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『額縁の向こうの彼女』

『額縁の向こうの彼女』

鰯雲の狭間から夕暮れ前の光が漏れだし、濃い青が顔を覗かせていた。
僕は雑多な商店街からそれを見上げ、静かに足を止めた。
甲高い声を上げながら白く鋭い鳥が一羽、遠くの山へ飛び去っていった。

何か用事があって出かけた気がするのに、それを思い出すこともできない。
写真展なんてものには入ったことはおろか、興味を持ったこともないのに、いつの間にか、本当にいつの間にか、僕は見知らぬ街で行き場をなくした猫のように、聞いたこともない男の撮った写真展に迷い込んでいた。

受付に置物なんじゃないかと思うような老人がいるだけで、人の気配はない。
無機質な狭い空間に、乱雑とも思える程大量の写真が飾られていた。
海を優雅に泳ぐクラゲ、いたわり合う鹿達、果てへと続く線路、植物の巻き付く廃墟、どこかへ帰って行く兵隊、見たこともないような色で輝く蝶。
何の共通性もない、ただ美しいとも悲しいとも言い切れない、どこか寂しい画だった。

何なのだろう、ここに写っているもの達は、何を失くしてしまったのだろう。
きっとこうして流れる時を生きている僕らも、いつも大切なものを落っことし続けているのだろうけど、何故かここにある写真達は一つ大きなものを失ってしまっているように見えた。
どこか遠くを見つめる猿の親子からも、電線が巡る夕焼け空からも、川辺で火を囲むどこかの民族からも、宙ぶらりんになったそれが彷徨っている風に感じられた。

気付けば僕は、ある一枚に行き着いていた。
それは別段目立つ位置にあるわけでもなく、延々と続く風景達の中にただ佇んでいるだけなのに、僕はそこから次へ目を移そうとはしなかった。

褐色肌の少女は頭の上の荷物を手で支えながら、屈託ない笑みをこちらに向けている。
くだらないことだけれど、きっとその生活は僕らが悲劇と呼ぶようなものに違いない。
しかしこの額縁の中で、彼女は永遠の日射しを浴び、いつまでも幸せそうに笑っている。
この空間の向こう側は、一体どこへ繋がっているのだろうか。
そこは何の苦も貧もない、幸福の世界なのだろうか。

そこまで考えて、外へ出た。
いたたまれなくなったのではない、僕はそれ程傲慢な人間ではないと思う。
空を見上げると、陽は落ちかけ淡いオレンジに染まっていた。
時間の隙間にでも立ち入ってしまったかのように、あれから長く経ったような気がする。
彼女に会ってみたいなと、それだけはほんの少し思った。

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『仕合』

『仕合』

夜、通りには人一人いない。
いや目が慣れてくれば、二人の男がそこに見える。
身動きしない二人が、手に刃を持っている。

刀を構えるとき、人は一つの星を成す。
即ち、その半身を分けての陰と陽である。
鞘を携える側を陽とするこの捉え方は、対して利き腕に属する側面、陰が得物によって攻めがたいところから来ている。

脇に構えると分かりやすい。
自身の陽を無防備にさらけ出すことで陰は更に濃く、手の届かぬ場所へ堕ちていく。
更にこれは、相手を誘う一面の陽と、深さ間合いを計らせぬ陰という攻めの見地もある。
ここから斬撃を繰るとき、胴を払ったとしよう。
刀の月光と共に、陽は隠れ、陰が露わになる。
落ちる間際の夕焼けの陽、月隠れ帳の降りた陰、時の谷間に死が潜む。

今彼が対している男は、腰を落とし、刀を収めた鞘に手を添えこちらを注視している。
言うまでもなく、居合いである。
改めて奇妙な構えだ、彼はそう思った。
表面構造だけをさらえば、前述の脇構えの変形と言えなくもない。
だが居合いでは陰が前に浮かび、月も陽の中で鞘に隠れる、それは闇の剣だった。

やりづらい。
居合いは決して万能とは言い難い構えだが、やりづらいの一言は誰もが口にした。
彼がしている正眼、刀を前に出す構えと比べれば自ずと見える。
自身の間合いを申告しそこを縄張りとするようなこの構えは、当然守りやすいが敵の懐に入るのは一苦労である。
だが居合い含む脇構えは、目に見える形で間合いが存在していない。
特に居合いはその速さと一見無防備な姿に、対した者は得体の知れぬ深淵を見ると言う。

