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『Bleeding - 3 』
高科・瑞穂6067)&鬼鮫(NPCA018)



 コンクリートの床に手をつきながら、瑞穂は息をととのえた。はぁはぁと、荒い呼吸音が響く。地下室の空気は冷たい。一息ごとに白い呼気がもれては、闇の中に溶けてゆく。まだ、一分も戦ってはいない。というのに、瑞穂の顔には汗が浮いていた。
 一方、鬼鮫は息ひとつ乱すことなく平然としている。折れたはずの肋骨さえ、いつのまにか元通りになっているのだ。トロールの血が持つ、驚異的な再生力の成せるわざだった。
 鬼鮫は追撃してこなかった。倒れたままの瑞穂を、冷たい目で見下ろしている。その目を、瑞穂は真正面からにらみつけていた。目をそらした瞬間に攻撃が来るのはわかりきっていた。

 ふいに、瑞穂は視線をはずした。攻撃を誘ったのだ。
 そのとたん、鬼鮫の右足が跳ね上がった。水平に、瑞穂の側頭部へと回し蹴りが放たれる。彼女の狙いどおりだった。床にひざをついている状態の相手を攻撃するには、それがいちばん手っ取り早い。
 瑞穂はさらに体を低くして蹴りをかわし、同時に鬼鮫の軸足に向けて蹴りを見舞った。ただ蹴っただけではない。ひざの裏側を、刈るように蹴ったのだ。簡単なことではない。彼女の脚の長さと運動神経が、それを可能にした。
 どれだけ鍛えられた肉体でも、関節の構造そのものに逆らうことはできない。ひざが曲がり、がくんと鬼鮫の体が崩れた。
「えああッ!」
 気合一閃。前のめりになって倒れる鬼鮫の顔に向かって、瑞穂の拳が走った。ただの拳ではない。硬いグローブをはめている。おまけに、指が二本立てられていた。目を狙ったのだ。関節同様、眼球を鍛えることも人間にはできない。
 いままですべての攻撃を受け止めていた鬼鮫も、さすがにこればかりは首をひねって回避した。そこへ、さらに瑞穂の右拳がのびた。きれいに命中した。こめかみだ。メキッという音がして、鬼鮫の体が斜めに倒れた。

 やった──と思ったのも、つかのまだった。引きもどそうとした瑞穂の右腕が、動かなかった。鬼鮫が、ワンピースの袖をつかんでいたのだ。気付いた次の瞬間には、強い力で袖を引かれていた。馬鹿みたいな腕力だった。
 ベリッ、という音がした。メイド服の袖が、肩のあたりから裂けたのだ。しかし、袖は抜けなかった。やぶれた袖ごと、瑞穂は引きずり込まれた。
 鬼鮫は、倒れながら瑞穂の右腕をからめとっていた。サブミッション。関節技だ。
 彼女が気付いたときには、もう遅かった。完全に手首をロックされていた。どうやっても動かせなかった。そのまま、肘、肩、と順に関節を固められて、瑞穂はうつぶせに倒れた。
 その上へ、のしかかるようにして鬼鮫が体重をかけた。やぶれた袖の下に覗く生白い腕が、まっすぐ天井に向かって伸ばされた。まるで、敗北宣言の白旗のように。完全に関節を極められていた。柔道で言う、脇固めだ。瑞穂の右腕を、熱と痛みが貫いた。

「いぃいいいいいッ!」
 悲鳴がほとばしった。耐えがたい痛みだった。
 関節技の痛みは、打撃技の痛みと性質が異なる。打撃の痛みはそれを受けた瞬間が最大値であり、あとは時間とともに失せていく。しかし関節技の痛みはちがう。かけられているあいだ、痛みの最大値が持続するのだ。鬼鮫のような嗜虐性を持つ者にとっては、うってつけの技だった。
「いい声だ」
 含み笑いを浮かべながら、鬼鮫が言った。
 言いながら、鬼鮫はギリギリと瑞穂の腕をねじりあげていく。彼女の右腕は、もはや垂直に近い角度にまでなっていた。彼女は足をばたつかせたが、スカートの裾が乱れるばかりで何の解決にもならなかった。

