先輩、皆が側にいてくれると解ったから…」

『姉さん、うちは出来るだけ血を流さないで済ませたい。敵でしかなくても、戯れ言でも…』
『貫いてみせれば良いだろう』
『えっ?』
『何を驚く、それがおまえの出した答えなら、否定はせぬ。何もしてやれんが、決めた事は貫くがいい』
『姉さんも変わったね。その堅苦しい言い方は抜けないけど』
『そうか? …なっ、私の気にしていることを…』

(私をからかう余裕もできたか)
 腕を組み笑う瑞姫に
「うちは、あの時何にもいえなかった。思っていたことは、有ったのに」
 雷太の最期に何も与えてやれなかった。
 その後悔はきっと璃凛から一生消える事は無いだろう。
「だから先輩みたいにはなれないかも知れない。でも!」
 璃凜は顔を上げた。もう下は向かないと決意するかのように。
「超えてみせます! 自分の思いを曲げないためにも」
 背後で彼女を守る様に立つ瑞姫と目を合わせ、劫光は頷いた。
「そうだ。俺なんか超えて飛び越して行け。お前ならできる」
「はい! ありがとうございます」
 劫光は迷いを振り切った後輩を見送りながら、そっと襟元に手を触れた。
「璃凜に偉そうなことは言えないな」
 掌には朱花の感触がある。
「全ては生成が消えてから…か」
 さっき寮長とした会話が今も劫光の頭を支配していた。


「色々あるが…主には一つだ。あの娘、桃音はどうなったかわかるか?」
 劫光は紫朗にそう問いかけたのだ。
 桃音とは先に捕えた生成姫の子である。
 劫光は仲間達の反対を押し切り、彼女を生かしたのだ。
「教えることはできません。王にそう言われませんでしたか?」
 寮長の返答は解っていたが、そこで劫光は引くつもりは無かった。
「人として扱う、その言葉を疑うつもりは無い。だが『王』だ」
 国を秤にかける事になれば考えるべくもない。その考えを否定するつもりも無い。だが
「俺は約束した。必ず迎えに行く、と。約束を違える訳にはいかない。それが命を救った責任だ」
 彼は服の襟元に着けていた朱花に触れる。
「場合によっては、これを返そうかと思う」
「劫光さん?」
 目を見開く紫朗に劫光は強く朱花を握り締めた。
 未練が無い筈もない、この三年間は誇りと思える時間だった。
「だが、俺が俺である為に、何を捨てても会わなければならない。教えてくれ。寮長!」
 劫光の叫びにも似た声に紫郎の答えは、かつて王が告げたものと同じであった。
「今は、生成を斃すこと、そして『彼』を止めることだけを考えて下さい。その先に、貴方が望む未来があるかもしれません」
「寮長!」
 劫光をまっすぐ見つめて彼は続ける。
「桃音の扱いと命に関しては私が朱雀寮寮長の名に誓って保障します。ですから、今はただ…」
「目の前の課題に集中せよ。…か。解った」
 これが寮長の指示に従う最後の事になるかもしれない。
 それに透にどうしても問わなくてはならない事もある。
「今は迷うな。前だけを見るんだ」
 自分に言い聞かせるように言って彼は歩き出す。後ろを振り返らずに。

 気が付けば空には満天の星。
 その下で
「朔さん」
 紫乃は自分を追いかけてきてくれた大切な人の名前を呼んだ。
「はい。紫乃さん」
 優しく微笑む朔の笑顔を見つめ彼女は空を仰ぐ。
「…疑っておいて傷つくなんて、勝手ですね。
 信じきる事も、割り切る事もできない。
 どうしてこんなに中途半端なんでしょう。
 一人として軽んじて善き命など無く…須らく天命を全うすべく、命を大切にしなければならない。とめいさんはおっしゃっていました。
 当たり前の事、なのに私は桃音さんの命を切り捨てようとした。先輩や子供達の命も断じる方が幸せであると思いもした…」
「それは、貴女が優しいからですよ」
 そう言いたかった言葉を朔は喉元で止めた。星空を見上げる紫乃は懸命に涙を堪えている。
 押しつぶされそうな思いに耐えている。
 それを今、抱き留めてしまってはいけないと思ったからだ。
「……泣きません。
 今泣いたら、立ち上がれなくなってしまいそうですから。
 でも……全部、終わったら。少しだけ、背中をお借りしても良いですか?」
 微かな雫を手で払って朔を見つめ、微笑みかけた紫乃に朔は笑って頷いた。
「紫乃さん…背中といわず、胸でいかがです? 包み込み離しませんから、好きなだけですよ? 紫乃さん専用ですから」
「朔さん…。ありがとう」
「おや?」
 朔は微笑んだ。紫乃の髪に夜光虫が止まっている。
 それはまるで髪飾りのように紫乃を美しく照らしている。
「どうしましたか?」
「いえ、何でもありません。さて、そろそろ戻りましょうか。後片付けと夕飯の支度にカンタータさんが苦労している筈です」
「はい」
 手を繋いで歩き出す二人の道を照らす様に夜光虫は再び空に静かに舞っていくのであった。

