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『 夜 』
天井麻里0057)&ブラッディ・レッドローズ(NPC0832)

 世界の夜は美しい。広がる黒いビロウドに、ガラスの破片をぱらぱらと撒いたような空。
天井麻里は道を歩いていた。乾いた道、重い空気にのしかかられて悲鳴を上げていそうな道。
星の光も、道は照らせない。月だけがぽっかりと浮かんでいる。
彼女の姿は空気に溶けてしまいそうだった、それくらい重い夜だった。

 血の香りがする。美しい夜と血。麻里は空を見上げた。黒い空。
そこには街があった。まるで、ジオラマのような、薄っぺらい街。
光を当てても影が映らないような街。
彼女は一歩一歩をあくまで軽快に踏み出していった。
信号機も横断歩道もない、人のない街。
壁だけがそそり立ち、黒の中に白がぽつぽつと落ちているだけの。
その、レンガすらも黒で出来ているのではないかという程の。
傷さえ付かないだろう、黒だけの街だった。

 彼女は一人であった。言葉はない。表情もない。ただ、道を捉えている。
通り縋ったわけでも、この街に用があったわけでもない。
しかし、彼女はここに来た。黒だけの、道の行く先も見えないその街に。

「(ここで間違いないよね)」
 辿ってきた道筋に、ふと不安がよぎった。
ちょっとした出掛けの帰り道。いつもと同じ道を辿ってきたはずだった。
……彼女は、この街に見覚えがないのだ。
夜にこの道を辿るのは初めてだが、昼にも何度か通った事のある場所だった。
だから、こんな街、こんな景色に出会うはずはない。
あまりにも暗いこの空間は……記憶の端の端にすら、面影がないのだ。
「どうやって迷い込んだんだろ。道を間違えたかな……」
 足取りは軽く早く、止まる様子もなかった。――本心を語れば、少々恐怖していたのかもしれない。
だが、彼女はその、小さな恐怖心だけで足を止めるような者ではなかった。
方角は間違っていないはず。腕を大きく振りながら、真っ直ぐに道を歩きつづける。

 ふわり、と、風が過ぎったのは、街に入ってから大分たった後の事であった。
家と家の間を、そよ風とも突風ともつかない風が通り過ぎた。
「……おかしいなあ」
辺りを見回す。先ほどまで、風一つも吹かなかったというのに。
窓の判別もつかないような家のようなもの、それに囲まれながら、ほんの少しだけ足を止める。
気のせいか。
夜の静寂に耳を澄まし、再び無風に戻った街と壁たちを眺める。
重い空気。ここには何もない。
ただ、血の香りだけはまだする。決して心地よくはない香り。
ここから早く出よう。いつもの街に帰ろう。
何か、五感とは違う感覚が告げていた。
彼女は半ば駆け足気味に歩き出した、とにかく、この場所からは離れよう、と。

 歩けば歩くたびに、壁は左右から迫り道は細くなっていった。
遠い空に月。数多くあった星たちは、家とその屋根に遮られて見えなくなっている。
麻里の足音、レンガを叩くような音だけが響いた。
それは反響し、行く先と歩いてきた道へと拡散していく。
血の香りが漂う。風のない道に、彼女の通った場所だけ、空気が動いた名残。
その、鉄の香りは、だんだんと濃くなっていった。
足を止めるべきかどうか、何度悩んだ事だろう。
しかしやはり、進まないわけにはいくまい。知らない街で一夜を明かすなど、無理な話だ。
灯火もないこの……もはや小路と呼ぶべきか、この街で、響いていた音はひとつだけだったはずだ。

 ほおう、と、鳴き声がした。
麻里は思わず足を止めた、あまりにも急な別の命の出現。
ほおう、と、それはもう一つ鳴いた。フクロウ。夜の狩人。その双眸が捉えていたのは、何であったろう。
音もなく羽ばたく事の出来る翼。
ゆるゆると流れてくるのは、平等な殺気。
顔を上げ、立ち並ぶ建造物とその屋根を見渡す。
厚い雲が夜空を覆っている、わずかに差す月の光があらゆるものの陰を作り出す。
 見下ろしているのはその、空と雲とフクロウと、一人の人影だった。
背に一対の翼を持ち、その輪郭を、あわい赤に包まれた人影。

