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『 自然の中で夜を過ごすなら 』
エリヴィア・クリュチコワ7658



「だから、よりによってなんでキャンプなの!」
 少女の怒声が響く。銀髪を肩の辺りで切りそろえた少女、斎瑠璃は目の前にある同じ顔に向かって怒鳴っていた。怒鳴られた当の本人はにこにことしたまま、ウェーブのかかった長い銀髪を揺らしている。
「夏の避暑地だったらいくらでも別荘があるでしょう? どうしてわざわざ山の中でそんな原始的生活を……」
「だって瑠璃ちゃん、河原でバーベキューをしたり、お魚とったり花火したりできるんだってよ! テントの中で皆で眠るとか、楽しそう!」
「……」
 恐らくこの双子の妹は、それがどういう生活かわかっていないのだ。瑠璃は妹、斎緋穂より一般常識はあるが、彼女とて実際にキャンプを体験したことはない。外で眠った事などないお嬢様なのだ。駅の改札機にクレジットカードを通そうとする位の緋穂が、キャンプの実態など理解しているはずはない。
「でも行きたいんだもん〜楽しそう!」
 汗でべたべたになって、虫に刺されてなどというネガティブハプニングは想像してもいないのだろう、緋穂の無邪気な声が部屋に響いた。



 キャンプに行きたい――そんなお嬢様の要望を受けて、エリヴィア・クリュチコワはインターネットや雑誌を駆使してキャンプ場を選別した。関東近辺で自然が溢れ、河原があるキャンプ場をリストアップ。その中でも一番施設が充実していると思われる場所に、決めた。


 今回一同が訪れる事になったのは、川辺のキャンプ場。しかも設備はかなり整っている施設だ。
 有料だがテントや寝袋、バーベキューセットや鍋などキャンプで必要な道具を借り受ける事が出来るほか、地元で取れた野菜やお米、肉などを管理施設で販売していて、手ぶらでキャンプに来れるというのがウリらしい。
 極めつけは管理施設に設けられた大浴場。集団入浴ではあるがお風呂に入れる、シャワーが浴びられるという事で女性や子供に喜ばれているとか。
「リュー、お魚取ってくる〜!」
「リュー、転ばないように気をつけろよ」
 リュウ・リミテッドがいの一番に河原の砂利の上をビーチサンダルで駆け抜けていく。クロス・リミテッドはそんな弟の姿を目を細めて眺めながら、バーベキューセットを設置している。
「グルル‥‥(訳:俺も行くか)」
 ー・ミグは日差しに目を細めながらも、リュウに負けじと川に向かって走る。
「私も、私も川で遊びたい!」
「お嬢様方、きちんと日焼けと虫対策をしてからにいたしましょう」
 今にも走り出しそうな斎緋穂を止めて、エリヴィアは持ち込んだバックの中から虫除けスプレーと日焼け止めのローションを取り出した。
「助かるわ。焼けたら赤くなっちゃうもの」
 すでに折りたたみ椅子に腰をかけている斎瑠璃は、帽子を目深にかぶったまま小さくため息をついて日焼け止めを受け取った。双子の白い肌は、焼けると黒くなるというより赤くなる。
「俺も焼けたら大変だしな♪ 痒いのも嫌だし」
 クロスも思い出したように日焼け止めを取り出し、その腕や首筋に塗っていく。その間にエリヴィアは屋外設置用の虫除け剤を設置していく。
「もういい? もういい?」
 日焼け止めを塗って虫除けスプレーを散布した緋穂は、すでに川に入っているリュウとミグをちらちらと見ながら今か今かと許可を待っている。エリヴィアは虫除け剤設置の手を止めて、緋穂の後ろへと歩み寄った。
「髪は結んでおかれたほうがよろしいかと思います」
 ポケットから取り出したブラシで緋穂のプラチナブロンドの波打つ髪を梳き、そして手早くゴムで一つに纏める。そして淡いピンクのシュシュをつけた。
「これでよろしいかと思います。いってらっしゃいませ」
「うん、行ってくる!」
 白いつばの帽子をかぶり、ワンピースの裾をなびかせながら緋穂は川へと走っていく。
「元気ねぇ‥‥」
 瑠璃は椅子の上からぼそり、呟いた。
「瑠璃さんは遊ばないの?」
 まな板の上に出刃包丁や菜切り包丁を並べるリュウに問われ、瑠璃は「濡れるのが嫌なの」と答えた。
(きっと焼けるのも汚れるのも嫌なんだろうね)
 そう思ったが口には出さないリュウ。ならなんで彼女はこんな所に来たんだろう、そう考えてふと気づく。
 きっと彼女は自分と同じなのだろう。兄弟と楽しみたいから――そうではないだろうか。
「素直じゃないね♪」
 人参片手にそう呟き、リュウはその素直じゃない女の子の傍で、持ってきた食材の確認をはじめた。




