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『Antinomy 』
アヤカ・レイフォード6087)&(登場しない)





「愛しいからこそ殺したいって感覚、分かる?」
「……分かんないわ、そんなの」
「私はね、なんとなく分かるよ。
 だってほら、それってつまり誰にも渡したくない、誰にも見せたくない。だけどそれは無理かもしれない。だけどそんなこと耐えられない……そんなことになるなら殺してしまえばいい。要するに究極的な独占欲じゃないかな?」
「そういうもの?」
「きっとそうだよ、うん。人道的には許されないかもしれないけど、だけどある意味で究極の愛の形…とも言えるんじゃないかな?」





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 彼女は何時でも優等生で美しかった。
 自分に対して羨望の眼差しが少なからず向けられているのは知っていた。隠そうとしない者も多かったから。
 しかし学校で完璧すぎた彼女は、逆にそれが仇となったか何時しか高嶺の花のように扱われるようにもなっていた。
 別段それが悪いことだとは思わない。寧ろ誰かに拘束されるようなことがない分彼女にとっては都合がよかっただろう。
 そしてそれが当たり前となっていたから、その行為を見かけたときは軽く衝撃を受けてしまった。

「……何これ?」
 高校の授業を終えるチャイムが鳴り響き、何時ものように優雅に挨拶を交わしながら彼女は下駄箱へとやってきた。
 何時ものように靴を取り出し、何時ものように帰路に着く…ただそれだけのためにあるそこに、何時もとは違うものが混ざっていた。
 靴の上に置かれた、今時滅多に見ない小さな便箋。それを開くと、当然のように一枚紙が入っている。
 丁度まだ人が来ていないのか、周りには誰もいない。覗かれる心配もないかとその場でその紙を開いてみた。
【放課後、体育館裏で待っています】
 その文体を見て、彼女は大きく溜息をついた。
 なんと前時代的なのだろう。今時こんなものを書いてよこす人がいるだなんて。
 もう21世紀になって絶滅したと思われた所謂ラブレターを、こんなところでまさか自分を対象として見ることになるとは思わなかったのだ。
 しかし、とも思う。偶にはこういう対象を弄んでみるのもいいのではないか、と。
 彼女は小さく笑い、校門へ向けるはずだった足をそのまま体育館裏へと向けた。
 優雅な微笑を顔に貼り付けたまま、アヤカ・レイフォードは心の中で昏く笑い続けた。



「あ、あの……アヤカ・レイフォードさん。ずっと前から貴女のことが好きでした」
 分かりやすい告白の言葉だった。
 それはいい。しかし、アヤカは面を食らったように少し呆けた顔で殺すべき対象を見つめていた。
 アヤカは人間であるかは置いておいても性別上は立派な女だ。ならば、そこに現れるべきは男であるのが道理だろう。そう彼女は思い込んでいた。
 勿論それを前提として返事も考えていたし、これからの付き合い方も考えていた。だからこそ、今目の前にいる存在には面を食らってしまったのだ。
「……ぇと、その、それは嬉しいんだけど……」
 彼女の中のコンピューターがフル回転で回答を導き出す。しかしすぐには出てきてくれないのがもどかしい。
「やっぱり、変ですよね。自分でも分かってるんです……だけど、苦しくて、我慢できなくて……」
 ふるふると震えている。その姿はとても愛らしい。
 しかし、そんな姿にすら戸惑ってしまう。なぜなら、目の前にいるのはアヤカと同い年くらいの少女だったのだから――。

