最後の戦いからいくつかの季節が過ぎた。  北方の龍園にはようやくの夏の気配と共に、気忙しさが漂っていた。    □  ■  □  雑然とした机の上、無理やり広げられているのは大判の北方地図。そこここに小隊名が記された駒が置かれている。それらに目を落とし、 「うーん……」  龍騎士隊隊長・シャンカラ(kz0226)が難しい顔で唸っていた。右手では彫刻刀に似た特殊な筆を繰り、抱えた石板へ文字を刻みつけていく。削られた土片が膝に落ちるも気にする素振りはない。 「午後は神官様達と合同で浄化作業。でも開拓拠点から急ぎで追加資材の要請が……大型飛龍での運搬なんて、新米の子達にはまだ難しいだろうし……通常の飛龍数頭立てならどうだろう。待った、それだと乗り手を多く用意しなきゃいけないな……あああぁ」  苦手なデスクワーク、そしてこれまでと違った業務内容に、彼の頭はパンク寸前といった様子だ。  最終決戦ののち、ハンターズソサエティが少しずつその形を変化させていったように、龍騎士隊も在り方を変える必要に迫られた。  従来の主な使命は龍園の治安維持。汚染された北方に蔓延る歪虚を討伐し、龍園の脅威となるものを退けてきたが、わけても強欲竜どもを一掃することは隊の悲願でもあった。人の身で竜に抗うべく、代々長きに渡り技を磨き、龍とともに戦場を駆け、そして幾多の龍騎士達が短い命を散らしていった。  しかし邪神の消滅とともに歪虚は消滅。強大な強欲竜もおぞましい狂気の眷属も、すっかり消え失せてしまったのだ。  戦う敵もなく、任務の大半を失してしまった龍騎士隊。すわ解散かとも思われたが、すぐに新たな使命を見出すこととなる。阻む者のなくなった広大な北の地の浄化・開拓、そして西方との安全な交易路の確保だった。  歪虚が消えたとはいえ、氷雪の大地を人力のみで開拓することはほぼ不可能。龍園の人々が北方の厳しい環境下で生きて来られたのは、ひとえに青龍はじめ龍達の力添えあってこそ。飛龍の扱いに慣れ、覚醒者として常人離れした体力とスタミナを持つ龍騎士は、開拓を担うにうってつけだったのだ。  開拓拠点の設置や開墾などの直接的な労働から、開拓希望者や物資の搬送およびその護衛といったサポート業務まで、求められる働きは多岐に渡る。そこで龍騎士隊はこれまで通り龍園を本拠地としながら、龍と騎士とを方々へ派遣していくこととなったのだ。  そうして失職の危機を逃れた龍騎士達だったが、順風満帆かと言えばそうでもなく。  独りうんうん唸っているシャンカラの元へ、秘書官・リブが駆け込んできた。大分頼もしくなったその顔は、西方の友人達が見立ててくれた化粧でほのかに彩られている。 「隊長、開拓村から救援要請ですっ。村の近くで雑魔の群れが目撃されたそうです!」 「それは大変、って今かい!? えーっと、」  シャンカラは地図の上、龍園に置かれた駒の上で左手を彷徨わす。 「あー……リブ、行ける? 双子くん達となら3人で充分対処できると思うんだけど」  が、リブはきっぱりと首を横に振る。 「私が行ったら、午後は詰所に隊長ひとりきりになっちゃいますよ?」 「え? 双子くん達は……、」  言い淀んだところへ件の双子がやって来た。旅装である厚手の外套を羽織っている。 「隊長、出立の準備整ったッスよ」 「その格好……ふたりに何か頼んでたっけ?」 「レクエスタの調査隊に同行して、リグ・サンガマ以北への案内をするよう仰せつかってるッスよ」 「……出立、今日だったっけ」 「そうッス、むしろ今ッス」 「数日空けますがよろしくお願いするッスよ」  言って双子は、揃いのバングル嵌めた腕を振り、意気揚々と出かけていく。並んだ背中は随分と逞しくなり、かつての新米も今や立派な青年騎士だ。それを眩しそうに見送ったシャンカラだったが、すぐにまた表情を曇らせた。 