今日も今日とて、天儀は平和である。 「うーん……大分春めいてきたなぁ」  黒曜 焔はそう言いながら自室でのんびりと腕を伸ばした。  春の陽の中では眠気も襲ってくるというもので、昼食を食べた後に縁側に出れば、どこからかふわりと漂ってくる甘い花の香り。 「……ああ、梅の香りが心地いいねえ」  近くにいる『相棒』――もふらに声をかける。けれどもふらからの返事は特になく、相変わらずもふららしく眠りを貪っているらしい。  その様子を確認して、焔はくすりと笑う。 「でも、確かに気持ちいいな……少し昼寝をしようか」  とはいえ、のんびりした昼寝は彼らにとっては日常茶飯事なのだけれど――焔は枕を持ってきて、春の日差しの中でまどろみはじめた。 (そう言えば今日は贈り物をもらった相手にお返しをする日だったっけ……?)  微睡みながら焔はふとそんなことを思い出してゆっくりと目を開けると、 「えっ?」  思わず声をあげずにはいられなかった。  自分のすぐ脇で、白いふわふわした髪の子どもが眠っていたのだから。よく見るとどうやら焔とおなじく神威人であるらしく、髪の毛と同じくらい真っ白な垂れ耳が付いている。ちんまりした尻尾も、寝返りした時にチラリと見えた。  ……と言うか、この子はいったい何者なんだ?  いったいどこから来たんだ?  身に覚えのない存在に、一瞬どころではなく混乱してしまう。すやすやとまだ眠っているその子どもの顔立ちはおっとりした感じで、少年のようにも少女のようにも見えた。 (まさか、子どもをかどわかしたと勘違いされないだろうな……)  背中に冷たい汗が流れる。取りあえずこの子どもに、事情を聞いてみないと――  脳内によぎったのは、ありえないと思いつつも、誘拐犯として捕まってしまい、暗い牢の中でしょんぼりとしている自分。もしそんなことになってしまえば、綺麗なおねえさんを見ることもできなくなってしまう……!  と、子どもの目がパチリと開いた。大きな黒目がちの瞳と長い睫毛、そしてもふもふふわふわの白い髪。中性的な容貌。  ……なんとなく見覚えがあるような、ないような、そんな雰囲気。 「……ふにゃ?」  可愛らしい、声変わり前の少年のようなほんのり甲高い声。 「もふ~、眠っちゃってたもふ……」  その子は目をこしこしとこすりながら、夢見心地なふわふわした口調でつぶやく。 「……って、あれ?」  その子は丸い目をさらに丸くして、自身の体をぺたぺたと触っていく。 「……よくわかんないけど、なんかすごいことになってるもふー!」  キャッキャと楽しそうにはしゃいでいるその子は、焔の方を向き直ると、手をすっと伸ばしてきた。 「……?」  その意味がわかりかねず首を傾げている焔に、子どもはにっこりと笑う。 「握手!」  その声がひどく嬉しそうで、つい差し伸べられた手を握り返す焔。 (でも……なんだかこの子……『あの子』に似ている)  『あの子』とは、相棒のもふら。真白い毛並みの、小柄な子だ。  白い髪と黒い瞳がどことなく、その相棒を彷彿とさせるのだ。 (でも、そんなこと、あるわけないしね……)  焔は首を横に振って苦笑する。――そう言えば、件の相棒の姿が見当たらないけれど、どこへ行ったのだろう。さっきまで同じようにひなたぼっこしながら昼寝をしていたというのに。 (また友だちと一緒に遊びにでも行ったのかな)  そんなことをぼんやりと考える。困った相棒だな、とは思うけれど、そんな気まぐれな性格すらも相棒らしさと感じているので、ちょっと口の端で笑う程度だ。それを不思議そうに見ている子どもが尋ねる。 「どうして笑う……の?」 「いや、なんだか相棒のことを思い出してね」  そう焔が応えると、子どもは目をきらきらと輝かせて、 「ねえねえ! も……ボク、あまいものたべたい! あんみつ!」  にこにこ笑顔で、そんなことを言い出す。名前も知らないその子だが、そうやって会話のきっかけを作れば、もしかしたら家に迷い込んできた理由もわかるかもしれない。 「……大しておごることはできないよ?」  甘いものが好きなのは焔も、そして今は留守にしている相棒も同じだ。おかげでしょっちゅう財布が寂しいことになっているのだけれど――その子(自分のことをボク、といったので男の子なのかもしれない)は、にこにこと笑って頷いた。 ● 「ふふ~♪」  少年(?)は楽しそうにぴょこぴょこと飛び跳ねるようにして歩いている。 「そう言えば、君の名前を聞いていなかったね。うっかりしていたけれど」  そんなことを尋ねる焔、うっかりし過ぎである。 