さて、どうしたものか。
居合い者は動かない。
奴らは後の先を取ることで、その間合いと時を、遠大に見せようとする。
しかしこちらから動かねばじりじり詰め寄られ、見えぬ暗所に引きずり込まれて没すのみ。

振り出せば死ぬ、振らねば窒息。
ならば振らずに、駆けろ。
だっと、彼は走り出した。

速い、それもそのはず。
彼は間合いの外でも内でも、刀を全く振らなかった。
振らずにいた分、距離が伸びる。
陽から抜かれた居合いの剣の、更に後ろを駆け抜けた。

陰に駆け込み、地を踏みしめると、背中にひやりと刀が触れた。
わずかな痛み、ここより一歩でも行けば己の刃が届かない。

一閃。
窮屈な雲間から、月に照らされた銀光が伸びる。
陰の陰。
男は振り抜いた姿のまま、背から一文字の血を出して崩れた。
真っ暗闇の暗がりに、光が射した瞬間だった。

「いい月、見れたかい」

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『二人の雨』

『二人の雨』

笠を目深に被った男は、降りしきる雨の中でじっと突っ立っていた。
薄く雨音が続くだけで、辺りは静寂と言える。
使われることのなかった大道芸の道具が、一層音を消して見えた。

「この天気、長いみたいだね」

傘を差した女が一人、いつしか後ろに立っていた。
赤い着物が晴れやかで、男の黒とどうにも映える。
男は振り向きもせず黙りこくって、彼方の山でも眺めているのか、それともよどんだ空を睨んでいるのか、意地張る子供のように腕を組んでいた。
女はくすりと母のような笑みを浮かべ、一歩歩んで横に並んだ。

「芸人殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降りゃあいい、か。上手いこと言うね」
「馬鹿、笑い事じゃねえだろ」

男は女の方を向き、今度はばつが悪そうに咳払いした。
声も漏らさず、泣いていたからである。
涙は微笑んだ口元を過ぎ、濡れた地面へ溶けていく。
それでも女は顔も伏せず目もつぶらず、強く気丈に、泣き続けた。

「すまん」

男の悪い癖だった。
その不器用な優しさが何度女を傷つけたかも分からぬが、男はよく女のために謝った。
謝ることでどうなろうとか、どうして謝るかとか、そんなことは一つも分からないのだ。
ただ男は女を愛していて、女が泣くのがひどく悲しくて、だから謝った。
そんな男が好きだから、いつしか女は声を上げずに泣くようになったのかもしれない。

ここにいるのが辛くなったわけではない。
ただの町外れの汚い広場だが、ここは二人にとって思い入れのある場所だ。
思い出を手繰れば嫌なことしかなかったが、それでもここを嫌いにはしたくない。
そんなくだらない強がりに、女は笑顔で付き合ってきた。
しかしもう、どうにも涙が止まらない。
女も今、自分が何に泣いているのか分からないくらいだった。

「そろそろ、潮時かもな」

飯でも食うかと、まるでそんな口ぶりだった。
事実男にとっては、そうだったのかもしれない。
いつか女に言い出そうと、幾度反芻したかも分からぬ言葉だ。
男は一歩進んで、女がどんな顔をしているか見えないようにした。

「あんた、本当に馬鹿だよ」

傘を落とし、女は男の背を抱いた。
怒るでも嘆くでもなく、もう一度、馬鹿と呟いた。
しばし静けさが戻った後、やはり男はすまんと言った。
互いに表情は見えずとも、二人が微笑んだことは、共に知っていた。

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『死の予兆』

『死の予兆』

四角く切り取られた青空を見ていた。
窓から差し込む陽の光すら眩しく、久しぶりに開けた景色を前にして、胸が詰った。
やつれた頬と細めた目が手前のガラスに映り、僕はむしろ、そこに生を感じた。
ここ数日、病気を患っていた。

身体が弱っているときの病だと医者は言った。
若者でかかるのは珍しい方だが、別段心配する程でもない。
しばらくは栄養と睡眠をたっぷり取るようにと。
数日経った今、まだ違和感は残るものの、確かに僕は生き残ったようだった。

