行き交う人の波に飲まれそうになり、少女は息を呑む。  噂には聞いていたが、その盛況ぶりは彼女の予想を遥かに超えるものであった。  至るところで催し物が行われ、見た事もないような美味しそうな食べ物が少女を誘う。  様々な形、色を持つ花火は、休まる事を知らない。笑いに満ち溢れた喧騒すら、少女にはまるで音楽のように聞こえた。  不意に彼女の体に襲いかかる衝撃。人とぶつかってしまい、その場に尻餅をつく少女。  相手と謝罪を交わし合った後も、彼女はどうしてか立ち上がらない。僅かに擦りむいた手のひらから滲む赤い血が、痛々しい。 「す、」  けれど、 「すっごーい……!」  顔を上げた少女の瞳は、どこまでもキラキラと輝いていた。 「これが夢にまで見た魔女の祭典!」  勢いよく立ち上がり、少女は楽しげに両手を広げる。  そう、今日この場で行われているのは、有名な魔法使いや魔女達が集まる祭典。多少の怪我を気にしている暇など、少女には存在しなかった。  師匠に「連れて行ってやる」と言われた時は、夢なのではないかと何度も頬を抓ったものだ。普段は厳しい師匠だけれど、今日ばかりは愛してるの言葉を叫びたい、と彼女は思う。  嗚呼、向こうを歩いている人物の顔は見た事がある。田舎の村で暮らしていた自分ですら知っている程、名のある魔術師だ。  あちらにある出し物はいったい何だろう? 否、それより、向こうで売っている不思議な色をした菓子も気になる。  右を見ても左を見ても、そこにあるのは少女の興味を惹くものばかり。  自身の体を覆った影に上を見やれば、数人の女性が箒で空を駆けながら陽気にお喋りをしている姿が目に入ってくる。ただそれだけ事にすら少女は嬉しい気持ちになり、笑みをこぼした。 「少しは落ち着きなさい」  師匠に注意され、「はい」と返事だけは素直に。けれども体は言う事を効かず。先程から忙しくなく辺りを見渡す顔を、彼女は止める事が出来ない。  ケイト・クラード。魔女見習い。上がりに上がったテンションを下げる魔法など、生憎まだ習得していないのだ。  この祭典を端から遊びつくさんとばかりに、彼女は目に入る催し物を次々に楽しんでいく。  師匠はそれ以上彼女を咎める事はなかったが、あまりにも嬉しそうな表情で辺りを見て回るケイトの姿に、一度だけ呆れたように肩をすくめてみせた。  耳を劈くような音が辺りへと響き渡ったのは、それから数刻も立たぬ内であった。  ケイトは初め、それが何らかのイベントの一つだと思った。今度は何が始まるのだと振り返った少女の瞳には、確かに期待が宿っていたのだ。  けれども、音のしたほうを目に捉えた時、彼女の笑顔は引き攣るようにかたまる。  それは、パフォーマンスにしては少しばかり火力が強すぎるように思えた。周囲のどよめきも、事態が只事ではない事を語っている。  何よりも、悲鳴をあげてそちらのほうから逃げてきた人影の体から滴る赤いそれは先程のケイトの比ではなく、冗談にしては……趣味が悪い。  ケイトが事態を完全に理解するよりも前に、再び響き渡る轟音。悲鳴。叫声。耳へと入り込んでくる、音、音、音。  立ちのぼる煙は大きく、その規模の雄大さを物語っている。 「うそ……、爆発……? なんで……」  街の一角を瞬時に覆った炎に、ケイトは目を見開く。歓喜に満ち溢れていた祭典は、瞬く間に不安に包み込まれた。 「ケイト、ここで待っていなさい!」  忙しない様子で叫んだ師匠が、使い込まれた箒に乗って飛び去って行く。ケイトはその言葉に頷く事すら出来ず、呆然とその場へと立ち尽くす。  周囲にいた者達が自身の箒へと跨る気配を、彼女は感じる。逃げるようにその場から離れる者、師匠と同じように爆発のあった場所へと向かう者、箒に乗った魔法使い達は各々思い思いに飛び交っていく。  ケイトは動けない。『ここで待っていなさい』先程の師匠の声が、彼女の頭の中で反響する。  弟子にとって、師の言いつけは絶対である。第一、まだひよっこな自分が行ったところで、邪魔になるだけだという事はケイトにも分かっていた。  けれど、それでも……。  ざわめきの中、気付いたら彼女は走り出していた。  駆け出した勢いのまま、手に持っていた箒へと飛び乗り、思う。  ――……飛べ!  それは実にシンプルでストレートな、呪文。  半ば無意識の内に念じられたその言葉に、真新しい箒はようやく呼応する。ふらり、と一度大きくよろめいたものの、少女の体が宙へと浮かび上がる。  向かう先は、もちろん先程の爆発があった場所だ。  箒にまたがり、空を駆ける少女。その姿は、まさに――魔女。  師匠に見られたら、不謹慎だと怒鳴られるかもしれない。それでも、ケイトは自身の口唇が半月を象るのを抑える事が出来なかった。  何かが起こっている。今までの平凡な日常の中では出会う事の出来なかった何かが、この先で。  慣れない箒で少女は飛ぶ。ケイト・クラード。魔女"見習い"。魔法の世界に足を踏み入れたばかりの、新米魔女。  そう、全てはこれからなのだ。今日の事すら、恐らく彼女にとっては神秘に塗れた日常への第一歩に過ぎない。  魔法に満ち溢れた日々は、すぐそこで彼女を待っている。