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『     ファントム・シネマ 』
歌川・百合子7520)&雨達圭司(NPC4528)

 歌川百合子(うたがわ・ゆりこ)様、とずいぶんしゃれた字体で自分の名前が印刷された細長い封筒を片手に持ち、うらぶれた通りをきょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた百合子は、宛名と同じ字体で書かれた『ファントム・シネマ』という看板をかかげている古びた洋館を視界にとらえ、ふいに足を止めた。封筒を裏返すと、差出人の欄に眼前の看板と同じ『ファントム・シネマ』の表記がみられる。
 「ここだわ。」
 驚嘆とも歓喜ともとれる表情で呟いた彼女は、映画好きの自分でさえ知らない映画館から唐突に送られてきた招待状に対し、看板を実際に見るまでいたずらの可能性を大いに抱いていたことを、ありありとその口調ににじませていた。
 だが、どうやらいたずらではなかったらしいことがここに証明されたのだ。百合子は道すがら引き連れてきた一抹の不安や疑問をすっかり放り出し、軽い足取りで入り口の扉へと近づいた――その時。
 「何の用か知らないが、ここは廃墟だぜ。」
 背後から野太い男の声が投げかけられ、振り返る。するとそこには、いかにも冴えない中年といった風情の男が、のんきな表情を浮かべて立っていた。
 「入るのはやめた方がいい。ここは『出る』んだってさ。」
 「出るって……何がです?」
 興味津々とばかりに目を輝かせて問い返した百合子に、男は小さく肩をすくめてみせる。
 「オバケとか、ユーレイとか、そんなものさ。」
 「素敵!」
 予想外の嬉しそうな叫びに、男はまさしく幽霊でも目にしたかのような顔で彼女を見返した。

 雨達圭司(うだつ・けいじ)と名乗った自称オカルト専門の中年探偵いわく、『ファントム・シネマ』は無名の芸術家が趣味で建てた映画館で、公に開館されることなく土地と共に売りに出されたが、幽霊の類が出るという噂がたって以来、買い手がつかないまま今に至っているのだという。また、売り手の素性がはっきりしないこともあり、雨達は現在購入を希望している好事家から調査を依頼されやってきたところ、入り口で百合子を見かけて呼び止めたのだった。
 「オカルト専門の探偵がいるなんて。でもあまり繁盛してないんですね。」
 久々の依頼だと口を滑らせた雨達に向けて百合子は無邪気にそう言ったが、相手は気を悪くした様子もなく「まあね。」と、しまりのない笑みを浮かべただけである。そんな調子だから儲からないのだとは彼のことを知る者たちの言だが、百合子は雨達のそんな頼りなさからというよりも抑えきれない好奇心と、『入館する正当な理由』から、営業していないと知っても入館すると言ってきかなかった。
 「あたしはこの映画館に招待されて来たんですよ。だから入る権利はあると思います。」
 「歌川百合子……お前さんの名前?」
 「はい。」
 目の前に差し出された封筒の宛名を雨達が読み上げ、そこから取り出した題名の書かれていない映画の招待券を振ってにこやかに百合子が頷く。
 「何故お前さんにそれが?」
 「さあ? 突然届いたんです。あたしも最初はいたずらかと思ったんですけど……そうでないにしても、少なくともいわくはありそうですよね。あたしと一緒の方が、何か起きそうじゃないですか?」
 映画館として機能していない上に妖しげなものが出る、と聞いても一向にひるまない百合子を説得するのは無理だと判断したのか、雨達は小さなため息をついてこう答えた。
 「まあ、いいさ。放っておいてもお前さんは一人で入りそうな様子だし……それなら一緒に入った方がましってもんだ。ハードボイルドな探偵に命の危険はつきものだが、あいにくと俺はそんなものには無縁だからな、そう危ないことも起きないだろう。」
 かくして、彼らは雨風にさらされていささか色褪せた映画館の扉を一緒に押し開けたのである。