 さらさらと流れる水の音が耳に心地いい。
 そんな川の中、ジャバジャバと水音を立てているのは二人と一匹。
 リュウは折角つり道具を持ち込んだというのにそれを使わず、川の中に岩で作ったトラップで魚を捕まえている。ミグは川に潜り、魚を口に咥えては川辺に放る。ぴちぴちと跳ねる魚を、川辺の緋穂が面白そうに見ていた。
「凄い凄い〜。おお、生きてる生きてる〜!」
 手を叩いて感嘆の声を漏らしているが、一向に足元で跳ねる魚を拾おうとはしない緋穂。
「グル‥‥(訳:おい、早く魚を魚籠に入れろ)」
 ぶるるんっと身体を震わせて水気を払ったミグが唸ったが、緋穂には伝わらないようだ。いや――
「緋穂お姉ちゃん、もしかしてお魚掴むの怖いの?」
 自身がトラップで捕まえた数匹の魚を魚籠に入れながらリュウが問うと、彼女は「掴んだ事ないからわからない」と告げて。
「仕方ないなーリューがやってあげる」
 リュウはひょいっとミグの取ってきた山女を掴み、魚籠へと入れた。
「リュウ君凄いね!」
「これくらい、簡単だよ!」
 褒められて胸を張ったリュウは、川の中に居るミグへと手を振る。
「もっと沢山捕まえてきてもいいよ〜! リューがきちんと魚籠に入れるからねー!」
 それを聞いてミグは、再び川の奥へと向かう――犬かきで。
「緋穂お姉ちゃんも川に入ろう? 浅いところなら大丈夫でしょ?」
「うん、気持ちよさそう!」
 リュウに手を取られ、緋穂はサンダルを脱ぎ、そおっと川の水へと足を踏み入れる。
「ぬるっとするかと思ったら、そうでもないね」
「でも油断していると転ぶからね、注意してね!」
 これでは、どっちが年上なのか解らない。



 時間的にはやや夕方になってしまったが、遅いお昼と早い夕食をかねてバーベキューが行われた。
 クロスやエリヴィアが下ごしらえした野菜や肉、そして魚介類。リュウとミグが取ってきた山女や岩魚などはそのまま塩焼きにして。
「わたくしが焼きますから、皆様方はお召し上がりください」
 エリヴィアが網の傍で菜ばしやトングを片手に、次々と焼き上げていく。まずは火の通りにくい野菜から。
「リュー、随分沢山取ってきたな」
「うん。ミグさんと一緒にね!」
 仲良く隣同士に座ったクロスとリュウは、焚き火で塩焼きにした魚を、串に刺したままかぶりついて。
「はふ、あふいあふい」
「やけどするなよ?」
 兄弟のやり取りをほほえましく眺めたミグは、目の前に置かれたアルミ皿に気づき、鼻を寄せた。乗せられていたのは焼きたての肉と魚。魚は川で採った物だが肉は斎家で購入したものらしく、普通のバーベキューで使用されるものよりは遙かに高級なものである事が匂いからもわかった。
「焼けたって! 熱いから気をつけてね!」
 水の入った皿と料理の入った皿を置いたのは緋穂だった。焼くのに忙しいエリヴィアに代わって運んできてくれたのだろう。ミグはすっかり毛の乾いた手で、器用に携帯メールを入力する。
『川で魚を獲ってる時、釣り人の幽霊に出逢った。とにかく川には気をつけろ、だそうだ』
「うーん、川って事故が多いっていうもんね。何も起こらないといいよねぇ」
 緋穂が見つめた先には、燦燦と照りつける太陽の下で遊ぶ人々が居て。つられてそちらを見たミグも、この平和が悲劇で打ち破られなければいい、と心の中で願った。


