『空と舞う春陽花 』

スラッシュ（1805）＆カレン・ヴイオルド（NPCS007）

　歌声が聞こえて、スラッシュはふと足を止めた。
　聖都エルザードの中央に位置するのは、彼にとって馴染みとなった天使の広場。物流や情報の流れが激しいこの場所は、いつも冒険や依頼の話で満たされている。
　この日の彼の目当てもそれで、ついでにオルゴールの題材となる「何か」も得られれば良いと、あてどなく足を踏み出した時のことだった。
　風が運んできた旋律は、天使の彫像を背に噴水の前で歌う吟遊詩人のものだ。金糸の神を靡かせながら、奏でるハープの音色は泉水のように澄み渡っている。
　けれど青年の興味の対象は、彼女の歌声とは違う所にあった。
「常春を呼ぶ、花？」
　その調べに綴られる、不思議な花の物語。
　雪に閉ざされた亡国に、雪解けをもたらした花一輪。
　そんな歌い出しで始まった彼女――カレン・ヴイオルドの紡ぐ物語に、彼は知らずぽつりと独りごちる。女性の耳にスラッシュの声が届いたのは、曲も終盤に差し掛かった時だった。
「これは、遠い北方の地での物語だよ。花は時折気まぐれに飛んでは、何処かの地へ春と安寧をもたらすんだ」
　一曲終わるか否かという所で歌が途切れると、カレンは立ち止まっていたスラッシュへ笑みを向けてそう説明した。
「……ということは、地に根を張るような花ではないのか」
「いいや。話に聞くと、その花は聖都からずっと北にある洞穴の中にあるらしいよ」
「一輪、ぽつりと？」
「さぁ、それは自分で見てみないことには、どうとも言えないね」
　何故、そのようなありふれた場所に咲く花に、特別な噂話が付くのだろう。不思議に思った青年だが、彼の表情から思考を読み取ったのか、カレンは意味深に笑ってこう付け足した。
「洞穴に招かれる者は、花に選ばれた者であるとも言う。あくまで、噂だけどね。人は時に、その神秘を故意に守ろうとするものだから」
　どういうことだろうかと、問おうとしてスラッシュは口を閉ざした。恐らく彼女は、それ以上のことを教えてはくれないだろうと理解したからだ。
　彼女は、あらゆる話を集めて、伝える。だがその中に、個々の感情は一切混じってはいない。
　噂を、伝承を、事件を、彼女は伝えるだけなのだ。
「何を探して、どう感じるかはあなた次第」
　ポロン、とハープを小さく鳴らして、最後にカレンはそう締め括った。つまりは、噂の真偽もそれをどう捉えるかも、聞き手次第だと言いたいのだろう。
「それは、自分の目で確かめろということか」
「ふふ。どうぞ聖獣王の加護がありますよう」
　肩を竦めて踵を返したスラッシュの背中に、カレンの武運を祈る声が投げかけられる。
　青年は今度は足を止めることなく、王都の南へと進路を取った。彼の頭の片隅で、常春を呼ぶ花の噂と共にちらついたのは、彼の友人の追い求めた夢の欠片だった。

