『雪消』 新年が明けると、それに合わせたように急に何一つやる気がしなくなってしまった。 それでこの一ヶ月というもの、ただぼんやりと本でも読んで過ごしていた。 その本も、なかなか進まなかった。 部屋の中で陽の光を追うように転がりながら文庫本を読んでいると、気付かない内に大分暗くなっている。 時計を見るとまだ四時を少し回ったくらいだ。 だが、どうも時間に迫られているように感じられて、いつも厭な気持ちになる。 知らぬ間に雲が増えてきたようなので、空模様を見るために窓を開けると、寒さで震えた。 どうしても冬は好きになれない。 少しすると、雪が降り始めてきた。 それは、積もりそうな程の粉雪だった。 今年はもう降らないのだろうか、そんな風に思う頃に、いつも降る。 これを見た途端、僕は本当に何もかも嫌気が差してしまった。 キッチンへ行き、冷蔵庫の中を見てから乱暴にそれを閉めると、数日前にポストに入っていた宅配ピザのチラシを引っ張り出してきて、電話を取った。 短い呼び出し音の後に出たのは、ハキハキした声の、若い女の人だった。 僕は適当に注文を告げた。 相手はそれを繰り返して、最後に大変申し訳なさそうに、どうやら今雪が降ってきてしまったみたいなので、お客様の家にお届けするまでに四十分程かかってしまいますが、それでもよろしいでしょうか、と聞いてきた。 四十分など、大した遅れとは感じない。 構わないと答えると、ありがとうございますと言われた。 電話を置いてもう一度外を眺めた。 雪は一層強くなっている。 普段は高いと感じ決して頼まないような宅配ピザを、こんなような時に限って何食わぬ顔で注文する自分が、卑怯な人間に思えた。 三十分経って、玄関のベルが鳴った。 開けると、白いものを肩や帽子にちらほらと乗せた女性が、笑顔で立っていた。 お待たせしました、と元気よく言う声が、電話口で聞いたものと似ているように思われた。 ぱっちりとした瞳、ほんの少し赤みを帯びた頬、化粧っ気の薄い唇と、帽子の後ろから出る束ねられた長い黒髪だけが、厚手の防寒着から見えた。 ピザを受け取り、三千円を手渡すと、彼女は小銭用のケースを取り出した。 しかし、手がかじかんでいてなかなか硬貨を掴めなかった。 ごめんなさい、と謝りながら、困った顔をした。 すると彼女は、ピザを入れる鞄の上でケースを逆さにして小銭をばらまくと、それから手早くお釣りを拾い上げ、こちらへ差し出した。 そしてにこやかに挨拶をし、そのままお金を落とさないよう注意しながら、扉に手をかけた。 「あの、いいですよ」 僕は思わず呼び止めた。 彼女はきょとんとした顔で、首を傾げた。 雪の降りしきる外へ出て、白い息を吐きながら、その硬貨を一枚ずつケースに収める姿を、見てしまったかのような気がした。 そんな酷い事があるかと、誰にでもなく、怒りを感じたのだった。 「ここで、しまっていって下さい」 もっとも、この場所もそれ程暖かくはなかった。 何より、いかにも偉そうな自分の物言いに、腹が立った。 それでも彼女は、本当にありがたそうに、すみませんと、一言だけ言った。 しまうのには時間がかかって、その間は二人とも口を利かなかった。 懸命なその様子を前に、僕には手伝える事など何も見つからない。 ようやく終わると、彼女はお礼を残して、また雪の中へ帰って行った。 冷たい風が吹き込み、ドアは閉まった。 僕はただ突っ立っていた。 しかししばらくすると、どうにもじっとしていられなくなって、目の前の扉を開けた。 何の音もしない。 真っ暗な空から、街灯に照らされた白雪が絶え間なく落ち、辺りは雪の香りで一杯だった。 そうか、そう言えば、雪には匂いがあったんだ。 そんな事がとても感慨深かった。 翌朝には、晴れた。 積雪が朝焼けに赤く染まり、眩しい。 やがて青空が一面に広がると、僕は外へ出た。 溶けた雪が落とす水滴が、そこら中で弾け輝き、美しい景色が広がっていた。 陽の下では、もうあまり寒さも感じなかった。