『二人の雨』 笠を目深に被った男は、降りしきる雨の中でじっと突っ立っていた。 薄く雨音が続くだけで、辺りは静寂と言える。 使われることのなかった大道芸の道具が、一層音を消して見えた。 「この天気、長いみたいだね」 傘を差した女が一人、いつしか後ろに立っていた。 赤い着物が晴れやかで、男の黒とどうにも映える。 男は振り向きもせず黙りこくって、彼方の山でも眺めているのか、それともよどんだ空を睨んでいるのか、意地張る子供のように腕を組んでいた。 女はくすりと母のような笑みを浮かべ、一歩歩んで横に並んだ。 「芸人殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降りゃあいい、か。上手いこと言うね」 「馬鹿、笑い事じゃねえだろ」 男は女の方を向き、今度はばつが悪そうに咳払いした。 声も漏らさず、泣いていたからである。 涙は微笑んだ口元を過ぎ、濡れた地面へ溶けていく。 それでも女は顔も伏せず目もつぶらず、強く気丈に、泣き続けた。 「すまん」 男の悪い癖だった。 その不器用な優しさが何度女を傷つけたかも分からぬが、男はよく女のために謝った。 謝ることでどうなろうとか、どうして謝るかとか、そんなことは一つも分からないのだ。 ただ男は女を愛していて、女が泣くのがひどく悲しくて、だから謝った。 そんな男が好きだから、いつしか女は声を上げずに泣くようになったのかもしれない。 ここにいるのが辛くなったわけではない。 ただの町外れの汚い広場だが、ここは二人にとって思い入れのある場所だ。 思い出を手繰れば嫌なことしかなかったが、それでもここを嫌いにはしたくない。 そんなくだらない強がりに、女は笑顔で付き合ってきた。 しかしもう、どうにも涙が止まらない。 女も今、自分が何に泣いているのか分からないくらいだった。 「そろそろ、潮時かもな」 飯でも食うかと、まるでそんな口ぶりだった。 事実男にとっては、そうだったのかもしれない。 いつか女に言い出そうと、幾度反芻したかも分からぬ言葉だ。 男は一歩進んで、女がどんな顔をしているか見えないようにした。 「あんた、本当に馬鹿だよ」 傘を落とし、女は男の背を抱いた。 怒るでも嘆くでもなく、もう一度、馬鹿と呟いた。 しばし静けさが戻った後、やはり男はすまんと言った。 互いに表情は見えずとも、二人が微笑んだことは、共に知っていた。