「離せ……! 離しなさい!」
 ほとんど悲鳴のような声で、瑞穂は怒鳴った。胸がつぶれて、うまく声が出せない。
「立場が逆だったら、おまえは離すか? 離さないだろうが」
 鬼鮫は、さらに瑞穂の腕をねじっていった。その角度が限界に達したとき、彼女の肩がミリッという音をたてた。
「ごああああああッ!」
 獣のような叫びが、瑞穂の喉からあふれた。
 どうやったところで、彼女の体は動かなかった。しかし、彼女には奥の手が隠されていた。悲鳴と同時に、キャビネットから落ちた書類の束が舞い上がったのだ。それらはクルリと渦を巻いて、鬼鮫の頬を叩いた。遠隔操作。手を触れずに物体を動かす超常能力だった。
 無論、ただの紙である。ダメージにはならない。しかし一瞬の隙を作り出すことぐらいはできた。その一瞬で、瑞穂は絶体絶命の脇固めから逃れていた。

「PKか」
 わずかに驚いたような声で、しかしひるむことなく鬼鮫は追いかけた。
 下を向いた姿勢で逃げようとしている瑞穂には、鬼鮫の動きがわからない。しかし、廊下から差してくる光のおかげで、影の動きを把握することはできた。そして、このままの姿勢では逃げ切れないことを瞬時に理解した。
 彼女は体をひねり、仰向けの姿勢になると同時にヒザを突き上げた。するどい毒針のような一撃が、鬼鮫の脇腹に突き刺さる。なおったばかりの肋骨が、ふたたび折れた。
 一瞬、鬼鮫の動きが止まった。そこへ、瑞穂の肘打ちが叩き込まれた。先刻ダメージを与えたばかりの箇所。左のこめかみだ。鬼鮫の頭が横にはじけて、ゴギッと音をたてた。頭蓋骨にヒビの入る音だった。

 いくらなんでも、これで少しは動きが止まるはず──。
 願うような思いで、瑞穂は鬼鮫のふところから逃れようとした。
 たしかに、鬼鮫の動きは止まっていた。ほんの一秒程度。それでも瑞穂の体さばきなら脱出するのは難しくなかったが、あいにく今の彼女は全身あちこちにダメージを受けていた。とくに右腕は、もはやロクに動かない状態だった。
 瑞穂が立ち上がろうとする寸前、鬼鮫の手が彼女の足首をつかんだ。握りつぶされるような握力。痛みが彼女の動きを止めた瞬間、すさまじい力で彼女は引きずり戻された。エプロンドレスが床にこすれてスカートは完全にめくり上げられ、白いショーツが残像のように闇に映えた。無論、そんなものを気にしている余裕が瑞穂に残されているわけもなかった。
 驚愕と恐怖と羞恥に表情をゆがめながら、瑞穂はもういちど肘打ちを見舞った。今度こそ、完全に頭蓋骨を粉砕してやる。そういうつもりだった。
 肘は当たらなかった。鬼鮫が、ものすごい勢いで頭を前に振ったのだ。瑞穂にとって、まるきり予想外の動きだった。避けるヒマも、防御するヒマもなかった。くぐもった音をたてて、鬼鮫の額が瑞穂の眉間にぶつかった。骨と骨の衝突する音。

「あぐ……っ!」
 瑞穂は、とっさに両腕で顔面をガードした。反撃の余裕はなかった。涙で目がくらんで、それ以外なにもできなかったのだ。
 そのガードを、こじあけられた。鬼鮫の両手が、瑞穂の手首をつかんでいた。そして、ふたたび頭突きが飛んだ。今度は鼻だった。焼けるような痛みが顔全体に走り、真っ赤な鮮血が飛び散った。
「や……!」
 やめて、と叫ぶより先に、次の頭突きが襲った。ごつん、という音。
 さらにもういちど、鬼鮫は瑞穂の顔を押さえつけて頭を打ちつけた。狂気じみた攻撃だった。実際、彼は狂っているのだった。トロールの血によって。瑞穂の攻撃が、その血に火をつけたのだった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
牛男爵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年02月16日

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