　幾つもの街を過ぎた郊外の森に、その洞穴はあった。勿論噂であるから、それがカレンの言っていた《常春を呼ぶ花》の咲く洞穴とは限らない。だが、行ってみる価値はなきにしもあらず、だ。
　スラッシュは愛用の短剣と灯り代わりの輝石を携えて、木々に隠れるように佇む岩肌の空洞へ足を踏み入れた。
　道中、何が起こるかわからない。もしもこの場所が、話に聞いた花の咲く洞穴でなければ、危険な動物が潜んでいてもおかしくはないのだ。
　時折脇をすり抜けていく風に、青年は肌寒さを覚えて身震いする。
　極寒の地とまではいかないまでも、随分と北の方に位置するこの地は空気が冷たい。いつ雪が降ってもおかしくないのではないかと、彼は前進しながら思った。
　それでも足を止めなかったのは、その目で《常春を呼ぶ花》の真偽を確かめたいという好奇心からだ。
　もしも、それが彼の亡き友人の追った夢だったなら。或いはそれに繋がる何かであれば。
　友は何を考え、その先に何があるのか。スラッシュの頭の中では、そういった考えが巡り巡ってはひしめき合っていた。
　まるで長い回廊のように、進む岩壁の道はただ真っ直ぐと続く。
　どれほど歩いた頃だろうか。何分なのか何十分なのか、それとも何時間も経っているのか。時間の感覚が麻痺し始めたとき、石の照らす仄かな闇の先に、スラッシュは白い光を見付けて目を瞠った。
　最初は小さな点を打つように小さく、足を進めるごとに大きくなるそれは、天から降り注ぐものではなくて向こう側から真っ直ぐ差し込んでくる光だ。
「外に、繋がってるのか……？」
　訝しみながらも急くことはなく、一歩一歩確実に地面を踏みしめる。その光がとうとう目前に迫って、彼は漸くその先にある光景の全貌を目にした。
　視界が開けて、青年は思わず息を呑む。彼の眼下に広がっていたのは、一面緑で覆われた森だった。
　陽が絶えず射し、細く澄んだ川が森を二つに分断するように流れ、それはやがて下流で泉を作っている。
　そう、洞窟の向こう側には、絵に描いたような美しい森があったのだ。
「いや。ここはまだ、中か」
　スラッシュは、僅かばかり考え直してそう呟いた。洞穴に入る前に確認した地図では、この辺りはまだ岩山が連なっている筈だ。彼の歩いてきた道は岩壁の中にあり、その岩壁がこの森をぐるりと取り囲んでいる地形なのだろう。
　しかし納得すると同時に、彼の中には新たな訝りも生まれる。
　洞穴外の木々は土に岩にと根を張り、街の郊外に森を作っているが、今の時期は外も木枯らしで殺風景だった。それに対し、この場所は一体どうしたことだろう。
　先程まで体温を奪っていた冷たい風は、いつの間にか彼を包む暖かな空気へとすり替わっていた。川辺には、花々さえ咲いているほどだ。
「これは一体……？　外と内との間に、空間をねじ曲げる魔法でも掛かっているのか」
「いいえ、ここには花が咲いているから」
「誰だ」
　今まで人の気配一つ感じなかったせいか、突如聞こえた自分ではない者の声に、スラッシュは一際剣呑な眼差しで辺りを見回した。尋ねる声は低く、けれど相対するようにクスクスと笑う声は高い。少女の……否、幼子と言っても良いかもしれない。それほどに高い声だ。
　青年の警戒もあらわな言葉に、小さく笑う声の主は姿を現した。
　がさり、と近くに生えていた木の葉が鳴り、彼の頭上から何かが落ちてくる。
　いや、降ってくる、と表現した方が適切かもしれない。スラッシュの目の前へ文字通り降りてきたのは、どこからどう見ても何の変哲もない子供だった。
「ようこそ、ようこそ。お客様。あなたの求めるものは何ですか？」
　あの吟遊詩人のような、金に輝く髪を風に遊ばせた少女が言った。身長は彼の肩よりも低く、明らかに年端もいかない子供に見える。
　何故このような場所に子供が？
　口を突いて出ようとした疑問は、だが、ふと思い出した情報により喉の奥へと消えた。
『洞穴に招かれる者は、花に選ばれた者であるとも。あくまで、噂だけどね』
　カレンは、確かそう言っていた。では、この幼子がそうなのだろうか。
　青年は幾分逡巡してから、やがて頷きこの場へ足を運んだ理由を簡潔に述べた。
「常春を呼ぶ花を、一目見たいとここへ来たのだが。お前が先程言っていた、花というものがそれなのか？」
「あらあら、まあまあ。お客様は、あれを見付けてどうなさろうと？」
「友の追った夢を、見てみたい。たとえその花が友の求めた夢ではなかったとしても、それはきっと、無駄ではないだろう。それだけだ」
　柔らかく、例えるならば今青年と少女に射す陽光のような声音で、スラッシュはそう答えた。
