俺は何度だって言いたい。どうしてこうなった。どうしてこうなったんだよ! 「ヒロく〜んっ」  語尾にハートマークでもついてそうな甘ったるい声。何気に高めだが別に見た目とミスマッチ、ってわけじゃない。その見た目はといえばこんなん現実であるか、って思ってたけどすれ違った男共が振り返り、酷いときには二度見三度見されることもある、ぐうの音も出ない絶世の美女。そんな可愛い女に名前、っつーか愛称を呼ばれて近寄られて、嬉しくない男がいるのかって普通は思うだろ? ……そいつが俺と同い年くらいだったらな、俺もうじゃうじゃ人がいるなかでも大声あげて踊り出したいくらい嬉しいだろうさ。  だが現実なんて残酷なもんで。流れるように俺の腕に抱きついてキラキラした目で見上げてくるこの女、なんとおふくろの同級生である。つまり俺とは二回り近くも離れた年増ってわけだ。ガキから見たら年上なんて高が知れてる、なんて言うクソみたいな奴もいる。というか俺の幼馴染のアホだ。だが俺は声を大にして言いたいぞ。いくら二十歳そこそこにしか見えない容姿をしていようが同じクラスの女子の誰より可愛かろうが、親と同い年っていうのはどう考えてもアウトだろ、アウト!  この光景はおふくろが同窓会に忘れ物をしていったことに端を発する。別に一回っきりってわけじゃないんだしいいじゃん、と俺は思ったのだが忘れていったのがよりにもよってそれをダシに盛り上がるらしいアルバムだった。今じゃ結構なズボラ人間へと堕落してしまったものの、昔は写真部の部長だったとかでかなりマメな性格だったらしく、おふくろしか持っていないような写真が今も綺麗に保存されていて絶対にいるとか言い出しやがった。だったら忘れるなよと、ここぞとばかりに文句を言ってやりたい気分だったが、そこはそれ、俺とおふくろは俺が生まれてからの長ーい付き合いなわけで。持ってきてくれたらお小遣いあげる、の一言に俺はあっさりその言葉を飲み込んだのだった。親になると子供の気持ちが分からなくなるとかドラマでよく聞く台詞だが、その点うちは分かりすぎるくらいに分かってる。例えば俺が秘蔵コレクションを出しっ放しのまま学校に行ったとき、やべぇって思って急ぎ帰ってきたらそっと隠し場所に戻してあったりな。とそれはさておき、上官の命令を聞く新米さながらに任務を承った俺はのこのこ会場へと出向き、会ってしまったわけだ。  曰く、一目惚れ。自分でいうのも虚しいが、どう考えても人並み以上のものがない俺がその台詞を聞かされるとは、昔のクラスメイトの息子相手に詐欺か?詐欺なのか?と疑ったのもやむなしだろう。ここに関してはむしろ相手がぶっ飛んだレベルで年上だから動揺したような気もする。これが俺のストライクゾーンに入る年齢層の女だったら、詐欺だって確信してまともな対応も出来たはずだ。まあ物凄い勢いで動揺したせいで可愛い、とか言われて余計に惚れ込まれる羽目になったんだけどな。ここで俺はおふくろに、止めろよ!と超能力者じゃなくても伝わるレベルの念を送って助けを求めたのにあのババア、独身だし別にいいじゃないなどと言いやがって火に油を注ぐどころかガソリンをぶちまける結果になって。そんないたいけな息子を生け贄に差し出すような台詞をのたまった母親は当然ながら俺の味方なんぞしてくれるはずもなく、それどころか学生時代に親友だったらしいこの女に言われるまま俺の電話番号にメールアドレス、メッセージアプリのIDまで洗いざらい伝えやがった。俺は俺で別に自分のことをフェミニストだと思っているわけではないが、恋愛対象としてはアウトなだけで正直なところ人間としてはさすが魅力的な相手だと感じていたので罵倒は論外、ブロックするほどでもねーよなとなし崩しにメッセージを眺めていたら、何となく会うことになっていたりする。ま、まあ、職業が職業なだけに忙しくて何日かに一回しか連絡こねーし。さすが年季の入った社会人だけあって引くときはちゃんと引いてくれてる気がするしさ。ありっちゃあ、あり……ってこういう態度してるから余計にくっついてくんのか? 「あー、おばさんさぁ」 「もう、その呼び方はやめてってば!」  四十路前の女がこの台詞を言う、とだけ思えばこれほどきっついもんはなかなかないと思うが意外、実物を目の当たりにするとそこまで気にならないんだよなぁ。というか俺と年の変わらないような奴でも大人っぽかったら合わねぇし、難しいところだぜ。しかしあまりに見た目が若いんで失礼を承知でなんか若作りしてんの?と聞いてみたらはぐらかされた。さすがに何もやってないってことはないんだろうが、いくら世の中美容方面にも伸びていってるからってこれはマジでどうなってんだ。吸血鬼は実在するのかもしれないと真剣に考察したくなるぞ。 「ハナさんって呼んでよ」 「……綾小路さん」  この人の実年齢と声と喋り方の違和感のなさに、脳が正常な処理を拒否して思わず斜め上なことを言う。と、ワンテンポ遅れて「え?マジ?」と近くで聞こえた若い女の声に俺は自分がやらかしたことに気が付いた。 「——来て!」  そこはさすがに慣れているのか、動揺している俺のことなんてまるで意に介さず、小さめながらも鋭さを感じさせる声で綾小路——もといハナさんは言うと俺の手を引いて歩き出す。人混みの中で比較的空いている場所を選んでいるらしく、歩きづらい体勢でも何とかぶつからずに済んだ。しかし逆らっていないからか痛くはないが、彼女の力の強さはなかなかに凄い。運動部に所属した経験など一度もなく、バイトにしても汗臭くなるのが嫌で力仕事は避けて通ってきた俺よりよっぽど腕力があるんじゃないだろうか。知り合ってからそんなに時間が経ってないので生で見たことはないが、今放送中のドラマでアスリート役をやってるくらいだから間違いない。  そう。何を隠そう、って別に言いふらしても隠してもいないんだがハナさんは役者だ。おふくろと同級生だったときにはモデルをやっていて女優に転身、そしてそのままこの歳になっても業界に居続けているという、ありがちといえばありがちだが数年で消える奴も少なくないのにそれってかなり凄いことなんじゃないだろうか、と俺は密かに思っている。というか一回きりでも売れるだけ凄いけどな。従兄なんざ早々に端役すら取れずに辞めたし。 「もうそろそろ」  俺が言い終わる前にしっ、と振り返り“静かに”のポーズを取られて思わず黙る。その後ひと気のない場所に連れ込まれたときは取って喰われるかと思ったが、いつの間にか目深になっている帽子をあげつつハナさんが息をつくと、ドラマの世界に連れ込まれたかのような錯覚を抱いた。大女優と呼ばれるクラスじゃないにしろ、年齢を頭の中から抹消すれば硬直するくらい見惚れる顔が至近距離にあるわけで。というか、身長差のせいでかなり低い位置にあるけど俺いわゆる壁ドンされてねーか、これ。 「……あのさハナさん、いい加減いいんじゃねーかな」 「あ、ごめんね」  あっさり身体を離されてなんで名残惜しいと思ってるんだ俺は。言い出したのは俺だって。 「それじゃあ仕切り直して行こ」  言ってハナさんが笑う。何となく熱い顔を掌で隠しながら、もう片方の手でその手を取る。何だかんだ、一緒にいるのが嫌じゃないってことはまだ黙っていよう。