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『À l'intérieur de dans le noir 』
高科・瑞穂6067)&鬼鮫(NPCA018)

 扉のきしむ音が夜のしじまに響いた。
 わずかに口を開けた扉をすり抜け、俺は暗い倉庫の中へ足を踏み入れた。高窓から月明かりが射し込み、部分的に照らしているが、辺りは薄暗い。
 反射的に手を伸ばして電灯のスイッチを探した。幸いにも目的のものは扉の脇にあった。小さな音とともにスイッチを押してみたが、照明は反応を見せない。恐らく電球が切れているか、普段使われていない場所のため、一時的に電気を通していないのだろう。
「ちっ……」
 思わず舌打ちが漏れた。夜目はきくほうだが、薄暗い場所は得意ではない。なにより、少し前から背筋がチリチリしていやがる。倉庫の中には嫌な空気が漂っている。嗅ぎなれた臭いといってもいい。俺に向けられた何者かの敵意だ。
「いるんだろ? 出てこいよ」
 暗闇に向けて言い放つ。
 見える範囲に人間の姿はないが、俺にはわかっていた。上手く気配を殺しているつもりだろうが、にじみ出る敵意を隠しきれていない。並の連中なら気づかないほど微々たる気配だ。だが、他人の敵意の中で生きてきた俺にはわかる。
 俺の言葉に反応したのか、ゆっくりと闇の奥から人の形が浮き出てきた。それは次第にはっきりとした人間の姿となり、数メートル離れたところで立ち止まった。
 女だ。
 まさか女が現れると想像していなかった俺は、驚きを感じていた。
 
 瑞穂は倉庫に入ってきた男の動きをつぶさに観察した。
 流れるような足の運び、ブレのない上体。正面を見ているようで、周囲への警戒を怠らない目配せを見て、それなりの使い手であると認識した。
 鬼鮫。本部から送られてきた資料には、そのような名前が記されている。その資料には鬼鮫の大まかな経歴も記載されていたが、自分が苦戦を強いられるような相手には思えなかった。侮りは禁物だが、捕縛不可能な対象ではない。
 瑞穂の姿を確認して、鬼鮫は驚きを感じているように見えた。それも当然といえるだろう。彼女の風貌は、どこか場違いな雰囲気を醸し出しているからだ。
 アンジェラブラックのメイド服に、黒いニーソックスをガーターベルトで吊っている姿は、この屋敷で働くメイドの1人にしか見えない。日本人にしては大きめの胸がメイドドレスの胸元を押し上げ、スカートとハイ・ニーソックスの合間から覗く白い足が、月明かりを受けて闇の中に映える。
 ともすれば、幼さを醸し出してしまうメイドドレスだが、見るからに女性らしい肢体の瑞穂が身に着けることで、妖艶な雰囲気が漂っている。どこかアンバランスさえ感じる美しさが、そこにはあった。
 しかし、鬼鮫の目を惹いたのはその美しさだけではない。瑞穂の両手には黒いグローブがはめられ、その両足は頑丈そうな革製の編み上げのロングブーツに包まれている。メイド服には不釣合いな装備といえるだろう。少なくとも屋敷にいる他のメイドはそんな格好をしていない。
「それで、なんの用だ? 呼び出したのは、おまえだろ?」
 少しして鬼鮫が口を開いた。
 瑞穂は片手で髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「通称、鬼鮫。IO2エージェントでジーンキャリア。これまで何度となく非合法活動に従事。たいした経歴だけれど、良くも悪くも三下ってところね」
「三下だと?」
 鬼鮫の声に苛立ちが混じった。それと同時に秘めていた殺気が解放され、周囲の空気が緊張を帯びる。常人ならば気圧されてしまうほどの気迫だ。しかし、瑞穂は叩きつけられる殺気を気にするでもなく、平然と鬼鮫を見据えた。

 三下……
 その言葉に怒りを感じた。
 IO2に関わっているが、奴らに使われているつもりはない。奴らと手を組んでいるのは、そのほうが能力者どもを始末しやすいからだ。
 クソが……
 女に対する苛立ちで、俺は思わず唾棄した。
 IO2を知っていることから、この女がただのメイドでないことは明らかだ。恐らく、なんらかの組織に所属している工作員といったところだろう。当然、俺がこれまでに行ってきたことも、すべてではないにしろ知っているに違いない。
 しかし、どれほどの実力があるのかはわからないが、俺を三下などと呼ぶ時点で、この女の「甘さ」が窺い知れる。
 軽くひねり潰してやる。