「参ったな、人手が足りない……ああもう、僕が行ってきてもいいかな!?」 「ダメですっ、その書簡急ぎのものでしょう? 隊長が行っちゃったら誰が書くんですか!」  シャンカラは最上級の笑顔で石板を差し出したが、リブは頑として受け取らなかった。どんなイケメンがどんな魅力的な笑みを向けて来ようとも、彼女には心に決めた彼(二次元)がいるのだからして。  もとい。 「困ったな。他に手が空いてる人員は……」  くしゃりと髪をかき乱すシャンカラに対し、地図を見ていたリブはパッと顔を輝かせ、 「村までの新道整備に出てる小隊がいるじゃないですか! 一旦村へ向かってもらっては?」  新道にある小隊駒を村へ移そうとした。けれど気が急いたか指が滑り、カツンと駒を倒してしまう。倒れた駒は転がって周囲の駒をなぎ倒しそうになる。 「マズいっ!」  止めようと咄嗟に身を乗り出したシャンカラだったが、上体と机とに勢いよく挟まれた石板が嫌な音をたてた。 「マズい……」  粉塵あげて砕け散る石板。その振動で駒は軒並み倒れ転がって、机上は見るも無残な有様に。 「こんな大変な時に何してるんですか隊長ー!?」 「僕!? 僕だけのせいだったかな!?」 「今の第何小隊でしたっけ? ダメにした書簡、今日までですよね?」 「確か第四だったはず……書簡は、うん。日付が変わるまでが今日だと思えば、なんとか」 「そんなの、泣く子も黙る龍園ハンターオフィス代表サマが許すはずないじゃないですか……」 「だよねぇ……」  途方に暮れたシャンカラが宙を仰いだ、その時。  開けっ放しだった扉が軽く叩かれた。見ればいつからそこにいたのか、辺境オフィス手伝いの香藤 玲(kz0220)が立っていた。玲は呆れ顔でツカツカふたりに歩み寄ると、おもむろに机の地図を取り払う。駒や石板の欠片が豪快に飛び散った。 「おや玲君、お久しぶり……って、何するんですっ!」 「ちょっと見てたけどコントかなんかなの? 仕事中だよね? ってか折角差し入れのケーキ持ってきたのに、こんな状態じゃ皆で食べられないじゃんよ、もーっ! 急ぎの書類があるんでしょ? ホラ、机空けて空けてっ」  アポなしで訪ねてきた自分の非はしれっと棚上げした玲、粉まみれのシャンカラを追い立て我が物顔で陣取ると、鞄からキーボードを取り出した。淡い光を放つホログラムのディスプレイがゆらりと立ち上がり、それを見たリブは無邪気にはしゃいで手を叩く。 「すごーい、綺麗!」 「僕はいまだに石板刻んでる方がすごいと思うんだけど……ともかく、要請先が何隊かなんて今はいいじゃない、新道とやらを辿って行けば会えるんでしょ? リブちゃん、ひとっ飛びお願いできる? 僕は書類作っちゃうから」  リブはこくこく頷くと、転がるように廊下を駆けていった。  西方の友人の突然の訪い、そして暴挙からの機敏な仕事っぷりに呆気にとられていたシャンカラだったが、室内に静寂が落ちると改めて玲を見やる。  初めて任務を共にした時の玲は、子供らしく生意気で、サボれるものはサボりたいというスタンスの風変わりな少年だった。けれど今、机に向かう横顔は少年から青年へ確実に変わりつつある。視線に気付いた玲が一瞬だけ視線を上げた。 「書類なんて雛形いくらでもあるんだし、データなら何度だって書き直しできるんだからさぁ。活用しよ?」 「石板もいいものですよ? 味があって」 「分かるよ、ファンタジー感あって僕も好き。でもそういうのは余暇で楽しもうよ。その余暇を捻出するためにも、仕事は効率良くカタしてかなきゃ」  声はワントーン低くなっても、生意気っぷりは相変わらずで。玲は作成する書類の内容を確認すると、あとは無心にキーを叩き始める。この熱心な仕事ぶりは、あとで皆でゆっくりケーキを味わうためにといったところなのだろう。  シャンカラは邪魔をしないよう口を噤み、窓辺にもたれ外を眺めた。  