(1)  9月。  夏の終わり、秋の始まり。  そんな季節に、この学園は新入生を迎える。 「……とはいっても、な」  黒い髪に銀色の瞳。25歳、という年齢にしてはやや小柄がコンプレックス。  宮原 ツルギは、嘆息交じりに校門を見遣る。  ――久遠ヶ原撃退士養成学園  『天使』『悪魔』そんなモノが自分たちの世界を脅かしていること。  対抗手段がごく限られていること。  そんなことが公になって、まだ浅い。  対抗手段を持つ人間たちを『撃退士』と呼び、養成機関として設立されたのが、この学園だ。  歴史が浅いことから、実に老若男女雑多に、この人工島へ集っている。  初等部から大学部まで併設されているが、例えば自分のように、一般大学を卒業してから再入学、なんてこともあるわけだ。 (迷惑だ)  軽く首を振り、癖のない黒髪に指を突っ込む。神経質そうにかきむしる。  もっとも、生まれ持った能力を十全に生かすために必要だというのならば仕方ない。  今まで送ってきた『日常生活』に未練があるわけでもない。 (……日常、か)  この門を潜れば、恐らくは戻れない世界。  撃退士を養成する機関にも関わらず、巨大ゲートが発生し、多大な被害が起きた事件は記憶に新しい。  生か死か。  間違いなく、そんな世界への入り口に―― 「うわぁ! 入学早々寝坊とかないわ!!」  どかん。  背後からの襲撃に、ツルギは容易く弾き飛ばされた。 「あっ、ワリ! 遅刻するぞ、初日からはカッコ悪いから気を付けた方が良いぜ!」 「待て」 「あー、食パンくわえてれば美少女とぶつかったのかな! しくじったー」 「おい」  大柄な赤毛の青年は、残念な独り言と共に駆け抜けていった。  筧 鷹政。25歳。  後に、ツルギの相棒として長い付き合いになることを、この時に予想するわけがなかった。  久遠ヶ原での学園生活は、存外に愉快なものであった。  学園生徒会による自治を試験的に導入したこともあり、何もかもが誰にとっても真新しく。  同年代の学友――というのもどうなのか、にも恵まれたのも幸いだろう。 「なぁー、宮原ー。最終学科、決めたか?」 「決めるも何も、変えるつもり自体がないな」 「だよなー」  でかい子供のような口ぶりの赤毛の男は、ツルギの向かい側の席に座り、体を捻る。  鷹政との付き合いも、なんだかんだで腐れ縁だ。  入学当時にはなかった顎の傷が、今ではすっかり鷹政のトレードマークになっている。 「俺も、結局は阿修羅が合ってるんだよな」 「活きの良い鉄砲玉だものねぇ、あなたたち見てると使用者と被使用者がわかりやすくていいわ」 「おいこら遠藤……」  最終専攻のプリントと睨み合っていた鷹政が、歩み寄ってきた女性――遠藤 零を睨み上げる。  形式じみたもので、そこに怒りは少しも込められていないが。  インフィルトレイターの宮原 ツルギ、阿修羅の筧 鷹政、ディバインナイトの遠藤 零。  年が近く、同期入学、専攻ジョブの相性から何かと行動を共にしていた。  『久遠ヶ原撃退士養成学園』から『久遠ヶ原学園』へと、名称が変更した、今も。 「遠藤は、院に進むのか?」 「そうね。4年じゃ、ちょっと経験が足りないもの。最新設備のバックアップも、学園に居た方が恩恵に与れるでしょう?」 「まぁな」  肩口でシャープに切りそろえた黒髪を耳に掛け、零は二人の近くの席に腰を下ろす。 「……それで、あなたたちはフリーランスで独立する、って正気?」 「二人いれば、何とかなるんじゃないか」  どこか遠くを見遣りながら、ツルギ。 「まぁ……。宮原君は社会経験もあるし」 「悪かったな、フリーターでしたよ」 「あら、ラーメン屋のアルバイトだって立派な肉体労働じゃない。途中でクビになったとは聞いたけど」 「うるせー」  二人のやり取りに、めずらしくツルギが肩を揺らした。  パッシブ・ポーカーフェイスの彼の様子に、驚いて友人二人が振り返る。 「どうかしたか?」 「いや…… お前でも浮かれることってあるのな」 「やかましい」  事務所とする候補の物件をいくつか見繕っているところであった。  