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『Einsatz』
尾神・七重2557)&デリク・オーロフ(3432)&城ヶ崎・由代(2839)&(登場しない)



 辛うじて細く続く心拍を報せるのは無機質な機械音だ。一定のリズムを保ったままのそれは他の病室に比べればいくぶん広めにもうけられている室内の中、静かに、尾神七重の生命が未だこの世界に繋ぎとめられていることを伝えている。
 最後の発作を起こした後、七重は都内にある総合病院の集中治療室に運ばれ、その後も逐次の投薬治療等を施す必要性が認められたため、一般病棟に移ることなく、専属医師による観察下に置かれたままでいる。否、一般病棟に移さずに看護の下に置くというものは、七重の父親からの指示によるものかもしれない。一度も息子の見舞いに訪れたこともない男ではあるが、かつては名家とされる尾神の名を継ぐ者として、矜持だけは高いらしい。
 今、七重のベッド脇には、はたから見ればおそらく七重の父親として取られてしまってもおかしくはない壮年の男が腰をおろしている。城ヶ崎由代。七重が健常であった頃(もっとも、七重と同じ年の少年たちに比べれば、それでも驚くほどに脆弱ではあったのだけれども)、彼に魔術に関する指導を施した男だ。
 生気の感じられない顔色をした七重は、生命維持装置によってようやく生命を保たれている。コンダクターとすら称される由代にさえ、彼の意識を再び現世へとすくいあげることは容易ではない。――そもそも生命に影響をおよぼすだけの力など、人間が行使するべきものではないのだ。だが、それでも。
 それでも、願わくはもう一度。
「戻ってくるんだ……こちらへ」
 七重の手を握り、呟きにも似た願いを洩らす。
「キミのいるべき場所は、そちら側ではないはずだ……」

 ◇

 七重は、静かな夜の暗色の中にいた。
 どこからか漂い流れてきて鼻先をかすめるのは、わずかに花の気配を含んだ水の香。そうして品良く焚きつけられた、――これは白檀だろうか。記憶の中にある懐古をくすぐられて、七重は思わず振り向いた。同時に懐かしい名前を口にする。
 夜の闇の中、ひとりの女が立っている。可憐な華を咲かせた色柄の和服に身を包んだ女だ。――その名を呼ぼうとした七重を、女は紅を塗った口元にやわらかな笑みを浮かべて制した。なぜか、その表情は薄い靄で覆われているかのように、判然とし難い。
 女の唇が言葉を紡ぐ。その声はさわさわと吹き流れる夜風に掻き消される。が、七重にはなぜかその言葉が確かなものとして伝わり来るのだ。「ここに居続けてはいけない」と。
 自分はここにいたい。ここで静かに安らいでいたい。七重がどれほどに懸命にそう訴えても、女は困ったように微笑んでかぶりを振る。そうして星も月もない暗天を指して告げた。「あの声が聞こえませんか」。

