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『 〜思いの重さ〜 』
松浪・心語3434)&松浪・静四郎(2377)&ルディア・カナーズ(NPCS003)


「あっ、あれは…」
 それは偶然だった。
 ちらっと視界の片隅に入って来た、それはそれは鮮やかな絵。
 オレンジ色のきのこが表紙に描かれた、一冊の分厚い本である。
 松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)は、一瞬ためらい、天を仰ぎ見て少し考え、意を決したようにその扉を押し開けた。
 色とりどりの本、本、本――――かつてはこれらをたくさん所有していた彼であったが、今となってはぜいたく品のひとつである。
 所狭しと並ぶ本の海の中で、それは燦然と輝いて見えた。
 それは、最新の動植物の図鑑である。
 多くの探求者の知識と努力の賜物であるそれを、以前、義弟の松浪心語(まつなみ・しんご)は目を細めて、別の街の本屋で、ガラス越しに眺めていた。
 ここが故郷の中つ国であったなら、迷うことなく買い与えたであろうその図鑑も、この世界では常に持ち合わせがないため、買ってやれなかったのだ。
 無論、心語は何も言わなかった。
 そうやってあきらめたことは数多くある。
 今回のこともそのひとつだと、彼は無言で悟ったのだった。
 だから、ここ聖都で、あの時見つけた図鑑をこうして目にすることが出来たのは、ひとつの巡り合わせのように思えたのである。
 だが、静四郎は知っていた。
 財布が激しく彼を非難していることを。
 それでも、この機会を逃してしまえば、きっと再び巡り合うことはないだろうと、彼は知っていた。
 同じ本を何冊も作れるような技術はないのだから。
 静四郎はその分厚い図鑑を手に取って、勘定を払った。
 それはずっしりとした重みを彼に伝えたが、反対の手に握られた財布は、息も絶えだえな悲鳴をあげていた。
 その財布に視線を落として、静四郎はしばし考え込んだ。
(何か手を打たなくてはいけませんね…)
 静かにそう思い、彼はあることを思いついて、アルマ通りに向かうことにしたのだった。
 
 
 その店が開くのは夕方である。
 静四郎が着いた時、数人の客がもう既に赤ら顔を披露していたが、彼らには目もくれず、そのまま奥へと向かった。
 白山羊亭のウェイトレスであるルディアが、カウンターの向こう側にいたからだ。
 ルディアは静四郎に気がついて、いつものように満面の笑みで迎えた。
「こんばんは!今日は何にします?」
「あっ、えーっと…」
 どう切り出そうか考えていたところに、向こうから声をかけられて、少しだけ静四郎は戸惑った。
「いえ、食事ではないのです。今日はルディア様にお願いがあって参りました」
「お願い?」
 ルディアは首を傾げて聞き返した。
「ええ。夜間と週末だけでかまいません、こちらで働かせていただけませんか?」
「食事運びってことかしら?」
「はい」
「そうね…うん、いいわ。じゃ、今夜からでどうかしら?」
「お願い致します!」
 嬉しそうに静四郎は破顔一笑した。
 これで、何とか財布の悲鳴を抑えられそうだった。
 
 
 それから数日たったある日。
 心語が仕事を終えて自宅に戻ると、家の中が片付き、テーブルの上に読みたかった動植物の図鑑が置いてあった。
 心語は目を見開き、驚いた様子でその図鑑を手に取った。
「これは……」
 こざっぱりと片付けられた室内と、簡単に食べられそうな食事が並んでいるところを見ると、どうやら静四郎が来ていたらしい。
 明日から聖都で、新しい邸宅の建築の仕事に駆り出されることになっていた心語であったが、あまりの嬉しさに、何度も表紙のきのこを眺め、食事をそっちのけで頁をめくり始めた。
「高かったはず……」
 そうつぶやきながら、心語は鮮やかな精密画に見入った。
 口元には久しぶりに刻まれた、笑みが浮かんでいた。
 
