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『Deep Forest - 3 』
高科・瑞穂6067)&鬼鮫(NPCA018)



 わずかのあいだ、静寂が落ちた。
 木々に囲まれて立つ二人の距離は、約二メートル。にらみあう二人のあいだに硬質の緊迫感が張りつめて、しずかに風が流れた。その風に瑞穂の髪が揺れて、スカートの裾がかすかにはためいた。紺色のワンピースも、真っ白なエプロンも、すっかり泥で汚れている。しかし、それを払い落とす余裕さえ今の瑞穂にはなかった。
 彼女は両腕を頭の高さに持ち上げて、前かがみ気味に構えをとった。相手のふところに入り込むための構えだ。
 逆に、鬼鮫はゆったりとした構えで両腕を左右に開いている。折れたはずの左腕は、いつのまにか元にもどっていた。トロールの遺伝子が持つ再生能力の恩恵だ。

 腕ではなく足を折るしかない──。と瑞穂は思った。足を折れば、すくなくとも動きを止めることはできる。いまはとにかく、この男を逃がさないことが重要だった。どうにかして足を蹴り折ってしまえばいい。蹴るのでなければ、関節を壊すのでもいい。どちらかだ。
「いくわよっ!」
 自らを鼓舞するように声を張り上げて、瑞穂は前へ出た。
 一種の、捨て身に近い攻撃。左足を前にして、彼女は一足飛びに間合いをつめた。瑞穂最大の武器は身ごなしの素早さだが、いまは大部分が失われている。臀部や腹部に負ったダメージは容易に抜けるものではない。彼女の動きは、本来の半分以下のものでしかなかった。それでも一瞬でふところへ入ったのは、さすがの一語に尽きた。
 あるいは、鬼鮫が手を抜いたのかもしれない。瑞穂もその可能性にはすぐ気付いたが、いまは考えないことにした。よけいなことを考えているヒマはない。

 瑞穂は左右にステップを踏んで、フェイントをかけつつ左のローキックを繰り出した。鬼鮫は軽く足を上げて、これを受けた。コンビネーションで、左ジャブから右のストレートへつなげる。どちらも、鬼鮫の顔面にヒットした。
 常人なら一瞬で脳震盪を起こしているところだが、あいにく鬼鮫は能力者だった。それも、トロールのジーンキャリアである。かんたんに倒れる相手ではなかった。
 とはいえ、どんな能力者であろうと不死身ではない。ダメージを与えつづければ──そして自分がダメージを負わなければ──かならず勝てる。そう瑞穂は信じていた。
 左右のワンツーから、さらに右のミドルキック。これも、鬼鮫の脇腹に命中した。一瞬、その顔に痛みの表情が走ったのを、瑞穂は見逃さなかった。
 蹴り足をスイッチして、彼女はもういちど左のローキックを放った。ただのローキックではない。鉄板入りのブーツの爪先で、膝を横から蹴ったのだ。ボグッという音がして、鬼鮫の膝が横へ曲がった。靭帯が切れたのだ。ガクン、と鬼鮫の体が大きく揺れた。

 よし、効いた──!
 そう思った瞬間、瑞穂の頭が真横に吹っ飛んだ。バキンという、平手打ちとは思えない音が彼女の頬を打ち抜いた。その瞬間。一秒の五分の一にも満たない時間のあいだ。瑞穂の意識が飛んだ。
 ぐらりとのけぞった彼女の顔に向かって、鬼鮫の右手がうなりをあげた。パアン。今度は、火薬の破裂するような音。勢いよく鼻血が噴き出して、エプロンに飛び散った。その痛みで瑞穂は意識をとりもどしたが、次の攻撃を避けることはできなかった。
 三発目のビンタが、瑞穂の顔面を強烈に張り倒した。ブシュッ、という音。鼻だけでなく唇からも血がしぶいて、真っ白なエプロンに無数の赤い斑点が散った。

