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『     Phantasy of the Opera 』
ライア・ウィナード3429)&(登場しない)

 のどかという形容詞がもっともふさわしい、緑にあふれた公園は人影も多くない。どちらかというと鳥や虫の方が、そこを訪れる者たちの目につき、それらは、人々の目を楽しませ心を和ませながら、また、平和な日常を象徴しているかのようである。
 そんな優しい景色の中で、鳥たちに囲まれ、ライア・ウィナードは一人、歌を歌っていた。柔らかな風が彼女の赤い髪を躍らせ、細くしなやかな髪と彼女の唇から流れる美しい旋律の上を踊るようにして鳥たちが歌に合わせ羽音も高く舞う。その声のなんと清らかで、魅力的なことか。生まれついての音楽家である鳥たちが集まるのは当然であったし、少しでも時間のある人々は、おや、と足を止めて聴き入るのだから、音楽に携わる者なら声をかけずにはいられまい。
 「素晴らしい歌声ですね。まるで天使の歌う讃美歌のようだ。」
 歌が終わるのを待って拍手と共にそう声をかけてきた男も、そんな人間の一人だった。
 ライアは髪とスカートのすそをふわりと翻し、声のした方を振り返る。そこにいたのは身なりのいい、品の良さそうな男だったが、その表情は単に彼女の歌声に感激して声をかけただけというふうではなかった。
 「あなたの歌声を、もっと多くの地上の人間に聴かせて下さるつもりはありませんか?」
 男がそう言うと、まるで平穏な日常は終わったと告げるように、鳥たちが一斉にその場から飛び去る。それによって巻き起こった風に翻弄される髪を押さえ、ライアは銀色の目をみはって、眼前の紳士を見返したのだった。

 ライアが紳士に案内され訪れたのは、堂々とした構えと凝った装飾から歴史を感じる古風なオペラ座だった。公園からさほど遠くない位置にあるそのオペラ座は古くから変わらぬ景観を維持しており、その年月にふさわしい歴史も持っていたが、オペラだけが娯楽でなくなった近年は客足が遠のいている。ちょうど公園から来ると見える裏手の壁には次回公演の垂れ幕が下がっていたが、それに目をとめる者は少ない。
 紳士はライアに、自分はそのオペラ座の座長だと名乗った。そして、垂れ幕を指さし、次の公演のメインの歌姫が病気で倒れたこと、その代役を探していたことを説明し、偶然耳にしたライアの美しい歌声にすがる思いで声をかけたのだと告げた。その切実な訴えにライアは胸をうたれ、代役を快諾したが、そんな彼女に座長は少しばかり言い訳がましく、本来なら身内から代役をたてるべきであるのにそれをしないのは、ふさわしい歌唱力とイメージを持つ者がいないからだと言い、ため息をつく。
 「周知の通り、現在のオペラの人気はかんばしくありません。実力と意欲のある新人、若手の不足は年々深刻化する問題です。そこに今回の歌姫の急病……しかし、今我々が抱えている問題はそれだけではありません。」
 「というと?」
 同じく歌を愛するものとして、少なからず心を痛めたライアが形の良い眉を寄せて訊くと、座長は彼女のために入り口の扉を開きながら、声をひそめてこう答えた。
 「今この劇場では、奇妙な心霊現象が起きるのです。」