「名前……名前はね、ひみつ!」  そう弾んだ声で言うと、春風に耳をそよがせた。名前は聞けなかったけれど、本人が話したくない事情もあるだろうから、あえて追求するのはやめておく。 「気持ちいい~……ボクね、キミとこうやって歩いたりもしたかったの」  そう言って笑う少年(?)はひどく無邪気に見えて。そう言われてしまっては、怒る気も失せてしまうではないか。 「どこ、行く?」  尋ねられて、つい笑顔で返す。 「君が行きたがってた場所だよ」 「おや、黒曜さん。今日は可愛いお連れだねえ」  近くの甘味処の店主が、そう言って笑った。  二人の目の前には、あんみつ。特に少年(?)はひどく嬉しそうに匙を使い、モグモグと食べている。 「いい食べっぷりだねぇ。可愛いし。黒曜さんの新しいお仲間かい?」  ひたすらあんみつやぱふぇなどをモグモグ食べている少年に茶を差し入れながら、店主は呵呵と笑う。 「いや、それが……」  と、ことの成り行きを説明すると、今度は店主がどんと特大のあんみつを出してきた。 「黒曜さんも苦労するねえ。これはうちからのおごりだよ」  ……店主の好意で思いがけず大量に食べることができると胸をなでおろした焔だったが、五分後にはその大盛りあんみつが空っぽになっていることを誰が想像したであろうか、いやいまい(反語)。  匙使いはちょっと下手だけれど、見たところまだ十歳にもならぬ少年(?)であるし、仕方ないのかもしれない。  そろそろツケ払いにせねばなるまいかと悩んでいた所で、少年(?)は「あっ」と声を上げた。 「ボク、したいコトあるんだ……けど。いいかな」  じいっと大きな瞳で見つめられ、焔は頷くことしか出来なかった。 ● 「とりあえずご飯たく、の」  子どもはそう言うと、まるで勝手知ったる言えであるかのように米を取り出し、シャキシャキと洗うとそれを釜で炊き始めようとした。  とはいってもどこか不器用で、手伝ってあげなければいけなかったけれど。火の扱いは危険だし、大人のいる場所でないとさすがに料理は難しい。  ……と言うか、結局のところ、火の番は焔がほとんどやっていた。やはり、もしものときに何かがあってはまずいのだ。  やがて良い香りが漂い、ふっくらした米の飯が炊きあがった。少し麦の混じった、庶民的なご飯である。 「握り飯作りたかったの、お礼に」  ――お礼? 何のお礼だろうか。  焔は子どもの意図がわからないまま、握り飯づくりを共に行う。やっぱり子どもは不器用で、握り飯も綺麗な形には仕上がらなくて。それでもひどく楽しそうに、その握り飯を握っていることだけはわかった。焔もその様子がなんだか楽しくて、つい顔を綻ばせる。  はじめのうちはわけの分からない少年――いや、いまだに性別がわかりきっていないのだが――と思っていたけれど、その子の持つ空気はどこか懐かしく、どこかあたたかかった。 「できた! ね、たべて!」  いびつなその握り飯。けれど心のこもった握り飯。お腹も膨れるけれど、心もほっこりとあたたかくなっていく。  ああ、こういうのも悪くはない――  ふうっと大きく息をついて、そして焔は微笑みかける。 「おいしいよ」 「ほんと?! わーいもふ~」  ああ、その無邪気な姿はまるで相棒のようだな――相棒が人になったらこんなかんじなのだろうか――そんなことをぼんやり考えて、そして一瞬ふうっと身も心も軽くなった。 ● 「……ん?」  焔はパチリと目を開けた。  柔らかい春の日差し、心地良い春風にふんわりと漂う梅の香り。  さっきまで子どもがいたのが夢なのではないかと言わんばかりの、いつもと変わらぬ光景。  実際、子どもの姿はなく、いつもの定位置には相棒のもふらが丸くなっていて。 (……なんだ、さっきのは夢か)  おかしな子どもも、あんみつとぱふぇも、握り飯も。  でも妙に現実味のある夢であったのも確かで、焔は夢と現の道で迷い込んでしまったかのようにボケッとしてしまっていた。  もう少し、昼寝には余地がある。もう一眠りして、スッキリしよう――  そう思った時、もふらがこてんと寝返りをうった。 (あーあ、手のひらにあんなにご飯粒くっつけて……)  ぼんやりと、焔はそんなことを考える。その深い意味まで、思い至らずに。  ――もふね、もふね、ずーっと思ってたもふ。  ――相棒に、恩返しがしたいなって思ってたもふ。  ――相棒の握り飯、大好きだから。  ――相棒、いつもおいしいご飯、ありがともふ……  その声が届いたかどうかは、わからない。  だけど、もふらは幸せそうな顔で眠っていた。  焔の傍で、眠っていた。