雨夜の望月  その日は朝から雨が降っていた。  <アンティークショップ・レン>は元々客足の少ない店であるが、天候が悪いとその足は更に遠のく。  雨は衰えることを知らず、店内では午後になってもひたすら閑古鳥が鳴いていた。  いつもならある程度見込める卦見の収入も、今日に限っては少々心もとない。 「お互い商売あがったりだねぇ」  声をかけたのは骨董屋の女店主、碧摩・蓮(へきま・れん)だ。  言葉のわりに、当の本人はあまり困っているようには見えない。  いつものように煙管をふかし、店の外を眺めては退屈そうにしていた。 「今日は、このあたりで切り上げることにします」  十分とは言えないが、一日をしのげるだけの収入はすでに得ている。  卦見が占い道具を片づけようとすると、蓮の制止がかかった。 「お待ち。こういう日は、何か面白いことが起こるもんだよ」  「もう少し待っていてごらん」と続け、煙管の煙を吸い込む。  蓮の意図はわからないが、長年ここに店を構える彼女の言うことである。  卦見は大人しく従うことにした。  それから一時間もしない時のことだ。  店内に一人の男が駆けこんできた。傘を持っていなかったのか、全身びしょ濡れのまま蓮のいるカウンターに詰め寄る。  男の歩いた場所に水たまりができるのを、卦見は何の気なしに眺めていた。 「何でもいい。何でもいいから、これを買い取ってくれ!」  背の高い痩せぎみの男で、サラリーマンという言葉が良く似合う。  ずれた眼鏡にしわの入った背広。店に入った時から落ち着きがなく、手にした風呂敷包みを抱え込み、しきりに何かを警戒しているようだった。  蓮はいつもの調子で対応すると、男に品物を見せるよううながす。  男が持ってきたのは大正か明治の頃に作られた花嫁かんざし一揃えだった。  銀と珊瑚をふんだんに使い、桐の木に鳳凰を配した細やかな細工が施されている。漆塗りの桐箱に入れられており、卦見の目から見ても高価な代物であると推測できた。  保存状態はかなり良く、ものがきちんと揃っているだけあって資料価値も高い。  普通に売れば結構な値の付く代物だが、夜ごと女がかんざしを求めて現れるとあって買い手がつかないという。  幽霊が出るのだ。 「そりゃきっと持ち主の女だろうねぇ。こんな綺麗な代物だもの。死んでからも手放すのが惜しいに違いないよ」  蓮はかんざしが気に入ったらしい。気前良く男の言い値で品を買い取った。  かんざしが自分の手から離れるやいなや、男はほっと安堵の息を吐いている。 「いやぁ良かった。これでわたしも安心して家に帰れます」  男は、そこで初めて店内を眺める余裕ができたらしい。  店の端でことの成り行きを見守っていた卦見に気づき、声をかける。 「ああ、このお店には占い師さんもいらっしゃったんですか」  先ほどの様子とはうってかわって晴れやかな笑みを投げかける男に、卦見は会釈をして返した。 「品の買い手がついたところで、占いはいかがですか」  男は不安から解消されたことで気が大きくなったのだろう。一瞬考えるそぶりを見せたものの、すぐに卦見に占いを求めた。  卦見は筮竹(ぜいちく)を取り出すと、さっそく男に問いかける。 「では、何を占いましょう」 「そうだな。あのかんざしを手に入れてからはロクなことがなかったから……今後の風向きみたいなのを占ってもらおうか」 「かしこまりました」  卦見は五十本ある筮竹の一本を抜き出し別に置くと、残りの四十九本を二つに分ける。  右手に持った筮竹を机の上に置き、数ある手順を踏んで男の運勢を占いはじめた。 「雷火豊(らいかほう)。豊大、豊富の卦が出ています 」  筮竹でだした陰陽の爻卦(ふけ)を、算木(さんぎ)によって六十四卦のうちのひとつの卦で表す。  卦見は手近にあった紙に『豊。亨。王仮之。勿憂。宜日中。』と卦辞を書き出すと、男に読んで聞かせた。 