 オペラ座で起こる心霊現象というのは、明らかに原因不明で不可解なことばかりらしい。また、それを観客に悟られ、噂のたつことがないよう隠しながら公演を成功させなければならないとあって、悩みはいっそう深刻であるようだった。
 したがって、ライアがそれを聞いても歌姫の代役を降りると言い出さなかったことに、関係者一同が安堵のため息をついたものである。怪現象の起きる劇場で舞台の練習など、彼女の弟が聞いたらさぞかし心配するだろうが、歌姫の代役を引き受けたこと自体を秘密にして、何としてでも舞台を成功させようとライアは心に決めた。そして、本番当日に招待して驚かせよう、と。幸い彼はライアと違って夜型なので、昼間に練習のため出かけても見つかる可能性はないに等しい。
 練習はさっそくこの日から始まった。公演も間近とあって遅くまで続いたが誰も彼も真剣で、不満や疲れを口にする者はいない。皆が完成度を高めるためなら本番まで何時間でも練習を続けられるといった面持ちであり、その熱意にライアも時間を忘れて励んだ。
 座長が『今日はこれまで』という合図を出す頃合いを図ったのは、夜の女王が闇色のドレスのすそを翻し、足音もたてずにひっそりと訪れた頃である。
 しかし、座長の朗々とした声が発せられるより先に、たった今まで声高らかに歌い上げていた役者たちが数人、突然舞台の上で次々に倒れ込んだ。歌声が途切れ、重い物が床を叩く鈍い音が不吉に響く。悲鳴とどよめきが走ったが、ライアはそのどちらもあげず、真っ先に倒れた者たちのもとへ駆け寄った。彼らは一様に火照った顔に玉の汗を浮かべ、うめき声をあげている。額に手を当てると、かなりの熱があるようだった。不自然なほど急で高い発熱である。
 「な、何が起きたんだ?」
 ライアに数秒遅れて他の役者や関係者たちが集まってくる。ライアは、そんな彼らに鋭く、
 「熱が出ているわ、急いで横になれる所に運んで!」
 と叫んだ。これに大慌てで男たちが動き出し、瞬く間に倒れた者たちを控室へと運んでいく。それについて足早に歩を進めながら、
 「こんな唐突に高熱が――しかも数人同時に出るなんておかしいわ。この時間だとどこの診療所も閉まっているだろうし、私が何とかするわ。」
 ライアは狼狽する役者たちにそう言って、手の空いていそうな者に薬を作るから材料を集めてほしいと頼んだ。おそらく普通の病気や疲労などが原因で出る熱ではないのだろうと察し、魔法の薬を調合しようと考えたのである。幸いこの劇場の傍には緑豊かな公園があり、そこに薬の材料となるハーブ類がつつましく生育しているのを彼女は知っていた。あとは自身の魔法の力で調合できるはずである。
 間もなく材料がそろうと、ライアは慣れた手つきで薬を調合し、未だ熱に浮かされている者たちの口に順に薬を流し込んだ。
 「これで一晩くらいは大丈夫のはずよ。明日になっても熱が引かないようならお医者様に診てもらった方がいいと思うけれど。」
 ライアのそんな言葉に、一同はほっと安堵の息をつく。
 しかし、その表情には暗い影が残っていた。皆薄々気づいているのだ、これも先日から頭を悩ませている心霊現象とかかわりのあることなのではないかと。それでいて誰一人そのことを口に出さないのは、言葉にすることで漠然とした不安が現実味を帯びるのを恐れているからなのかもしれない。彼らは言葉を交わす代わりに、ただ心配そうに視線を交わし合っただけである。
 その翌日の練習は昨晩の騒動にもめげず、予定通りの時間から始まった。一度芝居を始めると、役者たちは役者らしく、本来の人格とそれが抱えるすべてのものをどこかへ消し去り、演じるべき役の人間へとすり変わる。それはまさに『登場人物』ではなく『人間』と呼ぶにふさわしい存在感だった。舞台は彼らに支配され、その魔法に満ちている。
 ライアは、自分が操るものとは違う、多くの人々によって作り上げられる一つの大きな魔法の中で、自らも歌として、せりふとして魔法を織りながら、知らず感動を覚えていた。たとえ一つ一つ呼び名が違っても、人の心や身体や人生を豊かにするものは立派な、そしてすぐれた魔法である。
 過去には、本当につらいこともあった。彼女の飽きるほど長いとは決して言えない人生に起こるには早すぎる苦しみと悲しみが。そして、最愛の弟にも。
 だからこそライアは、彼にこの舞台を見せてあげたいと考えた。『蝙蝠の城』などとどこか不気味な響きを含む名で呼ばれる屋敷で、夜と共に生きる弟に、魔法の光を届けたいと。
 「そのためには、何としてでも舞台を成功させないといけないわ。」
 毅然と心の中で言うライアの言葉に、他の役者のせりふが重なる。そして、独唱につながる伴奏が流れるはずだったのだが――次に発せられたのは楽器の優しい音色ではなく、凶暴で破壊的な破裂音だった。それについで舞台の飾りや装置がはじかれたように宙に浮かび、舞台の上のライアたち目がけて襲いかかる。
 誰も悲鳴をあげることさえできなかった――というのも、唐突に柔らかな、しかし力強い風が舞台の中央で巻き起こり、口から飛び出しかけた言葉をさらっていったからである。風に邪魔され、方向を誤った物たちが音をたてて次々に床に落ちた。最後の一つが床に転がると、一斉に一同は息を吐き出し、そして、風の中心であった所を振り返る。
 そこには衣装を乱すこともなく、軽く息をはずませているライアの姿があった。それをみとめて彼らは口々に礼の言葉を発し、ライアもそれに「皆無事で良かった。」と微笑で応えたが、じきに練習が再開されると、彼女はひそかに眉を寄せた。他の者たちは「また心霊現象か。」と苦々しくぼやいたが、彼女はそれを『現象』だとは思わなかったからである。明らかに舞台の上にいた役者たちに向けた、何者かの悪意を感じ取ったのだった。
 「それでも、やるしかないわ。」
 何度邪魔されても自分が皆を守るという決意をこめてそう呟く。
 そうして、時は一瞬たりとも止まることなく生真面目に流れ、本番前日を迎えた。

