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『 いとうつくしき。』
タマ・ストイコビッチ5476)&(登場しない)


 万能ネコミミロシアンメイド。いるのかいないのかと問われれば、さあ、と首を傾げる人が大半だろう。
そもそも、そんなレッテルの貼ってあるメイドが居るのかどうか、と言う所だ。
少なくとも……ここ東京には、タマ・ストイコビッチ以外に、そのような肩書きを名乗っている者はそうそういない。
しかも、タマでさえ、自称なのである。はたして、本物のそれはいるのかどうか。

 さて、自称・万能メイドのタマだが……今日は、ちょっとしたお使いに、知らぬ町まで出てきたのだった。
知らない町といっても、名前も知らない場所ではない。
だが、どこにどんな店があるだの、通りの名前は何であるだの、そう言う質問をされるとやっぱり解らないような、そんな町だ。
 行きは少々急いでいたタマだったが、帰りはまだまだ時間がある。
少しだけ余裕が出来、自然と大通りのショーウインドウをちらちらと眺めるのだった。
雑誌で見たことがある洋服から、おそらく一点ものであろう可愛らしいアンティークまで。
どうやら、服飾品の店が多く集まっている商店街のようだ。

「ご主人様を喜ばせるのも、タマの一つのお仕事ですからにゃあ……」
 じーっと、ガラス越しに洋服を見つめる。
「タマはこのお仕事を生きがいにしておりますにゃ……」
 しかし、どうしてもお小遣いとは釣り合わない値段。
自分が着たいだけなのか、それとも本当に主人の為なのかは置いておいて。
タマにとって、自分の見た目で主人を喜ばせるのも、また仕事。そして、仕事はかけがえのないものなのだ。
つまり、自費で容姿を磨くのも、大切な事だと考えている。
……の、かも、しれない。本当の所は、本人の考え一つなのだけれど。

 彼女はかれこれ数十分、そうしてひとつひとつのショーウインドウを眺めて回っている。
店側からすればいい迷惑かもしれないが、彼女はいたって真剣だった。
とても素敵なデザインのものが、それ相応に高い値段を付けられていたり。
今の持ち合わせで買える、と思ったものの、サイズが合わなかったり。
そのたびにむむむと唸りながら、タマは商店街を闊歩していった。

「メイド道に王道無しとでも言うのですかにゃあ」
 再び立ち止まったショーウインドウの横で、洋服とその値札を見てがっくりうなだれる。
買えなくはない。買えなくはないのだが、買ってしまったら、財布が大変な事になる。
しょんぼりと肩を落とすタマ。はあ、と、長く溜息をついてもう一度ウインドウへと視線を戻した。
何気なく映った自分の姿を見て、彼女は思わず全身の毛を逆立てた。
自分の頭の上に、ちょこんと猫の耳が乗っている。よくよく見れば、スカートの中からも、ふわふわの尻尾が伸びているではないか。
おそらく、肩の力を抜いてしまったからだろう、本来の姿に戻りかけてしまったのだ。
 気合を入れて(と言っても、少々集中するだけで良いのだが)、耳と尻尾を隠す。
少しでも気を抜くと、ぽんと猫に戻ってしまう。
周りの反応は様々だろうが、本人にとっては一大事なのだ。
 何度もぽんぽんと髪の毛やスカートを叩き、ネコの名残がないかどうか確認する。
今度は集中を途切れさせないように溜息を付き、ちらりともう一度だけ洋服を見た後、そこを離れた。
その後も数回、そのお店を振り返ってしまったのだけれども。



 そこから数分歩いた場所だったろうか。タマの視線が、ふと小さな店を捉えて止まった。
ぱちくりと瞬きをして、周りの店よりも小さなその、煉瓦造りの店を、丹念にじーっと眺める。
近寄ってみれば、それはどうにも美容室らしかった。
とても小さな看板と、大きめのショーケース、そして赤茶けた大きな扉。
窓からそっと中をのぞいてみれば、部屋もまた小ぢんまりとまとまっている。
ショーケースやカウンター、鏡の隣にバラの花束をちょこんと置いてある、そこはかとなくおしゃれな店だった。
 何よりもタマの目を引いたのは、ショーケースの中に置かれたマネキン人形だった。
老若男女問わない、数体の人形が、綺麗に並べてある。
太陽の光を受けてきらきら輝くのは、その人形たちの髪の毛。
ずっとずっと手入れされてきたのだろう美しい髪は、タマの胸を高鳴らせた。
自分もこんな風に素敵にしてもらえるだろうか!