 芸術に携わる者たちの誰の耳にも覚えのない名を持つ芸術家が建てたという『映画館』の内部は、過ぎ去った時の長さを感じさせない、その傷んだ外観からは想像もつかないほどの真新しさと無秩序な美しさ、そしてどこか非合理性をそなえていた。蜘蛛の巣がかかるどころかほこり一つ落ちていない館内は、抽象的な絵画や彫刻など、ありとあらゆる芸術品が無雑作に飾られており、奇妙な焦燥と不安感をたたえながらもどこか人の心を惹きつける。また増築に増築を重ねたかのような節操のなさで部屋と部屋を壁で区切り、いくつもの扉でつなげ、また壁ではばんでは、足を踏み入れた者を迷わせた。
 「何だか迷路みたいだわ。スクリーンはどこかしら?」
 「この建物を作った奴は、客に映画を見せるつもりなんてないんじゃないかと俺には思えるがね。まったくどうなってるんだ、一体?」
 調査のために売り手から入館許可を取った時、変な感じがしたんだなどとぼやきながら皮肉っぽく言う雨達の言葉を聞いて、百合子は「確かにこれじゃ、映画そのものの中に迷い込んだ気分になりますね。」と答えた。
 突然届いた映画の招待券、妖しげな洋館と迷路のごときその内部、そこに飾られた目もくらむような――そして頭痛の種にでもなりそうな芸術品の山、それらを作った張本人であろう無名の芸術家……映画の設定としては陳腐だが、百合子にとってはそちらの方が魅力的に思える場合も多い。
 「これで怪物でも出てくれば、もっと素敵なのに。」
 「勘弁してくれよ。」
 百合子の希望を冗談と取ったらしい雨達が、苦笑まじりにうなった。
 「ぐるる……。」
 「そんなに怒らなくても。」
 「今のは俺じゃないぞ。」
 百合子が非難の視線を投げかけると、雨達はぶんぶんと手を振りそれをかわす。と、次の瞬間、派手な音をたてて扉の一つが開かれた。
 「きゃあ!」
 突然のことに驚いて悲鳴をあげた百合子だったが、扉の向こうから現れた者を見て、彼女の悲鳴は瞬時に別の意味へとすり変わった。
 「ゾンビだわ!」
 「何でお前さんはそんなに嬉しそうなんだ? こういう時は逃げるもんだ!」
 顔の皮膚が腐り、露出したぼろぼろの歯の間から威嚇するようなうなり声をしぼり出している怪物を目にし、雨達は百合子の腕をつかむが早いか一目散に手近な扉を開けて逃げだした。見事なまでの潔さで次々と部屋を駆け抜ける雨達に引っぱられながら、興奮した口調で百合子が叫ぶ。
 「雨達さん、今の見ました? ゾンビですよ、それも宇宙ゾンビ!」
 「何だって?」
 「宇宙ゾンビ! 普通のゾンビじゃないんです。間違いないわ、頭に触覚があったもの!」
 「B級映画の見過ぎだな、お前さんは。」
 すっかり呆れて雨達はため息をついたが、彼の苦悩はこれだけではすまなかった。
 「こういうのって、映画だとどんどん増えて出てくるんですよね。」
 百合子が呟いた直後、その言葉通りに、どこからやってきたのかゾンビ――いや、宇宙ゾンビとやらがぞろぞろと二人の前に立ちはだかったのである。
 「銃とか持ってないんですか? 格好良く戦いましょうよ。」
 「ここは日本だぜ? 善良な一般人がそんな物、持ってるわけないだろう。」
 「それじゃあ、あたしは善良な一般人じゃないのかしら。」
 行き場を失い、部屋の中央で雨達と背中合わせに立った百合子の手には、何故かいかめしい拳銃が握られていた。
 「撃ちます?」
 「あいつらに? 遠慮したいね。」
 じりじりと迫るゾンビたちを前にしながら、強靭な精神を発揮して悠然と尋ねた百合子だったが、渋面になった雨達の心境を察し納得したように頷いた。「スプラッターだけじゃロマンがないわ。こういう危機はもっと意外な方法で切り抜けなくちゃ。」
 「たとえば?」
 「床が抜けるとか?」
 「それは脈絡がないと言わないか。」