結晶細工めく美しい石造りの町並み。彼にとっては見慣れた景色だが、他所から訪れた人の中には都市全体が遺跡のようだと言う人もいる。それもそのはずで、この都は遥か昔の災禍以前からここに在り、連綿と続く龍と人との営みを見つめ続けてきたのだ。西方の華やかで色鮮やかな街に行けば心躍るけれど、やはり彼はこの都が好きだった。  通りに視線を移すと、実に様々な人々が行き交っている。北方調査であろうハンターや、龍鉱石の更なる可能性を求めてきた研究者や技術者、それに開拓者達――外界から隠れひっそりと暮らしていた頃には考えられなかった光景。かつて閉ざされていた龍の園は、今や未開の地へ踏みだす果敢な者達のフロンティアだ。  時は動く。  人は変わる。  生活も街も、平穏を得て急速に変化していく。  感慨深く息をもらすと、吐息で曇った窓に彼自身の顔が写り込む。  変わらないのは、この都に新たな風が吹き込んだあの時――初めてハンター達を招いた時にはもう今の立場にあり、歳を取らなくなっていた自分くらいなものかなと、口の端に軽い自嘲を滲ませた。 「ところでさぁ」  小休止とばかりに、玲がうんと伸びをしながら周囲を見回した。 「あのおじさんは?」 「おじさん?」 「ほら、ダルマさんだったっけ。筋肉ゴリモリでモジャモジャ頭の。隊では古参なんでしょ? こんなに忙しくしてる隊長さんほったらかして、おじさん何やってんの?」  苛立ちを隠しもしない玲の尖った声に、シャンカラはさらりとかぶりを振る。 「ああ、ダルマさんなら旅に出ました。もう数ヶ月前になりますか」  玲はガタッと腰を浮かせた。 「旅ぃ!? なぁんでよりによって今!? 龍騎士隊だってソサエティとおんなじように、組織の再編成とか決まり事の整備とかでてんやわんやなハズじゃんよ! 何で今、ってかドコへ!?」 「今だからこそ、だそうで」  シャンカラは応接テーブルに移動すると、お茶の準備をしながらのんびり語る。 「新たに何かをするための諸々のかたち作りは、この先運用していく世代がするのが良いだろうと……まずは辺境や帝国、西方の中でも北部に位置する地域を訪ね、農業について学びたいと言っていました。開墾できるようになったことですしね」 「いやまあ、その辺りなら、寒さに耐える作物とか農法とかあるだろうけどさぁっ」  玲はシャンカラの向かいの席へすっ飛んで行くと、テーブルをぺしぺし叩いて言い募る。 「おじさんの言い分はごもっともだよ? でも隊長さんだって周りだって初めてのこと尽くしなんだ、気軽に相談できる年長者がいてくれたらそれだけで心強いってモンでしょ。めっちゃ馬力あるから開拓現場でも活躍してくれそうなのに……よく許可したね?」  普通、見聞を広げる旅に出るのは若者でしょ? と零す玲に、シャンカラは湯気の立つカップを差し出し薄く笑う。 「確かに、ダルマさんが居てくれたらと思うこともありますが……隊に長く貢献してきた人ですからね。残りの時間は、心のままに過ごしてもらえたら、と」  受け取る玲の指がぴくりと止まった。彼らドラグーンは早熟・不老である代わりに、寿命がおよそ五十年と短い。シャンカラもすでにその折返しに差し掛かっている。龍騎士として長期間身体を酷使してきたダルマに、あとどれほど時間が残されているのだろう。  玲は何とも言えない顔でお茶を一口口に含み、語気を和らげて相槌を打つ。 「……そっか。で、おじさん元気にしてるって?」 「さあ?」 「えっ、連絡ナシ?」 「便りがないのは元気な証拠ってことでしょう」 「あっさりしてるなぁ」  感心半分呆れ半分といった様子で溜息をつく玲に、シャンカラは悪戯っぽく目を細める。 「むしろ何もなくてホッとしてますよ。