(そういえば、随分と可愛い文字だったかも)
 一つ息を吐き、アヤカはとりあえず落ち着いて相手を観察してみることにした。
 自分よりも一回り小柄でほっそりとしている。その顔は掛け値なしに可愛いといえるものだ。タイの色は自分と同じ、つまり同級生だ。
(あら、この子……)
 そこまで見渡してあることを思い出す。自分ほどではないが、男子にそれなりの人気がある子だと。
 控えめで地味だが、しかりその地味さがいいというものも多い。なるほど、彼女か。
 まさかそんな彼女にこういう趣味があったとは驚きだが、しかしそれならそれで面白い方向に進みそうだ。
 アヤカにとって、同性愛は殊更おかしなことではない。勿論自分が対象でなければ、であったけれど。それは過去の体験からか、意外にすんなりと受け入れられていた。正直彼女にとってはあまり思い出したくもない過去ではあったけれど。
 目の前で小動物のように震える少女を騙し、自分に溺れきったところで奈落の底に突き落としてみたらどうなるか。そんな昏い想像に、心が震えた。
 だから、
「いいわ」
「……ぇ?」
 満面の笑みで、
「そんなに想ってもらって嬉しかったから。確かに女の子同士だけど……きっと大丈夫よ」
「……!」
 彼女を蜘蛛の巣に引っ掛けてみたのだ。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 二人の交際は、当然ではあるが内密のものとなった。
 片やあらゆる生徒の憧れの対象、片や地味でも人気のある少女。そんな二人が付き合っていると知れ渡れば、学園内で相当センセーショナルなニュースとなり得る。あまり目立ちたくないアヤカからすれば、それはあまり都合のいいものではない。
 勿論それは少女も分かっているようで、学校の中で二人はあくまで仲のいい友達を演じた。演技をしているうちは誰かに知られることなどないのだから。
 そして二人だけの時間になったら逢瀬を重ねる。勿論肉体的な重なりなどはない、ただ手を繋ぐだけでも少女が照れるような関係だったけれど。それでもその甘酸っぱい時間は少女を大いに満足させているようだった。
「ねぇ」
「ん?」
 数日前の堅い空気は既になく、二人の口調は軽い。
「今度デートしましょうか」
「え、いいの?」
 その誘いに、少女は満面の笑みを浮かべ二つ返事で頷いた。その裏に、どんな思惑があるのかなど知らずに。

 デートなどとは言っても、それは仲のいい友達が遊びに出かけたのとなんら変わらない。
 一緒に映画を見て、一緒にウィンドウショッピングをして、一緒にご飯を食べて…本当に何の変哲もない普通の時間。
 それでも少女は片時も離れたくないとばかりにアヤカの手を握り、アヤカは少女のしたいようにさせていた。
 そして夕日に包まれた公園で、他愛のない会話を交わす。そんな中で少女の口から殺すなどと凡そ似つかわしくない言葉が出てきたときは、流石のアヤカも軽く驚いたが。その言葉の意味もよく分からないまま、アヤカは適当に話を合わせた。
 もしかしたら、その時間をアヤカ自身も存外に楽しんでいたのかもしれない。



「もう帰らなきゃいけないんだ……寂しい」
 楽しい時間は早く過ぎる。それは少女にとってもそうだったようで、すっかり夜の帳が下りた頃、少女は名残惜しそうにアヤカの手を離した。
 しかし今度は、その温もりを離したくないとばかりにアヤカがその手を握り返した。
「ぇ……?」
 驚きの声を上げたのは少女のほう。今までそのような行為をアヤカから求めてきたことはない。
 そんな少女をよそ目に、アヤカはその手に力を入れる。もう二度と離れたくはないと、まるでそう言わんばかりに。
「……手を離されると、寒いわ」
 はっとした。顔を上げたアヤカの瞳が、かすかに濡れて揺れていたから。
 その瞳は蟲惑的な色を湛えている。隠し切れない期待が揺れる。
「今日は、もっとあなたと一緒にいたい……駄目?」
 少女の瞳も揺れた。甘い香りに脳髄をガツンと叩かれたような感覚。
 一番愛しい人の口が、そんな言葉を発している。それを断ることなど誰が出来よう。
 小さく喉が鳴る。唾も出るのを忘れているのか、酷く喉が渇いて痛い。
 目の前にいる愛しい人のそれで、もしその渇きを癒せるのなら――。