「……だれ?」
 先に口を開いたのは麻里だった。
不敵な笑みを浮かべつつも、その瞳は敵意と殺気を真剣に捉えている。
「ブラッディ・レッドローズ。レッドローズとでも呼んでくれ」
 彼はそう答えた。常に笑いを含んだような、声色の割には耳障りな音だった。
「名前を聞いていたんじゃなければ、申し訳ない」
 声がする度、あたりに鉄の匂いが広がった。
目に見える鮮やかなくれないがなくとも、それが近くにあることがわかる。
彼はその力を正しく使わないものだろう。……直感だ。
麻里がレッドローズを鋭く睨みつける。彼はそれに気付いていない様子だった。

「嫌な感じですわね、レッドローズ」
「そういうものか。そうだね、キミは嫌な奴ではないだろうね」

 夜が終わって、闇がやってきたのだろうか。
光がなくともものは見える、しかし、夜ほどはっきりとではない。
麻里が遠目に見たのは、妙にぬめった光を放つ短刀だ。
レッドローズとやらが、片手にしっかりと握り締めた刃。
そこから滴る雫などない。だが、その、彼の心の色が手にとるように解り、伝わってくる。

「ここにはよく食事に来る。今日来たのがキミだっただけ」
 唐突な言葉。
「傷が出来るなら、なんでもいいんだ。運が悪かった、と、思ってくれ」
 麻里が片足を半歩下げ、戦闘の体勢に入った直後だ。


 突風よりも短く鋭い風が通り抜ける。
耳鳴りと地響きの間のような雑音、麻里が状態を捻ったその空白になった場所を、ぎらぎら光る刃が突いた。
すかさず体勢を立て直し、蹴りを繰り出す。
誰かが飛び退く音、彼女の足は空気を蹴った。
頭上を体温のあるものが通り過ぎる。見て取れるのは、その影だけだ。
着地した彼に突進する、足元を掬うように蹴り出す、しかし感触は固く冷たい床のそれだ。
短い斬撃を避けたその方向に、腕を大きく振るう。真空の刃が、静寂しかない街を駆け抜ける!
金属音がした、ほんのわずかにくれない色の飛沫が飛び散る音がした、しかし呼吸の音がまだ聞こえてくる。
麻里のすぐ横を風が通り抜ける、彼女は体をそらしてそれをかわした、
しかしそれは飛び降りたその先から真っ直ぐにこちらに曲がって鋭い切っ先を突き刺した、
武器も持たぬ少女の腕にそれが深深とえぐり込まれた!
もはや熱いとしか思えぬ痛覚、麻里は顔をしかめたが、それでも大きく振りかぶり足を蹴り出す。
抜き取られたナイフと共に、幾粒もの血が飛んだ。

「どうやらキミは戦える人間らしい」
「勿論」
 こぼれる言葉はあくまで強気に、刺された腕を押さえながらも彼女は笑った。
「わたくしがそう簡単に……あなた如き食われると思って?」
 指の間から、ころころと血の珠が落ちていく。
熱が全身に広がっていく。
見えなくとも解るものはこの世に沢山あるだろう、他の手段を得てしてそれらを見ることは出来よう。
「思っているよ。どう考えてもキミは何か足りないさ」
 しかし、見えぬものは見えぬままであり、知らぬものはその存在に気付く前に通り過ぎる。
闇の中にある鳥の羽など。風が吹いても解りはしまい。
「これでもだてに多くの人々と出会っていない、どんな人間が生き残るか・強いかは、だいたいわかる」
 だが仮に、あらゆる空気のゆく先を読めたとしたら、闇の中を見れるとしたら。
多くを失うかもしれないし、多くを手に入れるかもしれない。

「あら、まるでわたくしが弱いと言っているようではありませんこと?」
「言っているよ。少なくとも、今回ばかりは」
 痛みによって歪んでいた麻里の表情が、一瞬だけ怒りの色に染まった。
「時間が経てば、あるいは……」
 闇で含み笑いをする人影、ちらりと光る短刀。
麻里は、それを睨みつけた。
腹の底から湧き上がってくる怒りをなんとか押さえ、反撃の隙を窺う。
 ……この真っ暗な世界では、少しでも的が動けば、追うのは難しい。
音と空気を読むにしても、狭い路地ではそれは反射し乱れ複雑に流れる。
フクロウがほうと鳴いた。どちらに居るのか、わからない。
そこはあまりに不自由な場所だった。