 ◇

  窓の外には薄い紫色の空が広がっている。夜明けを報せる色だ。その窓を覆っているはずの真白なカーテンは小さく開けられ、その隙間をぬうようにして薄い光が差し込んでいた。
「今の彼なラ選べマス」
 細く開けたカーテンの傍、由代よりはいくぶん若い見目の男が口を開く。夜明けの光をうけたダークブロンドの髪が仄暗い光を放ち、伏せた目線は深い群青を浮かべていた。 
 人目を引くであろう外貌の持ち主であるデリク・オーロフは、由代がデリクの言に耳を寄せているかどうかの確認をしようともせず、まるで独り言をこぼすかのように言葉を続けた。
「様々な出会いト経験を重ねテきた彼ハ、もう孤独な少年では無いのダカラ」
 言って、デリクは伏せていた視線を持ち上げ、由代の横顔を検める。由代は七重の手を握りしめ、七重の顔を見つめたままだ。デリクの視線に気がついていないはずはない。間違いなくデリクの言葉に耳を寄せているはずだ。そう解釈したデリクは構うことなく言葉を編み続ける。
「……人ならざるモノとしての生か、世界から消え去る死か」
 言いながら、デリクは右手をそっと持ち上げた。その気配に、初めて由代が顔を上げる。
「……デリク、……それは」
「由代サンも願っているでしょう?」
 由代が先を続けるよりも先に、デリクは薄い笑みを頬に浮かべた。七重の現状を憂い嘆いている由代とは対照的に、デリクの顔にはどこか悠然とした余裕すら滲んでいる。
「――何を“創った”?」
 訊ねた由代に、デリクは言葉で応えるかわりに掌を開く。
「“何を”、ですカ? あなたがそれを言うのデすか? 魔の指揮者と称されたあなたが?」
 小さく笑いながらデリクはゆっくりと足を動かす。靴底が床を踏む音が空気を震わせた。
「あなたも“創った”でしょウ? 我々の叡智の結晶とでモ言いましょうカ? ねェ、由代サン。それとも護るべき者が出来たラ腑抜けましたカ? あれほど叡智に貪欲であったあなたガ」
「……それは僕が創ったものとは異質なものだろう、デリク。……手を加えたのか?」
「七重クンに合わせましてネ」
 由代の傍にまで歩み寄ってきたデリクの掌には仄かな青い光を放つ宝石がある。――否、それは宝石ではない。親指の先ほどの大きさをもったそれは、確かに結晶らしく美しい形をしてはいる。が、それは本来であれば不可視のものであるはずの“魔力”を結晶化させ、具現化に至った、まさに奇蹟と呼ぶに相応しいものだ。
 『核』
 それは選ばれた魂を、あらゆる理を超越した【魔王】と呼ばれる存在へと変換することができる代物だ。ゆえに太古からあらゆる魔術師たちによって望み続けられ、あるいは禁じ続けてこられた奇蹟の産物。そして、かつて由代の手によって生み出された結晶。それが今新たに、デリクの手によって創りだされたのだという。しかも、デリクの手によっていくつもの改良が施されてもいる。――あるいは、由代が創りあげたものよりも高い精度を誇るものであるかもしれない。仄明るい光彩を放つそれを一瞥した後、由代は忌々しげな視線をデリクに向けた。が、デリクは飄々とした面持ちで由代の視線をはね退ける。
「お察しの通り、改良を加え、精度も上げてあリまス。そのために時間もかかってしまいましたがネ。――私ハこれを七重クンに使おうト思いまス」
「…………」
 デリクの言に、由代は応えを口にすることなく、ただ静かに椅子を立った。
 デリクがやろうとしている事の意味を、由代は深く解することができる。おそらくは数多いる魔術師たちの中、由代ほどにそれを理解している人間は他にいないかもしれない。
「……尾神くんを、人間の理から外そうというのか」
「このまま生死の境を彷徨わせますカ? 彼ほどの逸材ヲ」
 静かに微笑みながらデリクは由代の目を覗きこむ。
「さァ、そこをどいてくださイ、由代さン」
 言って、デリクは愉悦を隠そうともせず、危うい笑みを満面にたたえた。

 ◇

 さらさらと風が流れている。
 七重は長椅子の上、女の腕に抱かれながら、女が口ずさむ唄を聴いていた。女の、鈴をふるような声が夜の薄闇を静かに揺らす。白く細い手が七重の背をトン、トンと静かに叩いている。七重は目を閉じ、まるで子守唄のようなそれに聞き入っていた。
 自分の魂が現世を(あるいは肉体を)離れていることを、七重はもうとうに理解していた。
 真夏の暑気にあたったのだと、初めは思っていた。ひどい眩暈に見舞われ、歩くことはおろか、立つことすら――呼吸することすらも困難な状態に陥ってようやく、自分が死という逃れ難い定めの下に置かれたのだと知った。自覚した後は早かった。しょうじきなところ、現世にしがみつき続けるだけの要因はひとつもなかった。自室のドアを前にした廊下の上に崩れ落ちながら、七重は小さな息をひとつ、心の奥底で吐き出しながら思ったのだ。現世を離れるのなら、せめて、幾度となく訪れた夜の静けさの底に身を置きたい――。それはたぶん、七重が抱いた小さな願いだったのかもしれない。
 瞼を閉じれば、全ては闇に沈む。
 それはけして怖ろしいものではない。闇の底、伸ばした七重の指先をやわらかく受け止めてくれる誰かがいてくれる。そのことを知ることができたから。
 女はまるで母のように、優しい指先で七重の髪を梳く。そうしながら、秘め事を囁くような声音で口を開いた。ここは七重が願い、創りあげた、七重のためだけの世界。自分は七重が望んでくれたからこの世界に立ち入ることが出来た。生ある者が住まうための場所でも、ましてや死者が身を置くための場所でもない。生死のどちら側にも立たぬ、いわば理を外れた隙間の世界にあたる。この場所に身を置き続ければ、いずれ、七重は人と呼ぶことの出来ぬ者になってしまうかもしれない。――自分のような存在に。
 七重は目を伏せたまま、ただ静かに応える。それでも構わない。あなたと一緒に居続けることが出来るなら、このままここで、闇の底に沈んでしまうのも厭わない。
 それは恋情による願いではなく。否、あるいはそうであるのかもしれない。七重の心に潜む願いは、名付けるならばどう称するのが正しいのか。それは七重自身にも解らない。
 ただ、七重は目を伏せ続けていなければならなかった。
 女が示した虚空には、月とも星とも異なる小さな青い光が架かっているのだ。耳を澄ませば、その光が呟く囁きをも聞くことが出来る。それは聞き馴染んだ、いくつかの声だ。七重を呼んでいる。――こちらを見ろと、呼んでいるのだ。けれども。
 イヤだ。見たくもないし、聞きたくもない。
 小さな子供のように身を丸くして目を伏せる七重の髪を、女が静かに撫ぜ続けている。

