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『胡蝶の夢 』
アラン・ハリファックス(ea4295)






 さらりとしたシーツの上で身じろいだ。瞼を閉じ続けていても、自分に日差しがそそいでいるのが感じられる。もう朝なのだとわかるが、起きるのは躊躇われた。腕を動かした先にまだかすかに残るぬくもりや、それによって思い出される感触を、あと少しだけ味わっていたかった。
「ぱぁぱー、朝ですよー」
 ドアがゆっくり開かれてきしむ。同時に、舌足らずな幼い声が聞こえてきた。
 また裸足でうろうろしているのか、てちてちと軽快な足音が近づいてくる。
「ご飯できてますよー? ままが待ってますよー? 起きてくださぁい」
 大人ふたりが寝転んでも余裕のあるようなベッドだ。中央付近でごろごろしていれば、片手の指の数にも及ばない年齢では、届きやしない。悔し紛れにばんばんとベッドのふちを叩けるくらいだ。
「‥‥むぅー」
 しかし、できないとわかるとどうにかして別の道を見つけ出そうとする、その意欲が半端ではないのが子供というものだ。気づかれないよう注意して薄目を開けてみると、肉感のある小さな手で必死にベッドのふちをつかみながら、その横へ足を伸ばして引っ掛けている。そして全身に力を込めてふんばった。よじ登ろうというのだ。
 この頃から嫌な予感がしてくる。どうしようもなく嫌な予感しかしない。本能的に、腹を守るように膝を折り曲げる。
 そうこうしているうちに、ベッドが揺れた。よじ登ってしまっただけではなく、ベッドの上で仁王立ちになっていた。嫌な予感が的中したことに「げ」と思う暇もなく、
「っとぉーーーーーっ!!」
 成長期の体丸ごと、娘は俺の上に飛び乗った。



「‥‥もう少し優しい起こし方を教えるべきじゃないか」
 娘が周囲にずらりと並ぶおもちゃや人形に目を奪われているうちに、俺は横の妻に声をかけた。
「あら、ケガしちゃいましたか?」
「いやまあ‥‥さすがにそれはないんだが」
 長年にわたり冒険者として前線に立つ経験を積んできた身だ。今はただのパン屋の親父であったとしても、幼い娘が乗ったくらいでどうにかなるほど弱くはない。一瞬「ぐえっ」となるだけだ。
 しかし、将来を考えれば、娘もいつかは嫁に行くはず。その時になって結婚相手の上に飛び乗って起こすようではいかんだろう。――と妻に説明すると、妻は少しだけきょとんとした。
「もうお嫁に出すことを考えているなんて。誰にもやらんとか言ってませんでしたっけ」
「ふっ。どこに出しても恥ずかしくないようにというだけだ。俺の目の黒いうちは、そんじょそこらの男どもには指一本触れさせん」
「アランが本気を出したら、それこそ普通の人では相手にならないじゃないですか」
 くすくすと笑う妻の顔は楽しそうで、それは俺にも伝染する。
 ――いや、今だけじゃない。常に。日々は楽しく、騒がしく、幸せだ。
「ぱぱっ、これがいいー♪」
 大切な娘と。
「可愛いお人形を見つけてきましたねえ。ええと、お値段は‥‥」
 愛する妻と。
「値段なんか気にするな。年に一度のことだしな」
「やったぁー!! ぱぱ大好きー!!」
「そのかわり、大事にするんだぞ」
「もちろんですよぉー♪」
 冒険者時代に蓄えた金はパン屋を開く際にだいぶ使ってしまったが、店の経営はそれなりに順調だから、贅沢さえしなければ金に困ることはないし。
 友人どもは、俺みたいに冒険者を引退した奴もまだまだ現役の奴も、しょっちゅう店に顔を出してはパン買うついでに世間話をしていくし。
 面と向かって言うことはほとんどないが、接するすべての奴らに感謝を述べたい。
 俺はお前達のおかげで今、確かに満たされているのだと。

 妻が俺の名を呼ぶ、その響きにどういうわけか懐かしさを感じたのだとしても。



 白いクロスのかけられたテーブルには様々な料理が並ぶ。娘の好物をメインに、日々の食卓より数も質も豪華に揃えられている。中央には手作りのケーキがどんと構えており、存在感を放っているだけでなく、この特別な状況の意味を如実に語っている。
「パパとママの可愛い娘は、今日で何歳になりましたか?」
「よっつになりましたぁ」
 今日は娘の四回目の誕生日だ。この日ばかりは店も一日休んで、娘のために時間を費やす。数年来続いていることなので、常連客も笑って許してくれる。その分ご愛顧セールなんぞやってたりするんだが。
 妻にそっくりの口調と笑顔で四本の指を立てる、本日の主役。その隣にある椅子には、誕生日プレゼントの人形が綺麗なドレスを着て座っている。娘とお揃いのリボンが人形の髪を飾っているところを見ると、早速可愛がっているらしい。いいことだ。
「ぱぱ、まま、ありがとうございますっ」
「あらあら、この子ったら。いいのよ、今日はあなたの誕生日なんですからね」
 突然ぺこりと頭を下げた娘に驚くも、もうそんな風に言えるくらいに大きくなったのだと、目頭が熱くなる。
 ああ。この日々がずっと続けばいい。どうか続いてほしい。続いてくれるのなら、毎朝ベッドにダイブされてもいい。
「ハッピーバースデー。●●●」

 娘の誕生日を祝うため、開いたはずの唇。娘の名を呼んだはずなのに、声は出ない。
 妻の微笑みも、
 娘の笑顔も、
 氷づけになったかのように固まって。

 ――俺の幸せな日々が、そこで、止まった。










「いつまで寝てるんだ。先に行くぞ」
 足先で小突かれて、強引に起こされた。頭上に広がる天幕はジャパンのもの。
 まだ寝ぼけている頭も、そこかしこから聞こえてくる武装の擦れ合う音、士気を高める掛け声が、徐々に現実へ引き戻してくれる。
 ここはジャパンのこれからを左右しかねない大きな戦に向かう者達の集う陣。今は嵐の前の静けさだが、まもなく刃と魔法が入り乱れ、血のにおいが充満することになるだろう。
(‥‥この感じは‥‥夢を見ていた、のか‥‥? どんな夢だったか、思い出せないな‥‥)
 弱々しく後ろ髪を引かれるような感覚。もしかしたら、大事な何かを、夢の中で経験していたのかもしれない。
 だがどれほど思い出そうとしても思い出せない。霧がかかったように遮られて、そこに手が届かない。伸ばしても伸ばしても、つかめない。
 夢を見ていた。それはわかる。
 ひどく心を揺さぶられる夢だった。それもわかる。
 ――なのにどうして、どんな夢なのかがわからない?
「‥‥さすがに、行かなきゃな」
 俺の戦支度は済んでいる。敵の返り血でまみれるため戦場へと向かうんだ。そこに一分の隙でも迷い込めば、たちまち俺は俺の血で濡れる。思い出せないものにいつまでも関わっていられない。夢を見た、それだけでいいじゃないか。
 しょせん夢は夢、どうということはない。

 こんなにも胸がざわつくのもそう。

 どうということは、ない。
WTアナザーストーリーノベル -
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Asura Fantasy Online
2009年07月21日

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