「瑠璃お嬢様、お魚になさいますか? それともお肉とお野菜に? お魚は獲りたて新鮮ですし、お肉も高級なものです。野菜は今朝獲りたてのものを購入しました。どれもお口に合わないという事はないと思いますが」
「‥‥魚。でもああいう原始的な食べ方はできないわ」
 エリヴィアの言葉に、瑠璃は楽しそうに魚にかぶりついているリュウとクロスを見やって。さすがにそれは予想の範疇だったのだろう、エリヴィアは皿に載せた魚に箸を沿えて瑠璃に差し出した。
「これならいかがでしょうか」
「そうね‥‥ありがとう」
 焼けた皮を除けて、瑠璃が魚の白い身をほぐす。そして箸でつまんで口の中に入れる。すると――それまで日差しや暑さで不機嫌だった瑠璃の表情が、少し和らいだ。
「‥‥美味しいわね」
「新鮮な魚ですから。それに、こういう場所で皆でする食事というものは、最高のスパイスとなります」
 柔らかく言いながら、エリヴィアは皿に盛った肉や野菜を次々と簡易テーブルに広げていく。
「皆様、こちらに焼けた食材を用意しておりますので、どんどんお召し上がりくださいね」
 小さなテーブルの上はすぐにいっぱいになり、どの皿からもよい香りが漂っている。再びバーベキューセットの方へ戻ろうとした彼女の服の裾を、小さな手が引いた。
「エリヴィアお姉ちゃんも一緒に食べようよ」
 リュウの呼びかけに、エリヴィアは一瞬考えて。
「皆で食べたほうが美味しい、よね?」
 クロスが悪戯っぽく、先ほどの彼女の言葉を繰り返した。
「キャンプは皆で楽しむものなんだよ♪」
 リュウは二匹目の魚を手にとって、無邪気に言う。
 エリヴィアは迷うように瑠璃と緋穂に視線を向けて。許可を求めるような視線を受けて、瑠璃が口を開いた。
「私達は一から十まで世話をしてもらわなければならない子供ではないし、構わないわよ?」
「そうだよ、皆で食べよう!」
 緋穂にも微笑まれてエリヴィアは「お嬢様方がそうおっしゃるなら」と、ゆっくり皿に手を伸ばした。



 色とりどりの火花が散り、夜の闇に花が咲く。
「花火花火〜!」
 吹き出す手持ち花火を振るリュウを、クロスは皿の後片付けを手伝いながら見守っている。
「ちょっと緋穂、こっち向けないで頂戴」
「瑠璃ちゃんもやろうよー」
 緋穂は両手に花火を持って嬉しそうに瑠璃に近づくが、瑠璃は煙が嫌だといって風上で虫除けスプレーを使っている。
「まだ沢山ありますから、瑠璃お嬢様もいかがですか?」
「そんな、子供っぽいこと‥‥」
「私も一緒に遊ぼうかな」
 エリヴィアに花火を差し出され、そして片づけを終えたクロスがこれ見よがしにと花火を手に取る。
「お兄ちゃん、こっちで一緒にやろうー!」
 クロスの姿を見つけて、リュウが手を振った。クロスは何本かの花火を手に、弟の下へ駆け寄る。
「‥‥仕方ないわね」
 瑠璃が小さくため息をついて、エリヴィアの手から花火をとった。恐らく年長者に恥をかかせないためとかなんとかで自分を納得させたに違いない。
「瑠璃ちゃん、早くー!」
 緋穂が川面に花火を向けて、水面に花を咲かせる。小声でぶつぶつ言いながらも瑠璃の頬が緩んでいる事に気づいて、エリヴィアとミグは顔を見合わせて微笑んだ。