こんな青二才が言うのはおかしなことだと思うかもしれないが、今回のことに限らず、僕は最近になって死の予兆というものを常々感じていた。
それは最初、日常の風景の中に密かに紛れている程度だったが、ふと気が付けばひたひたとその歩を進め、今では振り向くといつでもその存在を見て取れる程になっていた。

不思議なことに、恐怖や不安に駆られるといったことはあまりなかった。
僕はただ死への入り口を見つめ、じっと佇んでいた。
恐れたところで、何かあるわけでもない。
それが来たときには、ただ死ねばいい。
言い聞かせるわけでもなく、静かに、そう思っていた。

昨日起きなかったことが今日起きるはずもない。
同様に、今日なかったことがこれからあるはずもない。
死という一点が僕の線上に現れたとして、それを境に、あるいは今このときを境に何かが変わることなど、ありはしないのだ。
だから精一杯生きろ、そんな野暮な言葉もいつかどこかで聞いた気がするが、今はただ何もかもが、その口々を閉ざしていっていた。

暗い部屋で横たわっている間、天国の扉だとか、天国への階段なんて曲ばかりを聴いた。
一番落ち着いたからだ。
それは今も変わらなく、僕はこうして明るい空を眺めているこのときも同じ曲をかけている。
天国なんてない、死にたいわけでもない。
あがいているわけでも、絶望しているわけでもない。
僕は明確に、生きていた。

鳥が一羽、鋭く西へ向かっていく。
まだ少し痛む右脇腹に手を当てながら、それを目で追った。
あの山を越え、あの鳥は何処へ行くのだろうか。
しばらく考えていたが、やがてその興味も失せ、僕は自室を後にした。

残されたその空間では、いつまでも緩やかな音楽が流れ続けた。
時が経つと強烈な西日が差し込み、部屋は紅く染まる。
そうして迎えた夜が過ぎれば、じきにあの四角い外に、また空が広がるだろう。

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『strayed』 00-01

次々と消えていく部下の信号を見ながら、私はアサルトライフルを握りしめていた。
こんなものが何の役に立つって言うんだ。
そんな言葉が心の中で反芻されながらも、それでも部隊長のみに携行を許されたこの金食い虫が今の世界にとっていかに貴重かを何度も計算しながら、気を落ち着かせていた。

「形態を報告し、射戦の確認が取れるならとにかく撃て! 奴らの領域も万能ではない!」

指示の間も、混乱に飲まれた声々がやかましく通信機にこだまする。
目の前に広がる荒野とも廃墟とも言い難い灰色の光景から砂煙が舞い、その音を吸った。
神に祈れと同意である指示しか出せない自分に罪悪感を感じない訳でもなかったが、ストレイド相手にそれ以上の何かを言える人間など、今彼ら以外にいるだろうか。

三度目の戦争を経てより多くのものを失った人類は、それでも戦うことをやめなかった。
失われた技術は犠牲者を得ることで新たなベクトルを選択し、不足する資源は戦争を小型化かつ拡散させる、そして情報と共に引き裂かれた境は国と企業の間を漂っていた。
ストレイドを踏み外した者と取るか、踏み出した者と取るかは、激減した人口と変わり続ける環境の中で今まさに議論の最中にあったが、企業の尖兵としてこうして戦場に立つ私達にとっては、彼らは脅威以外の何者でもなかった。

「武器は恐らくブレード型、ですが領域形成を確認できません!」
「補足しきれないのか?」
「いえ、領域そのものが……」

雑音に眉をしかめながら、思考を巡らせる。
ストレイドと一般兵を隔てる確かなものとして、領域は形成される。
それがないとすれば、攻勢と同時に展開することができないハングドしか定義としてはあり得ないのだが、この戦況は決して出来損ない一人でやれるものではない。

必死に睨むマップには、着実に近付いてくる死そのものが映し出されている。
こんなことは兵士になった当初から覚悟していたことのはずなのに、情けなくも、私は今になって強烈な恐怖に駆られていた。
視界の隅で砂塵が小さく巻き起こり、それは死に神の指先にすら見えた。
するとどこか他人事のような自嘲が、後方から急速に接近する男を知らせた。

