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『Bleeding - 5 』
高科・瑞穂6067)&鬼鮫(NPCA018)



 壁で体をささえながら、それでも瑞穂はよろよろと右腕を構えた。指先は小刻みに震え、肩と肘は鈍痛を発している。まともに動かないのは明らかだ。しかし、弱音を吐いている場合ではない。何がどうあろうと、今はこの腕を動かすしかなかった。左腕は折られてしまったのだ。
 荒い息をつきながら、瑞穂は鬼鮫の目を睨んでいた。視界が定まらず、ものの輪郭が二重三重に見える。まるで酔っぱらったときのような症状だったが、事実彼女は酔っているのだった。パンチドランカー状態に陥っていたのである。
 苦痛にゆがむ瑞穂の顔は疲労と絶望にまみれて青白く、鼻や口のまわりは血に染め上げられて凄惨な色合いを見せている。茶色の瞳は痙攣するような細動をくりかえして、脳へのダメージが深刻なものであることを告げていた。本来、意識を失っているはずの状態だったが、それでも倒れずにいるのは彼女の魂に刷り込まれた戦闘本能のおかげだった。

 鬼鮫は、すこしのあいだ瑞穂を見ていた。壁にもたれていなければ倒れてしまいそうな──それでもなお戦おうとしている彼女を。いかにもけなげな姿だったが、あいにくそうした感情は鬼鮫の中に存在しなかった。
 彼の心に生じたのは、むしろ憤怒だった。超常能力者への怒り。妻と子を殺された恨み。すべての能力者を滅ぼさずにはおかないという、強烈な意志。彼の細胞に埋め込まれたトロールの遺伝子が、それを加速させ、爆発させるのだった。
 鬼鮫は、無言のまま足を前へ進めた。大股に歩いて、一、ニ、三──四歩目で、右の拳を突き出した。顔ではない。腹を狙っていた。強烈なボディブロー。

 瑞穂は動けなかった。もはや、立っているだけでやっとだったのだ。それでもどうにか彼女は右腕で攻撃をさばこうとしたが、腕一本でさばききれるものではなかった。──というより、彼女の右腕は何もできずにはじきとばされただけだった。もう箸を持ち上げる力さえ残っていなかったのだ。
 ぐぼっ、と鬼鮫の拳がめりこんだ。エプロンの上から、寸分の狂いなく鳩尾にえぐりこむ。
 瑞穂の喉から、「げごっ!」という音が漏れた。悲鳴ですらなかった。体の中にあった空気が、かたまりになって出てきたような音。蛙の鳴き声にも似た音だった。
 体を『く』の字に折って、彼女は横を向いた。そして、胃の中身をその場に吐き出した。びたびたと、液状のものがコンクリートをたたく音。
 うしろへ突き出す姿勢になったその尻を、鬼鮫の足が蹴り上げた。「げくっ」と、やはり蛙のような声を上げて、瑞穂は前につんのめった。彼女はそれでもまだ倒れることを拒否したが、もういちど尻を蹴り飛ばされると限界が訪れた。
 彼女は何歩かよろけて、反対側の壁に頭からぶつかった。そのまま、壁にすがりつくように彼女は崩れ落ちた。そして、二度と立ち上がらなかった。胃の内容物といっしょに、戦意まで吐き出してしまったような幕切れだった。

 どう見ても勝負はついていたが、鬼鮫はまだ止まらなかった。もとより、手心を加えるような男ではない。能力者を殺すことが仕事であり、趣味であり、生き甲斐なのだ。
 彼は軽く助走をつけると、その勢いのまま瑞穂の背中にひざを落とした。ゴギッ、と背骨が悲鳴を上げる。うつぶせに倒れた彼女は痙攣するように手足を動かしたが、それ以上の動きは見せなかった。
「ああ? 死んだのか? おい」
 言いながら、鬼鮫は瑞穂の髪をつかんで引きずり上げた。ぶちぶちと、髪の抜ける音。瑞穂の右手が動いて、髪をおさえようとした。
「おっと。まだ生きてやがった」
 鬼鮫は右手で瑞穂の髪をつかんだまま、左手で後頭部をわしづかみにした。そして、目の前の壁に瑞穂の顔を叩きつけた。がつん、という音。コンクリート剥き出しの壁だ。一発で、瑞穂の額から血が噴き出した。

「や、あえ……」
 やめて、と瑞穂は言ったつもりだったが、すでに言葉も満足に言えなかった。まるで壁にキスするような姿勢で、彼女はひくひくと短い呼吸をくりかえしていた。
「ああ? 聞こえねぇよ」
 鬼鮫は、もういちど瑞穂の頭をつかんだ。そして、同じように壁へぶつけた。一回だけではなかった。二回三回と、瑞穂の頭はコンクリートに打ちつけられた。そのたびごとに、頭蓋骨の割れそうな音が地下室に響いた。血の匂いと吐瀉物の匂い。そしてコンクリートの匂いが、あたりに立ちこめた。

「こいつ、なかなかの石頭じゃねぇかよ」
 業を煮やしたように、鬼鮫は立ち上がった。右手は、瑞穂の髪をつかんだままだ。つややかに伸ばされた髪は彼女の自慢だったが、いまはそれが仇となっていた。
 鬼鮫は髪をつかみなおして、瑞穂の頭がヒザぐらいの高さになるよう調節した。まるで、野菜の計り売りでもするような按配。そして満足のできる高さが得られると、瑞穂の後頭部に足の甲を当てた。蹴ってはいない。位置をたしかめるために、かるく添えたのだ。ゴルフクラブで、ボールの位置をたしかめるような具合に。
 それから、鬼鮫は左足をゆっくりと引いた。じりじりと、弓を引くような、力をためる動作。限界までためたところで、それを思いきり解放した。
 すさまじい音がした。割れたのは、瑞穂の頭蓋骨ではなく壁のほうだった。瑞穂の頭はコンクリートの壁にめりこんでいた。鬼鮫も、これには驚愕の表情を浮かべた。いくら古い屋敷といっても、そこまで壁が老朽化しているわけではない。かんたんに割れるものではなかった。

「ただの能力者じゃねぇな、おまえ」
 完全に動かなくなった瑞穂の臀部に、鬼鮫はもう一発ローキックを叩き込んだ。
 もはや、彼女はピクリとも反応しなかった。しかし、死んではいない。ひゅぅひゅぅと、虫のような息を彼女はくりかえしていた。コンクリート壁に、頭を半分うずめた状態で。それは、なにかの前衛芸術を髣髴とさせるオブジェのようでもあった。
 しばしのあいだ、鬼鮫はその作品をながめていた。が、やがて何かを思い出したように踵を返すと、彼は廊下へと出ていった。地下室には哀れなメイド姿の女が一人のこされ、かすれた呼吸音だけが闇の中に残響となって響くのだった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
牛男爵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年02月16日

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