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『     あの穏やかな日をもう一度 』
松浪・静四郎2377)&ライア・ウィナード(3429)&(登場しない)

 ウインダー一族が代々住む蝙蝠の城には多くの召使いたちがいるが、松浪静四郎 (まつなみ・せいしろう)ほどこの城におけるさまざまな仕事に精通している者はいないだろう。日常の家事はもちろん、花壇や畑をはじめ施設の管理までも行っており、どれをとってもぬかりなく手が行き届いている。その徹底ぶりたるや見事の一言で、そんな仕事の質を見るだけでも彼の性格や、仕えているウィナード家に対する忠義の篤さがうかがい知れる。慈愛に満ち、辛抱強く、いつも微笑みを忘れない静四郎は、未だ月の魔女による襲撃の傷痕が端々に残るこの城において、草木を慈しみ育て、穏やかな日常を乱すことなく保ち、歳若い城主を陰から支えていく者としてもっとも相応しいのかもしれない。物事に時間をかけることを恐れない者は、日々の小さな積み重ねがやがていつか大きな実りを生むことを知っているから、焦ることなく温かく、優しく見守っていける。
 そしてそんな者には、ついつい面倒になって掃除を怠り、気付けばほこりまみれになってしまう地下倉庫の片づけなどというものも、決して苦にはならないのだ――というのも、掃除や片付けもささやかな気遣いの積み重ねなのだから。

 手についたほこりをはたき落とし、静四郎はすっかり片付いた地下倉庫の中を見まわして、満足そうに一つ頷いた。時が経てば自然に積もり部屋を汚していくのがほこりである、たとえ日常的に使われることがなかったとしても、定期的な掃除は欠かせない。
 静四郎は一仕事終えたばかりであるのに、まるで休む間も惜しいとでもいうように、そろそろ台所へ戻って食事の準備でも始めようかと考え倉庫を出ると、地上へとつながる階段の方へと向かった。
 しかしその途中で、やはり同じ地下にある書庫から明かりがもれていることに気付き、足を止めてひょいと中をのぞく。ゆらゆらと淡く揺れるランプの光に照らされた室内には熱心に読書にふける、静四郎が仕える主の一人、ライア・ウィナードの姿があった。
 彼女は毎日時間さえあれば書庫にこもり、魔法に関する書物をにらみながら懸命に調べものをしたり、弟にかけられた呪いを解くための記述を研究したりしている。今日も朝からそこにいたのだろう、きゅっと眉を寄せているその表情には疲労が色濃く、連日根を詰めているらしいことが見てとれた。
 静四郎は思わず声をかけようと口を開きかけたが――思いもよらず先に言葉を発したのはライアである。
 「ふう。息が詰まりそう。もう一度ハルフ村に骨休めに行きたいところだけれど、調べ物が多すぎてだめね。とてもそんな暇がないわ。」
 そう呟いてまた一つ、ほうと大きなため息をつく彼女は、どうやら静四郎がいることに気付いていないらしく、一度身体を伸ばすと再び本に目を戻し、黙々とページをめくり始めた。
 ハルフは小さいが温泉で有名な村で、以前ライアが興味を示し訪れた時に、静四郎もそれに同行している。いつもよりも時間がゆっくりと流れているように感じられるあの穏やかな雰囲気は、確かに疲れた心身を休めるのに最適の場所だろう。
 明るく前向きで気丈なライアだが、その心労と苦労は年齢に似合わず大きい。それを知っている静四郎は表情を曇らせ、案ずるようにライアの様子を見ていたが、やがて彼女に声をかけることはせず、そっとその場をあとにした。
 そうして真っ直ぐに向かったのは、台所ではなく彼のため城内にあてがわれた自室である。しばらく部屋の中をがさごそと探し回った静四郎の手にはハルフ村のパンフレットが、またその胸には一つの計画が抱かれていた。