 
 翌日から、聖都の外れの建築現場で、心語は仕事に従事した。
 力仕事なら得意である。
 食事も宿もついている仕事だったので、義兄に心配をかけずに済むだろうと、選んだ仕事だった。
 仲間たちは気のいい連中で、小休止のたびに楽しい話をしてくれた。
 久々に、和やかな現場だった。
 そんなふうに過ぎて行ったある日、仕事帰りにみんなで一杯、エールでもやらないかと誘われ、心語は頷いて彼らについて行くことにした。
 向かった先は、アルマ通りで一番の店、白山羊亭である。
 既に多くの人でごった返す中、ようやく席を見つけて座った一行は、さっそくいくつかの大皿料理とエールを大量に注文した。
 程なくして運ばれて来た食事を受け取ろうと、手を伸ばした時、心語は信じられない人物をそこに見出した。
「こんばんは!来ていたのですね、心語。今、仕事帰りですか?」
「…どうして……?」
 にっこり笑って食事の皿を置いた義兄に、心語は驚いて聞き返した。
 しかし、大声に紛れてお互いの声は聞こえにくく、あまりしゃべることが出来ない。
 それでも静四郎は嬉しそうに話しかけるが、心語はだんだんと不機嫌そうな表情になり、仲間たちの勧める食事に手をつける前に、突然席を立ち、店を出て行ってしまった。
「あいつ、急にどうしたんだ?」
「ああ、何かあったのか?」
 仲間たちは口々に心語を心配するような言葉を述べたが、静四郎にはまったく訳がわからない。
(どうしていきなり出て行ってしまったのでしょうか…)
 暗く気持ちが落ち込みそうになったが、ルディアに名前を呼ばれてしまい、それ以上考えることは出来なかった。
 ただ後で、心語のいる宿に行ってみよう、そう思ったのであった。
 
 
 その日はあまりに客の入りが良すぎて、結局静四郎は心語の許を訪れることが出来なかったが、親切な仲間が宿を教えてくれたため、翌日の夜、早々に仕事を切り上げて、その宿に向かってみた。
 心語はもう部屋に戻っていたらしく、薄く扉の隙間から明かりが洩れている。
 ほっとして、静四郎が扉をノックしたところ、中から低い声が応じた。
「誰だ……?」
「わたくしです。入ってもよろしいですか?」
 キイ、と扉が開かれた。
 その向こうには、昨日以上に機嫌の悪そうな心語が立っていた。
 義兄に粗末な椅子を勧め、自分はベッドの端に腰を下ろす。
 その様子に、静四郎は一抹の不安を抱え、そっと尋ねることにした。
「昨日はいったいどうしたのですか?」
 すると心語は、ベッドの脇に置いてあった皮袋の中から、大事そうにそれを取り上げると、義兄の目の前にそれをそっと置いた。
「これは…」
「……高かったはずだ……」
「えっ?」
 心語はうつむいた。
「これは……そんなに簡単に……買える金額ではなかった……」
 静四郎ははっとした。
 心語が視線を上げ、怒りを含んだ瞳で、自分を見つめてきたからだ。
「これを買うために……仕事を……増やしたのではないか……?」
「心語…」
「俺は……兄上に……あんな無理をさせてまで……ほしくなかったのに……」
 静四郎は困ったように微笑んだ。
「そのようなことはありませんよ。……それは、わたくしの持ち物を売って買ったものですから」
「!」
「心語が心配すると思い、黙っていました。申し訳ありません」
 静四郎は、自分がこの世界に来た時に、資金に困らないよう、装飾品や豪華な着物などを持って来たこと、今までの生活費は、それらを売って賄ってきたことなどを話した。
 だが、それらがそろそろ底を尽きそうだということは話さなかった。
 あくまで、「まだ大丈夫だから」という段階で、留めておいた。
 しかし、心語は気付いていた。
 義兄の荷物は、ほとんど自分の家に移動してあったはずだ。
 あれが、今静四郎が持つ全財産ではないか、と。
 もしそうだとしたら、もうほとんどないはずだ、と。
 心語はぶっきらぼうに、静四郎に図鑑を押し付けた。
 戸惑う静四郎に、扉を開けてこう言い放った。
「……もう帰って休め」
「心語…」
 心語の瞳から、怒りが漱がれることはなかった。
 悲しそうに目を伏せ、静四郎は立ち上がった。
 扉をくぐる寸前、いたわるようにこう言うのが精一杯だった。
「くれぐれも怪我には気をつけてくださいね…」
 閉まった扉の向こうから、遠ざかる足音が聞こえてくる。
 その寂しげな音を聞きながら、心語は自分に対して、腹が立って仕方なかった。
 今までの生活用品の資金がどこから出ていたのか、まったく思いを馳せなかったことに。
 そして、それを気付かせない義兄に、すっかり甘えてしまっていたことに。
 しばらくの間、心語は唇を噛みしめて、ただただそこに立ち尽くしていた。
 
 
〜END〜



〜ライターより〜


 またのご依頼、誠にありがとうございます!
 ライターの藤沢麗です。

 今回は、思いのすれ違いが切ないですね…。
 どちらも相手を大事に思っているからこその怒り、
 悲しみなのかと思います。
 
 ですがお互いをいたわりあって暮らすことが、
 とても大切なことであると、
 おふたりは気付いていらっしゃるようですね。
 それは人と人の関わりとして、
 素敵なことだと思いました…。

 それではまた未来の物語をつづる機会がありましたら、
 とても光栄です!

 このたびはご依頼、本当にありがとうございました!
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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聖獣界ソーン
2008年10月14日

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