 ◇

「七重クンがこれを受け入れれバ、七重クンは再び目を開けるのでスよ」
 由代は七重を庇うかのように、デリクの歩みを制している。デリクは苛立ったように由代をねめつけ、言い聞かせるような口調で告げた。
「――そのことによって生じる現象を知らないわけでもないだろう?」
 由代もまた言い含めるように口を開ける。
「もしもそれを尾神くんが受け入れれば――力の反動が生じ、空間が揺さぶられるのだよ」
「えェ、知っていますヨ」
「この世界と異界との境目が曖昧になる。結果、“ゆらぎ”が起きる」
「術式は同時に二種を行わねばならなイ。……解っていますヨ」
 悪びれもせず、デリクは薄い笑みで頬を歪める。
「七重クンに“核”を植えつけるための術式。境界崩壊を防ぐ術式ノ構築。――私ひとりだけでは双方を同時には出来ませんがネ。私は七重クンさえ手に入ればそれでいいのでス」
「現世と異界との境界が崩れれば世界がバランスを失う」
「解っていまスヨ。バランスを失えバ、世界はゆっくりと、……もしかするト急速に、でスかね。確実に崩落への道を辿るでしょウ」
「デリク、おまえは……」
「私はネ、由代さん。そんな事はどうでもいいんでスよ」
 由代の顔を覗きこむように身を屈め、デリクは酷薄な微笑をのせた。
「それを避けたいのナラ、あなたが私のフォローをすればイイ。――あなたも七重クンには戻ってきてほしいでしょウ?」
 言って、デリクはようやく口をつぐむ。デリクが七重をこちら側に呼び戻したい理由は、ひとえに、七重の深くに眠ったまま目覚めることのなかった潜在的な力を欲するがゆえ。七重が持つ力さえ覚醒しさえすれば、デリクの“願い”もまた叶うのだ。
 けれど、デリクはその一点に関しては口をつぐむのだ。あるいは由代にはデリクが抱え持つ昏い願いに関することなど、とうに知られているかもしれない。――そう、七重がまだ健常であった頃、デリクは七重に心の底をまっすぐ言い当てられてしまったことがあった。さらに言うならば、城ヶ崎という男は侮り難い人間なのだ。まるで全てを見透かしているかのような目で、もうとうにデリクの暗部を暴き立てているかもしれない。 
 由代はデリクの目を覗き返しながら唇を噛む。
 “怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。”
 ニーチェの言葉が脳裏をかすめる。
 デリクの瞳に宿る鈍い光彩は、おそらくは虚無によるものだ。覗き込めば時に背筋が粟立つときすらある。
「……デリク、……おまえは」
 言いかけて、しかし由代もまた口をつぐんだ。