 それを空からからすが見つめる。
 皆が眠り休むこれからの刻も彼女は気を抜くつもりは無かった。
 側には暖かいお茶と差し入れ。
 そして心の中には、これを運んできてくれた仲間との約束。そして…誓い。
「この休憩中こそ最も警戒すべきなのだ。
 特に丑の刻から虎の刻。
 ヒトは眠らねばならぬがアヤカシは動くからね。
 だから、皆…休める時に休んでおくといい。その眠りを、安らぎを、私は守る」
 彼女はその誓いを最後まで貫き通す。
 夜空の星が消えるまで。夜光虫が光に溶けて消えるまで…。 

●光の中の出立
 翌朝、快晴の空の下。
「よしっ! 準備完了! 凛ちゃんもお疲れ様。これで、万が一の事があっても直ぐに移動できるよね」
 支援物資の整理と梱包を終えた折々はぱんぱんと手を叩き、そしてガッツポーズをとった。
「お疲れ様です〜。片付けを手伝えなくてすみませんね〜。どうも料理道具以外の片づけは苦手で〜」
 苦笑するカンタータに大丈夫と笑いかけて折々は周囲を見た。
 与治ノ山城に開拓者が集まりつつある。それを迎える為の準備は整った。
 仲間達はそれぞれに昨日までと浮かべている表情が違う。
 皆、ある種の気持ちの整理をつけたようではある。
 まもなく出撃。
 開拓者達は知らず、互いの顔を見つめ合った。
 戦場で治療に当たる者。援護に入る者。仲間を守る者。
 強大な敵に直接挑む者。
 そして…かつて、仲間だった相手を追う者…。
 それぞれの戦場を問いはしなかったから、もしかしたら戦場で出会う事もあるかもしれないが、どこに向かったとしても、今回の戦い。必ず共通していることがある。
 今までにない程に厳しいものになる。ということ。
 もしかしたら、これが最期の別れになるかもしれない。と、いうことだ。
 誰もの頭を過った思いを、折々は首を横に振って降り払い、笑って見せた。
「……正直、考えなくちゃならないこともやらなけりゃならないこともは山積みだけど。
 明日、どうなるかも解らないけど。
 それでも、王様と西家は一歩、歩み寄った。
 それでも、生成姫の子供たちを救うことも、できた。
 雨が降って地面が固まるまで、どれくらいかかるのかは分からないけど……。
 この戦いが終われば、これをきっかけに五行は、変わることができるかも知れない。
 そう思うんだ。
 だから今は目の前にあることをひとつずつ、だね。それが戦いであっても変わらない。自分のできることを全力でやり遂げて来よう!」
 皆、頷く。勿論、誰一人、死ぬつもりも、負けるつもりもない。
 必ず、勝利し、生きて帰るのだ。
「では。行ってきます。透さんのこと、頑張って下さい」
 深くお辞儀をして透子とカンタータが旅立ったのを合図にして、開拓者達はそれぞれ、歩き出す。
 もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないけれど。
 だからこそ誰も、さようならなどという別れの言葉を置いては行かなかった。
 目的を果たし、必ずまたどこかの依頼で、または陰陽寮で当たり前のように会える。
 そう信じているから。
『皆様、どうかご無事で…』
 城を離れていく開拓者達をからくり凛と各務紫郎は
「どうか、皆の上に光がありますように…」
 祈る思いで見送るのであった。


 静かな時が流れる、とある拠点の、とある部屋。
 そこに少年の姿は有った。
 焦りや怯えの色は無い。
 何をするでもなく、ただひたすらにそこに居る少年の前には半紙と墨が用意されていた。
「…うん」
 一言と共に頷くと、彼は筆を手に取り、言葉を紡ぎ始めた。
 それは少年が胸に抱く一途な思いをそのまま文章にしたものであった。

『今まで、本当にお世話になったのだ』
 そう書きだされた紙には
 自分が天儀を去ろうとも笑顔で居て欲しい事。
 我が儘を言い続けてすまなく思ってる事。
 作戦はきっと成功しない事。
 成功しなければ契約に基づく事。
 桃音にはありのままを伝えて欲しい事。
 開拓者になれて、陰陽寮に入れて、幸せだった事。
 彼の思いが偽らない思いで記されていた。
 そして紙の最後を埋めた言葉は

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」
 
 まっすぐな感謝の思いであった。

「…ん。これで良し、なりね」
 静かな部屋に言葉を残し平野 譲治(ia5226)は部屋を出た。
 彼は一人、生成姫に対峙するつもりであったのだ。
 契約と言う少女との約束を、命を賭けて守る為に。
 どんな結果が先に待っているかは解らない。
 強敵と大きな戦の中で、彼一人の力は戦況を大きく揺るがすものにはならないだろうと思う。
 死の可能性も大きい。
 けれど、彼を待つ空の先は限りなく青かった。
 振り返っても心残りは見つからない。
 彼の心に迷いは何も無かったのだ。
「行ってくる、のだ」
 一人返事の返らない挨拶を残し、戦場に旅立つ。

 その頭上に昼の光に溶けた夜光虫が、彼の決意を静かに、見守る様に飛んでいた。