 小さく少女が頷いた。そんな少女を、アヤカがそっと抱き寄せ、耳元で何か囁く。
 うっとりと、少女の頬が赤く染まる。手を取りあい、二人は闇の中へ消えていった。





 賑やかな街の中であっても、時間が停滞したような場所は確かに存在する。既に何年も人の入っていない空き家などはそのいい例だろう。
 近年の区画工事などにより既に人の引き払った古い空き家。そこへ二人は遠慮なく入り込む。
 周辺にも空き家が散在し、二人以外の人の気配など一切感じられない。何かの息吹を感じるなら、それは野良猫や鼠の類か迷い込んだ酔っ払いくらいのものだろう。
 人がいなくなって久しいそこは、流石に少し埃っぽい。しかし丁度毛布がかかっていた古いベッドは、それさえ退けてやれば問題もなさそうだった。
「ぁ……」
 遠慮なくアヤカは少女をその上に押し倒した。小さな声が漏れ、しかし少女は抵抗なくそのベッドに沈む。
 その上に重なり、華奢な両腕を頭の上で押さえつける。少女の抵抗は一切ない。
 これから起こることへの期待と不安が入り混じった瞳が揺れ、アヤカのそれと交差した。自分はこれから愛する人と一つになるんだ――そう思えば、少女の瞳から不安が消える。
 期待が膨らみ爛々と輝く瞳を軽く舐め、アヤカが妖しく笑い、その耳に囁きかける。
「バーカ」
 それは、少女の期待していた甘い言葉からは程遠いものだったが。

 キリキリと、少女の腕が少しずつ天上に向かって伸びていく。拘束された形のまま伸びていくその様は、正にタロットカードの一枚を表している。
 見えないもので無理に捩じ上げられた関節が悲鳴を上げ、その痛みから少女の瞳に一筋の光が伝う。それを舐め、アヤカは堪え切れないように体を振るわせた。
「本当にあんた、バカよねぇ……私はあんたを殺したくて仕方がなかったのに」
 何が起こっているのか分からない。その声は、少女が恋焦がれた美しい女のそれとはかけ離れていた。悦びに震えるその様は、この上なく浅ましい。
 そして同時に確信する。これは愛しい人が確かに起こしているのだと。自分は見えない何かに吊るされているのだと。
「なんで、こんな……どうして……?」
 痛みと混乱から呼吸すらままならない。先ほどまで信じていた彼女と今の彼女はまるで別人のようだ。
 しかし、その顔はやはり愛した人そのもので。そのことが余計に少女を混乱させた。
「なんで私があんたなんかと付き合わなくちゃいけないわけ? 最初からこれが目的だったのよ、分かる、お馬鹿さん?」
 愉しげに、それでいて心底馬鹿にしたような口調は、それがアヤカの本心であると告げていた。ある意味それが少女を落ち着ける原因となったのかもしれない。
「そっか……」
 少女の声のトーンが低くなる。それは決して怒りや絶望などから来るものではなく穏やかなもの。
 もしかしたら、自分はこれを望んでいたのだろうか。そう思うと、不思議と心が落ち着いた。
「……何よ、あんた」
 それはアヤカが期待していたものとは違っていた。この状況において、何故そんな声が出るのか。アヤカが訝ったのも無理はない。
 そして次にその口から出た言葉は、目の前の少女を狼狽させるのに十分すぎるものだった。
「いいよ。私、アヤカさんになら殺されてもいい」

 少女の発した言葉の意味が分からずアヤカは一瞬呆け、そして次の瞬間には激昂していた。
「な、何言ってんのよあんた、殺されるのよ!? 何が殺されてもいいよ、訳が分かんないわ!!」
 何故殺すと言った側が狼狽しなければいけないのか。しかし少女の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 何で、何でそんな顔が出来る? 私が殺すとき、そこには絶望と怒りに歪んだ顔がなければいけないのに!!
 何であんたは笑ってるのよ――!?

 アヤカは忘れていた。ここに来る前、二人で交わした会話を。その意味を。
 もしそれだけの覚悟を持って、それだけの想いを持って少女がアヤカを愛しているのだとしたら。この状況すら、少女にとっては歓喜の瞬間なのではないだろうか?
 しかし、今や少女よりも混乱の極みに陥ったアヤカにそんなことが分かるはずもない。だから、
「いいわよ、なら望みどおりにしてやるわ……!!」
 その言葉を後悔させてやる。泣き喚くまでやってやればいい……!