 雨達のつっこみは、しかし、だしぬけになくなった足場と共に闇の中へと吸い込まれてしまった。宇宙ゾンビが一緒に落ちてこなかったことと、着地時にかすり傷程度ですんだこと、そして落下の最中に物騒な武器が行方不明になったのは不幸中の幸いだろう。百合子と雨達はのそりと起き上がり、薄暗い地下室で顔を見合わせた。
 「もしかして、あたしの言ったことが現実になっていませんか?」
 「俺も今同じことを考えていた。」
 「もしそうなら……地下にはオペラ座ならぬ映画館の怪人がいる、なんて口に出したら、現実になるのかしら。」
 「試すな!」
 「あら、調査ってこういうことじゃないんですか?」
 これに続く雨達の反論はオペラ座の怪人の衣装をまとった――ゾンビの登場に邪魔され、つっこみに変わってしまった。
 「だから何で怪人までゾンビなんだ?」
 「ゾンビはロマンだからです。」
 「俺はゾンビよりお前さんの方が危険な気がしてきたよ。」
 そう言葉を交わすと、二人は示し合わせたように同じ方向へと駆け出す。まるでお互いが出口を知っているかのような、あるいは決められた台本通りだとでもいうような、奇妙な感覚の中で、百合子は後ろへ後ろへと流れていく光景に目をしばたいた。周囲はもはや薄暗い地下室ではなく、光と、ありとあらゆる色彩をまとった異形のものたちであふれ、彼らは一様に意味ありげな笑みを浮かべて百合子を見送る。その表情はどこか、館内に飾られていた無数の芸術品を思わせ――それが失われることを想像すると、戻らない少年時代を懐かしむことに似たはがゆさが感じられた。
 「ホラーのいいところの一つは、事件が解決しなくても物語として成り立つことよね。」
 漠然とそんなことを考えた途端、映画が終わってスクリーンに幕が下りるように百合子の視界を現実の光が覆い、彼女を本来あるべき世界へと引き戻した。
 「抜け出た……のか? 地下から突然外に?」
 百合子のすぐ傍で呆然と呟く雨達の声がする。
 「どうなってるんだ。」
 「あたしたちは、確かに映画を見たのかもしれませんよ。」
 そう言ってふふ、と笑う百合子の手には半券になった映画の招待券が握られており、それを認めた雨達はというと、「夢みたいだ。」とくり返すばかりであった。
 「オカルト専門の探偵なのに、雨達さんにはロマンが欠けてますね。」
 そう断言され、雨達は仕返しとばかりにこう答える。
 「お前さんに招待状が届いたわけが何となく判ったよ。この映画館に相応しい想像力の持ち主はそういないだろうからな。きっと判るんだよ、仲間同士。」
 その言葉を聞いて、百合子は喜ぶべきなのか怒るべきなのか決めかね、ただ黙然と眉を上げただけだった。

 結局、映画館と呼んでいいのかさえ判らない『ファントム・シネマ』は買い取られることなく、依然としてうらぶれた通りにひっそりと建ち続けることとなる。最後に館を出る時に見た光景を思うと、百合子にはそれが一番良い結末であるように感じられたが、再度訪れてみると入り口には鍵がかけられており、二度と入ることは叶わなかった。
 しかし、これで百合子の怪奇体験談が終わるわけではない――というのも、オカルトネタばかり引っ提げてぶらぶらしている雨達の携帯電話の番号が、彼女のアドレス帳に加わったのだから。冴えない中年探偵から電話がかかってきた時、目を輝かせて彼女は叫ぶに違いない。「ロマンだわ!」と。



     了
PCシチュエーションノベル(シングル) -
shura クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年07月06日

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