 瞳をキラキラさせながらそのマネキンを見つめて、どのくらい時間が経った頃か。
タマの隣で、木の軋む音がした。

「お客さんですか?」
 タマはびっくりして、ほんの少し飛び上がってしまった。
慌てて隣を振り向けば、先ほどまで店の中にいた店員が、こちらをじっと見つめていた。
「え、ええと……」
「ショーケースのお人形、お気に入られましたか」
「は、はいですにゃ」
 まだ少々驚きが抜けきらないタマに向かって、店員は嬉しそうに微笑んで見せた。
「ありがとうございます。私がセットしたものなんです」
 つられて、タマも微笑む。

「どうされます? カットしていかれますか」
「その……時間とお金は、どのくらいですかにゃあ」
 商店街でウインドウショッピングをして、大分時間を潰してしまった。
そわそわしながらタマが尋ねれば、「そちらの予定に合わせますよ。お代だっていくらでも構いません」と、店員が手招きする。
「この腕を揮えるのなら、金も時間もいりませんよ」
 扉にくくりつけられたベルが鳴り、タマはその音にひきよせられるようにドアノブに手を掛けた。



「お掛けください」
 促されるままに店に入れば、バラの香りがふわりと鼻をくすぐった。
ショーケースの隣の椅子に腰掛けても、タマはやはり落ち着かない様子だった。
店員が道具を持ってタマの後ろに立ち、着々と準備をすすめる。
「どの辺りまで切りましょう」
「ええーと……長さはあまり変えないで、こう、綺麗にして欲しいですにゃ」
「畏まりました」

 タマは、自分の髪の毛がとても好きだった。腰まである、太陽の色をした髪。
風が吹けばまるで稲穂のように波うち、夕日に照らされれば空よりも美しく輝く。
夏の麦わらにも、赤いリボンにも、カチューシャにもよく似合った。
彼女はそれをよく自慢したし、皆はそれ以上に誉めてくれた。
おそらく、彼女の誇りの一つであると言っても過言ではないのだろう。
どんな誉め言葉でも足りないし、どんな人でも否定できない。それくらい、綺麗な髪なのだ。
 だから、彼女がこうして美容室に足を運んでしまうのも、髪を切ってしまいたくないのも、どちらも頷ける。
今日はここに来て、手入れをしてもらう事になった。そういうめぐり合わせなのだろう。


 それにしても。他人に髪を洗ってもらうのは、美容室に限らずだが、とても気持ちがいい。
タマは元来髪を触られるのが大好きだったが、それを考えずとも、その心地よさは想像しえる。
シャンプーを終え、ようやく髪を切ると言う所になるまでに、タマはだいぶ落ち着いていた。
店に入ったときは緊張しがちだったのだが、今にもまぶたをとろんとさせてしまいそうな表情だ。

「では、カットさせて頂きますね」
「はいですにゃあ」
 銀色のハサミが、タマの髪を梳きはじめた。
軽い音と共に、髪が切られ、ぱさりと地面に落ちていく。
「綺麗な髪ですね。ご自分で手入れされているんですか?」
「がんばっておりますにゃ」
「ここまで長く伸ばしながら綺麗に保っておくのは、大変だと思いますけれど。すごいですね」

 しゃきしゃきと言うハサミの鳴き声。後ろ髪をすうっと滑る、指の感触。
慣れたものではあるのだが、慣れたなりに気持ちいい。
「(やはり、感慨ですにゃあ)」
 嬉しそうに目を細め、セットされていく髪の毛を鏡越しに見つめるタマ。
「(これなら、ご主人様もお喜びになられますにゃ。タマはいっそう美しくなりますにゃ)」
 即頭部の髪を軽く持ち上げられ、その感触に思わず笑みがこぼれる。
自然さと、元来持っている髪の美しさをそのまま残したまま、手が加えられていく。
金色と銀色の交錯。長い髪を漣のように指の感触が伝う。
雨水が一滴だけ、虹の上を滑るような。
太陽からこぼれる光が、風を含んで揺れているような。

 タマは、ひだまりのネコがそうするように、少しだけごろごろと喉を鳴らした。
目を細め、心地よい感触に身を委ねる。
しんとした森の空気が肺に入るかのように……ごく自然に、ハサミと指が髪を梳かしていった。
窓から差し込む夕日が、ぽかぽかと肌を温める。
しゃらんと鳴りそうな、さらさらの髪。太陽すらも驚かせるだろう、星屑よりも輝く波。
水を含んだそれは、よりいっそう陽の光を受け止め、輝いて。