 アンジェラブラックのドレスが薄闇に消えた。
 瑞穂は瞬時に間合いを詰め、鬼鮫の懐に飛び込むと、横蹴りを放った。突進の勢いを活かしながらも、モーションを最小限にとどめた一撃だ。半ば勢いに任せているので、攻撃そのものに重さはない。だが、鬼鮫の虚を突くことには成功した。
 不意を打たれた鬼鮫の体勢が崩れた。追い討ちをかけるために瑞穂はさらに踏み込み、左の拳を繰り出した。鈍い音が響き、鬼鮫の右頬が大きくひしゃげた。その感触から頬骨か顎を砕いたことを瑞穂は瞬時に理解した。
 先手は奪った。相手がどれほどの猛者であろうと、傷を負えば気力が萎えることはわかっていた。しかし、そこで攻撃の手を緩めるような真似はしない。拳を引き戻すと同時に、右足を跳ね上げる。半ば反射的に鬼鮫の両腕がガードのために持ち上がる。だが、その動きすら瑞穂は読んでいた。
 胴体を狙った回し蹴りは、空中で軌道を変化させ、鬼鮫の顎を再び直撃した。
 闇の中に飛沫が舞う。それが鬼鮫の口から飛んだ鮮血であることは明白だった。
 今の攻撃で鬼鮫のガードは下がり、体勢も大きく崩れている。それをチャンスと踏んだ瑞穂は、一気に畳みかけようと間合いを詰めかける。が、その気配を察した鬼鮫は後方へ跳んで距離をとる。
 瑞穂の口許に嘲笑が浮かんだ。
「やっぱり三下ね。その程度?」

 女が俺を嘲るのが薄闇の中でもわかった。
 なるほど。確かに悪くはない。
 並の人間だと思っていたが、その認識を改めることにしよう。
 くくくくく……
 久しぶりに面白い獲物と出会った。

「この程度でIO2のエージェントを気取るなんて、お笑いね。もう少しマシだと思って――」
 しかし、瑞穂は最後まで言葉を続けることができなかった。
 瞬時にして彼女の視界から鬼鮫の姿が消え去ったからだ。とっさに身構え、瑞穂は鬼鮫の攻撃に備えた。先ほど自分がそうしたように、正面から懐へ飛び込まれると判断したのだ。
 だが、その読みは外れた。
 気配を察知したときには、背後に回りこまれていた。反射的に振り返ろうと瑞穂は身をひねるものの、それよりも早く頭部を鷲掴みにされたことを悟った。
 鈍い音が脳内に反響した。
 やや遅れて激痛が頭部に走る。コンクリートの床に頭が叩きつけられたことを理解するのに、瑞穂は一瞬を要した。
「あぐッ……」
 瑞穂の口からか細い悲鳴が漏れた。
 完全に不意を討たれた格好となった。満足な防御もできぬまま、ダメージが蓄積される。瑞穂は反射的に攻撃から逃れようと身をよじろうとするが、それよりも早く額に衝撃が加わった。一瞬、意識が暗転しそうになる。いくら肉体を鍛え上げたとしても、頭部だけはどうすることもできない。ダメージはそのまま脳に伝わり、意識を奪おうとする。
 何度も何度も、硬い床に容赦なく額は叩きつけられた。皮膚が裂け、鮮血が顔を濡らした。熱いと感じたものが、瞬時にして冷たい液体に変わる。それが自身から流れた血なのだと、瑞穂は獏とした意識の中で理解していた。
 しばらくして頭部への衝撃はなくなった。
「なんだ、こんなモンかよ」
 まるで壊れた玩具を惜しむかのように、鬼鮫が吐き捨てた。
 直後、瑞穂の腹部につま先が喰いこんだ。
「うぐ……っ」
 思わず呻きを漏らし、瑞穂は緩慢な動作で床の上を転がる。
 衣服は薄汚れ、はだけた裾から露わになった肌が、月明かりを受けて白く見えた。
「がっかりだ」
 そう言い捨てながら、鬼鮫は鋭い蹴りを繰り出す。
 衝撃が瑞穂の体を揺らした。鈍痛と熱が徐々に全身へと広がる。もはや意識は朦朧とし、自分がどのような状況にあるのかさえ理解できなくなっていた。ただ分かるのは、自分が致命的なミスを犯したということだけだった。
「もう終わりか?」
 退屈そうにつぶやくと、鬼鮫はメイドドレスの襟首を鷲掴み、軽々と瑞穂を持ち上げた。彼女の重みに耐え切れず、衣服が裂けて胸元が外気にさらされた。
 糸の切れた操り人形のように、ぐったりとした瑞穂を見下ろし、鬼鮫は何気ない調子で彼女を放り捨てた。
 瑞穂の肉体が宙を舞い、コンクリートの壁に叩きつけられ、めりこんだ。
 その衝撃で瑞穂の口から鮮血が溢れた。しかし、それ以外に反応はない。虚ろな双眸は、ただ床を見つめるだけだ。
「くくくくくくくくくく――」
 薄暗い空間に、鬼鮫の哄笑が反響していた。

 Fin
PCシチュエーションノベル(シングル) -
九流 翔 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年04月20日

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