 管理施設の中の浴場は集団浴場というだけあって広かった。斎の屋敷の浴場と比べてはいけない。あそこは特別だ。
「‥‥不特定多数の人の前で裸になるの?」
「いいじゃん、汗でべたべたなの、早く落したいー!」
 エリヴィアの予想通り、瑠璃は眉根を寄せたが緋穂は羞恥よりも汗と汚れによる不快感が勝っているらしく、ぱぱっと着ていたワンピースを脱ぎ捨てる。エリヴィアはそれを拾って丁寧にたたみながら、口を開いた。
「集団入浴なのは我慢してくださいませ。ボックスシャワーよりは入りやすいはずです。わたくしめが一緒に入り、サポートいたしますから」
「そういうわけじゃなくて‥‥」
「本来ならキャンプ場で入浴は殆ど望めないものです。けれどもお嬢様、汗や煙の匂いに包まれたままではお休みになれないのでは?」
 渋る瑠璃にエリヴィアは正論を突きつける。「それは‥‥」と瑠璃が口ごもった。エリヴィアの勝ちだ。
「わかったわ‥‥仕方ないわね」
 瑠璃はゆっくりとブラウスとズボンに手を伸ばす。下着を取るのにはためらいが生まれたが、浴室から名を呼ぶ緋穂の声の方が恥ずかしかったのだろう、タオルで隠してなんとか浴室へと進んで行った。
 エリヴィアは瑠璃の服を綺麗に畳んだ後自身も服を脱ぐ。さすがに公共の浴場で服を脱がずにお嬢様の入浴のお世話をというわけにはいかなかった。
「エリヴィアさん、こっちこっちー!」
 奥の湯船から、緋穂が手を振っているのが見える。順応力が高い彼女はすでになじんでいるようだ。瑠璃は少しでも早く身体を隠したかったのか、急いで湯船につかったところだった。
 エリヴィアはかけ湯をして、静かに湯に長い脚をつける。そしてなるべく波を立てないようにしながら、二人の傍へと寄った。
「瑠璃ちゃんとは一緒に入る事はあるけど、こうやってエリヴィアさんと一緒に入ることはないから、なんか新鮮!」
「そうですね。わたくしめは使用人ですから」
 使用人とお嬢様が共に裸でお風呂につかる事など滅多にない。先にマナーを教えておいたので緋穂は髪を上で纏めているが、ちょっと頭が重そうだった。
「‥‥?」
 ふと、視線を感じてエリヴィアはその主を探す。緋穂が彼女の胸をジーッと見つめていた。
「緋穂お嬢様?」
「何食べたら、そんなに大きくなるかな?」
 自分の胸とエリヴィアの胸を見比べる緋穂。エリヴィアは、小さく笑って。
「好き嫌いをなさらずになんでもお召し上がりになれば、時が来ればいずれ」
「本当かなぁ‥‥ねぇ、瑠璃ちゃん」
 疑い深そうに呟いて、隣に居る瑠璃を見つめた緋穂につられてエリヴィアも彼女を見る――と。
「瑠璃ちゃん!?」
「瑠璃お嬢様!?」
 静かだと思ったら、のぼせて顔を真っ赤にして、瑠璃はぼーっと二人を見つめていた。彼女にはお湯が熱かったのかもしれない。
 エリヴィアが瑠璃を抱き上げて、湯船から出る。
「もー、熱いなら早く出ればいいのに」
 追う様に出てきた緋穂の呟き。エリヴィアは心の中で、瑠璃の心中を慮っていた。
(恐らく‥‥少しでも長く、身体が他の人の目に触れる事を避けたかったのでしょうね‥‥)
 苦笑しながら、ぬるめのお湯で瑠璃の身体を冷やすエリヴィアであった。



 テントの中で眠るのが初めてだといいつつも、床が固いとか文句を言いつつも、気がつけばお嬢様は二人とも眠りに落ちていて。
 恐らく慣れない行楽で疲れたのだろう、それは想像に難くはなかった。
(楽しんでいただけたのならば、良いのですが)
 二人がぐっすり眠りに落ちているのを確認して、エリヴィアは明日の朝食の下ごしらえをするためにテントの外に出た。
 空にはちいさな星が、無数に瞬いていた――。


                      ――Fin



●登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
・7274/ー・ミグ様/男性/5歳/元動物型霊鬼兵
・7658/エリヴィア・クリュチコワ様/女性/27歳/メイド
・8065/リュウ・リミテッド様/男性/10歳/学生・魔術師
・8090/クロス・リミテッド様/男性/18歳/『Alice』の社長・魔術師


●ライター通信

 いかがでしたでしょうか。
 私自身、皆さんとキャンプに行った気分で楽しく書かせていただきました。

 気に入っていただける事を、祈っております。
 書かせていただき、有難うございました。

                 天音
なつきたっ・サマードリームノベル -
みゆ クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年08月20日

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