「あぐ……っ」
 たたらを踏んで、瑞穂は後ろによろけた。倒れなかったのは、ほとんど奇跡だ。
 しかし、それが鬼鮫を本気にさせた。ふわりと、その体格からは想像もできないような身軽さで彼は跳躍した。そのまま、体当たりするような勢いで瑞穂に襲いかかり──、空中で、右の肘が振り下ろされた。
 ガゴッ、と岩石の砕けるような音がした。鬼鮫の肘が、瑞穂の頭頂部をとらえたのだ。つむじの部分である。全体的に硬く出来ている頭蓋骨の中では、比較的もろい箇所。まさに、目から火花が散るような衝撃だった。

「い……!」
 痛いという言葉すら、発することができなかった。
 思わずしゃがみこむ瑞穂。そこへ、ふたたび鬼鮫の肘が飛んだ。どうにか後ろへ飛びのいて、瑞穂はこれをかわした。かわしただけではなかった。彼女は、すぐさま前へ出た。
 鬼鮫が、意外なものを見たような顔になった。反撃してくるとは思いもしなかったのだ。さすが能力者じゃねぇかというような、そんな表情を彼は浮かべた。
 パンチが二発、胸板にヒットした。ヒットしたというより、はじきかえされたというほうが正確かもしれない。まるで効いてはいなかった。
「えやああッ!」
 瑞穂は右足を跳ね上げた。夜目にもあざやかな白い軌跡を残して、ブーツの先端が鬼鮫の股間に走る。あからさまな急所狙い。もはや、手段を選んではいられなかった。瑞穂は、どんな手段をとってでも目の前の男を倒すつもりだった。

 さすがの鬼鮫も、この攻撃ばかりは体をひねってかわした。どんな傷でも再生修復できるとはいえ、痛み自体はコントロールできない。急所をつぶされるのは、彼にとっても願い下げだった。
 ひゅん、と鞭のような音が夜気を裂いた。瑞穂の足は蹴りの勢いを保ったまま天に向かって走り抜け、大きくめくれたスカートの中に白いショーツが覗いた。──が、それも一瞬のことだった。吹き抜けた瑞穂の足は、ツバメのように軌道を変えてもどってきた。芸術的なほどの、完璧な踵落とし。
 当たらなかった。鬼鮫は、体を沈ませながら横へ動いた。軽量級のボクサーにも匹敵するフットワーク。瑞穂の踵は空を切り、残ったのは崩れた体勢だけだった。瑞穂の顔が蒼白になった。

 蹴り足が地面につくのと、鬼鮫の膝が叩き込まれるのとは、ほぼ同時だった。
 渾身の蹴りを綺麗にかわされたショック。そして、その蹴りで重心の崩れた姿勢──。ろくに動くこともできず、瑞穂は膝蹴りをまともに浴びた。
 膝が入ったのは、鳩尾だった。破城槌のような衝撃に、瑞穂の体は三十センチ以上も宙に浮いた。ごぼっという音とともに、血と唾液と、胃の中に残っていたものすべてが、ひとまとめに吐き出された。
 まるで壊れた人形のように、瑞穂は地面に転がった。横隔膜を蹴り上げられたために呼吸さえままならず、ゴフゴフと獣のような声をあげて彼女はその場に血を吐いた。

 鬼鮫は追撃の手をゆるめなかった。起き上がろうと地面に手をついた瑞穂の胸を靴底で蹴り倒すと、仰向けになった彼女の上にのしかかった。完璧なマウントポジション。
 間髪を入れず、鬼鮫の右手が走った。パン、と乾いた音。平手打ちが瑞穂の頬を張ったのだ。つづけて、左手が動いた。瑞穂は両手で顔面をガードしたが、鬼鮫はおかまいなしにガードの上から平手打ちを浴びせた。もういちど右。左。
 パン、パン、パン、とリズムよく音が鳴り響いた。
 顔をガードしていても、張り手の衝撃自体をやわらげることはできない。何度も何度も頭を左右に振られるうち、瑞穂の意識は朦朧としていった。
 それでもなお、鬼鮫は馬乗りになったまま執拗にビンタをつづけた。その執拗さは、狂気にとりつかれた人間特有の病的な反復行動に他ならなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
牛男爵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年02月24日

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