 デリクが開けたのだろう。窓の、細い隙間から、朝の涼やかな風が一陣吹き流れてきて、真白なカーテンを思いがけず大きく揺らした。
 そのカーテンの揺らぎの下、七重の生命を報せる無機質な音がいやに大きく響く。
 由代はふと意識を七重へと戻した。
「尾神くん……」
 もしも七重が生命を落とせば、彼を実の弟のように、あるいは息子のように可愛がっている由代の細君もまた悲しむだろう。否、何よりも、由代自身がそれを望まない。もしもこのままの状況が続けば、デリクでなくとも、いずれ由代が創り上げていたかもしれない。禁術の産物である、魅惑の結晶を。
 振り向くと、デリクは何かを悟り得たかのような面持ちで由代を見つめていた。肩をすくめ、物言いたげに目を細める。
「結論ハ?」
 訊ねたデリクに、由代は苦々しく眉をしかめながら七重の前髪を指先で梳いた。
「――迎えよう、……僕たちの友人を」

 ◇

 本当は、どこかで気がついていた。自分の底に小さく息衝く“力”に。その力のゆえに、おそらく七重は孤独を定めづけられたのだ。母のぬくもりを知らずに育ち、父の愛に触れることもなく、暗く広い家の中、ただひとり、窓の向こうの光の眩さにあこがれながら。
 しかし、それを認めてしまえば、自分に降りかかるもの全てをも受け入れねばならなくなるような気がして、怖ろしかった。それを受け止めるだけの許容を保持しているとも思えなかった。受け止めようとしても、きっと、全てを無為にこぼしてしまうのではないかと。そしてそれがまた新たな闇を生み出すのではないかと。――怖ろしかった。
 女は七重の髪を透きながら静かに言った。あなたを呼んでいる人たちがいる、と。
 七重は変わらず目も耳もふさいでいたが、その手は女の指によってそっと剥がされた。途端、耳に、目に入るのは、馴染み深く懐かしい人びとの声だった。
 滅多に足を運ぶことのなかった学校で、それでも親しくしてくれようとしていた少年たち。勝気な少女。母のように、姉のように接してくれた女性。七重が師として仰いだ由代の声。呼んでいる。七重を。手を伸べて、七重の頭を優しく撫でながら。
 同時に聴こえた、それはデリクの声だった。
 ――あなたに二つの道を用意しましタ、七重くん。

 そのまま死を迎え、消えていくか。
 それとも人ならざるモノとしての生か。

「選ぶのハあなたでス、七重くん」

 ◇

 仰ぎ見る暗色の空に、今は仄明るく光る青い月光が広がっている。
 風が耳に触れる。やわらかな声が唄う声が響く。あたたかな指先が七重の頬に触れる。
 七重は間近にいる女の着物の袖にすがり、泣き出しそうな目で女の顔を仰ぎ見た。青い月光に照らされ、ようやく女の顔が明瞭なものとなっていた。女は艶然とした笑みを浮かべながら、愛しげに七重を見据え、首をかしげた。
 自分はいつでもここに。――七重が目を閉じるたび、今度は沈みゆくばかりの闇ではなく、自分との邂逅を。そう約束できるなら、怖ろしいばかりのものではなくなるでしょう?
 女はそう言って頬をゆるめた。

「いつまでも甘えるばかりの子供であり続けようとするものではありませぬえ。ここからはその足で立ち、歩き、選び、語り、見据えなくてはあきまへん。わっちはここで見ておりますえ」

 ◇

 ほぅん、と、背を押されたように感じた。青く輝く月の方へ。

 ◇

 次に耳に触れたのは、騒がしく動き回る医師や看護士たちの声や器具類が立てる音だった。静かに瞼を持ち上げると、真白な天井が目についた。泣いているのは由代の細君だろうか。――大丈夫だから泣かないでくださいと言おうとして、七重は弱々しく指先を動かした。久しく動かしていなかったためか、腕にも指先にも思うように力が入らない。
「――おかえり、尾神くん」
 その指先を掴んだのは由代だった。わずかに疲弊した面持ちで、しかしいつもと変わらぬ悠然とした笑みを満面にたたえている。その向こうにはデリクが立っていた。壁に背を預け、腕を組んだ姿勢で、こちらをまっすぐに見ている。
「……デリク、さん」
 口を開けて名を呼んだ。
 応えるように、デリクが薄く嗤うのが見えた。


 

 
thanks to triad
F.ayaki sakurai/MR
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櫻井 文規 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年06月23日

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