9月。  夏の終わり、秋の始まり。  新しい生活の扉が、開こうとしている。 (2)  二人で出資してワンルームを借り、そこをオフィスとするようになり、三年目の春。  寝泊まりもできるが、仕事のオンオフは別にしておきたいから、互いの住まいは別にしている、が。 「また夜通しかよ」  学園から戻ってきた鷹政が、オフィスに入るなり資料と睨み合いをしている相棒へ、呆れた声を掛けた。 「次の依頼は来週だろう?」  ワークチェアに座りっぱなしで、書類と睨み合うツルギへ鷹政は肩をすくめる。  フリーランスの仕事は厳しい。依頼一つ失敗すれば噂は業界に知れ渡るし、一つの成功くらいじゃ名前は上がらない。  プロ入り三年目、地道に成果を上げているのは、神経質なまでのツルギの下調べによるものが大きい。 「事前調査は念入りに、だ。まあ、筧は普段通り、適当に餌になってくれれば問題の無い依頼だ」 「みやはら、おまえな……」  寝不足の目をこすりながらツルギは黒髪をかきあげた。きらり、銀色の瞳がこちらを見る。 「で、お前は?」 「うん?」 「オレの取ってきた依頼……、横流ししたんだろう」 「あははははは だって、アレ2人じゃキツイじゃん。敵は手ごわそうだけど、学園の生徒がチーム作れば対応できるし、生徒相手の報酬で考えればかなりの実入りだろ」 「そればっかりだな」 「俺たちで解決できる依頼は、逃さずしっかりオシゴトしますよ」 「当たり前だ」  ツルギは溜息に溜息を重ね、ばさりと資料を投げつけた。 「その後のオレたちの依頼の詳細だ。しっかり読んどけ。オレは寝る」 「サンキュ 帰るなら送るぜ?」 「奥で寝る」 「……引っ越すなら手伝うぜ……」  小柄な相棒の背を見送り、日常的に繰り返す言葉を鷹政は口にした。  不穏な御時世、どんとこい。  宮原と組んでいれば、自分は自由に戦える。  その安心感だけは、覆らない。  鷹政は、ツルギと向かい合わせになっている己のチェアに腰掛けて、改めて書類に目を通し始めた。  夏の始まり。  遠藤 零の訃報は、突然だった。  翌日には会う約束をしていた。なのに。  雨に濡れたまま墓標の前から動こうとしない鷹政を、ツルギは言葉なく見守る。  掛ける言葉などあるはずもなかった。 (さっさと行かないから お前ら、鈍感すぎたんだよ このボケ)  悪態ばかりが浮かぶが、きっとどれも今の場には違う。  鷹政が零を、零が鷹政を、憎からず思っていたのは一目瞭然だったというのに、何をやってたんだお前らは。 「筧。行くぞ」  髪の毛先の雫を払い、鷹政は首を振る。 「……いや、もう少し。宮原は先に帰っててくれ」 「そうすることで、遠藤が戻るならな。仕事の話だ」 「気分じゃない」 「知るか、そんなこと」  学園生時代にも、悲惨な結果となった依頼はあった。  その度に、ツルギは情に引きずられる鷹政の手を引き、立たせてきた。  自分だって、零の死が悲しくないわけじゃない。  できることなら、一緒になって肩を並べて哀悼を捧げていたい。  けれど、それはきっと、零は望んでいない。  仇討ちも違うだろう。  ――事件解決。  責任感が強く、意地っ張りな彼女のことだ。  きっと、槍を振りかざし鷹政を追い立てるに違いない。 「そんなことだから、お前はいつも手遅れなんだ」  どうして、それに気づかない。  惚れた相手の―― (くそっ)  ツルギは、鷹政の腕を引くと、自身の傘を無理やり押し付けた。 (子守が仕事じゃないんだ、まったく……!!)  いつの間にか、鷹政というでかい子供の面倒を見るのが習慣となってしまっていた。  くるくる変わる表情と裏表のない言動は、隣にいて心地の良いものだった。  撃退士として仕事をしていくのであれば、恐らくはずっと腐れ縁として続いていくのだろう。  諦めにも似た思いが、ツルギの胸にある。  ただ、別の―― ごく個人的な面で見れば、手を離す時が来るのだろう。  その相手は、きっと零だろうと……漠然と考えていたのだ。  プツリと途絶えた日常は、鉄面皮のツルギにも微かな揺らぎを与えた。  夏の夜、閑静な住宅街。  