「単騎とはな。舐められたものじゃないか、R.D.Sも」

徐々に深まる、領域による不快感。
どうやらこちらにもまともな兵器がいたらしい。
それに安堵を覚えるも、この色なき戦場はなおその場にいる私達に死を突きつけていた。



続きはこちらに掲載しています。
http://homepage3.nifty.com/L-o-S/text/strayed.html

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『雪消』

新年が明けると、それに合わせたように急に何一つやる気がしなくなってしまった。
それでこの一ヶ月というもの、ただぼんやりと本でも読んで過ごしていた。
その本も、なかなか進まなかった。

部屋の中で陽の光を追うように転がりながら文庫本を読んでいると、気付かない内に大分暗くなっている。
時計を見るとまだ四時を少し回ったくらいだ。
だが、どうも時間に迫られているように感じられて、いつも厭な気持ちになる。
知らぬ間に雲が増えてきたようなので、空模様を見るために窓を開けると、寒さで震えた。
どうしても冬は好きになれない。

少しすると、雪が降り始めてきた。
それは、積もりそうな程の粉雪だった。
今年はもう降らないのだろうか、そんな風に思う頃に、いつも降る。
これを見た途端、僕は本当に何もかも嫌気が差してしまった。

キッチンへ行き、冷蔵庫の中を見てから乱暴にそれを閉めると、数日前にポストに入っていた宅配ピザのチラシを引っ張り出してきて、電話を取った。
短い呼び出し音の後に出たのは、ハキハキした声の、若い女の人だった。
僕は適当に注文を告げた。
相手はそれを繰り返して、最後に大変申し訳なさそうに、どうやら今雪が降ってきてしまったみたいなので、お客様の家にお届けするまでに四十分程かかってしまいますが、それでもよろしいでしょうか、と聞いてきた。
四十分など、大した遅れとは感じない。
構わないと答えると、ありがとうございますと言われた。

電話を置いてもう一度外を眺めた。
雪は一層強くなっている。
普段は高いと感じ決して頼まないような宅配ピザを、こんなような時に限って何食わぬ顔で注文する自分が、卑怯な人間に思えた。

三十分経って、玄関のベルが鳴った。
開けると、白いものを肩や帽子にちらほらと乗せた女性が、笑顔で立っていた。
お待たせしました、と元気よく言う声が、電話口で聞いたものと似ているように思われた。
ぱっちりとした瞳、ほんの少し赤みを帯びた頬、化粧っ気の薄い唇と、帽子の後ろから出る束ねられた長い黒髪だけが、厚手の防寒着から見えた。

ピザを受け取り、三千円を手渡すと、彼女は小銭用のケースを取り出した。
しかし、手がかじかんでいてなかなか硬貨を掴めなかった。
ごめんなさい、と謝りながら、困った顔をした。
すると彼女は、ピザを入れる鞄の上でケースを逆さにして小銭をばらまくと、それから手早くお釣りを拾い上げ、こちらへ差し出した。
そしてにこやかに挨拶をし、そのままお金を落とさないよう注意しながら、扉に手をかけた。

「あの、いいですよ」

僕は思わず呼び止めた。
彼女はきょとんとした顔で、首を傾げた。
雪の降りしきる外へ出て、白い息を吐きながら、その硬貨を一枚ずつケースに収める姿を、見てしまったかのような気がした。
そんな酷い事があるかと、誰にでもなく、怒りを感じたのだった。

「ここで、しまっていって下さい」

もっとも、この場所もそれ程暖かくはなかった。
何より、いかにも偉そうな自分の物言いに、腹が立った。
それでも彼女は、本当にありがたそうに、すみませんと、一言だけ言った。

しまうのには時間がかかって、その間は二人とも口を利かなかった。
懸命なその様子を前に、僕には手伝える事など何も見つからない。
ようやく終わると、彼女はお礼を残して、また雪の中へ帰って行った。
冷たい風が吹き込み、ドアは閉まった。

僕はただ突っ立っていた。

しかししばらくすると、どうにもじっとしていられなくなって、目の前の扉を開けた。
何の音もしない。
真っ暗な空から、街灯に照らされた白雪が絶え間なく落ち、辺りは雪の香りで一杯だった。
そうか、そう言えば、雪には匂いがあったんだ。
そんな事がとても感慨深かった。

翌朝には、晴れた。
積雪が朝焼けに赤く染まり、眩しい。
やがて青空が一面に広がると、僕は外へ出た。
溶けた雪が落とす水滴が、そこら中で弾け輝き、美しい景色が広がっていた。
陽の下では、もうあまり寒さも感じなかった。

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