サンプル小説:「アザレア。」 ●  自分が己の感情を、より正確に認識できるようになったのは、ごくごく最近なのではないかとマリアは感じていた。  以前の自分はどこか「動物的な」感覚が自分の内面の大半を占めていて、突発的な衝動を僅かな単語で繋いで言語にしていたに過ぎなかったような――そんな風に。 (私だけ、なのかな。でも、意外にそうでもないのかも)  好き、嫌い、普通。  楽しい、辛い、分からない。  物語の登場人物の感情はあらすじに沿って的確に配備され、読者はそれを何の不思議とも思わない。  だが、今現在の自分の心情を即座に言葉にできるのはあくまでフィクションであって、実際の人間の感情はもっと曖昧模糊としていて、とらえどころのないものなのかもしれない。  マリアは時々、そんな風にも思ってしまうのだ。 (だから、何年何月何日の何時何分にあなたを好きになったかなんて、そう簡単に言えるわけがないんだ)    覚えているのはアザレアの赤だ。  彼は堅苦しく「山躑躅(やまつつじ)」と呼んでいた。  刈り込まれることなく、自然に任せて育てられたアザレアの枝から、真っ赤な花が溢れ出すようにして咲き誇っていた。  それが目の前の景色よりもはるか遠くまで、ずっとずっと続いていたのだ。 (宵のこの時間がね、俺は一番好きなんだ)  彼はそう言って、マリアを花のトンネルの向こうへと誘った。  落花の赤く散り敷いた道を進み、「見て」と指さす山の端は紫に染まっていた。  日が沈み、残照の残る空。  薄く薄く、三日月の影が浮かぶ頃だった。 (この向こうは海だよ。霧が立っているのはそのせいかもね)  記憶の中で、彼の声が聞こえる。  夕霧の中に浮かび上がる、山の斜面を埋め尽くすアザレアの花。  それは非現実的な美しさすら持っていて、マリアはその光景が、植物の作り出したものだという事を少し疑った。  だがその光景も、目の前を歩く人の存在も、マリアの中に芽生えた感情も、間違いなく現実のものだった。  恋という感情がその時に芽生えたものなのか、そうでないのかはもう分からないけれど。 「今だってそうなのよ。あなたが恋だっていうから、そう認めようとも思うだけで」  マリアはそう言って笑う。  少しイジワルかもしれない。  でも、「それでもいい」と言って欲しかった。  曖昧なままでも、そんな自分を受け止めてくれる――彼に、そうあって欲しいのだ。 (だって私は……私達は、いつ「燃え尽きる」か分からないんだから) ● 『SALFからの連絡だ。現地に近い場所にいるライセンサーは全員、直ちに急行せよ』  夕風の中に、ピリピリとした殺気が棲んでいた。  敵は息をひそめ、マリアや仲間に襲い掛かるチャンスを狙っているのだ。 「気を付けて。この近くにいるのは間違いないわ。つい10分前に近くの集落が襲われたの。犠牲者の数は――」  インカムを通して声をかけ合い、暗がりに姿を探す。  すると仲間の1人が声を上げた。  地面が揺れ、轟音が鳴り響く。  空を埋め尽くすような巨大な影が、マリアの前に飛び出した。 (あなたが好きって、私、いつかはちゃんと言えるかしら?)  刃に這う赤を揺らめかせながら、マリアは心の中で問いかける。  熱い熱い、アザレアの赤。  目の前の敵を焼き尽くすため、イマジナリードライブの火が燃え上がる。  悲鳴、怒号、殺気、怨嗟。  命懸けの戦場がマリアの生きる場所で、リアルな現実だ。  それでも――。 (戻りたいと、願うの。いつだって、あなたのもとに)  強く踏み出し、真っ赤に燃える刃を敵の体へと叩き込む。  そして生ぬるい返り血を浴びながら、目の前で息絶える敵の躯に心から安堵する。  また今日も、帰れるのだ――と。 (いつかはちゃんと言わせて。私はその時まで、絶対に枯れはしないから)  その心は「曖昧」でも、赤く赤く咲き続ける。  マリアは1人目を閉じ、そう誓うのだ。   --------------------------------------------------------------- (作者より)  アザレア、ヤマツツジの花言葉は「曖昧」だそうです。  花と花言葉をモチーフに架空のライセンサーを書いてみました。  恋をしながら戦う女戦士、なイメージです。