仕事帰りの二人は、ゆっくりとした足取りで事務所へと向かっていた。 「でさ、 ……宮原、どうかしたか?」 「なんでもない」 「顔色悪いぜ?」 「疲れただけだ」 「そりゃそうか。お前、睡眠とらなさすぎなんだよ」 「筧が眠りすぎなだけだ」 「ちぇ」  軽口はいつも通り。  心配そうに顔を覗きこむ鷹政を片手で払う。  遠く、犬の鳴き声が響いた。 「まったく、厭な条件反射が身に付いちまったな」  苦く笑い、鷹政が肩をすくめる。  二人が追っている――零を襲ったヴァニタスが、眷属として狼のディアボロを引き連れているせいだ。 「まぁ、頃合いだろう」  二人で――あるいは学園へ応援を要請するかもしれないが、無名に近いフリーランスが賞金首を討ち取ったとなれば仕事量・報酬共に跳ね上がる。  ステップアップの良い機会であるといえよう。などと言ったら、友の死を踏み台にするのかと、この赤毛は怒るのだろうけれど。  無駄にしない、という意味ではYESなのだ。  悲しむのは良い。  感傷に浸るのもいい。  けれど、糧にしなければ何の意味もない。  零は、ただ『死んだ』だけになってしまう。  どうもその辺り、この相棒は緩い。 「――……」  掛けるべき言葉を、ツルギは探す。  見つからなくて、物思いにふける鷹政の横顔を見上げる。  その、後ろ。  閃く、刃。 「筧!」  気づいたら、手は動いていた。  振り下ろされる日本刀が、自分の背を裂く。  瞬間的に、鷹政の後頭部をアサルトライフルの柄で殴りつけたが、上手いこと気絶しただろうか。  ――上手いこと、この光景を目にしないで済んでいるだろうか。  目を覚ました時、きちんと、一人で歩けるだろうか―― (くそっ)  背が熱い。  痛みは不思議と感じない。  悔しいことに、頭の中は手の掛かる相棒のことで占められていた。 (オレは)  死にたくない、とは思わなかった。  ただ、これで『日常』が終わってしまうこと―― それが酷く、残念だった。  世話を焼くことも呆れることも、共に笑うことも、もうできない。 (どうか)  せめて、ひとりになっても (筧)  お前はどうか、足を止めずに――  それが最後の意識となり、ツルギの手から愛用のライフルが落ちた。 (3) 「だーから、戻らないって。元気でやってるっつの! そう、……うん、食ってる。平気」  双子の姉からの電話に、辟易しながら鷹政は受け答えする。  二卵性双生児である彼女にはアウルの適正は無く、地元で穏やかな生活を送っている。  今回の事件を機に、田舎へ帰ってこないかと口うるさい。 「どうせ、ラーメン屋くらいしか仕事ないだろうが。俺は大丈夫だから。そっちこそ、男のひとりやふたr」  そこで通話が切れた。  はは、と乾いた笑いをもらし、鷹政はスマートフォンをソファへ放る。 「……引っ越すか」  一人で活動するのなら。ここを引き払って、事務所に住み込んだ方が経済的だろう。 「あれ、待て」  ツルギの住まいは、どうなってる?  あいつ、家族の話なんてしたことなかったよな? 「…………落ち込む暇も、与えちゃくれねぇなぁ」  なぁ、相棒。 『そんなことだから、お前はいつも手遅れなんだ』 (そうだなぁ、だけど……)  いつかのやりとりを思い出す。 (今度はちゃんと、歩くから。お前が手を引かなくても大丈夫なように……歩くから)  零の死に対し、沈んでばかりだった自分の手を、無理やりにでも引き上げたツルギの腕の強さを覚えている。  泣きそうに震えていた。  悲しいのは、あいつも同じだった。  宮原 ツルギという人間がいて、初めて筧 鷹政は自身の能力をフルに発揮することができた。  安心して後ろを任せられたから。  いい年をして、すっかりその存在に甘えきってしまっていた。  情けなく思うと同時に、突き放すことのなかった相棒を思えば、お互いさまと言ったところだろうか。 「歩かないとな。自分の脚で」  パン、と膝を叩き、そうして鷹政は立ち上がった。  季節が移り変わり繰り返し繰り返し、それでも褪せない思いは確実にこの胸に。 (了)