 静四郎が地下の書庫でライアの独り言を耳にしてから月と太陽が七度空を横切り、七つ目の太陽はすでに地平線の向こうに滑り落ちて、月だけが空の端に傾いだままひっかかり、そこから青白い薄明かりを投げかけ地上を照らしている。周囲の森は夜独特の静けさとひそやかな気配を伴って、ひっそりと蝙蝠の城を抱え込んでいた。
 「ライア様、よろしければ入浴でもされてはいかがですか?」
 城を照らす光が月の涼やかなものに変わったことにも気付かず、どこからともなく忍びこんでくる夜のひやりとした空気に包まれて、やはり書庫で熱心に本を読んでいたライアに、静四郎はさりげない口調でそう声をかけた。ライアは読書に集中していたらしく、静四郎の勧めよりも本に書かれている内容が気にかかる様子だったが、やがて息をついて「そうね。確かに少し疲れてしまったわ。」と、本を手に立ち上がった。何時間も同じ姿勢でいたのだろう、凝った肩や腕をほぐすように時折さすりながら、浴室へと向かう。
 そうして、彼女はゆっくりと湯船につかりながら続きを読もうと、本を持ったまま室内に足を踏み入れた――その途端、薔薇とハーブの柔らかな香りが中から溢れ出し、絹の衣のように優しくライアを包み込む。予期してもみなかったことに驚いて、ライアはほのかに赤みを帯びてさえ見える水蒸気越しに周囲を見回した。室内にはステンドグラス製のランタンがいくつも置かれ、バスタブにはミルクと薔薇香油入りの湯がたっぷりとはられている。かわいらしい石鹸受けにはハーブを練りこんだ石鹸がちょこんと座り、バスローブやマット、タオル、スリッパにいたるまで、全てが薔薇の刺繍を施された新しい物に変わっていた。見慣れたはずの浴室であるのに、まるでいつの間にかハルフ村の薔薇風呂に紛れ込んだような感覚だ。
 ライアは静四郎がこれらを用意したのだろうと察し、知らず口元をゆるめた。ランタンの柔らかな明かりと、ほのかな薔薇の香りを帯びた蒸気に抱かれていると、緊張していた筋肉がほぐれ、指の先まで血が巡ってくるのが判る。ライアは深々と穏やかな息をついて、入浴を楽しむことにした。
 しかし、どんな状況に置かれようと一瞬でも彼女の頭から城や弟のことが離れることはなく、たとえ本当にハルフ村まで出かけていったとしても、心から安らぐことはできなかったろう。それがライア・ウィナードという、責任感が強く愛情深い女性の人となりである。無邪気に何もかも忘れて、心をゆるませることはできない。
 だが、それでも疲れが身体の中から静かに流れ去っていることが、ライアには感じられた。心の重みはとれずとも、細い身体にのしかかる疲労は音もなく湯気と共に消えていったのである。
 やがてライアが入浴を終え隣の部屋へ行くと、椅子とテーブルが、その上には果物と野菜のジュースが用意され、傍らには静四郎が控えていた。彼はいつものように優しげに微笑み、無言で主に椅子をすすめる。ライアはそれに頷いて腰かけ、地下の書庫から持ってきた本を広げて再び読み始めた。そんな彼女の薔薇のように赤い鮮やかな髪を梳き、ハーブオイルで丹念に肩や、背にある白鳥のような白い翼にマッサージを施しながら、静四郎は先日の書庫での呟きを立ち聞きしてしまったことを詫びた。そして、案じるようにこう尋ねる。
 「少しは疲れが取れましたでしょうか?」
 しかし、それに対する返事はなく、ふと顔を覗き込むと、ライアは健やかな寝息を立てているではないか。寄せられていた眉がほぐれているのを見て、静四郎は微笑み、ライアを起こさぬようそっと彼女を抱え上げた。
 「おやすみなさいませ。」
 そう囁き、静四郎は寝室へ向かいながら、いつか来るはずの、彼女とその弟にとって本当に幸せな日々が、一日でも早く訪れることをただ静かに祈るばかりであった。
 その日が来るまでは、せめてあの村で過ごしたような穏やかな日を、もう一度。



     了
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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聖獣界ソーン
2009年05月26日

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