　少女は変わらず微笑んだままで、彼の答えを聞き届けるなり手を差し出す。
　小さな彼女の手は、彼の手が重ねられることを待つように二人の間でぴたりと止まった。
「それでは、お客様。この手に御手をお預けになってください」
　声高らかに、少女は歌うように告げる。そよりと頬を撫でた春風に導かれるよう、青年は少女の手を取った。途端に、遠くへ見える泉の湖面が仄かな光を発した。
　一体何が起こったのかと思う間もなく、またしても少女は嬉しそうな笑みをこぼして彼の手を引く。
「祝福を。あなたは花に選ばれました」
「選ばれる、とは、どういうことだ？」
「花は、あなたの心の煌めきを感じ取りました。あなたの中は、春の輝きに満ちています」
「春の輝き？」
　ついには泉へと駆けて行きながら、少女は振り向いてこう言った。
「あなたの願いは、あの花の好むぬくもりに溢れていたということです。花は、あなたの前に姿を見せてくれるということですよ」
　それが、花に選ばれるということなのだろうか。思案していたスラッシュは、泉の前に連れてこられて初めてその中央に存在するものに気付いた。
　泉の真ん中、土も台座もない場所に、ポツリと一茎の緑が生えていた。
　読んで字の如くそれは一本の茎で、丸みを帯びた葉が付いていなければ、針金かとも思っただろう。
　何せその茎の先端には花が付いていない。ただ萼と黄色い管状花のようなものが付いているだけで、水面にすら花弁は見当たらなかった。
　スラッシュの手を離した少女は、その手で泉の中心に生える茎を指差す。
「あれが、あなたの求める花です」
「花……あれが？　花弁が付いていないようだが」
「花は夢という蜜を蓄えて、花弁を呼び寄せます」
　言うが早いか、少女の言葉が合図とでも言うように、どこからか一匹の蝶がふわふわと舞い降りてきた。それはスラッシュと少女の周囲を幾度か回り、やがて茎の方へと飛んでいく。泉の上の管状花に一匹が羽を休めると、二匹三匹と同じ色形をした蝶がまたどこからかやってくるのだ。
　うっすらと青みがかった羽は輝く鱗粉をまき散らしながら、踊るように管状花へととまっていく。
　やがてぐるりと管状花を取り囲めば、後から来た蝶達は、管状花へとまっている蝶の羽へ折り重なっていった。
　連なるように次々と羽を休める蝶達が、時折そよ風に羽を揺らす。
　その光景はまるで、多弁花が風に花弁を遊ばせているようだった。
「まさか、これが」
「あなたの求める春の花です」
　少女がスラッシュへ一瞥を向けると、途端に茎へとまっていた蝶達が一斉に舞い上がった。
　螺旋を描くように羽をはためかせながら、飛び立つ先には蒼穹の海。
　彼は食い入るように顔を上げてから、眩しそうに目を細めた。
「綺麗だな」
　無意識に青年の口から漏れたのは、心の底からの感嘆だった。
　一言だけ紡がれた声に、少女は満足したように笑みをこぼす。
「良いものを見せてもらった」
「いいえ、お客様。あなたの中で、夢が美しく咲きますように」
　青年は小さく礼を言って、蝶の舞い上がった泉へ踵を返した。暖かい陽気に包まれながら、胸の内で溢れるのは、幻想的な蝶の舞いと感動に似た何か。
　常春を呼ぶ花は、確かに洞穴の奥深く、ひっそりと春に囲まれて咲いていた。

　選ばれた者は、夢があるから。
　神秘に包まれていたのは、このぬくもりを守りたいから。
　柔らかな光は草木の匂いを纏わせて、蝶は巡り春を呼ぶ。
　人の心に、温もりを灯す春陽にも似た花のように。
　
◇　Fine　◇



◇　ライター通信　◇

スラッシュ様。
初めまして、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
「常春を呼ぶ花」の伝承と冒険、ということでこういった作品になりましたが、如何でしたでしょうか？
花についての細かい設定などがお任せとなっていたので、あれやこれやとどういった伝承にしようか。設定を考えながら楽しませて頂きました。
内容はほんわかとしたものにしてみました。安寧をもたらすほどの花ですから、やはりここは平和的な内容で、という単純な思考ですが…（苦笑
何故花はそこに存在するのか、蝶や少女は結局何者かなど、文中で明かされていない部分は色々と想像して楽しんで頂ければ幸いです。
この作品がスラッシュ様の心に残るものであれば嬉しい限りです。
それでは、再びご縁がある日を願って。

PCシチュエーションノベル（シングル）

待雪天音

聖獣界ソーン

2008年11月25日