「わたくしの実力を見てから、後悔しないでくださいませ」
「しないよ」
 一瞬の問答。直後、軽い地面を蹴る音。勢いよく突進し、麻里の足が鞭のように跳ねた。
しゅうと鋭い音、そして確かな反動。細い腕にぶつかったとでも言おうか。
上手く決まりすぎて気味が悪いほどだった。
しかし、そこで自問自答をする暇などない。
一瞬の箔を置いて、回し蹴り。間をおかず、しなるような音を立てての肘での打撃。
もう片方の腕の痛みに耐え、右足を大きく踏み出す。

 屋根に止まっていたフクロウが飛び立った。
パン、と、まるで銃声のような、綺麗な音だった。
体重の移動をつけた、見事な蹴り。それに、真空刃を乗せた技。
ちらちらと、羽が待っているのが見えた。
深い闇、厚すぎる雲の合間から、月がぎょろりと目を剥いた。

 青年がいる。まさしく血のような色をした髪と瞳を持つ、影よりもいくぶんか細身の青年。
夜のせいだろうか、青白い肌が嫌に映える。
月を背にして、彼はにやにやと笑っていた。その、ナイフを片手に携えながら。
無傷ではない。無傷ではないのだが、妙に余裕がある笑みを零している。
背にはやはり翼が一対。月の光にすら透けてしまいそうな、淡い色をした翼だった。


「勝つことを忘れるといいだろう」
 彼はそう言った。
「今晩は、あまりに夜が深くて、ここにくる人間も少なかった。腹の足しにも、暇つぶしにもならない」
 言葉に合わせて、羽が広がり、閉じ、わずかに光った。

「随分と余裕ですわね?」
「力はいらないと思っているからさ」
「あら、手を抜くおつもり? わたくし、あなたを倒してしまうかもしれなくてよ」
 麻里が笑う。彼もまだ笑っていた。
月が雲に飲まれ、闇がやってくる。街のような、闇そのもののような、建造物たちも、消えていく。
「そんなこと言わなくても、俺は勝てないけれどね」
 最後まで、彼の表情は、その半ば神経に障るような笑みだったろう。


 闇と言うのは、色だけではなく、音まで食ってしまいそうだ。聞かないようにしてしまうのかもしれない。
風や空やある種の感情や、温度や感触……なにもかもがなくなるのは、闇ではないのかもしれないが。
しかし、それがなくなってしまうような感覚に襲われる事はあるだろう。
そうなりやすい、丁度いい場所なのかもしれない。


 闇に影が消える。そう思った瞬間だ。闇に自分と彼が飲まれる前に、彼が消えた。
ごく自然に、闇に飲まれるように、だ。ひとつ瞬きをしたとたんに。
そこに神様が彼を置き忘れた、とでも言うように。
 麻里の口はは、え、と、声を出すつもりだったのだろう。
腹にごつんと落ちるような痛みと高熱が彼女を襲った。
ナイフが刺され抜き取られる間、それが感覚として響くことはなかった。
音もなく。それは血を求め、腹を射抜くように、そこに置かれた。
彼女の喉の奥の奥で、こぽんと音がした。黒と見まごう程の美しい血が、口の端から流れ出る。
 記憶を辿るのなら、レッドローズは闇に消えながらこちらに向かってゆっくり歩いてきただけであった。
何故避けなかったのか。
油断か。見えなかったのか。聞こえなかったのか。
 スカートがひらりと翻り、麻里はそこに崩れ落ちた。
闇が街を覆う。青年はもういない。黒と白の衣装が赤く染まる。それはそれで美しかったかもしれない。
……闇と夜は本当に終わろうとしていた。ようするに、太陽が昇る直前の事だった。




 麻里が目覚めたのは、聖都のはずれだ。ちちちと言う小鳥の鳴き声と、窓から差し込む光。
いつもと変わらぬ朝。痛みは自分の感覚を、生存していることを確認させてくれた。
「……負けた?」
 彼女の第一声はそれだった。
「……負けたの?」
 敗れ、拾われ、何かの奇跡でここに帰ってこれた?
彼女はその状況をどう捉えただろう。
生存と敗北と、朝と太陽と……与えられた全ての言葉から、何を拾うのだろう。

 短く長すぎた夜は終わった。
夜の街は、記憶の中にだけ生きる。あの青年も。再びあいまみえるまでは。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北嶋さとこ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2009年07月02日

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