旅立ってすぐの頃は、あの短気さで問題起こして、どこぞの衛兵や騎士団から身元引受要請が来るんじゃないかとヒヤヒヤしてたんですから」 「あはは、安心するのはまだ早いかもよー?」  顔を見合わせ笑い合う。西方には依頼を通し縁を紡いだ友人達もいる。逞しい彼のことだ、どこへ行っても生きていけるだろう。今までとは違ったやり方で故郷に貢献しようと、今頃試行錯誤しているに違いなかった。  ひとしきり笑い終えると、シャンカラは玲の黒い瞳を正面から見据えた。 「玲君はリアルブルー出身でしたね。あちらには戻らなくていいんですか? 残してきたご家族とか、」 「ああ、いーのいーの。そういうのないから」  問いかけを遮り、玲は気楽な様子でパタパタと手を振る。 「僕、唯一の肉親だった母さんが死んだ直後にこっちへ飛ばされてきたんだ。あっちに未練なんてないよ。知り合いならこっちの方がたくさんいるし、何よりこっちには友達がいるからね」  こっち"には"。  微妙なニュアンスを汲み取り、シャンカラはそれ以上尋ねるのをやめた。代わりに今度は玲が口を開く。 「ホントは隊長さんも、他の地域を旅してみたかったんじゃない?」 「んー、そうですね……」  シャンカラは答えに詰まって俯くと、胸に刺した銀の花を指で撫でる。 「憧れはもちろんあります。けれど……今はここで、大きく変わりゆく龍園を見ていたい、支えていたいという気持ちの方が大きくて」 「隊長さんらしいね」  しみじみとシャンカラを眺めていた玲だったが、ふと何かに気付いたようにぐっと身を乗り出した。 「でもさ、旅は無理でも息抜きくらいは必要だよ。今度お休みの日に転移門で遊びにおいでよ、またリゼリオで食べ歩きしよ?」 「そうしたいのは山々ですが、なかなか休みが取れな、」 「そのためにも業務の効率的なシステム作りをだねっ。僕で良ければ手伝うよ、ダテに何年もオフィス手伝いしてないんだから!」  玲の熱心さに気圧され仰け反りながら、シャンカラは首を傾げる。 「そうしてもらえたら本当に助かりますが……どうしてそこまで?」  すると玲はしばし無言でシャンカラの顔を凝視し、 「……だって隊長さん、ちょっと見ない間に老けたよね」 「えっ!?」  思いもよらぬ言葉にシャンカラ動転。転がるように窓へ駆け寄ると、映り込む自分の顔を食い入るようにガン見する。 「うっそでしょう? 僕の成長が止まったのはもう何年も前なんですよ!? 以来伸びるのは髪や爪くらいで、身長なんかこれっぽっちも伸びてくれなくってっ」 「なーんかやつれたっていうか、疲れた顔してるよ? 覇気がないっていうか。不老だからって油断して、お手入れサボってなーい?」 「うっ……い、言われてみると確かにそんな気が……。どうしよう、あの人に愛想尽かされてしまったら」  呟きを聞きとがめた玲、思わずにんまり。 「"あの人"? それは聞き捨てならないなぁ」  しかし振り向いたシャンカラは、先程までの哀愁ぶりはどこへやら、謎の使命感に燃え頬を紅潮させていた。 「業務の効率化を図るシステムの構築、大至急検討・導入しなければっ」 「詳しく聞かせてよー」 「ええ是非詳しくお聞きしたいです、まずはどんな設備が要るでしょう?」 「ねえ聞いて?」 「聞いていますとも。『余暇を捻出するためにも、仕事は効率良くカタす』んでしたねっ」 「そこじゃなくて、」 「仕事と生活の調和、素晴らしいじゃないですか!」 「うん、いや、そうなんだけれども」  すれ違う会話は無駄に熱帯びたままいつまでも続く。ふたりの傍らでは忘れられたケーキが、箱の中でゆっくり溶けていった。  時は流れる。  季節は移ろう。  誰の上にも等しく訪れ、そしてまた去っていく。  無数の選択と行動が奇跡のように重なり訪れた今日という日に、また新たな選択を重ね明日へ繋いでいく。生ある限り、誰も彼もが。  そんな選択を重ねに重ね、いつか訪れたかもしれないある日のお話。