 アヤカの爪が鋭く伸びる。勿論それの意味するところを少女が分からないはずもない。
 それも然も当然とばかりに爪が振るわれた。最初は軽く少女の服を破り裂く。
「どうよ、怖いでしょ?」
 普通の人間なら、その時点でその先を察して命乞いをするものだ。今までも大体がそうだった。
 そうならなかったのは、余程の強い意志を持ち合わせたものだけだった。それもほとんどがアヤカを殺そうとしたもの。
 しかし目の前の少女はそうではない。それなのに、服を裂かれても穏やかな笑みを浮かべていた。その態度がアヤカを余計に苛立たせた。
「もっと怖がりなさいよ、えぇ!?」
 今度こそ容赦なく、その爪を柔肌へと突き立てる。生物が裂ける音は鈍い。露になった白い腕に、胸に、足に赤い筋が増えていく。
 痛みは人間のもっとも強い感情に働きかける――はずだった。
 月光だけが照らし出す部屋の中を、飛び散る血が暗く彩っていく。それは何時もであればアヤカにこの上ない悦びを与えてくれるもの。しかし今日は寧ろ恐怖を与えるものだった。
「……もっと、していいんだよ?」
 その血を飛ばし続ける少女が、また優しく笑いかけた。その全身には既に傷がない場所もなく、流れ出る血はベッド全体まで染め上げていた。
 それでも笑う少女はどこか美しく、そして恐ろしい。今まで触れた事がないそれは、アヤカにとって恐怖以外の何者でもなかったのだ。

「なんで……」
 それまで振るわれ続けていた手が止まる。声が震える。
「なんで、あんたはそんな……」
 怖かった。目の前の少女が。こんなことは初めてだ。
 触れたことのない感情に、アヤカの瞳が揺れる。恐怖に、そしてまた何か別の感情に。
「だって……だって、嬉しいから」
 はっと顔を上げる。目の前の少女が、また優しく笑いかけていた。
「こんなにも、アヤカさんに求められてるから。殺したいほど私を求めてくれているから……だから、嬉しいの」
 アヤカの耳が燃えるように熱くなる。
 先ほどまで支配されていた熱が抜け、別の熱さが体の芯から湧き上がる。
 頭が殴られたように痛み、思考することをやめた。



 ――この少女は私を受け入れてくれる。どんなことをしても、どんな風になったとしても。
 それは私が感じたことのない心で。
 それは私が知らない想いで。
 こんなにも、こんなにも私を愛してくれる人がいるのか。掛け値のない言葉をかけてくれる人がいるのか。
 それは、少し怖くて。
 それは、とても愛しい。
 だから――。



「ねぇ」
 アヤカの口から出る言葉は酷く穏やかだった。
「どうして、私なの?」
 その言葉に、返事は間髪を置かない。
「アヤカさんだから」
 答えにはなっていなかったけれど。だけど、それがとても嬉しかった。
「馬鹿ね、貴女」
 もう声に暗いものは混じらない。
「そうかも。だけど、馬鹿でいいよ、私」
 それは本当に優しい言葉で。それは正に恋人たちが紡ぎあう愛の言葉だった。
「「ありがとう」」
 だから、自然と言葉は重なった。
 そして、言葉の次には唇を重ねあう。何よりも優しく、誰よりも愛しいことを教えあいたいから。何度も何度も、深く、浅く。水音だけが二人の想いを表していた。

 血の流れ出す肌は、それでも白磁のように美しく。自分のつけた傷を、愛しそうに舐め上げる。
 小さく声が上がる。しかしそれは悲鳴ではなく、歓喜と快楽からくるもの。
 何時しか体が重なりあい、その影は一つになっていった――。





 二人の間を隔てる服はもうなく、ただ暫く寄り添っていた。
 アヤカの手が上がり、爪が鈍く月の光で輝く。
 少女は両手を広げ、それを迎え入れた。

 二人の顔にはただ穏やかな微笑が浮かび。
 少女の胸を貫いていく感覚さえ、今はただ愛しく嬉しかった。






 動かなくなった愛しい人の唇に口付けて、アヤカはもう一度その体を抱きしめる。もう動かないけれど、とても暖かかった。
 少女と交わした会話を思い出す。今ならば意味がよく分かる、その言葉をもう一度。
「貴女は、ずっと私だけのものよ」
 愛の契りを口ずさむ。その想いは永久に。
 物言わぬ愛しい人は、変わらぬ微笑をアヤカに向けていた。





<END>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
EEE クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年07月07日

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