「『ほうは、とおる。おうこれにいたる。うれうるなかれ、にっちゅうによろし。』つまり、あなたの運勢は今とても良い状態にあるが、それを保つことは難しい。しかし望月がいつかは欠けるように、物事は移りゆくもの。悪い状態になることを憂う必要はないと出ています」  星占いなどとは違って馴染みのない易占のこと。  最初は眉根を寄せて卦見の様子を伺っていた男だったが、結果を聞いてぱっと顔を輝かせた。 「なるほど? では展望は明るいと言うことだね?」  悪い結果ではないとみて、男は上機嫌だ。 「全体として悪い卦ではありませんが、四爻と上爻に警告をうながす爻があります。謙虚な気持ちを忘れず、良い状態を保とうとする努力は必要かもしれません」  卦見の申告をよそに、男は懐から財布を取り出している。 「いやぁ幸先が良いね。かんざしは売れるし、占いの結果は良いし」  財布を取り出す瞬間、男の懐で何かが光るのを卦見は見た。  タイピンとは違う。見間違いでなければ、あれは――。 「それで、見料はいくらだい?」  男の声に、卦見は我にかえった。  卦見はいつものように見料を伝えたのだが、男は卦見が伝えたよりも多い料金を無理に置いていった。  帰り際、雨が降り続いていたので蓮が傘を貸そうと申し出ると、 「きっとわたしの運で雨もやみますよ」  と豪語し、雨の中をさっそうと帰っていってしまった。  蓮もこれには呆れたらしい。 「あの男、まるで運を金で買ってるみたいだねぇ」  卦見は男の置いていった金をどうするか考えあぐねた末、彼から受けとった全額を駅前の募金に託すことにした。 「もったいない。基本料くらいはもらっておけばいいじゃないか」  蓮はそう言ったが、占いの結果によって報酬が違うなどあってはならないことだ。 「わたくしは、お金が欲しくて占いをしているのではありませんから」  そう微笑んで道具を片づける。  ありがたく蓮の傘を借りると、今日の寝床を探すため店を後にした。  数日後。  卦見が店を訪れると、蓮は珍しく機嫌が悪かった。 「どうかなさったんですか?」  聞けば、先日の男が持ってきた花嫁かんざしの備品が、いくつか抜けていたらしい。  左右で対になっているはずの品が足りなかったので気づいたという。 「その場で良く確認しなかったあたしも悪いけど、言い値で買っちまったからねぇ」  蓮は悔しい悔しいと連呼している。  この分では、しばらく訪れる客がシビアな鑑定を受けることになるだろう。  卦見はいつものように店の一角を間借りして店の体裁を整えると、店の外を通りゆくひとを眺めていた。  しばらくして、新聞に目を通していた蓮が声を上げた。 「怖いねぇ。この近所で若い男の変死体が見つかったってさ」 「変死体……ですか」 「全身に刺したような傷があるらしい。まったく。東京はいつまでたっても物騒で仕方がないねぇ」  卦見は蓮の発言を聞き流すと、再度店の外に目を移した。  あの日、卦見は男の懐に光るものを見た。  卦見の見たそれが蓮の言っている花嫁かんざしの一部であるならば、分かたれたかんざしに女の幽霊は何を思うだろう。  卦見の目から見ても、かんざしの細工は見事だった。  蓮の店で売るよりも、コレクターなどに売る方が遥かに良い値で売れるのは確かだ。  しかし、雷火豊、四爻と上爻は警告をうながしていた。  見込み違いが多く、やり過ぎで失敗し易い。そのままいくと転落が待ち受けている――。 「『豊。亨。王仮之。勿憂。宜日中。』 きちんと品を揃えて売りさえすれば、あなたの展望は本当に明るくなったかもしれないのに……」 「ん? 何か言ったかい」  蓮の声に、卦見はなんでもありませんと返す。  道を示したのは卦見だが、行く先を選んだのは男自身だ。 「今日は晴れると良いですね」  卦見はそうつぶやくと、店の外に広がる空を見上げた。  数日ぶりに太陽が顔を出した日のことだった。