小悪魔 「あいよ、チャーシュー麺お待ち」  鉄橋下の狭いラーメン屋で店主から丼を受け取ると、横から箸が伸びた。 「あら、生意気。貴方にチャーシューはぜいたくってものよ。これは没収ね」  見ると、隣りに座る小悪魔美女が俺のチャーシューを橋の先でつまんで自分のワンタン麺に突っ込んでいた。 「おい! 何すんだよこの小悪魔!」 「悔しかったら手を出せばいいじゃない、ほら……何もできないんでしょう? だったら大人しくチャーシュー麺チャーシュー抜きでも寂しくすすってることね。あら、涙をこぼせば塩ラーメンになるかもよ? ほら、がんばんなさい。ほほほほほほ」  くくくぅ、と拳を握って悪魔退散するのを堪える。女性はふくよかな胸の谷間を俺に差し出し誘惑しつつ勝ち誇ったように笑っている。とてもご機嫌そうだ。 「……なあ、あんた教会の退魔師って言ってなかったっけ?」  見かねた店主がネギを刻みつつ俺に確認する。 「ああ、そうだよ」  苦虫をかみつぶしたように……おっと、ラーメン食ってんだからこの表現は店に失礼だな。歯がみしつつ、あたりが店をおもんぱかった表現だが、俺は麺はかまずに飲み込むのが……って、それどころじゃねぇ。 「だったら、この蝙蝠みたいな羽を背中につけて先がハート型になった黒い尻尾を振ってる女性、退魔しちまえばいいんじゃねぇですか?」 「ほほほほほ、この男にそんなことできるわけないじゃない。できないわよねぇ、おほほほほほ」  さらに気持ちよさそうに笑っている美女。蠱惑的にくねる尻尾はいいが、いくらいい気分だからといってこの狭い店内でばさばさと悪魔の羽を揺するのはやめて欲しい。 「っていうか、店主。この小悪魔もあんたンとこの客だろ?」 「確かに金払いのいいお得意さんだが、あんたがあまりに哀れでねぇ」 「おほほほほ、店主もあたしに手出しできないわよねぇ。何せここの常連客だし♪」  困ったことにさらにつけあがる小悪魔。  そしてひとしきり笑ったところで、麺を紅いルージュを引いた唇でちゅるんと吸い込んで言った。 「ねえご主人、知ってる? この男、よりにもよって上級の退魔師さんなのよ。そんな教会のエリート中のエリートがわたしみたいな小物に手出しをするなんて、できないわよねぇ。手の一つでも出したら、あんたの教会のレベルってもんがガタガタのガタ落ち、地獄の底までガタ落ちだものねぇ」 「勘弁してほしいよ、まったく……」  もちろん、俺は教会からこいつに何があっても手を出すな、あんたがこんな小物に掛かりきりと本部にバレたら降格させられてしまう、と止められている。  本当にどうにかしてほしい。  後日。 「はいよ、チャーシュー麺お待ち」  鉄橋下の狭いラーメン屋で店主から丼を受け取ると、横から箸が伸びた。 「あら、またチャーシュー麺? あんたも好きねぇ」  ひょい、と小悪魔美女が俺の丼からチャーシューを猫ばばした。 「ちょっと、ババぁって誰のこといってんのよ!」 「言ってねぇだろ。心の中のセリフに突っ込むなよ!」  前言撤回。  小悪魔美女が猫ばばではなく、俺のチャーシューを1枚お取り上げなさった。「それでいいのよ」と小悪魔美女は満足そうに言って自分のワンタン麺に納めた。 「ババぁって、あんたのこと言ってるに決まってるじゃない。お・ば・さん♪」  今度は反対の横からはしが伸びた。容赦なく残ったチャーシューをかっさらっていく。  そちらには、小悪魔的女子高生が座っていた。  もちろん、彼女も背中に蝙蝠的な翼と先っちょがハート型した黒尻尾付き。自分のチャンポン麺に奪ったチャーシューを載せて満足げだ。 「な、なんですってぇ?っ! このつるっぺた!」 「ちょ、なに人の気にしてることいってんのよ!」  俺の左右でぎゃーぎゃー言い合いを始めた。 「……聞いたけど、教会を追放になったんだってね」  店主が哀れそうに聞いてきた。 「ああ、そうだな」  俺は苦虫を……。 「店主に失礼なこと言うんじゃ……」 「……ないわよっ!」  左右から同時に突っ込まれた。どうやら小悪魔女子高生もここの常連で店の味方らしい。つーか、心の中のセリフに突っ込むんじゃねぇよ。  とりあえず店主は気にせず話を進める。 「思うんですが……もう教会関係ないなら退魔しちゃえばいいんじゃないですかねぇ?」  それとも追放になった時点で退魔師の能力は失われたんですか、と聞いてくる。  この二人、あんたんとこのお得意さんだろ、と返してもいいのだが……。 「……今はこいつらが俺の飯の種だよ」 「は?」  店主、ネギを切るのをやめて詰め寄ってきた。 「俺な、退魔師が小悪魔召還してるって噂が立って教会を首になったんだが……とあるところで小悪魔召還師として食ってけることになってね」  世の中分からんよ、とラーメンをすすりながら説明する。 「それよりほぉら、チャーシュー食べ損ねて悔しいんでしょぉ? 早く頑張って涙流しなさい。あなたの好きな塩ラーメンになるわよ」 「涙がこんなに役立つとは私も知らなかったわ。ホント、世の中分からないわよねぇ」  おほほほほ、と左右から。  小悪魔美女と小悪魔女子高生は今日も満足そうだ。    おしまい