 舞台のちょうど真上にあたるドーム状の天井に描かれた緻密な絵画の中の人々を観客に、弦楽器の伴奏を引き連れた叙唱が響く。物言わぬ観客たちの表情は天井の中央から差し込む日の光で本来なら明るく輝いて見えるはずだが、雲がかかっているのか昼間にもかかわらず光は弱々しく、その顔も沈鬱そうに見えた。
 そんな暗さを払うかのように、ライアの形の良い唇から澄んだアリアが高々と流れる。思わず息をするのも忘れるほどで、天井の観客たちの目ばかりでなく、他の役者たちの視線も彼女に集中した。
 座長が『天使のよう』と評した美しい歌声がオペラ座全体を震わすようにして満ちる。独唱はクライマックスを迎え、高く長い歌声がライアの白い喉からすべり出た。
 その次の瞬間――ぼっと音を立てて突如カーテンが炎を上げる。近くに火の気などなく、あたかもその赤い上質の布が火そのものに変わったかのようだった。炎は蛇のようにカーテンを駆け上がり、最上部でひときわ大きく、今にも舞台の上の役者たちに襲いかかるように激しく燃え上がる。悲鳴が響く中、ライアはとっさに傍の卓の上に置かれていた飲み水を取り、手をかざしたかと思うと、勢いよく炎のカーテンの方へ振り払った。その途端、コップから飛び出したとは思えない量の水が炎に降りそそぎ、蒸気へと変わる。それがおさまると、何人かはその場に膝をつき、何人かは互いに抱き合い、息をついた。
 しかし、もはやその顔に安堵の色はない。舞台まで駆けつけた座長は、皆を守ったライアに礼を言い、それから沈痛な面持ちで「体裁よりも人命が大切だ。」と告げた。
 「そしてもはや時間もない。この怪奇現象の夜間調査を専門家に依頼しよう。」
 この言葉に一同は複雑な表情を浮かべながらも、他に手はないというように黙然と、ただ頷いたのだった。



     了
PCシチュエーションノベル(シングル) -
shura クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2008年12月08日

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