 鏡に映る自分の姿に、彼女はほうと長く細い溜息をついた。
それと同じ様に……彼女の頭の上に、花びらが開くようにあの耳が出て来てしまった。
尻尾もゆっくり伸び、時計の振り子よりもゆっくりと揺れている。
しかし、タマも、美容師も、それに気付いているのかいないのか。
ただその、日が沈む前のとろけるような美しい空の下、それからひらりと舞い落ちたような輝きに埋もれていた。
 淡く光る黄金の笹の葉が揺れたところを想像すればいい。
おぼろげに薄く光るあたたかい灯火と、鈴の音を思い浮かべればいい。
どんな鳥もこの一時を歌うことは出来まい。
タマの尻尾は尚も快さそうに揺れていた。髪に触れられ気持ちよい感触が伝わるたび、耳をぴくりと動かした。
もう何も考える事などあるまい。
言葉にすることなど、無粋だと言えるほど。
これもタマが万能であるからか。あらゆる力を持つからこそ何も問わず何も見えず、この時間に身を委ねているのか。
ぴんと張っていた空気も溶け、緊張で固まっていた体も柔らかくなって、力がもう入らず。
夕日とまどろみと、ハサミの音とバラの香りと。
すべてが止まってしまったかのような、そんな束の間の永遠に、タマは眠気すら感じないまま、成す統べなくされるがままになっていた。

「至福ですにゃあ……」
 辛うじて目をあけて、ようやく出た言葉はその一言だった。
まるで風が髪を撫でているよう。否、それよりも遥かにいとおしい感触である。
うっとりと微笑み、いままでより更に美しくなってしまった髪を鏡越しに見つめた。
耳がちょこちょこと震える。手を伸ばして自分の髪に触ってみれば、いつもと同じ筈なのに別物のような、やわらかい刺激。
しかし、そんな『至福』も、長くは続かないもので。

「はい、これでおしまいです。お待たせしました」
 美容師のその言葉に、タマははっとして目を見開いた。
一気に集中したお陰か、もう既に隠れている耳と尻尾を確認すると、両手でぽんぽんと髪からポケットまで全身を叩く。
あまりにうっとりしすぎていて、時間のことを忘れていた!
そしてなにより、その、終わりが来ないとすら思った時間が、もう終わってしまった!
心に重く冷たいものが音を立てて落ちてきたような感覚に襲われながら、それでも立ち上がる。

「いかがでしょう、お客さん。お気に召されましたか? ご確認ください」
 合わせ鏡を用意して、美容師が微笑む。
「もし何かありましたら、後日にでもまたセットさせて頂きます」
 タマは無言のまま、その髪を丹念に確認していった。
「……完璧でございますにゃ」
 自慢の一つであったその長さは保たれたまま、タマの本来の持ち味である金色の髪とその輝きを更に引き立ててある。
しっかりまとまっていつつ、空気を含んだ髪。
申し分ない、タマからみれば極上の出来であった。
「ありがとうございます」
 美容師のほうも、嬉しそうにお辞儀をした。


「では、御代のほうのご都合は……」
「いつまであのままでいられるでしょうかにゃ」
 続けられた言葉を遮り、タマは鏡をじっと見つめたまま呟いた。
「いつまでもお手入れされていたいですにゃ。次に髪が伸びるまで、まだたくさん時間がかかってしまいますにゃあ」
 指で少しだけ髪を触り、自分の指ではあの心地よい感触が戻ってこない事を確かめる。
あの、夕日が沈む一瞬が永遠に続く事などありえまい。
だが、その一瞬の間には永遠が感じられるものだ。

「なんとかなりませんかにゃ」
 単純明快にして深刻なタマの願いに、美容師はさも簡単に答えて見せた。
「なんとかしてあげましょうか」
 その言葉にタマの瞳が輝いたのは言うまでもない。
「なんとかなるんですかにゃ?」
「なんとかなりますとも」
 美容師は笑った。



 日が沈む。空は金色に輝き、瞬きをする間に紫色に、そして黒に吸い込まれていく。
商店街の街灯に明かりが灯り、シャッターの閉まる音が響く。
ちょっとした飲食店のランプはついたままだが、隣の洋服屋も、向かいのアンティークショップも、鍵がかけられ玄関の明かりが消された。
 その隅、小さな小さな煉瓦の店に、大きなショーケースが飾られた窓がある。
そう、それは勿論あのタマが訪れた店であり、ショーケースの中にはマネキン人形が綺麗に並んでいた。
さも当然のように、そこにはタマと同じ姿のマネキンが、無言で立ち尽くした。
店のシャッターが閉められ、ショーケースも暗闇へと引きずり込まれる。

「明日になればまた髪も伸びますから、その時に」
 願いが叶ったタマに、願いをかなえた美容師が言った。
「お代はいりませんし、時間もそちらの都合で結構ですから」

 美しい髪はもう風になびく事はなくなるのだけれども。
また明日朝が来て、夕方になれば、きっとまた同じ日々を過ごす事が出来るだろう。
もう二度と、そこに雨水は跳ねないのだけれども。

 万能ネコミミロシアンメイド。とりあえず、今一瞬は、おそらく、存在しなくなった。
今日も彼女の髪を撫でるのは、バラの香りだけである。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北嶋さとこ クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年06月15日

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